シャーマニズムが信じられていた古代世界。世界中の事例を網羅したエリアーデの著作・「世界宗教史」は有名で邦訳もされているが、エリアーデの場合、古代中国に関して述べた箇所はほんの僅か。しかし日本神話(古事記・日本書紀)を読もうとすると、仏教定着以前の古代中国で盛んに行われていたシャーマニズム関連祭祀に関する多大な影響を見逃すことは不可能。そこで紀元前三世紀から紀元前三年頃成立と考えられる「楚辞」の中に見られる古代中国のシャーマニズム的「啓示」はどのような形態で出現したか、その点を少しばかり見ておきたいと思う。
古代ギリシア・中央アジア・北方アジア・南北アメリカの先住民の間で受け継がれてきた祭祀に伴うトランス状態の中で出現する《神の来臨》並びに「恐怖と啓示」。「楚辞」の時代の古代中国も例外ではない。
「跪敷衽以陳辭兮 耿吾既得此中正
(書き下し)跪(ひざまず)きて衽(じん)を敷(し)き以(も)って辞(じ)を陳(の)ぶれば 耿(こう)として吾(われ) 既(すで)に此(こ)の中正(ちゅうせい)を得(え)たり」
(現代語訳)ひざまずき、深く身をかがめて、舜帝(しゅんてい)への言葉を申し上げると 〔舜帝の神意として〕はっきりと、わたしが正しいとする確信が得られた」(「楚辞・離騒 第一・P.60」岩波文庫)
ここで「耿吾既得此中正」=「〔舜帝の神意として〕はっきりと、わたしが正しいとする確信が得られた」といったような瞬間。トランス状態というよりエクスタシー体験に近いというべきか。
「百神翳其備降兮 九嶷繽其竝迎 皇剡剡其揚靈兮 告余以吉故
(書き下し)百神(ひゃくしん)翳(おお)いて其(そ)れ備(とも)に降(くだ)り 九嶷(きゅうぎ)繽として其(そ)れ並(なら)び迎(むか)う 皇剡剡(こうえんえん)として其(そ)れ霊(れい)を揚(あ)げ 余(われ)を告(つ)ぐるに吉故(きつこ)を以(も)ってす
(現代語訳)〔巫咸に従う〕多くの神々が、空を覆わんばかりにして、そろって降下し九嶷山(きゅうぎさん)の神々は、みんなして、それを迎えた 〔巫咸は〕きらきらと輝きつつ、その霊能を発揮すると わたしに、新しい出発が吉であると告げた」(「楚辞・離騒 第一・P.83~84」岩波文庫)
何か瞬時に脳裏に「閃く」ものを感じた場合、「皇剡剡其揚靈」=「皇剡剡(こうえんえん)として其(そ)れ霊(れい)を揚(あ)げ」=「〔巫咸は〕きらきらと輝きつつ、その霊能を発揮する」となる。それが難解に思えるのは多分「揚靈」=「霊(れい)を揚(あ)げ」るというのはどういう状態を意味しているのかということだろう。簡単に書けば「!」といった感じ。もっと俗世間でよくある事例を用いるとすれば、或る日の夜に夫が帰宅したのを見た妻が「今日は遅かったわね?」と何気なく聞いただけであるにもかかわらず夫の態度に常とは明らかに異なる反応が見られた場合、<ーーー浮気?!>と直感的なものが脳裏をかすめるようなケースと似た確信を伴う感覚。
「靈偃蹇兮姣服 芳菲菲兮滿堂
(書き下し)霊(れい) 偃蹇(えんけん)として姣服(こうふく)し 芳(かお)り 菲菲(ひひ)として堂(どう)に満(み)つ
(現代語訳)神が憑依した巫女は、気高くも、身に着けた服飾をきらきらと輝かせ 芳香が建物いっぱいに広がる」(「楚辞・九歌 第二・P.111~112」岩波文庫)
ポピュラーなパターンの一つ。「靈偃蹇兮姣服」=「神が憑依した巫女は、気高くも、身に着けた服飾をきらきらと輝かせ」。また「芳菲菲兮滿堂」=「芳香が建物いっぱいに広がる」は、古代のみならず今なお世界各地で、なおかつ文章の見た目は異なるけれども実際は無数の宗教で採用されているステレオタイプ(常套句)表現。
「望涔陽兮極浦 横大江兮揚靈
(書き下し)涔陽(しんよう)の極浦(きょくほ)を望(のぞ)み 大江(たいこう)に横(よこた)わりて霊(れい)を揚(あ)ぐ
(現代語訳)涔陽(しんよう)の岸辺をはるかに望みやる位置で 〔男巫は〕大江の中央に舟を留めて、霊(れい)を揚げた」(「楚辞・九歌 第二・P.120~123」岩波文庫)
