訪問日 令和3年5月26日
法相宗 大本山 興福寺
藤原氏の祖・藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で藤原氏の氏寺
興福寺には何度か訪れているが、プライベートでは今回が初めてである
五重塔(国宝)
五重塔は興福寺の創健者 藤原不比等の娘、光明皇后の発願により、天平2年(730年)に創建された
その後、5度の焼失・再建を経て、現存の塔は、応永33年(1426年)の再建
高さは50.1m、現存する日本の木造塔としては東寺五重塔に次いで高い
東金堂(国宝)
神亀3年(726年)聖武天皇が伯母にあたる元正上皇の病気平癒を祈願し、薬師三尊像を安置する堂として創建した
治承4年(1180年)の兵火による焼失
応永18年(1411年)に五重塔と共に焼失
現在の建物は応永22年(1415年)の再建となる室町時代の建築
唐招提寺金堂を参考にした天平様式
五重塔と東金堂
中金堂
創建当初の建物は藤原鎌足発願の釈迦三尊像を安置するための、寺の中心的な堂として和銅3年(710年)の平城京遷都直後に造営が始められたと推定
享保2年(1717年)の火災による焼失後は1世紀以上再建されず、文政2年(1819年)、町屋の篤志家達の寄付によってようやく再建
創建1300年となる平成22年(2010年)に中金堂再建工事が着工
平成29年(2017年)翌年に中金堂が完成するのを見越し仮金堂内の諸仏を中金堂に移す
平成30年(2018年)10月に9代目となる中金堂が落慶した
南円堂(重要文化財)
藤原北家の藤原冬嗣が、父・内麻呂の追善のため、弘仁4年(813年)に創建した八角堂
堂の前に生える「南円堂藤」は南都八景の一つ
堂の扉は常時閉ざされており、開扉は10月17日の大般若経転読会という行事の日のみである
三重塔(国宝)
今回、興福寺を訪れた目的はこの国宝の三重塔を撮るためであった
興福寺には数回訪れているが三重塔の姿を見た記憶がなかった
興福寺最古の建物という三重塔は康治2年(1143年)崇徳天皇の中宮・皇嘉門院聖子によって創建された
現在の塔は建築様式から大火後まもなく再建された鎌倉建築と考えられている
高さ19m、本瓦葺の三間三重塔婆である
高さ50mの五重塔を観た後だけに小さく感じる
北円堂方面に向かう。遠くに五重塔が見える
北円堂(国宝)
養老5年(721年)8月、藤原不比等の一周忌に際し、元明上皇・元正天皇の両女帝が長屋王に命じて創建させた
現在の建物は承元4年(1210年)の再建で、興福寺に現存する中で最も古い建物である
現在、回廊の復元が計画中
木造無著菩薩・世親菩薩立像(国宝)などが安置されている
春と秋に特別開帳される
猿沢の池に下りる
右側にはカフェ等が並び若者たちで賑わっている
五重塔の先端部分が見える
再び、五重塔。何処から見ても絵になる
国宝館
何度も訪れているので今回はやめようと思っていたが、やはり「阿修羅像」の魅力には勝てない
撮影 令和3年5月26日
法相宗 大本山 興福寺
藤原氏の祖・藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で藤原氏の氏寺
興福寺には何度か訪れているが、プライベートでは今回が初めてである
五重塔(国宝)
五重塔は興福寺の創健者 藤原不比等の娘、光明皇后の発願により、天平2年(730年)に創建された
その後、5度の焼失・再建を経て、現存の塔は、応永33年(1426年)の再建
高さは50.1m、現存する日本の木造塔としては東寺五重塔に次いで高い
東金堂(国宝)
神亀3年(726年)聖武天皇が伯母にあたる元正上皇の病気平癒を祈願し、薬師三尊像を安置する堂として創建した
治承4年(1180年)の兵火による焼失
応永18年(1411年)に五重塔と共に焼失
現在の建物は応永22年(1415年)の再建となる室町時代の建築
唐招提寺金堂を参考にした天平様式
五重塔と東金堂
中金堂
創建当初の建物は藤原鎌足発願の釈迦三尊像を安置するための、寺の中心的な堂として和銅3年(710年)の平城京遷都直後に造営が始められたと推定
享保2年(1717年)の火災による焼失後は1世紀以上再建されず、文政2年(1819年)、町屋の篤志家達の寄付によってようやく再建
創建1300年となる平成22年(2010年)に中金堂再建工事が着工
平成29年(2017年)翌年に中金堂が完成するのを見越し仮金堂内の諸仏を中金堂に移す
平成30年(2018年)10月に9代目となる中金堂が落慶した
南円堂(重要文化財)
藤原北家の藤原冬嗣が、父・内麻呂の追善のため、弘仁4年(813年)に創建した八角堂
堂の前に生える「南円堂藤」は南都八景の一つ
堂の扉は常時閉ざされており、開扉は10月17日の大般若経転読会という行事の日のみである
三重塔(国宝)
今回、興福寺を訪れた目的はこの国宝の三重塔を撮るためであった
興福寺には数回訪れているが三重塔の姿を見た記憶がなかった
興福寺最古の建物という三重塔は康治2年(1143年)崇徳天皇の中宮・皇嘉門院聖子によって創建された
現在の塔は建築様式から大火後まもなく再建された鎌倉建築と考えられている
高さ19m、本瓦葺の三間三重塔婆である
高さ50mの五重塔を観た後だけに小さく感じる
北円堂方面に向かう。遠くに五重塔が見える
北円堂(国宝)
養老5年(721年)8月、藤原不比等の一周忌に際し、元明上皇・元正天皇の両女帝が長屋王に命じて創建させた
現在の建物は承元4年(1210年)の再建で、興福寺に現存する中で最も古い建物である
現在、回廊の復元が計画中
木造無著菩薩・世親菩薩立像(国宝)などが安置されている
春と秋に特別開帳される
猿沢の池に下りる
右側にはカフェ等が並び若者たちで賑わっている
五重塔の先端部分が見える
再び、五重塔。何処から見ても絵になる
国宝館
何度も訪れているので今回はやめようと思っていたが、やはり「阿修羅像」の魅力には勝てない
撮影 令和3年5月26日
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