何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

長い目で見てSeize the Day

2015-11-14 12:07:55 | 
「不苦者有知」からのつづき

今年は、お茶の花が綺麗に咲いた。
これが、長年読みたいと思いながらそのままにしていた「日々是好日」(森下典子)を読むきっかけとなった。

我が家は皆食いしん坊なので、生垣のカナメの木が古くなったとき「何か美味しいものがなる木はないか?」と相談したところ、植木屋さんに勧められたのがブルーベリーとお茶の木であった。
例年ならば水やりの途中に摘んで食べる程度しか実がならなかったブルーベリーが今年は大豊作で、3本の木から収穫した3キロの実で作ったジャムが、今も食パンにヨーグルトにと食卓を潤してくれている。
こうなると欲がでてくるのが食いしん坊の性で、今まで忘れていたお茶の木も観察対象となったのだが、そのお茶の木に花が咲いているのを10月半ばに見つけた。
白く品の良い椿のような花は、可憐だがどこか侘しげな佇まいでもある。
そこで思い出したのが、「日々是好日」なのだ。

作者が大学時代に習い始めた茶道の世界が、就職・結婚と人生の節目節目に悩む心に如何に作用してきたかを、飾らぬ筆致で書く「日々是好日」
茶道の先生は作者の母の知人でもあり、作者が人生の節目の度に厳しい局面に立たされているのを知ってはいるが、起ってくる事態について深くは立ち入らず、淡々とお点前だけを教えている。お茶の世界のある種の淡白さを有難いと思うと同時に物足りなく感じていた作者だが、先生が掛け軸にかける思いを知り、掛け軸そのものへの見方を変える日がくる。

出版会社に勤めることを希望する作者は、何年も出版関係の会社の入社試験を受け続ける。
何度目かの試験を翌日に控え「お稽古を休む」と先生に連絡したものの、結局何も手に付かない作者がぶらりと訪問した茶室で見た掛け軸が、達磨だったのだ。
先生は、休むと伝えてきた生徒のために(その生徒が見ることはないと分かっていながらも)「七転び八起き」「開運」という意味のある「達磨」の掛け軸をかけてくれていたのだ。
それを知った作者は、喉に熱いものが詰まり、目の前も涙でくもりそうになる。
作者は思う。
『かけじくは、今の季節を表現する。けれど季節は、春夏秋冬だけではなかった。
 人生にも、季節はあるのだった。
 先生はその日、私の「正念場」の季節に合わせて、かけじくをかけてくれたのだった。』

この日を境に作者自身の感性が研ぎ澄まされていき、五感で季節とつながる喜びを知るようになるが、相変わらず先生は「心を入れて」掛け軸や茶花を選びながらも、それを生徒に説くことはせず淡々とお点前の作法のみを教え続ける。
作者は長いモラトリアムの時代や結婚の選択など人生の方向性などに迷うたびに、お茶の世界に疑問を持ち、しかし最後にはお茶の世界で救われるのだ。

南側に向かって茶室が開け放たれる夏には開放的な気分となり、その反対に、茶室の障子が閉じられ炉を囲み燃える炭を見つめる冬になれば内省的になっていく。
そんな茶室の空間からも作者は学ぶ。
『世の中は、前向きで明るいことばかりに価値をおく。
 けれど、そもそも反対のことがなければ、「明るさ」も存在しない。
 どちらも存在して初めて、奥行きが生まれるのだ。
 どちらが良く、どちらが悪いというのではなく、それぞれがよい。
 人間には、その両方が必要なのだ。』

自分だけ人生が始まらないという焦りや、大切なものを失う喪失感と絶望から、自分の居場所が分からなくなっていた時も、ある雨の日の忘れられない経験により作者は救われるのだ。
家中が雨に包まれるような大雨に、一心に耳をすましていると、作者の心が突然自由になる。
自由な心に飛び込んできた「雨聴」の掛け軸。
それまでも、作者はその掛け軸を見たことはあったが「雨が降ってるから、雨の掛け軸なんでしょ」としか思わなかった。が、解き放たれた心で一心に雨の音を聴くと、分かったのだ。
『雨の日は、雨を聴きなさい。心も体も、ここにいなさい。
 あなたの五感を使って、今を一心に味わいなさい。そうすれば分かるはずだ。
 自由になる道は、いつでも今ここにある』
『過去や未来を思う限り、安心して生きることはできない。
 道は一つしかない。今を味わうことだ。
 過去も未来もなく、ただこの一瞬に没頭できた時、人間は自分がさえぎるもののない自由の中で生きている
 ことに気づくのだ・・・・・。』
『・・・どんな日も、その日を思う存分味わう。中略~そうやって生きれば、
 人間はたとえ、まわりが「苦境」と呼ぶような事態に遭遇したとしても、
 その状況を楽しんでい生きていけるかもしれないのだ。』

