前回同様、粘菌特有の変態性、さらに貨幣特有の変態性とを参照。続き。
隋の時代、開皇(五八一年〜六〇〇年)の初頭、冀洲(きしう)のはずれに父子が暮らしていた。冀洲(きしう)は今の中国河北省冀県。子は十三歳の童子。隣家で飼われている鶏が卵を生むとまだ雛が孵らないうちにこっそり盗んできて卵焼きにして食ってしまう癖があった。
「年十三也。此ノ小児、常ニ、隣ノ家ニ鶏ノ卵(かひご)ヲ生メルヲ、蜜(ひそか)ニ行(ゆき)盗(ぬすみ)テ持来(もてきたり)テ、焼(やき)テ此レヲ食(くら)ヒケリ」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第九・第二十四・P.220」岩波書店)
或る日の夜明け前。村人たちがまだ寝ている頃、この家の門を叩いてその童子の名を呼ぶ声がする。父がその声に気づき、子を起こして要件を聞いてくるよう言った。童子が門まで出てみると一人の人間が立っており、こう告げた。「冥官からそなたに呼び出しがかかった。ただちに参上するように」。童子はいう。「冥官のお呼び出しとのことですか。でも今まで寝ていたので裸のままです。一度家の中で着物を着てきます」。
「児出(い)デテ見レバ、一(ひとり)ノ人有(あり)テ云ク、『官ヨリ汝ヲ召ス。速(すいやか)ニ可参(まゐるべ)シ』ト。児ノ云ク、『官、我レヲバ仕(つか)ハムトテ召スカ。然ラバ、我レ裸(はだか)也。還リ入(いり)テ衣ヲ着テ来ラム』ト」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第九・第二十四・P.220」岩波書店)
冥界の使者はそれには及ばないと童子を裸のまま引き立てて連れ出し、村の門を出てその南に広がる桑畑の方角へどんどん進んでいく。童子は村の門を出て桑畑を通る道のほとりに至ると一つの小型の城が建っているのに気づいた。東西南北の四方向に楼閣状の門を備えている。「柱・桁(けた)・梁(うつはり)・扉(とぼそ)等」の建材はすべて赤く染め上げられており物々しい雰囲気に満ちている。いつも見ている桑畑の景色とはまったく違う。
「此ノ児、既ニ、村ノ門ヲ出デテ見レバ、道ノ右ニ当(あたり)テ一ノ小キ城(じやう)有リ。四面ニ門楼有リ。柱・桁(けた)・梁(うつはり)・扉(とぼそ)等、皆赤ク染(そめ)テ、甚ダ事々(ことごと)シ気(げ)也。例(れい)、更ニ不見(み)ヌ所也」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第九・第二十四・P.220」岩波書店)
童子は不審感を覚えたが使者は質問に答えず城の北門へ連れて行き、そこから童子を城内へ入れた。すると門はたちまち閉じてしまった。中の様子を見ると人っ子一人いない。屋敷一つなく、そもそも城らしき建物も何一つ見当たらない。また、童子を連れてきた使者は門の中へ入りもしないでふっと消え失せてしまった。
「児、入(いり)テ閫(しきみ)ヲ越(こゑ)ヌルニ、城ノ戸、忽(たちまち)ニ閉(とぢ)テ人一人不見(みえ)ズ。内ニ屋一ツ無シ。只、此レ、空(むな)シキ城也。使、亦入リ不来(きたら)ズ」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第九・第二十四・P.220」岩波書店)
城に見えていたはずなのに入ってみれば空虚としか言いようがない。ところが単なる地面が打ち広がっているばかりかと思いきやそうではなく、地面はどこもかしこも燃えている炭火を細かく打ち砕いた火焔のごとき灰が深く積もっており、歩こうとするとたちまち踝(くるぶし)の辺りまで埋まってしまう。童子は耐え難い熱さに絶叫しながら南門目指して走った。門の前まで来るとそれまで開いていた門がいきなり閉じた。びっくりして今度は東、西、さらにもう一度北門へ走ったが門前へ辿り着くと途端に門が閉じてしまう。周囲を見渡すと一度閉じたはずの他の門が再び開いている。助けを求めて開いている門の前まで走るとまたばたりと閉じる。走り惑うばかりで一向に外に出ることができない。
