銀河鉄道の中で<鳥捕り>に出会ったジョバンニ。鳥捕りはジョバンニの持っている切符を見ていう。「ほんとうの天上へさえ行ける切符だ」と。
「『おや、こいつは大したもんですぜ。こいつはもう、ほんとうの天上へさえ行ける切符だ。天上どころじゃない、どこでも勝手にあるける通行券です。こいつをお持ちになれぁ、なるほど、こんな不完全な幻想(げんそう)第四次の銀河鉄道なんか、どこまででも行ける筈(はず)でさあ、あなた方大したもんですね』」(宮沢賢治「銀河鉄道の夜」『銀河鉄道の夜・P.191~192』新潮文庫 一九八九年)
ジョバンニははっきりした理由のわからないまま急にうれしくてたまらなくなり、同時に鳥捕りの境遇があまりにも気の毒なものに思えてくる。まるでジョバンニ自身が如来か菩薩に変身したかのようだ。
「ジョバンニはなんだかわけもわからずににわかにとなりの鳥捕りが気の毒でたまらなくなりました。鷺(さぎ)をつかまえてせいせいしたとよろおんだり、白いきれでそれをくるくる包んだり、ひとの切符をびっくりしたように横目で見てあわててほめだしたり、そんなことを一々考えていると、もうその見ず知らずの鳥捕りのために、ジョバンニの持っているものでも食べるものでもなんでもやってしまいたい、もうこの人のほんとうの幸(さいわい)になるなら自分があの光る天の川の河原(かわら)に立って百年つづけて立って鳥をとってやってもいいというような気がして、どうしてももう黙(だま)っていられなくなりました」(宮沢賢治「銀河鉄道の夜」『銀河鉄道の夜・P.192』新潮文庫 一九八九年)
賢治は一九二四年(大正十三年)に「銀河鉄道」の初稿を書いた。二年前にあたる一九二二年(大正十一年)に妹のトシが死去。衝撃と悲嘆に打ちひしがれている時期。妹トシの死をどのように受け入れればよいのか。兄としてと同時に宗教者としてどんな方法があるのか。そこで「ほんとうの天上へさえ行ける切符」という言葉が湧いて出たとしても何ら不思議ではない。そしてまた法華経主義者としては妹トシの死だけを特権化するのではなく、ありとあらゆる世界全体を救済するべく全力を上げたいと劇的に希求する。ところが言語化された湧き起こる<力>を意識するや否や、作中のジョバンニは、ほんのつい先ほど「見ず知らずの鳥捕りのために、ジョバンニの持っているものでも食べるものでもなんでもやってしまいたい、もうこの人のほんとうの幸(さいわい)になるなら自分があの光る天の川の河原(かわら)に立って百年つづけて立って鳥をとってやってもいいというような気が」立ち現れたにもかかわらず、すぐ次に親友カンパネルラとの対話で奇妙な違和感を述べる。
「『あの人どこへ行ったろう』。カムパネルラもぼんやりそう云っていました。『どこへ行ったろう。一体どこであうのだろう。僕(ぼく)はどうしても少しあの人に物を言わなかったろう』。『ああ、僕もそう思っているよ』。『僕はあの人が邪魔(じゃま)なような気がしたんだ。だから大へんつらい』。ジョバンニはこんな変てこな気もちは、ほんとうにはじめてだし、こんなこと今まで云ったこともないと思いました」(宮沢賢治「銀河鉄道の夜」『銀河鉄道の夜・P.193』新潮文庫 一九八九年)
ジョバンニは鳥捕りのことを思うと「邪魔(じゃま)なような気がした」、だから「大へんつらい」と洩らす。ジョバンニは壮大な使命感に燃えている。それは法華経に描かれている菩薩の言行を大切にするとか真似するとかいった次元ではなく、法華経に描かれた如来的実践(菩薩的無償性)そのものを実際に生き抜く覚悟を引き受けた人間の内部で出現しないわけにはいかない途轍もない苦悩である。ゆえにほんのついさっき内面に燃え上がったばかりの<鳥捕りのための使命感>は生身の賢治にとって一方で重荷になってしまう。そうなってしまうことがジョバンニにとっては「大へんつらい」。だから本当の「邪魔者」ではまったくないものの、ふいにジョバンニの内面の隅に出現した一つの課題としては「邪魔(じゃま)なような気がし」てもくる。しかしジョバンニにとって、とりわけ法華経主義者=賢治にとって、この世界で「邪魔なもの」など何一つない、ということでなくてはならない。ところが事情はよりいっそう混み入っている。ジョバンニの独白を見てみよう。
「<どうして僕(ぼく)はこんなにかなしいのだろう。僕はもっとこころもちをきれいに大きくもたなければいけない。あすこの岸のずうっと向うにはまるでけむりのような小さな青い火が見える。あれはほんとうにしずかでつめたい。僕はあれをよく見てこころもちをしずめるんだ>。ジョバンニは熱(ほて)って痛いあたまを両手で押(おさ)えるようにしてそっちの方を見ました。<ああほんとうにどこまでもどこまでも僕といっしょに行くひとはないだろうか。カムパネルラだってあんな女の子とおもしろそうに談(はな)しているし僕はほんとうにつらいなあ>。ジョバンニの眼はまた泪(なみだ)でいっぱいになり天の川もまるで遠くへ行ったようにぼんやり白く見えるだけでした」(宮沢賢治「銀河鉄道の夜」『銀河鉄道の夜・P.204』新潮文庫 一九八九年)
ジョバンニは「ほんとうの天上へさえ行ける切符」を手に入れた。使命感と気持ちの高揚とが重なり、亡き妹トシだけでなく銀河鉄道で知り合った鳥捕りをも救済したいと強烈に感じた。とはいうものの車内で女の子と気ままに会話できる親友カンパネルラを見ているとたちまち自己批判のどん底へ陥ってしまう。全世界の救済など自分にはそもそも無理なのでは、というより自分自身にしてからが、親友カンパネルラが楽しそうに振る舞う姿を見てどんなふうに感じてしまっているか。それこそ<嫉妬>というものではないのか。ジョバンニは自分の心身から湧き起こり世界中を包み込まんばかりの救済意志に燃え上がりつつ、場が変わるやたちまちのうちにどこにでもごろごろ転がっている通俗的<嫉妬>の感情にへこんでしまう。自分の中から恐ろしいばかりの勢いで上昇しつつ立ち現れたものが、あっという間に今度は転倒して逆方向へめりこんでしまい、ややもすれば<自己卑下>というべき次元へ陥っているのをジョバンニは目の当たりにする。ヘーゲル弁証法の基礎理論の手本のようなことを自分自身がやってしまっている。どういうことだろうか。
