前回同様、粘菌特有の変態性、さらに貨幣特有の変態性とを参照。続き。
唐の時代、大史令(だいしりやう)を務める傅奕(ふやく)という人物がいた。大原(だいぐゑん)出身。大原は今の中国山西省太原市。隋の末頃、幼少期から既に学問で頭角を顕し、なかでも天文学・暦学に秀でていた。大変聡明でなおかつ非常に弁舌が巧み、議論が始まると優れた点がさらに際立った。武徳(ぶとく)・貞観(ぢやうぐわん)年間になると約二十年間の長きに渡り大史令(だいしりやう)の職務についた。ただ、思想的に一方的な偏りが顕著で、仏法をまったく信じない面があった。相手が僧であれ尼であれ常に軽んじる態度は露骨で、石仏など見つけると塼瓦(かはら)=敷瓦に使っていた。説話では貞観十四年(六四〇年)の秋に死去。実際は貞観十三年(六三九年)に死去。過酷な廃仏論者ゆえ冥途に行った説話に類別される。
なお、「大史」は古代中国で法令・天文・暦に関する行政を管理する高級官僚。大史令はその長官。法令の文書起草や提言を行い国家の祭祀を司る役職でもある。傅奕は極端な廃仏政策を何度も提言したとされる。
そんな傅奕が大史令(だいしりやう)の任にあった頃、同僚に仁均(にんきん)・薩賾(さつさく)という人物がいた。薩賾は仁均に「銭五千」を借りていたが返済する前に仁均は死んでしまった。薩賾は借金をどうやって返せばよいのかわからずにいた矢先、夢の中に仁均が出てきた。同じ職務にあったがゆえ互いに積もる話をし合った。既に死去してはいても夢の中の仁均は生前とまったく変わらない。薩賾は借りた「銭五千」を返したいのだが仁均は死んでしまっているので返済する方法を尋ねた。すると仁均は「泥人に預けてほしい」という。「泥人?」と薩賾が聞くと仁均は「大史令を務める傅奕のことだ」といった。
「其ノ後(のち)、薩賾、夢ニ仁均ヲ見ル、物語(ものがたり)スル事、生(いき)タリシ時ノ如シ。薩賾、先(さ)キニ、負(おほ)セタル銭ノ事ヲ問(とひ)テ云(いは)ク、『此レ、誰(たれ)ニカ付(つけ)タル』ト。仁均ガ云ク、『泥人ニ可付(つくべ)シ』ト。薩賾ガ云ク、『泥人ト云(いふ)ハ、此レ、誰(たれ)人ゾ』ト。仁均ガ云ク、『泥人ト云ハ、大史府ノ令也』ト云フト見テ、夢覚(さめ)ヌ」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第九・第三十三・P.246」岩波書店)
一方、同じ日の夜、少府監(せうふげん)を務める憑(ひよう)ノ長命(ちやうめい)という人物が或る夢を見た。少府監は古代中国で政令を司る役職。夢の中に先に死去した知人が出てきた。長命は尋ねる。「仏法の教えでは罪福の報いがあると言われているけれども、例えば傅奕は仏教をまったく信じていない。死後、どのような罪あるいは福を受けているのだろうか」。先に死んだ知人はいう。「罪福の報いは間違いなくある」と答えた。そこで夢が覚めた。間もなく傅奕は越洲(ゑつしう)に流罪となりその地で泥人になった。越洲(ゑつしう)は今の浙江省紹興県。
「『経ノ文ニ罪ヲ説ク。傅奕ガ如クハ、生(いき)タリシ時、仏法ヲ不信(しんぜ)ズ。死(しに)テ後、何ナル罪ヲカ受(うく)ベキ』。其ノ人答(こたへ)テ云ク、『罪福定メテ其ノ報有リ』ト云フト見テ、夢覚(さめ)ヌ。其ノ後、傅奕、既ニ越洲(ゑつしう)ニ被配(はいせら)レテ、泥人ト成ル」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第九・第三十三・P.246」岩波書店)
その後長命は官庁で薩賾を見かけて先日見た夢の話を詳しく語ったところ、薩賾もまた夢の中で今は亡き仁均が出てきて泥人について語ったと告げた。二人は奇しくも傅奕が泥人になる内容の夢を同じ日の夜に見たことに驚き、かつ何とも言えない嘆息を漏らした。
「長命、殿(との)ニ入(いり)テ、薩賾ヲ見テ、具(つぶさ)ニ夢ノ事ヲ語ル。薩賾、亦自(みづか)ラ泥人ノ事ヲ語ル。二(ふたり)ノ人、同(おなじ)夜、暗(そら)ニ相ヒ会(あへ)リ」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第九・第三十三・P.246」岩波書店)
