今日はボジョレーヌーボーの解禁日だが、とても「(お祭り騒ぎの)乾杯」という雰囲気ではない。
先月末、「他の学年や組は、お楽しみ会でハロウィンパーティーをするのに、自分のクラスはない」とふて腐れている子に、「なにも外国の収穫祭を祝わなくても、来月23日に本物の収穫祭をすれば良い」と言って聞かせたが、いつから学校でまでハロウィン行事をするようになったのか。バレンタインしかり、商魂たくましい業界の戦略にのせられてる感が好きではない。と云いつつ数年前まではボジョレー・ヌーヴォーというと、とりあえず試飲していたのだが、これも毎年毎年「近年最高のデキ」「フルーティーでフレッシュな出来栄え」と聞かされ、止めてしまっていた。が、家人が「今年はフランス応援買いとして久しぶりに買おうか」と言っている。
ボジョレーヌーヴォーには、その年の(新しい)ぶどう酒を祝う収穫祭の意味合いもある。
23日には新米で握ったおにぎりと、庭から摘み立ての春菊の胡麻和えと、ボジョレーヌーヴォーで収穫を感謝しようかと考えている、そこへビックリポンなニュースが 入ってきた。
<「イスラム国」空爆、露が仏空母と共同作戦 プーチン氏、フランスを「同盟国」と表現>
産経ニュース2015.11.18 00:29より一部引用
ロシアのプーチン大統領は17日、過激派組織「イスラム国」攻撃のため、地中海に展開するロシア海軍に、空母を主力とするフランス海軍が合流し共同作戦を実施することを明らかにした。大統領はフランス軍をテロとの戦いを進める「同盟国」と呼んだ。
フランスは「イスラム国」空爆で米国を中心とする有志国連合に参加しているが、パリ同時多発テロを受け、ロシアとも協力することになった。
「敵の敵は味方」とも云うし「昨日の敵は今日の友」とも云うが、ナポレオンのロシア遠征を迎え撃ったロシアを三人の若者を通して書いた超長編「戦争と平和」(トルストイ)が強烈に印象に残っているため、ロシアがフランスを同盟国と呼んだことに驚いた。
「戦争と平和」は苛烈な戦争シーンはもちろんだが、戦争という非日常が民衆のなかにある無節操で残虐な本性を炙り出していく過程など目を背けたくなる場面も多い。が、戦争を終わらせたのは武力の優劣というよりは、ロシアの広大な大地と天候(激寒)であったことや、戦争中であっても日々の営み(恋愛や農作業)は変わらないことも教えてくれた。
そして、「戦争と平和」とは、武器をもって闘い平和を勝ち取ることだけを意味するのではなく 、普通の民衆の日常的な心の中にある「怒りや葛藤と平穏と平安」についても指しているのだろうと(かってに)結論付けながらも、あまりの長編に疲れ果て、自信をもって云えるのは「本作が傑作である」という事だけという体たらくで、この一冊でもって、ロシア文学から逃げ出す結果ともなってしまった。
そんな私なので、このニュースを知り「もう一度『戦争と平和』を読んでみよう」とか「ロシア文学とフランス文学に挑戦しよう」などとは露程も思わず、ロシア界隈ということで久しぶりに米原万里氏の本を手に取った。
「真昼の星空」
同じ米原万里氏の作品でも、「ガセネッタ&シモネッタ」や「不実な美女か貞淑な醜女か」あたりだと抱腹絶倒まちがいなしだが、今の時点では大笑いも不謹慎なので、「真昼の星空」を手に取った。が、そこはやはりシモネッタ・ドッジ、皮肉とウイットが効いていて面白いが、「真昼の星空」という本のタイトルについて書かれた章はしみじみ心に響いた。
「真昼の星空」は、米原氏がチェコスロバキアのプラハに住んでいた時、夏休みの林間学校で先生が朗読してくれた「昼の星」(オリガ・ベルゴリツ)から借用したものだという。そして、先生が朗読してくれた箇所が引用されている。
『星は、いついかなるときにも空から消えないということを、その男は言った。
