しばらく次の三点を問いとして置いておこう。
「『デロシュが死ぬ前に片っぱしからドイツ兵を殺したということですがーーーつまりこういってよければ、それはじつに《殺人的》な《自殺》であったと』」(ネルヴァル「エミリー」『火の娘たち・P.435』岩波文庫)
作者ネルヴァルのいうように当時の多くの人々はどんな精神状態でいたか。
「昨今多く見られるような、半ば懐疑的なキリスト教徒になっていた」(ネルヴァル「エミリー」『火の娘たち・P.473』岩波文庫)
さらに。
「すべてを否定した大革命と、キリスト教信仰をまるごと取り戻そうとする反動の世の中と、二つの時代の相反する教育のあいだで迷う、不信心というよりは懐疑的な世紀の子である私」(ネルヴァル「イシス」『火の娘たち・P.380』岩波文庫)
ダブルバインド状況に置かれた人間は誰もが論理階型の識別能力に支障をきたす、という仮説に基づき、その状況の一般的特徴についてベイトソンは次のように整理する。或る対話において、そのとき一体どの文脈に則って対話がなされているのか。その識別能力が失われるというのはどういった状況なのか。それが認識できていないとコミュニケーションはたちまち不可能になる。あるいはちぐはぐなコミュニケーションへ次々と移動していくといった状況について。
「1 ここでは抜き差しならない関係が支配している。すなわち、適切な応答を行なうために、行き交うメッセージの類別を正確に行なうことが、自分にとって死活の問題だと感じられている」(ベイトソン「精神分裂症の理論化に向けて」『精神の生態学・P.296』新思索社)
「2 しかし、相手から届くメッセージは、その高次のレベルと低次のレベルにおいて矛盾している」(ベイトソン「精神分裂症の理論化に向けて」『精神の生態学・P.296』新思索社)
「3 その矛盾を解きほぐそうにも、それについてコメントできず、相手のどちらのレベルのメッセージに対して反応したらよいのかわからない状況にはまってしまう。つまり、いま起こっているコミュニケーションに《ついて》コミュニケートすることができずにいる」(ベイトソン「精神分裂症の理論化に向けて」『精神の生態学・P.296』新思索社)
「この種の状況は、発病以前の患者と母親との間だけでなく、正常な関係にあっても現われる。ダブルバインド状況に捕らえられた人間は、分裂症的な行動を、自己防衛の方策として示すのだ。相互に矛盾するメッセージを与えられ、それに対してなんらかの答えを返さなければならない、しかもその矛盾について何も言えないという状況に陥ったとき、比喩として述べられた発言をリテラルな〔字句通りの〕ものとして受け取ることは珍しくない。実例を挙げよう。勤務時間中に帰宅したサラリーマンのもとに同僚が電話し、気軽な調子でこうたずねた。『おい、どうやって家に帰ったんだ?』するとその男は『いや、車でさ』と答えたのである。ここで同僚の問いは、『勤務時間に家で何をやっているんだ』という比喩的な意味を担っているのだが、男はそれにリテラルな受け答えをしてしまったのである。同僚としては、友人の行動を咎める立場にはないので、あたりさわりのないーーーメッセージが意図するところと発話の文字通りの意味とが食い違うーーー隠喩表現をとった。そして、自分が当然非難を受ける立場にあることを自覚して張りつめた精神状態にある男は、その語句のレベルに忠実な受け答えに走ったわけである。これは緊張状態に追いやられた人間には一般的に見られる反応で、証人として法廷に立った人間も、きわめて逐語的な受け答えに終始することが知られている。分裂症の人間は、つねに、こうした緊張状態に置かれており、リテラルなレベルへの固執を習慣として抱えもっている。そのため、リテラルな対応がまったく不適切な(たとえば相手が冗談を言ったような)場合でも、自己防衛的な受け答えに終始するのである」(ベイトソン「精神分裂症の理論化に向けて」『精神の生態学・P.297』新思索社)
「ダブルバインドに捕らわれていると感じているときの分裂症者は、また、自分の方からも、リテラルな表現ともメタフォリックな表現ともつかないメッセージを発する。たとえば、担当医が約束の時間に遅れてきたとする。患者はそれを医師が自分を軽蔑していることの表われだと感じても、それが事実であるという確信をもてない。とくに医者がこちらの気持ちを察して遅刻を詫びた場合、非難してはいけないと思う。それを質したくても、『どうして遅れたんですか?きょうはわたしを診たくないと思ったからですか?』と訊ねたのでは、非難になってしまう。そこで彼は隠喩のモードに切り替え、『以前わたしの知り合いが船に乗り遅れて、彼の名前はサムといいましたが、そのとき船はもう少しで沈んでしまうところでしたーーー』とやり始める。このメタフォリカルな物語を、相手は遅刻についてのコメントとして取る場合もあるだろうし、そう取らない場合もあるだろう。そこが、まさに隠喩を使うことの利点であるわけだ。隠喩を使うことで、医師なり母親なりを非難したのかしなかったのかを、相手の解釈に委ねてしまうことができる。ここでもし医者が、隠喩に込められた非難を受け取れば、そのとき患者は、自分の行なった発言が隠喩だったということを安心して認めることができる。逆に医者が、『君のしたサムの話は、どうも本当の話ではないようだね』とか言って、物語に込められた自分への非難をそらしてしまおうとすれば、患者は『そうじゃない、サムは本当にいたんです』と言い張ることができる。このように、隠喩への切り替えは、ダブルバインド状況から身を守る保全の策として捉えることができるのである。しかし同時に、そうすることで、患者は非難の気持を確実に伝えることができないという状況に陥る。医師が自分の話の隠喩的な意味を読んでくれればいいのだが、そうでない場合、『これは隠喩だ』というメタ・メッセージを発せられない患者は、隠喩による語りを極端なものにしていく方法しかとれない。つまり、今度はサムがロケットに乗って火星に行くというような話にもっていく。隠喩が使われているということを示す通常のシグナルに代えて、隠喩の中の空想性を強調し、それによってそれが隠喩だということを伝えようとするのである」(ベイトソン「精神分裂症の理論化に向けて」『精神の生態学・P.297~298』新思索社)