ここでも「揚靈」=「霊(れい)を揚げた」との字句が見える。瞬時の「閃き」に等しい。しばしば失神状態を伴う。ドストエフスキーは「てんかん」を患っていたが、その時の様子を文章に書き留めている。
「彼はさまざまな物思いにふけるうちに、こんなことを考えてみたのであった。すなわち、自分の癲癇(てんかん)に近い精神状態には一つの段階があり(もっとも、それは意識のさめているときに発作がおこった場合にかぎっていたが)、それは発作のほとんど直前で、憂鬱と精神的暗黒と胸苦(むなぐる)しさの最中に、ふいに脳髄がぱっと炎でも上げるように燃えあがり、ありとあらゆる彼の生活力が一時にものすごい勢いで緊張するのである。自分が生きているという感覚や自意識が稲妻のように一瞬間だけ、ほとんど十倍にも増大するのだ。その間、知恵と感情はこの世のものとも思えぬ光によって照らしだされ、あらゆる憤激、あらゆる疑惑、あらゆる不安は、まるで一時にしずまったようになり、調和にみちた歓喜と希望のあふれる神聖な境地へ、解放されてしまうのだ。しかし、この数秒は、この光輝は、発作がはじまる最後の一秒(決して一秒より長くない)の予感にすぎず、この一秒は、むろん、耐えがたいものであった。彼は健康な状態に戻ってから、この一瞬のことをいろいろと考えてみて、よくひとり言を言うのであった。この尊い自覚と自意識の、つまり、《至高の実在》の稲妻とひらめきは、要するに一種の病気であり、正常な状態の破壊にすぎないのではなかろうか。もしそうであるならば、これは決して至高な実在どころではなく、かえって最も低劣なものに数えられるべきものではなかろうか。彼はそう考えながらも、やはり最後には、きわめて逆説的な結論に到達したのであった。《これが病気だとしても、それがどうしたというのだ?》とうとう彼はこんなふうに断定した。《もしこれが異常な精神の緊張であろうとも、それがいったいどうしたというのだ?もし結果そのものが、健全なときに思いだされ、仔細(しさい)に点検してみても、その感覚の一瞬が依然として至高の調和であり、美であることが判明し、しかもいままで耳にすることも想像することもなかったような充実、リズム、融和、および最高の生の総合の高められた祈りの気持に似た法悦を与えてくれるならば、そんなことは問題外である!》この漠然(ばくぜん)とした表現は、まだあまりにも弱いものであったが、彼自身にはまったく明らかなものに思われた。いずれにしても、それが真に《美であり祈りである》ことを、また《至高なる生の総合》であるということについては、彼もまったく疑うことができなかった」(ドストエフスキー「白痴・上・第二編・P.419~420」新潮文庫)
「それにつづいて突然、何かしらあるものが彼の眼の前に展開したみたいだった。並々ならぬ《内なる》光が彼の魂を照らしだしたのであった。こうした瞬間が、おそらく、半秒くらいもつづいたであろうか。しかし、彼は胸の底から自然にほとばしり出て、いかなる力をもってしてもおさえることのできない恐ろしい悲鳴の最初のひびきを、はっきりと意識的に覚えていた。つづいて彼の意識は一瞬にして消え、まったくの暗闇(くらやみ)が襲ってきたのであった。もうかなり長いことなかった癲癇(てんかん)の発作がおこったのである。癲癇の発作というものは、とくに《ひきつけ》癲癇の場合は、周知のように、その瞬間には急に顔面が、とりわけ眼つきがものすごくゆがんでしまう。痙攣(けいれん)とひきつけが全身と顔面の筋肉を支配して、恐ろしい、想像もつかない、なんともたとえようもない悲鳴が、胸の底からほとばしり出る。この悲鳴のなかにすべての人間らしさがすっかり消えうせて、そばで見ている者にとっても、これが当の同じ人間の叫び声だと想像することも、また考えることもまったく不可能である。いや、少なくとも非常に困難である。まるでその人間の内部には誰か別の人間がいて、その人が叫んでいる声のようにさえ思われる。少なくとも大多数の人は、このように自分の印象を説明している」(ドストエフスキー「白痴・上・第二編・P.435」新潮文庫)
