龍泉寺
フェリー内で重文の建築物がある、駐車場があるなどの条件を満たすということで選んだ寺である
初めて訪れる寺だと思っていたが、見覚えのある光景が広がっていた
仁王門(重要文化財)
慶長12年(1607年)建立。入母屋造杮葺きの楼門
扁額には山号の「松洞山」
仁王像
神馬
競馬好きで不謹慎ではあるが、馬券が当たりますようにと、いつも手を合わせる
手水舎
龍泉寺だけに「龍」なのか… ゴジラに見えるが…
本堂
最澄が熱田神宮参籠中に龍神のお告げを受け、多々羅池畔で経文を唱えると、池から龍が昇天すると同時に馬頭観音が出現、これを本尊として祀ったのが開基
空海も、熱田神宮参籠中に熱田の八剣のうち三剣をこの龍泉寺に埋納したといわれ、熱田の奥の院とされてきた
最澄と空海、華々しい歴史をもっている
明治39年放火により焼失後、焼跡から慶長小判百枚が掘り出された為、それを基金として明治44年現在の本堂が再建された
本尊は「馬頭観音」
扁額には「観世音」
額に描かれた画の船首像はペガサスか…
本堂主瓦
約百十年もの間、本堂の頂で龍泉寺を護ってきた主瓦。
多宝塔
大日如来像を祀っていたが長久手合戦の際焼失
慶長3年から復興され、更に明治年間に大修理
阿弥陀如来を安置
鐘楼堂
明治40年に再建、鐘は第2次大戦中供出、以後昭和34年「平和の鐘」として近郷の有志の方々によって寄進された
書院
龍泉辨財天
境内に龍泉寺城があり、宝物館として展示(開館は日曜のみ)している
旅は二度目が良いと聞くが、新しい発見があるものだ
本堂に貼ってあった紙。この日は秋の旅、初日。元気が出る
撮影 平成29年9月25日
フェリー内で重文の建築物がある、駐車場があるなどの条件を満たすということで選んだ寺である
初めて訪れる寺だと思っていたが、見覚えのある光景が広がっていた
仁王門(重要文化財)
慶長12年(1607年)建立。入母屋造杮葺きの楼門
扁額には山号の「松洞山」
仁王像
神馬
競馬好きで不謹慎ではあるが、馬券が当たりますようにと、いつも手を合わせる
手水舎
龍泉寺だけに「龍」なのか… ゴジラに見えるが…
本堂
最澄が熱田神宮参籠中に龍神のお告げを受け、多々羅池畔で経文を唱えると、池から龍が昇天すると同時に馬頭観音が出現、これを本尊として祀ったのが開基
空海も、熱田神宮参籠中に熱田の八剣のうち三剣をこの龍泉寺に埋納したといわれ、熱田の奥の院とされてきた
最澄と空海、華々しい歴史をもっている
明治39年放火により焼失後、焼跡から慶長小判百枚が掘り出された為、それを基金として明治44年現在の本堂が再建された
本尊は「馬頭観音」
扁額には「観世音」
額に描かれた画の船首像はペガサスか…
本堂主瓦
約百十年もの間、本堂の頂で龍泉寺を護ってきた主瓦。
多宝塔
大日如来像を祀っていたが長久手合戦の際焼失
慶長3年から復興され、更に明治年間に大修理
阿弥陀如来を安置
鐘楼堂
明治40年に再建、鐘は第2次大戦中供出、以後昭和34年「平和の鐘」として近郷の有志の方々によって寄進された
書院
龍泉辨財天
境内に龍泉寺城があり、宝物館として展示(開館は日曜のみ)している
旅は二度目が良いと聞くが、新しい発見があるものだ
本堂に貼ってあった紙。この日は秋の旅、初日。元気が出る
撮影 平成29年9月25日
幟は神社などで多くみかけます。昨今は「ご朱印」(300円)ブームで神社や寺院の大きな収入源になっているようです。幟(3000円~)も同様に考えてもいいのかも知れません。参拝者側からみると、賑やかすぎてどうかなと思うこともあります。
秋の旅は初めの頃は天気に恵まれていましたが、後半は雨続きになりました。この先しばらく続いていきますが、よろしくお願いいたします。
幟がたくさん立つとお祭りのような感じがしますが実際はそうではないのでしょう。賑やかさを出す趣向なのか、願い事の全てを幟で表しているのでしょうか。
金剛力士の像は先に見せて貰った記憶があります。馬の像と共にです。
五重塔(三重塔など)の上に立つ避雷針が時代的背景から景観を損なうのでは、と思って見ていましたが、ずっと見慣れてくると一番上の塔の上に何も無ければ寂しいのでないかと思い始めてきました。
我が家からかなり遠くの夜景が見えます。赤いランプが点滅していますが、情緒があるなと思っています。
高層マンションと塔と比較すること事態無意味でしょうか…ありがとうございました。