今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

橋杭岩(和歌山県東牟婁郡串本町)

2020年11月07日 | 名所・旧跡
訪問日 令和2年9月18日

名勝 天然記念物 橋杭岩(はしぐいいわ)
国道42号を走り赤信号で止まっていると、左手に変わった形の岩が見えた
観光で訪れる場所の幅を広げようと考えていたので、立ち寄ることにした



この道路を通行するのは4回目になる。運転席から見える景色で気になっていた場所があったが……
それがここだったとは思わなかった(この日は干潮だったためか)



幼い頃から海の近くで生活してきたので潮の香りや波の音は心地よい
就職した場所もオホーツク海、太平洋、日本海と海の近くばかりだった



本州最南端の道の駅「くしもと橋杭岩」
道の駅とは知らずに車を駐めていた
利用した道の駅では買い物をするように心がけている



「案内板」
橋杭岩の成り立ちについて科学的に説明されている



「橋杭の立岩伝説」
伝説には夢があり面白い

昔弘法大師が天の邪鬼と串本から沖合いの島まで橋をかけることが出来るか否かの賭けを行った



弘法大師が橋の杭をほとんど作り終えたところで天の邪鬼はこのままでは賭けに負けてしまうと思い
ニワトリの鳴きまねをして弘法大師にもう朝が来たと勘違いさせた
弘法大師は諦めて作りかけでその場を去った
そのため橋の杭のみが残ったという



「橋杭岩」
吉野熊野国立公園に属している
串本から大島に向かい、海中に約850mの列を成して大小40余りの岩柱がそそり立っている
その規則的な並び方が橋の杭に似ていることからこの名が付いた



1500万年前の火成活動により、泥岩層の間に流紋岩が貫入
貫入後、差別侵食により、柔らかい泥岩部が速く侵食され、硬い石英斑岩が杭状に残されたものである



橋杭岩に転がっている岩の中には、岩のそそり立つところからかなり遠くにまで転がっているものがある



これらの岩は宝永地震で起こった大きな津波によってそこまで転がったのではないかという調査結果が出ている



小学生の遠足か宿泊学習か分からないが、子供達が歩き回っている



やはり男子児童は元気が良く、いつの間にか遠くある岩の上にに立っている



私はといえば、ひょいひょい岩を跳び回ることができず……



とぼとぼ岸辺を歩き写真を撮っていた



気温も上昇し空が明るくなってきた。雨の心配もなさそうだ



駐車場脇に咲く赤い花



「くしもと大橋」
平成11年9月に開通した、串本本土と大島をつなぐ架橋



撮影 令和2年9月18日

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