「隠喩の隠れ蓑に逃れるのは、患者にとって単に安全というばかりではない。状況が本当にどうしようもなくなったとき、誰か別の人間にすり替わってしまったり、あるいは別な誰かに身代わりをさせて自分はどこかに行ってしまったりすれば、それだけ楽になるわけだ。そうすれば、ダブルバインドの中でもがいているのは自分ではないことになる。『わたしはわたしではない』『わたしはここにいない』ーーー患者の《錯乱》を表わすこれらの発言は、苦境に対する自己防衛の言葉として解釈できるということだ。事態が病的なものになるのは、隠喩に逃れていることを犠牲者自身が知らずにいる、あるいはそれを言うことができないときである。自分の発話を隠喩として認識するには、自分が相手に対して防衛的な構えを取っているということ、すなわち相手を恐れていることを自覚する必要がある。それは、彼にとって、相手を糾弾することに等しい。これは耐えられない。耐えきれずに彼は破滅的行動へ向かうのである」(ベイトソン「精神分裂症の理論化に向けて」『精神の生態学・P.298』新思索社)
以上に関してはずいぶん以前に何度か繰り返し述べた。当事者は嘘を付こうとして隠喩を用いるのではない。相手を不必要に刺激しまいとして隠喩を用いるのである。それが隠喩としてうまく伝わらない場合、隠喩の上にさらなる隠喩を積み重ねていくことになる。それが一般の政治家と比較していえる正反対の違いだ。統合失調者の場合、多くは初期症状に顕著に見られるように「コミュニケーションに《ついて》コミュニケートすることができ」なくなる。隠喩を説明するためにさらなる隠喩を用いようと気を使い過ぎるあまり、話がとんでもない次元へ飛躍してしまい、周囲から見ているとかえってちんぷんかんぷんに見えてしまうという悲喜劇を演じるほかなくなるのである。ひるがえって政財官界の高級幹部の場合、言っていることは極めて統合失調的なのだが、一見そうは見えないのはなぜか。
「資本の身体は、脱土地化した社会体ではあるものの、同時にまた他の一切の社会体よりも情け容赦のない社会体でさえもある。資本主義の採用した公理系は、種々の流れのエネルギーを、こうした社会体としての資本の身体の上で束縛された状態に維持するものなのである。これとは逆に、分裂症はまさに《絶対的な》極限であり、この極限においては、種々の流れは、脱社会化した器官なき身体の上の自由な状態に移行することになる。だから、こういうことができる。分裂症は資本主義そのものの《外なる》極限、つまり資本主義自身の最も深い傾向のゆきつく終着点であるが、資本主義は、この傾向をみずからに禁じ、この極限を押しのけおきかえて、これを自分自身の相対的な《内在的な》極限に(つまり、拡大する規模において、自分が再生産することをやめない極限に)代えるのだ、と。資本主義は、自分が一方の手で脱コード化するものを、他方の手で公理系化する。相反傾向をもったマルクス主義の法則は、こうした仕方であらためて解釈し直されなければならない。したがって、分裂症は資本主義の全分野の端から端にまで浸透している。しかし、この資本主義の全分野にとって問題であるのは、ひとつの世界的公理系の中でこの分裂症の電荷とエネルギーとを連結しておくことである。この世界的公理系は、新たなる内なる極限を、脱コード化した種々の流れの革命的な力にたえず対立させているものであるからである。こうした体制においては、脱コード化と、公理系化とを(つまり、消滅したコードに代わって到来してくる公理系化とを)区別することは、(たとえ二つの時期に区別することでしかないとしても)不可能なことである。種々の流れが資本主義によって脱コード化され、《そして》公理系化されるのは、同時なのである。だから、分裂症は資本主義との同一性を示すものではなくして、逆にそれとの相異、それとの隔たり、その死を示すものなのである。通貨の種々の流れは、完全に分裂症的な実在であるが、しかし、これらの実在が現実に存在して働くことになるのは、この実在を追いはらい押しのける内在的な公理系の中においてでしかない。銀行家、将軍、産業家、中級上級幹部、大臣といった人々の言語活動は、完全に分裂症的な言語活動であるが、この言語活動が作動するのは、ただ統計的に、つながりが平板単調なる公理系の中においてでしかない。つまり、この言語活動を資本主義の秩序の維持に役立てる、あの公理系の中においてでしかない」(ドゥルーズ&ガタリ「アンチ・オイディプス・P.294~295」河出書房新社)
そういうわけだ。
ーーーーー
なお、二〇二〇年六月十六日北朝鮮政府による開城南北共同事務連絡所爆破について、さらに。金与正第一副部長という女性とは何かということを、フーコー、エリアーデ、折口信夫、アドルノらを援用しつつ述べた。なかでも金与正と古代ギリシア神話に登場するキルケ特有の両義性はとても似ているという点。アドルノのいう「誘惑者としてまた援助者として登場する」女性。「巫女=魔女=娼婦=援助者」の系列。境界線上の象徴的建築物爆破というたいへん興味深い形で新しく出現した金与正について、そこでさらにこれまで東アジアで数多く観察されてきた宗教的=民俗学的特性を見ておく必要性があるだろう。第一にアドルノの指摘にあるようにキルケの出自とその役割とである。
「大洋(オケアノス)の名にし負う娘 ペルセイスは 疲れ知らぬ大陽(ヘリオス)に キルケと 王アイエテスを生まれた」(ヘシオドス「神統記・P.119」岩波文庫)
二〇二〇年の多国籍企業複合体であっても「三代目」というのは周囲から甘やかされて育てられる傾向があり、その補佐として、あるいは兄を上回る実質的戦略家としてその妹が実務的手腕を大いに発揮する傾向はしばしば見られる。ヨーロッパでは首相がやや無能な場合、その補佐官が実務的手腕を発揮することで一つ一つの危機を乗り切るという方法はもはや常識化している。「大洋(オケアノス)=金日成」が成り立つ場合、三代目の時期に、「キルケ=金与正」が出現して王権の刷新と劇的再編を実行に移すという公式が成り立つ。オデュッセウスはキルケの助言をありのまま実行することで有名な「冥府行」(第十一歌)から戻ってくる。といってもキルケの屋敷に戻ってくる。オデュッセウスは一年間の滞在によってキルケとの間に一子を与えられた後なのだがすでにキルケに大いに依存している。オデュッセウスはキルケとの間に子供をもうけたことでにキルケに対しすでに「オデュッセウス’」へと転化している。さらにオデュッセウスはキルケに「危険なカリュブディスの魔手を逃れる」方法を教えてほしいと頼む。キルケの側はオデュッセウスの母親の役割さえも果たす。