この気付きが、どんな日も「いい日」「毎日がいい日」という思いに繋がり、初めてお茶のお稽古に通い始めた頃からかかっていた額の「日々是好日」の言葉の真意を理解することになる。

先生は作者の懊悩を知っていたのだろうが、何も言わずに淡々とお点前だけを教え続ける、そこにある「待つ」ということの大切さを理解した時に、作者は変わったのだと思う。
「待つ」ことの難しさ。
それは時間を長い目で見ない限り出来ないことかもしれない。

「不苦者有知」で書いたが、人生を十二周期のサイクルとでも見立てたうえで、遙か彼方から自分を見つめねばならないことがあるのだと思う。
お茶の道具には12年ごとに使われる干支の茶碗があるが、それも一年中いつでも使えるのではなく、その年の正月と、その年最後のお点前に限定されている。
十二年周期でしか巡り逢えない茶碗を前に、茶人は人生を考える。
『干支の茶碗を眺める時は、みんな、はるか彼方から自分の人生を見ている。
 私は、この十二年周期のサイクルを、あと何週するだろう?』
『いろいろなことがあるけれど、気長に生きていきなさい。
 じっくり自分を作っていきなさい。
 人生は、長い目で、今この時を生きることだよ』


雅子妃殿下が12年ぶりに園遊会に出席されたため、本作の十二年周期のサイクルという言葉を思い出したが、実は「不苦者有知」という言葉こそ残しておきたかった。
「不苦者有知」と書いて「フクハウチ」と読ませる掛け軸の話が本作にはある。
節分のアレである。
鬼に向かって「鬼は外、福は内」と豆を投げつけるだけの単純なアレではない。
苦しみの無い者に知恵が宿るという意味でも、もちろんない。
苦しみを超越した者だけに、知恵が宿るという意味だそうだ。

この意味を知った時、12年ぶりに園遊会に御出席されるまでに御回復された雅子妃殿下の12年の年月と、その間の苦しみと、それを超越されつつあることが胸に迫り「雅子妃殿下 不苦者有知」と書きたくなったのだ。

御婚約から間もない頃、雅子妃殿下のお茶の先生の話を読んだ記憶がある。
「お礼にと届けられた茶花に、雅子さんが茶の心を理解されているのを感じた」というものだったと記憶している。

どうしようもなく苦しい季節を超えつつある雅子妃殿下に新たな季節が訪れようとしている、その人生と日本の季節の知恵が、敬宮様へ受け継がれていくことを願っている。

雅子妃殿下 不苦者有知



写真出展 ウィキペディア

祝号外12年ぶりのご出席 不苦者有知

2015-11-12 18:33:38 | ニュース
雅子さま出席「大変良かった」12年ぶり園遊会に宮内庁長官時事通信 11月12日(木)17時15分配信
療養中の皇太子妃雅子さまが12年ぶりに園遊会に出席されたことについて、宮内庁の風岡典之長官は12日の定例記者会見で「ご活動の幅が広がり、大変良かった。妃殿下がご体調を整えてお出ましになろうとされた結果と思っている」と述べた。
雅子さまは当初、園遊会冒頭の式典で退席する予定だったが、せっかくの機会なので招待客の方に少し歩いてから退出してはとの天皇、皇后両陛下の意向で、式典後に招待客にあいさつして回り、途中で退席した。
風岡長官は「招待客の方々と顔を合わせるのは非常に意味があること。久しぶりに園遊会に出られる妃殿下の背中を、両陛下が温かく押されたという感じかなと思います」と話した。 
時事ドットコム

