白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・どちらでもありどちらでもない<山猫軒>「注文の多い料理店」

2021年12月24日 | 日記・エッセイ・コラム
寓話がカバーする範囲には一定の限界がある。なぜならその言語使用の系列はいつも作者の置かれた時代に束縛されている限りで理解可能だからである。ところが言語というものは作者の置かれた時代が過ぎてもなお死語化しない限り何食わぬ相貌で同じように使用されていく。するとたちまちその寓話全体の意味がすっかり変わってみえてくることになる。それが古典を面白くする要素の一つだが、作品「注文の多い料理店」などはその典型的なケースに属する。

まず第一に「二人の若い紳士(しんし)」が登場する。生活のための狩猟ではまるでなく逆に「趣味・嗜好」としての<ハンティング>のためせっせと山奥まで出かけてきた。二人の最初の対話はこうだ。

「『ぜんたい、ここらの山は怪(け)しからんね。鳥も獣(けもの)も一疋も居やがらん。なんでも構わないから、早くタンタアーンと、やって見たいもんだなあ』。『鹿(しか)の黄いろな横っ腹なんぞに、二、三発お見舞(みまい)もうしたら、ずいぶん愉快だろうねえ。くるくるまわって、それからどたっと倒(たお)れるだろうねえ』」(宮沢賢治「注文の多い料理店」『注文の多い料理店・P.41』新潮文庫 一九九〇年)

そのうち余りにも深く山奥へ迷い込んだ。寒気と空腹を覚えて不安にかられる二人の紳士。と、そこへ「立派な一軒(いっけん)の西洋造りの家」が忽然と出現した。玄関の札にこうある。「RESTAURANT 《西洋料理店》 WILDCAT HOUSE 山猫軒」。「山猫」は“WILDCAT”とあるので「やまねこ」と読むのが正しい。従って料理店の名称は「山猫軒(やまねこけん)」。

ドアには最初に金文字でこうある。

(1)「『どなたもどうかお入りください。決してご遠慮(えんりょ)はありません』」(宮沢賢治「注文の多い料理店」『注文の多い料理店・P.44』新潮文庫 一九九〇年)

(2)「『ことに肥(ふと)ったお方や若いお方は、大歓迎(だいかんげい)いたします』」(宮沢賢治「注文の多い料理店」『注文の多い料理店・P.44』新潮文庫 一九九〇年)

この(2)に「肥(ふと)ったお方や若いお方は、大歓迎(だいかんげい)」とある。「今昔物語・巻第二十六・第八話・飛騨国猿神(ひだのくにのさるがみ)、止生贄語(いけにへをとどむること)」に出てくる条件と同じシチュエーション。

「然(さ)ニハ非(あら)ズ。生贄ヲバ裸ニ成(なし)テ、俎(まないた)ノ上ニ直(うるはし)ク臥(ふせ)テ、瑞籬(みづかき)ノ内ニ掻入(かきいれ)テ、人ハ皆去(さり)ヌレバ、神ノ造(つくり)テ食(くふ)トナン聞(きく)。痩弊(やせつたな)キ生贄ヲ出(いだ)シツレバ、神ノ荒(あれ)テ、作物(さくもつ)モ不吉(よからず)、人モ病(やみ)、郷(さと)モ不静(しづかならず)トテ、此何度(かくいくたび)ト無(なく)物ヲ食(くは)セテ、食(く)ヒ太ラセント為(する)也」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十六・第八・P.38」岩波書店 一九九六年)

次のドアからは黄色の文字。

(1)「『当軒は注文の多い料理店ですからどうかそこはご承知ください』」(宮沢賢治「注文の多い料理店」『注文の多い料理店・P.45』新潮文庫 一九九〇年)

(2)「『注文はずいぶん多いでしょうがどうか一々こらえて下さい』」(宮沢賢治「注文の多い料理店」『注文の多い料理店・P.45』新潮文庫 一九九〇年)

さらに続くドアからは赤色の文字に変わる。まるで信号のようだ。

(1)「『お客さまがた、ここで髪(かみ)をきちんとして、それからはきものの泥(どろ)を落してください』」(宮沢賢治「注文の多い料理店」『注文の多い料理店・P.46』新潮文庫 一九九〇年)

(2)「『鉄砲と弾丸(たま)をここへ置いてください』」(宮沢賢治「注文の多い料理店」『注文の多い料理店・P.46』新潮文庫 一九九〇年)