「此ノ城ノ内ノ地(ぢ)、皆、熱キ灰ニシテ、焼ケ砕(くだけ)タル火深シ。足ヲ踏ミ入ルルニ、踝(つぶなぎ)ヲ隠ス程也。児、忽ニ呼(よば)ヒ叫(さけ)ムデ、走(はしり)テ南ナル門ニ趣(おもむき)テ出(いで)ムト為(す)ルニ、其ノ門閉(と)ヅ。亦、東(ひむがし)・西・北ノ門ニ至ルニ、皆、南ノ門ノ如ク閉ヅ。未(いま)ダ不行(ゆか)ザレバ開(ひらき)タリ。至レバ即チ閉ヅ。如此(かくのごと)クシテ走リ迷(まどひ)テ出(いづ)ル事ヲ不得(え)ズ」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第九・第二十四・P.221」岩波書店)
そのうち夜が明けて村人らが桑畑にやって来た。村の男女・大人も子供も農作業に取り掛かる時間である。そこで桑畑を見ると見覚えのある子供が絶叫しながら一人で畑の中を走り廻っている。その声はどこか動物の啼き声に似ており、東西南北の方角を目指して行ったり来たりを繰り返している。村人らはそれを見て口々にいう。「あの子は頭がどうかしてしまったのかな。桑畑の中を一人っきりで走り廻っているとは」。村人らには門が見えない様子である。冥界の使者に名指しされたのは確かにこの童子一人。地上ではあるもののそのぶんなおさら不可解な門が見えるのは童子たった一人ということなのだろう。
「其ノ時ニ、村ノ人、男女・大小、田ニ出デテ見レバ、此ノ小児(せうに)ノ桑田ノ中ニ有テ、口ハ啼(なき)タルニ似テ、四方ニ走ル。人、皆此レヲ見テ、各(おのおの)相語(あひかたり)テ云ク、『此ノ児ハ、物ニ狂ヘルカ。田ノ中ニ独リ走ルハ』ト云(いひ)合ヘリ」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第九・第二十四・P.221」岩波書店)
午前が過ぎ午後のなり、さらに夕食時が近づいた。村人らは農作業を終えて家に帰っていった。子が帰って来ないので心配になった父が探しにやって来た。途中、農作業から帰ってくる村人に出会い、息子を見なかったかと尋ねると、あの子なら桑畑の中を走り廻ってずっと遊んでいるようだったが、とのこと。父は桑畑へ行って息子を見つけると大きな声でその子の名前を呼びながら走っている息子を捉まえた。童子ははたと我に帰って周りを見渡してみるとさっきまであった門は既になく、燃えたぎる炭火を砕いて撒き散らした劫火のような灰も消えてしまっている。童子は先程まで自分を襲った事態を泣く泣く父に話して聞かせた。
父は息子の言うことがいかにも不可解に思えたので試しに息子の足を見ると、膝から上は血塗れで焼け爛れている。膝から下は無惨この上ないほど焼けて爛れ具合も酷い。あたかも動物を焼いた食べ物そっくり。取りあえず父は息子を抱き抱えて家に連れて帰り、その後しばらく治療に当たった。するとしばらくして腿(もの)の肉はだんだん盛り上がってきてどうにか傷は塞がった。しかし膝から下は肉がぼろぼろに枯れてしまう一方でとうとう剥き出しの骨ばかりになり、元の形に戻ることはなかった。
「父、驚キ怪(あやし)ムデ、児ノ足ヲ見レバ、脛半(はぎのなかば)ヨリ上ハ、血完(ちじし)ニ燋(こが)レ乱(ただ)レタリ。其ノ膝ヨリ下ハ、大キニ爛(ただ)レテ炙(あぶりもの)ノ如シ。父、此レヲ抱(いだき)テ、家ニ帰(かへり)テ、歎キ悲(かなし)ムデ養ヒ療治スルニ、脾(もも)ヨリ上ノ肉(しし)満合(みちあ)フ事、本ノ如シ。膝ヨリ下ハ、遂ニ枯レタル骨ト成(なり)テ、本ノ如クニ無シ」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第九・第二十四・P.221~222」岩波書店)
噂が広がるのは早い。この村だけでなく近隣にも話が伝わり見物に来る者まで出てきた。とはいえ、現場となった桑畑を見ると、なるほど童子が走り廻った足跡ばかりは無数に残っているものの、話の中に出てきた炎熱の灰も火もいずれにせよ跡形もなく一切消え失せていた。
