幻想の中で百年前のライン河の畔りの叔父の部屋にいたネルヴァル。老人が鳥の声で喋るのに耳を傾けていた。次第に夜が明けてくる様子だ。しかしまだ太陽は昇りきっていない。「太陽のない明るさに照らされたとある浜辺にい」る。ふと、一人の老人の姿が目に入る。そのとき、鳥の声で語ったのはこの老人だと確信する。
「次第にこの地下道に白っぽい光が滲み込んで来て、遂に私は、大きな円蓋のように、新しい水平線が拡がるのを見た。そこには輝く波に囲まれた島々が描き出された。私はこの太陽のない明るさに照らされたとある浜辺にいた。一人の老人が土地を耕しているのが見えた。私はこれを前に鳥の声で話した当人と認めた」(ネルヴァル「オーレリア・P.18」岩波文庫)
フランスとドイツとを隔てるライン河。「エミリー」もまたライン河両岸にまたがって革命戦争が行われた土地が舞台である。主人公のデロシュは中尉になった頃、「ベルクハイムで銃剣突撃を指揮した際、プロイセン兵にサーベルで顔をばっさりと斬られ」た経験がある。傷が顔面だったからかもしれないがかなりの重症だったようだ。野戦病院の医師らはそのときの様子を見てこう語っている。
「治ったとしても、この気の毒な男は痴愚になるか狂人になるかどちらかだろう」(ネルヴァル「エミリー」『火の娘たち・P.439』岩波文庫)
転地療養のためフランス北東部の都市メスへ送られた。半年くらい経ってベッドから歩けるようになった頃、しばしばモーゼル川付近を散策するようになる。風光明媚な土地だ。デロシュはモーゼル川から美しく飛び散る白い飛沫を眺めながらおもう。
「デロシュはこれこそは自分の国、占領した土地ではなくまさにフランスならではの田舎だ、それに対し彼が戦争をしてきたあたりの新しい豊かな地方(ライン対岸地帯)の美しさは、きのう手にいれたのに明日は自分のものでなくなってしまう女たちにも似た、はかなく不確かなものでしかない」(ネルヴァル「エミリー」『火の娘たち・P.441』岩波文庫)
デロシュの祖国はフランス。だがドイツ側の肥沃な土地は美しく見える。ライン河を挟んで延々と戦われた戦争であり、ネルヴァルが「エミリー」を執筆後も百年以上続いた。デロシュは兵士として両岸を行ったり来たりしたはずだ。フランスから見たライン河対岸の風景は「きのう手にいれたのに明日は自分のものでなくなってしまう女たちにも似た、はかなく不確かなものでしかない」とおもう。ニーチェはそのような女性像についてこう語っている。
「《仮面》。ーーーどこを探しても中味がないような、純然たる仮面にすぎないような女たちがいる。ほとんど幽霊のような、当然満足させてくれるはずもないこうした者とかかわり合う男はあわれなものだ。しかしまさしく彼女らこそ男の欲望をもっとも強く刺激できるのである。男は彼女らの魂を探すーーーそしていつまでも探す」(ニーチェ「人間的、あまりに人間的1・四〇五・P.357」ちくま学芸文庫)
要するにニーチェの言葉にしたがえば、ライン河を挟んでフランスを夢見るドイツ軍から見れば逆にフランスこそそのように見えてくるというわけだ。フランスとドイツとの隣国同士の関係はそんなふうに、魅かれ合えば魅かれ合うほど殺し合いたくなり実際に殺し合った。ヴァーグナー「ニーベルングの指輪」冒頭「ラインの黄金」。神話をモチーフにしているが、そもそもライン河の底に黄金の塊が沈んでいるわけではない。ライン河であってもなくてもそこを境界線として両極に対立する激戦が始まるやいなやその河の奥底にこの世のものとは思われない黄金の塊が事後的に出現する。神話というのはいつもそのようにして出来上がるものだ。
療養中のデロシュはエミリー親娘と出会う。デロシュの顔面はまだ包帯でぐるぐる巻きであり歩行もそれほど健康を取り戻したというわけではない。エミリーは「若い娘」だ。デロシュは「無害な老人に対するように何かと世話を焼いてくれることに屈辱を覚え」る。年配の母を連れたエミリーにはまったく何らの警戒心も見られない。デロシュはもはや一匹の狼のかけらでさえないのだと苦い「屈辱」を感じている。だが一方、率直にうれしくもある。
「若い娘がまるでまったく無害な老人に対するように何かと世話を焼いてくれることに屈辱を覚えながらも、デロシュは心が軽くなって冗談まで出るほどで、この予期しなかった幸運を悲しむよりはむしろ喜ぼうという気持ちになった」(ネルヴァル「エミリー」『火の娘たち・P.442』岩波文庫)