(1)「弁証法の正しい理解と認識はきわめて重要である。それは現実の世界のあらゆる運動、あらゆる生命、あらゆる活動の原理である。また弁証法はあらゆる真の学的認識の魂である。普通の意味においては、抽象的な悟性的規定に立ちどまらないということは、単なる公平にすぎないと考えられている。諺にも<自他ともに生かせ>と言われているが、これは或るものを認めるとともに、他のものをを認めることを意味する。しかしもっと立入って考えてみれば、有限なものは単に外部から制限されているのではなく、自分自身の本性によって自己を揚棄し、自分自身によって反対のものへ移っていくのである。例えばわれわれは、人間は死すべきものであると言い、そして死を外部の事情にもとづくものと考えているが、こうした見方によると、人間には生きるという性質ともう一つ可死的であるという性質と、二つの特殊な性質があることになる。しかし本当の見方はそうではなく、生命そのものがそのうちに死の萌芽を担っているのであって、一般に有限なものは自分自身のうちで自己と矛盾し、それによって自己を揚棄するのである」(ヘーゲル「小論理学・上・八一・P.246~247」岩波文庫 一九五一年)
(2)「ここで問題となっているような事柄は、哲学以外のあらゆる意識およびあらゆる経験のうちにすでに見出されるものである。われわれの周囲にあるすべてのものは弁証法の実例とみることができる。われわれは、あらゆる有限なものは確固としたもの、究極のものではなくて、変化し消滅するものであることを知っている。これがすなわち有限なものの弁証法であって、潜在的に自分自身の他者である有限なものは、この弁証法によって実際またその直接の存在を超出させられ、そしてその反対のものへ転化する」(ヘーゲル「小論理学・上・八一・P.248~249」岩波文庫 一九五一年)
(3)「弁証法がその成果として否定的なものを持つ場合、この否定的なものはまさに成果であるから、それは同時に肯定的なものでもある。というのは、この否定的なものは、それを成果として生み出したものを揚棄されたものとしてそのうちに含んでおり、それなしには存在しないからである」(ヘーゲル「小論理学・上・八一・P.251」岩波文庫 一九五一年)
(3)「生あるものは死ぬ。しかもそれは、生あるものが生あるものとして自分自身のうちに死の萌芽を担っているからにほかならない」(ヘーゲル「小論理学・上・P.286」岩波文庫)
(4)「或るものは他のものになる。しかし他のものは、それ自身一つの或るものである。したがってこれも同じく一つの他のものになる。かくして《限りなく》続いていく」(ヘーゲル「小論理学・上・九三・P.286」岩波文庫 一九五一年)
(5)「エレア派において思想は自分みずからを自由に相手とし、エレア派が絶対実在だと言明するもののうちで、思想は自己を純粋に把握し、思想が概念のうちを運動する。ここに、弁証法のはじまりが、すなわち、概念における思考の純粋運動のはじまりが見られます。と同時に、思考が現象ないし感覚的存在と対立し、さらには、内部から見た自己と他者との関係のなかでの自己が対立し、自己のもとにある矛盾が対象のもとにもあらわれてくる(それが弁証法の本来のすがたです)」(ヘーゲル「哲学史講義1・P.322」河出文庫 二〇一六年)
(6)「一般に弁証法といえば、(a)外的弁証法ーーー事柄の運動の総体とは区別される観察者の運動ーーーと、(b)たんなる外からの洞察の運動ではなく、事柄そのものの本質、つまり、内容の純粋概念に導かれた運動とがあります。前者は、対象を観察した上で、これまで確実なことと見なされていた一切をぐらつかせるような根拠や側面を提示する方法です。その場合、根拠はまったく外的なものでもさしつかえなく、わたしたちは、ソフィストの哲学をあつかうさいに、この弁証法についてくわしく論じることになるはずです。もう一つの弁証法は、対象のなかにはいって観察するもので、対象は、前提や理念や当為ぬきに、外的な関係や法則や根拠からではなく、それだけで取りあげられます。観察者は事柄そのもののまっただなかに飛びこみ、対象を対象に即して観察し、対象のもつ内容に従って対象をとらえる。この観察においては、対象みずからが、対立する内容をもち、したがって廃棄されていくことをあらわにします。この弁証法は古代にとりわけよく見られます。外的な根拠にもとづいて推論する主観的な弁証法は、『正のうちには不正もあり、偽のうちには真もある』といったことを認める上ではそれなりの意味がある。が、真の弁証法は、対象が一面からして欠陥があるといった中途半端にとどまることなく、その本性の全体からして対象を解体します」(ヘーゲル「哲学史講義1・P.355」河出文庫 二〇一六年)
(7)「弁証法が最初に運動にかんして成立したことについては、その理由として、弁証法そのものが運動であること、いいかえれば、運動そのものがあらゆる存在の弁証法であることがあげられます。事物は運動するものとして自分のもとに弁証法をもっており、そして運動とは、べつのものになること、自分を廃棄していくことです」(ヘーゲル「哲学史講義1・P.357」河出文庫 二〇一六年)
(8)「矛盾は運動においてもっとも明瞭に示される。運動では、対立するものが目の前にあらわれるからです」(ヘーゲル「哲学史講義1・P.359~360」河出文庫 二〇一六年)
