Dr.K と 優しさの夢物語

輝きの明日のために、思春期と思秋期の更年期障害の女性のための健康余話/ときには蕎麦談義とワン子のお話を

いま 夜明けのスキャットなのです

2013-06-09 07:53:55 | のんびり歩いて

いま、夜明けのスキャット なのです

1969年「夜明けのスキャット」(TBSラジオの深夜ラジオ番組「夜のバラード」のOPとして制作された)のレコードは150万枚ものミリオンセラーとなった大ヒットであった
1969年は 私がまだ大学に在学中であり当時の学生生活を思い返すときの バックグランドミュージックでもある
そして 由紀さおり は私と年齢もあまり違わないことを考えると 歌手としてのその息の長さは驚嘆すべきものがある 
1948年生まれ 群馬県桐生市出身の歌手・タレント・女優・ナレーター として多才なのです 姉は歌手の安田祥子 です
 ところで 由紀さおりがアメリカのジャズオーケストラ“ ピンク・マルティーニ ”とコラボレーションしたアルバム『1969』は 昨年は世界20ヵ国で発売され大ヒットとなったのである 
CDが品切れ店頭では入荷待ちの時期があった程である
この大ブレイクは驚きなのであるが起因するものはなんだろうか!
特筆すべきはアルバム『1969』は1曲をのぞき すべて日本語で歌われているのである
ピンク・マルティーニがジャズオーケストラだから『1969』は当然のように“ジャズ”に分類されてはいるのですが アルバムは“歌謡曲”そのものなのです
もちろんピンク・マルティーニ風にアレンジされてはいるものの1969年当時にヒットしていた「ブルー・ライト・ヨコハマ」(石田あゆみ 1969年)などの歌謡曲を歌っているのです
つまり「由紀さおり」が「由紀さおり」そのままで 世界でブレイクしたことである
 ポートランドの古いレコードショップで『夜明けのスキャット』を ジャケットだけを見て衝動的に買い求めたピンク・マルティーニのリーダーであるトーマス・ローダーデールに見出されて「由紀さおり」は一気にグローバルな存在へと駆け上がったということになっているのだ
いわゆるシンデレラストーリーなのです
しかし『1969』の成功の背景には 自力で谷底から這い上がってきた「由紀さおり」の凄味が見えてくるのではないだろうか
確かにシンデレラストーリーに通じる“運”の良さはあったと思われる
それでも“運”を逃がさず掴み取ったのが「由紀さおり」自身であったろうと
 そこで 行って来ました【由紀さおり スプリングコンサート2013】!
『1969』とその後に発売されたアルバム『スマイル』に収録されている曲目を歌い上げた
1969年から一躍《世界の歌姫》と言われるようになったのが頷けます
突然忙しい生活になったのでオフの日もメンテナンスで1日が終わり 耳鼻咽喉科の受診・リンパマッサージ・フェイシャルマッサージ・ネイルサロン・ドレスの仮縫い…すべて仕事にかかわること というエピソードは成程と思われる 
“運”を掴み取ったのです
コンサート会場では新発売のCD「愛だとか」を購入しました
本人から サイン入りの色紙と握手がプレゼントされた春宵でした