降りそそぐ夕陽は今日の終わりを確実なものにする。だからといって明日がやってくる確実な根拠にはなり得ない。そんな或る日の夕暮れ時、疲れて居眠っている<わたくし>は秋の風から「鹿踊(ししおど)り」の話を聞いた。
「夕陽(ゆうひ)は赤くななめに苔(こけ)の野原に注ぎ、すすきはみんな白い火のようにゆれて光りました。わたくしが疲(つか)れてそこに眠(ねむ)りますと、ざあざあ吹(ふ)いていた風が、だんだん人のことばにきこえ、やがてそれは、いま北上(きたかみ)の山の方や、野原に行われていた鹿踊りの、ほんとうの精神を語りました」(宮沢賢治「鹿踊りのはじまり」『注文の多い料理店・P.129』新潮文庫 一九九〇年)
嘉十(かじゅう)が祖父たちとともにその地に移ってきた頃、その辺りはまだまるっきり黒い林のまま野原には丈(たけ)の高い草がぼうぼう生い茂っていた。嘉十たちはそこに小さな畑を切り開き、粟(あわ)・稗(ひえ)などをつくっていた。怪我をした時は「湯の湧(わ)くとこへ行って、小屋をかけて泊(とま)って療(なお)す」のが通例だった。或る時、栗の木から落ちた嘉十もまた湯治のため「糧(かて)と味噌(みそ)と鍋(なべ)」を背負って一人山中に入っていった。途中、「栃(とち)と栗とのだんご」を取り出して食べた。腹一杯になったと感じた嘉十は「栃の団子」を<うめばちそう>の「花の下に置き」ながら「こいづば鹿(しか)さ呉(け)でやべか。それ、鹿、来て喰(け)」とひとりごとのように言ってさらに歩き出した。「栃団子(とちだんご)」は作品「タネリはたしかにいちにち嚙んでいたようだった」に出てくる「こならの実」と同じく典型的な救荒食料(備荒食品)の一つ。
しばらく歩いた時、食事を取った場所に手拭(てぬぐい)を忘れたのを思い出して急いで引き返した。ところがそのすぐ近くまで来ると何やら「鹿のけはい」がする。すすきの陰(かげ)に隠れて様子を伺っていると、六疋ほどの鹿が出てきており「さっきの芝原を、ぐるぐるぐるぐる環(わ)になって廻(まわ)っている」のが見えた。もう少しよく見てみると鹿たちが気にかけているのは「団子」ではなく嘉十が忘れて置いてきた「白い手拭」らしい。鹿たちが演じる環はただ単にぐるぐる廻るだけでなく徐々に速度を落としてゆるやかになり、今度は速度を上げてまた廻り出す。読者はそこに或る種のリズムがあるのを認めるだろう。そうでなくてはただ単なる動物の「集団行動」にしか見えない。逆に特定のリズムが介在することで始めてそれは「踊り」に見えるのである。様子を見ていた嘉十の耳が突然「きいん」と鳴った。と同時に嘉十は「鹿ことばがきこえ」るようになっている自分に気づく。
「嘉十はにわかに耳がきいんと鳴りました。そしてがたがたふるえました。鹿どもの風にゆれる草穂(くさぼ)のような気もちが、波になって伝わって来たのでした。嘉十はほんとうにじぶんの耳を疑いました。それは鹿のことばがきこえてきたからです」(宮沢賢治「鹿踊りのはじまり」『注文の多い料理店・P.132~133』新潮文庫 一九九〇年)
六疋の鹿は嘉十の「手拭(てぬぐい)」が一体何なのかわからず大変訝(いぶか)しそうに首をひねる。それぞれ意見を述べながら一疋ずつ「手拭」に近づき、その正体を確かめることにする。六疋が一度ずつ近づくので合わせて六個の見解が提出される。順番に列挙してみよう。なお「なじょだた」は「どんなものだ」の方言。
(1)「『なじょだた。なにだた、あの白い長いやづあ』。『縦に皺(しわ)の寄ったもんだけあな』。『そだら生ぎものだないがべ、やっぱり蕈(きのこ)などだべが。毒蕈(ぶすきのこ)だべ』。『うんにゃ。きのごだない。やっぱり生ぎものらし』。『そうが。生ぎもので皺うんと寄ってらば、年老(としよ)りだな』。『うん年老りの番兵だ。ううはははは』。『ふふふ青白の番兵だ』『ううははは、青じろ番兵だ』。『こんどいれ行って見べが』。『行ってみろ、大丈夫(だいじょうぶ)だ』。『喰(く)っつかないが』。『うんにゃ、大丈夫だ』」(宮沢賢治「鹿踊りのはじまり」『注文の多い料理店・P.134』新潮文庫 一九九〇年)