ジョバンニは一方で全世界の救済を目指す宇宙論的<躁状態>に高まる。しばらくすると同じジョバンニがもう一方で通俗的<嫉妬>に見舞われ自己卑下的<鬱状態>に陥る。極端に対立する二極に分裂しているように見える。「分裂」といっても二人の人間が対立し合っているわけではまったくなく、いずれの状態も自分自身にほかならない。ヘーゲルはそれを「不幸な意識」という。
「自己意識が自分自身のなかで二重になることは、精神の概念においては本質的なことであり、それがいまここに現にあるわけであるが、まだ統一をえていない。そこで《不幸な意識》とは、二重の、矛盾するだけの実在であるような自己についての意識である。だから、この《不幸な、自分だけで分裂した》意識は、自らの本質のこの矛盾が(同じ)《一つの》意識であるため、一方の意識にいながらいつも同時に他方の意識をもたざるをえず、こうしてこの二つの意識のそれぞれから、この意識が統一の勝利と安定に達したと思うと同時に、すぐにそのままその統一から追い払われるよりほかない。だが、この意識が自分自身にほんとうに帰り、自己と和解したときには、生けるものとなり、現存するに至った精神の概念が示現されるであろう。というのも、そのときには、分かれていない〔同じ〕一つの意識でありながら二重の意識であるということが、すでにこの不幸な意識に含まれているからである。不幸な意識自身は、一方の自己意識が他方を観ることで《あり》、その自己意識自身は対立の両方であり、両者の統一はその意識の本質でもある。だが、まだ《自分で》この本質になってはいないし、両者の統一にもなってはいない。まず不幸な意識は、両者の《直接的な統一》であるにすぎないが、両者が自分にとって同じものではなく、対立したものである。そのため、その一方、つまり単一で不変な意識は《本質》〔的実在〕としてあるが、他方、多面的で変化する意識は《非本質的なもの》として在る。両者は《不幸な意識にとっては》互いに縁なきものである。不幸な意識自身は、この矛盾の意識であるから、変化する意識の側に立ち、自ら非本質的なものであるが、不変つまり単一な本質〔的実在〕の意識としては、同時に、非本質的なもの、すなわち、自己自身から解放されることを目指さざるをえない。というのもその意識は、《自分にとっては》〔自覚的には〕、変化するものであり、不変なものは自分に縁なきものにすぎないとしても、《それ自体では》、単一なしたがって不変な意識であるため、これを《自らの》本質として意識しておりながらも、《それ自身》自分にとっては〔自覚的には〕まだこの本質でないことを意識しているからである。この不幸な意識が両方の意識に与える位置は、だから、両者互いの無関心ではありえない、すなわち、不変なものに対する自己自身の無関心ではありえない。そうではなく、その意識は自らそれら両者である。その意識はその意識にとって、本質の非本質的なものに対する関係としての、《両者の関係そのもの》である。したがってこの非本質的なものは廃棄されるべきである。だが不幸な意識は、自らにとっては、両者が等しく本質的でありまた矛盾しているので、矛盾した運動であるにすぎない。この運動にあっては、反対は自らの反対において安定するのではなく、自らのうちで自分を反対として新たに生み出すだけである。だから、〔ここには〕一つの敵に対する一つの戦いが現にあるわけで、この敵に対しては、勝利がむしろ敗北であり、いずれか一方をうることが、むしろその反対のなかで、それを失うことである。生命、生命の定在および行為などの意識は、この定在と行為に対する苦しみであるにすぎない。というのもそこでは意識は、自らの反対が本質であるという、己れ自身の空しさの意識を、もつにすぎないからである」(ヘーゲル「精神現象学・上・自己意識・不幸な意識・P.245~248」平凡社ライブラリー 一九九七年)
またジョバンニ=賢治とすると、博学の近代インテリたちがしばしば襲われたように、賢治もまたその精神はそもそもとても<虚しい>ものだということを知っており、その<虚しさ>を少しの隙間もなく埋めるにふさわしいものとして法華経主義への没入という道程を選んだと言えそうに思われる。
「自己復帰の第一の面においては、あらゆる《事物の空しさ》は、自己《自身の空しさ》である、つまり自己は空しい《のである》。すべてを評価し、喋りまくるだけでなく、現実の固定した実在〔国家権力と財富〕や、判断の立てる固定した規定〔善悪、高貴下劣〕やが、《矛盾》していることを、精神(エスプリ)のある態度で語るすべを心得ているのは、自独存在〔対自存在、自立存在〕する自己である。この矛盾こそは、それらの実在や規定の真理なのである。ーーー形式上から考えれば、自己は、すべてのものが、自分自身と疎外関係にあることを、知っている。つまり、《対自存在》〔自独存在、自立存在〕は《自体存在》から、思いこんだことと目的は真実から、さらに《対他存在》が両者から、示されたものは本来の思いこみや真の事柄や意図から、離れているのである。ーーーかくて自己は、すべての契機が他の契機に対立していることを、一般にすべてのものが転倒していることを、正しく言い表わすすべを知っている。自己は、各々のものが何であるかを、それがどのように規定されていようと、そのものが在る以上によく知っている。自己が実体的なものを知っているのは、実体的なものが自分で統一している《不統一》と、《対抗》との面からであって、一つであるという面からではないから、自己は、実体的なものを、非常にうまく《評価する》ことを理解してはいるが、それを《把握する》能力は失っている。ーーーそのさい、この空しさは、すべての事物の外に出て、自己の意識を自分でもつために、すべての事物の空しさを必要とする、それゆえ、この空しさを自分で生み出すとともに、この空しさを支える眼目である」(ヘーゲル「精神現象学・下・精神・自己疎外的精神、教養・P.113~114」平凡社ライブラリー 一九九七年)
