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白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

熊楠による熊野案内/卞和(べんくわ)が問うた国王の資質

2021年06月17日 | 日記・エッセイ・コラム
前回同様、粘菌特有の変態性、さらに貨幣特有の変態性とを参照。続き。

周の時代、一人の玉造(たまつくり)職人がいた。名を卞和(べんくわ)といった。

或る時、国王は別の玉造職人を呼び、卞和が造って奉納した玉を鑑定するよう命じた。するとその玉造職人は玉を見ていった。「この玉は光り輝きもせず何らの役にも立たない無用な石に過ぎません」。それを聞いた国王は激怒。「どういう理由でこんな無用の物を奉納し、国王を欺こうとするのか」、とただちに卞和を呼び出し、卞和の左腕を斬り落とした。

「其ノ玉造、此ノ玉ヲ見テ、『此ノ玉ハ光モ無クテ不用ノ物也』ト申(まうし)ケレバ、天皇、大キニ嗔(いか)リ給テ、『何(いか)デ不用ノ物ヲバ奉テ、公(おほやけ)ヲバ詐(あざむく)ゾ』トテ、其ノ本ノ玉造ヲ召テ、左ノ手ヲ被斬(きられ)ニケリ」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第十・第二十九・P.347~348」岩波書店)

その後、国王が代替り。新しい国王が即位した。再び卞和は玉造(たまつくり)を命じられ玉を奉納した。この時も別の玉造職人が呼ばれ、卞和が造って奉納した玉を鑑定するよう命じられた。その玉造職人は前と同じく「この玉は光り輝きもせず何らの役にも立たない無用な石に過ぎません」と答えた。この国王もまた激怒。先王がやったのと同じようにただちに卞和を呼び出し、今度は卞和の右腕を斬り落とした。

「其ノ度(たび)モ亦、前(さき)ノ如ク、『此ノ玉、光モ無ク不用ノ物也』ト申(まうし)ケレバ、亦前ノ如ク、天皇嗔(いか)リ給テ、此ノ度ハ右ノ手ヲ被斬(きられ)ニケレバ、卞和泣キ悲ム事無限(かぎりな)シ」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第十・第二十九・P.348」岩波書店)

さらに国王が代替りして新しい国王が即位。これで三代目になる。この時も卞和が玉を奉納した。そして前回、前々回と同様、別の玉造職人が呼ばれ、卞和が造って奉納した玉を鑑定するよう命じられた。しかしどこからどう見ても前回、前々回と同じ玉に見える。そこで三代目の国王は「これには何か理由があるに違いない」と考え、卞和が奉納した玉をしっかり磨かせるよう指示した。磨かせてみると何とその玉はこの世に二つとないと思われるほど妖艶な光を放ち、その輝きは煌々としてどんな場所でも照らし上げぬというところがない。国王は即座に卞和を呼び出して授賞させた。先の二代の国王には両腕を斬り落とされて涙でぼろぼろになった卞和だが、三代目に至ってようやく報われたと安堵した。

「卞和、尚(なほ)不懲(こり)ズ、玉ヲ造(つくり)テ天皇ニ奉(たてまつり)タリケレバ、亦、他ノ玉造ヲ召テ見セ給テ、『尚、此ハ様(やう)有(ある)ラム』ト思(おぼ)シ食(めし)テ瑩(みがか)セ給ケレバ、世ニ並ビ無ク艶(うるはしき)光ヲ放(はなち)テ、不照(てらさ)ヌ所無ク照シケレバ、天皇喜ビ給テ、卞和イン賞ヲ給テケリ。然レバ、卞和、前(さき)ノ二代ニハ涙ヲ流シテ泣キ悲ビケルニ、三代ト云フニ、賞ヲ蒙(かうぶり)テゾ喜ビケル」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第十・第二十九・P.348」岩波書店)