「麗わしの女神は直ぐに答えて、『ーーーまたしてもそなたは戦いや面倒な仕事にかかる気でいるのですね。ーーーそなたはトリナキエの島に着くでしょう。ここには陽の神の飼う、多数の牛と肥えた羊が草を食(は)んでいるが、牛の群はその数七つ、羊の見事な群れも同じく七つあり、それぞれの群に五十頭がいるが、これらの家畜は仔を産まぬ代りに、決して死ぬこともない。家畜の面倒を見るのは女神たちで、パエトゥサにランペティエなる髪美わしき仙女ふたり、いずれも美貌のネアイラが、陽の神ヒュペリオンに産んだ娘で、母神が産み育てた後、父の飼う羊と角曲がる牛の群を見守るため、遥かなるトリナキエの島に移して住まわせたのです。そなたがもしこの家畜に危害を加えることなく、ひたすら帰国のことのみを念頭に置くならば、たとえさまざまな苦難に遭うとも、なおそなたらには帰国する望みはあろう。しかし、もし家畜に害を加えるようなことがあれば、船にも部下たちにも破滅が下ることを確言してもよい。そなたのみは難を免れるにせよ、部下全員を失った上、遅く惨めな帰国をすることになるでしょう』。キルケはこのように話した」(ホメロス「オデュッセイア・上・第十二歌・P.316~317」岩波文庫)
注目したいのは、もしそうしなければ「遅く惨めな帰国をすることになるでしょう」というキルケの言葉である。この場面は前半の大詰めであり有名なシーンである。実際、オデュッセウスは一人の部下の失策によってすべての部下を失ってしまい一人に戻り、物語は後半へ入る。ということはどういうことか。キルケが与えたのは約束=契約《としての》言語である。投資なのだ。だから約束=契約に背いて「遅く」なる可能性があるというのは、満期が来て「不渡り」になってしまい「手形割引」不可能な状態に陥るということを意味していると受け取るのが妥当である。さらに民俗学的見地から見てみる。柳田國男はいっている。
「自分たちの学問で今までに知られていることは、祭祀・祈禱の宗教上の行為は、もと肝要なる部分がことごとっく婦人の管轄であった。巫(みこ)はこの民族にあっては原則として女性であった。後代は家筋によりまた神の指定に随(したが)って、彼等の一小部分のみが神役に従事し、その他は皆凡庸をもって目せられたが、以前は家々の婦女は必ず神に仕え、ただその中の最もさかしき者が、最も優れたる巫女(みこ)であったものらしい。国の神は一つ以前には地方の神であり、さらに遡(さかのぼ)れば家々の神であったのみならず、現在に至っても、家にはなお専属の神があって、季節もしくは臨時に祭られているのを見ると、久しきにわたってこの職分は重要であった。しこうして最初この任務が、特に婦人に適すと考えられた理由は、その感動しやすい習性が、事件あるごとに群衆の中において、いち早く異常心理の作用を示し、不思議を語り得た点にあるのであろう。雋敏(しゅんびん)なる児童の中には、往々にして神を見、神託を宣する者はあったが、成長するにつれて早く特性を失う上に、こんな子を生み育てるのもやはり女だから、女は常に重んぜられた。ことに婦人の特殊生理は、かくのごとき精神作用に強く影響した。天然と戦い異と戦う者にとっては、女子の予言の中から方法の指導を求むる必要が多く、さらに進んでは定まる運勢をも改良せんがために、この力を利用する場合が常にあったのである。ゆえに女の力を忌み怖れたのも、本来はまったく女の力を信じた結果であって、あらゆる神聖なる物を平日の生活から別措するのと同じ意味で、実は本来は敬して遠ざけていたもののようである。
そんな待遇をする必要が、もうほとんどなくなった近世まで、場合によってはなおかよわい者の力が信ぜられた。ひとり物を害する魔性の力だけではない。ある種のまじないには女を頼まねばならぬものがあった。年々の行事で最も著しいものは田植である。昔の人の推理法には興味がある。女は生産の力ある者だから、大切な生産の行為は女に頼むがよいという趣意であった。これに伴のうていろりろの儀式の、いたって古風なものが今も残っており、従ってまた神秘なる禁忌があった。一方にはまたおみき・おなほという類の老女の、神と交通したという話が実事として数限りなく語り伝えらる。実際その不可思議には数千年の根抵(こんてい)があるので、日本の男子としてこれに動かされることはいささかも異例ではなかった。世界的の宗教は大規模に持ち込まれたけれども、我々の生活の不安定、未来に対する疑惑と杞憂(きゆう)とは、仏教と基督(キリスト)教とでは処理し尽すことができなかった。現世幸福の手段としては不十分なる点が見出された。しこうしてその欠陥を充(みた)すべき任務は、太古以来同胞の婦女に属していたのである。倭姫命(やまとひめのみこと)の御祭祀が単なる典礼になってしまうと、光明(こうみょう)皇后や中将姫(ちゅうじょうひめ)の祈願が始まったように、一つの形が不十分となれば、第二の方法が考えられなければならぬ。ゆえに兄の寂莫(せきばく)を妹が慰めるのも、言わばこの民族の一続きの大なる力の、一つの新しい波に過ぎないかも知れぬ」(柳田國男「妹の力」『柳田國男全集2・P.25~26』ちくま文庫)
柳田のいうように「女子の予言の中から方法の指導を求むる必要が多く、さらに進んでは定まる運勢をも改良せんがために、この力を利用する場合が常にあった」という点が一つ。もう一つは「兄の寂莫(せきばく)を妹が慰める」というまさしく今の北朝鮮政府で起こっている状況である。またさらに金与正という女性が持つ「巫女性=遊女性=預言者性」について。
「中世の社会においてもクグツの副業は売色で、遊女はまた一派の巫女であった。近江海津(かいづ)の市の金という女は、強力をもってその名を後世に伝えているが、彼もまた遊女であってその夫は法師であった(古今著聞集巻十)。往来の旅人はこの種の婦人を古くからキミと名づけた。キミは遊女の雅名にして兼ねてまた巫女の総称の一つであった」(柳田國男「巫女考」『柳田國男全集2・P.398』ちくま文庫)
