私の父について、また、少しだけ話をします。
父は小さな時計店を営んでいました。
時計店を営みながら、習字の塾も開いていました。
60歳も過ぎた頃、何を思ったか大学の講座に申込み、日本画を学び始めました。
数カ月だと思いますが大学に通い、墨絵や顔彩を使って描く本格的な日本画を描き始めました。
実は、父の母親も趣味で日本画を描いていたようで、父もその血を引いていたのかもしれません。
今、私が住んでいるこの家に来てからも、沢山の絵を描きました。
家の小床には、昔、父が描いた鯉の絵が飾ってあります。
玄関や廊下の壁に漆喰を塗った時、小床の壁も真っ白な漆喰に塗り替えました。
小床には小さな蛍光灯が付いていましたが、光量が足らず寂しい感じでした。
なんとか、父の描いた絵を明るい照明で照らしたいと思い、位置や方向を自由に変えられるスポットライトに交換しました。
時季に合わせて額を替えたり、書にしたりしています。
父は戦時中、南支で爆撃に遭い耳が聞こえにくく、片方の目も見えていませんでした。
片目が見えないと遠近感が分かりません。例えば、投げられたボールをうまくつかむこはできません。
父も筆で文字を書いたり絵を描く時、筆先が紙に触れる感覚がつかみにくかったようです。
それでも、その事を苦とも思わず筆をとり当たり前のように書や絵をかくのです。
また、絵や書を飾る額も自作していました。
ところが、片目で額をつくると歪みが出てしまうようなのです。
父、本人には正確な四角形に見えていても、両方の目で見る私たちには歪んだ四角形に見えるのです。
これは本人がいくら努力しても越えることのできない壁です。
父には正しい四角形が歪んで見えるのですから… 。
私は父にその事を伝えることはしませんでした。
父が残した沢山の絵や書を見ていると、夜中も山の様な反故紙の中で書を書いている父の姿や、足が悪くなってもスケッチブックと絵の具を持って電動三輪で出かけて行く父の姿を思い出してしまいます。