妹トシの死。賢治は夢のような列車に乗って駆けつける。その詩は独特の美しさを放つ言葉の車列が高速で駆け抜けていくようだ。
「こんなやみよののはらのなかをゆくときは 客車のまどはみんな水族館の窓になる (乾<かわ>いたでんしんばしらの列が せはしく遷<うつ>つてゐるらしい きしやは銀河系の玲瓏<れいろう>レンズ 巨<おほ>きな水素のりんごのなかをかけてゐる) りんごのなかをはしつてゐる けれどもここはいつたいどこの停車場<ば>だ」(宮沢賢治「春と修羅・青森挽歌」『宮沢賢治詩集・P.100』新潮文庫 一九九〇年)
到着した。トシの死に直面しなくてはならない賢治。それだけでなく「銀河鉄道」に出てきたように「ほんとうの天上へさえ行ける切符」でトシの死を天空の世界へ送ってやらねばならない。めまぐるしく展開する各々のシーンが途切れることなく描きこまれていく。
「それらひとのせかいのゆめはうすれ あかつきの薔薇(ばら)いろのそらにかんじ あたらしくさはやかな感官をかんじ 日光のなかのけむりのやうな羅(うすもの)をかんじ かがやいてほのかにわらひながら はなやかな雲やつめたいにほひのあひだを 交錯(かうさく)するつひかりの棒を過(よ)ぎり われらが上方とよぶその不可思議な方角へ それがそのやうであることにおどろきながら 大循環(だいじゆんくわん)の風よりもさはやかにのぼつて行つた わたくしはその跡(あと)をさへたづねることができる そこに碧(あを)い寂(しづ)かな湖水の面をのぞみ あまりにもそのたひらかさとかがやきと 未知な全反射の方法と さめざめとひかりゆすれる樹(き)の列を ただしくうつすことをあやしみ やがてはそれがおのづから研(みが)かれた 天の瑠璃(るり)の地面と知ってこころわななき 紐(ひも)になつてながれるそらの楽音 また瓔珞(やうらく)やあやしいうすものをつけ 移らずしかもしづかにゆききする 巨きなすあしの生物たち 遠いほのかな記憶のなかの花のかをり それらのなかにしづかに立つたらうか それともおれたちの声を聴(き)かないのち 暗紅色の不覚もわるいがらん洞(どう)と 意識ある蛋白質(たんぱくしつ)の砕(くだ)けるときにあげる声 亜硫酸(ありうさん)や笑気(せうき)のにほひ これらをそこに見るならば あいつはその中にまつ青になつて立ち 立つてゐるともよろめいてゐるともわからず 頬に手をあててゆめそのもののやうに立ち (わたくしがいまごろこんなものを感ずることが いつたいほんたうのことだらうか わたくしといふものがこんなものをみることが いつたいありうることだらうか そしてほんたうにみてゐるのだ)と 斯(か)ういつてひとりなげくかもしれない」(宮沢賢治「春と修羅・青森挽歌」『宮沢賢治詩集・P.109~112』新潮文庫 一九九〇年)
まるごとユートピアではと思いたくなるような死後の世界だが、賢治とてあらかじめ用意していた創作などであるはずはない。生前の妹トシ子は花巻高等女学校の英語教師だったと同時に兄・賢治の描く文学世界を最も近くで読み込み整理整頓を助けたほとんど唯一の理解者だった。それでもなお本人が死ぬ前から詩「青森挽歌」を準備できるわけはない。弔辞とはまったく違っている点で、むしろ「青森挽歌」はトシ子の死と同時進行していく賢治の心境が綴られている。それはトシ子が生から死へと移動した瞬間、それまで積み上げてきた思想・信仰のありったけを研磨しつつ一齣々々刻み込まれた言語の列車に映って見える。ちなみに賢治はとても映画が好きだったらしいがどんな映画が趣味だったのかはよく知らないし必ずしも知らなくていいように思う。賢治が見た映画を理解できる他人は幾らでもいる。けれども、だからといって映画好きの賢治がなぜ映画のような小説作品ではなくあえて<映像の通過>あるいは<通過の映像>とでもいうべき極めて特異な詩形式で妹トシ子を天空へ送ってやることにしたかは一向にわからないからである。ベルグソンはいう。
「すべての人物に固有なすべての運動から、非人称的、抽象的で単純な運動、いわば《運動一般》を抽出してそれを映写機の中に置く。そして各々の特殊な運動の個別性を、この匿名の運動を人称的な態度と組み合わせることによって再構成するのである。以上が、映画のやり口であり、われわれの認識のやり口でもある。諸事物の内的な生成に貼りつく代わりに、われわれは諸事物の外に身を置いて、それらの生成を人工的に再構成する。われわれは、過ぎゆく持続のほぼ瞬間的な眺めを獲得するのだが、それらの眺めはこの実在を特徴づけるものなので、われわれは、認識の装置の底に位置する、抽象的で単調な眼に見えないある生成に沿ってそれらの眺めを繋いでやれば、この生成そのものの特徴的な点を模倣することになるだろう。知覚、知性による理解、言語は、一般にこのように進行する。生成を考えるにせよ、表現するにせよ、もしくはそれを知覚する場合でさえ、われわれは、ある種の内的な映画の装置を作動させること以外ほとんど何もしていない。それゆえ次のように言って以上を要約しよう。《われわれの通常の認識のメカニズムの本性は、映画的である》」(ベルクソン「創造的進化・第4章・P.387~388」ちくま学芸文庫 二〇一〇年)
トシ子が生きていても死んでからも法華経はあるしそこに描き出されている世界はたいへん多くのひとびとが知っている。その次元に限れば死後の浄土について賢治でなくても書くことはできる。しかし法華経主義者としての賢治は「青森挽歌」において、トシ子の死と同時にトシ子に寄り添いつつ行かせてやりたいと賢治が希求するユートピアを創造し与えている。そこに或る種の<違い>(俗世間と比較して<ずれ>を伴う言葉の系列)が出現する。宗教的一般論で人間が死後に訪れることになるユートピアの様相とは異なり、死後の世界がそのまま天空のユートピアであるような言葉で彩られているのはそのためであるだろう。