(2)「『なじょだた、なして逃げで来た』。『嚙(か)じるべとしたようだたもさ』。『ぜんたいにだけあ』。『わがらないな。とにかく白どそれがら青ど、両方のぶぢだ』。『匂(におい)あなじょだ、匂あ』。『柳の葉みだいな匂だな』。『はでな、息(いぎ)吐(つ)でるが、息(いき)』。『さあ、そでば、気付けないがた』。『こんどあ、おれあ行って見べが』。『行ってみろ』」(宮沢賢治「鹿踊りのはじまり」『注文の多い料理店・P.135~136』新潮文庫 一九九〇年)
(3)「『何(な)して遁げできた』。『気味悪(きびわり)くなてよ』。『息(いぎ)吐(つ)でるが』。『さあ、息(いぎ)の音(おど)あ為(さ)ないがけあな。口(くぢ)も無いようだけあな』。『あだまあるが』。『あだまもゆぐわがらないがったな』。『そだらこんどおれ行って見べが』」(宮沢賢治「鹿踊りのはじまり」『注文の多い料理店・P.136』新潮文庫 一九九〇年)
(4)「『おう、柔(や)っけもんだぞ』。『泥(どろ)のようにが』。『うんにゃ』。『草のようにが』。『うんにゃ』。『<ごまざい>の毛のようにが』。『うん、あれよりあ、も少し硬(こわ)ぱしな』。『なにだべ』。『とにかく生ぎもんだ』。『やっぱりそうだが』。『うん、汗臭(あせくさ)いも』。『おれも一遍(ひとがえり)行ってみべが』」(宮沢賢治「鹿踊りのはじまり」『注文の多い料理店・P.137』新潮文庫 一九九〇年)
(5)「『じゃ、じゃ、嚙(か)じらえだが、痛(いだ)ぐしたが』。『プルルルルルル』。『舌抜(ぬ)がれだが』。『プルルルルルル』。『なにした、なにした。なにした。じゃ』。『ふう、ああ、舌縮(ちぢ)まってしまったたよ』。『なじょな味だに』。『味無いがたな』。『生ぎもんだべが』。『なじょだが判(わか)らない。こんどあ汝(うな)あ行ってみろ』。『お』」(宮沢賢治「鹿踊りのはじまり」『注文の多い料理店・P.138』新潮文庫 一九九〇年)
六番目の鹿は口に「手拭」をくわえて戻ってきた。
(6)「『おう、うまい、うまい、そいづさい取ってしめば、あどは何(なん)っても怖(お)っかなぐない』。『きっともて、こいづああ大きな蝸牛(なめくずら)の旱(ひ)からびだのだな』。『さあ、いいが、おれ歌(うだ)うだうはんてみんな廻(ま)れ』」(宮沢賢治「鹿踊りのはじまり」『注文の多い料理店・P.139』新潮文庫 一九九〇年)
そんなわけで鹿たちはみんなで「手拭」の周囲をぐるぐるぐるぐる廻り始めた。「手拭」をくわえて戻ってきた六番目の鹿は「歌を歌う」と言っていたように歌い踊り出す。この歌の歌詞がとりあえず六度に及ぶ鹿たちの見解の総括の役割を演じる。
「『のはらのまん中の めっけもの すっこんすっこの 栃だんご 栃のだんごは 結構(けっこう)だが となりにいからだ ふんながす 青じろ番兵(ばんぺ)は 気にかがる。青じろ番兵(ばんぺ)は ふんにゃふにゃ 吠(ほ)えるもさないば 泣ぐもさない 痩(や)せて長くて ぶぢぶぢで どごが口(くぢ)だが あだまだが ひでりあがりの なめぐじら』」(宮沢賢治「鹿踊りのはじまり」『注文の多い料理店・P.139~140』新潮文庫 一九九〇年)
鹿たちは環を描きつつ一生懸命歌い踊る。その後、嘉十が置いていった「栃団子(とちだんご)」を食べる。食べ終わると再び鹿たちは歌い踊り始めた。その時。
「太陽はこのとき、ちょうどはんのきの梢(こずえ)の中ほどにかかって、少し黄いろにかがやいて居(お)りました。鹿のめぐりはまただんだんゆるやかになって、たがいにせわしくうなずき合い、やがて一列に太陽に向いて、それを拝むようにしてまっすぐに立ったのでした」(宮沢賢治「鹿踊りのはじまり」『注文の多い料理店・P.141』新潮文庫 一九九〇年)
<はんの木>は全国どこにでもあるが、その梢(こずえ)に太陽の日がかかって黄金色に輝いた瞬間、鹿たちは「一列に太陽に向いて、それを拝むようにしてまっすぐに立った」。陽光と<はんの木>とが重なり合う時、鹿はそこに限りない<贈与>を感じ取る。そっくり似た光景が作品「猫の事務所」にある。その事務所の中で<かま猫>は最底辺に置かれた最弱者でありいつも「いじめれっ子」の立場を演じるほかない。しかし「金いろの獅子(しし)」が唐突に出現した瞬間、なぜか<かま猫>だけが「泣くのをやめて、まっすぐに立」つシーン。
