今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

宇倍神社(鳥取県鳥取市国府町宮下)

2019年05月06日 | 神社・仏閣
宇倍神社
「お金に縁のある神」ということに、心身が反応して訪れてしまった
ここから見える拝殿が、神社では初めて、祭神である武内宿禰命像と共に、明治32年に5円紙幣の図柄になった



社務所
神社は鳥居から入るのだが、駐車場の関係でいきなり拝殿と社務所の近くへ



手水舎









拝殿
明治の後も、大正・昭和と数回この社殿が5円・1円紙幣の図柄となっている
当時の紙幣の写真を見ると、見覚えもあるような気もする



大化4年(648年)の創建以降、社殿はたびたび再建され、現在の本殿は明治31年(1898年)の再建
方三間の入母屋造妻入で正面に一間の向拝屋根の拝殿



「因幡一之宮 宇部神社」の社号が見事に記されている



拝殿内部
右側の紙には「かわいくば 七つ 教えて 五つ 賞め 三つ 𠮟って 良き人にせよ」
左の紙には、1~9の数字を使って、たて・よこ・ななめ どこをたしても15。「7 5 3」が中にある



拝殿の横にある「金鶏」。この鶏が鳴いて暁を知らせると、天下の鶏がこれに応じて鳴くという鶏なのか。









社殿の全景



本殿
現在の本殿は明治31年(1898年)の再建



正面三間側面二間の三間社流造の正面一間に向拝を縋破風で付け千木・鰹木を置く






福徳亀
希望の所を撫でると願いが叶うという。5円玉コウカ抜群(笑)



これも願いが叶うゾウなのか、よくわからない



流れるような木目を活かした、心のこもった作品



「御神燈」 裏には天保年間の刻



武内宿禰命終焉之地
武内宿禰命(たけのうちのすくねのみこと)は第12代景行天皇より、成務・仲哀・応神・仁徳天皇の5朝に仕え、わが身を投げうって東奔西走、日本の統一に尽力した
わが国で最初に「大臣」の称を賜わり、日本の国造りに功績のあった神さま
仁徳天皇55年春3月因幡国の亀金岡に双履を遺し、360余歳でお隠れになったと記されている



参集殿






撮影 平成30年10月26日

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