一之宮貫前神社
一之宮貫前(ぬきさき)神社は上野国一宮。安閑天皇の元年(531年)が創建にあたる
総門
唐銅製燈籠(富岡市指定文化財)
慶応元年の作で総門前両脇に立つ
狛犬
「下り宮」・「下り参りの宮」
社殿の配置は独特で、本殿が境内入り口よりも低い位置にある
このような配置の神社は「下り宮」・「下り参りの宮」と呼ばれている
これまで多くの神社を廻ってきたが、石段を下ってから本殿に参拝するのは初めてである
末社 月読神社
楼門への石段の横に鎮座する。社殿は寛永12年以前の本社の旧拝殿
斎館
楼門(重要文化財)
手水舎
楼門前に置かれていた「無事かえる」
拝殿・本殿(重要文化財)
徳川家光により寛永12年(1635年)に造営された
元禄11年(1698年)、綱吉により大規模な修理で極彩色の漆が塗られ、現在の華麗な造りとなった
本殿(重要文化財)
単層2階建てで「貫前造」と呼ばれる独特な造りである
内部は2階構造になっていて上段に神座が据えられ、稲含山に向けて「雷神小窓」が設けられている
拝殿(重要文化財)
拝殿内部の様子
場所を移動し極彩色の社殿を眺める
貫前神社では12年ごとに式年遷宮が行われる
仮殿敷地に仮殿が築かれ、申年の12月12日に仮殿遷座祭が、翌酉年の3月13日に本殿遷座祭が催される
万寿2年(1025年)以前から行われており、古くは30年毎であったが、のちに7年毎になり、天正18年(1590年)から現在の形式となった
末社 日枝神社・伊勢内宮・外宮
末社 二十二社
社領内に祀られていた各社を、寛永12年の造営時に一棟にまとめたもの
末社 日枝(ひえ)神社
社殿は寛永12年以前の本社の旧本殿と伝わる
何と、ここにも「三猿」がいるという
前日に日光東照宮で三猿を観たばかりだ
拡大してみると確かに例のポーズをとっている
撮影 平成30年10月13日
一之宮貫前(ぬきさき)神社は上野国一宮。安閑天皇の元年(531年)が創建にあたる
総門
唐銅製燈籠(富岡市指定文化財)
慶応元年の作で総門前両脇に立つ
狛犬
「下り宮」・「下り参りの宮」
社殿の配置は独特で、本殿が境内入り口よりも低い位置にある
このような配置の神社は「下り宮」・「下り参りの宮」と呼ばれている
これまで多くの神社を廻ってきたが、石段を下ってから本殿に参拝するのは初めてである
末社 月読神社
楼門への石段の横に鎮座する。社殿は寛永12年以前の本社の旧拝殿
斎館
楼門(重要文化財)
手水舎
楼門前に置かれていた「無事かえる」
拝殿・本殿(重要文化財)
徳川家光により寛永12年(1635年)に造営された
元禄11年(1698年)、綱吉により大規模な修理で極彩色の漆が塗られ、現在の華麗な造りとなった
本殿(重要文化財)
単層2階建てで「貫前造」と呼ばれる独特な造りである
内部は2階構造になっていて上段に神座が据えられ、稲含山に向けて「雷神小窓」が設けられている
拝殿(重要文化財)
拝殿内部の様子
場所を移動し極彩色の社殿を眺める
貫前神社では12年ごとに式年遷宮が行われる
仮殿敷地に仮殿が築かれ、申年の12月12日に仮殿遷座祭が、翌酉年の3月13日に本殿遷座祭が催される
万寿2年(1025年)以前から行われており、古くは30年毎であったが、のちに7年毎になり、天正18年(1590年)から現在の形式となった
末社 日枝神社・伊勢内宮・外宮
末社 二十二社
社領内に祀られていた各社を、寛永12年の造営時に一棟にまとめたもの
末社 日枝(ひえ)神社
社殿は寛永12年以前の本社の旧本殿と伝わる
何と、ここにも「三猿」がいるという
前日に日光東照宮で三猿を観たばかりだ
拡大してみると確かに例のポーズをとっている
撮影 平成30年10月13日
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