それからしばらくして症状は快方に向かい、半分は虚無感に陥りながらもとうとう包帯を取ってみた。すると思いがけなく傷跡はほぼ完治しており、さらに一般的には「名誉の負傷」と呼ばれるものが付け加えられていた。
「額から耳にかけて、斜めに走っている線はーーーそうです!それこそはベルクハイムの戦線でサーベルの一撃を受けた跡でした」(ネルヴァル「エミリー」『火の娘たち・P.443』岩波文庫)
包帯を解いて見違えるようになったというより、以前にも増して精悍な男性に生まれ変わったかのようなデロシュを見てエミリーはとまどう。しかし遂に二人は結婚することになった。エミリー親娘とデロシュは祝いの席のためにビッチュにあるドラゴン亭という旅籠屋を予約しておき昼食を取る。エミリーの姿はいつにも増して美しく見える。そこへ結婚のいきさつを聞いた仲間の軍人らがドラゴン亭に駆けつけてきた。だんだん男ばかりになり夜も更けてきたのでエミリー親娘は宿にとったドラゴン亭へ帰っていった。だが祝宴は終わらない。「司令部が借り切っている堡塁(ほうるい)の飯屋」で、今度は男ばかりの別種の祝宴が始まる。回想の形式を取っているが幻想への入り口でもある。ビッチュの要塞での経験についてデロシュは語る。
「『この要塞を見ると、いつも胸が痛む』」(ネルヴァル「エミリー」『火の娘たち・P.448』岩波文庫)
銃撃戦なら幾度となくやってきた。けれども白兵戦の経験はビッチュの要塞が初めてだった。肉弾戦は生々しい。しかしデロシュはその生々しさを語ろうとしたわけではない。その生々しさを通して語ろうとしたことがあった。
「『これまで私が銃に詰めた一万もの薬莢(やっきょう)のうち、ひょっとしたら半分ほどは、兵隊ならば必ず狙うはずの的に弾丸を命中させてくれたかもしれない。だが私のいいたいのは、ビッチュで初めて、私の手は敵の血に赤く染まったということ、サーベルの切っ先で冷酷な一突きを試みたところ、その切っ先が一人の人間の胸を裂き、刃はぶるぶるとふるえながら胸に刺さっていったということなんだ』」(ネルヴァル「エミリー」『火の娘たち・P.449』岩波文庫)
一人の士官がうなずきながら言う。
「『兵隊はいくら敵を殺してもそれをほとんど実感しないものだ。本当のところ、銃撃は殺人の実行ではなく、殺そうという意図にすぎない。銃剣は、どんなに凄惨な突撃においてもほとんど出番はないものだ。戦いというのはどちらが戦線を持ちこたえるか、あるいは後退するかであって、両者が実際に剣を突きあうことはまずない』」(ネルヴァル「エミリー」『火の娘たち・P.449』岩波文庫)
再びデロシュが話し続ける。
「『決闘で殺した相手の最後の眼差しや、あえぎ声、どさりと倒れた音を忘れられないのと同じように、私の心にはーーー笑いたければ笑ってくれーーー、要塞の小火薬庫の中で殺したプロイセンの軍曹の青ざめた沈鬱な面影が、ほとんど悔いのようにつきまとっている』」(ネルヴァル「エミリー」『火の娘たち・P.450』岩波文庫)
なぜか一同は静まりかえる。デロシュが白兵戦を戦ったのは或る真夜中の地下壕でたまたまフランス兵とドイツ兵とが出くわした時のことだ。両軍とも不意をつかれた形になり、しかも地下壕なので押し合いへし合いの殺し合いになる。戦争といえば確かに戦争だ。しかし常は何十メートルも離れた互いの陣地から撃ち合う銃撃戦であり、狭い地下壕でいきなり始まった白兵戦とはまったく異なる。銃撃ではなく銃剣で惨殺し合うほか生きることも死ぬこともできない。
「『いまだに細かな点までありありと覚えている!相手にはたして私に抵抗しようという気があったのかどうか。私は飛びかかり、相手の気高い心臓にサーベルを突き刺した。男は両目を恐ろしく見開き、苦しげに両手を痙攣させたかと思うと、他の兵隊たちの腕の中に倒れた。それからあとのことは思い出せない。気がついてみると私は血まみれになって中庭に倒れていた』」(ネルヴァル「エミリー」『火の娘たち・P.451~452』岩波文庫)
話を聞いていたアルチュールがそばにいる医師に「いささか人殺しじみてはいないでしょうか」と問いかける。医師は「戦争なのだから、仕方がない」と答える。一七九三年十一月十七日ビッチェ要塞奇襲という史実を題材として書かれた小説にもかかわらず銃撃戦の軽さと白兵戦の殺人性という問いが出現してくるのではなく、十九世紀半ば以降戦争の形式がほぼ銃撃戦一色に染まるまでの中間過程で戦われた戦闘であるゆえに、銃撃戦の軽さと白兵戦の殺人性という問いは必然的に出現してくるのだ。生々しいのは肉弾戦の生々しさではない。問われているのは人殺しの生々しさだ。しかし作品「エミリー」はこの《殺人》でもあり《自殺》でもある血しぶきの中からようやく始まる。「オーレリア」でネルヴァルは鳥の声で話す叔父の言葉を聞いたが、祖先達は「或る動物の形をとってわれわれを地上に訪れ、かくして無言の観察者としてわれわれの生活の諸相に立会っている」と確信している。