「ある数秒間がある、ーーーそれは一度にせいぜい五秒か六秒しかつづかないが、そのときだしぬけに、完全に自分のものとなった永久調和の訪れが実感されるんだよ。これは地上のものじゃない。といって、なにも天上のものだと言うのじゃなくて、地上の姿のままの人間には耐えきれないという意味なんだ。肉体的に変化するか、でなければ死んでしまうしかない。これは明晰(めいせき)で、争う余地のない感覚なんだ。ふいに全自然界が実感されて、思わず、『しかし、そは正し』と口をついて出てくる。神は、天地の創造にあたって、その創造の一日が終るごとに、『しかり、そは善(よ)し』と言った。これはーーー感激というのではなくて、なんというか、おのずからなる喜びなんだね。人は何を赦すこともしない、というのはもう赦すべきものが何もないからだ。人は愛するのでもない、おおーーーそれはもう愛以上だ!何より恐ろしいのは、それがすさまじいばかり明晰で、すばらしい喜びであることなんだ。もし五秒以上もつづいたらーーー魂がもちきれなくて、消滅しなければならないだろう。この五秒間にぼくは一つの生を生きるんだ。この五秒間のためになら、ぼくは全人生を投げ出しても惜しくはない、それだけの値打ちがあるんだよ。十秒間もちこたえるためには、肉体的な変化が必要だ」(ドストエフスキー「悪霊・下・第三部・第五章・5・P.395」新潮文庫)
日本では精神科医の木村敏がドストエフスキーを取り上げて論じているように「てんかん」患者特有のものとして記述されているが、木村敏自身、このような状態に陥る人々は何も「てんかん」患者にのみ見られる事例に限られたものではなく、「てんかん」患者以外の人々の間でも時折り見受けられる症状だということを前提に述べている傾向がある。実際のところ、或る種の統合失調者の場合にはよくある。例えば長期間に渡る不眠の後、目の前で強烈な光が炸裂したと思って朝起きてみると、「自分は神になった」といって家族らの前で語り始めるようなケース。しかしその種の神には患者が生まれ育った地域性や社会環境が色濃く反映される。キリスト教圏ではイエス・キリストが圧倒的に多い。さらに歴史的有名人はざらに出てくる。昨今では人気漫画・シリーズものの映画の登場人物など。
「洞庭波兮木葉下
(書き下し)洞庭(どうてい) 波(なみ)だちて、木葉(もくよう) 下(くだ)る
(現代語訳)洞庭湖(どうていこ)は波立って、木々は盛んに落葉する」(「楚辞・九歌 第二・P.129~132」岩波文庫)
洞庭湖(どうていこ)は有名な観光地だが、特に洞庭湖でなくてはならないという意味ではなく、注目すべきは「波(なみ)だちて」の部分。これといって強風が吹き荒れているわけでもなく、これから強風や暴風雨がやって来るわけでもないのに、なぜか「波立って」いる様子。さらに「風」は古代人の世界観に「神」と通じるための根拠として捉えられていた様子が伺える。例えば古代インド。
「1 長髪者(ケーシン)は火を、長髪者は毒を、長髪者は天地両界を担う。長髪者は万有を〔担う〕、〔そが〕太陽を見んがために。長髪者はこの光明と称せらる。
2 風を帯びとする(無帯すなわち裸体の)苦行者(ムニ)たちは、褐色にして垢を〔衣服として〕纏(まと)う。彼らは風の疾風に従いて行く、神々が彼らの中に入りたるとき。
3 (苦行者の言葉)苦行者たることにより忘我の境に達し、われらは風に乗りたり(風を乗物とする)。汝ら人間はわれらの形骸のみを眺む。
4 彼(苦行者)は空界を通りて飛ぶ、一切の形態を見おろしつつ。苦行者はおのおのの神の愛すべき友なり、善き行為〔の遂行〕のために。
5 風の乗馬にして(風と共に走る)、ヴァーユ(風神)の友、しかして苦行者は神々により派遣せらる。彼は両洋に住む、東なる〔海〕と西なる〔海〕とに(神通力)。
6 アプサラスたち(水の精女)、ガンダルヴァたち(その配偶)、野獣の足跡を歩みつつ、長髪者は〔彼らの〕意図を知り、甘美にして最も魅力ある友なり。
7 ヴァーユは彼(苦行者)のため〔薬〕を攪拌(こうはん)せり。クナンナマーは〔そを〕粉末にせり。長髪者がルドラと共に毒の皿より飲みたるとき」(「リグ・ヴェーダ讃歌・10-136・P.336」岩波文庫)
「九嶷繽兮竝迎 靈之來兮如雲
(書き下し)九嶷(きゅうぎ) 繽(ひん)として並(なら)び迎(むか)え 霊(れい)の来(き)たること雲(くも)の如(ごと)し
