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白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

熊楠による熊野案内/韓(かん)ノ伯瑜(はくゆ)と母子家庭

2021年06月19日 | 日記・エッセイ・コラム
前回同様、粘菌特有の変態性、さらに貨幣特有の変態性とを参照。続き。

宗の時代、韓(かん)ノ伯瑜(はくゆ)という男性がいた。幼児の頃に父を亡くし、その後はずっと母に育てられた。母は再婚していない。だから母が亡き父の役割も兼ねる母子家庭。

伯瑜(はくゆ)はいつも母に気を使い大切に扱っていた。父がいないぶん母は息子の伯瑜を厳しく育てようと、伯瑜がほんの少しでも過失を犯すたびに怒りを露わにして杖で伯瑜を打ち据え責め苛(さいな)んだ。伯瑜は杖で殴られるたびに激痛を感じたが、心の内一つにおさめて泣こうとはしなかった。伯瑜の家ではいつものことだった。

「然レバ、母ト共ニ家ニ有テ、懃(ねむごろ)ニ母ヲ養フ間、伯瑜、少シノ過(とが)有ル時ニハ、母嗔(いかりテ、杖ヲ以テ伯瑜ヲ打(うち)テ呵嘖(かしやく)ス。伯瑜、杖ヲ負(お)フニ、身痛シト云ヘドモ、心ニ忍(そのび)テ泣ク事無シ。此レ、常ノ事也」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第九・第十一・P.194」岩波書店)

何十年かが過ぎた。だが母は既にずいぶんの老体。体の衰えは激しい。とはいえ母の態度はあいかわらず厳しい。何か伯瑜が間違いを犯すたびに伯瑜が幼かった頃と同様、杖を振るって打ち据えた。だが伯瑜は少しも痛みを感じない。伯瑜は思わず泣き出してしまった。

「而(しか)ル間、母既ニ年老ヒ身衰ヘテ後(のち)、伯瑜ヲ打ツ時ニ、痛キ事無シ。而ルニ、伯瑜、杖ヲ負(おひ)テ泣ク」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第九・第十一・P.194」岩波書店)

不審に思った母は伯瑜に尋ねた。「これまで何十年もの間、お前が何か過ちを犯すたびに杖で打ち据え責め苛んできた。それでもお前はけっして泣くようなことはなかった。それが今になって泣くとはどういうわけなのか」。

「我レ、年来(としごろ)、常ニ汝ヲ打ツニ、杖ヲ負(おふ)ト云ヘドモ汝(なむ)ヂ泣ク事無カリツ。而ルニ今、何ゾ我ガ杖ヲ受ケテ泣クゾ」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第九・第十一・P.194~195」岩波書店)

伯瑜は答えた。「以前はお母さんによく杖でぶん殴られたものです。とても痛かったのですが我慢して決して泣くまいとじっと耐えていました。でも最近は杖で殴られても一向に痛いと思わず、何年も前のことを思い返すと全然違います。お母さんはもうこんなに年老いて体力もここまで衰えたかと思わず泣いてしまいました」。

「年来(としごろ)ハ我レ、君ノ杖ヲ負(おふ)ニ、身痛シト云ヘドモ、能(よ)ク心ニ忍(しのび)テ、泣ク事無(なか)リツ。而ルニ、今日ノ杖ヲ負ニ、杖ノ当ル所不強(つよから)ズシテ、年来ニ不似(に)ズ。此レ、母ノ年老(おい)テ力ノ衰ヘテ弱ク成レルガ故也ト思(おもふ)ガ悲キニ依(より)テ泣ク也」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第九・第十一・P.195」岩波書店)

さて。第一に冒頭部分で既に「債権・債務」の観念がいかに転移したかが述べられている。伯瑜の母は父の役割をも同時に演じなければならないと思い込んでいる。早く父が死んだぶん幼少期の伯瑜を育てるに当たり、母は杖を振るって伯瑜をぶん殴る。男親ならこうするに違いないという処罰的行為を無意識のうちに息子に振り向ける。もっとも、どの家庭でもそうだとは限らない。他の説話にはその逆のケースが幾らも出てくる。しかし伯瑜の母はそうする。勘違いに等しい。だが当時の教育道徳はそういうものだと信じられていたため、勘違いであるにもかかわらず、母は勘違いが勘違いに見えない環境の中にすっかり包み込まれてしまっており信じて疑っていない。ニーチェはいう。

「私たちは、後を追って継起する規則的なものに馴れきってしまったので、《そこにある不思議なものを不思議がらないのである》」(ニーチェ「権力への意志・下巻・六二〇・P.153」ちくま学芸文庫)

明らかに過剰な処罰と言うべきだが、しかしなぜ母はそうするのか。息子の過失に対する処罰的態度。それは家庭内で起こっていることであり、伯瑜の母とてなんの理由もなく家の外へ向けて攻撃本能を剥き出しにするわけではない。すると「外へ向けて放出されないすべての本能は《内へ向けられる》」。

