白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

熊楠による熊野案内/霍(くわく)大将軍(たいしやうぐん)の債務不履行

2021年06月04日 | 日記・エッセイ・コラム
前回同様、粘菌特有の変態性、さらに貨幣特有の変態性とを参照。続き。

漢(かん)の先帝の時代、霍(くわく)去病という大将軍(たいしやうぐん)がいた。匈奴討伐に当たった勇猛果敢な武将として有名。国王の娘を妻(め)とした。なお、脚注によれば「先帝」が誰を指すかは不明であり「元帝」の誤認ではとしている。「元帝」なら前漢第十代・孝元帝を指すので実在したことが認められる。

一方、霍は大変な愛妻家でもあった。妻が先に死ぬとその後すぐ栢(かへ)の木を用いて霊殿を造り霊殿の中に亡き妻を祀った。

「将軍、忽(たちまち)ニ栢(かへ)ノ木ヲ伐(きり)テ一ノ殿(との)ヲ造(つくり)テ、此ノ死セル妻(め)ヲ、其ノ殿ノ内ニシテ葬(さう)シツ」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第十・第十八・P.330」岩波書店)

妻を思い出すたびに悲哀の情に陥るばかりの霍は朝夕欠かさず霊殿に赴いて食物を備え、亡き妻に礼拝してから自分の部屋に帰ってくるのが日課になっていた。そんなふうにしておよそ一年が経った頃の日晩方(ひのくれがた)、霊殿に行き供養のための食物を備えていた時、亡き妻が忽然と出現した。見ると生きていた時と同じ姿形をしている。「本ノ姿」のままというのは要するにこの世に妄執の念を残したまま死んだことを意味する。

「如此(かくのごと)クシテ既ニ一年ヲ経(へた)ル間ニ、将軍、日晩方(ひのくれがた)ニ、彼ノ殿ニ行テ、例ノ如ク食物ヲ備フル時ニ、昔ノ妻(つま)、本ノ姿ニシテ出(いで)来レリ」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第十・第十八・P.330」岩波書店)

霍にとっては今なお愛しくてならない妻だが、死んでもう一年ばかりも経たはずの人間がいきなり目の前に現れたため、それはそれとして畏怖とも恐怖ともつかない不安に襲われずにはおれない。霍は戦慄した。亡き妻はいう。「そなた、わたしへの愛ゆえ霊殿を設けて毎日食事を持って礼拝に訪れてくれています。まことに慈悲深く何と尊い行いでございましょう。喜びに耐えません」。

「汝(なむ)ヂ、我ヲ恋(こひ)テ如此(か)ク為(せ)ル事、実(まこと)ニ哀レニ貴シ。我レ、喜ブ所也」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第十・第十八・P.331」岩波書店)

その声の生々しさに逆に霍はすっかり怖気付いてしまった。すでに夜も更けて周囲には誰一人いない。怖くなった霍は早く霊殿から逃げてしまおうと思った。と、亡き妻は霍の服をびしっと捕えて逃さない。さらに激しく性行為を求めて抱きついてくる。霍は必至で逃げ去ろうともがく。亡霊と化した妻はまさか霍が自分から逃げ去ろうとするとは考えていなかったのか、とっとと霊殿から逃げ帰ろうともがく霍をぐいと掴んでその腰を一撃した。腰に打撲を受けた霍はほうほうのていで家に逃げ帰った。帰るには帰ったのだが腰の激痛に苦しみ、その夜中過ぎにはもう死んでしまった。

「夜深クシテ人無シ。将軍、逃ゲ去(さり)ナムト思フ間ニ、妻、将軍ノ衣ヲ捕ヘテ、忽(たちまち)ニ懐抱セムトス。将軍、怖(お)ヂ迷(まどひ)テ逃ゲナムト為(す)ルヲ、妻、手ヲ以テ将軍ノ腰ヲ打ツ。将軍被打(うた)レテ逃(にげ)テ去(さり)ヌ。家ニ帰(かへり)テ後、即チ、腰ヲ痛(いた)ムデ夜半ニ死(しに)ヌ」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第十・第十八・P.331」岩波書店)

その後、霍の亡き妻の亡霊が出現して霍に性行為を迫ったところ逆に霍が逃げ出そうとしたため腰に一撃を与えて殺害したという一部始終が皇帝の耳に入った。霍の亡き妻は皇帝の娘であり霍は勇猛果敢でなる大将軍。その霍を一撃で排撃したとはあっぱれなことと皇帝は女霊(むすめのりやう)にいたく感心し、亡き娘に領土五百戸を追加させた。以後、漢の国に災(わざわい)が起ろうとするたびに霍が造った霊殿が鳴動するようになった。鳴動する時の音は雷鳴のごとき大音響であり、なおかつその予言的な鳴動はいちいちよく的中する。なので世間では雷鳴のごとく霊殿が鳴動すると、いつものあの栢霊殿(はくりやうでん)=霍将軍の亡くなられた奥方の御殿が激しく揺れ動いているのだろうと取り沙汰し合ったという。