(現代語訳)九嶷(きゅうぎ)の山から、神々が入り乱れて、湘夫人を迎えにやって来て 神々が群がり来るさまは、あたかも雲がわだかまるようだ」(「楚辞・九歌 第二・P.131~135」岩波文庫)
この箇所は「靈之來兮如雲」とあるように、「神々が群がり来るさま」とは一体どのような様子なのかを説明するため、雲が黒々とした層を成して見る見るうちに湧き上がってくる時の様相に喩えた。
「與女遊兮九河 衝風至兮水揚波
(書き下し)女(なんじ)と九河(きゅうか)に遊べば 衝風(しょうふう) 至(いた)りて、水(みず) 波(なみ)を揚(あ)ぐ
(現代語訳)おまえ(少司命がいとおしむ女神)といっしょに九河(きゅうか)に来てみると 強い風がやって来て、川面は波立つ」(「楚辞・九歌 第二・P.146~148」岩波文庫)
衝風(しょうふう)は強風。風は乗り物でもある。風に乗って天に昇るという世界観はまさしくシャーマニズム的といえよう。
「羌聲色兮娛人 觀者憺兮忘歸
(書き下し)羌(ああ) 声色(せいしょく)の人(ひと)を娯(たの)しましむ 観(み)る者(もの) 憺(たん)として帰(かえ)るを忘(わす)る
(現代語訳)ああ、音楽と美人たちの舞いとが人の心を魅了することよ それを観る者たちは、時間を忘失し、帰ることを忘れてしまう」(「楚辞・九歌 第二・P.151~153」岩波文庫)
トランス状態の特徴の一つに「忘我」が上げられる。だからこの箇所では「觀者憺兮忘歸」=「時間を忘失し、帰ることを忘れてしまう」というエクスタシー体験が神とのコミュニケーションの顕現と見なされている。また「花・香」だけでなく「聲」=「音楽」の出現も忘れてはならないだろう。
「留靈脩兮憺忘歸
(書き下し)霊脩(れいしゅう)を留(とど)めて、憺(たん)として帰(かえ)るを忘(わす)れしめん
(現代語訳)霊脩(れいしゅう)=あの方を引き留めて満足させ、帰ることを忘れさせるつもり」(「楚辞・九歌 第二・P.162~164」岩波文庫)
これも「憺忘歸」が「忘我」の状態を意味している。けれどももう一つ大事な点として「霊脩(れいしゅう)」とあること。文脈に従う限り、「霊脩(れいしゅう)」は「神・天帝・主君」といった天空の神=シャーマン的支配者を意味する言葉として用いられている。「離騒 第一」に出てくる「字余曰靈均」の「靈均(れいきん)」も同様。漢文学では「霊子(れいし)」と書いてシャーマンを指す。
「啓棘賓商 九辯九歌
(書き下し)啓(けい) 商〔帝(てい)〕に棘(しば)しば賓(ひん)し、九辯(きゅうべん)と九歌(きゅうか)あり
(現代語訳)啓は、天帝のもとにしばしば招かれ、天上で九辯(きゅうべん)と九歌(きゅうか)との楽曲を手に入れた」(「楚辞・天問 第三・P.200」岩波文庫)
商〔帝(てい)〕としてあるのは「啓棘賓商」に「商」とあるけれども、それはおそらく書き損じであり、ここでは「帝」=「天帝」が正解としか考えられないためだろう。啓は天帝の招きを受けて「九辯九歌」を手に入れたという説話。「山海経」にも同じ文面が見られる。
「名は夏后開(啓)。開は三人の女官を天帝にたてまつり、九弁と九歌(楽名)を手に入れて(天から)かえった」(「山海経・第十六・大荒西経・P.165」平凡社ライブラリー)
ちなみに「山鬼(さんき)」について。山鬼(さんき)は「神・天帝」ではないが、ギリシア神話でいう「ニンフ」。河・泉・山・谷・樹木などの「精霊」。ここではその中でも若い女性だろう。霊脩(れいしゅう)に心を寄せ、馬車で駆けつける場面がある。
「乗赤豹兮從文狸 辛夷車兮結桂旗
(書き下し)赤豹(せきひょう)に乗(の)り、文狸(ぶんり)を従(したが)え 辛夷(しんい)の車(くるま)に桂旗(けいき)を結(むす)ぶ
(現代語訳)赤毛の豹に牽かせた車に乗り、まだら紋様の山猫を従え 辛夷(こぶし)の馬車には、桂(かつら)の枝を旗として結びつける」(「楚辞・九歌 第二・P.161~164」岩波文庫)