「老人が私に話したのか、自分で心中に覚ったのか、ともかくも、祖先達は或る動物の形をとってわれわれを地上に訪れ、かくして無言の観察者としてわれわれの生活の諸相に立会っているのだということが、私には明瞭になった」(ネルヴァル「オーレリア・P.18」岩波文庫)
ところで歴史をさかのぼると、逆に今の人間の側がまた別の「或る動物」に見えるほかない時代も実在した。
「《通訳としてのギリシア人》。ーーーギリシア人たちについて語るとき、同時にわれわれは知らず知らずに今日や昨日のことを語っている。人びとに周知の彼らの歴史は、いわばぴかぴか光る鏡で、常に鏡自体のなかにないものを反射するのだ。われわれがギリシア人たちについて遠慮なく語るのは、他の人たちについても黙っていられるようにするためであるーーーところが結局今度は、そのギリシア人自身が、考え深い読者の耳に何かを囁きかけてくれるのである。こうしてギリシア人たちは、近代人のために、いろいろな言いにくい、しかし重大なことをひとに伝えやすくしてくれる」(ニーチェ「人間的、あまりに人間的2・第一部・二一八・P.158」ちくま学芸文庫)
しかもその動物(近代人)はあまりにも近いため、古代ギリシア人がもし生きていれば、しばしば隣人よりも遥かに近い、自分の内部の動物の声を聞いているかのように感じたに違いない。
ーーーーー
さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。
「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)
ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。
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「次第にこの地下道に白っぽい光が滲み込んで来て、遂に私は、大きな円蓋のように、新しい水平線が拡がるのを見た。そこには輝く波に囲まれた島々が描き出された。私はこの太陽のない明るさに照らされたとある浜辺にいた。一人の老人が土地を耕しているのが見えた。私はこれを前に鳥の声で話した当人と認めた」(ネルヴァル「オーレリア・P.18」岩波文庫)
フランスとドイツとを隔てるライン河。「エミリー」もまたライン河両岸にまたがって革命戦争が行われた土地が舞台である。主人公のデロシュは中尉になった頃、「ベルクハイムで銃剣突撃を指揮した際、プロイセン兵にサーベルで顔をばっさりと斬られ」た経験がある。傷が顔面だったからかもしれないがかなりの重症だったようだ。野戦病院の医師らはそのときの様子を見てこう語っている。
「治ったとしても、この気の毒な男は痴愚になるか狂人になるかどちらかだろう」(ネルヴァル「エミリー」『火の娘たち・P.439』岩波文庫)
転地療養のためフランス北東部の都市メスへ送られた。半年くらい経ってベッドから歩けるようになった頃、しばしばモーゼル川付近を散策するようになる。風光明媚な土地だ。デロシュはモーゼル川から美しく飛び散る白い飛沫を眺めながらおもう。
「デロシュはこれこそは自分の国、占領した土地ではなくまさにフランスならではの田舎だ、それに対し彼が戦争をしてきたあたりの新しい豊かな地方(ライン対岸地帯)の美しさは、きのう手にいれたのに明日は自分のものでなくなってしまう女たちにも似た、はかなく不確かなものでしかない」(ネルヴァル「エミリー」『火の娘たち・P.441』岩波文庫)
デロシュの祖国はフランス。だがドイツ側の肥沃な土地は美しく見える。ライン河を挟んで延々と戦われた戦争であり、ネルヴァルが「エミリー」を執筆後も百年以上続いた。デロシュは兵士として両岸を行ったり来たりしたはずだ。フランスから見たライン河対岸の風景は「きのう手にいれたのに明日は自分のものでなくなってしまう女たちにも似た、はかなく不確かなものでしかない」とおもう。ニーチェはそのような女性像についてこう語っている。