「隣及ビ里ノ人、此レヲ見聞(きき)テ、其ノ走レル所ノ足跡ヲ行(ゆき)テ見ルニ、走(はしり)タル足跡ハ多ク有(あれ)ドモ、灰・火少シモ無シ」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第九・第二十四・P.222」岩波書店)
さて。はっきり見える変化について。第一に隣家の鶏の卵をこっそり盗んでは、いつも卵焼きにして食べていた童子。その報いとして童子の足は玉子焼きそっくりの様相へ転化する。第二に桑畑の地獄への転化。城と門とが出現する。しかしこの転化は冥官から指名された童子にのみ見える。他の村人の目にはいつもの桑畑にしか見えない。さらに指名された者が「十三歳の童子」である点は類話の載る「日本霊異記」にも記されていない。十六歳から二十歳までの男子を意味する「中男(ちゅうなん)」とされており、それ以下の年少者はそもそも出てこない。この点で「今昔物語」編纂期には童子にのみ与えられた両性具有的神聖性、並びに、或る時は大人に見え或る時は子供に見える貨幣にも似た変容可能性の強調があると考えられる。この種の特権性は次のような社会的排除を経て始めて抽出される。
「ただ社会的行為だけが、ある一定の商品を一般的等価物にすることができる。それだから、他のすべての商品の社会的行動が、ある一定の商品を除外して、この除外された商品で他の全商品が自分たちの価値を全面的に表わすのである。このことによって、この商品の現物形態は、社会的に認められた等価形態になる。一般的等価物であることは、社会的過程によって、この除外された商品の独自な社会的機能になる。こうして、この商品はーーー貨幣になるのである(「彼らは心をひとつにしている。そして、自分たちの力と権力とを獣に与える。この刻印のない者はみな、物を買うことも売ることもできないようにした。この刻印は、その獣の名、または、その名の数字のことである」『ヨハネの黙示録』)」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第二章・P.159」国民文庫)
そして童子の足に残された傷跡について。それは欧米のキリスト教の用語を借りれば《聖痕=スティグマ》として打刻されなければならない印である。他の説話にあるように冥途へ行ったが生き返った者がしばしば何らかの奇妙な怪我の後を身体に残される《聖痕=スティグマ》の場合と共通する。そして卵焼きがやめられない癖になっている少年に与えられた報いが足の焼鳥化という経過は、熊楠のいうように古代人特有のアナロジー(類似・類推)に基づいている。
「安産の子安貝(カウリー)に関する日本の物語は、その貝の特異な形態に由来している。その形態ゆえに、この貝はヴィーナスに捧げられたのである。そして、邪視に対するお守り、惚れ薬、多産や安産などの効能がこの貝にあるというのは、高感(シンパシー)理論が一般に信じられたからである。これに加えて、古代に広く貨幣として使われたことが、それにほとんど無限の徳目を付与することになった」(南方熊楠「燕石考」『南方民俗学・P.391』河出文庫)
中世ヨーロッパでは錬金術が流行したが実際に金が得られたことはない。しかしその代わりに貴重な種々の物質の発見に繋がったことは言うまでもない。
「自然は何も欲しないが、しかし自然はつねに何かを達成する。ーーー《私たちは》何かを欲して、《つねに何か別のものを達成する》」(ニーチェ「生成の無垢・下巻・七二五・P.356」ちくま学芸文庫)
これからも人間はそのように勘違いばかり犯しながら生きていくのだろう。あるいは勘違いなしに生きていくことはできないのだろう。なお、「十三歳」という年齢に関し今の日本では中学入学前後に相当する。この時期、予測不可能な様々な事態が各自を襲う。考える時間を与えることなく効率的回転ばかりが重視されるような教育はいずれ破綻するかも知れない。既にアメリカがメンタルヘルス大国と化して十五年にはなる。