BGM1
BGM2
BGM3
「『おや、こいつは大したもんですぜ。こいつはもう、ほんとうの天上へさえ行ける切符だ。天上どころじゃない、どこでも勝手にあるける通行券です。こいつをお持ちになれぁ、なるほど、こんな不完全な幻想(げんそう)第四次の銀河鉄道なんか、どこまででも行ける筈(はず)でさあ、あなた方大したもんですね』」(宮沢賢治「銀河鉄道の夜」『銀河鉄道の夜・P.191~192』新潮文庫 一九八九年)
ジョバンニははっきりした理由のわからないまま急にうれしくてたまらなくなり、同時に鳥捕りの境遇があまりにも気の毒なものに思えてくる。まるでジョバンニ自身が如来か菩薩に変身したかのようだ。
「ジョバンニはなんだかわけもわからずににわかにとなりの鳥捕りが気の毒でたまらなくなりました。鷺(さぎ)をつかまえてせいせいしたとよろおんだり、白いきれでそれをくるくる包んだり、ひとの切符をびっくりしたように横目で見てあわててほめだしたり、そんなことを一々考えていると、もうその見ず知らずの鳥捕りのために、ジョバンニの持っているものでも食べるものでもなんでもやってしまいたい、もうこの人のほんとうの幸(さいわい)になるなら自分があの光る天の川の河原(かわら)に立って百年つづけて立って鳥をとってやってもいいというような気がして、どうしてももう黙(だま)っていられなくなりました」(宮沢賢治「銀河鉄道の夜」『銀河鉄道の夜・P.192』新潮文庫 一九八九年)
賢治は一九二四年(大正十三年)に「銀河鉄道」の初稿を書いた。二年前にあたる一九二二年(大正十一年)に妹のトシが死去。衝撃と悲嘆に打ちひしがれている時期。妹トシの死をどのように受け入れればよいのか。兄としてと同時に宗教者としてどんな方法があるのか。そこで「ほんとうの天上へさえ行ける切符」という言葉が湧いて出たとしても何ら不思議ではない。そしてまた法華経主義者としては妹トシの死だけを特権化するのではなく、ありとあらゆる世界全体を救済するべく全力を上げたいと劇的に希求する。ところが言語化された湧き起こる<力>を意識するや否や、作中のジョバンニは、ほんのつい先ほど「見ず知らずの鳥捕りのために、ジョバンニの持っているものでも食べるものでもなんでもやってしまいたい、もうこの人のほんとうの幸(さいわい)になるなら自分があの光る天の川の河原(かわら)に立って百年つづけて立って鳥をとってやってもいいというような気が」立ち現れたにもかかわらず、すぐ次に親友カンパネルラとの対話で奇妙な違和感を述べる。
「『あの人どこへ行ったろう』。カムパネルラもぼんやりそう云っていました。『どこへ行ったろう。一体どこであうのだろう。僕(ぼく)はどうしても少しあの人に物を言わなかったろう』。『ああ、僕もそう思っているよ』。『僕はあの人が邪魔(じゃま)なような気がしたんだ。だから大へんつらい』。ジョバンニはこんな変てこな気もちは、ほんとうにはじめてだし、こんなこと今まで云ったこともないと思いました」(宮沢賢治「銀河鉄道の夜」『銀河鉄道の夜・P.193』新潮文庫 一九八九年)
ジョバンニは鳥捕りのことを思うと「邪魔(じゃま)なような気がした」、だから「大へんつらい」と洩らす。ジョバンニは壮大な使命感に燃えている。それは法華経に描かれている菩薩の言行を大切にするとか真似するとかいった次元ではなく、法華経に描かれた如来的実践(菩薩的無償性)そのものを実際に生き抜く覚悟を引き受けた人間の内部で出現しないわけにはいかない途轍もない苦悩である。ゆえにほんのついさっき内面に燃え上がったばかりの<鳥捕りのための使命感>は生身の賢治にとって一方で重荷になってしまう。そうなってしまうことがジョバンニにとっては「大へんつらい」。だから本当の「邪魔者」ではまったくないものの、ふいにジョバンニの内面の隅に出現した一つの課題としては「邪魔(じゃま)なような気がし」てもくる。しかしジョバンニにとって、とりわけ法華経主義者=賢治にとって、この世界で「邪魔なもの」など何一つない、ということでなくてはならない。ところが事情はよりいっそう混み入っている。ジョバンニの独白を見てみよう。
「<どうして僕(ぼく)はこんなにかなしいのだろう。僕はもっとこころもちをきれいに大きくもたなければいけない。あすこの岸のずうっと向うにはまるでけむりのような小さな青い火が見える。あれはほんとうにしずかでつめたい。僕はあれをよく見てこころもちをしずめるんだ>。ジョバンニは熱(ほて)って痛いあたまを両手で押(おさ)えるようにしてそっちの方を見ました。<ああほんとうにどこまでもどこまでも僕といっしょに行くひとはないだろうか。カムパネルラだってあんな女の子とおもしろそうに談(はな)しているし僕はほんとうにつらいなあ>。ジョバンニの眼はまた泪(なみだ)でいっぱいになり天の川もまるで遠くへ行ったようにぼんやり白く見えるだけでした」(宮沢賢治「銀河鉄道の夜」『銀河鉄道の夜・P.204』新潮文庫 一九八九年)
ジョバンニは「ほんとうの天上へさえ行ける切符」を手に入れた。使命感と気持ちの高揚とが重なり、亡き妹トシだけでなく銀河鉄道で知り合った鳥捕りをも救済したいと強烈に感じた。とはいうものの車内で女の子と気ままに会話できる親友カンパネルラを見ているとたちまち自己批判のどん底へ陥ってしまう。全世界の救済など自分にはそもそも無理なのでは、というより自分自身にしてからが、親友カンパネルラが楽しそうに振る舞う姿を見てどんなふうに感じてしまっているか。それこそ<嫉妬>というものではないのか。ジョバンニは自分の心身から湧き起こり世界中を包み込まんばかりの救済意志に燃え上がりつつ、場が変わるやたちまちのうちにどこにでもごろごろ転がっている通俗的<嫉妬>の感情にへこんでしまう。自分の中から恐ろしいばかりの勢いで上昇しつつ立ち現れたものが、あっという間に今度は転倒して逆方向へめりこんでしまい、ややもすれば<自己卑下>というべき次元へ陥っているのをジョバンニは目の当たりにする。ヘーゲル弁証法の基礎理論の手本のようなことを自分自身がやってしまっている。どういうことだろうか。