現代人の感覚でいうと「巫女=遊女」の等価性は理解できないに違いない。しかし古代から中世にかけて「巫女=遊女」が担っていた意味はまったく違うものだ。柳田は「クグツ」について「副業は売色で、遊女はまた一派の巫女であった」と述べている。どういうことか。
「中世前期ーーー少なくとも鎌倉期まで、遊女・傀儡子(くぐつ)は決して賤視されていわけではなく、むしろ天皇に直属する形で宮廷に出入りしていたのであり、もまたこの時期には聖なる存在として畏れられた一面が確実にあったのである。それは基本的には天皇・神仏に直属する供御人、神人、寄人と同質の存在であった。この点に着目しても『職人』身分と、以前規定したのであるが、さらにそれに付言すれば、中世前期の『職人』身分は、このように天皇、神仏など『聖』なるものに直属することによって自らも平民と異なる『聖』なる存在としてその職能ーーー『芸能』を営んだ点に、その重要な特質があるといえよう」(「網野善彦「中世のと遊女・P.153」講談社学術文庫)
巫女=「遊女・傀儡子(くぐつ)」と天皇との直属的関係。そして同時に「『聖』なる存在としてその職能ーーー『芸能』を営んだ点」で、東アジアを離れて遠く古代オリエントやヨーロッパで数千年間「さまよえるユダヤ人=非白人遊行者」の多くが芸能民であり移動民であったこととの著しい共通性を確認しておかねばならない。さらに。
「『穢』(けがれ)を『清目』(きよる)ることは、自身にとってみれば『重役』そのものであり、彼等はまさしく『聖』なる『芸能』に携わる『職掌人』『重色人』であった。そして実際、そうした見方は中世前期においては、社会的に認められていたといってよかろう。この時期の社会は、革造も傀儡子(くぐつ)も宗人も、鍛冶(かじ)・番匠(ばんじょう)・荘官(しょうかん)などと同じく、給免田(きゅうめんでん)を与えられた『職人』として扱う、開かれた性格を保っていたのであり、にもまたその体制内に、それと基本的に同じ位置づけを与えていた」(「網野善彦「中世のと遊女・P.44」講談社学術文庫)
また東アジア文化圏では古代中国が圧倒的な権力を誇って君臨していたため、朝鮮半島や日本は「恵比寿」(えびす)の神の影響下にあった。巫女と神とが接続されると巫女は同時に「軍神」ともなる。そもそも恵比寿は荒夷(らえびす)=軍神でもある。
「関より西なる軍神 一品中山(いちほんちゅうさん) 安芸(あき)なる厳島(いつくしま) 備中(びちゅう)なる吉備津宮(きびつみや) 播磨(はりま)に広峰(ひろみね) 惣三所(そうさんじょ) 淡路(あはじ)の岩屋(いはや)には 住吉(すみよし) 西宮(にしのみや)」(「梁塵秘抄・巻第二・二四九・P.109~110」新潮日本古典集成)
さらに、「妹の力」でいう女性の力、特に若年層の女性が持つ力について、森鴎外は「山椒大夫」でこう述べた。
「厨子王はなんとも思い定め兼ねて、ぼんやりして附いて降りる。姉は今年十五になり、弟は十三になっているが、女は早くおとなびて、その上物に憑(つ)かれたように、聡(さと)く賢(さか)しくなっているので、厨子王は姉の詞(ことば)に背くことが出来ぬ」(森鴎外「山椒大夫」『森鷗外全集5・P.182』ちくま文庫)
十代後半の女性、「山椒大夫」で鷗外が述べている「姉の詞(ことば)=聡(さと)く賢(さか)しく=憑(つ)かれたよう=おとなびて」という性質的系列。
また以上のような条件を満たす金与正が、日本のマスコミが連日振り回して止まない「国際社会」という言葉の逆の極(「悪党」)の側から登場してきたことは、しかし日本の歴史上では何ら珍しくもなんともない。むしろ中世日本の「悪党」は金融、経済、流通といった面で欠かせない活躍ぶりを見せている。「悪党=徒党=博党」に関する一部分。
「わが子は二十(はたち)になりぬらん 博打(ばくち)してこそ歩(あり)くなれ 国々の博党(ばくとう)に さすがに子なれば憎かなし 負かいたまふな 王子の住吉(すみよし) 西宮(にしのみや)」(「梁塵秘抄・巻第二・365・P.153~154」新潮日本古典集成)
「国々の」とある部分が重要。その動きは実に貨幣的である。諸国遍歴により容易に国境線を突破するという意味で。
「『悪党』の実態はたしかにさまざまであり、一概にいいきれないとはいえ、それが別の機会にのべたように、このころ社会に深く浸透した銭貨による商業・金融、信用経済の発達を支える商人・金融業者・廻船人、海の領主、流通路の領主、そして博打・などのネットワークに重なることは間違いない」(「網野善彦「中世のと遊女・P.272~273」講談社学術文庫)
しかしこのことは近代社会成立以後、欧米での差別問題と重大な関わり合いを持ってくる。
「ボルシェヴィズムに金を出す強欲なユダヤ人銀行家の陰謀という妄想は、彼らの生れつきの無力さの徴しであり、優雅な暮しは幸福の徴しである。これにさらにインテリのイメージがつけ加わる。インテリは他の人々には恵まれていない高尚なことを考えているように見え、しかし汗水流して苦労し体を使って働くことはない。銀行家とインテリ、貨幣と知性、この二つは流通の指数であり、支配によって傷つき、歪められた者たちの否定された願望像である。そして支配者はこの願望像を、支配の永遠化のために利用しているのだ」(ホルクハイマー&アドルノ「啓蒙の弁証法・P.360」岩波文庫)
アドルノが指摘した事情。それは二〇二〇年のネット社会で、銀行の窓口業務に従事する若い女性行員らが集団レイプされる、という内容のポルノサイトがもはや世界中で大人気を誇っていることと無関係ではないだろう。
ーーーーー
さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。
「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)
ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。
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「『デロシュが死ぬ前に片っぱしからドイツ兵を殺したということですがーーーつまりこういってよければ、それはじつに《殺人的》な《自殺》であったと』」(ネルヴァル「エミリー」『火の娘たち・P.435』岩波文庫)
