小倉百人一首 15番 光孝天皇(こうこうてんのう・830~887)
君がため 春の野にいでて 若菜摘む わが衣手に 雪は降りつつ
(きみがため はるののにいでて わかなつむ わがころもでに ゆきはふりつつ)
今日は松の内最後の日。
1月7日の朝。七草粥を頂いて無病息災を願う風習。
なぜだろう?はて、その由来は?こういったことに食指が動いてしまいます。
調べて、まとめてみました。
七草粥の由来~{人日の節句}
七草粥は正月行事として定着していますが、
本来は1月7日の「人日(じんじつ)」の日に行われる「人日の節句」の行事で、五節句のひとつです。
五節句とは・・・人日1月7日。上巳3月3日。端午5月5日。七夕7月7日。重陽9月9日。。。ですね。
五節句は遠く中国から入って来た習わしですが。
人日の日に、若菜を食べて、自然界から新しい生命力をいただくという風習。
中国での、この風習が日本へ伝来し。時を経て、年のはじめに若菜を摘んで頂戴し、
自然界から新しい生命力をいただく「若草摘み」という日本古来の風習と
結びついて「七草粥」となったということです。
簡単にまとめますと、平安時代の宮中行事として七草粥を食べるようになり。
さらに、江戸時代に「人日の節句」(七草の節句)として五節句のひとつに定められ、
定着していったのですね。
また、7日といえば松の内(一般的には1月1日~1月7日)の最後の日にあたります。
七草粥が定着した背景には、お正月のご馳走に疲れた胃腸をいたわり、
青菜の不足しがちな冬場の栄養補給をする効用もあり、この日に七草粥を食べることで、
新年の無病息災を願うようになったと言うことです。
余談ですが1月7日、旧暦では2月25日になると言うことです・・・春なんですね
写真はお借りしました。
七草の効用を最後に
●芹(せり) ……水辺の山菜で香りがよく、食欲が増進。
●薺(なずな) ……別称はペンペン草。江戸時代にはポピュラーな食材でした。
●御形(ごぎょう) ……別称は母子草で、草餅の元祖。風邪予防や解熱に効果がある。
●縷(はこべら) ……目によいビタミンAが豊富で、腹痛の薬にもなった。
●仏の座(ほとけのざ) ……別称はタビラコ。タンポポに似ていて、食物繊維が豊富。
●菘(すずな) ……蕪(かぶ)のこと。ビタミンが豊富。
●蘿蔔(すずしろ) ……大根(だいこん)のこと。消化を助け、風邪の予防にもなる。
***以上コピペです***
何となく知っているのに、では、説明を・・・といわれると、はてな?
と、なってしまう日本の習わし。
今日も上滑りながら、すこし解決したような気が致します・・・忘れないように!
さて、今日はこんなお話しでした
ご訪問下さいました皆様有難うございました・・・・・・