生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

福島原発と東北地方太平洋沖地震19

2011年03月14日 21時27分31秒 | 生命生物生活哲学
2011年3月14日-6
福島原発と東北地方太平洋沖地震19


  「東京電力によると、福島第2原発の1号機、2号機は安定的な「冷温停止」状態となり、緊急事態を脱したと発表した。」
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2011/03/14/kiji/K20110314000427090.html?feature=related

 よかった。

 しかし、福島第一原発の1、2、そして3号機は、冷温停止状態になっていない。
 2号機はどうなるのだろう?

  「東京電力によると、福島第1原発2号機で14日夜、原子炉の水位が急速に低下し、燃料が水面から完全に露出、空だき状態になった。
  ……
  福島第1原発2号機に海水を注入していたポンプは、職員がパトロールに出掛け、目を離したすきに、燃料が切れて停止したという。」
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2011/03/14/kiji/K20110314000428400.html


福島原発と東北地方太平洋沖地震18

2011年03月14日 20時17分24秒 | 生命生物生活哲学
2011年3月14日-5
福島原発と東北地方太平洋沖地震18

 「福島原発と東北地方太平洋沖地震16」で触れた、
http://d.hatena.ne.jp/oguogu/20110313/1300009037
では、「炉心溶融」と「燃料棒溶融」を区別すべきだとしているようである。

 しかし、定義によっては、区別できない。
 炉心溶融の定義は、ウィキペディアでは、
  「炉心溶融……とは、原子力発電所で使用される原子炉の炉心にある核燃料が過熱し、燃料集合体または炉心構造物が融解、破損することを指す原子力事故。」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%82%89%E5%BF%83%E6%BA%B6%E8%9E%8D
とある。燃料集合体が一部、溶けたのではないのかな? 
 上記の「酔っ払いのうわごと」氏の記事での「炉心」は、何を指しているのか? 数量の程度で区別しているのだろうか?

 あるいは、経済産業省原子力安全・保安院によれば(さらに読売新聞によればだが)、

  「原子炉は通常、水で満たされ、炉心にある核燃料が一定温度以上に過熱するのを防いでいる。だが、原子炉の水位が下がって核燃料が露出すると、空だきに近い状態になって炉内の温度が上昇し、燃料自体が溶け出す。これが炉心溶融だ。

  保安院などが今回、炉心溶融の可能性を考えたのは、放射性物質のセシウムが同原発外部で検出されたからだ。セシウムは、核燃料集合体を構成する「燃料ペレット」が溶けないかぎり、ペレット内から出てくることはない。」
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110312-OYT1T00504.htm

とあるから、そしてセシウムは検出されたようであるから、炉心溶融したと言っていいのではないのか?

 先のサイトでは、

  「読売新聞は、原発が爆発してしまった責任を東電に押し付けたいと思っているかのようです。もっと早く海水を炉内に注入していれば爆発は防げたと言わんばかりですから。今回のような事態は東電にとっても初めての事なのですから無理な注文だと思うのですけれど。」
http://d.hatena.ne.jp/oguogu/20110313/1300009037
と書いているが、初めての事態なら無理な注文なのか? 技術的能力から見て無理と言っているのかもしれないが、すべて含めて安全管理が考えられているはずではないのか? 初めての事態だったら、格納容器から放射性物質が大量拡散しても仕方ないのか?

 また、

  「私などは、これほどの地震でも致命的な被害を出さなかった事で日本の原発の安全性が証明されたと逆に考えたのですけれど。」
http://d.hatena.ne.jp/oguogu/20110313/1300009037

と書いている。確かに、そこまでの安全度はあったと言えるかもしれない。しかし、事態は終息しておらず、地震後に事態は悪化しているとしか思えない。そして、現在までの事態に至った結果によって、原発は廃炉にすべきだという結論に十分だと思う。


福島原発と東北地方太平洋沖地震17

2011年03月14日 19時38分51秒 | 生命生物生活哲学
2011年3月14日-4
福島原発と東北地方太平洋沖地震17

 日本原子力発電株式会社
http://www.japc.co.jp/index.html
の、
「03/14 一部報道における東海第二発電所の自動停止に関する記事について」
というプレスリリースのpdfによれば、

  東海第二発電所では、非常用ディーゼル発電機3台のうち、津波の影響によって1台が停止し、2台で必要な 電源を確保している

(要約した)とのことである。
 福島第一原発では、津波(の何が?)が想定外だったのか?


福島原発と東北地方太平洋沖地震16

2011年03月14日 19時11分59秒 | 生命生物生活哲学
2011年3月14日-3
福島原発と東北地方太平洋沖地震16


 2011年3月13日午後3時15分ごろ、枝野官房長官は会見で、

  「3号炉におきましても昨日(12日)に1号炉で生じたような水素爆発の可能性が生じたため、念のため速やかにご報告を申し上げた次第でございます。
  ……
  万が一これが昨日のような爆発を生じた場合であっても、」
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00195026.html

と述べている。
 3号機はその後、可能性があれば(想定通り?)現実となるのか、水素爆発した。では、この枝野官房長官の「万が一」とはどういう意味なのだろう?