赤い豹が牽引する車に乗っている。ところで若い女性の「山鬼(さんき)」=「ニンフ・精霊」の従者として一緒に駆けてくるのが何と「猫」。漢文に「狸」とあるだけなので当り前のように狸(たぬき)だとばかり思っていたが、脚注によれば、狸は山猫のことらしい。古くは狸の一類に猫が編入されていたとのこと。
BGM1
BGM2
BGM3
古代ギリシア・中央アジア・北方アジア・南北アメリカの先住民の間で受け継がれてきた祭祀に伴うトランス状態の中で出現する《神の来臨》並びに「恐怖と啓示」。「楚辞」の時代の古代中国も例外ではない。
「跪敷衽以陳辭兮 耿吾既得此中正
(書き下し)跪(ひざまず)きて衽(じん)を敷(し)き以(も)って辞(じ)を陳(の)ぶれば 耿(こう)として吾(われ) 既(すで)に此(こ)の中正(ちゅうせい)を得(え)たり」
(現代語訳)ひざまずき、深く身をかがめて、舜帝(しゅんてい)への言葉を申し上げると 〔舜帝の神意として〕はっきりと、わたしが正しいとする確信が得られた」(「楚辞・離騒 第一・P.60」岩波文庫)
ここで「耿吾既得此中正」=「〔舜帝の神意として〕はっきりと、わたしが正しいとする確信が得られた」といったような瞬間。トランス状態というよりエクスタシー体験に近いというべきか。
「百神翳其備降兮 九嶷繽其竝迎 皇剡剡其揚靈兮 告余以吉故
(書き下し)百神(ひゃくしん)翳(おお)いて其(そ)れ備(とも)に降(くだ)り 九嶷(きゅうぎ)繽として其(そ)れ並(なら)び迎(むか)う 皇剡剡(こうえんえん)として其(そ)れ霊(れい)を揚(あ)げ 余(われ)を告(つ)ぐるに吉故(きつこ)を以(も)ってす
(現代語訳)〔巫咸に従う〕多くの神々が、空を覆わんばかりにして、そろって降下し九嶷山(きゅうぎさん)の神々は、みんなして、それを迎えた 〔巫咸は〕きらきらと輝きつつ、その霊能を発揮すると わたしに、新しい出発が吉であると告げた」(「楚辞・離騒 第一・P.83~84」岩波文庫)
何か瞬時に脳裏に「閃く」ものを感じた場合、「皇剡剡其揚靈」=「皇剡剡(こうえんえん)として其(そ)れ霊(れい)を揚(あ)げ」=「〔巫咸は〕きらきらと輝きつつ、その霊能を発揮する」となる。それが難解に思えるのは多分「揚靈」=「霊(れい)を揚(あ)げ」るというのはどういう状態を意味しているのかということだろう。簡単に書けば「!」といった感じ。もっと俗世間でよくある事例を用いるとすれば、或る日の夜に夫が帰宅したのを見た妻が「今日は遅かったわね?」と何気なく聞いただけであるにもかかわらず夫の態度に常とは明らかに異なる反応が見られた場合、<ーーー浮気?!>と直感的なものが脳裏をかすめるようなケースと似た確信を伴う感覚。
「靈偃蹇兮姣服 芳菲菲兮滿堂
(書き下し)霊(れい) 偃蹇(えんけん)として姣服(こうふく)し 芳(かお)り 菲菲(ひひ)として堂(どう)に満(み)つ
(現代語訳)神が憑依した巫女は、気高くも、身に着けた服飾をきらきらと輝かせ 芳香が建物いっぱいに広がる」(「楚辞・九歌 第二・P.111~112」岩波文庫)
ポピュラーなパターンの一つ。「靈偃蹇兮姣服」=「神が憑依した巫女は、気高くも、身に着けた服飾をきらきらと輝かせ」。また「芳菲菲兮滿堂」=「芳香が建物いっぱいに広がる」は、古代のみならず今なお世界各地で、なおかつ文章の見た目は異なるけれども実際は無数の宗教で採用されているステレオタイプ(常套句)表現。
「望涔陽兮極浦 横大江兮揚靈
(書き下し)涔陽(しんよう)の極浦(きょくほ)を望(のぞ)み 大江(たいこう)に横(よこた)わりて霊(れい)を揚(あ)ぐ
(現代語訳)涔陽(しんよう)の岸辺をはるかに望みやる位置で 〔男巫は〕大江の中央に舟を留めて、霊(れい)を揚げた」(「楚辞・九歌 第二・P.120~123」岩波文庫)
ここでも「揚靈」=「霊(れい)を揚げた」との字句が見える。瞬時の「閃き」に等しい。しばしば失神状態を伴う。ドストエフスキーは「てんかん」を患っていたが、その時の様子を文章に書き留めている。