一方、世間は前の二代の国王がどれほど愚かだったかと非難を浴びせる話で持ちきり。なぜかという理由を考えるべき時、ご自身の眼力が問われるまさにその瞬間、いともたやすく名匠の腕を切断されてしまわれたとは余りにも幼稚というほかない。

「此レ、二代ノ天皇ノ愚(おろか)ニ御(おはし)ケル也。『尚、様有ラム』ト思廻(おぼしめぐら)シ可給(たまふべ)キニ、吝(やさし)ク手ヲ被斬(きらる)ルガ弊(つたな)キ也」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第十・第二十九・P.348」岩波書店)

さらに世間は卞和の態度をこう評した。「もし前と同じ経過を辿っていたら今度は間違いなく頸(くび)を刎ね飛ばされていただろうに」。と言いつつ卞和には卞和なりの心情があったのだろうと。

「前ノ二代ニハ既ニ左右(さう)ノ手ヲ被斬(きら)レヌ。此ノ度(た)ビ、若(も)シ前ノ二度ノ如ク有(あら)マシカバ、此ノ度ハ頸(くび)ヲ被斬(きられ)ナマシ」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第十・第二十九・P.349」岩波書店)

類話の多い説話だが、ほぼ同じエピソードが「韓非子」に見える。古代中国「和氏(かし)の璧(へき)」の由来。

「楚人和氏、得玉璞楚山中、奉而献之厲王、厲王使玉人相之、玉人曰、石也、王以和為誑、而刖其左足、及厲王薨、武王即位、和又奉其璞而献之武王、武王使玉人相之、又曰石也、王又以和為誑、而刖其右足、武王薨、文王即位、和乃抱其璞、而哭於楚山之下、三日三夜、泪尽而継之以血、王聞之、使人問其故、曰、天下之刖者多矣、子奚哭之悲也、和曰、吾非悲刖也、悲夫宝玉而題之以石、貞士而名之以誑、此吾所以悲也、王乃使玉人理其璞、而得宝焉、遂命曰和氏之璧。

(書き下し)楚人(そひと)の和氏(かし)、玉璞(ぎょくはく)を楚山(そざん)の中(うち)に得(え)、奉じてこれを厲王(れいおう)に献ず。厲王、玉人(ぎょくじん)をしてこれを相(そう)せしむ。玉人曰わく、石なりと。王、和を以て誑(あざむ)くと為して、其の左足を刖(あしき)る。厲王薨(こう)じ、武王位に即(つ)くに及び、和又其の璞(はく)を奉じてこれを武王に献ず。武王、玉人をしてこれを相せしむ。又曰わく、石なりと。王、又和を以て誑くと為して、其の右足を刖(あしき)る。武王薨じ、文王位に即く。和乃(すなわ)ち其の璞を抱きて楚山の下(ふもと)に哭(こく)す。三日三夜、泪(なみだ)尽きてこれに継(つ)ぐに血を以てす。王これを聞き、人をして其の故を問わしめて曰わく、天下の刖(あしき)らるる者は多し。子(し)、奚(なん)ぞ哭することの悲しきやと。和曰わく、吾れは刖(あしき)らるるを悲しむに非ざるなり。夫(か)の宝玉にしてこれに題するに石を以てし、貞士(ていし)にしてこれに名づくるに誑(あざむ)くを以てするを悲しむ。此れ吾れの悲しむ所以(ゆえん)なりと。王乃ち玉人をして其の璞を理(おさ)めし、而して宝を得たり。遂(つい)に命(なづ)けて和氏の璧(へき)と曰う。

