訪問日 令和4年6月2日
真木山 長福寺
真言宗御室派の寺院
天平宝字元年(757年)に鑑真が孝謙天皇の勅命により開いたという
寺は現在の真木山麓ではなく、山上にあった
案内板
鐘楼門
本堂側から
宝蔵庫
手水鉢
本堂
弘安8年(1285年)円源が天台宗の寺院として再興した
再興後、僧坊は65坊を数え最盛期となった
天台宗と真言宗に宗派が頻繁に入れ替わったが、明徳年間(1390年 – 1393年)に真言宗の寺院になった
昭和3年(1928年)に長福寺は山上から現在の地に移転した
山上に残されていた三重塔、真木山鎮守堂(山王権現堂)、金比羅大権現なども昭和26年(1951年)に現在地に解体移築された
本尊:木造十一面観世音菩薩立像(重要文化財ー伝 行基作)
境内は綺麗に整備され、花に囲まれている
釈迦如来坐像(美作市指定文化財)
昭和32年(1957年)頃に真木山から移された
江戸時代の作で、高さ2.2m
弁天堂
三重塔(重要文化財)
数年前、岡山県観光をしている際に不覚にも通過してしまい、悔いが残っていた塔である
寺を目指していると遠くからその姿が見えてくる
朱色は苦手だが天気に左右されず鮮明に写るところがいい
棟札の銘から鎌倉時代の弘安8年(1285年)に大工棟梁・藤原国右衛門尉によって建立された
昭和26年(1951年)真木山上から現在地に移築された。昭和55年(1980年)保存修理が完了
案内板
岡山県最古の木造塔建築物だという
平成27年6月には、杮葺きの屋根が葺き替えられた
三重塔の上に位置している
真木山鎮守堂(山王権現堂)、金比羅大権現か(未確認)
塔の横にある道を歩くことにより、様々な高さから拝観できる
塔を背に駐車場に戻る
撮影日 令和4年6月2日
真木山 長福寺
真言宗御室派の寺院
天平宝字元年(757年)に鑑真が孝謙天皇の勅命により開いたという
寺は現在の真木山麓ではなく、山上にあった
案内板
鐘楼門
本堂側から
宝蔵庫
手水鉢
本堂
弘安8年(1285年)円源が天台宗の寺院として再興した
再興後、僧坊は65坊を数え最盛期となった
天台宗と真言宗に宗派が頻繁に入れ替わったが、明徳年間(1390年 – 1393年)に真言宗の寺院になった
昭和3年(1928年)に長福寺は山上から現在の地に移転した
山上に残されていた三重塔、真木山鎮守堂(山王権現堂)、金比羅大権現なども昭和26年(1951年)に現在地に解体移築された
本尊:木造十一面観世音菩薩立像(重要文化財ー伝 行基作)
境内は綺麗に整備され、花に囲まれている
釈迦如来坐像(美作市指定文化財)
昭和32年(1957年)頃に真木山から移された
江戸時代の作で、高さ2.2m
弁天堂
三重塔(重要文化財)
数年前、岡山県観光をしている際に不覚にも通過してしまい、悔いが残っていた塔である
寺を目指していると遠くからその姿が見えてくる
朱色は苦手だが天気に左右されず鮮明に写るところがいい
棟札の銘から鎌倉時代の弘安8年(1285年)に大工棟梁・藤原国右衛門尉によって建立された
昭和26年(1951年)真木山上から現在地に移築された。昭和55年(1980年)保存修理が完了
案内板
岡山県最古の木造塔建築物だという
平成27年6月には、杮葺きの屋根が葺き替えられた
三重塔の上に位置している
真木山鎮守堂(山王権現堂)、金比羅大権現か(未確認)
塔の横にある道を歩くことにより、様々な高さから拝観できる
塔を背に駐車場に戻る
撮影日 令和4年6月2日
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