「彼はさまざまな物思いにふけるうちに、こんなことを考えてみたのであった。すなわち、自分の癲癇(てんかん)に近い精神状態には一つの段階があり(もっとも、それは意識のさめているときに発作がおこった場合にかぎっていたが)、それは発作のほとんど直前で、憂鬱と精神的暗黒と胸苦(むなぐる)しさの最中に、ふいに脳髄がぱっと炎でも上げるように燃えあがり、ありとあらゆる彼の生活力が一時にものすごい勢いで緊張するのである。自分が生きているという感覚や自意識が稲妻のように一瞬間だけ、ほとんど十倍にも増大するのだ。その間、知恵と感情はこの世のものとも思えぬ光によって照らしだされ、あらゆる憤激、あらゆる疑惑、あらゆる不安は、まるで一時にしずまったようになり、調和にみちた歓喜と希望のあふれる神聖な境地へ、解放されてしまうのだ。しかし、この数秒は、この光輝は、発作がはじまる最後の一秒(決して一秒より長くない)の予感にすぎず、この一秒は、むろん、耐えがたいものであった。彼は健康な状態に戻ってから、この一瞬のことをいろいろと考えてみて、よくひとり言を言うのであった。この尊い自覚と自意識の、つまり、《至高の実在》の稲妻とひらめきは、要するに一種の病気であり、正常な状態の破壊にすぎないのではなかろうか。もしそうであるならば、これは決して至高な実在どころではなく、かえって最も低劣なものに数えられるべきものではなかろうか。彼はそう考えながらも、やはり最後には、きわめて逆説的な結論に到達したのであった。《これが病気だとしても、それがどうしたというのだ?》とうとう彼はこんなふうに断定した。《もしこれが異常な精神の緊張であろうとも、それがいったいどうしたというのだ?もし結果そのものが、健全なときに思いだされ、仔細(しさい)に点検してみても、その感覚の一瞬が依然として至高の調和であり、美であることが判明し、しかもいままで耳にすることも想像することもなかったような充実、リズム、融和、および最高の生の総合の高められた祈りの気持に似た法悦を与えてくれるならば、そんなことは問題外である!》この漠然(ばくぜん)とした表現は、まだあまりにも弱いものであったが、彼自身にはまったく明らかなものに思われた。いずれにしても、それが真に《美であり祈りである》ことを、また《至高なる生の総合》であるということについては、彼もまったく疑うことができなかった」(ドストエフスキー「白痴・上・第二編・P.419~420」新潮文庫)
「それにつづいて突然、何かしらあるものが彼の眼の前に展開したみたいだった。並々ならぬ《内なる》光が彼の魂を照らしだしたのであった。こうした瞬間が、おそらく、半秒くらいもつづいたであろうか。しかし、彼は胸の底から自然にほとばしり出て、いかなる力をもってしてもおさえることのできない恐ろしい悲鳴の最初のひびきを、はっきりと意識的に覚えていた。つづいて彼の意識は一瞬にして消え、まったくの暗闇(くらやみ)が襲ってきたのであった。もうかなり長いことなかった癲癇(てんかん)の発作がおこったのである。癲癇の発作というものは、とくに《ひきつけ》癲癇の場合は、周知のように、その瞬間には急に顔面が、とりわけ眼つきがものすごくゆがんでしまう。痙攣(けいれん)とひきつけが全身と顔面の筋肉を支配して、恐ろしい、想像もつかない、なんともたとえようもない悲鳴が、胸の底からほとばしり出る。この悲鳴のなかにすべての人間らしさがすっかり消えうせて、そばで見ている者にとっても、これが当の同じ人間の叫び声だと想像することも、また考えることもまったく不可能である。いや、少なくとも非常に困難である。まるでその人間の内部には誰か別の人間がいて、その人が叫んでいる声のようにさえ思われる。少なくとも大多数の人は、このように自分の印象を説明している」(ドストエフスキー「白痴・上・第二編・P.435」新潮文庫)