 他の件でも、「万が一」が、一になったと思う。確率的なことを言っても意味は無い。単に、「爆発した場合」、と言えばよいのである。
 「~した場合、こうなる可能性がある」は、問題の無い言明だと思う。そこへ確率のような%みたいなものを与えるのは、因果系列上でどういう意味があねのだろうか?
 とりわけ、事故の場合、震度設計でマグニチュード8を越える9.0であった場合、それは想定外だったでは済まない。核分裂の制御は原理的に難しいから(したがって大地震の有無に関わらず)、原発の科学技術は安全ではあり得ない。このことは今回の事故で確証された。最悪の場合の災害規模の範囲と程度はきわめて大きいから、すべて廃炉にすべきである。

 科学的予測は、現実に照らして当たるかどうか、が重要である。<政治は結果責任>という方針は、健全な方針である。


地球温暖化論、原発、科学哲学

2011年03月14日 18時21分41秒 | 生命生物生活哲学
2011年3月14日-2
地球温暖化論、原発、科学哲学


 さきほど、「科学技術論 福島原発」でGoogle検索したら、数番目に、
  (下)「不確か」認め 懐疑論に対抗
という題の読売新聞上の記事が出てきた。
 
  「「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」が2007年に公表した第4次評価報告書では、「20世紀半ば以降に観測された世界平均気温の上昇のほとんどは、人為起源の温室効果ガスによってもたらされた」という見解が正しい可能性は90%以上であると表現している。つまり、この見方が間違っている可能性を自ら認めているのだ。
 藤垣さんはこれを「IPCCの誠実さ」とみる。池内さんは、「懐疑派は残りの10%を過大にとらえて、全部がウソだと言っている」と手厳しい。」
http://www.yomiuri.co.jp/eco/ondan/on090309_01.htm

とある。
 「「IPCCの誠実さ」」という意味がわからないが、「正しい可能性は90%以上」という根拠は何だろうか? そもそもそのような言明は、予測内容が現実と合致することを、どう根拠だてているのだろうか?
 (おそらく、気温データ改竄疑惑が拭われたわけではなさそうなので、IPCC報告書を読んで分析する気になれない。)

 (読売新聞が脚色しているのかもしれないが)「懐疑派は残りの10%を過大にとらえて、全部がウソだと言っている」というのも、どういう論理なのだろう?
 池内了氏は、最近の『科学哲学』に記事を書いている。そこでの論は、結局、(理論的にも実践的にも国の政策的にもまことに問題のあると思われる)予防原則に丸投げである。

 
 ところで、読売新聞は原発推進論なのかなと思って、「読売新聞 原発推進」で検索すると、やはり、読売新聞は原発推進論であるようだ。

  「2011年3月13日 ... 一方、同じく原発推進派の読売新聞は炉心溶融という言葉の使用を避けたように思えます。」(原発爆発事故社説と「炉心溶融」 - 酔っ払いのうわごと)
http://d.hatena.ne.jp/oguogu/20110313/1300009037

とある。

 その記事:
原発爆発事故社説と「炉心溶融」 - 酔っ払いのうわごと
http://d.hatena.ne.jp/oguogu/20110313/1300009037

は、各社の原発爆発事故社説を「炉心溶融」という語に着目して比較している。

 「一番強力な原発推進派である日本経済新聞」は、「核燃料棒の一部が過熱して溶けている」ことと「炉心溶融(メルトダウン)」とを区別し書いているが、「燃料棒の溶融と炉心溶融では意味が違うのに、それを混同して社説にしている新聞社も多い」と述べている。
http://d.hatena.ne.jp/oguogu/20110313/1300009037


福島原発と東北地方太平洋沖地震15

2011年03月14日 17時30分21秒 | 生命生物生活哲学
2011年3月14日-1
福島原発と東北地方太平洋沖地震15

 福島第一原発の3号機が水素爆発した後、今度は2号機の冷却機能が停止したらしい。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E7%AC%AC%E4%B8%80%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E7%99%BA%E9%9B%BB%E6%89%80
から表にして、MOX部分を加えると、下記の通り。

     定格電気出力 営業運転開始日
 1号機 46.0万 kw  1971年3月
 2号機 78.4万 kw  1974年7月
 3号機 78.4万 kw  1976年3月 MOX(プルトニウム5%?程度を含む)

 なお、
  「1978年11月2日 3号機事故
日本初の臨界事故とされる。この事故が公表されたのは事故発生から29年後の2007年3月22日になってからであった。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E7%AC%AC%E4%B8%80%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E7%99%BA%E9%9B%BB%E6%89%80
とある。

 
 さきほど、「科学技術論 福島原発」でGoogle検索すると、一番目に、
  東電福島第一原発1号機で重大事故が起きた理由②
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=247093
という題の記事の転載場所が出てきた。
 この記事の論旨は、1号機が米国のGE製で、ライセンス期間は30年だったとか、60年代後半のGE原発技術の未熟さが、重大事故の理由だというところにあるようである。

 しかしそこでは、
  「1号機が建設された60年代後半のGE原発技術は、地震国日本における原発耐震設計の観点からは、非常に未熟であった可能性があります。
 その後、東芝、日立、MHIなど日本企業の建設した国内原発の方が、耐震設計上の信頼性ははるかに高いでしょう。」
とある。

 3号機は日本企業が建設したのだとすれば、水蒸気爆発については、日本企業の信頼性も同様だったということになる。
 しかしまた、1号機では地震直後から冷却機能が働かなかったらしいから、その差(具体的にはどういうメカニズム的、システム的な差が結びついたのだろうか)が出たのかもしれない。