「その時です。猫どもは気が付きませんでしたが、事務長のうしろの窓の向うにいかめしい獅子(しし)の金いろの頭が見えました。獅子は不審(ふしん)そうに、しばらく中を見ていましたが、いきなり戸口を叩(たた)いてはいって来ました。猫どもの愕(おど)ろきようといったらありません。うろうろうろうろそこらをあるきまわるだけです。<かま猫>だけが泣くのをやめて、まっすぐに立ちました」(宮沢賢治「猫の事務所」『銀河鉄道の夜・P.136』新潮文庫 一九八九年)
動物は<贈与>について人間のように知っているわけではまるでない。しかし人間がすでに忘れ去ってしまった<贈与>については遥かに深く知っているのである。ニーチェはいう。
(1)「高所にある者がその力をたずさえて下方へさがろうとするとき、どうしてそれを《欲》と呼ぶことができよう?まことに、こういう欲求と下降には、卑しいところ、うしろめたいところは少しもないのだ。孤独な高所にある者が、永久の孤独と自己満足には住みつくまいとする気持、山が谷へ、高みの風が低地へ下りようとする憧れ、ーーーおお、こういう憧れを言いあらわす正しい名称、徳の名を、だれが見いだすことができよう。『贈り与える徳』ーーーそうツァラトゥストラは、かつてこの名づけえぬものを呼んだ」(ニーチェ「ツァラトゥストラ・第三部・三つの悪・P.303」中公文庫 一九七三年)
(2)「そこでおまえは学んだのだ。ーーー正しく与えることは、正しく受けるよりも、むずかしいということを。また、よく贈るということは、一つの《技術》であり、善意の究極の離れ業(わざ)、狡知(こうち)をきわめる巨匠の芸であることを」(ニーチェ「ツァラトゥストラ・第四部・進んでなった乞食(こじき)・P.433」中公文庫 一九七三年)
また「はんの木」について。賢治は「はんの木」に或る種の神々しさを見ていたようだ。文語詩「流氷(ザエ)」の冒頭にこうある。
「はんのきの高き梢(うれ)より、きららかに氷華(ひようくわ)をおとし、汽車はいまややにたゆたひ、北上のあしたをわたる」(宮沢賢治「文語詩稿・流氷(ザエ)」『宮沢賢治詩集・P.310』新潮文庫 一九九〇年)
鹿たちは重なり合った陽光と<はんの木>に向かって歌を捧げる。六疋なのでここでも歌の数は合計六個。
(1)「『はんの木(ぎ)の みどりみじんの葉の向(もご)さ じゃらんじゃららんの お日さん懸(か)がる』」(宮沢賢治「鹿踊りのはじまり」『注文の多い料理店・P.141』新潮文庫 一九九〇年)
(2)「『お日さんを せながさしょえば はんの木(ぎ)も くだげで光る 鉄のかんがみ』」(宮沢賢治「鹿踊りのはじまり」『注文の多い料理店・P.142』(新潮文庫 一九九〇年)
そう聞いた嘉十もまた思わず知らず「太陽とはんのきを拝みました」とある。鹿たちの歌は続く。
(3)「『お日さんは はんの木(ぎ)の向(もご)さ、降りでても すすぎ、ぎんがぎが まぶしまんぶし』」(宮沢賢治「鹿踊りのはじまり」『注文の多い料理店・P.142』(新潮文庫 一九九〇年)
(4)「『ぎんがぎの すすぎの中(なが)さ立ぢあがる はんの木(ぎ)のすねの 長(な)んがい、かげぼうし』」(宮沢賢治「鹿踊りのはじまり」『注文の多い料理店・P.142』(新潮文庫 一九九〇年)
(5)「『ぎんがぎがの すすぎの底(そご)の日暮(ひぐ)れかだ 苔(こげ)の野はらを 蟻(あり)こも行がず』」(宮沢賢治「鹿踊りのはじまり」『注文の多い料理店・P.143』(新潮文庫 一九九〇年)
(6)「『ぎんがぎがの すすぎの底(そご)でこっそりと 咲ぐうめばぢの 愛(え)どしおえどし』」(宮沢賢治「鹿踊りのはじまり」『注文の多い料理店・P.143』(新潮文庫 一九九〇年)
歌い終わるや再び鹿たちは激しく廻りながら環になって歌い踊った。北風が吹いてくる。はんの木の葉が擦れあい、すすきの穂も鹿たちに混じって一緒にぐるぐる踊りを踊っているかのようだ。その光景のまばゆさゆえ、<鹿>と<人間>との<あいだ>に横たわる「ちがい」を忘れた嘉十は、すすきの陰から飛び出して姿を現してしまう。鹿たちは驚いて一目散にどこかへ逃げ去っていった。もう嘉十は鹿の話を聞き取ることができない。
「嘉十はちょっとにが笑いをしながら、泥のついて穴のあいた手拭(てぬぐい)をひろってじぶんもまた西の方へ歩きはじめたのです」(宮沢賢治「鹿踊りのはじまり」『注文の多い料理店・P.144』(新潮文庫 一九九〇年)