「ある数秒間がある、ーーーそれは一度にせいぜい五秒か六秒しかつづかないが、そのときだしぬけに、完全に自分のものとなった永久調和の訪れが実感されるんだよ。これは地上のものじゃない。といって、なにも天上のものだと言うのじゃなくて、地上の姿のままの人間には耐えきれないという意味なんだ。肉体的に変化するか、でなければ死んでしまうしかない。これは明晰(めいせき)で、争う余地のない感覚なんだ。ふいに全自然界が実感されて、思わず、『しかし、そは正し』と口をついて出てくる。神は、天地の創造にあたって、その創造の一日が終るごとに、『しかり、そは善(よ)し』と言った。これはーーー感激というのではなくて、なんというか、おのずからなる喜びなんだね。人は何を赦すこともしない、というのはもう赦すべきものが何もないからだ。人は愛するのでもない、おおーーーそれはもう愛以上だ!何より恐ろしいのは、それがすさまじいばかり明晰で、すばらしい喜びであることなんだ。もし五秒以上もつづいたらーーー魂がもちきれなくて、消滅しなければならないだろう。この五秒間にぼくは一つの生を生きるんだ。この五秒間のためになら、ぼくは全人生を投げ出しても惜しくはない、それだけの値打ちがあるんだよ。十秒間もちこたえるためには、肉体的な変化が必要だ」(ドストエフスキー「悪霊・下・第三部・第五章・5・P.395」新潮文庫)
日本では精神科医の木村敏がドストエフスキーを取り上げて論じているように「てんかん」患者特有のものとして記述されているが、木村敏自身、このような状態に陥る人々は何も「てんかん」患者にのみ見られる事例に限られたものではなく、「てんかん」患者以外の人々の間でも時折り見受けられる症状だということを前提に述べている傾向がある。実際のところ、或る種の統合失調者の場合にはよくある。例えば長期間に渡る不眠の後、目の前で強烈な光が炸裂したと思って朝起きてみると、「自分は神になった」といって家族らの前で語り始めるようなケース。しかしその種の神には患者が生まれ育った地域性や社会環境が色濃く反映される。キリスト教圏ではイエス・キリストが圧倒的に多い。さらに歴史的有名人はざらに出てくる。昨今では人気漫画・シリーズものの映画の登場人物など。
「洞庭波兮木葉下
(書き下し)洞庭(どうてい) 波(なみ)だちて、木葉(もくよう) 下(くだ)る
(現代語訳)洞庭湖(どうていこ)は波立って、木々は盛んに落葉する」(「楚辞・九歌 第二・P.129~132」岩波文庫)
洞庭湖(どうていこ)は有名な観光地だが、特に洞庭湖でなくてはならないという意味ではなく、注目すべきは「波(なみ)だちて」の部分。これといって強風が吹き荒れているわけでもなく、これから強風や暴風雨がやって来るわけでもないのに、なぜか「波立って」いる様子。さらに「風」は古代人の世界観に「神」と通じるための根拠として捉えられていた様子が伺える。例えば古代インド。
「1 長髪者(ケーシン)は火を、長髪者は毒を、長髪者は天地両界を担う。長髪者は万有を〔担う〕、〔そが〕太陽を見んがために。長髪者はこの光明と称せらる。
2 風を帯びとする(無帯すなわち裸体の)苦行者(ムニ)たちは、褐色にして垢を〔衣服として〕纏(まと)う。彼らは風の疾風に従いて行く、神々が彼らの中に入りたるとき。
3 (苦行者の言葉)苦行者たることにより忘我の境に達し、われらは風に乗りたり(風を乗物とする)。汝ら人間はわれらの形骸のみを眺む。
4 彼(苦行者)は空界を通りて飛ぶ、一切の形態を見おろしつつ。苦行者はおのおのの神の愛すべき友なり、善き行為〔の遂行〕のために。
5 風の乗馬にして(風と共に走る)、ヴァーユ(風神)の友、しかして苦行者は神々により派遣せらる。彼は両洋に住む、東なる〔海〕と西なる〔海〕とに(神通力)。
6 アプサラスたち(水の精女)、ガンダルヴァたち(その配偶)、野獣の足跡を歩みつつ、長髪者は〔彼らの〕意図を知り、甘美にして最も魅力ある友なり。
7 ヴァーユは彼(苦行者)のため〔薬〕を攪拌(こうはん)せり。クナンナマーは〔そを〕粉末にせり。長髪者がルドラと共に毒の皿より飲みたるとき」(「リグ・ヴェーダ讃歌・10-136・P.336」岩波文庫)
「九嶷繽兮竝迎 靈之來兮如雲
(書き下し)九嶷(きゅうぎ) 繽(ひん)として並(なら)び迎(むか)え 霊(れい)の来(き)たること雲(くも)の如(ごと)し
(現代語訳)九嶷(きゅうぎ)の山から、神々が入り乱れて、湘夫人を迎えにやって来て 神々が群がり来るさまは、あたかも雲がわだかまるようだ」(「楚辞・九歌 第二・P.131~135」岩波文庫)