(1)「弁証法の正しい理解と認識はきわめて重要である。それは現実の世界のあらゆる運動、あらゆる生命、あらゆる活動の原理である。また弁証法はあらゆる真の学的認識の魂である。普通の意味においては、抽象的な悟性的規定に立ちどまらないということは、単なる公平にすぎないと考えられている。諺にも<自他ともに生かせ>と言われているが、これは或るものを認めるとともに、他のものをを認めることを意味する。しかしもっと立入って考えてみれば、有限なものは単に外部から制限されているのではなく、自分自身の本性によって自己を揚棄し、自分自身によって反対のものへ移っていくのである。例えばわれわれは、人間は死すべきものであると言い、そして死を外部の事情にもとづくものと考えているが、こうした見方によると、人間には生きるという性質ともう一つ可死的であるという性質と、二つの特殊な性質があることになる。しかし本当の見方はそうではなく、生命そのものがそのうちに死の萌芽を担っているのであって、一般に有限なものは自分自身のうちで自己と矛盾し、それによって自己を揚棄するのである」(ヘーゲル「小論理学・上・八一・P.246~247」岩波文庫 一九五一年)
(2)「ここで問題となっているような事柄は、哲学以外のあらゆる意識およびあらゆる経験のうちにすでに見出されるものである。われわれの周囲にあるすべてのものは弁証法の実例とみることができる。われわれは、あらゆる有限なものは確固としたもの、究極のものではなくて、変化し消滅するものであることを知っている。これがすなわち有限なものの弁証法であって、潜在的に自分自身の他者である有限なものは、この弁証法によって実際またその直接の存在を超出させられ、そしてその反対のものへ転化する」(ヘーゲル「小論理学・上・八一・P.248~249」岩波文庫 一九五一年)
(3)「弁証法がその成果として否定的なものを持つ場合、この否定的なものはまさに成果であるから、それは同時に肯定的なものでもある。というのは、この否定的なものは、それを成果として生み出したものを揚棄されたものとしてそのうちに含んでおり、それなしには存在しないからである」(ヘーゲル「小論理学・上・八一・P.251」岩波文庫 一九五一年)
(3)「生あるものは死ぬ。しかもそれは、生あるものが生あるものとして自分自身のうちに死の萌芽を担っているからにほかならない」(ヘーゲル「小論理学・上・P.286」岩波文庫)
(4)「或るものは他のものになる。しかし他のものは、それ自身一つの或るものである。したがってこれも同じく一つの他のものになる。かくして《限りなく》続いていく」(ヘーゲル「小論理学・上・九三・P.286」岩波文庫 一九五一年)
(5)「エレア派において思想は自分みずからを自由に相手とし、エレア派が絶対実在だと言明するもののうちで、思想は自己を純粋に把握し、思想が概念のうちを運動する。ここに、弁証法のはじまりが、すなわち、概念における思考の純粋運動のはじまりが見られます。と同時に、思考が現象ないし感覚的存在と対立し、さらには、内部から見た自己と他者との関係のなかでの自己が対立し、自己のもとにある矛盾が対象のもとにもあらわれてくる(それが弁証法の本来のすがたです)」(ヘーゲル「哲学史講義1・P.322」河出文庫 二〇一六年)
(6)「一般に弁証法といえば、(a)外的弁証法ーーー事柄の運動の総体とは区別される観察者の運動ーーーと、(b)たんなる外からの洞察の運動ではなく、事柄そのものの本質、つまり、内容の純粋概念に導かれた運動とがあります。前者は、対象を観察した上で、これまで確実なことと見なされていた一切をぐらつかせるような根拠や側面を提示する方法です。その場合、根拠はまったく外的なものでもさしつかえなく、わたしたちは、ソフィストの哲学をあつかうさいに、この弁証法についてくわしく論じることになるはずです。もう一つの弁証法は、対象のなかにはいって観察するもので、対象は、前提や理念や当為ぬきに、外的な関係や法則や根拠からではなく、それだけで取りあげられます。観察者は事柄そのもののまっただなかに飛びこみ、対象を対象に即して観察し、対象のもつ内容に従って対象をとらえる。この観察においては、対象みずからが、対立する内容をもち、したがって廃棄されていくことをあらわにします。この弁証法は古代にとりわけよく見られます。外的な根拠にもとづいて推論する主観的な弁証法は、『正のうちには不正もあり、偽のうちには真もある』といったことを認める上ではそれなりの意味がある。が、真の弁証法は、対象が一面からして欠陥があるといった中途半端にとどまることなく、その本性の全体からして対象を解体します」(ヘーゲル「哲学史講義1・P.355」河出文庫 二〇一六年)
(7)「弁証法が最初に運動にかんして成立したことについては、その理由として、弁証法そのものが運動であること、いいかえれば、運動そのものがあらゆる存在の弁証法であることがあげられます。事物は運動するものとして自分のもとに弁証法をもっており、そして運動とは、べつのものになること、自分を廃棄していくことです」(ヘーゲル「哲学史講義1・P.357」河出文庫 二〇一六年)
(8)「矛盾は運動においてもっとも明瞭に示される。運動では、対立するものが目の前にあらわれるからです」(ヘーゲル「哲学史講義1・P.359~360」河出文庫 二〇一六年)
ジョバンニは一方で全世界の救済を目指す宇宙論的<躁状態>に高まる。しばらくすると同じジョバンニがもう一方で通俗的<嫉妬>に見舞われ自己卑下的<鬱状態>に陥る。極端に対立する二極に分裂しているように見える。「分裂」といっても二人の人間が対立し合っているわけではまったくなく、いずれの状態も自分自身にほかならない。ヘーゲルはそれを「不幸な意識」という。
