白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

熊楠による熊野案内/蘇規(そき)夫婦・鏡から生じた負債

2021年06月24日 | 日記・エッセイ・コラム
前回同様、粘菌特有の変態性、さらに貨幣特有の変態性とを参照。続き。

或る時、蘇規(そき)という人物がいた。国の官僚として遥かに遠い洲へ赴任することになった。蘇規(そき)には妻がおり、単身赴任に当たって妻にこう語った。

「わたしは国王の命に従ってここからかなり遠方の洲へ勅使として赴任することになった。そなたと会うことは久しく不可能となるだろう。その前に言っておきたいと思う。わたしは遠くの洲で任務に当たっている間、他の女性と関係を持つことはけっしてしない。そなたもまた、他の男性と関係を持ってはいけない。そこで一つの鏡があるのだが、この鏡を二つに割って一方をそなたに預けておこうと思う。もう一方はわたしが持って行く。というのは、もしわたしが地方へ出向している間、そなた以外の女性と性的関係を持つや否や二つに割った鏡の半分は否応なくそなたの手元へ飛び来たってそなたの鏡にきっちり符号するはずだからだ。また逆にそなたがわたしの不在時に他の男性と性的関係を持つや否やそなたに預けたもう半分の鏡はたちまちわたしの手元に飛び来たってわたしが持つもう半分の鏡と符号するに違いないから」。

「我レ、国王ノ使トシテ遠キ洲ヘ行ク。汝ト不相見(あひみ)ズシテ久クアルベシ。然レバ我レ、他(ほか)ノ女ニ不可娶(とづぐべから)ズ。汝亦、他(ほか)ノ男ニ不可近付(ちかづくべから)ズ。此レニ依(より)テ、一(ひとつ)ノ鏡ヲ二(ふたつ)ニ破(わり)テ、半(なから)ハ汝ニ預(あづけ)ム、半ハ我レ持(も)テ行(ゆか)ム。若(も)シ我レ、他ノ女ニ娶(とつが)バ、我ガ半ノ鏡必ズ飛ビ来(きたり)テ、汝ガ鏡ニ可合(あふべ)シ。亦若シ、汝(なむ)ヂ、他ノ男ニ娶(とつが)バ、亦汝ガ持(も)タル半(なからの)鏡飛ビ来(きたり)テ、我ガ半(なからの)鏡ニ可合(あふべ)シ」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第十・第十九・P.332」岩波書店)

蘇規とその妻は両者ともにこの提案に合意した。蘇規は割った鏡の一方をいつも身に付け、妻はもう一方を家にある箱の中に納めた。そして蘇規は遥か遠方の赴任先へ出向していった。しばらくすると妻は家の中に他の男性を連れ込んで性行為に励み始めた。しかし妻は一体どの程度の期間我慢したか。諸本では蘇規の単身赴任後「十日程」とあるようで、ほとんど毎日のように男なしの暮らしに我慢できるタイプではなかったらしい。逆に蘇規は妻の性癖をよく知らなかったか、知っているがゆえにわざと二人で鏡を共有する約束を持ちかけたのかもしれない。

「其ノ後、程ヲ経テ、妻(め)、家ニ有(あり)テ他(ほか)ノ男ニ娶(とつぎ)ニケリ」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第十・第十九・P.332」岩波書店)

遠方の洲にいる蘇規に妻の不倫がすぐ発覚する恐れはまずない。蘇規は何一つ知らないまま勤務地で任務に当たっていた。ところがそこへほんの数日前に合意したばかりの鏡がいきなり飛び来たった。両方の鏡を付き合わせて照合してみると両者はぴたりと符合した。蘇規は約束が破られたことを知り、信じ合うということの困難さが身に染み渡った気がした。なお「沙(いさご)ノ如シ」とある箇所は意味不明。だが前後の文章を見ると「契・約・誤(あざむき)・契・違(たがへ)」とあることから帰納すれば、文脈上ほぼ間違いなく「約ノ如シ」と考えるのが妥当だろう。