昼の星は夜の星より明るく、美しいほどなのに、空にその姿を認めることは、太陽の光に遮られて
永遠に叶わない。 ~中略~
その夜からだった。昼の星を見たい!という強烈な願望に私がとりつかれたのだ』
『普通の目には見えないものよ、それゆえにあたかも存在しないものよ!私を通して、私の魂の奥底の、
最も澄みきった薄暗がりを背にして、あらん限りの輝きを放ちながら万人の目に見えるものとなるがいい』
米原氏は、『現実には存在するのに、多くの人の目には見えないものがある。逆に圧倒的な現実と思われるものが、単なるこけおどしだったりする。目に見える現実の裏に控える、紛れもないもう一つの現実。「昼の星」は、そういうもの全ての比喩』であり、もう一つの現実を時流に逆らってでも伝えたくなる創作者オリガ・ベルゴリツの『心意気の吐露』だという。
『時流に逆らってでも伝えたくなる』というあたりが「収容者群島」(ソルジェニーツィン)たる由縁であろうが、「昼の星はたしかにあるのに、その姿を認めることはできない」という言葉は、13日の金曜日の暴虐を知り、フランス小説として思い浮かべた「星の王子さま」の一節を、図らずも思い出させる。
『心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。
肝心なことは、目に見えないんだよ』 (参照、「自由 平等 博愛」)
そして、これは金子みすず氏の「星とたんぽぽ」の一節も思い起こさせる。
『 青いお空のそこふかく
海の小石のそのように
夜がくるまでしずんでる
昼のお星はめにみえぬ
見えぬけれどもあるんだよ
見えぬものでもあるんだよ』
普遍的真理や人の静かで熱い想いは、人種や時代をこえて共通するものなのかもしれない。
そして、生きるための糧を必死で育てる心も平和を愛する心も同じだと思いたい。
自然の恵みに乾杯を
心ならずも命を失った方々の御魂に 献杯を
先月末、「他の学年や組は、お楽しみ会でハロウィンパーティーをするのに、自分のクラスはない」とふて腐れている子に、「なにも外国の収穫祭を祝わなくても、来月23日に本物の収穫祭をすれば良い」と言って聞かせたが、いつから学校でまでハロウィン行事をするようになったのか。バレンタインしかり、商魂たくましい業界の戦略にのせられてる感が好きではない。と云いつつ数年前まではボジョレー・ヌーヴォーというと、とりあえず試飲していたのだが、これも毎年毎年「近年最高のデキ」「フルーティーでフレッシュな出来栄え」と聞かされ、止めてしまっていた。が、家人が「今年はフランス応援買いとして久しぶりに買おうか」と言っている。
ボジョレーヌーヴォーには、その年の(新しい)ぶどう酒を祝う収穫祭の意味合いもある。
23日には新米で握ったおにぎりと、庭から摘み立ての春菊の胡麻和えと、ボジョレーヌーヴォーで収穫を感謝しようかと考えている、そこへビックリポンなニュースが 入ってきた。
<「イスラム国」空爆、露が仏空母と共同作戦 プーチン氏、フランスを「同盟国」と表現>
産経ニュース2015.11.18 00:29より一部引用
ロシアのプーチン大統領は17日、過激派組織「イスラム国」攻撃のため、地中海に展開するロシア海軍に、空母を主力とするフランス海軍が合流し共同作戦を実施することを明らかにした。大統領はフランス軍をテロとの戦いを進める「同盟国」と呼んだ。
フランスは「イスラム国」空爆で米国を中心とする有志国連合に参加しているが、パリ同時多発テロを受け、ロシアとも協力することになった。
「敵の敵は味方」とも云うし「昨日の敵は今日の友」とも云うが、ナポレオンのロシア遠征を迎え撃ったロシアを三人の若者を通して書いた超長編「戦争と平和」(トルストイ)が強烈に印象に残っているため、ロシアがフランスを同盟国と呼んだことに驚いた。
