白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

熊楠による熊野案内/唐の王璹(わうじゆ)はなぜ三度死ぬ

2021年06月11日 | 日記・エッセイ・コラム
前回同様、粘菌特有の変態性、さらに貨幣特有の変態性とを参照。続き。

唐の時代、「尚書刑部(じやうじよぎやうぶ)ノ侍郎(じらう)」に「宗(そう)ノ行質(ぎやうしつ)」という人物がいた。「傅陵(ふりよう)」出身。傅陵(ふりよう)は今の中国河北省定県。「尚書刑部(じやうじよぎやうぶ)ノ侍郎(じらう)」は今の日本でいう法務省次官。永徽(えいき)三年(六五一年)の五月、突然重体に陥り死去した。同じ年の六月九日、「尚書都官ノ令吏」を務める王璹(わうじゆ)もまた突然死した。「尚書都官ノ令吏」は軍事・刑罰を司る省庁に属する文書実務担当官。ところが王璹(わうじゆ)は死の二日後、生き返った。そして冥界で遭遇した出来事について詳しく語った。

まずは他の説話と同様、いつものように冥界の様子を述べるところから始まり、その官庁街の豪壮さが語られる。全盛期の唐の長安城内に対応する。ただ、城外は地上と異なり暗黒世界が広がる。また囚人は一様に顔色が良くなくどす黒い。

始めに王璹は四人の冥官に取り囲まれて冥界へ召喚された。連行されたところは冥界でもひと際壮大な官庁。上層階の西の間(ま)に一人のずんぐりして地黒の肌をした貫禄たっぷりの者がいる。おそらく閻魔王だろう。東の間(ま)には一人の僧らしき者が控えていた。王璹が辺りを見ると東側の階段のたもとに一人の老人が首に枷(かせ)をはめられて縛り付けられている。王璹もまた庭に引き出され縛り付けられた。そこへ一人の官吏が現われて紙と筆をとり記録の準備を整え、王璹の査問に取り掛かった。「王璹、そなたは貞観十八年(六四四年)に長安の官吏を務めていたが、なぜ李(り)ガ須達(しゆだつ)の記録を書き改めたのか」。

「貞観(ぢやうぐわん)十八年ニ、長安(ちやうあん)ノ佐史ニ任ゼシ日、何ニ依(より)テカ李(り)ガ須達(しゆだつ)ヲ改メシ」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第九・第三十四・P.248」岩波書店)

王璹は答えた。「わたしは以前、長安の官吏を務めていましたが貞観十六年に人事異動があり、翌十七年に農政部門の書記官を拝命しています。そのことは十八年の記録作成に当たり新しく書き改めました。なので十八年の長安の役人の記録作成に携わってはおりません。記録に間違いがあるとすればそれは私の罪ではないはずです」。

「王璹、前(さき)ニ長安ノ佐史ニ任ゼリ。貞観十六年ニ選(せん)ニ転ズ。十七年ニ至テ、司稼寺(じかじ)ノ府史ヲ授ク。十八年ニ籍(ふだ)ヲ改メタリ。然レバ、王璹ガ罪ニ非(あら)ザル也」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第九・第三十四・P.248」岩波書店)

そう聞くと閻魔庁の大官は冥界に保管してある文書を読み返し、今度は訴え出ている老人に向かって問いかけた。この老人がどうやら李(り)ガ須達(しゆだつ)自身らしい。大官は李に尋ねる。「そなた、どうして虚偽を言い立てて訴え出たのか」。

「何ノ故ニ依(より)テカ、汝(なむ)ヂ、妄語ヲ以テ訴(うつたふ)ルゾヤ」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第九・第三十四・P.248」岩波書店)

李はいう。「わたしはまだ寿命に至っておりません。王璹が記録を改竄したためわたしの年齢がおかしくなってしまったのです。貞観年間の記録は偽りでもなければ妄想でもありません。王璹は貞観十七年に辞令書を書いているはずです。辞令書は王璹の家に残っていると思われます。できればそれをここへ寄越させてご検討願います」。

「須達ガ年、実(まこと)ニ未(いま)ダ不至(いたら)ず。王璹ガ籍(ふだ)ヲ改ムルニ依(より)テ、須達ガ年ヲ加ヘタル也。年、敢テ妄語ニ非(あら)ズ。王璹、十七年ニ告家ニ改任セリ。請(こふ)ラクハ、追(めし)テ此レヲ令験(あらはさし)メヨ」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第九・第三十四・P.248」岩波書店)