(3)「『どうか帽子(ぼうし)と外套(がいとう)と靴をおとり下さい』」(宮沢賢治「注文の多い料理店」『注文の多い料理店・P.47』新潮文庫 一九九〇年)

(4)「『ネクタイピン、カフスボタン、眼鏡(めがね)、財布(さいふ)、その他金物類、ことに尖(とが)ったものは、みんなここに置いてください』」(宮沢賢治「注文の多い料理店」『注文の多い料理店・P.47』新潮文庫 一九九〇年)

そこから先は文字の色について一つも記述がない。もっとも、この先の事情についてそもそも文字の色は何ら関係がなくなる。次元が異なっているからである。二人の紳士自身が率先して打ち込まなければならない作業へ入っていく。

(1)「『壺のなかのクリームを顔や手足にすっかり塗ってください』」(宮沢賢治「注文の多い料理店」『注文の多い料理店・P.48』新潮文庫 一九九〇年)

そのクリームは実は「牛乳のクリーム」。

(2)「『クリームをよく塗りましたか、耳にもよく塗りましたか』」(宮沢賢治「注文の多い料理店」『注文の多い料理店・P.49』新潮文庫 一九九〇年)

念入りなことだ。ところが二人の紳士は余りの寒さゆえ凍傷で耳がひび割れを起こしそうになっていたところなので、かえって「ここの主人はじつに用意周到(しゅうとう)だね」とか「細かいところまでよく気がつくね」とか言う。どちらの文章にしても同じ文章であるにもかかわらず立場の違いによって同時に二通りの意味に取ることができる。詩人でもあった作者=賢治はこのような言語の使い方に熟達していたに違いない。さらに。

(3)「『料理はもうすぐできます。十五分とお待たせはいたしません。すぐたべられます。早くあなたの頭に瓶(びん)の中の香水をよく振(ふ)りかけてください』」(宮沢賢治「注文の多い料理店」『注文の多い料理店・P.49』新潮文庫 一九九〇年)

二人の紳士は思う。その香水は「どうも酢(す)のような匂(におい)がする」と。

そして次のドアにはとりわけ大きな文字が書かれている。

「『いろいろ注文が多くてうるさかったでしょう。お気の毒でした。もうこれだけです。どうかからだの中に、壺の中の塩をたくさんよくもみ込んでください』」(宮沢賢治「注文の多い料理店」『注文の多い料理店・P.50』新潮文庫 一九九〇年)

二人の紳士はお互い顔を見合わせながらぎょっとする。

「『どうもおかしいぜ』。『ぼくもおかしいとおもう』。『沢山(たくさん)の注文というのは、向うがこっちへ注文してるんだよ』。『だからさ、西洋料理店というのは、ぼくの考えるところでは、西洋料理を、来た人にたべさせるのではなくて、来た人を西洋料理にして、食べてやる家(うち)とこういうことなんだ。これは、その、つ、つ、つ、つまり、ぼ、ぼ、ぼくらがーーー』」(宮沢賢治「注文の多い料理店」『注文の多い料理店・P.50』新潮文庫 一九九〇年)

二人は逃げ出そうとするがドアにはもう鍵がかけられていて逃げられない。しかしその奥にもう一枚ドアがある。

「『いや、わざわざご苦労です。大へん結構にできました。さあさあおなかにおはいりください』」(宮沢賢治「注文の多い料理店」『注文の多い料理店・P.51』新潮文庫 一九九〇年)

二人の紳士はとうとう声をあげて泣き出し「がたがたがたがた」ふるえ始めた。逆に罠に気づかれたしまった「山猫軒」の側。店には「親方」がいる。その下で働く部下がいる。いずれも動物のようだ。しかし注目したいのは次の対話の中で親方とその部下との労使関係があかるみに出される点。

「『どっちでもいいよ。どうせぼくらには、骨も分けて呉(く)れやしないんだ』。『それはそうだ。けれどももしここへあいつらがはいって来なかったら、それはぼくらの責任だぜ』。『呼ぼうか、呼ぼう。おい、お客さん方、早くいらっしゃい。いらっしゃい。いらっしゃい。お皿(さら)も洗ってありますし、菜っ葉ももうよく塩でもんで置きました。あとはあなたがたと、菜っ葉をうまくとりあわせて、まっ白なお皿にのせるだけです。はやくいらっしゃい』。『へい、いらっしゃい、いらっしゃい。それともサラドはお嫌(きら)いですか。そんならこれから火を起してフライにしてあげましょうか。とにかくはやくいらっしゃい』」(宮沢賢治「注文の多い料理店」『注文の多い料理店・P.52』新潮文庫 一九九〇年)