薩賾は夢で仁均が言ったように借りていた「銭五千」を傅奕に預けに行った。夢で見た内容も傅奕に告げた。仁均の言葉通りなら傅奕は極楽ではなく冥途行き確定ということになるので釈然としないはずだが預かっておいた。するとほんの数日して傅奕は本当に死んでしまった。
「薩賾、銭ヲ傅奕ニ付ク。傅奕、其(その)夢ヲ聞テ後、数日(すじつ)ヲ経テ死セル也トナム」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第九・第三十三・P.246」岩波書店)
さて。どの宗教であれ地獄・極楽という両極に区別される死生観は付きものだが、その是非や歴史的変遷については宗教者や宗教学者の研究対象であろう。それはそれとして、この説話を通して見ておきたいのは宗教観の是非ではなく、説話そのものを成立せしめている条件が他でもない貨幣である点。薩賾が仁均に借りた「銭五千」を仁均の生きているうちに返済していればもとよりこの説話は成立する余地をまったく残さない。ところが返済する前に仁均が死去して冥途に行ってしまったことから返済までの時間的猶予が生じた。このぽっかり空いた「穴」を仏教説話という形式で埋め合わせる構造が取られている。ニーチェのいう債権・債務関係。
「人間歴史の極めて長い期間を通じて、悪事の主謀者にその行為の責任を負わせるという《理由》から刑罰が加えられたことは《なかった》し、従って責任者のみが罰せられるべきだという前提のもとに刑罰が行われたことも《なかった》。ーーーむしろ、今日なお両親が子供を罰する場合に見られるように、加害者に対して発せられる被害についての怒りから刑罰は行なわれたのだ。ーーーしかしこの怒りは、すべての損害にはどこかにそれぞれその《等価物》があり、従って実際にーーー加害者に《苦痛》を与えるという手段によってであれーーーその報復が可能である、という思想によって制限せられ変様せられた。ーーーこの極めて古い、深く根を張った、恐らく今日では根絶できない思想、すなわち損害と苦痛との等価という思想は、どこからその力を得てきたのであるか。私はその起源が《債権者》と《債務者》との間の契約関係のうちにあることをすでに洩らした。そしてこの契約関係は、およそ『権利主体』なるものの存在と同じ古さをもつものであり、しかもこの『権利主体』の概念はまた、売買や交換や取引や交易というような種々の根本形式に還元せられるのだ」(ニーチェ「道徳の系譜・第二論文・P.70」岩波文庫)
債務が返済されるや否や両者は均衡を得るため、それまで生じていた不均衡は解消され、出現していた「穴」は消え失せる。もはや両者は再び出会う必然性を失う。説話では薩賾が、死んだ仁均に返してくれと「銭五千」を傅奕に預けるやほどなく本当に傅奕は死ぬ。従ってこの説話成立条件は薩賾が仁均にとって債務者として存在している間に限られる。薩賾が傅奕のもとを訪れ「銭五千」を預けた瞬間、薩賾は債務者でなくなる。そして薩賾と長命とが同じ日の夜に別々の場所で見た予言的な夢の通りに傅奕は流刑地で死んで説話は終わる。債務が履行されると同時に説話挿入の余地も消えてなくなる。
日本ではいち早く夏目漱石が「三四郎」の中で、債務返済義務猶予を利用して恋愛関係の機微を描いた。美禰子は三四郎に向けて貸した金の返済はまだでよいと何度も言う。そうすることで三四郎に繰り返し美禰子に向けて本音を告げる機会をわざわざ設けてやっている。ところが三四郎はいつも的外れな言動を繰り返すばかりでせっかくの貴重な時間をただ単にいたずらに消費していくばかり。とうとう美禰子は逆に自分の側に罪があるかのような絶望的憂いに沈んだまま周囲の用意した他の男性との結婚に同意するほかなく、もはや三四郎も美禰子とこれまでのような気楽な社会的立場で会うことは二度と出来なくなる。三四郎は美禰子に無上の愛を抱いているからこそ察しのよい美禰子は返済時期を意図的に延ばし延ばしして何度も告白の機会を与えた。暗い階段で二人きりになる機会まで作ってやった。にもかかわらず三四郎は偽りの態度で応じるほかなすすべを知らない。罪人は三四郎であるにもかかわらず、美禰子の側が逆に罪の意識に陥ってしまう。三四郎の態度はほとんど殺人的というほかない。既に漱石は近代日本という国家成立の過程で「貨幣・言語・性」というものが持つ意味が以前とはがらりと様相を置き換えたことを十分知っていた。