作者ネルヴァルのいうように当時の多くの人々はどんな精神状態でいたか。
「昨今多く見られるような、半ば懐疑的なキリスト教徒になっていた」(ネルヴァル「エミリー」『火の娘たち・P.473』岩波文庫)
さらに。
「すべてを否定した大革命と、キリスト教信仰をまるごと取り戻そうとする反動の世の中と、二つの時代の相反する教育のあいだで迷う、不信心というよりは懐疑的な世紀の子である私」(ネルヴァル「イシス」『火の娘たち・P.380』岩波文庫)
ダブルバインド状況に置かれた人間は誰もが論理階型の識別能力に支障をきたす、という仮説に基づき、その状況の一般的特徴についてベイトソンは次のように整理する。或る対話において、そのとき一体どの文脈に則って対話がなされているのか。その識別能力が失われるというのはどういった状況なのか。それが認識できていないとコミュニケーションはたちまち不可能になる。あるいはちぐはぐなコミュニケーションへ次々と移動していくといった状況について。
「1 ここでは抜き差しならない関係が支配している。すなわち、適切な応答を行なうために、行き交うメッセージの類別を正確に行なうことが、自分にとって死活の問題だと感じられている」(ベイトソン「精神分裂症の理論化に向けて」『精神の生態学・P.296』新思索社)
「2 しかし、相手から届くメッセージは、その高次のレベルと低次のレベルにおいて矛盾している」(ベイトソン「精神分裂症の理論化に向けて」『精神の生態学・P.296』新思索社)
「3 その矛盾を解きほぐそうにも、それについてコメントできず、相手のどちらのレベルのメッセージに対して反応したらよいのかわからない状況にはまってしまう。つまり、いま起こっているコミュニケーションに《ついて》コミュニケートすることができずにいる」(ベイトソン「精神分裂症の理論化に向けて」『精神の生態学・P.296』新思索社)
「この種の状況は、発病以前の患者と母親との間だけでなく、正常な関係にあっても現われる。ダブルバインド状況に捕らえられた人間は、分裂症的な行動を、自己防衛の方策として示すのだ。相互に矛盾するメッセージを与えられ、それに対してなんらかの答えを返さなければならない、しかもその矛盾について何も言えないという状況に陥ったとき、比喩として述べられた発言をリテラルな〔字句通りの〕ものとして受け取ることは珍しくない。実例を挙げよう。勤務時間中に帰宅したサラリーマンのもとに同僚が電話し、気軽な調子でこうたずねた。『おい、どうやって家に帰ったんだ?』するとその男は『いや、車でさ』と答えたのである。ここで同僚の問いは、『勤務時間に家で何をやっているんだ』という比喩的な意味を担っているのだが、男はそれにリテラルな受け答えをしてしまったのである。同僚としては、友人の行動を咎める立場にはないので、あたりさわりのないーーーメッセージが意図するところと発話の文字通りの意味とが食い違うーーー隠喩表現をとった。そして、自分が当然非難を受ける立場にあることを自覚して張りつめた精神状態にある男は、その語句のレベルに忠実な受け答えに走ったわけである。これは緊張状態に追いやられた人間には一般的に見られる反応で、証人として法廷に立った人間も、きわめて逐語的な受け答えに終始することが知られている。分裂症の人間は、つねに、こうした緊張状態に置かれており、リテラルなレベルへの固執を習慣として抱えもっている。そのため、リテラルな対応がまったく不適切な(たとえば相手が冗談を言ったような)場合でも、自己防衛的な受け答えに終始するのである」(ベイトソン「精神分裂症の理論化に向けて」『精神の生態学・P.297』新思索社)
「ダブルバインドに捕らわれていると感じているときの分裂症者は、また、自分の方からも、リテラルな表現ともメタフォリックな表現ともつかないメッセージを発する。たとえば、担当医が約束の時間に遅れてきたとする。患者はそれを医師が自分を軽蔑していることの表われだと感じても、それが事実であるという確信をもてない。とくに医者がこちらの気持ちを察して遅刻を詫びた場合、非難してはいけないと思う。それを質したくても、『どうして遅れたんですか?きょうはわたしを診たくないと思ったからですか?』と訊ねたのでは、非難になってしまう。そこで彼は隠喩のモードに切り替え、『以前わたしの知り合いが船に乗り遅れて、彼の名前はサムといいましたが、そのとき船はもう少しで沈んでしまうところでしたーーー』とやり始める。このメタフォリカルな物語を、相手は遅刻についてのコメントとして取る場合もあるだろうし、そう取らない場合もあるだろう。そこが、まさに隠喩を使うことの利点であるわけだ。隠喩を使うことで、医師なり母親なりを非難したのかしなかったのかを、相手の解釈に委ねてしまうことができる。ここでもし医者が、隠喩に込められた非難を受け取れば、そのとき患者は、自分の行なった発言が隠喩だったということを安心して認めることができる。逆に医者が、『君のしたサムの話は、どうも本当の話ではないようだね』とか言って、物語に込められた自分への非難をそらしてしまおうとすれば、患者は『そうじゃない、サムは本当にいたんです』と言い張ることができる。このように、隠喩への切り替えは、ダブルバインド状況から身を守る保全の策として捉えることができるのである。しかし同時に、そうすることで、患者は非難の気持を確実に伝えることができないという状況に陥る。医師が自分の話の隠喩的な意味を読んでくれればいいのだが、そうでない場合、『これは隠喩だ』というメタ・メッセージを発せられない患者は、隠喩による語りを極端なものにしていく方法しかとれない。つまり、今度はサムがロケットに乗って火星に行くというような話にもっていく。隠喩が使われているということを示す通常のシグナルに代えて、隠喩の中の空想性を強調し、それによってそれが隠喩だということを伝えようとするのである」(ベイトソン「精神分裂症の理論化に向けて」『精神の生態学・P.297~298』新思索社)