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隋の時代、開皇(五八一年〜六〇〇年)の初頭、冀洲(きしう)のはずれに父子が暮らしていた。冀洲(きしう)は今の中国河北省冀県。子は十三歳の童子。隣家で飼われている鶏が卵を生むとまだ雛が孵らないうちにこっそり盗んできて卵焼きにして食ってしまう癖があった。
「年十三也。此ノ小児、常ニ、隣ノ家ニ鶏ノ卵(かひご)ヲ生メルヲ、蜜(ひそか)ニ行(ゆき)盗(ぬすみ)テ持来(もてきたり)テ、焼(やき)テ此レヲ食(くら)ヒケリ」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第九・第二十四・P.220」岩波書店)
或る日の夜明け前。村人たちがまだ寝ている頃、この家の門を叩いてその童子の名を呼ぶ声がする。父がその声に気づき、子を起こして要件を聞いてくるよう言った。童子が門まで出てみると一人の人間が立っており、こう告げた。「冥官からそなたに呼び出しがかかった。ただちに参上するように」。童子はいう。「冥官のお呼び出しとのことですか。でも今まで寝ていたので裸のままです。一度家の中で着物を着てきます」。
「児出(い)デテ見レバ、一(ひとり)ノ人有(あり)テ云ク、『官ヨリ汝ヲ召ス。速(すいやか)ニ可参(まゐるべ)シ』ト。児ノ云ク、『官、我レヲバ仕(つか)ハムトテ召スカ。然ラバ、我レ裸(はだか)也。還リ入(いり)テ衣ヲ着テ来ラム』ト」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第九・第二十四・P.220」岩波書店)
冥界の使者はそれには及ばないと童子を裸のまま引き立てて連れ出し、村の門を出てその南に広がる桑畑の方角へどんどん進んでいく。童子は村の門を出て桑畑を通る道のほとりに至ると一つの小型の城が建っているのに気づいた。東西南北の四方向に楼閣状の門を備えている。「柱・桁(けた)・梁(うつはり)・扉(とぼそ)等」の建材はすべて赤く染め上げられており物々しい雰囲気に満ちている。いつも見ている桑畑の景色とはまったく違う。
「此ノ児、既ニ、村ノ門ヲ出デテ見レバ、道ノ右ニ当(あたり)テ一ノ小キ城(じやう)有リ。四面ニ門楼有リ。柱・桁(けた)・梁(うつはり)・扉(とぼそ)等、皆赤ク染(そめ)テ、甚ダ事々(ことごと)シ気(げ)也。例(れい)、更ニ不見(み)ヌ所也」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第九・第二十四・P.220」岩波書店)
童子は不審感を覚えたが使者は質問に答えず城の北門へ連れて行き、そこから童子を城内へ入れた。すると門はたちまち閉じてしまった。中の様子を見ると人っ子一人いない。屋敷一つなく、そもそも城らしき建物も何一つ見当たらない。また、童子を連れてきた使者は門の中へ入りもしないでふっと消え失せてしまった。
「児、入(いり)テ閫(しきみ)ヲ越(こゑ)ヌルニ、城ノ戸、忽(たちまち)ニ閉(とぢ)テ人一人不見(みえ)ズ。内ニ屋一ツ無シ。只、此レ、空(むな)シキ城也。使、亦入リ不来(きたら)ズ」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第九・第二十四・P.220」岩波書店)
城に見えていたはずなのに入ってみれば空虚としか言いようがない。ところが単なる地面が打ち広がっているばかりかと思いきやそうではなく、地面はどこもかしこも燃えている炭火を細かく打ち砕いた火焔のごとき灰が深く積もっており、歩こうとするとたちまち踝(くるぶし)の辺りまで埋まってしまう。童子は耐え難い熱さに絶叫しながら南門目指して走った。門の前まで来るとそれまで開いていた門がいきなり閉じた。びっくりして今度は東、西、さらにもう一度北門へ走ったが門前へ辿り着くと途端に門が閉じてしまう。周囲を見渡すと一度閉じたはずの他の門が再び開いている。助けを求めて開いている門の前まで走るとまたばたりと閉じる。走り惑うばかりで一向に外に出ることができない。