そこで<わたくし>はこのエピソードを<風>から聞いたという由来に回帰してくるのである。なかでも「鹿踊(ししおど)り」の様相について「輪(わ)」ではなく「環(わ)」と表記されている点は作者=賢治独特の宇宙論的思想を思わせてとても印象的だ。だがしかし<掟の贈与>については事情がまるで異なってくる。デリダはいう。
「贈与があるためには、贈与を忘却せねばなりませんが、しかしそれと同時にそういった忘却それ自体は保持されねばならないのです。贈与が生起するためには、それはどんな忘却であってもかまわないというわけではありません。消去されねばならぬと同時に、消去の痕跡を保持せねばならないのです。そして、こういった二重の命令は、明らかに狂気を引き起こすダブル・バインドであります。私は与えようと欲し、他者が受け取ってくれることを欲します。したがって、この贈与が生起するためには、他者は私が彼に与えるということを知っていなければなりません。そうでなければこういったことは意味をもちませんし、贈与は、生起しません。しかしながら、私が与えるということを他者が知っていたり、私のほうもまた知っているならば、贈与はこの象徴的な認知(感謝)によって廃棄されてしまいます。では、どうすればよいのでしょうか。とはいえ、贈与はあらねばなりませんし、贈与はよいのです。ですから、贈与の想定それ自体、つまり贈与のこの狂気、これはダブルバインドの状況なのです。そして、あらゆる掟、あらゆる掟についての経験がこうしたタイプのものである、と私は言いたい。一つの掟、それは必ずしも悪いものではありません。われわれはもろもろの掟を必要としますし、掟を与えること、それはまた贈り物でもあります。というのも掟は第一に安心させ、不安を避けさせてくれるからです。ところが、掟の贈与は同時に悪いものでもあります。それはパルマコンであり、毒であります。贈与はどれも毒なのです。こういった観点からすると、記憶、時間ならびに歴史との関連において、贈与と掟の贈与とは、実際、何らかの類似したものである、と言うことができます。人が与えるときーーーこれが恐ろしい点であり、贈与をただちに毒に変えてしまい、したがって贈与をエコノミー的円環のうちへ引きずり込んでしまうのですがーーー人が与えるとき、人はなんらかの掟を与えるのであり、掟をつくる〔命じる〕のです。
こういったわけですから、偉大な支配者たち、ないしは偉大な女支配者たち、すなわち最も象徴的に自己固有化をおこなう人々が、最も気前のいい人々である、といった事実を前にしても、それを見て驚くなどということは少しもないのです。贈与と掟の贈与のなかに読み取るのがむずかしいのは、まさにこういったことなのです。
与えるとは、たいへんに暴力的な挙措でありうるのです。想像していただけるでしょうが、真の贈与、すなわち暴力をふるわないような、そして与えられた物やそれが与えられた相手を自己固有化しないような贈与、そういった贈与は、贈与の諸標識までも消去せねばならないでしょう。それは現われない贈与であり、したがって他者にとってのみならず、自分にとってさえも贈与の諸標識を消去するでしょう。真の贈与は、与えているということを知りさえせずに与えることのうちに、その本領をもっているのです」(デリダ「時間をーーー与える」『他者の言語・P.110~112』法政大学出版局 一九八九年)
<贈与>をこれほどまで困難にしたのは一体何だろうか。そしてこの種のアポリア(困難)が今後ますます増大する見込みは存分にある一方、減少する見込みは逆に果てしなく少ないのはどうしてだろう。アメリカにせよ中国にせよいずれにせよ、この種のアポリア(困難)を解決できそうにない。両国ともその程度の無能国家に落ちぶれ果てつつあることは確かだろう。もし万が一そうでないというのなら両大国とも歴然たる証拠ならびに根拠を国際世論に向けて明確に見せつけなければならない。そしてなおかつ拉致被害者全員帰国を実現させなければ、その中に日本政府を含め、いずれの国家をも一定以上信頼することはもはやできない。
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BGM2
