訪問日 令和元年5月23日
補陀落山 慈眼寺 観音院
この日は、砂の美術館から始まり、摩尼寺・仁風閣・県立博物館と続き、最後がここ観音院
旅行中は朝、コーヒーを飲みながらその日の訪問先の候補をいくつか考えナビに入れるようにしている
今回は候補地の距離が近いということもあり5カ所も回ってしまった
「山門」
緑に囲まれた趣のある参道の奥に山門がある
「天台宗 観音院」と石柱に刻まれている
扁額には山号の「補陀洛山」
「手水鉢」
「普蛇山南海観音」
周囲の風景に溶け込んでいて美しい
このお堂の名前が分からない
「本堂」
青空と白い雲がとても綺麗だった
1630年代前半、僧宣伝により雲京山観音院の号で栗谷に開創、寛永16年(1639年)頃に現在地に移り現在の号に改めたとされる
旧鳥取藩主池田家の祈願所八ケ寺(1709年指定)の一つとして栄えた。本尊は聖観世音菩薩
境内にあるこの木、幹は空洞になっているが枝を伸ばし緑の葉を付けている
京都風蓬莱様式の池泉鑑賞式日本庭園が国の「名勝」に指定されている
「キリシタン灯篭」とともに見ることができなかった
撮影 令和元年5月23日
補陀落山 慈眼寺 観音院
この日は、砂の美術館から始まり、摩尼寺・仁風閣・県立博物館と続き、最後がここ観音院
旅行中は朝、コーヒーを飲みながらその日の訪問先の候補をいくつか考えナビに入れるようにしている
今回は候補地の距離が近いということもあり5カ所も回ってしまった
「山門」
緑に囲まれた趣のある参道の奥に山門がある
「天台宗 観音院」と石柱に刻まれている
扁額には山号の「補陀洛山」
「手水鉢」
「普蛇山南海観音」
周囲の風景に溶け込んでいて美しい
このお堂の名前が分からない
「本堂」
青空と白い雲がとても綺麗だった
1630年代前半、僧宣伝により雲京山観音院の号で栗谷に開創、寛永16年(1639年)頃に現在地に移り現在の号に改めたとされる
旧鳥取藩主池田家の祈願所八ケ寺(1709年指定)の一つとして栄えた。本尊は聖観世音菩薩
境内にあるこの木、幹は空洞になっているが枝を伸ばし緑の葉を付けている
京都風蓬莱様式の池泉鑑賞式日本庭園が国の「名勝」に指定されている
「キリシタン灯篭」とともに見ることができなかった
撮影 令和元年5月23日