呼びかけはさらに続く。

「『早くいらっしゃい。親方がもうナフキンをかけて、ナイフをもって、舌なめずりして、お客さま方を待っていられます』」(宮沢賢治「注文の多い料理店」『注文の多い料理店・P.52』新潮文庫 一九九〇年)

二人の紳士はどうなったか。

「二人はあんまり心を痛めたために、顔がまるでくしゃくしゃの紙屑(かみくず)のようになりお互いにその顔を見合せ、ぶるぶるふるえ、声もなく泣きました」(宮沢賢治「注文の多い料理店」『注文の多い料理店・P.52』新潮文庫 一九九〇年)

もっとも、作品のラストはよく知られているように二人の紳士たちは救出される。だが「さっき一ぺん紙くずのようになった二人の顔だけは、東京に帰っても、お湯にはいっても、もうもとのとおりになりませんでした」とある。作者=賢治は二人の紳士たちに背負わせたトラウマを可視化している。「もとのとおりになりませんでした」という記述によれば、このトラウマは生涯ずっと元に戻ることはなかったと言える。さらに現代医療の現場でわかってきたことだが、トラウマは脳内に記憶されるものだという点で生涯<癒える>ことはない。病気の症状として姿形を変えることはあっても。

それと並んで二十一世紀も二十年を過ぎた今、将来的に重視されなくてはならない問題が顔を覗かせている。歪曲され、ますます歪曲されていく<力>の行方についてだ。大きく三点上げられる。第一に労働力への転化。しかしよりいっそう重大な問題は近代社会構造の成立とともに樹立された次の方向性である。ニーチェに従えば二点上げることができる。(1)は世界的紛争を舞台とすることで発生する「戦争は、彼らにとって、自殺への迂路(うろ)である、しかも良心の呵責をともなわぬ迂路である」という状況。

(1)「今では何か戦争が勃発するやいなや、きまっていつも同時に民族の最も高貴な人士の胸中にすら、秘密にされてはいるものの一つの喜びが突然に生ずる。彼らは有頂天になって新しい《死》の危険へと身を投ずる、というのも彼らは祖国への献身のうちに、やっとのことであの永いあいだ求めていた許可をーーー《自分たちの目的を回避する》許可を手に入れたと、信ずるからだ。ーーー戦争は、彼らにとって、自殺への迂路(うろ)である、しかも良心の呵責をともなわぬ迂路である」(ニーチェ「悦ばしき知識・三三八・P.358~359」ちくま学芸文庫 一九九三年)