「《仮面》。ーーーどこを探しても中味がないような、純然たる仮面にすぎないような女たちがいる。ほとんど幽霊のような、当然満足させてくれるはずもないこうした者とかかわり合う男はあわれなものだ。しかしまさしく彼女らこそ男の欲望をもっとも強く刺激できるのである。男は彼女らの魂を探すーーーそしていつまでも探す」(ニーチェ「人間的、あまりに人間的1・四〇五・P.357」ちくま学芸文庫)
要するにニーチェの言葉にしたがえば、ライン河を挟んでフランスを夢見るドイツ軍から見れば逆にフランスこそそのように見えてくるというわけだ。フランスとドイツとの隣国同士の関係はそんなふうに、魅かれ合えば魅かれ合うほど殺し合いたくなり実際に殺し合った。ヴァーグナー「ニーベルングの指輪」冒頭「ラインの黄金」。神話をモチーフにしているが、そもそもライン河の底に黄金の塊が沈んでいるわけではない。ライン河であってもなくてもそこを境界線として両極に対立する激戦が始まるやいなやその河の奥底にこの世のものとは思われない黄金の塊が事後的に出現する。神話というのはいつもそのようにして出来上がるものだ。
療養中のデロシュはエミリー親娘と出会う。デロシュの顔面はまだ包帯でぐるぐる巻きであり歩行もそれほど健康を取り戻したというわけではない。エミリーは「若い娘」だ。デロシュは「無害な老人に対するように何かと世話を焼いてくれることに屈辱を覚え」る。年配の母を連れたエミリーにはまったく何らの警戒心も見られない。デロシュはもはや一匹の狼のかけらでさえないのだと苦い「屈辱」を感じている。だが一方、率直にうれしくもある。
「若い娘がまるでまったく無害な老人に対するように何かと世話を焼いてくれることに屈辱を覚えながらも、デロシュは心が軽くなって冗談まで出るほどで、この予期しなかった幸運を悲しむよりはむしろ喜ぼうという気持ちになった」(ネルヴァル「エミリー」『火の娘たち・P.442』岩波文庫)
それからしばらくして症状は快方に向かい、半分は虚無感に陥りながらもとうとう包帯を取ってみた。すると思いがけなく傷跡はほぼ完治しており、さらに一般的には「名誉の負傷」と呼ばれるものが付け加えられていた。
「額から耳にかけて、斜めに走っている線はーーーそうです!それこそはベルクハイムの戦線でサーベルの一撃を受けた跡でした」(ネルヴァル「エミリー」『火の娘たち・P.443』岩波文庫)
包帯を解いて見違えるようになったというより、以前にも増して精悍な男性に生まれ変わったかのようなデロシュを見てエミリーはとまどう。しかし遂に二人は結婚することになった。エミリー親娘とデロシュは祝いの席のためにビッチュにあるドラゴン亭という旅籠屋を予約しておき昼食を取る。エミリーの姿はいつにも増して美しく見える。そこへ結婚のいきさつを聞いた仲間の軍人らがドラゴン亭に駆けつけてきた。だんだん男ばかりになり夜も更けてきたのでエミリー親娘は宿にとったドラゴン亭へ帰っていった。だが祝宴は終わらない。「司令部が借り切っている堡塁(ほうるい)の飯屋」で、今度は男ばかりの別種の祝宴が始まる。回想の形式を取っているが幻想への入り口でもある。ビッチュの要塞での経験についてデロシュは語る。
「『この要塞を見ると、いつも胸が痛む』」(ネルヴァル「エミリー」『火の娘たち・P.448』岩波文庫)
銃撃戦なら幾度となくやってきた。けれども白兵戦の経験はビッチュの要塞が初めてだった。肉弾戦は生々しい。しかしデロシュはその生々しさを語ろうとしたわけではない。その生々しさを通して語ろうとしたことがあった。
「『これまで私が銃に詰めた一万もの薬莢(やっきょう)のうち、ひょっとしたら半分ほどは、兵隊ならば必ず狙うはずの的に弾丸を命中させてくれたかもしれない。だが私のいいたいのは、ビッチュで初めて、私の手は敵の血に赤く染まったということ、サーベルの切っ先で冷酷な一突きを試みたところ、その切っ先が一人の人間の胸を裂き、刃はぶるぶるとふるえながら胸に刺さっていったということなんだ』」(ネルヴァル「エミリー」『火の娘たち・P.449』岩波文庫)
一人の士官がうなずきながら言う。
「『兵隊はいくら敵を殺してもそれをほとんど実感しないものだ。本当のところ、銃撃は殺人の実行ではなく、殺そうという意図にすぎない。銃剣は、どんなに凄惨な突撃においてもほとんど出番はないものだ。戦いというのはどちらが戦線を持ちこたえるか、あるいは後退するかであって、両者が実際に剣を突きあうことはまずない』」(ネルヴァル「エミリー」『火の娘たち・P.449』岩波文庫)