十二年ぶりのご出席。

この間、いや御病気を患われるまでに、どれほどの苦しみの日々を過ごされてきたのかと思うと、胸が痛むが、12年という一つのサイクルをこえ、徐々にではあるが確実に御回復に向かっておられる。
最近読んだ本に、十二年周期のサイクルという文字を見つけた。
「日々是好日」(森下典子)

お茶のお稽古の話である「日々是好日」に、12年ごとに使われる干支の茶碗の話がある。

『干支の茶碗を眺める時は、みんな、はるか彼方から自分の人生を見ている。
 私は、この十二年周期のサイクルを、あと何周するだろう?』
・・・・そう思いながら干支の茶碗を見ている作者の心に干支の茶碗が語りかける。
『いろいろなことがあるけれど、気長に生きていきなさい。
 じっくり自分を作っていきなさい。
 人生は、長い目で、今この時を生きることだよ』

御病気が癒えない12年という歳月は、どれほど苦しい時間であったかは想像を絶するものがあるが、長い目で見れば人生の何周期かのうちの一つでしかない。
そのサイクルを乗り越えつつある雅子妃殿下の御健康がさらに御回復へと向かわれるよう心から祈っている。

祝号外 飛べニッポン号 (反省追記アリ)

2015-11-11 12:45:47 | ニュース
<MRJ初飛行>国産旅客機53年ぶり 産業復活に前進毎日新聞 11月11日(水)11時11分配信より一部引用
国産初の小型ジェット旅客機「MRJ」(三菱リージョナルジェット)は11日午前、初飛行に成功した。開発を担う三菱航空機は今後、2017年4月以降に予定する全日本空輸(ANA)への初納入に向けた準備作業を加速する。国産旅客機の初飛行は、プロペラ機「YS11」(日本航空機製造製)が実施した1962年8月以来53年ぶりで、日本の航空機産業の復活に向けた大きな前進となる。リージョナルジェットは米国などの短距離の都市間での飛行を想定している。



ここは敬意を表して毎日新聞の記事から引用したい。
以前、本田ジェットについては書いたが、それは毎日新聞社が企画し、海軍と三菱重工による協力で製造された「ニッポン号」への憧れがあったからかもしれない。
(参照、「運が向いてきたぞ、夢」 「生きた夢と知恵を継ぐ」 「時空をかける夢」

ニッポン号とは、初めて世界一周をした純国産航空機の名であるが、それがなんと第二次世界大戦前の1939年というから驚きである。もっとも、それほどの技術を有する日本が、戦後は敗戦国ということもあり国産飛行機の分野から70年以上も遠ざかっていたことも驚きだが、70年以上前に「ニッポン号」を製造した三菱重工の系列である三菱航空機が新たな時代を築いてくれたことに興奮している。

この一連の経緯については「翼をください」(原田マハ)に詳しいが、何年も前に図書館で借りて読んだ本なので、正確なことを今記すことは出来ないのが残念だが、これから本田ジェットも世界の空を飛ぶことだと思うので、再度「翼をください」を読みたいと思っている。
その日まで、「翼をください」の主人公である女性パイロットの言葉を胸に、日本の航空機産業の発展を応援したいと思っている、

私は飛ぶ。
より高く、もっと早く、ずっと遠くへ。
そして、必ず帰ってくる。

飛べニッポン号!!!

こっそり訂正
ニュースの見出しに<53年ぶり>の文字があるのに、「国産航空機の分野から70年以上も遠ざかっていた」と書いたのは不正確というよりは間違い。
毎日新聞の記事にもあるように、1962年に戦後初の国産プロペラ旅客機YS-11が製造されたが、360億円の赤字を出し、たった11年で生産が終了しているし、これを手掛けたメーカーが三菱ではなかったことから、三菱の航空機という観点では「70年ぶり」と書いてしまった。
それは、戦前世界一を誇った日本の航空機ゼロ戦を手掛けたのが三菱重工であったため、その三菱の航空機部門が復活したことに興奮したからだが、今あれこれ検索していて、YS-11には三菱を含む多くの企業や東大の航空学科の頭脳と技術が活かされていたことを知った。複数企業による開発となったのは、各社の経営的思惑もあったのだろうが、戦後GHQに航空機製造を禁じられた日本が総がかりで日の丸航空機を復活させようとした、一つの形であったのだとも思われる。そのようなYS-11の存在をないもののように書くのは間違いだと思い、反省して訂正している。

思いも技術も受け継がれている
飛べニッポン号!!!