「隠喩の隠れ蓑に逃れるのは、患者にとって単に安全というばかりではない。状況が本当にどうしようもなくなったとき、誰か別の人間にすり替わってしまったり、あるいは別な誰かに身代わりをさせて自分はどこかに行ってしまったりすれば、それだけ楽になるわけだ。そうすれば、ダブルバインドの中でもがいているのは自分ではないことになる。『わたしはわたしではない』『わたしはここにいない』ーーー患者の《錯乱》を表わすこれらの発言は、苦境に対する自己防衛の言葉として解釈できるということだ。事態が病的なものになるのは、隠喩に逃れていることを犠牲者自身が知らずにいる、あるいはそれを言うことができないときである。自分の発話を隠喩として認識するには、自分が相手に対して防衛的な構えを取っているということ、すなわち相手を恐れていることを自覚する必要がある。それは、彼にとって、相手を糾弾することに等しい。これは耐えられない。耐えきれずに彼は破滅的行動へ向かうのである」(ベイトソン「精神分裂症の理論化に向けて」『精神の生態学・P.298』新思索社)
以上に関してはずいぶん以前に何度か繰り返し述べた。当事者は嘘を付こうとして隠喩を用いるのではない。相手を不必要に刺激しまいとして隠喩を用いるのである。それが隠喩としてうまく伝わらない場合、隠喩の上にさらなる隠喩を積み重ねていくことになる。それが一般の政治家と比較していえる正反対の違いだ。統合失調者の場合、多くは初期症状に顕著に見られるように「コミュニケーションに《ついて》コミュニケートすることができ」なくなる。隠喩を説明するためにさらなる隠喩を用いようと気を使い過ぎるあまり、話がとんでもない次元へ飛躍してしまい、周囲から見ているとかえってちんぷんかんぷんに見えてしまうという悲喜劇を演じるほかなくなるのである。ひるがえって政財官界の高級幹部の場合、言っていることは極めて統合失調的なのだが、一見そうは見えないのはなぜか。
「資本の身体は、脱土地化した社会体ではあるものの、同時にまた他の一切の社会体よりも情け容赦のない社会体でさえもある。資本主義の採用した公理系は、種々の流れのエネルギーを、こうした社会体としての資本の身体の上で束縛された状態に維持するものなのである。これとは逆に、分裂症はまさに《絶対的な》極限であり、この極限においては、種々の流れは、脱社会化した器官なき身体の上の自由な状態に移行することになる。だから、こういうことができる。分裂症は資本主義そのものの《外なる》極限、つまり資本主義自身の最も深い傾向のゆきつく終着点であるが、資本主義は、この傾向をみずからに禁じ、この極限を押しのけおきかえて、これを自分自身の相対的な《内在的な》極限に(つまり、拡大する規模において、自分が再生産することをやめない極限に)代えるのだ、と。資本主義は、自分が一方の手で脱コード化するものを、他方の手で公理系化する。相反傾向をもったマルクス主義の法則は、こうした仕方であらためて解釈し直されなければならない。したがって、分裂症は資本主義の全分野の端から端にまで浸透している。しかし、この資本主義の全分野にとって問題であるのは、ひとつの世界的公理系の中でこの分裂症の電荷とエネルギーとを連結しておくことである。この世界的公理系は、新たなる内なる極限を、脱コード化した種々の流れの革命的な力にたえず対立させているものであるからである。こうした体制においては、脱コード化と、公理系化とを(つまり、消滅したコードに代わって到来してくる公理系化とを)区別することは、(たとえ二つの時期に区別することでしかないとしても)不可能なことである。種々の流れが資本主義によって脱コード化され、《そして》公理系化されるのは、同時なのである。だから、分裂症は資本主義との同一性を示すものではなくして、逆にそれとの相異、それとの隔たり、その死を示すものなのである。通貨の種々の流れは、完全に分裂症的な実在であるが、しかし、これらの実在が現実に存在して働くことになるのは、この実在を追いはらい押しのける内在的な公理系の中においてでしかない。銀行家、将軍、産業家、中級上級幹部、大臣といった人々の言語活動は、完全に分裂症的な言語活動であるが、この言語活動が作動するのは、ただ統計的に、つながりが平板単調なる公理系の中においてでしかない。つまり、この言語活動を資本主義の秩序の維持に役立てる、あの公理系の中においてでしかない」(ドゥルーズ&ガタリ「アンチ・オイディプス・P.294~295」河出書房新社)
そういうわけだ。
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なお、二〇二〇年六月十六日北朝鮮政府による開城南北共同事務連絡所爆破について、さらに。金与正第一副部長という女性とは何かということを、フーコー、エリアーデ、折口信夫、アドルノらを援用しつつ述べた。なかでも金与正と古代ギリシア神話に登場するキルケ特有の両義性はとても似ているという点。アドルノのいう「誘惑者としてまた援助者として登場する」女性。「巫女=魔女=娼婦=援助者」の系列。境界線上の象徴的建築物爆破というたいへん興味深い形で新しく出現した金与正について、そこでさらにこれまで東アジアで数多く観察されてきた宗教的=民俗学的特性を見ておく必要性があるだろう。第一にアドルノの指摘にあるようにキルケの出自とその役割とである。
「大洋(オケアノス)の名にし負う娘 ペルセイスは 疲れ知らぬ大陽(ヘリオス)に キルケと 王アイエテスを生まれた」(ヘシオドス「神統記・P.119」岩波文庫)
二〇二〇年の多国籍企業複合体であっても「三代目」というのは周囲から甘やかされて育てられる傾向があり、その補佐として、あるいは兄を上回る実質的戦略家としてその妹が実務的手腕を大いに発揮する傾向はしばしば見られる。ヨーロッパでは首相がやや無能な場合、その補佐官が実務的手腕を発揮することで一つ一つの危機を乗り切るという方法はもはや常識化している。「大洋(オケアノス)=金日成」が成り立つ場合、三代目の時期に、「キルケ=金与正」が出現して王権の刷新と劇的再編を実行に移すという公式が成り立つ。オデュッセウスはキルケの助言をありのまま実行することで有名な「冥府行」(第十一歌)から戻ってくる。といってもキルケの屋敷に戻ってくる。オデュッセウスは一年間の滞在によってキルケとの間に一子を与えられた後なのだがすでにキルケに大いに依存している。オデュッセウスはキルケとの間に子供をもうけたことでにキルケに対しすでに「オデュッセウス’」へと転化している。さらにオデュッセウスはキルケに「危険なカリュブディスの魔手を逃れる」方法を教えてほしいと頼む。キルケの側はオデュッセウスの母親の役割さえも果たす。