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唐の時代、大史令(だいしりやう)を務める傅奕(ふやく)という人物がいた。大原(だいぐゑん)出身。大原は今の中国山西省太原市。隋の末頃、幼少期から既に学問で頭角を顕し、なかでも天文学・暦学に秀でていた。大変聡明でなおかつ非常に弁舌が巧み、議論が始まると優れた点がさらに際立った。武徳(ぶとく)・貞観(ぢやうぐわん)年間になると約二十年間の長きに渡り大史令(だいしりやう)の職務についた。ただ、思想的に一方的な偏りが顕著で、仏法をまったく信じない面があった。相手が僧であれ尼であれ常に軽んじる態度は露骨で、石仏など見つけると塼瓦(かはら)=敷瓦に使っていた。説話では貞観十四年(六四〇年)の秋に死去。実際は貞観十三年(六三九年)に死去。過酷な廃仏論者ゆえ冥途に行った説話に類別される。
なお、「大史」は古代中国で法令・天文・暦に関する行政を管理する高級官僚。大史令はその長官。法令の文書起草や提言を行い国家の祭祀を司る役職でもある。傅奕は極端な廃仏政策を何度も提言したとされる。
そんな傅奕が大史令(だいしりやう)の任にあった頃、同僚に仁均(にんきん)・薩賾(さつさく)という人物がいた。薩賾は仁均に「銭五千」を借りていたが返済する前に仁均は死んでしまった。薩賾は借金をどうやって返せばよいのかわからずにいた矢先、夢の中に仁均が出てきた。同じ職務にあったがゆえ互いに積もる話をし合った。既に死去してはいても夢の中の仁均は生前とまったく変わらない。薩賾は借りた「銭五千」を返したいのだが仁均は死んでしまっているので返済する方法を尋ねた。すると仁均は「泥人に預けてほしい」という。「泥人?」と薩賾が聞くと仁均は「大史令を務める傅奕のことだ」といった。
「其ノ後(のち)、薩賾、夢ニ仁均ヲ見ル、物語(ものがたり)スル事、生(いき)タリシ時ノ如シ。薩賾、先(さ)キニ、負(おほ)セタル銭ノ事ヲ問(とひ)テ云(いは)ク、『此レ、誰(たれ)ニカ付(つけ)タル』ト。仁均ガ云ク、『泥人ニ可付(つくべ)シ』ト。薩賾ガ云ク、『泥人ト云(いふ)ハ、此レ、誰(たれ)人ゾ』ト。仁均ガ云ク、『泥人ト云ハ、大史府ノ令也』ト云フト見テ、夢覚(さめ)ヌ」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第九・第三十三・P.246」岩波書店)
一方、同じ日の夜、少府監(せうふげん)を務める憑(ひよう)ノ長命(ちやうめい)という人物が或る夢を見た。少府監は古代中国で政令を司る役職。夢の中に先に死去した知人が出てきた。長命は尋ねる。「仏法の教えでは罪福の報いがあると言われているけれども、例えば傅奕は仏教をまったく信じていない。死後、どのような罪あるいは福を受けているのだろうか」。先に死んだ知人はいう。「罪福の報いは間違いなくある」と答えた。そこで夢が覚めた。間もなく傅奕は越洲(ゑつしう)に流罪となりその地で泥人になった。越洲(ゑつしう)は今の浙江省紹興県。
「『経ノ文ニ罪ヲ説ク。傅奕ガ如クハ、生(いき)タリシ時、仏法ヲ不信(しんぜ)ズ。死(しに)テ後、何ナル罪ヲカ受(うく)ベキ』。其ノ人答(こたへ)テ云ク、『罪福定メテ其ノ報有リ』ト云フト見テ、夢覚(さめ)ヌ。其ノ後、傅奕、既ニ越洲(ゑつしう)ニ被配(はいせら)レテ、泥人ト成ル」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第九・第三十三・P.246」岩波書店)
その後長命は官庁で薩賾を見かけて先日見た夢の話を詳しく語ったところ、薩賾もまた夢の中で今は亡き仁均が出てきて泥人について語ったと告げた。二人は奇しくも傅奕が泥人になる内容の夢を同じ日の夜に見たことに驚き、かつ何とも言えない嘆息を漏らした。
「長命、殿(との)ニ入(いり)テ、薩賾ヲ見テ、具(つぶさ)ニ夢ノ事ヲ語ル。薩賾、亦自(みづか)ラ泥人ノ事ヲ語ル。二(ふたり)ノ人、同(おなじ)夜、暗(そら)ニ相ヒ会(あへ)リ」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第九・第三十三・P.246」岩波書店)
薩賾は夢で仁均が言ったように借りていた「銭五千」を傅奕に預けに行った。夢で見た内容も傅奕に告げた。仁均の言葉通りなら傅奕は極楽ではなく冥途行き確定ということになるので釈然としないはずだが預かっておいた。するとほんの数日して傅奕は本当に死んでしまった。