この点についてバタイユは次のように述べている。差し当たり(a)と(b)の二箇所に分けて引用しよう。

(a)「ある一つの社会の個別性は、祝祭の融合状態がそれを基礎づけるのであるが、まず初めに現実的な仕事=作業の面のうえでーーー農地による生産の面のうえでーーー定義される。そうした現実的な仕事=作業は、供儀を事物たちの世界の内へ取り込み、合体させるのである。このようにして一つの集団が統一されるということは、破壊的な激烈さ=暴力性を、外部へと向かわせる能力を持つことになる。外へと向かう暴力は、原則としてまさしく供儀や祝祭に対立する。供儀や祝祭の暴力は、内部で猛威をふるうからである。ただ宗教のみが、その宗教によって生気を与えられてえいる人々を、自分自身の実質を破壊するような消尽へと向かうよう促すことができるのである。これに対し武器を持った行動は、他の人々を破壊するか、あるいは他の人々の富や財産を破壊する。そもそも武装行動は一つの集団の内部で、個人的に実行されることもありうるけれども、構成された集団はそれを外部へと向かって行使することが可能であり、そうなると武装行動はしだいに重大な結果を及ぼし始めるのである。戦争はその死を賭けた戦闘や、虐殺、掠奪などにおいて、祝祭の意味に近い意味を持ちうる。というのは、敵はそこで一個の事物として扱われているのではないという点においてである。しかし戦争はこうした爆発的な力の行使に限られているのではなく、またいま述べたような枠組みの内においても、供儀がそうであるような失われた内奥性への回帰を目ざして行われるゆっくりした行動ではない。それはある無秩序な噴出であって、その作用の方向が外部へと導かれるせいで、戦士が達するかに見える内在性はたちまち奪われてしまうのである。そして確かに戦争行動は、個人の固有な生の価値を否定的に賭に投入することによって、独特な様式で個人を解体する方向性を持っているけれども、やがて時間の継続のうちに、逆にその価値を強調するようになることは避けがたい。というのも生き残った方の個人が、その賭への投入の結果を利益として享受する人になるからである。個体-事物の彼方へと向かうはずの個人の展開を、戦争は栄光に充ちた戦士の個人性の方向へと限定してしまう。そういう栄光ある個人は、まず最初は個人性の否定という手段によって、個体のカテゴリー(つまり根本的に事物たちの秩序を表現しているカテゴリー)のうちに、神的な次元を導入する。しかしながら彼は、そのような持続の否定を持続的なものにしようという矛盾した意志を持つことになるのである。だから彼の力は、一部分は嘘をつく力である。戦争は一つの大胆な突出ではあるけれども、そのからくりは最も見えすいたものである。したがってこういう栄光の戦士が過大評価しているものに目をつぶって無関心となるためには、あるいはまたなにものでもないものにたぶらかされて自分を大したものだと空威張りするためには、力に劣らず単純さがーーーそして愚かしさがーーー必要であろう。戦争のこうした表面的で、虚偽の性格は、重大な結果をもたらすことになる。戦争は、計測しようのない荒廃という形態だけに限られるわけではない。戦士は労働という利益を目ざす行動の仕方を排除するある種の使命を、不分明に漠然とした形では意識しているけれども、結局のところ自分の同類を奴隷状態へと還元してしまうのである。こうして彼は激烈な暴力性を服従させ、その力を、人間性をこの上なく全的に事物の秩序へと還元することに用いるようになるのである。おそらく戦士はこの還元作用を先導する者ではないであろう。奴隷を一個の事物にする操作は、労働があらかじめ制度化されていたということを前提としているからである。しかし自由な労働者は、自発的に事物となったのであった。それもある一定の時間のあいだだけそうなのだった。だから奴隷のみが、こうした還元の結果を全面的に受け入れることになる。つまり軍事秩序は、そのような奴隷を一個の商品にするのである。(さらに正確を期すためには、もし奴隷制度がなかったならば、事物たちの世界はその全面的開花に達することはなかったであろう、と付け加えておく必要さえ感じる)。このようにして戦士の見えすいた無意識状態は、現実秩序を支配的なものにする方向に主として働くのである。戦士が不当にも我が物にしている聖なる威信は、実は深い地点で有用性という錘(おもり)にまで還元された世界の上辺をうろつく見せかけにしか過ぎない。戦士の高貴さとはちょうど淫売婦の微笑と同じような性質のものであって、その真実は利益追求にあるのである」(バタイユ「宗教の理論・第一部・三・供犠、祝祭および聖なる世界の諸原則・P.75~78」ちくま学芸文庫 二〇〇二年)

(b)「軍事秩序は、消尽が大饗宴(オルギア)さながらに頻繁に繰り返される情況に応じていたあの漠然たる不安感や不満の感情に終止符を打った。それは諸力を合理的に用いるよう命じ、そうすることで権力の絶え間ない増大を計ったのである。征服という方法的な精神は、供儀の精神とは正反対なものであり、そもそも初めから軍事社会の王たちは供儀に捧げられるのを拒むのである。軍事秩序の原則は、暴力性を方法的なやり方で外部へと方向転換することである。もし暴力性が内部で猛威をふるっているとすると、軍事秩序は可能な限りそれに対立しようとする。そして暴力の方向を外へとずらしながら、ある現実的な目標へとそれを服従させる。このようにして軍事秩序は一般的に暴力を服従させるのである。だから軍事秩序は派手に人目をひく戦闘の諸形態とは、つまりそういう戦闘は有効性を合理的に計算することよりも狂熱の堰を切ったような爆発によりよく応じているのだけれども、そのような戦闘形態とは正反対のものなのである。軍事秩序はもはや、かつて原始的な社会体制が戦闘や祝祭においてそうしたように、諸力の最も大きな濫費を狙うことはない。諸力を蕩尽する活動は残っているけれども、ある効率的生産性の原則に最大限に服従しているのである。力が濫費されるとしても、それはもっと大きな力を獲得する目的でそうされるのである。原始的な社会は、戦争においても、奴隷を掠奪することに限定していた。そしてその社会の原則に応じて、こうした獲得物を祭礼において虐殺することでその埋め合せをしていたのである。ところが軍事秩序は戦争から得た収益を奴隷へと編成し、奴隷という収益を労働へと編成する。征服という活動をある方法的な操作、つまり帝国の拡大を目ざした操作とするのである」(バタイユ「宗教の理論・第二部・一・軍事秩序・P.85~86」ちくま学芸文庫 二〇〇二年)