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「夕陽(ゆうひ)は赤くななめに苔(こけ)の野原に注ぎ、すすきはみんな白い火のようにゆれて光りました。わたくしが疲(つか)れてそこに眠(ねむ)りますと、ざあざあ吹(ふ)いていた風が、だんだん人のことばにきこえ、やがてそれは、いま北上(きたかみ)の山の方や、野原に行われていた鹿踊りの、ほんとうの精神を語りました」(宮沢賢治「鹿踊りのはじまり」『注文の多い料理店・P.129』新潮文庫 一九九〇年)
嘉十(かじゅう)が祖父たちとともにその地に移ってきた頃、その辺りはまだまるっきり黒い林のまま野原には丈(たけ)の高い草がぼうぼう生い茂っていた。嘉十たちはそこに小さな畑を切り開き、粟(あわ)・稗(ひえ)などをつくっていた。怪我をした時は「湯の湧(わ)くとこへ行って、小屋をかけて泊(とま)って療(なお)す」のが通例だった。或る時、栗の木から落ちた嘉十もまた湯治のため「糧(かて)と味噌(みそ)と鍋(なべ)」を背負って一人山中に入っていった。途中、「栃(とち)と栗とのだんご」を取り出して食べた。腹一杯になったと感じた嘉十は「栃の団子」を<うめばちそう>の「花の下に置き」ながら「こいづば鹿(しか)さ呉(け)でやべか。それ、鹿、来て喰(け)」とひとりごとのように言ってさらに歩き出した。「栃団子(とちだんご)」は作品「タネリはたしかにいちにち嚙んでいたようだった」に出てくる「こならの実」と同じく典型的な救荒食料(備荒食品)の一つ。
しばらく歩いた時、食事を取った場所に手拭(てぬぐい)を忘れたのを思い出して急いで引き返した。ところがそのすぐ近くまで来ると何やら「鹿のけはい」がする。すすきの陰(かげ)に隠れて様子を伺っていると、六疋ほどの鹿が出てきており「さっきの芝原を、ぐるぐるぐるぐる環(わ)になって廻(まわ)っている」のが見えた。もう少しよく見てみると鹿たちが気にかけているのは「団子」ではなく嘉十が忘れて置いてきた「白い手拭」らしい。鹿たちが演じる環はただ単にぐるぐる廻るだけでなく徐々に速度を落としてゆるやかになり、今度は速度を上げてまた廻り出す。読者はそこに或る種のリズムがあるのを認めるだろう。そうでなくてはただ単なる動物の「集団行動」にしか見えない。逆に特定のリズムが介在することで始めてそれは「踊り」に見えるのである。様子を見ていた嘉十の耳が突然「きいん」と鳴った。と同時に嘉十は「鹿ことばがきこえ」るようになっている自分に気づく。
「嘉十はにわかに耳がきいんと鳴りました。そしてがたがたふるえました。鹿どもの風にゆれる草穂(くさぼ)のような気もちが、波になって伝わって来たのでした。嘉十はほんとうにじぶんの耳を疑いました。それは鹿のことばがきこえてきたからです」(宮沢賢治「鹿踊りのはじまり」『注文の多い料理店・P.132~133』新潮文庫 一九九〇年)
六疋の鹿は嘉十の「手拭(てぬぐい)」が一体何なのかわからず大変訝(いぶか)しそうに首をひねる。それぞれ意見を述べながら一疋ずつ「手拭」に近づき、その正体を確かめることにする。六疋が一度ずつ近づくので合わせて六個の見解が提出される。順番に列挙してみよう。なお「なじょだた」は「どんなものだ」の方言。
(1)「『なじょだた。なにだた、あの白い長いやづあ』。『縦に皺(しわ)の寄ったもんだけあな』。『そだら生ぎものだないがべ、やっぱり蕈(きのこ)などだべが。毒蕈(ぶすきのこ)だべ』。『うんにゃ。きのごだない。やっぱり生ぎものらし』。『そうが。生ぎもので皺うんと寄ってらば、年老(としよ)りだな』。『うん年老りの番兵だ。ううはははは』。『ふふふ青白の番兵だ』『ううははは、青じろ番兵だ』。『こんどいれ行って見べが』。『行ってみろ、大丈夫(だいじょうぶ)だ』。『喰(く)っつかないが』。『うんにゃ、大丈夫だ』」(宮沢賢治「鹿踊りのはじまり」『注文の多い料理店・P.134』新潮文庫 一九九〇年)