「麗わしの女神は直ぐに答えて、『ーーーまたしてもそなたは戦いや面倒な仕事にかかる気でいるのですね。ーーーそなたはトリナキエの島に着くでしょう。ここには陽の神の飼う、多数の牛と肥えた羊が草を食(は)んでいるが、牛の群はその数七つ、羊の見事な群れも同じく七つあり、それぞれの群に五十頭がいるが、これらの家畜は仔を産まぬ代りに、決して死ぬこともない。家畜の面倒を見るのは女神たちで、パエトゥサにランペティエなる髪美わしき仙女ふたり、いずれも美貌のネアイラが、陽の神ヒュペリオンに産んだ娘で、母神が産み育てた後、父の飼う羊と角曲がる牛の群を見守るため、遥かなるトリナキエの島に移して住まわせたのです。そなたがもしこの家畜に危害を加えることなく、ひたすら帰国のことのみを念頭に置くならば、たとえさまざまな苦難に遭うとも、なおそなたらには帰国する望みはあろう。しかし、もし家畜に害を加えるようなことがあれば、船にも部下たちにも破滅が下ることを確言してもよい。そなたのみは難を免れるにせよ、部下全員を失った上、遅く惨めな帰国をすることになるでしょう』。キルケはこのように話した」(ホメロス「オデュッセイア・上・第十二歌・P.316~317」岩波文庫)
注目したいのは、もしそうしなければ「遅く惨めな帰国をすることになるでしょう」というキルケの言葉である。この場面は前半の大詰めであり有名なシーンである。実際、オデュッセウスは一人の部下の失策によってすべての部下を失ってしまい一人に戻り、物語は後半へ入る。ということはどういうことか。キルケが与えたのは約束=契約《としての》言語である。投資なのだ。だから約束=契約に背いて「遅く」なる可能性があるというのは、満期が来て「不渡り」になってしまい「手形割引」不可能な状態に陥るということを意味していると受け取るのが妥当である。さらに民俗学的見地から見てみる。柳田國男はいっている。
「自分たちの学問で今までに知られていることは、祭祀・祈禱の宗教上の行為は、もと肝要なる部分がことごとっく婦人の管轄であった。巫(みこ)はこの民族にあっては原則として女性であった。後代は家筋によりまた神の指定に随(したが)って、彼等の一小部分のみが神役に従事し、その他は皆凡庸をもって目せられたが、以前は家々の婦女は必ず神に仕え、ただその中の最もさかしき者が、最も優れたる巫女(みこ)であったものらしい。国の神は一つ以前には地方の神であり、さらに遡(さかのぼ)れば家々の神であったのみならず、現在に至っても、家にはなお専属の神があって、季節もしくは臨時に祭られているのを見ると、久しきにわたってこの職分は重要であった。しこうして最初この任務が、特に婦人に適すと考えられた理由は、その感動しやすい習性が、事件あるごとに群衆の中において、いち早く異常心理の作用を示し、不思議を語り得た点にあるのであろう。雋敏(しゅんびん)なる児童の中には、往々にして神を見、神託を宣する者はあったが、成長するにつれて早く特性を失う上に、こんな子を生み育てるのもやはり女だから、女は常に重んぜられた。ことに婦人の特殊生理は、かくのごとき精神作用に強く影響した。天然と戦い異と戦う者にとっては、女子の予言の中から方法の指導を求むる必要が多く、さらに進んでは定まる運勢をも改良せんがために、この力を利用する場合が常にあったのである。ゆえに女の力を忌み怖れたのも、本来はまったく女の力を信じた結果であって、あらゆる神聖なる物を平日の生活から別措するのと同じ意味で、実は本来は敬して遠ざけていたもののようである。
そんな待遇をする必要が、もうほとんどなくなった近世まで、場合によってはなおかよわい者の力が信ぜられた。ひとり物を害する魔性の力だけではない。ある種のまじないには女を頼まねばならぬものがあった。年々の行事で最も著しいものは田植である。昔の人の推理法には興味がある。女は生産の力ある者だから、大切な生産の行為は女に頼むがよいという趣意であった。これに伴のうていろりろの儀式の、いたって古風なものが今も残っており、従ってまた神秘なる禁忌があった。一方にはまたおみき・おなほという類の老女の、神と交通したという話が実事として数限りなく語り伝えらる。実際その不可思議には数千年の根抵(こんてい)があるので、日本の男子としてこれに動かされることはいささかも異例ではなかった。世界的の宗教は大規模に持ち込まれたけれども、我々の生活の不安定、未来に対する疑惑と杞憂(きゆう)とは、仏教と基督(キリスト)教とでは処理し尽すことができなかった。現世幸福の手段としては不十分なる点が見出された。しこうしてその欠陥を充(みた)すべき任務は、太古以来同胞の婦女に属していたのである。倭姫命(やまとひめのみこと)の御祭祀が単なる典礼になってしまうと、光明(こうみょう)皇后や中将姫(ちゅうじょうひめ)の祈願が始まったように、一つの形が不十分となれば、第二の方法が考えられなければならぬ。ゆえに兄の寂莫(せきばく)を妹が慰めるのも、言わばこの民族の一続きの大なる力の、一つの新しい波に過ぎないかも知れぬ」(柳田國男「妹の力」『柳田國男全集2・P.25~26』ちくま文庫)
柳田のいうように「女子の予言の中から方法の指導を求むる必要が多く、さらに進んでは定まる運勢をも改良せんがために、この力を利用する場合が常にあった」という点が一つ。もう一つは「兄の寂莫(せきばく)を妹が慰める」というまさしく今の北朝鮮政府で起こっている状況である。またさらに金与正という女性が持つ「巫女性=遊女性=預言者性」について。
「中世の社会においてもクグツの副業は売色で、遊女はまた一派の巫女であった。近江海津(かいづ)の市の金という女は、強力をもってその名を後世に伝えているが、彼もまた遊女であってその夫は法師であった(古今著聞集巻十)。往来の旅人はこの種の婦人を古くからキミと名づけた。キミは遊女の雅名にして兼ねてまた巫女の総称の一つであった」(柳田國男「巫女考」『柳田國男全集2・P.398』ちくま文庫)
