「家守りし 妻の恵みや 我が学び 世の中の あらん限りや すゑ子笹」
牧野富太郎博士が妻 須衛夫人への感謝を込めて墓碑に刻んだ歌2首です。
「東大泉の田舎の雑木林のまん中に小さな一軒家を建ててわれわれの永遠の棲家とした」
牧野富太郎の言葉です。
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前回は企画展示室を紹介しましたが、今回は常設展示室,書屋、講習室について記します。
記念館(上)
常設展示室(下)
練馬区立牧野記念庭園内には記念館、書屋、講習室があります。
記念館は博士が終の棲家とした邸宅の跡地に建てられた施設で、遺品や関連資料を展示しており、常設展示室と企画展示室からなります。同記念館は平成22年8月にリニューアルオープンした2代目。入園無料、火曜休園。
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常設展示室には博士愛用の採集道具や描画道具、博士執筆の書物や植物図などが並び、博士の植物への深い愛を感じることができます。
常設展示室9️⃣
植物採集時に持ち歩いた胴乱
筆や万年筆、名刺…年賀状も。
日本植物志図篇
博士の夢は、当時の日本に無かった植物誌を作ること。
明治21年(26歳)、書きためた植物図をもとに「日本植物志図篇」第一巻第一集を刊行。そのため印刷所に通い技術を習得、自費出版にこぎつけました。初著作に。
前年の明治20年(25歳)、植物学雑誌を東京植物学会の機関誌として創刊。その後、日本植物学会の機関誌として刊行が継続されています。
精緻に描かれた植物園
採集道具
ドイツ製の顕微鏡
牧野日本植物図鑑
植物図
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次は書屋展示室。
昭和27年から28年頃の書斎と書庫を再現し、その一部を保存しています。愛蔵書の表紙を高精細カメラで撮影して本にしたり、蔵書を模して色鉛筆で描いたり、文房具を模したりして
再現…当時の書庫の様子を知ることができます。博士を慕う人たちの力が集結して再現された空間なのですね。
書斎(左)と書庫(右)
庭での観察後、原稿を書いたり、植物図を描いたり…
博士の研究への情熱が伝わってきます。
ひ孫の牧野一浡さん(同記念庭園学芸員)は、幼い頃に書屋に出入りしていたけれど、本や資料などに決して触ることは無かったと。良く言い聞かされていたらしい。
書斎は最初 2階にありましたが、足の踏み場もない程に増えて…その重みで玄関の障子が曲がってしまいました。
1階の座敷に移してからも本や標本が増えて、ほかの部屋もいっぱいになり、部屋の戸が閉まらなくなりました。
新しく建てた家に書斎を移して…ここが最後の書斎に。
90歳を過ぎても「心は花の真盛り」と、植物への質問に返事を書いたり、夜明けまで原稿の執筆に励んだこともあったそうです。
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最後に講習室。
講習室では企画展関連の講習会や講座、夏休みには標本や缶バッチ製作などのイベントも。博士の生涯や功績などの映像をみることもできます。
庭園が眺められる講習室
博士とのツーショットも…
(私も撮りました!)
博士の生涯や功績を映像で紹介
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スエコザサに囲まれた博士の胸像(牧野記念庭園)
NHK朝ドラ「らんまん」で博士の偉業を知りました。牧野記念庭園を訪れてから色々調べていくにつれ、博士の植物へ向けるまなざしに深い愛を感じました。
借金をしてまでも植物への研究を続ける博士。商才を発揮して夫を支える須衛夫人は借金取りの扱いもうまかったといいます。
博士66歳の時、須衛夫人54歳で死去。その年、仙台で見つけたササの新種にスエコザサと命名。
78歳 牧野日本植物図鑑発刊。86歳 皇居で当時の天皇陛下に植物学を御進講。89歳 第1回文化功労者、91歳 東京都名誉都民第1号に。94歳で逝去。没後従3位勲2等旭日重光章および文化勲章授与。
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*予告 8月3日〜10月6日に企画展「伊藤篤太郎と牧野富太郎」(仮)入園無料、火曜休園
*練馬区牧野記念庭園のほか、東京都立大学の施設 牧野標本館には約50万点の標本が収められており、そのうち16万点が博士自身の標本。
博士の故郷にある高知県立植物園には、博士が集めた蔵書や遺品など約6万点が保管。中庭には博士が命名した植物や描いた植物図などゆかりの植物約250種が植栽されています。
※牧野記念庭園などのリーフレットなどから(備忘録として)
牧野記念庭園 行かれたんですね。
参考になったとの事 良かったです。書ききれなかったこともあったんですが…。
復元した書斎 見落としがちですよね。牧野博士を偲ぶ事のできる素敵な場所なのに残念ですね。牧野博士を慕う方たちの頑張りの成果なのでしょうね。
嬉しいコメント ありがとうございます😊