「自己意識が自分自身のなかで二重になることは、精神の概念においては本質的なことであり、それがいまここに現にあるわけであるが、まだ統一をえていない。そこで《不幸な意識》とは、二重の、矛盾するだけの実在であるような自己についての意識である。だから、この《不幸な、自分だけで分裂した》意識は、自らの本質のこの矛盾が(同じ)《一つの》意識であるため、一方の意識にいながらいつも同時に他方の意識をもたざるをえず、こうしてこの二つの意識のそれぞれから、この意識が統一の勝利と安定に達したと思うと同時に、すぐにそのままその統一から追い払われるよりほかない。だが、この意識が自分自身にほんとうに帰り、自己と和解したときには、生けるものとなり、現存するに至った精神の概念が示現されるであろう。というのも、そのときには、分かれていない〔同じ〕一つの意識でありながら二重の意識であるということが、すでにこの不幸な意識に含まれているからである。不幸な意識自身は、一方の自己意識が他方を観ることで《あり》、その自己意識自身は対立の両方であり、両者の統一はその意識の本質でもある。だが、まだ《自分で》この本質になってはいないし、両者の統一にもなってはいない。まず不幸な意識は、両者の《直接的な統一》であるにすぎないが、両者が自分にとって同じものではなく、対立したものである。そのため、その一方、つまり単一で不変な意識は《本質》〔的実在〕としてあるが、他方、多面的で変化する意識は《非本質的なもの》として在る。両者は《不幸な意識にとっては》互いに縁なきものである。不幸な意識自身は、この矛盾の意識であるから、変化する意識の側に立ち、自ら非本質的なものであるが、不変つまり単一な本質〔的実在〕の意識としては、同時に、非本質的なもの、すなわち、自己自身から解放されることを目指さざるをえない。というのもその意識は、《自分にとっては》〔自覚的には〕、変化するものであり、不変なものは自分に縁なきものにすぎないとしても、《それ自体では》、単一なしたがって不変な意識であるため、これを《自らの》本質として意識しておりながらも、《それ自身》自分にとっては〔自覚的には〕まだこの本質でないことを意識しているからである。この不幸な意識が両方の意識に与える位置は、だから、両者互いの無関心ではありえない、すなわち、不変なものに対する自己自身の無関心ではありえない。そうではなく、その意識は自らそれら両者である。その意識はその意識にとって、本質の非本質的なものに対する関係としての、《両者の関係そのもの》である。したがってこの非本質的なものは廃棄されるべきである。だが不幸な意識は、自らにとっては、両者が等しく本質的でありまた矛盾しているので、矛盾した運動であるにすぎない。この運動にあっては、反対は自らの反対において安定するのではなく、自らのうちで自分を反対として新たに生み出すだけである。だから、〔ここには〕一つの敵に対する一つの戦いが現にあるわけで、この敵に対しては、勝利がむしろ敗北であり、いずれか一方をうることが、むしろその反対のなかで、それを失うことである。生命、生命の定在および行為などの意識は、この定在と行為に対する苦しみであるにすぎない。というのもそこでは意識は、自らの反対が本質であるという、己れ自身の空しさの意識を、もつにすぎないからである」(ヘーゲル「精神現象学・上・自己意識・不幸な意識・P.245~248」平凡社ライブラリー 一九九七年)
またジョバンニ=賢治とすると、博学の近代インテリたちがしばしば襲われたように、賢治もまたその精神はそもそもとても<虚しい>ものだということを知っており、その<虚しさ>を少しの隙間もなく埋めるにふさわしいものとして法華経主義への没入という道程を選んだと言えそうに思われる。
「自己復帰の第一の面においては、あらゆる《事物の空しさ》は、自己《自身の空しさ》である、つまり自己は空しい《のである》。すべてを評価し、喋りまくるだけでなく、現実の固定した実在〔国家権力と財富〕や、判断の立てる固定した規定〔善悪、高貴下劣〕やが、《矛盾》していることを、精神(エスプリ)のある態度で語るすべを心得ているのは、自独存在〔対自存在、自立存在〕する自己である。この矛盾こそは、それらの実在や規定の真理なのである。ーーー形式上から考えれば、自己は、すべてのものが、自分自身と疎外関係にあることを、知っている。つまり、《対自存在》〔自独存在、自立存在〕は《自体存在》から、思いこんだことと目的は真実から、さらに《対他存在》が両者から、示されたものは本来の思いこみや真の事柄や意図から、離れているのである。ーーーかくて自己は、すべての契機が他の契機に対立していることを、一般にすべてのものが転倒していることを、正しく言い表わすすべを知っている。自己は、各々のものが何であるかを、それがどのように規定されていようと、そのものが在る以上によく知っている。自己が実体的なものを知っているのは、実体的なものが自分で統一している《不統一》と、《対抗》との面からであって、一つであるという面からではないから、自己は、実体的なものを、非常にうまく《評価する》ことを理解してはいるが、それを《把握する》能力は失っている。ーーーそのさい、この空しさは、すべての事物の外に出て、自己の意識を自分でもつために、すべての事物の空しさを必要とする、それゆえ、この空しさを自分で生み出すとともに、この空しさを支える眼目である」(ヘーゲル「精神現象学・下・精神・自己疎外的精神、教養・P.113~114」平凡社ライブラリー 一九九七年)
妹トシの死。賢治は夢のような列車に乗って駆けつける。その詩は独特の美しさを放つ言葉の車列が高速で駆け抜けていくようだ。