普通の営みが永遠の命と愛に繋がる

2015-11-10 18:55:55 | ひとりごと
ワンコの血尿を確認してからほぼ一月がたった。

最初に血尿を確認したのが掛かり付け獣医さんの休診日であったため、ワンコ実家獣医さんのお世話になり、そこで処方された薬を10日飲んだが改善がなく、変えた薬を1週間続けても改善がなかった。
血液検査とレントゲンとエコーの結果から重篤な病気が隠れていないと分かったことは安心材料ではあったし、phの値も膀胱炎を示すものではなかったが、肉眼でも血尿だと確認できる時もあり、治療を止めるには不安があった。
再度の膀胱周辺の診察でも、とりたてて炎症をおこしている箇所はないとのことだが、やはり赤血球は出ているので、また薬を変えて下さった、ラリキシン。
ラリキシン、これが良く効いた。朝夕1日に2度の薬を1週間分処方されたが、たった2回目でチッチが奇麗な色になり、その回数も正常に戻ったのだ。長らく薬漬けとなっているので、様子をみながら薬を飲む回数を減らすと、また微かに赤みが戻る気がしないでもないが、そこで薬を飲ませると、すぐさま奇麗になる。菌を殺す薬が効くということは、やはり何らかの菌が悪さをしているのかもしれないが、「ある程度は老化と割り切らねばならないのかもしれない」と獣医さんもおっしゃった。

排便が単純な押し出しに過ぎないとすれば、排尿は高度な作用を伴うものらしい。
冬場など「トイレで倒れると危ない」と云われ、排尿の時にブルッと震えたりするものだから、寒さが悪いと思われがちだが、そうではない(全くそういう面がないわけではないらしいが)。
排尿時には急激に血圧が下がり、また交感神経と副交感神経が交代するという作用を伴うらしいが、これが上手く伝達できない場合に失神につながるそうだ。
年をとると、排尿についての脳と膀胱との伝達が上手く機能しないことが起こり、膀胱は満タンなのに尿意を感じない、もしくは尿意はあっても尿は溜まってない、ということも起こってくる。
年をとり、排尿に何らかの問題を抱えるのは、人間もワンコも同じらしい。
寄る年波には抗えない。
「逆らっても仕方ないものには逆らわず、ストレスをためず、ゆったり構えるのも一つの手ではあります」という精神的処方箋が我々には効いたのかもしれない。

一月の薬漬けで体重は少し減ったが、食欲も戻り、自分で立ち上がり歩こうする気力も出てきて・・・夜のワッサワッサ運動&コーラスは?
この秋は家族それぞれが忙しく、家の変化の度に生活リズムが狂い、その度に夜鳴きコーラスが復活するが、総じて落ち着いてきてはいる。
「朝日を十分浴びると良い」という指導を守っているおかげか、ワンコ実家が勧めて下さった「サイエンスダイエットpro健康ガード脳」が効いているのかは分からないが、一時の酷い状態と比較すれば格段に夜鳴きは改善されている。

夜鳴きが収まれば本人も体力が温存されるのか、目力も強くなり、その強い目力に優しさや温かさを湛えて人間を見つめてくれると、もうこちらは愛情ホルモン一杯の幸せに包まれる。(参照、「犬と人の愛情物語」

あれこれ本を読み、「人も動物も植物も自然の一部であり、命の営みのサイクルに入るというということは、永遠の命を得ることに繋がるのだ」ということが、知識としては分かっても、実際問題では受け入れられず、ジタバタと騒いで「一分でも一秒でも長生きしておくれ」と、ワンコの介護に勤しむ毎日だが、ワンコ自身が頑張る気力を持ってくれる限り伴に頑張るということが、同じ命の体系に生きる者同士の理だと思っている。