「外へ向けて放出されないすべての本能は《内へ向けられる》ーーー私が人間の《内面化》と呼ぶところのものはこれである。後に人間の『魂』と呼ばれるようになったものは、このようにして初めて人間に生じてくる。当初は二枚の皮の間に張られたみたいに薄いものだったあの内的世界の全体は、人間の外への放(は)け口が《堰き止められて》しまうと、それだけいよいよ分化し拡大して、深さと広さとを得てきた。国家的体制が古い自由の諸本能から自己を防衛するために築いたあの恐るべき防堡ーーーわけても刑罰がこの防堡の一つだーーーは、粗野で自由で漂泊的な人間のあの諸本能に悉く廻れ右をさせ、それらを《人間自身の方へ》向かわせた。敵意・残忍、迫害や襲撃や変革や破壊の悦び、ーーーこれらの本能がすべてその所有者の方へ向きを変えること、《これこそ》『良心の疚しさ』の起源である」(ニーチェ「道徳の系譜・第二論文・十六・P.99」岩波文庫)

ここで問題になってくる「風習・慣習」とは何か。

「風習とはしかし行為と評価の《慣習的な》方式である。慣習の命令が全くない事物には、倫理もまったくない。そして生活が慣習によって規定されることが少なければ少ないだけ、それだけ一層倫理の範囲は小さくなる。自由な人間はあらゆる点で自分に依存し、慣習に依存しないことを《望む》から、非倫理的である。人類のすべての原始的な状態にあっては、『悪い』ということは、『個人的』、『自由な』、『勝手な』、『慣れていない』、『予測がつかない』、『測りがたい』というほどのことを意味している。そのような状態の尺度でいつも測られるので、ある行為が、慣習が命令するからでは《なくて》、別な動機(たとえば個人的な利益のために)、それどころか、かつてその慣習を基礎づけていたまさにその動機自身からなされるときですら、その行為は非倫理的と呼ばれ、その行為をする者からさえそう感じられる。なぜなら、その行為は慣習に対する服従から行なわれたのではないからである。慣習とは何か?それは、われわれにとって《利益になるもの》を命令するからではなくて、《命令する》という理由のためにわれわれが服従する、高度の権威のことである」(ニーチェ「曙光・九・P.25」ちくま学芸文庫)

そのような「風習・慣習」が根本的条件となり、過剰かつ逸脱した母の処罰的行為をじっと耐え忍ぶほかない伯瑜。

「《幼年時代の悲劇》。ーーー貴い高いものを追求する人々がもっとも烈しい闘いを幼年時代に切り抜けなくてはならないということは、おそらくまれではあるまい、たとえば彼らは考えの卑しい、みかけや虚偽におぼれている父親にさからって自分の意向を貫き徹さなくてはならない、またはバイロン卿のように、子どもっぽい起りっぽい母親とたえず闘って生きるとかいうぐあいにして。そういう体験をしてしまうと、彼にとって一体もっとも大きな、もっとも危険な敵はだれであったか、を思い知るという痛手は、その生涯を通じて忘れることがないであろう」(ニーチェ「人間的、あまりに人間的1・四二二・P.367」ちくま学芸文庫)

こうして伯瑜の心身に刻み込まれた杖の痛み。数十年後、それは今度、老いて力の衰えた老母が振るう杖の強度と比較される。その瞬間、伯瑜の心身は転倒する。伯瑜の目から思わず涙がこぼれ落ちた。どれほど杖でぶん殴られても痛くも痒くもない。数十年の間に母の力がどれほど衰弱していたか。その衰弱の度が激しければ激しいほど、伯瑜の涙はとめどもなく流れ落ちる。従って「母の衰弱度」=「伯瑜の涙の量」または「母の衰弱度は伯瑜の涙の量に値する」という公式が得られる。

なお、家族のあり方はどのようなものであってもよい。しかしそれは「制度化」されるや否や地獄の様相を呈することが少なくない。

「家庭は欲望の生産の中に導入されて、最も幼いころから欲望のおきかえを⦅つまり信じられないような欲望の抑圧を⦆操作することになる。家庭は、社会的生産によって、抑圧に派遣されるのである。ところで、家庭がこうして欲望の登録の中にすべりこむことができるのは、先にみたように、この登録が行われる器官なき身体が既に自分自身において欲望する生産に対する《根源的な抑圧》を行使しているからである。この根源的な抑圧を利用してこれに《いわゆる二次的な抑圧》を重ねることが、家庭の仕事なのである。この二次的な抑圧は、家庭に委托されているのだとも、あるいは家庭がこの抑圧に派遣されているのだともいってもいい。(精神分析は、この一次、二次の二つの抑圧の間の相違をいみじくも指摘したが、しかしこの相違の有効範囲とこの両抑圧の体制の区別を示すには至っていない)。したがって、いわゆる抑圧は、実在する欲望する生産を抑圧することに満足せず、この抑圧されたものに、みかけのおきかえられたイマージュを与えて、家庭的登録をもって欲望の登録の代りとしてしまうことになる。欲望する生産の集合が、周知のオイディプス的形象をとることになるのは、この欲望する生産が家庭的に翻訳されている場合でしかないのだ。つまり、<背信の翻訳>の場合でしかない」(ドゥルーズ&ガタリ「アンチ・オイディプス・第二章・P.151~152」河出書房新社)

かつて石川啄木はこう詠んだ。

「たはむれに母(はは)を背負(せお)ひて
そのあまり輕(かろ)きに泣(な)きて
三歩(さんぽ)あゆまず」(「我を愛する歌」『啄木歌集・P.13』岩波文庫)

ところが今の日本ではそのような現実はもはや遠い昔の話であって、「現実的でない」、と口にする政党党首まで出てきたらしい。

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