(2)「『なじょだた、なして逃げで来た』。『嚙(か)じるべとしたようだたもさ』。『ぜんたいにだけあ』。『わがらないな。とにかく白どそれがら青ど、両方のぶぢだ』。『匂(におい)あなじょだ、匂あ』。『柳の葉みだいな匂だな』。『はでな、息(いぎ)吐(つ)でるが、息(いき)』。『さあ、そでば、気付けないがた』。『こんどあ、おれあ行って見べが』。『行ってみろ』」(宮沢賢治「鹿踊りのはじまり」『注文の多い料理店・P.135~136』新潮文庫 一九九〇年)
(3)「『何(な)して遁げできた』。『気味悪(きびわり)くなてよ』。『息(いぎ)吐(つ)でるが』。『さあ、息(いぎ)の音(おど)あ為(さ)ないがけあな。口(くぢ)も無いようだけあな』。『あだまあるが』。『あだまもゆぐわがらないがったな』。『そだらこんどおれ行って見べが』」(宮沢賢治「鹿踊りのはじまり」『注文の多い料理店・P.136』新潮文庫 一九九〇年)
(4)「『おう、柔(や)っけもんだぞ』。『泥(どろ)のようにが』。『うんにゃ』。『草のようにが』。『うんにゃ』。『<ごまざい>の毛のようにが』。『うん、あれよりあ、も少し硬(こわ)ぱしな』。『なにだべ』。『とにかく生ぎもんだ』。『やっぱりそうだが』。『うん、汗臭(あせくさ)いも』。『おれも一遍(ひとがえり)行ってみべが』」(宮沢賢治「鹿踊りのはじまり」『注文の多い料理店・P.137』新潮文庫 一九九〇年)
(5)「『じゃ、じゃ、嚙(か)じらえだが、痛(いだ)ぐしたが』。『プルルルルルル』。『舌抜(ぬ)がれだが』。『プルルルルルル』。『なにした、なにした。なにした。じゃ』。『ふう、ああ、舌縮(ちぢ)まってしまったたよ』。『なじょな味だに』。『味無いがたな』。『生ぎもんだべが』。『なじょだが判(わか)らない。こんどあ汝(うな)あ行ってみろ』。『お』」(宮沢賢治「鹿踊りのはじまり」『注文の多い料理店・P.138』新潮文庫 一九九〇年)
六番目の鹿は口に「手拭」をくわえて戻ってきた。
(6)「『おう、うまい、うまい、そいづさい取ってしめば、あどは何(なん)っても怖(お)っかなぐない』。『きっともて、こいづああ大きな蝸牛(なめくずら)の旱(ひ)からびだのだな』。『さあ、いいが、おれ歌(うだ)うだうはんてみんな廻(ま)れ』」(宮沢賢治「鹿踊りのはじまり」『注文の多い料理店・P.139』新潮文庫 一九九〇年)
そんなわけで鹿たちはみんなで「手拭」の周囲をぐるぐるぐるぐる廻り始めた。「手拭」をくわえて戻ってきた六番目の鹿は「歌を歌う」と言っていたように歌い踊り出す。この歌の歌詞がとりあえず六度に及ぶ鹿たちの見解の総括の役割を演じる。
「『のはらのまん中の めっけもの すっこんすっこの 栃だんご 栃のだんごは 結構(けっこう)だが となりにいからだ ふんながす 青じろ番兵(ばんぺ)は 気にかがる。青じろ番兵(ばんぺ)は ふんにゃふにゃ 吠(ほ)えるもさないば 泣ぐもさない 痩(や)せて長くて ぶぢぶぢで どごが口(くぢ)だが あだまだが ひでりあがりの なめぐじら』」(宮沢賢治「鹿踊りのはじまり」『注文の多い料理店・P.139~140』新潮文庫 一九九〇年)
鹿たちは環を描きつつ一生懸命歌い踊る。その後、嘉十が置いていった「栃団子(とちだんご)」を食べる。食べ終わると再び鹿たちは歌い踊り始めた。その時。
「太陽はこのとき、ちょうどはんのきの梢(こずえ)の中ほどにかかって、少し黄いろにかがやいて居(お)りました。鹿のめぐりはまただんだんゆるやかになって、たがいにせわしくうなずき合い、やがて一列に太陽に向いて、それを拝むようにしてまっすぐに立ったのでした」(宮沢賢治「鹿踊りのはじまり」『注文の多い料理店・P.141』新潮文庫 一九九〇年)
<はんの木>は全国どこにでもあるが、その梢(こずえ)に太陽の日がかかって黄金色に輝いた瞬間、鹿たちは「一列に太陽に向いて、それを拝むようにしてまっすぐに立った」。陽光と<はんの木>とが重なり合う時、鹿はそこに限りない<贈与>を感じ取る。そっくり似た光景が作品「猫の事務所」にある。その事務所の中で<かま猫>は最底辺に置かれた最弱者でありいつも「いじめれっ子」の立場を演じるほかない。しかし「金いろの獅子(しし)」が唐突に出現した瞬間、なぜか<かま猫>だけが「泣くのをやめて、まっすぐに立」つシーン。