この箇所は「靈之來兮如雲」とあるように、「神々が群がり来るさま」とは一体どのような様子なのかを説明するため、雲が黒々とした層を成して見る見るうちに湧き上がってくる時の様相に喩えた。
「與女遊兮九河 衝風至兮水揚波
(書き下し)女(なんじ)と九河(きゅうか)に遊べば 衝風(しょうふう) 至(いた)りて、水(みず) 波(なみ)を揚(あ)ぐ
(現代語訳)おまえ(少司命がいとおしむ女神)といっしょに九河(きゅうか)に来てみると 強い風がやって来て、川面は波立つ」(「楚辞・九歌 第二・P.146~148」岩波文庫)
衝風(しょうふう)は強風。風は乗り物でもある。風に乗って天に昇るという世界観はまさしくシャーマニズム的といえよう。
「羌聲色兮娛人 觀者憺兮忘歸
(書き下し)羌(ああ) 声色(せいしょく)の人(ひと)を娯(たの)しましむ 観(み)る者(もの) 憺(たん)として帰(かえ)るを忘(わす)る
(現代語訳)ああ、音楽と美人たちの舞いとが人の心を魅了することよ それを観る者たちは、時間を忘失し、帰ることを忘れてしまう」(「楚辞・九歌 第二・P.151~153」岩波文庫)
トランス状態の特徴の一つに「忘我」が上げられる。だからこの箇所では「觀者憺兮忘歸」=「時間を忘失し、帰ることを忘れてしまう」というエクスタシー体験が神とのコミュニケーションの顕現と見なされている。また「花・香」だけでなく「聲」=「音楽」の出現も忘れてはならないだろう。
「留靈脩兮憺忘歸
(書き下し)霊脩(れいしゅう)を留(とど)めて、憺(たん)として帰(かえ)るを忘(わす)れしめん
(現代語訳)霊脩(れいしゅう)=あの方を引き留めて満足させ、帰ることを忘れさせるつもり」(「楚辞・九歌 第二・P.162~164」岩波文庫)
これも「憺忘歸」が「忘我」の状態を意味している。けれどももう一つ大事な点として「霊脩(れいしゅう)」とあること。文脈に従う限り、「霊脩(れいしゅう)」は「神・天帝・主君」といった天空の神=シャーマン的支配者を意味する言葉として用いられている。「離騒 第一」に出てくる「字余曰靈均」の「靈均(れいきん)」も同様。漢文学では「霊子(れいし)」と書いてシャーマンを指す。
「啓棘賓商 九辯九歌
(書き下し)啓(けい) 商〔帝(てい)〕に棘(しば)しば賓(ひん)し、九辯(きゅうべん)と九歌(きゅうか)あり
(現代語訳)啓は、天帝のもとにしばしば招かれ、天上で九辯(きゅうべん)と九歌(きゅうか)との楽曲を手に入れた」(「楚辞・天問 第三・P.200」岩波文庫)
商〔帝(てい)〕としてあるのは「啓棘賓商」に「商」とあるけれども、それはおそらく書き損じであり、ここでは「帝」=「天帝」が正解としか考えられないためだろう。啓は天帝の招きを受けて「九辯九歌」を手に入れたという説話。「山海経」にも同じ文面が見られる。
「名は夏后開(啓)。開は三人の女官を天帝にたてまつり、九弁と九歌(楽名)を手に入れて(天から)かえった」(「山海経・第十六・大荒西経・P.165」平凡社ライブラリー)
ちなみに「山鬼(さんき)」について。山鬼(さんき)は「神・天帝」ではないが、ギリシア神話でいう「ニンフ」。河・泉・山・谷・樹木などの「精霊」。ここではその中でも若い女性だろう。霊脩(れいしゅう)に心を寄せ、馬車で駆けつける場面がある。
「乗赤豹兮從文狸 辛夷車兮結桂旗
(書き下し)赤豹(せきひょう)に乗(の)り、文狸(ぶんり)を従(したが)え 辛夷(しんい)の車(くるま)に桂旗(けいき)を結(むす)ぶ
(現代語訳)赤毛の豹に牽かせた車に乗り、まだら紋様の山猫を従え 辛夷(こぶし)の馬車には、桂(かつら)の枝を旗として結びつける」(「楚辞・九歌 第二・P.161~164」岩波文庫)
赤い豹が牽引する車に乗っている。ところで若い女性の「山鬼(さんき)」=「ニンフ・精霊」の従者として一緒に駆けてくるのが何と「猫」。漢文に「狸」とあるだけなので当り前のように狸(たぬき)だとばかり思っていたが、脚注によれば、狸は山猫のことらしい。古くは狸の一類に猫が編入されていたとのこと。
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