「薩賾、銭ヲ傅奕ニ付ク。傅奕、其(その)夢ヲ聞テ後、数日(すじつ)ヲ経テ死セル也トナム」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第九・第三十三・P.246」岩波書店)
さて。どの宗教であれ地獄・極楽という両極に区別される死生観は付きものだが、その是非や歴史的変遷については宗教者や宗教学者の研究対象であろう。それはそれとして、この説話を通して見ておきたいのは宗教観の是非ではなく、説話そのものを成立せしめている条件が他でもない貨幣である点。薩賾が仁均に借りた「銭五千」を仁均の生きているうちに返済していればもとよりこの説話は成立する余地をまったく残さない。ところが返済する前に仁均が死去して冥途に行ってしまったことから返済までの時間的猶予が生じた。このぽっかり空いた「穴」を仏教説話という形式で埋め合わせる構造が取られている。ニーチェのいう債権・債務関係。
「人間歴史の極めて長い期間を通じて、悪事の主謀者にその行為の責任を負わせるという《理由》から刑罰が加えられたことは《なかった》し、従って責任者のみが罰せられるべきだという前提のもとに刑罰が行われたことも《なかった》。ーーーむしろ、今日なお両親が子供を罰する場合に見られるように、加害者に対して発せられる被害についての怒りから刑罰は行なわれたのだ。ーーーしかしこの怒りは、すべての損害にはどこかにそれぞれその《等価物》があり、従って実際にーーー加害者に《苦痛》を与えるという手段によってであれーーーその報復が可能である、という思想によって制限せられ変様せられた。ーーーこの極めて古い、深く根を張った、恐らく今日では根絶できない思想、すなわち損害と苦痛との等価という思想は、どこからその力を得てきたのであるか。私はその起源が《債権者》と《債務者》との間の契約関係のうちにあることをすでに洩らした。そしてこの契約関係は、およそ『権利主体』なるものの存在と同じ古さをもつものであり、しかもこの『権利主体』の概念はまた、売買や交換や取引や交易というような種々の根本形式に還元せられるのだ」(ニーチェ「道徳の系譜・第二論文・P.70」岩波文庫)
債務が返済されるや否や両者は均衡を得るため、それまで生じていた不均衡は解消され、出現していた「穴」は消え失せる。もはや両者は再び出会う必然性を失う。説話では薩賾が、死んだ仁均に返してくれと「銭五千」を傅奕に預けるやほどなく本当に傅奕は死ぬ。従ってこの説話成立条件は薩賾が仁均にとって債務者として存在している間に限られる。薩賾が傅奕のもとを訪れ「銭五千」を預けた瞬間、薩賾は債務者でなくなる。そして薩賾と長命とが同じ日の夜に別々の場所で見た予言的な夢の通りに傅奕は流刑地で死んで説話は終わる。債務が履行されると同時に説話挿入の余地も消えてなくなる。
日本ではいち早く夏目漱石が「三四郎」の中で、債務返済義務猶予を利用して恋愛関係の機微を描いた。美禰子は三四郎に向けて貸した金の返済はまだでよいと何度も言う。そうすることで三四郎に繰り返し美禰子に向けて本音を告げる機会をわざわざ設けてやっている。ところが三四郎はいつも的外れな言動を繰り返すばかりでせっかくの貴重な時間をただ単にいたずらに消費していくばかり。とうとう美禰子は逆に自分の側に罪があるかのような絶望的憂いに沈んだまま周囲の用意した他の男性との結婚に同意するほかなく、もはや三四郎も美禰子とこれまでのような気楽な社会的立場で会うことは二度と出来なくなる。三四郎は美禰子に無上の愛を抱いているからこそ察しのよい美禰子は返済時期を意図的に延ばし延ばしして何度も告白の機会を与えた。暗い階段で二人きりになる機会まで作ってやった。にもかかわらず三四郎は偽りの態度で応じるほかなすすべを知らない。罪人は三四郎であるにもかかわらず、美禰子の側が逆に罪の意識に陥ってしまう。三四郎の態度はほとんど殺人的というほかない。既に漱石は近代日本という国家成立の過程で「貨幣・言語・性」というものが持つ意味が以前とはがらりと様相を置き換えたことを十分知っていた。
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