「その時です。猫どもは気が付きませんでしたが、事務長のうしろの窓の向うにいかめしい獅子(しし)の金いろの頭が見えました。獅子は不審(ふしん)そうに、しばらく中を見ていましたが、いきなり戸口を叩(たた)いてはいって来ました。猫どもの愕(おど)ろきようといったらありません。うろうろうろうろそこらをあるきまわるだけです。<かま猫>だけが泣くのをやめて、まっすぐに立ちました」(宮沢賢治「猫の事務所」『銀河鉄道の夜・P.136』新潮文庫 一九八九年)
動物は<贈与>について人間のように知っているわけではまるでない。しかし人間がすでに忘れ去ってしまった<贈与>については遥かに深く知っているのである。ニーチェはいう。
(1)「高所にある者がその力をたずさえて下方へさがろうとするとき、どうしてそれを《欲》と呼ぶことができよう?まことに、こういう欲求と下降には、卑しいところ、うしろめたいところは少しもないのだ。孤独な高所にある者が、永久の孤独と自己満足には住みつくまいとする気持、山が谷へ、高みの風が低地へ下りようとする憧れ、ーーーおお、こういう憧れを言いあらわす正しい名称、徳の名を、だれが見いだすことができよう。『贈り与える徳』ーーーそうツァラトゥストラは、かつてこの名づけえぬものを呼んだ」(ニーチェ「ツァラトゥストラ・第三部・三つの悪・P.303」中公文庫 一九七三年)
(2)「そこでおまえは学んだのだ。ーーー正しく与えることは、正しく受けるよりも、むずかしいということを。また、よく贈るということは、一つの《技術》であり、善意の究極の離れ業(わざ)、狡知(こうち)をきわめる巨匠の芸であることを」(ニーチェ「ツァラトゥストラ・第四部・進んでなった乞食(こじき)・P.433」中公文庫 一九七三年)
また「はんの木」について。賢治は「はんの木」に或る種の神々しさを見ていたようだ。文語詩「流氷(ザエ)」の冒頭にこうある。
「はんのきの高き梢(うれ)より、きららかに氷華(ひようくわ)をおとし、汽車はいまややにたゆたひ、北上のあしたをわたる」(宮沢賢治「文語詩稿・流氷(ザエ)」『宮沢賢治詩集・P.310』新潮文庫 一九九〇年)
鹿たちは重なり合った陽光と<はんの木>に向かって歌を捧げる。六疋なのでここでも歌の数は合計六個。
(1)「『はんの木(ぎ)の みどりみじんの葉の向(もご)さ じゃらんじゃららんの お日さん懸(か)がる』」(宮沢賢治「鹿踊りのはじまり」『注文の多い料理店・P.141』新潮文庫 一九九〇年)
(2)「『お日さんを せながさしょえば はんの木(ぎ)も くだげで光る 鉄のかんがみ』」(宮沢賢治「鹿踊りのはじまり」『注文の多い料理店・P.142』(新潮文庫 一九九〇年)
そう聞いた嘉十もまた思わず知らず「太陽とはんのきを拝みました」とある。鹿たちの歌は続く。
(3)「『お日さんは はんの木(ぎ)の向(もご)さ、降りでても すすぎ、ぎんがぎが まぶしまんぶし』」(宮沢賢治「鹿踊りのはじまり」『注文の多い料理店・P.142』(新潮文庫 一九九〇年)
(4)「『ぎんがぎの すすぎの中(なが)さ立ぢあがる はんの木(ぎ)のすねの 長(な)んがい、かげぼうし』」(宮沢賢治「鹿踊りのはじまり」『注文の多い料理店・P.142』(新潮文庫 一九九〇年)
(5)「『ぎんがぎがの すすぎの底(そご)の日暮(ひぐ)れかだ 苔(こげ)の野はらを 蟻(あり)こも行がず』」(宮沢賢治「鹿踊りのはじまり」『注文の多い料理店・P.143』(新潮文庫 一九九〇年)
(6)「『ぎんがぎがの すすぎの底(そご)でこっそりと 咲ぐうめばぢの 愛(え)どしおえどし』」(宮沢賢治「鹿踊りのはじまり」『注文の多い料理店・P.143』(新潮文庫 一九九〇年)
歌い終わるや再び鹿たちは激しく廻りながら環になって歌い踊った。北風が吹いてくる。はんの木の葉が擦れあい、すすきの穂も鹿たちに混じって一緒にぐるぐる踊りを踊っているかのようだ。その光景のまばゆさゆえ、<鹿>と<人間>との<あいだ>に横たわる「ちがい」を忘れた嘉十は、すすきの陰から飛び出して姿を現してしまう。鹿たちは驚いて一目散にどこかへ逃げ去っていった。もう嘉十は鹿の話を聞き取ることができない。
「嘉十はちょっとにが笑いをしながら、泥のついて穴のあいた手拭(てぬぐい)をひろってじぶんもまた西の方へ歩きはじめたのです」(宮沢賢治「鹿踊りのはじまり」『注文の多い料理店・P.144』(新潮文庫 一九九〇年)