続いて(2)。この動向はより遥かに難解な課題となって世界中を覆い尽くすことになるだろう。

(2)「《機械文化への反作用》。ーーーそれ自体は最高の思索力の所産であるにもかかわらず、機械は、それを操作する人たちに対しては、ほとんど彼らの低級な、無思想な力しか活動せしめない。その際に機械は、そうでなければ眠ったままであったはずのおよそ大量の力を解放せしめる。そしてこれは確かに真実である。しかし機械は、向上や改善への、また芸術家となることへの刺戟を与えることは《しない》。機械は、《活動的》にし、また《画一的》にする、ーーーしかしこれは長いあいだには、ひとつの反作用を、つまり魂の絶望的な退屈を生む。魂は、機械を通して、変化の多い怠惰を渇望することを学ぶのである」(ニーチェ「人間的、あまりに人間的2・第二部・二二〇・P.434」ちくま学芸文庫 一九九四年)

ネット依存社会の全面化。日本でも小学生から始まり思春期を通して比較的低年齢層の患者の増大が激しい。三十歳から四十歳代では当り前のようにいる。また五十歳代からそれ以上の場合でもネット操作に慣れた人々の間では少なくないというよりむしろ普通にいる。一九九〇年代一杯をかけて職場での仕事の方法が大きく変わった。その結果が原因となり原因がさらなる結果となりより一層多くの原因を打ち広がらせ、今やネット依存の無数の病態が出現してきた。原因と結果の複数性は南方熊楠がいっていた通りである。

「これまで私は、複雑な燕石伝説のさまざまな入り組んだ原因を追求してきた。さて、原因は複数のものであり、それらが人類の制度の発展に、いかに些細であろうとも、本質的な影響を及ぼしてきたということが充分に認識されている今日でさえ、自分たちが取扱うすべての伝説について、孤立した事実や空想を、その全く唯一の起原とすることに固執する伝説研究者が、少なくないように私には思われるのである。しかし全くのところ、伝説はその原因があまりにも多様で複雑な点で、またそのために、先行するものを後になって追加されたものから解きほぐしにくいという点で、まさに夢に匹敵するものである。ところで原因のあるものは、くり返し果となり因となって、相互に作用しあう。そして原因の他のものは、組み合わされた結果のなかにとけこんで、目に見えるような痕跡を全く遺さないのである」(南方熊楠「燕石考」『南方民俗学・P.389』河出文庫 一九九一年)

というふうに原因は必ずしも「ネットだけ」にあるのではない。むしろ人間自身を含めた「ネット環境全体」が様々に組み合わされ組み換えられて行く条件が世界的規模で整っていることと、同時に大量の人間を特定のネット環境に集中させてしまう社会的重圧が生身の人間に備わっている免疫機能を遥かに越えて限界突破してしまっていることが上げられる。またネット依存の場合はアルコールや薬物とはやや異なりギャンブル依存症に似ている。人間の身体が何らかの物質を直接摂取するわけではない。だがその作用は脳の中で瞬時に記憶される。或る脳機能が別の脳機能へとまたたく間に転倒する。ヘーゲルはいう。

(1)「弁証法の正しい理解と認識はきわめて重要である。それは現実の世界のあらゆる運動、あらゆる生命、あらゆる活動の原理である。また弁証法はあらゆる真の学的認識の魂である。普通の意味においては、抽象的な悟性的規定に立ちどまらないということは、単なる公平にすぎないと考えられている。諺にも<自他ともに生かせ>と言われているが、これは或るものを認めるとともに、他のものをを認めることを意味する。しかしもっと立入って考えてみれば、有限なものは単に外部から制限されているのではなく、自分自身の本性によって自己を揚棄し、自分自身によって反対のものへ移っていくのである。例えばわれわれは、人間は死すべきものであると言い、そして死を外部の事情にもとづくものと考えているが、こうした見方によると、人間には生きるという性質ともう一つ可死的であるという性質と、二つの特殊な性質があることになる。しかし本当の見方はそうではなく、生命そのものがそのうちに死の萌芽を担っているのであって、一般に有限なものは自分自身のうちで自己と矛盾し、それによって自己を揚棄するのである」(ヘーゲル「小論理学・上・八一・P.246~247」岩波文庫 一九五一年)