再びデロシュが話し続ける。
「『決闘で殺した相手の最後の眼差しや、あえぎ声、どさりと倒れた音を忘れられないのと同じように、私の心にはーーー笑いたければ笑ってくれーーー、要塞の小火薬庫の中で殺したプロイセンの軍曹の青ざめた沈鬱な面影が、ほとんど悔いのようにつきまとっている』」(ネルヴァル「エミリー」『火の娘たち・P.450』岩波文庫)
なぜか一同は静まりかえる。デロシュが白兵戦を戦ったのは或る真夜中の地下壕でたまたまフランス兵とドイツ兵とが出くわした時のことだ。両軍とも不意をつかれた形になり、しかも地下壕なので押し合いへし合いの殺し合いになる。戦争といえば確かに戦争だ。しかし常は何十メートルも離れた互いの陣地から撃ち合う銃撃戦であり、狭い地下壕でいきなり始まった白兵戦とはまったく異なる。銃撃ではなく銃剣で惨殺し合うほか生きることも死ぬこともできない。
「『いまだに細かな点までありありと覚えている!相手にはたして私に抵抗しようという気があったのかどうか。私は飛びかかり、相手の気高い心臓にサーベルを突き刺した。男は両目を恐ろしく見開き、苦しげに両手を痙攣させたかと思うと、他の兵隊たちの腕の中に倒れた。それからあとのことは思い出せない。気がついてみると私は血まみれになって中庭に倒れていた』」(ネルヴァル「エミリー」『火の娘たち・P.451~452』岩波文庫)
話を聞いていたアルチュールがそばにいる医師に「いささか人殺しじみてはいないでしょうか」と問いかける。医師は「戦争なのだから、仕方がない」と答える。一七九三年十一月十七日ビッチェ要塞奇襲という史実を題材として書かれた小説にもかかわらず銃撃戦の軽さと白兵戦の殺人性という問いが出現してくるのではなく、十九世紀半ば以降戦争の形式がほぼ銃撃戦一色に染まるまでの中間過程で戦われた戦闘であるゆえに、銃撃戦の軽さと白兵戦の殺人性という問いは必然的に出現してくるのだ。生々しいのは肉弾戦の生々しさではない。問われているのは人殺しの生々しさだ。しかし作品「エミリー」はこの《殺人》でもあり《自殺》でもある血しぶきの中からようやく始まる。「オーレリア」でネルヴァルは鳥の声で話す叔父の言葉を聞いたが、祖先達は「或る動物の形をとってわれわれを地上に訪れ、かくして無言の観察者としてわれわれの生活の諸相に立会っている」と確信している。
「老人が私に話したのか、自分で心中に覚ったのか、ともかくも、祖先達は或る動物の形をとってわれわれを地上に訪れ、かくして無言の観察者としてわれわれの生活の諸相に立会っているのだということが、私には明瞭になった」(ネルヴァル「オーレリア・P.18」岩波文庫)
ところで歴史をさかのぼると、逆に今の人間の側がまた別の「或る動物」に見えるほかない時代も実在した。
「《通訳としてのギリシア人》。ーーーギリシア人たちについて語るとき、同時にわれわれは知らず知らずに今日や昨日のことを語っている。人びとに周知の彼らの歴史は、いわばぴかぴか光る鏡で、常に鏡自体のなかにないものを反射するのだ。われわれがギリシア人たちについて遠慮なく語るのは、他の人たちについても黙っていられるようにするためであるーーーところが結局今度は、そのギリシア人自身が、考え深い読者の耳に何かを囁きかけてくれるのである。こうしてギリシア人たちは、近代人のために、いろいろな言いにくい、しかし重大なことをひとに伝えやすくしてくれる」(ニーチェ「人間的、あまりに人間的2・第一部・二一八・P.158」ちくま学芸文庫)
しかもその動物(近代人)はあまりにも近いため、古代ギリシア人がもし生きていれば、しばしば隣人よりも遥かに近い、自分の内部の動物の声を聞いているかのように感じたに違いない。
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さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。
「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)
ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。
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