「蘇規、其ノ事ヲ不知(しら)ズシテ外洲(ほかのくに)ニ有ル間、妻ノ半(なからの)鏡、忽(たちまち)ニ飛ビ来(きたり)テ蘇規ガ半(なからの)鏡ニ合フ事、沙(いさご)ノ如シ。然レバ蘇規、我ガ妻(め)忽ニ約ヲ誤(あざむき)テ、他ノ男ニ娶(とつぎ)ニケリト云フ事ヲ知テ、契ヲ違(たがへ)タル事ヲ恨(うらみ)ケリ」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第十・第十九・P.332~333」岩波書店)

さて。説話に従えば、この鏡は「割符」ではない。それどころか「割符」以上のことをする。二つに割った鏡の一方ともう一方との割れ目を慎重に付き合わせてみた上でそれが一致したからといって、ただそれだけで証拠として承認されるのは「性関係」の世界ばかりとは必ずしも限らない。むしろ「貨幣制度」の世界(=金融機構)に向いている。鏡の場合、証拠の一つとして採用されるのは言うまでもないことであり、それ以上に現場を可視化してまざまざと見せつける監視カメラの効果を併せ持つ。その意味でこの種の鏡は金融商品を取り扱うどの機関よりもさらに上のメタ・レベルに立つ。金融取引はこのような構造上、金融機関は金融機関自身をいつも監視し取り締まる機能を身に帯びざるを得ない立場に自分自身を晒している。

では二つに割ったこの鏡は一体何なのだろうか。第一にただ単に二つに割れた鏡の一方と他方とでしかない。しかし第二に、二つに割ったその瞬間、鏡のどちらの側にも負債が発生している。失われたもう一方を別の等価のもので贖わなければならないという負債が、債務として出現している。ただし、この債務は必ずしも別の等価のもので贖われなければならないかといえば必ずしもそうではない。債権・債務関係が義務化した理由は、両者の間で「契約」が交わされたからにほかならない。とはいえ何らの猶予もまるでなくなってしまうわけではない。だがこの場合は違った。夫も妻も合意した上でなおかつ発生した一方の側の「違約」。ゆえに二つに割られた鏡は両者ともども生じた負債から逃れることはもはや不可能になった。ニーチェはいう。

「人間歴史の極めて長い期間を通じて、悪事の主謀者にその行為の責任を負わせるという《理由》から刑罰が加えられたことは《なかった》し、従って責任者のみが罰せられるべきだという前提のもとに刑罰が行われたことも《なかった》。ーーーむしろ、今日なお両親が子供を罰する場合に見られるように、加害者に対して発せられる被害についての怒りから刑罰は行なわれたのだ。ーーーしかしこの怒りは、すべての損害にはどこかにそれぞれその《等価物》があり、従って実際にーーー加害者に《苦痛》を与えるという手段によってであれーーーその報復が可能である、という思想によって制限せられ変様せられた。ーーーこの極めて古い、深く根を張った、恐らく今日では根絶できない思想、すなわち損害と苦痛との等価という思想は、どこからその力を得てきたのであるか。私はその起源が《債権者》と《債務者》との間の契約関係のうちにあることをすでに洩らした。そしてこの契約関係は、およそ『権利主体』なるものの存在と同じ古さをもつものであり、しかもこの『権利主体』の概念はまた、売買や交換や取引や交易というような種々の根本形式に還元せられるのだ」(ニーチェ「道徳の系譜・第二論文・P.70」岩波文庫)

さらに。

「これこそは《責任》の系譜の長い歴史である。約束をなしうる動物を育て上げるというあの課題のうちには、われわれがすでに理解したように、その条件や準備として、人間をまずある程度まで必然的な、一様な、同等者の間で同等な、規則的な、従って算定しうべきものに《する》という一層手近な課題が含まれている。私が『風習の道徳』と呼んだあの巨怪な作業ーーー人間種族の最も長い期間に人間が自己自身に加えてきた本来の作業、すなわち人間の《前史的》作業の全体は、たといどれほど多くの冷酷と暴圧と鈍重と痴愚とを内に含んでいるにもせよ、ここにおいて意義を与えられ、堂々たる名分を獲得する。人間は風習の道徳と社会の緊衣との助けによって、実際に算定しうべきものに《された》」(ニーチェ「道徳の系譜・第二論文・P.64」岩波文庫)