(現代語訳)楚(そ)の国の和氏(かし)という者が楚山の中で璞玉(あらたま)を手に入れ、捧げもって厲王(れいおう)に献上した。厲王は玉磨きの職人にこれを鑑定させたところ、職人は『ただの石です』と言った。厲王は和氏が自分をだましたと考え、和氏を罰してその左足のすじを切った。厲王が死んで武王が即位してから、和氏はまたもやその璞玉(あらたま)を捧げもって武王に献上した。武王は玉磨きの職人にそれを鑑定させたが、また『ただの石です』と答えた。武王もまた和氏が自分をだましたと考え、和氏を罰してその右足のすじを切った。武王が死んで文王が即位すると、和氏はそこであの璞玉(あらたま)を胸に抱いて楚山のふもとで号泣(ごうきゅう)した。三日三晩も泣きつづけて涙は枯れはて、つづいて血の涙が出るほどであった。王はそれを耳にすると、人をつかわしてそのわけをたずねさせた、『世の中に、罪を犯して足斬りの刑にあうものは多い。おまえ、どうしてそんなに悲しんで号泣するのだ』。和氏は答えた、『わたくしは足斬りの刑にあったのを悲しんでいるのではありません。あの宝石がただの石だといわれ、正直者のわたくしが嘘(うそ)つきだといわれたことが残念です。それでこのように悲しんでいるのです』。王はそこで玉磨きの職人にその璞玉(あらたま)を磨かせたところ、はたしてりっぱな宝玉であった。こうしてそれは『和氏の璧玉(へきぎょく)』と名づけられることになった」(「韓非子1・和氏・第十三・一・P.245~247」岩波文庫)

楚山(そざん)は荊山(けいせん)ともいう。今の中国湖北省襄陽市南漳県山岳地帯。日本へ輸入後も有名なエピソードとして定着した。「太平記」にも類話が載るが、とりわけ政治・経済・軍事に関わる者は、いつどこで何をしていても常に自分自身の眼力が問われているのであり、周囲の様々な進言が正しいか正しくないかの判断に責任を持たなければ国王といえども許されない、という意味になった。韓非子にこうある。「泪尽而継之以血」。書き下すと「泪(なみだ)尽きてこれに継(つ)ぐに血を以てす」。現代語訳で「泣きつづけて涙は枯れはて、つづいて血の涙が出るほどであった」。日本では「血の涙」という言葉で語り継がれている。「血の涙」を流しているわけは両足を切断されたからではなく、「正直者のわたくしが嘘(うそ)つきだといわれ」、逆に別人の虚偽発言を国王が鵜呑みに信じ込んでしまわれたことが悔しくてならないと。「国王・皇帝」、その名称が日本では天皇に当たるため、「血の涙」を詠んだ歌を天皇の前で歌うのはタブーとされていた。素性法師に次の歌がある。

「さきのおほきおほいまうちぎみを、白川(しらかは)のあたりに送りける夜よめる

血の涙おちてぞたぎつ白川は君が世までの名にこそ有りけれ」(「古今和歌集・巻第十六・八三〇・そせい法師・P.192」岩波文庫)

しかしこれは死者を弔う「哀傷歌・挽歌(ひきうた)」。「白川(しらかは)」は平安京の鴨川東岸一帯を指し、「愛宕(おたぎ)・鳥部野(とりべの)」同様、葬送の地だった頃に詠まれたもの。「源氏物語」にこうある。

「『同(おな)じ煙にのぼりなん』と泣(な)きこがれ給ひて、御送りの女房(ばう)の車に慕(した)ひ乗(の)り給ひて、愛宕(おたぎ)といふ所(ところ)にいといかめしうそのさほふしたるに、おはしつきたる心(ここ)ち、いかばかりかはありけむ、むなしき御骸(から)を見(み)るみる、猶(なほ)おはする物(もの)と思ふがいとかひなければ、『灰(はひ)になり給はんを見(み)たてまつりて、いまは亡(な)き人とひたふるに思ひなりなむ』」(新日本古典文学大系「桐壺」『源氏物語1・P.9』岩波書店)

「今昔物語(本朝部)」にも見える。

「早(はや)ウ失(うせ)給ヒニシカバ、夜前(よべ)ナム鳥部野(とりべの)ニ葬(はうぶり)シ奉(たてまつり)テシ」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第三十一・第八・P.457」岩波書店)