「此ノ城ノ内ノ地(ぢ)、皆、熱キ灰ニシテ、焼ケ砕(くだけ)タル火深シ。足ヲ踏ミ入ルルニ、踝(つぶなぎ)ヲ隠ス程也。児、忽ニ呼(よば)ヒ叫(さけ)ムデ、走(はしり)テ南ナル門ニ趣(おもむき)テ出(いで)ムト為(す)ルニ、其ノ門閉(と)ヅ。亦、東(ひむがし)・西・北ノ門ニ至ルニ、皆、南ノ門ノ如ク閉ヅ。未(いま)ダ不行(ゆか)ザレバ開(ひらき)タリ。至レバ即チ閉ヅ。如此(かくのごと)クシテ走リ迷(まどひ)テ出(いづ)ル事ヲ不得(え)ズ」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第九・第二十四・P.221」岩波書店)
そのうち夜が明けて村人らが桑畑にやって来た。村の男女・大人も子供も農作業に取り掛かる時間である。そこで桑畑を見ると見覚えのある子供が絶叫しながら一人で畑の中を走り廻っている。その声はどこか動物の啼き声に似ており、東西南北の方角を目指して行ったり来たりを繰り返している。村人らはそれを見て口々にいう。「あの子は頭がどうかしてしまったのかな。桑畑の中を一人っきりで走り廻っているとは」。村人らには門が見えない様子である。冥界の使者に名指しされたのは確かにこの童子一人。地上ではあるもののそのぶんなおさら不可解な門が見えるのは童子たった一人ということなのだろう。
「其ノ時ニ、村ノ人、男女・大小、田ニ出デテ見レバ、此ノ小児(せうに)ノ桑田ノ中ニ有テ、口ハ啼(なき)タルニ似テ、四方ニ走ル。人、皆此レヲ見テ、各(おのおの)相語(あひかたり)テ云ク、『此ノ児ハ、物ニ狂ヘルカ。田ノ中ニ独リ走ルハ』ト云(いひ)合ヘリ」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第九・第二十四・P.221」岩波書店)
午前が過ぎ午後のなり、さらに夕食時が近づいた。村人らは農作業を終えて家に帰っていった。子が帰って来ないので心配になった父が探しにやって来た。途中、農作業から帰ってくる村人に出会い、息子を見なかったかと尋ねると、あの子なら桑畑の中を走り廻ってずっと遊んでいるようだったが、とのこと。父は桑畑へ行って息子を見つけると大きな声でその子の名前を呼びながら走っている息子を捉まえた。童子ははたと我に帰って周りを見渡してみるとさっきまであった門は既になく、燃えたぎる炭火を砕いて撒き散らした劫火のような灰も消えてしまっている。童子は先程まで自分を襲った事態を泣く泣く父に話して聞かせた。
父は息子の言うことがいかにも不可解に思えたので試しに息子の足を見ると、膝から上は血塗れで焼け爛れている。膝から下は無惨この上ないほど焼けて爛れ具合も酷い。あたかも動物を焼いた食べ物そっくり。取りあえず父は息子を抱き抱えて家に連れて帰り、その後しばらく治療に当たった。するとしばらくして腿(もの)の肉はだんだん盛り上がってきてどうにか傷は塞がった。しかし膝から下は肉がぼろぼろに枯れてしまう一方でとうとう剥き出しの骨ばかりになり、元の形に戻ることはなかった。
「父、驚キ怪(あやし)ムデ、児ノ足ヲ見レバ、脛半(はぎのなかば)ヨリ上ハ、血完(ちじし)ニ燋(こが)レ乱(ただ)レタリ。其ノ膝ヨリ下ハ、大キニ爛(ただ)レテ炙(あぶりもの)ノ如シ。父、此レヲ抱(いだき)テ、家ニ帰(かへり)テ、歎キ悲(かなし)ムデ養ヒ療治スルニ、脾(もも)ヨリ上ノ肉(しし)満合(みちあ)フ事、本ノ如シ。膝ヨリ下ハ、遂ニ枯レタル骨ト成(なり)テ、本ノ如クニ無シ」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第九・第二十四・P.221~222」岩波書店)
噂が広がるのは早い。この村だけでなく近隣にも話が伝わり見物に来る者まで出てきた。とはいえ、現場となった桑畑を見ると、なるほど童子が走り廻った足跡ばかりは無数に残っているものの、話の中に出てきた炎熱の灰も火もいずれにせよ跡形もなく一切消え失せていた。