従って「違約」が、この場合は妻による「違約」が、さらに二人を追い詰めることになった。そしてなおかつこの種の負債は、破られるや否やただちに取り立てにやって来る鬼のような義務に取り憑かれている。また、取り憑かれていなくては負債といっても名ばかりに過ぎず、名ばかりの負債に過ぎないのであれば返済義務などもとよりないに等しい。「貨幣・言語・性」に関してまだまだ謎が多過ぎる。ただ、その謎の底知れなさにもかかわらず、謎を覆い隠しているものが今なおある。貨幣にも言語にも性にもただならぬ矛盾や割り切れない部分が多少なりとも生じるのは世の常。この割り切れない部分を覆い隠すために非常に便利な「制度」が実はある。便利なのは信じて疑われることがないか、疑われているにもかかわらず特定地域に限り、それが余りにも幅を利かせているため、どこにでもいそうなごく当たり前の個人の力ではどうすることもできない悪循環にはまり込んでしまっているからである。

「私たちは、後を追って継起する規則的なものに馴れきってしまったので、《そこにある不思議なものを不思議がらないのである》」(ニーチェ「権力への意志・下巻・六二〇・P.153」ちくま学芸文庫)

それらは諸外国で既に「制度」としては無効化しつあるばかりか、より一層無効化しながら日々新しく現実的にも有効性の見込めるアイデアの模索とともにアップデートされてきているにもかかわらず、例えば日本に限りほとんどまったくアップデートされる様相一つ見られない諸案件に多い。一つばかり代表的なものを上げるとすれば《家》という「制度」がそうだ。東アジアに色濃く残る「制度」としての《家》。欧米では遥か昔に乗り越えられている。欧米でそれが可能だったのはなぜか。

「哲学的誇大広告ーーーこれがお上品なドイツ市民の胸にさえ慈悲深い国民感情を奮い起こさせるのだがーーーを正しく評価するためには、また、《こうした青年ヘーゲル派運動総体の》狭量さ<と>、地方的偏狭さを、<そして>《とりわけ》これらの英雄たちの実際の業績と業績に関する幻想との間の悲喜劇的なコントラストを明瞭にするためには、この騒動全体をいったんドイツの外なる見地から眺めてみることが必要である」(マルクス=エンゲルス「ドイツ・イデオロギー・P.36」岩波文庫)

またさらに。

「《『漂泊者』は語る》。ーーーわれわれのヨーロッパの道徳性を一度遠くから眺められるようにするためには、それを過去あるいは将来の別な道徳性と比べて見るためには、ある町の塔の高さのほどを知ろうとする漂泊者のやりかたと同じことをやらねばならない、ーーーつまり、それをやるために漂泊者はその町を《立ち去る》。『道徳的先入見についての考察』には、それが先入見に関する先入見に堕さないようにするためには、道徳《外》に位置することが、われわれがそこまで昇り・攀(よ)じ・飛翔すべき何か善悪の彼岸といった位置が、前提となる」(ニーチェ「悦ばしき知識・三八〇・P.451」ちくま学芸文庫)

日本にそんな伝統はない、と反論する人々はいる。しかし実際はどうか。漱石はいう。

「東京は目の眩(くら)む所である。元禄(げんろく)の昔に百年の寿(ことぶき)を保ったものは、明治の代に三日住んだものよりも短命である。余所(よそ)では人が蹠(かかと)であるいている。東京では爪先(つまさき)であるく。逆立をする。気の早いものは飛んで来る。小野さんはきりきりと回った」(夏目漱石「虞美人草・四・P.55」新潮文庫)

「制度」としての《家》にいつまでも惨めなまでにしがみ付いている人々は漱石のいう「小野さん」のようなものだ。

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