訪問日 令和4年10月14日
柏崎市立博物館
プラネタリウムが有名だと知り、雨対策も考え訪れた
残念な事に雨が降らず、プラネタリウムは上映していない日だった
入館料:300円
「通い徳利」
明治から昭和期に、酒屋が顧客に貸し出した徳利で客の欲しい酒を入れて販売した
徳利には酒屋の名前や屋号等が記され宣伝にもなっている
現在の広告よりインパクトがある
子供の頃使っていたグローブによく似ている(素手と変わらない衝撃を思い出す)
赤銅鈴之助、鉄人28号、少年サンデーの伊賀の影丸など懐かしい
薬師信仰の霊山・米山へといざなう展示室
「米山道標」
「米山道 此ところより 三筋左へ行」と刻まれている
米山信仰については全く知識はなく初めて知った
泰澄像
奈良時代の修験道の僧
縁起では和銅5年(712年)加賀の白山を開いた泰澄大師の開山と伝えられる
こちらは「役行者」のようだ
「めの字絵馬」
眼病治癒祈願のため密蔵院護摩堂に奉納された絵馬
ナウマンゾウ発掘調査資料展示
柏崎では約10万年前の安田層の上下二層準からナウマンゾウの化石が出ている
発掘された化石やナウマンゾウ骨格標本などを展示
右切歯(全長133cm)
歴史・民俗展示室
閻魔王像
明治28年(1895年)の火災の折、閻魔堂内から救出されたもの
木食(もくじき)上人
肉類,五穀を食べず,木の実や草などを食料として修行することを「木食」といい,その修行を続ける高僧を「木食上人」といった
木喰上人(1718-1810)は甲斐国(現在の山梨県)に生まれ、22歳で出家した
45歳の時に木喰戒を受け、56歳で日本廻国修行の旅に出てからは、93歳で生涯を閉じるまで各地に多くの仏像を残した
全国に残っている約620体の木喰仏のうち、半数近くの約260体が新潟県に残されている
そのほとんどが長岡、柏崎、小千谷と佐渡で確認されている
「娥眉山下橋標木」と良寛たち
「天神と随身像」
考古展示室
「弥生式土器」
「銅鏡」
「縄文式土器」
撮影 令和4年10月14日
柏崎市立博物館
プラネタリウムが有名だと知り、雨対策も考え訪れた
残念な事に雨が降らず、プラネタリウムは上映していない日だった
入館料:300円
「通い徳利」
明治から昭和期に、酒屋が顧客に貸し出した徳利で客の欲しい酒を入れて販売した
徳利には酒屋の名前や屋号等が記され宣伝にもなっている
現在の広告よりインパクトがある
子供の頃使っていたグローブによく似ている(素手と変わらない衝撃を思い出す)
赤銅鈴之助、鉄人28号、少年サンデーの伊賀の影丸など懐かしい
薬師信仰の霊山・米山へといざなう展示室
「米山道標」
「米山道 此ところより 三筋左へ行」と刻まれている
米山信仰については全く知識はなく初めて知った
泰澄像
奈良時代の修験道の僧
縁起では和銅5年(712年)加賀の白山を開いた泰澄大師の開山と伝えられる
こちらは「役行者」のようだ
「めの字絵馬」
眼病治癒祈願のため密蔵院護摩堂に奉納された絵馬
ナウマンゾウ発掘調査資料展示
柏崎では約10万年前の安田層の上下二層準からナウマンゾウの化石が出ている
発掘された化石やナウマンゾウ骨格標本などを展示
右切歯(全長133cm)
歴史・民俗展示室
閻魔王像
明治28年(1895年)の火災の折、閻魔堂内から救出されたもの
木食(もくじき)上人
肉類,五穀を食べず,木の実や草などを食料として修行することを「木食」といい,その修行を続ける高僧を「木食上人」といった
木喰上人(1718-1810)は甲斐国(現在の山梨県)に生まれ、22歳で出家した
45歳の時に木喰戒を受け、56歳で日本廻国修行の旅に出てからは、93歳で生涯を閉じるまで各地に多くの仏像を残した
全国に残っている約620体の木喰仏のうち、半数近くの約260体が新潟県に残されている
そのほとんどが長岡、柏崎、小千谷と佐渡で確認されている
「娥眉山下橋標木」と良寛たち
「天神と随身像」
考古展示室
「弥生式土器」
「銅鏡」
「縄文式土器」
撮影 令和4年10月14日
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