現代人の感覚でいうと「巫女=遊女」の等価性は理解できないに違いない。しかし古代から中世にかけて「巫女=遊女」が担っていた意味はまったく違うものだ。柳田は「クグツ」について「副業は売色で、遊女はまた一派の巫女であった」と述べている。どういうことか。
「中世前期ーーー少なくとも鎌倉期まで、遊女・傀儡子(くぐつ)は決して賤視されていわけではなく、むしろ天皇に直属する形で宮廷に出入りしていたのであり、もまたこの時期には聖なる存在として畏れられた一面が確実にあったのである。それは基本的には天皇・神仏に直属する供御人、神人、寄人と同質の存在であった。この点に着目しても『職人』身分と、以前規定したのであるが、さらにそれに付言すれば、中世前期の『職人』身分は、このように天皇、神仏など『聖』なるものに直属することによって自らも平民と異なる『聖』なる存在としてその職能ーーー『芸能』を営んだ点に、その重要な特質があるといえよう」(「網野善彦「中世のと遊女・P.153」講談社学術文庫)
巫女=「遊女・傀儡子(くぐつ)」と天皇との直属的関係。そして同時に「『聖』なる存在としてその職能ーーー『芸能』を営んだ点」で、東アジアを離れて遠く古代オリエントやヨーロッパで数千年間「さまよえるユダヤ人=非白人遊行者」の多くが芸能民であり移動民であったこととの著しい共通性を確認しておかねばならない。さらに。
「『穢』(けがれ)を『清目』(きよる)ることは、自身にとってみれば『重役』そのものであり、彼等はまさしく『聖』なる『芸能』に携わる『職掌人』『重色人』であった。そして実際、そうした見方は中世前期においては、社会的に認められていたといってよかろう。この時期の社会は、革造も傀儡子(くぐつ)も宗人も、鍛冶(かじ)・番匠(ばんじょう)・荘官(しょうかん)などと同じく、給免田(きゅうめんでん)を与えられた『職人』として扱う、開かれた性格を保っていたのであり、にもまたその体制内に、それと基本的に同じ位置づけを与えていた」(「網野善彦「中世のと遊女・P.44」講談社学術文庫)
また東アジア文化圏では古代中国が圧倒的な権力を誇って君臨していたため、朝鮮半島や日本は「恵比寿」(えびす)の神の影響下にあった。巫女と神とが接続されると巫女は同時に「軍神」ともなる。そもそも恵比寿は荒夷(らえびす)=軍神でもある。
「関より西なる軍神 一品中山(いちほんちゅうさん) 安芸(あき)なる厳島(いつくしま) 備中(びちゅう)なる吉備津宮(きびつみや) 播磨(はりま)に広峰(ひろみね) 惣三所(そうさんじょ) 淡路(あはじ)の岩屋(いはや)には 住吉(すみよし) 西宮(にしのみや)」(「梁塵秘抄・巻第二・二四九・P.109~110」新潮日本古典集成)
さらに、「妹の力」でいう女性の力、特に若年層の女性が持つ力について、森鴎外は「山椒大夫」でこう述べた。
「厨子王はなんとも思い定め兼ねて、ぼんやりして附いて降りる。姉は今年十五になり、弟は十三になっているが、女は早くおとなびて、その上物に憑(つ)かれたように、聡(さと)く賢(さか)しくなっているので、厨子王は姉の詞(ことば)に背くことが出来ぬ」(森鴎外「山椒大夫」『森鷗外全集5・P.182』ちくま文庫)
十代後半の女性、「山椒大夫」で鷗外が述べている「姉の詞(ことば)=聡(さと)く賢(さか)しく=憑(つ)かれたよう=おとなびて」という性質的系列。
また以上のような条件を満たす金与正が、日本のマスコミが連日振り回して止まない「国際社会」という言葉の逆の極(「悪党」)の側から登場してきたことは、しかし日本の歴史上では何ら珍しくもなんともない。むしろ中世日本の「悪党」は金融、経済、流通といった面で欠かせない活躍ぶりを見せている。「悪党=徒党=博党」に関する一部分。
「わが子は二十(はたち)になりぬらん 博打(ばくち)してこそ歩(あり)くなれ 国々の博党(ばくとう)に さすがに子なれば憎かなし 負かいたまふな 王子の住吉(すみよし) 西宮(にしのみや)」(「梁塵秘抄・巻第二・365・P.153~154」新潮日本古典集成)
「国々の」とある部分が重要。その動きは実に貨幣的である。諸国遍歴により容易に国境線を突破するという意味で。
「『悪党』の実態はたしかにさまざまであり、一概にいいきれないとはいえ、それが別の機会にのべたように、このころ社会に深く浸透した銭貨による商業・金融、信用経済の発達を支える商人・金融業者・廻船人、海の領主、流通路の領主、そして博打・などのネットワークに重なることは間違いない」(「網野善彦「中世のと遊女・P.272~273」講談社学術文庫)
しかしこのことは近代社会成立以後、欧米での差別問題と重大な関わり合いを持ってくる。
「ボルシェヴィズムに金を出す強欲なユダヤ人銀行家の陰謀という妄想は、彼らの生れつきの無力さの徴しであり、優雅な暮しは幸福の徴しである。これにさらにインテリのイメージがつけ加わる。インテリは他の人々には恵まれていない高尚なことを考えているように見え、しかし汗水流して苦労し体を使って働くことはない。銀行家とインテリ、貨幣と知性、この二つは流通の指数であり、支配によって傷つき、歪められた者たちの否定された願望像である。そして支配者はこの願望像を、支配の永遠化のために利用しているのだ」(ホルクハイマー&アドルノ「啓蒙の弁証法・P.360」岩波文庫)
アドルノが指摘した事情。それは二〇二〇年のネット社会で、銀行の窓口業務に従事する若い女性行員らが集団レイプされる、という内容のポルノサイトがもはや世界中で大人気を誇っていることと無関係ではないだろう。
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さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。
「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)
ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。
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