(2)「ここで問題となっているような事柄は、哲学以外のあらゆる意識およびあらゆる経験のうちにすでに見出されるものである。われわれの周囲にあるすべてのものは弁証法の実例とみることができる。われわれは、あらゆる有限なものは確固としたもの、究極のものではなくて、変化し消滅するものであることを知っている。これがすなわち有限なものの弁証法であって、潜在的に自分自身の他者である有限なものは、この弁証法によって実際またその直接の存在を超出させられ、そしてその反対のものへ転化する」(ヘーゲル「小論理学・上・八一・P.248~249」岩波文庫 一九五一年)

(3)「弁証法がその成果として否定的なものを持つ場合、この否定的なものはまさに成果であるから、それは同時に肯定的なものでもある。というのは、この否定的なものは、それを成果として生み出したものを揚棄されたものとしてそのうちに含んでおり、それなしには存在しないからである」(ヘーゲル「小論理学・上・八一・P.251」岩波文庫 一九五一年)

(3)「生あるものは死ぬ。しかもそれは、生あるものが生あるものとして自分自身のうちに死の萌芽を担っているからにほかならない」(ヘーゲル「小論理学・上・P.286」岩波文庫)

(4)「或るものは他のものになる。しかし他のものは、それ自身一つの或るものである。したがってこれも同じく一つの他のものになる。かくして《限りなく》続いていく」(ヘーゲル「小論理学・上・九三・P.286」岩波文庫 一九五一年)

(5)「エレア派において思想は自分みずからを自由に相手とし、エレア派が絶対実在だと言明するもののうちで、思想は自己を純粋に把握し、思想が概念のうちを運動する。ここに、弁証法のはじまりが、すなわち、概念における思考の純粋運動のはじまりが見られます。と同時に、思考が現象ないし感覚的存在と対立し、さらには、内部から見た自己と他者との関係のなかでの自己が対立し、自己のもとにある矛盾が対象のもとにもあらわれてくる(それが弁証法の本来のすがたです)」(ヘーゲル「哲学史講義1・P.322」河出文庫 二〇一六年)

(6)「一般に弁証法といえば、(a)外的弁証法ーーー事柄の運動の総体とは区別される観察者の運動ーーーと、(b)たんなる外からの洞察の運動ではなく、事柄そのものの本質、つまり、内容の純粋概念に導かれた運動とがあります。前者は、対象を観察した上で、これまで確実なことと見なされていた一切をぐらつかせるような根拠や側面を提示する方法です。その場合、根拠はまったく外的なものでもさしつかえなく、わたしたちは、ソフィストの哲学をあつかうさいに、この弁証法についてくわしく論じることになるはずです。もう一つの弁証法は、対象のなかにはいって観察するもので、対象は、前提や理念や当為ぬきに、外的な関係や法則や根拠からではなく、それだけで取りあげられます。観察者は事柄そのもののまっただなかに飛びこみ、対象を対象に即して観察し、対象のもつ内容に従って対象をとらえる。この観察においては、対象みずからが、対立する内容をもち、したがって廃棄されていくことをあらわにします。この弁証法は古代にとりわけよく見られます。外的な根拠にもとづいて推論する主観的な弁証法は、『正のうちには不正もあり、偽のうちには真もある』といったことを認める上ではそれなりの意味がある。が、真の弁証法は、対象が一面からして欠陥があるといった中途半端にとどまることなく、その本性の全体からして対象を解体します」(ヘーゲル「哲学史講義1・P.355」河出文庫 二〇一六年)

(7)「弁証法が最初に運動にかんして成立したことについては、その理由として、弁証法そのものが運動であること、いいかえれば、運動そのものがあらゆる存在の弁証法であることがあげられます。事物は運動するものとして自分のもとに弁証法をもっており、そして運動とは、べつのものになること、自分を廃棄していくことです」(ヘーゲル「哲学史講義1・P.357」河出文庫 二〇一六年)