「隣及ビ里ノ人、此レヲ見聞(きき)テ、其ノ走レル所ノ足跡ヲ行(ゆき)テ見ルニ、走(はしり)タル足跡ハ多ク有(あれ)ドモ、灰・火少シモ無シ」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第九・第二十四・P.222」岩波書店)
さて。はっきり見える変化について。第一に隣家の鶏の卵をこっそり盗んでは、いつも卵焼きにして食べていた童子。その報いとして童子の足は玉子焼きそっくりの様相へ転化する。第二に桑畑の地獄への転化。城と門とが出現する。しかしこの転化は冥官から指名された童子にのみ見える。他の村人の目にはいつもの桑畑にしか見えない。さらに指名された者が「十三歳の童子」である点は類話の載る「日本霊異記」にも記されていない。十六歳から二十歳までの男子を意味する「中男(ちゅうなん)」とされており、それ以下の年少者はそもそも出てこない。この点で「今昔物語」編纂期には童子にのみ与えられた両性具有的神聖性、並びに、或る時は大人に見え或る時は子供に見える貨幣にも似た変容可能性の強調があると考えられる。この種の特権性は次のような社会的排除を経て始めて抽出される。
「ただ社会的行為だけが、ある一定の商品を一般的等価物にすることができる。それだから、他のすべての商品の社会的行動が、ある一定の商品を除外して、この除外された商品で他の全商品が自分たちの価値を全面的に表わすのである。このことによって、この商品の現物形態は、社会的に認められた等価形態になる。一般的等価物であることは、社会的過程によって、この除外された商品の独自な社会的機能になる。こうして、この商品はーーー貨幣になるのである(「彼らは心をひとつにしている。そして、自分たちの力と権力とを獣に与える。この刻印のない者はみな、物を買うことも売ることもできないようにした。この刻印は、その獣の名、または、その名の数字のことである」『ヨハネの黙示録』)」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第二章・P.159」国民文庫)
そして童子の足に残された傷跡について。それは欧米のキリスト教の用語を借りれば《聖痕=スティグマ》として打刻されなければならない印である。他の説話にあるように冥途へ行ったが生き返った者がしばしば何らかの奇妙な怪我の後を身体に残される《聖痕=スティグマ》の場合と共通する。そして卵焼きがやめられない癖になっている少年に与えられた報いが足の焼鳥化という経過は、熊楠のいうように古代人特有のアナロジー(類似・類推)に基づいている。
「安産の子安貝(カウリー)に関する日本の物語は、その貝の特異な形態に由来している。その形態ゆえに、この貝はヴィーナスに捧げられたのである。そして、邪視に対するお守り、惚れ薬、多産や安産などの効能がこの貝にあるというのは、高感(シンパシー)理論が一般に信じられたからである。これに加えて、古代に広く貨幣として使われたことが、それにほとんど無限の徳目を付与することになった」(南方熊楠「燕石考」『南方民俗学・P.391』河出文庫)
中世ヨーロッパでは錬金術が流行したが実際に金が得られたことはない。しかしその代わりに貴重な種々の物質の発見に繋がったことは言うまでもない。
「自然は何も欲しないが、しかし自然はつねに何かを達成する。ーーー《私たちは》何かを欲して、《つねに何か別のものを達成する》」(ニーチェ「生成の無垢・下巻・七二五・P.356」ちくま学芸文庫)
これからも人間はそのように勘違いばかり犯しながら生きていくのだろう。あるいは勘違いなしに生きていくことはできないのだろう。なお、「十三歳」という年齢に関し今の日本では中学入学前後に相当する。この時期、予測不可能な様々な事態が各自を襲う。考える時間を与えることなく効率的回転ばかりが重視されるような教育はいずれ破綻するかも知れない。既にアメリカがメンタルヘルス大国と化して十五年にはなる。
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