大官は王璹が記録した辞令書に目を通し、さらに王璹を冥界に連れてきた三人の冥官と協議の末、王璹の証言が正しいと判断した。以前王璹は長安の官吏を務めていたが貞観十七年すでに農政部門の書記官に移動しており、文書作成は農政部門の記録として書き改められたもの。だから貞観十八年に王璹が長安の官吏として李須達の記録を書き改めることは不可能。もし文書改竄があったとすれば、それは誰か別の人物の手によることになる。大官は老人(李須達)にいう。「王璹の転任は明瞭である。そなたの訴えには王璹を地獄行きにする明確な証拠がない」。

「他ノ改任、大キニ分明(ふんみやう)也。汝ヂ、理(ことわり)無シ」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第九・第三十四・P.248」岩波書店)

そこで老人(李須達)は訴えを退けられて先に冥界の北門から送り出された。北門の外は索漠たる暗闇。たくさんの城が幽然と聳え立っており、それらどの屋上も垣で囲われている。一方、大官は机の上に置いた文書記録を精査した上で王璹にいう。「そなたには罪がない。解放する。速やかに地上へ返りなさい」。

「汝ヂ罪無シ。然レバ、汝ヲ放ツ。速(すみやか)ニ可去(さるべ)シ」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第九・第三十四・P.249」岩波書店)

王璹が大官を礼拝すると冥官がやって来て王璹を東階段に引き連れて行き、そこにいる僧に一礼した。僧は王璹の臂(ひじ)に印(しるし)を押し「早く返りなさい」という。そこでまた冥官は王璹を引き連れて東南(たつみ)の方角から出ていこうとする。門は三重あり、どの門を通る時も臂の刻印された印(しるし)を検査された。ようやく許され第四の門に来た。巨大な門で三階建て以上はあるだろう。赤と白とで彩られている。門が開く様子はあたかも長安城の城門を思わせる。守衛の姿も物々しく、ここでもさらに臂の刻印を点検された後、外に出ることを許された。

「吏、王璹ヲ引(ひき)テ、東(ひんがし)ノ階(はし)ニ至テ、僧ヲ拝ス。僧、王璹ガ臂ヲ印(しる)シテ云ク、『汝ジ、早ク去(イ)ネ』ト。吏、王璹ヲ相具(あひぐ)シテ、東南(たつみ)ヨリ出(い)デテ行ク。三重ノ門ヲ渡ル。門毎ニ勘(かむが)ヘテ臂ノ印(しるし)ヲ見ル。其ノ後(のち)、免(ゆる)シ出(いだ)シテ第四ノ門ニ至ル。其ノ門ノ状(さま)、甚ダ大キニシテ、重楼也。赤ク白シ。門ヲ開(ひら)ケル事、官城ノ門ノ如シ。門ヲ守ル者、甚ダ厳(きび)シ。亦、印ヲ験(しる)シテ免シ出(いだ)ス」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第九・第三十四・P.249」岩波書店)

王璹は東南(たつみ)の方角へ向かった。十歩ばかり進んだところ、背後で自分の名を呼ぶ声がする。振り返ると「尚書刑部(じやうじよぎやうぶ)ノ侍郎(じらう)」を務めていた「宗(そう)ノ行質(ぎやうしつ)」。無惨に疲れ果てて憂いに満ちた顔色は泥だらけの湿地帯のように青黒い。高級官僚時代の冠はなく帯もせず赤い上着を羽織っているものの髪の毛はだらりと垂れている。庁舎の階段のたもとに突っ立っている。監視役の官吏がいる。

また西の城の近くには、高さ三メートル幅六十センチほどの木製の立て札があり、「これらの者は法に鑑み追放に値する。罰を受けることになっている五人である」、と大書されている。

「亦、西ニ城(じやう)近ク、一ノ丈木ノ牌(ひ)有リ。高サ一丈、広サ二尺許(ばかり)也。其ノ牌(ひ)ノ上ニ、大キニ書(かき)タル文(もん)有リ。『此レハ此レ、勘当(かんだう)シテ過(とが)ニ擬セル五人』ト書ケリ」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第九・第三十四・P.249」岩波書店)

一方、悲壮な姿の行質だが、王璹を見て喜びとも悲しみともつかない表情を浮かべていう。「なぜそなたがここにいるのか」。王璹は答えた。「記録を書き改めたことは咎めに値せず、放免されてきました」。行質は王璹が地上に返される途中だと聞いて頼み事を託すことにした。「私は冥官に追求され、生前にどのような功徳を積んだかと問われた。しかし私には功徳の記録は一つもない。ゆえに終わりのない苦しみを負わされている。そればかりか、飢餓の苦しみ、厳寒の苦痛、その厳しさといったらとてもではないが言語に絶する。そこでそなた、地上に返ったら是非わたしの家に行ってこの状況を家人に伝えて私のために追善供養するよう説得してはくれまいか。是非とも、頼んだぞ」。