(8)「矛盾は運動においてもっとも明瞭に示される。運動では、対立するものが目の前にあらわれるからです」(ヘーゲル「哲学史講義1・P.359~360」河出文庫 二〇一六年)

さらに有名な言葉。

「理性的なものは現実的であり、そして現実的なものは理性的である」(ヘーゲル「法の哲学・上・序言・P.34」岩波文庫 二〇二一年)

ここで問題となっている「理性的なもの」と「現実的なもの」とについて。

「現実性とは、本質と現存在との統一、あるいは内的なものと外的なものとの統一が、直接的な統一となったものである。現実的なものの発現は、現実そのものである。したがって現実的なものは、発現のうちにあっても、依然として本質的なものであるのみならず、直接的な外的現存在のうちにあるかぎりにおいてのみ本質的なものである。ーーー<補遺>人々は、普通、よく考えもしないで、現実と思想(正確に言えば、理念)とを対立させており、かくしてわれわれは人々がよく次のように言うのを聞く。すなわち、或る思想が正しく真理であることに異論はないが、しかしそうしたものは現実のうちには存在しない、あるいは、現実のうちにそれを実現することはできない、と。しかしこういう言い方をする人は、それによって、かれらが思想の本性をも現実の本性をも正しく把握していないことを証明しているのである。このような言い方においては、思想は主観的表象、計画、意図などと同じ意味に理解され、現実は外的な、感覚的な現存在と同じ意味に理解されている。カテゴリーおよびその表示を人々がそうまで厳密に考えていない日常生活においては、そうしたことも許されるであろう。例えば、或る税制計画(日常的には、此のようなものもイデーとよばれている)が、それ自身としては全くすぐれていて目的にかなっているが、いわゆる現実のうちには見出されず、また与えられた諸事情のもとでは実行できないというようなことも、もちろんおこりうるであろう。しかし抽象的な悟性が理念と現実という二つの規定をとらえて、その区別を動かすことのできない対立にまで高め、われわれはこの世界においては理念を頭から作り出さねばならないなどと言う場合には、われわれはこのような考え方を学問および健全な理性の名において決定的にしりぞけなければならない。なぜなら、一方において、理念はけっしてわれわれの頭脳のうちにのみあるものでもなく、またわれわれが勝手に実現したり、しなかったりできるような無力なものでもなく、絶対的に活動的なものであり、現実的なものであるからであり、他方、現実は、無思想な、あるいは、思惟をきらい、思惟の点では全く駄目になった実際家たちが考えるほど、悪くもなければ不合理でもないからである」(ヘーゲル「小論理学・下・第二部・本質論・一四二・P.81~83」岩波文庫 一九五二年)

<主観>と<客観>とに関して。

(1)「みずからが《自由であると主観的に規定する》ための《個々人の法》〔権利〕は、彼らが人倫的現実性に帰属することにおいて実現される。というのは、個々人のもつ、自分が自由だという《確信》は、このような客観性のなかで《その真理》をえ、そして個々人は、人倫的なものにおいて、《自分自身の》本質、自分の《内的な》普遍性を《現実的に》所有するからである」(ヘーゲル「法の哲学・下・第三部・一五三・P.27~28」岩波文庫 二〇二一年)

(2)「自らの欲〔要〕求のためにする個人の《労働》は、自己自身の欲〔要〕求の満足であるように、また他人の欲〔要〕求の満足でもある。個人が自己の欲〔要〕求を満足させるのは、ただ他人の労働によるのである。ーーー個別者は、自ら《個別的に》労働するとき、すでに《意識せずに》、《一般的な》労働を果たしているように、一般的な労働をも、自らの《意識》的な対象として、果たしてもいる。全体は、《全体として》個別者の仕事となり、この仕事のために、個別者は自分を犠牲とし、まさにこの犠牲によって、全体の方から、自分自身を逆に支えられるのである。ーーーここには相互的でないようなものは何もない」(ヘーゲル「精神現象学・上・理性・理性的自己意識の自己自身による実現・P.400」平凡社ライブラリー 一九九七年)

これではしかし、ミネルヴァの梟が何百何千と飛び立っても際限がないだろう。そしてまたミネルヴァの梟が何百何千もいるとすれば、<特権的>「ミネルヴァの梟」はもはやたった一羽もいなくなったということを意味している。ニーチェのいうように「神は死んだ」のだ。

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