「其ノ後、天皇、此ノ事ヲ聞給テ、此ノ女霊(むすめのりやう)ヲ貴(たふとび)テ、封(ほう)五百戸ヲ加ヘ給フ。其ノ後ハ、国ニ災(わざはひ)起ラント為(す)ル時ニハ、彼ノ殿(との)ノ内鳴ル事、雷(いかづち)ノ如ク也。加之(しかのみならず)、新(あら)タナル事多シ。其ノ殿(との)ノ鳴ル時ハ、世ノ人、例ノ栢霊殿(はくりやうでん)ノ音鳴ルトゾ云ヒケル」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第十・第十八・P.331」岩波書店)

さて。第一に古代では相思相愛の間柄とはいえ、死んでから「本ノ姿」で出現するのは妄執が地上に残っており成仏していないからだと考えられていた。霍はその生々しさを恐れた。出現時間帯はこの種の類話ではよくある「日晩方(ひのくれがた)=黄昏時(たそがれどき)」。時間的境界領域。第二に等価交換が見られる。亡き妻の要求は性行為。だが霍は恐怖のあまりそれを拒否した。そこで債権・債務関係が生じる。債権者は亡き妻。債務は大将軍の名に恥じない霍の堂々たる腰づかい。ところが霍は怖がって債務不履行に走るばかり。落胆失望した亡き妻は霍の腰を打ち砕いて二度と使い物にならなくした。他の女性との不倫一つ不可能な状況に追いやった。こうしてニーチェのいう債権・債務関係は均衡を得たと言えるだろう。

三点目。なぜ栢霊殿(はくりやうでん)は国に災いが降りかかろうとするとあらかじめ予言者のごとく大音量で揺れ動くのか。「今昔物語」成立期を振り返ってみなくてはならない。呪術政治の時代は終焉を迎え、武家政権の世の中への移行期に当たっている。吉野・熊野の静寂に満ちた森林で神の声を聞き取ろうとした時代は終わりを告げ、騒々しいばかりの軍事行動がすべてを決する中世。なるほど説話は古代中国に設定されているものの、これといった典拠が見当たらず、類話はむしろ日本の平安時代後半から室町時代に多い理由はその辺りにあるに違いない。霍は国の大将軍であり武家政権の側。妻は皇帝の娘だといっても女性であり直接戦闘に参加することがなく動乱期には社会的に自分の置かれた無力さを感じさせられざるを得ない立場。両者の間の溝は埋めようにも埋めることはできない。しかし「災(わざはひ)」の意味をもっと限られた範囲に絞り込んでみると、霍にとって亡き妻の亡霊化は災難であり、亡き妻にとってまさかの霍の逃亡劇こそ災難である。両者ともに「災(わざはひ)」となっている条件を上げるとすれば、説話の冒頭箇所にあるように、霍が妻の霊殿を墓所ではなく自宅の邸内に造ったことに求められるかもしれない。葬送としての妥当性を得ていない点であり、その意味で違和感を嗅ぎ取る必要性があるかもしれない。

第四に置き換え。亡き妻の栢霊殿(はくりやうでん)への転化。

ところで、そもそも「栢(かへ)ノ木」は榧(かや)の古名。今でも建築材や家具のほか、囲碁・将棋盤に用いられることで有名。秋に実がなり、実が割れると中の種子を炒って食べる。また搾り採って食用油・頭髪油・灯火油の原料にも利用される。西鶴「西鶴諸国ばなし」にこうある。

「榧(かや)・かち栗(ぐり)・神(かみ)の松(まつ)・やま草(ぐさ)の売声(うりこゑ)のせはしく」(日本古典文学全集「西鶴諸国ばなし・巻一・三・大晦日はあはぬ算用」『井原西鶴集2・P.74』小学館)

「かち栗」は「勝軍利」とも読めるので武家の祝儀の際に重宝された。「神(かみ)の松(まつ)」は神棚に飾り付ける松、「やま草(ぐさ)」はシダ。いずれも正月の縁起物。「榧(かや)の実」も「かち栗」も正月の酒の肴として結局は食べてしまうわけだが。さらに榧(かや)の実は漢方薬として腸内寄生虫駆除に有効とされる。

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