今日牧野記念庭園に行って来ました。
ユウさんのblogで事前学習できたので、とてもわかりやすく見学出来ました。
ありがとうございます♪
ユウさんのblog素晴らしいですね。なかなかこれほど詳しい記事は書けないですよ。ずいぶん調べて記事にされたのですね。
復元した書斎は動線から離れており、立ち寄る人が少ないのが残念でした。再現した人達のビデオ良かったです。
「らんまん」面白かったですね!いろいろな学びがありましたが、胴乱はshimaさんのブログでその名前を知りました。
弟さんとのセピア色の写真をアップされていましたね。素敵な思い出ですね!私は田んぼや山や川での思い出がいろいろあります。自然児?だったでしょうか。
コメントありがとうございました。
画像を一つ一つ見ているとあの朝ドラ「らんまん」放送時のシーンが次々と思い出されますね。
私にとっては特にが個人的にも懐かしく・・・
あのドラマが始まった頃、私と弟が小学生時に駅の待合室で「胴乱」を抱えている写真を記事に掲載したことがあります。
私が胴乱を、弟が大きな網を持った懐かしい写真の思い出は今もしっかりと・・・
前回のコメントにも書きましたが、私のところからは比較的近いですから必ず行って見ようと思います。
ありがとうございました。
私も朝ドラ見ていました。本当に考えさせられたり、知識を得るなど…毎回楽しみにしていました。
コメントありがとうございました。
「牧野記念庭園へ行って来ました③愛のまなざし」
NHKの朝の番組で見ました
面白かったです
同時にいろんな知識ができました
沖縄に住んでいらした時、歴史や文化について紹介してくださいましたね。ラーメンやユリの群生などが印象に残っています。いつも楽しく読んでいました。
森田童子について書かれた若い頃の旅行記、急ぎませんので気が向いたら是非…。楽しみにしています。
forever greenさん コメントありがとうございました😃
連休 あっという間に過ぎてしまいましたね。お孫ちゃん 元気に通学していると思いますが…。
フーミンちゃんもユーミン好きなのね!年齢関係なく好きなものは好きでいいんじゃないかな。情景描写が素晴らしくて…良い曲沢山あるものね。
フーミンちゃん いつもありがとう〜☺️
全ての草木の存在価値を私達に知らせてくれた牧野博士…そのエネルギーは泉のように枯れることなく湧き出ていたのでしょうね!歳を重ねても夜を徹して執筆し、翌日も普通にしていらしたこともあったようです。探究心に驚かされました😃
好きなことに熱中する楽しさや素晴らしさも教えていただいたように思います。
お友達と高知市立植物園へ行く約束をされたのですね。楽しみが倍増することでしょう!
なおともさん いつもありがとうございます😊
ンが抜けてしまい…失礼しました😅
牧野富太郎博士の偉人伝を読まれたんですね!お祖母様に枇杷葉をはじめ薬草などについて、いろいろ学ばれたことはとても幸せなこどだと思います。私は祖母に何代目はどうだったとか、先祖の事を良く聞かされました。
私も農薬は使いたくないです。虫に食べられてしまうことが多いけれど、もともと草木は丈夫なような気がします。その土地に合ったものは元気ですよね。
今 我が家の庭にはユキノシタやフキが元気に育っています。天ぷらにしたり煮たりしていただいています。恵みに感謝しながら…。
アナザー・スターさん
いつもありがとうございます😊
丁寧な解説をありがとうございます♪
ますます行って見たくなりました。
沢山興味深い資料を見せて頂き本当に有り難うございました。必ず行きたいと思います。併せて高知にも再び訪れたいと、友人を誘いました。私の中の「らんまん」は生き続けています。とても素晴らしい文章に感心するばかりです。有り難うございました。なおとも
ユウちゃん、こんばんは。
詳細で丁寧なご報告に感謝しながら読ませていただきました。ありがとうございました。まるで私も実際に行ったような気がしました✨✨
当時は娯楽と云えど、ラジオも何も祖母の許可なく、無断では触れません。
テレビは何処の家にもなかった。
現上皇様が、美智子さまとのご成婚時、農協に勤務の方が買われて、村中の者が集まりました。
鮮やかに当時の情景再現できます。
子どもにとっては、小学館の学年誌。
それも兄だけ・・・
従って、不在を狙って読んでいました。
そこに牧野富太郎の異伝があり、蜂に刺されても採集胴らんを離さなかったと記述されていました。
祖母に尋ねると、枇杷葉も薬樹で様々に用いれると聞きましたが、子ども心には関心浅くでした。
植物学の父と云われる牧野博士も、家庭を守る者がいたればこそ。
明治や大正、昭和と女性にとってはそれが当たり前でしたから。
金銭的な感覚に乏しい、連れ添いを支えての暮らしは、本人以外には理解は無理ですね。
庶民は、地道な生活の中で、生きて逝かざるものですね。
テレビ放映が始まる前に、毎日新聞の記事で読みました。
小石川療養所跡地にも出向き、見て廻りました。
草を褥に。
今は農薬散布で見事に消えました。
画像の下に、掲載時の時間が出ますね。
訪問時、7分前が連続で5つ並びました。
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