2016年6月22日-3
システム的接近、システム主義(2)
「
第4節 システムの諸型 System Types
システムには、いくつかの異なる種類のものがある。最初のクラス分け〔分類〕は、観念的/物質的という二分法である。つまり、観念的なものは何であれ、物質的ではないし、逆にもそうである。唯物論者と同様に、観念論者もこの二分法を支持する。しかし、観念論者は観念的対象が独立して存在すると考えるが、唯物論者は観念的対象なんて或る人によって考え得る程度に存在すると主張する。
しかし、観念的/物質的という二分法は不十分である。或る物質的システムたちは、たとえば社会的システム、科学技術的システム、そして記号的システムといったものであるが、それらは観念を組み入れたり表現したりするのだ。諸システムを幾分かより細かく区別すると、次の通りである。
1. _自然的 natural_。たとえば、分子、河川網、神経系。
2. _社会的 social_。たとえば、家族、学校、言語的共同体。
3. _技術的 technical_。たとえば、機械、テレビ放送網、高度技術〔先端技術〕病院。
4. _概念的 conceptual_。たとえば、或る分類、仮説演繹体系(理論)、法典。
5. _記号的 semiotic_。たとえば、或る言語、楽譜、建物の青写真。
次のことに注意されたい。第一に、この類型論 typology は、創発的(または非還元主義的)唯物論的存在論に属する。他の存在論においては、何の意味も無い。とりわけ、観念論において(特にプラトン主義と現象主義で)受け入れられないのは、俗流の唯物論において(特に物理主義で)受け入れられないのと同様である。
第二に、この類型論は分割ではない。ましてや、一つの分類ではない。なぜなら、(a)たいがいの社会システムは、社会的であると同様に人工的だからである。学校、商業、あるいは軍隊について考えてみよ。(b)或る社会システム、たとえば農場、工場といったものは、人々だけでなく、動物、植物、または機械を含んでいるからである。(c)すべての記号システムは、自然言語でさえも、人工物であるからである。それらのうちのいくつかは、概念的システムを、たとえば科学的な式や線図 diagrams を選定するからである。そして、(d)すべての社会的システムにおける活動は、記号的システムを使うことを伴うからである。さらに、上記の類型論は、この世界を構成する諸システムのいくつかの顕著な客観的特徴を粗く表わしている〔表象している〕にすぎない。
上記の五つの概念の、手っ取り早い(したがって隙だらけの)定義は、次の通りである。
定義2.1 _自然的 natural_ システムとは、すべての構成物が自然に属し(つまり、人工ではない)、かつ、構成物間の結合が自然に属するシステムである。
定義2.2 _社会的 social_ システムとは、構成物のいくつかが、同種の動物たちで、かつ、他のものは人工物であるシステムである(道具のような生命の無いものか、家畜のような生きているものである)。
定義2.3 _技術的 technical_ システムとは、人々によって技術的知識で構築されるシステムである。
定義2.4 _概念的 conceptual_ システムとは、概念から成るシステムである。
定義2.5 _記号的 semiotic_ システムとは、(たとえば言葉、楽譜、そして図といった)人工的標徴 signs から成るシステムである。
定義2.6 _人工的 artificial_ システムとは、構成物のいくつかが作られたシステムである。
明らかに、人工的システムのクラスは、公的な社会組織(たとえば学校、商社、そして政府)はもちろん、技術的システム、概念的システム、そして記号的システムの和である。すべての言語は、作られるのであるから、人工的である。たとえば英語といった「自然」言語と、たとえば(微積分としてではなく、言語として使われるときの)述語論理といった「人工的言語」との間の違いは、後者は多少とも自発的に進化するということなく設計されるという点である。
第5節 CESMモデル〔構成 環境 構造 機構モデル〕
」[20160622試訳][第4節は全訳]。
(Bunge 2003b: 33-34)。
〔第5節の訳は次のブログ以降に掲載予定〕
