白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

熊楠による熊野案内/河東(かとう)の尼と竜門(りうもん)の法端(ほふたん)・消えた経典の文字

2021年06月16日 | 日記・エッセイ・コラム
前回同様、粘菌特有の変態性、さらに貨幣特有の変態性とを参照。続き。

或る時、河東(かとう)に一人の尼がいた。極めて熱心に修行に励み、常に浄く正しくあらんことを心がけ、数年来法華経の読誦に専念していた。河東(かとう)は今の中国山西省永済県(永済市)東南部。広くは黄河東部流域を指す。

もう何年ほど読誦してきただろうか、多少なりとも意味は頭に入ったつもりでいる。だから読誦するだけでなく書写(しよしや)しようと思い立った。そこで書の専門家を呼んで書写を依頼した。出来る限り丁寧なものが良い。書写のために必要な費用=礼金は通例の二倍出すことにし、さらに書写専用の別室を特別に用意した。その念入りぶりが述べられている。

書写に当たる者はどんな用事であれ一度部屋の外へ出た場合、からだを洗って香を焚き、香の薫りを衣服にしっかり移してから入室して再び書写に取りかかる。

「書ク人一人ヲ懃(ねんごろ)ニ語(かたらひ)テ、其ノ功(く)常ヨリモ員(かず)ヲ倍(ま)シテ与フ。殊(こと)ニ浄(きよ)キ所ヲ造リ儲(まうけ)テ、此ノ経ヲ書ク室ヲ為(せ)リ。書ク者、一度立(たち)テ室ノ外(ほか)ニ出(いで)ヌレバ、沐浴(もくよく)シ香ヲ焼(たき)テゾ、入(いり)テ亦、書写シケル」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第七・第十八・P.120」岩波書店)

さらに。書写中の部屋は基本的に密室。壁に穴を開けて竹製の筒を通し、それを通気口として用いた。経典に忠実に書写して差し上げるよう取り計らった。そして八年かけてようやく全巻の書写を終えた。なお、「七巻ヲ書写」とあるが法華経は現行の形式で全八巻二十八品。しかし当時は「七巻二十七品」だった。「提婆達多品」は後に付け加えられたもの。内容に目を通せばわかるように、近現代から見れば「法華経」は古代の宗教思想にありがちな徹底した男尊女卑思想に貫かれている。それがなぜか「提婆達多品」は「悪人成仏・女人済度」といった後世のヒューマニズム思想を思わせる異質なエピソードが盛り込まれている。ともかく、この説話翻訳当時は「提婆達多品」を除く「七巻二十七品」が正しいとされていたらしい。

「其ノ室ノ壁ニ穴ヲ開(あけ)テ、竹ノ筒ヲ通(つう)ジテ、書ク者ノ息ヲ出(いだ)サムト思フ時ニハ、其ノ穴ヨリゾ出(いだ)サセケル。如此(かくのごと)ク清浄(しやうじやう)ニシテ法ノ如ク書写シ奉ル間、八箇年ノ間ニ七巻ヲ書写シ奉リ畢(をはり)ヌ」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第七・第十八・P.120」岩波書店)

尼は出来立てほやほやの書写を心を込めて仏に捧げ、大切に供養・礼拝した。一方、竜門(りうもん)という寺に法端(ほふたん)という名の僧侶がいた。竜門(りうもん)は山西省河津県(河津市)辺りの寺だろうとされるが特定はもはや不可能。法端(ほふたん)は尼でなく男性僧侶。自分の寺に大勢の門徒を集めて大々的に法華経を講義して見せてやろうと目論んだ。そこで立派な経典を用意したいと思い、河東の尼が八年がかりで書写させたという噂の法華経を借りようと依頼した。しかし尼は頑固に断った。尼には尼の苦労があり出費したのはそもそも自分なので、そう簡単に「はいそうですか、ではどうぞ」と貸し出すほどお人好しではない。

「而(しか)ル間、竜門(りうもん)ト云フ寺ニ法端(ほふたん)ト云フ僧有リ。其ノ寺ニシテ大衆(だいしゆ)ヲ集メテ法花経ヲ講ゼムト為(す)ルニ、彼ノ尼ノ受持(じゆぢ)シ奉ル所ノ経ヲ借(かり)テ講ジ奉ラムト思(おもひ)テ、法端、尼ニ此ノ経ヲ借(か)ルニ、尼強(あながち)ニ惜(をしみ)テ法端ニ不与(あたへ)ズ」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第七・第十八・P.121」岩波書店)

一方の法端は「そこを何とか」と懸命に食い下がった。すると尼の側が根負けしてしぶしぶではあるものの経典を貸し出すことにした。ただし法端の使いの者には渡さず自ら法端の寺まで出向いて行き、直接手渡して帰ってきた。