後者の主題は恋愛。ゆえに歌合では恋歌(こいうた)として詠まれたこともあったようだ。

さて。卞和(べんくわ)の造った玉の価値について。ニーチェのいう債権・債務関係が前提されている。

「人間歴史の極めて長い期間を通じて、悪事の主謀者にその行為の責任を負わせるという《理由》から刑罰が加えられたことは《なかった》し、従って責任者のみが罰せられるべきだという前提のもとに刑罰が行われたことも《なかった》。ーーーむしろ、今日なお両親が子供を罰する場合に見られるように、加害者に対して発せられる被害についての怒りから刑罰は行なわれたのだ。ーーーしかしこの怒りは、すべての損害にはどこかにそれぞれその《等価物》があり、従って実際にーーー加害者に《苦痛》を与えるという手段によってであれーーーその報復が可能である、という思想によって制限せられ変様せられた。ーーーこの極めて古い、深く根を張った、恐らく今日では根絶できない思想、すなわち損害と苦痛との等価という思想は、どこからその力を得てきたのであるか。私はその起源が《債権者》と《債務者》との間の契約関係のうちにあることをすでに洩らした。そしてこの契約関係は、およそ『権利主体』なるものの存在と同じ古さをもつものであり、しかもこの『権利主体』の概念はまた、売買や交換や取引や交易というような種々の根本形式に還元せられるのだ」(ニーチェ「道徳の系譜・第二論文・P.70」岩波文庫)

第一に、別の玉造職人の発言によって生じた債務を履行するため卞和は二度に渡り刑罰を受けた。一度目は左腕切断。二度目は右腕切断。マルクスはいう。

「A 単純な、個別的な、または偶然的な価値形態

x量の商品A=y量の商品B または x量の商品Aはy量の商品Bに値する。(亜麻布20エレ=上衣1着 または二〇エレの亜麻布は一着の上衣に値する)。

1価値表現の両極 相対的価値形態と等価形態

すべての価値形態の秘密は、この単純な価値形態のうちにひそんでいる。それゆえ、この価値形態の分析には固有の困難がある。

ここでは二つの異種の商品AとB、われわれの例ではリンネルと上着は、明らかに二つの違った役割を演じている。リンネルは自分の価値を上着で表わしており、上着はこの価値表現の材料として役だっている。第一の商品は能動的な、第二の商品は受動的な役割を演じている。第一の商品の価値は相対的価値として表わされる。言いかえれば、その商品は相対的価値形態にある。第二の商品は等価物として機能している。言いかえれば、その商品は等価形態にある。

相対的価値形態と等価形態とは、互いに属しあい互いに制約しあっている不可分な契機であるが、同時にまた、同じ価値表現の、互いに排除しあう、または対立する両端、すなわち両極である。この両極は、つねに、価値表現によって互いに関係させられる別々の商品のうえに分かれている」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第一章・第三節・P.94」国民文庫)

従って次のように置き換えることができる。

「一人の玉造職人の虚偽発言=卞和の片腕切断」または「一人の玉造職人の虚偽発言は卞和の片腕切断に値する」。

第二に、三代目国王になってようやく冤罪だったことが立証され、玉の制作に等しい価値の報賞を得る。ところがこの「報賞」は同時に「貨幣」である。玉の価値はあらかじめ内容として実在しているわけではなく、逆に貨幣と《等置》されるや否や貨幣の側から「玉の価値」が出現する。

「人間が彼らの労働生産物を互いに価値として関係させるのは、これらの物が彼らにとっては一様な人間労働の単に物的な外皮として認められるからではない。逆である。彼らは、彼らの異種の諸生産物を互いに交換において価値として等値することによって、彼らのいろいろに違った労働を互いに人間労働として等値するのである。彼らはそれを知ってはいないが、しかし、それを行う」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第一章・第四節・P.138」国民文庫)

第三に説話には、「此ノ度ハ頸(くび)ヲ被斬(きられ)ナマシ」、とある。左腕切断、右腕切断の次は、頸(くび)の切断が続く。諸商品の無限の系列に等しい円環を描く。

「B 《全体的な、または展開された価値形態》ーーーz量の商品A=u量の商品B、または=v量の商品C、または=w量の商品D、または=x量の商品E、または=etc.(20エレのリンネル=1着の上着、または=10ポンドの茶、または=40ポンドのコーヒー、または=1クォーターの小麦、または=2オンスの金、または=2分の1トンの鉄、または=その他.)