ところで、ここ数日、落ち葉や枯葉について書いてきたので、母がヘルマン・ヘッセ作だと言い張る「枯葉」という詩を記しておきたい。
この「枯葉」という詩は、母が若い頃に愛読していたヘッセの詩集にあったものらしく、今でも諳んじているくらい好きな詩らしいが、転勤で引っ越しを重ねるうちに詩集を失くしてしまったらしく、現在出版されているヘッセの詩集でこの詩を収録しているものは、多分、ない。「多分」というのは、伝手の伝手を頼り編集者の方に探して頂いたことがあるのだが、その当時出版されていたヘッセの詩集のなかでは確認されなかったからだ。
しかし、母はこれをヘッセの詩であり題名は「枯葉」だというし、今の季節にも合うことなので記しておくことにする。

枯葉

私の前を 
風に吹かれていく 枯葉
さすらいも
若さも
愛も
その時があり 終わりがある
あの葉は
風のまにまに あてもなく彷徨い
あげくの果ては森か溝の中にとまる
私の旅は どこまで続くだろうか

ヘッセの詩から漂うもの寂しさはともかく、「葉っぱのフレディ」(レオ・バスカーリア)「オーリーとトゥルーファー」(アイザック・B・シンガー)を読めば、落ち葉は永遠の命と愛へ繫がる美しい架け橋に感じられる。
落ち葉舞う美しい並木道の光景というと、敬宮様が一歳の御誕生日を前に、御両親と一緒にベビーカーで神宮外苑の銀杏の並木道を散歩された映像が思い出される。
黄金色に輝く銀杏の葉っぱが見守る幸せそうな家族の秋の午後。
それは皇太子御一家であれ、そこに居合わせた他の家族であれ同じである。
家族という営みのうちにある幸せは、''普通''であることの中にあるような気がしている。
皇太子ご夫妻が教育やご養育において''普通''を重要視されることが、却って誤解や軋轢を生むこともあるのだろうが、''普通''の愛にある安定性は、いつか敬宮様が重要な御立場になられた時に大きな力となることだと信じている。

永遠の中の今よ永遠に続け

2015-11-09 19:55:08 | 自然
「葉っぱのフレディ」(レオ・バスカーリア)と並んで印象に残っている本について書く前に、イギリス出張中の家人がメールで知らせてくれたことを備忘録として書いておく。

今年のロンドンの秋は温かいらしく、厚手のコートは今のところ出番がないが、落葉樹の街路樹が多い石畳は落ち葉で敷き詰められ、とても美しいそうだ。
15~6世紀に作られた石づくりの家屋に今もそのまま人が暮らしているという古い街並みに、ロンドンオリンピックのために建設された意匠を凝らした最新施設が上手い具合に融合しているところや、物価は高いが(スーパーの)食料品は意外と安いところなど、住み心地は悪くなく、家人はすっかりロンドンを気に入っている。
これには、ロンドン市長の古い景観を守りながら新しいものを取り入れ発展するという政策も一役かっているようだが、この古いものと新しいものの塩梅の匙加減の上手さが、日本より国土が狭い国ながら今もって大英帝国の威厳を保たせる秘訣でもあるのだろか、それとも三枚舌外交の為せる技だろうかと考えながら家人のイギリス便りを読んでいた。
家人は幸いにも町中にはためく英・中国旗と国家首席を迎えての盛大な王室晩餐会を目の当たりにすんだが、それを伺わせる変化は感じたようだ。
家人の同僚が、イギリスと云えばアレといわれるチェック柄のブランド店に入った時のこと。
にこやかに「チャイニーズ? ジャパニーズ?」と話しかけてきた店員に、「ジャパニーズ」と答えると、明らかに失望の色を浮かべられたいうのだ。これに腹を立てたからというわけではないが同僚は結局そこで買わず、後から店に入ってきたチャイニーズが爆買いするのを、又それを大歓待する店員を見せつけられて、すごすごと店をあとにしたそうだ。
そんな少し寂しい光景もあちこちにはあるそうだが、一つ面白い風景で話を閉じよう。
イギリス人はたいそうバナナが好きなのか、スーパーではバナナが一本でばら売りされていて、老いも若きもイケてる兄ちゃんもイケてる姉ちゃんも歩きながらバナナを食べているが、テロ対策で町にはゴミ箱がないにもかかわらずバナナの皮が落ちていないところも家人は気に入ったところらしい。

