中井悠美子(悠石)「四季の絵文日記」 2011/9/24~

四季を語る「絵文」と、日常を織り交ぜた小さな日記。
ご訪問頂き有難うございます。ご縁に感謝を!

Vol. 576 七草粥の由来!

2015年01月07日 10時47分45秒 | 日記
   
   小倉百人一首 15番  光孝天皇(こうこうてんのう・830~887)
   君がため 春の野にいでて 若菜摘む わが衣手に 雪は降りつつ
   (きみがため はるののにいでて わかなつむ わがころもでに ゆきはふりつつ)
 
   今日は松の内最後の日。
   1月7日の朝。七草粥を頂いて無病息災を願う風習。
   なぜだろう?はて、その由来は?こういったことに食指が動いてしまいます。
   調べて、まとめてみました。

   七草粥の由来~{人日の節句}
   七草粥は正月行事として定着していますが、
   本来は1月7日の「人日(じんじつ)」の日に行われる「人日の節句」の行事で、五節句のひとつです。

   五節句とは・・・人日1月7日。上巳3月3日。端午5月5日。七夕7月7日。重陽9月9日。。。ですね。
   五節句は遠く中国から入って来た習わしですが。

   人日の日に、若菜を食べて、自然界から新しい生命力をいただくという風習。
   中国での、この風習が日本へ伝来し。時を経て、年のはじめに若菜を摘んで頂戴し、
   自然界から新しい生命力をいただく「若草摘み」という日本古来の風習と
   結びついて「七草粥」となったということです。

   

   簡単にまとめますと、平安時代の宮中行事として七草粥を食べるようになり。
   さらに、江戸時代に「人日の節句」(七草の節句)として五節句のひとつに定められ、
   定着していったのですね。

   また、7日といえば松の内(一般的には1月1日~1月7日)の最後の日にあたります。
   七草粥が定着した背景には、お正月のご馳走に疲れた胃腸をいたわり、
   青菜の不足しがちな冬場の栄養補給をする効用もあり、この日に七草粥を食べることで、
   新年の無病息災を願うようになったと言うことです。
   余談ですが1月7日、旧暦では2月25日になると言うことです・・・春なんですね

   
   写真はお借りしました。
   
   七草の効用を最後に 
   ●芹(せり) ……水辺の山菜で香りがよく、食欲が増進。
   ●薺(なずな) ……別称はペンペン草。江戸時代にはポピュラーな食材でした。
   ●御形(ごぎょう) ……別称は母子草で、草餅の元祖。風邪予防や解熱に効果がある。
   ●縷(はこべら) ……目によいビタミンAが豊富で、腹痛の薬にもなった。
   ●仏の座(ほとけのざ) ……別称はタビラコ。タンポポに似ていて、食物繊維が豊富。
   ●菘(すずな) ……蕪(かぶ)のこと。ビタミンが豊富。
   ●蘿蔔(すずしろ) ……大根(だいこん)のこと。消化を助け、風邪の予防にもなる。
                        ***以上コピペです***

   何となく知っているのに、では、説明を・・・といわれると、はてな?
   と、なってしまう日本の習わし。
   今日も上滑りながら、すこし解決したような気が致します・・・忘れないように!

   さて、今日はこんなお話しでした
   ご訪問下さいました皆様有難うございました・・・・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする