訪問日 令和4年10月9日
国分山 医王寺
高野山真言宗の寺院
創建は奈良時代の天平年間(729~748年)
行基菩薩がこの地を訪れた際、山中温泉を発見し、薬師如来像を彫像し一宇を設けて安置したのが始まり
温泉街を見下す高台にある
大きな観光ホテルが遠くに見える
車旅を始めた頃に一度訪れたことがある
山門
ネット等でも情報が少なく、この「お寺の沿革」が参考になった
手水舎
包丁塚
詩碑
滝不動
北陸滝霊場第27番「滝不動」
緑に囲まれた参道
観音像
多宝塔
平安時代の承平年間(931~938年)に兵乱の兵火により堂宇が焼失し温泉も荒廃した
建久年間(1190~1192年)に鎌倉幕府の御家人長谷部信連が地頭としてこの地に赴任
薬師如来の化身の御告げにより山中温泉を再興、医王寺も再建した
本尊:薬師如来
現存する多宝塔などの建物は昭和初年の大火で焼失後、昭和33年(1958年)の再建
扁額には山号の「国分山」
堂内の様子
賓頭盧尊者
境内の魅力ある石仏
今回この寺を訪れた理由でもある大小の石仏
如意輪観音
壁面の仏像
再び境内の石仏
石柱に刻まれた仏様
駐車場に戻る
訪れた1ヶ月後にはこの緑が真っ赤に染まる
虚子 「まだ紅葉せぬ木ながらに頼母しき」
撮影 令和4年10月9日
国分山 医王寺
高野山真言宗の寺院
創建は奈良時代の天平年間(729~748年)
行基菩薩がこの地を訪れた際、山中温泉を発見し、薬師如来像を彫像し一宇を設けて安置したのが始まり
温泉街を見下す高台にある
大きな観光ホテルが遠くに見える
車旅を始めた頃に一度訪れたことがある
山門
ネット等でも情報が少なく、この「お寺の沿革」が参考になった
手水舎
包丁塚
詩碑
滝不動
北陸滝霊場第27番「滝不動」
緑に囲まれた参道
観音像
多宝塔
平安時代の承平年間(931~938年)に兵乱の兵火により堂宇が焼失し温泉も荒廃した
建久年間(1190~1192年)に鎌倉幕府の御家人長谷部信連が地頭としてこの地に赴任
薬師如来の化身の御告げにより山中温泉を再興、医王寺も再建した
本尊:薬師如来
現存する多宝塔などの建物は昭和初年の大火で焼失後、昭和33年(1958年)の再建
扁額には山号の「国分山」
堂内の様子
賓頭盧尊者
境内の魅力ある石仏
今回この寺を訪れた理由でもある大小の石仏
如意輪観音
壁面の仏像
再び境内の石仏
石柱に刻まれた仏様
駐車場に戻る
訪れた1ヶ月後にはこの緑が真っ赤に染まる
虚子 「まだ紅葉せぬ木ながらに頼母しき」
撮影 令和4年10月9日
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