システム的接近、システム主義(2)
「
第4節 システムの諸型 System Types
システムには、いくつかの異なる種類のものがある。最初のクラス分け〔分類〕は、観念的/物質的という二分法である。つまり、観念的なものは何であれ、物質的ではないし、逆にもそうである。唯物論者と同様に、観念論者もこの二分法を支持する。しかし、観念論者は観念的対象が独立して存在すると考えるが、唯物論者は観念的対象なんて或る人によって考え得る程度に存在すると主張する。
しかし、観念的/物質的という二分法は不十分である。或る物質的システムたちは、たとえば社会的システム、科学技術的システム、そして記号的システムといったものであるが、それらは観念を組み入れたり表現したりするのだ。諸システムを幾分かより細かく区別すると、次の通りである。
1. _自然的 natural_。たとえば、分子、河川網、神経系。
2. _社会的 social_。たとえば、家族、学校、言語的共同体。
3. _技術的 technical_。たとえば、機械、テレビ放送網、高度技術〔先端技術〕病院。
4. _概念的 conceptual_。たとえば、或る分類、仮説演繹体系(理論)、法典。
5. _記号的 semiotic_。たとえば、或る言語、楽譜、建物の青写真。
次のことに注意されたい。第一に、この類型論 typology は、創発的(または非還元主義的)唯物論的存在論に属する。他の存在論においては、何の意味も無い。とりわけ、観念論において(特にプラトン主義と現象主義で)受け入れられないのは、俗流の唯物論において(特に物理主義で)受け入れられないのと同様である。
第二に、この類型論は分割ではない。ましてや、一つの分類ではない。なぜなら、(a)たいがいの社会システムは、社会的であると同様に人工的だからである。学校、商業、あるいは軍隊について考えてみよ。(b)或る社会システム、たとえば農場、工場といったものは、人々だけでなく、動物、植物、または機械を含んでいるからである。(c)すべての記号システムは、自然言語でさえも、人工物であるからである。それらのうちのいくつかは、概念的システムを、たとえば科学的な式や線図 diagrams を選定するからである。そして、(d)すべての社会的システムにおける活動は、記号的システムを使うことを伴うからである。さらに、上記の類型論は、この世界を構成する諸システムのいくつかの顕著な客観的特徴を粗く表わしている〔表象している〕にすぎない。
上記の五つの概念の、手っ取り早い(したがって隙だらけの)定義は、次の通りである。
定義2.1 _自然的 natural_ システムとは、すべての構成物が自然に属し(つまり、人工ではない)、かつ、構成物間の結合が自然に属するシステムである。
定義2.2 _社会的 social_ システムとは、構成物のいくつかが、同種の動物たちで、かつ、他のものは人工物であるシステムである(道具のような生命の無いものか、家畜のような生きているものである)。
定義2.3 _技術的 technical_ システムとは、人々によって技術的知識で構築されるシステムである。
定義2.4 _概念的 conceptual_ システムとは、概念から成るシステムである。
定義2.5 _記号的 semiotic_ システムとは、(たとえば言葉、楽譜、そして図といった)人工的標徴 signs から成るシステムである。
定義2.6 _人工的 artificial_ システムとは、構成物のいくつかが作られたシステムである。
明らかに、人工的システムのクラスは、公的な社会組織(たとえば学校、商社、そして政府)はもちろん、技術的システム、概念的システム、そして記号的システムの和である。すべての言語は、作られるのであるから、人工的である。たとえば英語といった「自然」言語と、たとえば(微積分としてではなく、言語として使われるときの)述語論理といった「人工的言語」との間の違いは、後者は多少とも自発的に進化するということなく設計されるという点である。
第5節 CESMモデル〔構成 環境 構造 機構モデル〕
」[20160622試訳][第4節は全訳]。
(Bunge 2003b: 33-34)。
〔第5節の訳は次のブログ以降に掲載予定〕