ともあれ、ロンドンでも我が町のポプラ並木でも落ち葉は美しく情緒があるものだが、「桐一葉 落ちて天下の秋を知る」と云われるだけあって、葉が散るということは、人を自然の摂理と天下について深い思索へと誘うものかもしれない。

さて、「葉っぱのフレディ」と並んで思い出した物語、冬を前に木に残された二枚の葉っぱの物語「オーリーとトゥルーファー」(アイザック・B・シンガー)について。
「オーリーとトゥルーファー」は英語の読解力の副読本で習った物語で、これを読んだ時は若さゆえに''永遠の愛''という面に惹かれたが、人生の初秋とまではいかないが晩夏ぐらいにはなった私としては、また違った言葉が胸を打つ。

冬を前に他の葉は散ってしまうが、オーリーとトゥルーファーと名付けられた二枚の葉だけは耐えて生き残っていた。他の葉が散り自分達だけが残った理由は分からないが、二人はそれが二人の愛の力のおかげだと信じていた。
風が吹く時も雨が降る時も、数日だけ年上のオーリーは「美しい君がいない人生は考えられない、木から手を離さないで」とトゥーファーを励ますが、「私はもう美しくない、あるのはオーリーへの愛だけよ」と弱々しく答えるトゥーファー。
それに対しオーリーは、「愛の力は何よりも気高く何よりも素晴らしい!」「僕たちがお互いに愛し合っている限り、ずっとここにいるんだよ。風だって、雨だって、嵐だって僕たちを引きちぎることなんてできないよ。今ほど、僕は君を愛したことはないよ。」と更に励ますが、そのオーリーが先に木から離れて逝ってしまう。
失望に暮れるトゥーファーもやがて木から落ちるが、落ちた隣にオーリーがいたので、二人は永遠の愛を感じながら風に舞ってゆく、というのが英語の偏差値を気にしながら読んだ頃に感じた''永遠の愛’’の物語の大意だ。

だが、人生の晩夏あたりで「オーリーとトゥーファー」を再度読んでみると、また違った趣があったのだ。

「体がすっかり乾いてしまい皺しわで、鳥にも憐れまれるような全身黄色になってしまった」と嘆くトゥルーファーに対し、オーリーが「誰が緑だけが美しいと言うのか、すべての色が等しく美しい」と励ますあたりに深く共感し、物語最後のトゥルーファーが感じた''永遠の愛''の''永遠''も、若気の至りの''永遠''とは異なるものとして胸に迫ってくる。
この本は邦訳が出ていないので、私の拙訳だが、物語の最後の「永遠の命」について書かれたところを記しておきたい。

『木の下での目覚めは、彼女(トゥルーファー)がかつて日の出とともに木の上で目覚めた時に感じたものとは違っていました。彼女の恐れや不安の全ては今では消え去っていました。その目覚めは、彼女がかつて感じた事の無い認識をもたらしました。
今彼女は、自分が風の気まぐれに右往左往する葉ではなく、宇宙の一部であると知りました。
彼女の横にはオーリーが横たわっていて、彼らがかつて気付いた事の無い愛をもってお互いに挨拶をしました。
これは、偶然や気まぐれに依存する愛ではなく、宇宙そのものと同じくらい力強い愛でした。
彼らが4月から11月まで昼も夜もずっとずっと怖れていたものは、結局は死ではなく、救いとなりました。
そよ風がやって来てオーリーとトゥルーファーを空中に持ち上げ、そして彼らは、自分自身を解放した者だけが知る無上の喜びをもって舞い上がり、そして永遠に結びついたのです。』

「一日一生」(酒井雄哉)から「葉っぱのフレディ」「オーリーとトゥルーファー」を思い出し、三冊に通じる「人も動物も植物も自然の一部であり、命の営みのサイクルに入るというということは、永遠の命を得ることに繋がるのだ」ということが、知識としては分かったが、実際問題ではなかなか受け入れられず、ジタバタと騒いで、一分でも一秒でも長生きしておくれと、今日もワンコの介護に勤しんでいる。
そして、ワンコも我々と一緒にいたい気持ちは同じなんだと感じる今日この頃については、又つづく