「我レ、官ニ被責(せめら)レテ功徳(くどく)ノ籍(ふだ)ヲ問フニ、『我ガ手ノ中ニ功徳ノ籍無シ』ト云テ、居依(ゐより)テ困(くるし)ミ苦シム事無限(かぎりな)シ。加之(しかのみならず)、飢ヘ寒ク苦シキ事不可云尽(いひつくすべから)ズ。君、必ズ我ガ家ニ至(いたり)テ、此ノ由ヲ語(かたり)テ、我ガ為ニ善根(ぜんごん)ヲ令修(しゆせし)メヨ。努々(ゆめゆめ)、懃(ねむごろ)ニ属(あつら)ヘヨ」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第九・第三十四・P.250」岩波書店)

王璹は行質の頼みを聞き届けいよいよ人間界に戻ろうとしていると再び冥官に呼び止められた。庁舎に連れて行かれ叱責される。「お前、いろいろと考慮して人間界に返してやろうということになったのに、何ゆえそう容易く囚人の獄舎でうろうろしているのか」。獄卒が呼ばれ王璹の耳を捻り上げ、王璹をさっさと外に押し出した。速やかに元の家に返れという言葉を無視した格好になっていたため敢えて耳に対する拷問なのだろう。最後の門を出たところに門番がおり、見ていたようでこういう。「そなた、今その耳を痛めつけられたのだろう。もはやそなたの耳は聞こえなくなるに違いない。ちょっと治療してやろう」。そういうと門番は王璹の耳に指を突っ込んで中に詰まっているものをほじくり出してくれた。するとなぜか耳が聞こえるようになった。そこでもまた臂に刻印された印(しるし)を検査された上で放免された。

「『我レ、当(まさ)ニ勘(かむが)ヘテ汝ヲ放ツ。汝ヂ何ゾ輒(たやす)ク囚家(しうのいへ)ニ至レルゾ』ト云テ、使ノ吏率ヲ以テ、王璹ガ耳ヲ令搭(とら)シメテ押シテ令去(さら)シム。王璹、一ノ門ヲ走ル。門ノ吏有(あり)テ、王璹ヲ見テ云ク、『君、既ニ耳ヲ被搭(とら)レタリ。当(まさ)ニ耳可聾(しふべ)シ。我レ、君ヲ助ケテ、其ノ中ノ物ヲ却(しりぞ)ケム』ト云テ、手ヲ以テ其ノ耳ヲ排(くじ)ル。其ノ時ニ、耳ノ中鳴ル。亦、臂ノ印(しるし)ヲ験(しる)シテ免(ゆる)シ出(いだ)ス」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第九・第三十四・P.250」岩波書店)

門の外は真っ暗闇。どこをどう行けばよいのか少しも見えない。手で探ってみると壁で囲まれているようだ。ただ、東の方面だけが開いているらしい。だが暗闇の中をどう歩けばいいものか考えていると先ほどの冥官が声をかけてきた。「わたしは君のことを知っている。友達だよな。そこでだ、わたしに銭一千を用意してほしい」。

「我レ、君ト善(よ)シ、君ヲ待(まつ)也。我レニ銭一千ヲ与ヘヨ」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第九・第三十四・P.251」岩波書店)

王璹はそれには答えないでこう考えた。「おれは無罪で放免されたというのに、どうして賄賂を渡す必要があるのか」。

「我レ、罪無クシテ被免(ゆるさ)レヌ。何ゾ、使ニ賄(まひな)フ事有ラムヤ」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第九・第三十四・P.251」岩波書店)

冥官はいう。「そなた、賄賂なくして家に返れるとでも思っているのか。もし贈賄しないというのなら、そうだな、もう二日はここにいてもらおう。しかしどうして賄賂を使おうとしないのか、笑わせるやつだ」。

「君、不令得(えしめ)ズハ、行ク事ヲ不令得(えし)メジ。遂ニ不与(あたへ)ズハ、汝ヲ猶、将還(ゐてかへり)テ二日ニ令至(いたらし)メム。豈(あ)ニ、汝ヂ、不用(もちゐ)ザラムヤ」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第九・第三十四・P.251」岩波書店)

びっくりした王璹は必死で謝罪し必ず用意すると誓った。すると冥官はいう。「現世で用いる銅貨は冥界では使えない。紙幣を用意してもらいたい。十五日間が期限だ」。

「我レ、君ガ銅(あかがね)ノ銭ヲバ不用(ようせ)ジ。白紙ノ銭ヲ用(ようせ)ムト思フ。十五日ヲ期(ごし)テ来(きたり)テ取ラム」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第九・第三十四・P.251」岩波書店)