そこで<わたくし>はこのエピソードを<風>から聞いたという由来に回帰してくるのである。なかでも「鹿踊(ししおど)り」の様相について「輪(わ)」ではなく「環(わ)」と表記されている点は作者=賢治独特の宇宙論的思想を思わせてとても印象的だ。だがしかし<掟の贈与>については事情がまるで異なってくる。デリダはいう。
「贈与があるためには、贈与を忘却せねばなりませんが、しかしそれと同時にそういった忘却それ自体は保持されねばならないのです。贈与が生起するためには、それはどんな忘却であってもかまわないというわけではありません。消去されねばならぬと同時に、消去の痕跡を保持せねばならないのです。そして、こういった二重の命令は、明らかに狂気を引き起こすダブル・バインドであります。私は与えようと欲し、他者が受け取ってくれることを欲します。したがって、この贈与が生起するためには、他者は私が彼に与えるということを知っていなければなりません。そうでなければこういったことは意味をもちませんし、贈与は、生起しません。しかしながら、私が与えるということを他者が知っていたり、私のほうもまた知っているならば、贈与はこの象徴的な認知(感謝)によって廃棄されてしまいます。では、どうすればよいのでしょうか。とはいえ、贈与はあらねばなりませんし、贈与はよいのです。ですから、贈与の想定それ自体、つまり贈与のこの狂気、これはダブルバインドの状況なのです。そして、あらゆる掟、あらゆる掟についての経験がこうしたタイプのものである、と私は言いたい。一つの掟、それは必ずしも悪いものではありません。われわれはもろもろの掟を必要としますし、掟を与えること、それはまた贈り物でもあります。というのも掟は第一に安心させ、不安を避けさせてくれるからです。ところが、掟の贈与は同時に悪いものでもあります。それはパルマコンであり、毒であります。贈与はどれも毒なのです。こういった観点からすると、記憶、時間ならびに歴史との関連において、贈与と掟の贈与とは、実際、何らかの類似したものである、と言うことができます。人が与えるときーーーこれが恐ろしい点であり、贈与をただちに毒に変えてしまい、したがって贈与をエコノミー的円環のうちへ引きずり込んでしまうのですがーーー人が与えるとき、人はなんらかの掟を与えるのであり、掟をつくる〔命じる〕のです。
こういったわけですから、偉大な支配者たち、ないしは偉大な女支配者たち、すなわち最も象徴的に自己固有化をおこなう人々が、最も気前のいい人々である、といった事実を前にしても、それを見て驚くなどということは少しもないのです。贈与と掟の贈与のなかに読み取るのがむずかしいのは、まさにこういったことなのです。
与えるとは、たいへんに暴力的な挙措でありうるのです。想像していただけるでしょうが、真の贈与、すなわち暴力をふるわないような、そして与えられた物やそれが与えられた相手を自己固有化しないような贈与、そういった贈与は、贈与の諸標識までも消去せねばならないでしょう。それは現われない贈与であり、したがって他者にとってのみならず、自分にとってさえも贈与の諸標識を消去するでしょう。真の贈与は、与えているということを知りさえせずに与えることのうちに、その本領をもっているのです」(デリダ「時間をーーー与える」『他者の言語・P.110~112』法政大学出版局 一九八九年)
<贈与>をこれほどまで困難にしたのは一体何だろうか。そしてこの種のアポリア(困難)が今後ますます増大する見込みは存分にある一方、減少する見込みは逆に果てしなく少ないのはどうしてだろう。アメリカにせよ中国にせよいずれにせよ、この種のアポリア(困難)を解決できそうにない。両国ともその程度の無能国家に落ちぶれ果てつつあることは確かだろう。もし万が一そうでないというのなら両大国とも歴然たる証拠ならびに根拠を国際世論に向けて明確に見せつけなければならない。そしてなおかつ拉致被害者全員帰国を実現させなければ、その中に日本政府を含め、いずれの国家をも一定以上信頼することはもはやできない。
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