「戦争と平和」は苛烈な戦争シーンはもちろんだが、戦争という非日常が民衆のなかにある無節操で残虐な本性を炙り出していく過程など目を背けたくなる場面も多い。が、戦争を終わらせたのは武力の優劣というよりは、ロシアの広大な大地と天候(激寒)であったことや、戦争中であっても日々の営み(恋愛や農作業)は変わらないことも教えてくれた。
そして、「戦争と平和」とは、武器をもって闘い平和を勝ち取ることだけを意味するのではなく 、普通の民衆の日常的な心の中にある「怒りや葛藤と平穏と平安」についても指しているのだろうと(かってに)結論付けながらも、あまりの長編に疲れ果て、自信をもって云えるのは「本作が傑作である」という事だけという体たらくで、この一冊でもって、ロシア文学から逃げ出す結果ともなってしまった。
そんな私なので、このニュースを知り「もう一度『戦争と平和』を読んでみよう」とか「ロシア文学とフランス文学に挑戦しよう」などとは露程も思わず、ロシア界隈ということで久しぶりに米原万里氏の本を手に取った。
「真昼の星空」
同じ米原万里氏の作品でも、「ガセネッタ&シモネッタ」や「不実な美女か貞淑な醜女か」あたりだと抱腹絶倒まちがいなしだが、今の時点では大笑いも不謹慎なので、「真昼の星空」を手に取った。が、そこはやはりシモネッタ・ドッジ、皮肉とウイットが効いていて面白いが、「真昼の星空」という本のタイトルについて書かれた章はしみじみ心に響いた。
「真昼の星空」は、米原氏がチェコスロバキアのプラハに住んでいた時、夏休みの林間学校で先生が朗読してくれた「昼の星」(オリガ・ベルゴリツ)から借用したものだという。そして、先生が朗読してくれた箇所が引用されている。
『星は、いついかなるときにも空から消えないということを、その男は言った。
昼の星は夜の星より明るく、美しいほどなのに、空にその姿を認めることは、太陽の光に遮られて
永遠に叶わない。 ~中略~
その夜からだった。昼の星を見たい!という強烈な願望に私がとりつかれたのだ』
『普通の目には見えないものよ、それゆえにあたかも存在しないものよ!私を通して、私の魂の奥底の、
最も澄みきった薄暗がりを背にして、あらん限りの輝きを放ちながら万人の目に見えるものとなるがいい』
米原氏は、『現実には存在するのに、多くの人の目には見えないものがある。逆に圧倒的な現実と思われるものが、単なるこけおどしだったりする。目に見える現実の裏に控える、紛れもないもう一つの現実。「昼の星」は、そういうもの全ての比喩』であり、もう一つの現実を時流に逆らってでも伝えたくなる創作者オリガ・ベルゴリツの『心意気の吐露』だという。
『時流に逆らってでも伝えたくなる』というあたりが「収容者群島」(ソルジェニーツィン)たる由縁であろうが、「昼の星はたしかにあるのに、その姿を認めることはできない」という言葉は、13日の金曜日の暴虐を知り、フランス小説として思い浮かべた「星の王子さま」の一節を、図らずも思い出させる。
『心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。
肝心なことは、目に見えないんだよ』 (参照、「自由 平等 博愛」)
そして、これは金子みすず氏の「星とたんぽぽ」の一節も思い起こさせる。
『 青いお空のそこふかく
海の小石のそのように
夜がくるまでしずんでる
昼のお星はめにみえぬ
見えぬけれどもあるんだよ
見えぬものでもあるんだよ』
普遍的真理や人の静かで熱い想いは、人種や時代をこえて共通するものなのかもしれない。
そして、生きるための糧を必死で育てる心も平和を愛する心も同じだと思いたい。
自然の恵みに乾杯を
心ならずも命を失った方々の御魂に 献杯を