そして冥官は帰り道を教えてくれた。「東へ二百歩、古い垣が壊れて穴の開いているところがある。明るい方角へ向かって行けば君の家にたどり着くだろう」。王璹は教えられたとおりに歩いていくと古びた垣がある。押してみてしばらくすると垣はばたんと倒れた。外へ出てみると王璹が住んでいる隆政坊(りうせいばう)という地区の南門のそばだった。家に還って中へ入ったと思うや否や生き返った。家人が泣いているのが見える。

「吏ノ云ク、『君、東(ひむがし)ヘ行カム事、二百歩(ふ)シテ、当(まさ)ニ古キ垣ノ穿(うが)チ破(やぶれ)タルヲ見ムトス。明(あきらか)ナラム方ヲ見テ可向(むかふべ)シ。然ラバ即チ、君ガ家ニ至(いたり)ナム』ト。王璹、吏ノ云フニ随(したがひ)テ行クニ、既ニ垣ニ至リテ此レヲ押ス。良(やや)久クシテ、垣即チ倒レヌ。王璹、其ノ倒(たふれ)ヌル所ヨリ出(いで)ツ。即チ、其ノ至レル所ハ、王璹ガ居(ゐ)タル所ノ隆政坊(りうせいばう)ノ南ノ門也(なり)ケリト思フニ、家ニ還(かへり)ヌレバ、戸ヨリ入(いり)ヌト思フ程ニ活(よみがへり)ヌ」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第九・第三十四・P.251」岩波書店)

その後、約束の十五日が経った。だが王璹は冥界での約束をすっかり忘れて過ごしていた。その翌日、王璹は再び重態に陥り死んでしまった。周囲を見渡すとまた冥界に舞い戻っている。約束した冥官が怒りを露わに近づいてくる。「君は必ずと誓った銭一千の約束を果たさない。従ってもう一度冥界へ連行する」。そういって冥官は王璹を捕えると、長安の西の城門・金光門から外へ引きずり出して坑(あな)の中へ放り込んだ。王璹は拝み倒して謝罪すること百回以上。

「王璹、見レバ、前(さき)ノ吏来(きたり)テ怒(いかり)テ云ク、『君ガ<銭ヲ与ヘム>ト期(ごせ)シ事、果ス事無クシテ、遂ニ不与(あたへ)ズ。然レバ、君ヲ亦将(ゐて)去ラム』ト云テ、金光明(こんくわうみやう)ヨリ出(いで)テ坑(あな)ニ令入(いら)シム。王璹、拝シテ過(とが)を謝スル事、百余拝ヲ成ス」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第九・第三十四・P.252」岩波書店)

すると冥官は放して家に還してくれた。なのでまた王璹は生き返った。家に帰るとさっそく紙幣の製作に取り掛かった。約束の銭一千を造ってただちに贈答した。ところがその翌日、またもや王璹は重態に陥り死んでしまった。今度も同じ冥官がやって来ていう。「そなた、銭を送ってくれたのはありがたいが冥界で使えないものだ」。王璹はさらにさらに謝罪して今度こそはちゃんとするからと頼み込んだ。すると今度もまた生き返った。

「王璹、家ノ人ニ告(つげ)テ、忽ニ紙百張ヲ買(かひ)テ銭ヲ造(つくり)テ、此レヲ送ル。其ノ明(あく)ル日、王璹、亦病ニ困(くるし)ム。亦、前ノ吏ヲ見ル。吏ノ云ク、『君、幸ニ我レニ銭ヲ与フト云ヘドモ、銭不吉(よから)ズ』ト。王璹謝シテ、『更ニ亦造ラム』ト請フ」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第九・第三十四・P.252」岩波書店)

冥界から放免されて二十日。王璹は六十銭で白紙百枚を購入。紙幣を造り、さらに酒食の準備も整えて、自分で隆政坊地区の西門の渠(みぞ)を流れる水のほとりで紙幣を焼いて冥界へ贈答した。

「二十日ニ至テ、王璹、六十銭ヲ以テ、白キ紙百余張ヲ買テ銭ヲ造リ、酒食ヲ儲(まうけ)テ、自(みづか)ラガ隆政坊ノ西ノ門ノ、渠(みぞ)ノ水ノ上(ほとり)ニシテ此レヲ焼ク」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第九・第三十四・P.252」岩波書店)

