天山(てんざん)は、佐賀平野の北にそびえる1046mの山です。
なぜなら、夏合宿など長期の遠征前に必ず登る山だったからです。
それもただ登るのではなく、キスリング(厚い帆布製で、蟹の甲羅のように横長型の昔のザック)に30kgの砂を詰めて登るのです。
サークルボックス(部室)横の地面をスコップで掘り、土嚢袋に砂を入れ、それを何個もキスリングに詰め込み体重計で30kgになるよう調整します。
これを担ぐのに一苦労します。
砂の入ったキスリングを一旦持ち上げて右膝の上にのせます。次に、肩紐の輪の中に右腕と肩を入れるようにしながらキスリングを背中まで回すのですが、その余りの重さに大概はバランスを崩して背中からひっくり返ってしまうのです。
また、何とか背負うことができても、その格好は背中を丸めた前屈みの姿勢になっています。
すると、それを見た先輩から、
「背筋を伸ばして、キヲツケ!」
と、号令が飛んできます。
号令に合わせて背筋を伸ばすと、キヲツケした姿勢でそのまま後ろ向きにひっくり返るのです。
もっとも、これは"お約束” なのですが…
大学近くのバス停まで30kg超の荷物を背負い、重い登山靴を履いて歩きます。
すでに、肩紐が食い込んでいます。
バスに乗っている間はキスリングは下すことができるので、天国にいるみたいに体が浮いてる感じがしました。
登山口のバス停に着くと、いよいよそこから地獄の進軍が始まります。
ここの標高は20m程ですから、ここから標高差にして1000mを30kgの砂を担いで登っていくのです。
これが、我がワンダーフォーゲル部で言うところの"天山歩荷(tenzanbokka)” です。
国道沿いのバス停から歩きはじめると、すぐに辛口で有名な酒蔵が見えてきます。さらに川沿いの道を進み、神社で休憩したものです。
民家の庭先の道通り、みかん畑の間の道を抜け、しばらくすると小学校の分校が見えてきます。
分校の校庭で長めの休憩をとります。
しかしまだ、道半ばと言ったところです。
この先は民家はありません。8合目に駐車場があり、砂利道の車道は通っていますが、最短距離の登山道を一歩一歩登って行くだけです。
もう足はフラフラで、気力だけで足を前に出している状態です。
やっと、8合目の天山神社上宮です。
ここまでくれば、頂上はあと少しです。
水場があるここで最後の休憩をとります。
8合目を出てすぐに、木立がなくなりまばらに低木が生えた草地が広がります。
傾斜はキツくなりますが、30kgを超えるキスリングも間もなく降ろすことができるので、自分や仲間を奮起させる声(奇声?)を発しながら最後の登りを登りきるのでした。
そしてたどり着いた天山山頂ではこんな眺望が広がっていました。
これでやっと30kgの砂の呪縛から解放されます。
大学から担いできた30kgの砂をキスリングから取り出し、みんなで山頂に撒いたものでした。
この"天山歩荷” の経験があるから、どんな過酷な山行もやり遂げる事ができたと、今でも信じています。
そして、天山山頂で担いできた砂をぶち撒ける解放感は、担いできた者しか味わうことができない達成感だったのかもしれません。
今からちょうど1年前の9月、私は長年の夢であった穂高に40年振りに登りました。
そしてその1週間ほど前、かつて学生時代やったように、重い荷物を背負い天山山頂を目指したのでした。