「こんなやみよののはらのなかをゆくときは 客車のまどはみんな水族館の窓になる (乾<かわ>いたでんしんばしらの列が せはしく遷<うつ>つてゐるらしい きしやは銀河系の玲瓏<れいろう>レンズ 巨<おほ>きな水素のりんごのなかをかけてゐる) りんごのなかをはしつてゐる けれどもここはいつたいどこの停車場<ば>だ」(宮沢賢治「春と修羅・青森挽歌」『宮沢賢治詩集・P.100』新潮文庫 一九九〇年)
到着した。トシの死に直面しなくてはならない賢治。それだけでなく「銀河鉄道」に出てきたように「ほんとうの天上へさえ行ける切符」でトシの死を天空の世界へ送ってやらねばならない。めまぐるしく展開する各々のシーンが途切れることなく描きこまれていく。
「それらひとのせかいのゆめはうすれ あかつきの薔薇(ばら)いろのそらにかんじ あたらしくさはやかな感官をかんじ 日光のなかのけむりのやうな羅(うすもの)をかんじ かがやいてほのかにわらひながら はなやかな雲やつめたいにほひのあひだを 交錯(かうさく)するつひかりの棒を過(よ)ぎり われらが上方とよぶその不可思議な方角へ それがそのやうであることにおどろきながら 大循環(だいじゆんくわん)の風よりもさはやかにのぼつて行つた わたくしはその跡(あと)をさへたづねることができる そこに碧(あを)い寂(しづ)かな湖水の面をのぞみ あまりにもそのたひらかさとかがやきと 未知な全反射の方法と さめざめとひかりゆすれる樹(き)の列を ただしくうつすことをあやしみ やがてはそれがおのづから研(みが)かれた 天の瑠璃(るり)の地面と知ってこころわななき 紐(ひも)になつてながれるそらの楽音 また瓔珞(やうらく)やあやしいうすものをつけ 移らずしかもしづかにゆききする 巨きなすあしの生物たち 遠いほのかな記憶のなかの花のかをり それらのなかにしづかに立つたらうか それともおれたちの声を聴(き)かないのち 暗紅色の不覚もわるいがらん洞(どう)と 意識ある蛋白質(たんぱくしつ)の砕(くだ)けるときにあげる声 亜硫酸(ありうさん)や笑気(せうき)のにほひ これらをそこに見るならば あいつはその中にまつ青になつて立ち 立つてゐるともよろめいてゐるともわからず 頬に手をあててゆめそのもののやうに立ち (わたくしがいまごろこんなものを感ずることが いつたいほんたうのことだらうか わたくしといふものがこんなものをみることが いつたいありうることだらうか そしてほんたうにみてゐるのだ)と 斯(か)ういつてひとりなげくかもしれない」(宮沢賢治「春と修羅・青森挽歌」『宮沢賢治詩集・P.109~112』新潮文庫 一九九〇年)
まるごとユートピアではと思いたくなるような死後の世界だが、賢治とてあらかじめ用意していた創作などであるはずはない。生前の妹トシ子は花巻高等女学校の英語教師だったと同時に兄・賢治の描く文学世界を最も近くで読み込み整理整頓を助けたほとんど唯一の理解者だった。それでもなお本人が死ぬ前から詩「青森挽歌」を準備できるわけはない。弔辞とはまったく違っている点で、むしろ「青森挽歌」はトシ子の死と同時進行していく賢治の心境が綴られている。それはトシ子が生から死へと移動した瞬間、それまで積み上げてきた思想・信仰のありったけを研磨しつつ一齣々々刻み込まれた言語の列車に映って見える。ちなみに賢治はとても映画が好きだったらしいがどんな映画が趣味だったのかはよく知らないし必ずしも知らなくていいように思う。賢治が見た映画を理解できる他人は幾らでもいる。けれども、だからといって映画好きの賢治がなぜ映画のような小説作品ではなくあえて<映像の通過>あるいは<通過の映像>とでもいうべき極めて特異な詩形式で妹トシ子を天空へ送ってやることにしたかは一向にわからないからである。ベルグソンはいう。
「すべての人物に固有なすべての運動から、非人称的、抽象的で単純な運動、いわば《運動一般》を抽出してそれを映写機の中に置く。そして各々の特殊な運動の個別性を、この匿名の運動を人称的な態度と組み合わせることによって再構成するのである。以上が、映画のやり口であり、われわれの認識のやり口でもある。諸事物の内的な生成に貼りつく代わりに、われわれは諸事物の外に身を置いて、それらの生成を人工的に再構成する。われわれは、過ぎゆく持続のほぼ瞬間的な眺めを獲得するのだが、それらの眺めはこの実在を特徴づけるものなので、われわれは、認識の装置の底に位置する、抽象的で単調な眼に見えないある生成に沿ってそれらの眺めを繋いでやれば、この生成そのものの特徴的な点を模倣することになるだろう。知覚、知性による理解、言語は、一般にこのように進行する。生成を考えるにせよ、表現するにせよ、もしくはそれを知覚する場合でさえ、われわれは、ある種の内的な映画の装置を作動させること以外ほとんど何もしていない。それゆえ次のように言って以上を要約しよう。《われわれの通常の認識のメカニズムの本性は、映画的である》」(ベルクソン「創造的進化・第4章・P.387~388」ちくま学芸文庫 二〇一〇年)
トシ子が生きていても死んでからも法華経はあるしそこに描き出されている世界はたいへん多くのひとびとが知っている。その次元に限れば死後の浄土について賢治でなくても書くことはできる。しかし法華経主義者としての賢治は「青森挽歌」において、トシ子の死と同時にトシ子に寄り添いつつ行かせてやりたいと賢治が希求するユートピアを創造し与えている。そこに或る種の<違い>(俗世間と比較して<ずれ>を伴う言葉の系列)が出現する。宗教的一般論で人間が死後に訪れることになるユートピアの様相とは異なり、死後の世界がそのまま天空のユートピアであるような言葉で彩られているのはそのためであるだろう。
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