さて。王璹は都合三度死去したがそのたびに生き返り、遂に病も治癒して生還した。第一に冥界からの生還に伴う賄賂の要求。他の説話でもしばしば見られるが、問題は贈賄する際の儀式性にある。渠(みぞ)や河(かわ)の辺(ほとり)で焼くこと。さらに酒食を主とする供物があれば言うことなし。その式次第を教えとして語る面に重点が置かれている。その必要上、この説話で王璹は何度も死ぬ設定になっている。

第二に人間界と冥界との境界領域だがいつも通り非常に暗く細い。冥界の豪壮さと対極を成している。それはまた長安の都の冥界版でもある。長安城へ入るには厳重な検問があるが、そこへ辿り着くには幾つものルートがあり、人っ子ひとり見当たらない山間部や森林や砂漠地帯を通り抜けなければならない。

第三に王璹が放免される時に刻印された臂の傷跡《スティグマ》の付与がある。なぜ臂なのか。「法華経」にこうある。

「即於八万四千塔前。燃百福荘厳臂。七万二千歳。而以供養。

(書き下し)即ち八万四千の塔の前において、百福にて荘厳(しょうごん)せる臂(ひじ)を燃(とも)すこと七万二千歳にして、以って供養した」(「法華経・下・巻第七・薬王菩薩本事品・第二十三・P.190」岩波文庫)

スティグマの特権性はこれまで既に何度も述べた。それは或る排除を伴う。

「ただ社会的行為だけが、ある一定の商品を一般的等価物にすることができる。それだから、他のすべての商品の社会的行動が、ある一定の商品を除外して、この除外された商品で他の全商品が自分たちの価値を全面的に表わすのである。このことによって、この商品の現物形態は、社会的に認められた等価形態になる。一般的等価物であることは、社会的過程によって、この除外された商品の独自な社会的機能になる。こうして、この商品はーーー貨幣になるのである(「彼らは心をひとつにしている。そして、自分たちの力と権力とを獣に与える。この刻印のない者はみな、物を買うことも売ることもできないようにした。この刻印は、その獣の名、または、その名の数字のことである」『ヨハネの黙示録』)」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第二章・・P.159」国民文庫)

そして説話にあるように冥界からの帰還者として生涯刻印されることになる。説話では多くの場合、冥界についての語り部として承認される。

第四に冥界の諸門について「赤ク白シ」とある。白は特別な色であってしばしば登場する。例えば「白キ犬」がそうだ。赤いものでは「赤鬼・朱雀門・血・銅(あかがね)」など。白い犬の特権性が強調されるが、一方で「赤毛の犬」について「甲子夜話」にこうある。

「時々浅草の上邸に往来するに、門前に赤毛の犬常にゐる。これ邸内にて生ずる者なり。予見る毎に旧時を思ふこと有り。先考いまだ世子にて、今予が住む本庄の荘に居ませしいとき、御居間の床下に犬子を産す。毛皆純赤なり。先考これを愛せられしに、長ずるに及で甚勇敢、他犬に対して退逃するなし。予時に年僅に九歳か十歳なりしが、今尚能くこれを記臆す。その犬軀小(くせう)にして常に緩歩し、何事もなき如くなれども、闘(たたかふ)に及んでは未嘗(いまだかつて)敗走するなし。先考の他適せらるるときは、必ず駕辺に従ふ。若(もし)くは微行し玉ひ、騎馬のときは馬前に歩す。久(ひさしく)して外人これを知て、松浦候の赤毛と呼ぶ者多し。坊間の数犬、これを瞻(み)て皆黙踞(きよ)して吠追(ほえお)ふことなし。人不思議とす。又この頃は今の大川橋はなくして、本庄に往く者、皆竹町、又御厩(おうまや)の渡りをわたる。因て此頃の諸侯、輿乗槍馬を従へたる者、その人衆を率ひて渡船す。予ときに幼、或日川辺に在て釣す。折ふし先考渡船せらるるに値(あ)ふ。赤犬も亦従ふ。先考駕脇の人に命じてこれを逐(おひ)去らしむ。赤犬乃(すなはち)水辺に伏して有けるが、その船発するを望で、即水に投じて游泳し、船傍に添て済(わた)る。自他の人皆感賞せざるなし。明和八年秋先考逝去せられて、天祥寺に葬り奉りし時も葬に従ふ。是のみならず、夫より毎日公の墓側に伏て、去らざりしこと多時なりしが、その明年遂に本庄の荘に弊(たふ)れり」(「甲子夜話3・巻四十七・二十三・P.298」東洋文庫)

人間だけでなく動物にも植物にも、さらには無生物にも様々な逸話が残っている。

BGM1

BGM2

BGM3