鳴無神社(おとなしじんじゃ)
道の駅「かわうその里すさき」で雨の朝を迎えた。昨日の晴天祈願も無駄に終わったようだ
信心が足らないのはわかっているいるが、それにしてもよく降る
道の駅の近くに魅力的な神社があった。小降りになるのを待って出発
参道が海に向かって延びており、「土佐の宮島」とも称される
海側の階段を下り、ローアングルから
鳥居の額には社名の「鳴無神社」
「おとなし」とは読めなかった
道路をはさんで「二の鳥居と境内」
手水舎
狛犬
歴史の流れなのか、潮風の影響なのか、白いものが目立っている
「土佐の海に御船浮べて遊ぶらし 都の空は雪解のどけき」 歌人:藤原家隆
拝殿・幣殿・本殿(重要文化財)
社伝によれば、葛城山に居た一言主命と雄略天皇との間に争いがあり、一言主命は船出して逃れた
雄略天皇4年の大晦日にこの地に流れ着き、神社を造営したのが始まりであるとされる
実際は、鎌倉時代の建長3年(1251年)に創建
江戸時代に入り、土佐藩2代藩主の山内忠義の命により社殿が造営され、境内が整備されたようだ
本殿へと続く幣殿
幣殿は桁行一間・梁間三間・一重。屋根はこけら葺で、背面は切妻造
本殿(重要文化財)
三間社春日造、こけら葺
土佐藩2代藩主・山内忠義により寛文3年(1663年)に造営
柱は朱塗り、貫、組物などには極彩色を施し、天井には村上龍円が描いたと伝えられる天女の舞の絵があるという
祭神の「一言主命」は土佐国一宮の土佐神社と同じ
拝殿を背に海を眺める
水上スキーを練習している初心者のグループがいる
帰りに対岸の道路からこの鳥居が見えたが、風情があり思わず車を止めて見入ってしまった
小さな神社であったが印象に残った
雨でもこの美しさ。晴れた日も見てみたい
撮影 平成29年10月17日
道の駅「かわうその里すさき」で雨の朝を迎えた。昨日の晴天祈願も無駄に終わったようだ
信心が足らないのはわかっているいるが、それにしてもよく降る
道の駅の近くに魅力的な神社があった。小降りになるのを待って出発
参道が海に向かって延びており、「土佐の宮島」とも称される
海側の階段を下り、ローアングルから
鳥居の額には社名の「鳴無神社」
「おとなし」とは読めなかった
道路をはさんで「二の鳥居と境内」
手水舎
狛犬
歴史の流れなのか、潮風の影響なのか、白いものが目立っている
「土佐の海に御船浮べて遊ぶらし 都の空は雪解のどけき」 歌人:藤原家隆
拝殿・幣殿・本殿(重要文化財)
社伝によれば、葛城山に居た一言主命と雄略天皇との間に争いがあり、一言主命は船出して逃れた
雄略天皇4年の大晦日にこの地に流れ着き、神社を造営したのが始まりであるとされる
実際は、鎌倉時代の建長3年(1251年)に創建
江戸時代に入り、土佐藩2代藩主の山内忠義の命により社殿が造営され、境内が整備されたようだ
本殿へと続く幣殿
幣殿は桁行一間・梁間三間・一重。屋根はこけら葺で、背面は切妻造
本殿(重要文化財)
三間社春日造、こけら葺
土佐藩2代藩主・山内忠義により寛文3年(1663年)に造営
柱は朱塗り、貫、組物などには極彩色を施し、天井には村上龍円が描いたと伝えられる天女の舞の絵があるという
祭神の「一言主命」は土佐国一宮の土佐神社と同じ
拝殿を背に海を眺める
水上スキーを練習している初心者のグループがいる
帰りに対岸の道路からこの鳥居が見えたが、風情があり思わず車を止めて見入ってしまった
小さな神社であったが印象に残った
雨でもこの美しさ。晴れた日も見てみたい
撮影 平成29年10月17日