ある一つの商品、たとえばリンネルの価値は、いまでは商品世界の無数の他の要素で表現される。他の商品体はどれでもリンネル価値の鏡になる。こうして、この価値そのものが、はじめてほんとうに、無差別な人間労働の凝固として現われる。なぜならば、このリンネル価値を形成する労働は、いまや明瞭に、他のどの人間労働でもそれに等しいとされる労働として表わされているからである。すなわち、他のどの人間労働も、それがどんな現物形態をもっていようと、したがってそれが上着や小麦や鉄や金などのどれに対象化されていようと、すべてのこの労働に等しいとされているからである。それゆえ、いまではリンネルはその価値形態によって、ただ一つの他の商品種類にたいしてだけではなく、商品世界にたいして社会的な関係に立つのである。商品として、リンネルはこの世界の市民である。同時に商品価値の諸表現の無限の列のうちに、商品価値はそれが現われる使用価値の特殊な形態には無関係だということが示されているのである。第一の形態、20エレのリンネル=1着の上着 では、これらの二つの商品が一定の量的な割合で交換されうるということは、偶然的事実でありうる。これに反して、第二の形態では、偶然的現象とは本質的に違っていてそれを規定している背景が、すぐに現われてくる。リンネルの価値は、上着やコーヒーや鉄など無数の違った所持者のものである無数の違った商品のどれで表わされようと、つねに同じ大きさのものである。二人の個人的商品所持者の偶然的な関係はなくなる。交換が商品の価値量を規制するのではなく、逆に商品の価値量が商品の交換割合を規制するのだ、ということが明らかになる」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第一章・第三節・P.118~120」国民文庫)

ところが円環は遂に停止することなく逆にどんどん差異を出現させていく。

「私たちを取り巻く世界における《なんらかの》差異性や不完全な循環形式性の現存は、それだけでもう、すべての存立しているものの或る一様の循環形式に対する一つの《充分な反証》ではないのか?循環の内部での差異性はどこから由来するのか?この経過する差異性の存続期間はどこから由来するのか?すべてのものは、《一つのもの》から発生したにしては、《あまりにも多様すぎる》のではないか?そして多くの《化学的な》諸法則や、他方また《有機的な》諸種類や諸形態も、一つのものからは説明不可能ではないか?あるいは二つのものからは?ーーーもし或る一様の『収縮エネルギー』が宇宙のすべての力の中心のうちにあると仮定すれば、たとえ最小の差異性であれ、それがどこから発生しうるのだろうか?が疑問となる。そのときには万有は解体して、無数の《完全に同一の》輪や現存在の球とならざるをえないことだろうし、かくて私たちは無数の《完全に同一の諸世界を並存的に》もつことだろう。このことを想定することが、私にとっては必要なのか?同一の諸世界の永遠の継起のために、或る永遠の並存を?だが《これまで私たちに周知の世界》のうちなる《数多性や無秩序》が異議を唱えるのであり、発展の《そのような》同種性が存在したということはあり《え》ないことであり、さもなければ私たちとても或る一様の球形存在者になるという分け前に与ったにちがいないことだろう!」(ニーチェ「生成の無垢・下巻・一三二五・P.690~691」ちくま学芸文庫)

説話の基礎的解釈に戻っていえば、今の日本政府は与野党ともに余りにも第一第二の国王に似ている。そしてそのトップが今の首相ということになる。

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