「法端可借(かるべ)キ由ヲ懃(ねんごろ)ニ責メ云フ時ニ、尼憖(なまじひ)ニ借サムト思フ心出来(いでき)テ、其ノ使ニハ不与(あたへ)ズシテ、自(みづ)カラ持(もち)テ竜門ニ行(ゆき)テ、経ヲ法端ニ与ヘテ本ノ所ニ還(かへり)ヌ」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第七・第十八・P.121」岩波書店)

法端は大喜びで盛大に門徒を集め、さあこれから講義して進ぜようと経典を開いてみると、ただ単なる黄麻紙が束ねられているばかり。文字一つ見当たらない。これはどうしたことかと七巻全部開いてみたが、どこにも何一つ書かれていない。一文字たりとも消え失せてしまっている。門徒らにも見せたところみんな文字一つ見つけることができない。法端はもとより集まった大勢の門徒らも何か不吉なものを感じ取り、せっかく借りた経典だがもとの尼のところへ送り返して差し上げた。

「法端、経ヲ得テ喜(よろこび)テ大衆(だいしゆ)ヲ集メテ経ヲ講ゼムトス。経巻ヲ開(ひらき)テ見奉ルニ、只黄ナル紙許(ばかり)有(あり)テ文字一(ひとつ)モ不在(ましまさ)ズ。此レヲ見テ怪(あやしび)テ、亦、他ノ経ヲ開(ひらき)テ見奉ニル、只前(さき)ノ巻ノ如シ。七巻乍(なが)ラ同(おなじ)クシテ文字一字不在(ましまさ)ズ。法端、奇異ノ思ヒヲ成シテ大衆ニ令見(みし)ム。大衆(だいしゆ)此レヲ見ルニ、皆、法端ガ見ルガ如シ。其ノ時ニ、法端幷(ならびに)大衆等、怖レ恥(はぢ)て、経ヲ尼ノ許(もと)ニ返シ送リ奉リツ」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第七・第十八・P.121」岩波書店)

尼が送り返されてきたお経を開いてみると、そこには八年かけて書写させたはずの文言が一つもない。後悔してもしきれない心境で一杯になり思わず泣き出してしまった。とはいえ、どれほど泣いて悔やんでみたところで何がどうなるものでもない。法端の目立ちたがりな名誉欲だけでなく、一方の尼も経典の貸し渋りで応じている。また、法華経を書写したのは書の専門家であって自分で書写したわけではなく、見栄えを気にして立派なものに仕立てようと金銭で経文を買ったわけであり、欲望の浅ましさという点では法端と尼とは五十歩百歩。

「尼、此レヲ見テ泣キ悲(かなしみ)テ、借セル事ヲ悔ヒ思フト云ヘドモ、更ニ益(やく)無シ」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第七・第十八・P.121」岩波書店)

尼は気持ちを持ち直し、書の専門家に命じたように今度は自分が精進潔斎し、花を降らせ香を焚きしめ、休憩も取らず仏の前をぐるぐる廻る修行に励むこと七日七夜、誠心誠意祈りを捧げた。七日を過ぎて経典を開いてみると、経典の文字は元通りに復活していた。尼はそのありがたさに仏の前で涙しつつ礼拝差し上げた。ちなみに法端の名前は出てくるものの尼の名前は見当たらない。脚注によれば出典「冥報記」の末尾のそのまた割注に、「尼の名前は忘れ去られた」、とあるようだ。

「其ノ時ニ、尼、泣々(なくな)ク香水(かうすい)ヲ以テ経ノ箱ヲ灌(そそ)キ、自(みづ)カラ沐浴(もくよく)シテ経ヲ戴キ奉テ、花ヲ散(ちら)シ香ヲ焼(たき)テ仏ヲ廻(めぐ)リ奉ル事七日七夜、暫クモ息(やす)ム事無クシテ、誠ノ心ヲ至シテ此ノ事ヲ祈請(きしやう)ス。其ノ後、経ヲ開(ひらき)テ見奉ルニ、文字、本ノ如ク顕(あらは)レ給ヘリ」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第七・第十八・P.121」岩波書店)

さて。ここでは貨幣・言語・欲望という極めて社会的な要素が出揃っている。第一に貨幣と言語(書写)との交換。第二に法端の門徒獲得欲望と尼の貸し渋り欲望という二つの自己顕示欲の等価性。第三に復活した経典の文字だが、この説話で注目すべき点は、法華経の解釈では《ない》。ここでの文字はシニフィアン(意味するもの)でしかなく、シニフィエ(意味されるもの・内容)は、二人とも欲望に敗北した「自称-修行者」に過ぎないという《見せしめ》にある。それに気づいたことで始めて二人とも教える側としての宗教者は存在意義を持つという《価値》こそ「今昔物語」というフィルターを通して浮上する構造が見て取れるに違いない。

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