或る初夏の頃。ひなげしたちは真っ赤な花を咲かせ風に揺れながらそれぞれ言い合っていた。どうしてもみんな燃え上がるようにもっと赤く美しく咲き誇りたいと言ってなかなか譲らない。そばに立っている大きなひのきはそんなひなげしたちを見下ろしてからかっていた。一番小さいひなげしは自嘲ぎみに「ああ、つまらない」とつぶやく。自分なんてもう「一生合唱手(コーラス)に」決まったようなもので「いちど女王(スター)に」してもらえたら死んでもいいと。さらに隣の黒斑(くろぶち)の入ったひなげしはもう少し諦観が激しい。スターになれなくてもしょせん死んで終わりだと。しかし一番小さなひなげしよりはちょっとばかり「まし」かもしれないけれど、と皮肉を付け加えもする。黒斑入りのひなげしは一番小さなひなげしのまっすぐな諦めよりはやや希望があり、しかし逆にその一群の中でひと際目立って美しい花をつけているひなげしに比べればまるで相手にならない。両者の間という<凡庸性>を代表するかのような歪んだ言葉を飛ばしている。そこへ蛙(かえる)に化けた悪魔が薔薇のような娘に化けさせた弟子を連れてやって来た。
「向うの葵(あおい)の花壇(かだん)から悪魔(あくま)が小さな蛙(かえる)にばけて、ベートーベンの着たような青いフロックコートを羽織りそれに新月よりもけだかいばら娘(むすめ)に仕立てた自分の弟子(でし)の手を引いて、大変あわてた風をしてやって来たのです」(宮沢賢治「ひのきとひなげし」『銀河鉄道の夜・P.76』新潮文庫 一九八九年)
弟子とともに怪しげな美容術の話をこれみよがしに演じて見せる。ひなげしたちは耳を皿にして聞き入る。そこで感心が向いたなと実感したところで蛙に化けた悪魔は弟子を連れて帰っていく。土手の影まで戻った悪魔は弟子にいう。
「『ではおれは今度は医者だから』といいながらすっかり小さな白い鬚(ひげ)の医者にばけました。悪魔の弟子はさっそく大きな雀(すずめ)の形になってぼろんと飛んで行きました」(宮沢賢治「ひのきとひなげし」『銀河鉄道の夜・P.78』新潮文庫 一九八九年)
とって返してきた悪魔は今度は白鬚の医者姿で平然と「伯爵(はくしゃく)からの言伝(ことづて)」でやって来たと言いつつ怪しげや美容術の医者を演じる。ひなげしたちは内心どよめき高ぶった気持ちを抑えながら医者に化けた悪魔を歓迎する。悪魔はいう。少なくともさっきの薔薇の娘くらいになることはできる、しかし費用がかかると料金を提示する悪魔。その金額をきいたひなげしたちはあまりの高額のため、みんな一斉に「しいん」としてしまう。そこで一番小さなひなげしが思いきっていう。
「『お医者さん。わたくしおあしなんか一文もないのよ。けども少したてばあたしの頭に亜片(あへん)ができるのよ。それをみんなあげることにしてはいけなくって』」(宮沢賢治「ひのきとひなげし」『銀河鉄道の夜・P.79』新潮文庫 一九八九年)
もっとも、ひなげしは薬品になる<けしの実>をつけない品種だが、小説の展開上、どうということもなく話は先へ進む。医者に化けた悪魔は契約書にサインさせようとするが、ひなげしたちは書類の書き方をしらない。それにつけこんで悪魔は準備しておいた用紙の山を取り出していう。
「『ではわしがこの紙をひとつぱらぱらめくるからみんないっしょにこう云いなさい。亜片はみんな差しあげ候(そうろう)と』」(宮沢賢治「ひのきとひなげし」『銀河鉄道の夜・P.80』新潮文庫 一九八九年)
言われるがままひなげしたちはその通りにした。すると悪魔はさっそく秘密の薬を三服やるといってひなげしたちに妙な呪文を三回唱えるよううながした。一度目に少し、二度目にはもう少し、ひなげしの意識がなんだか変容してきた。そして三回目になった時、そばに立っているひのきが大声を上げて制止した。こういう。
「『おおい、お医者や、あんまり変な声を出してくれるなよ。ここは、セントジョバンニ様のお庭だからな』。ひのきが高く叫びました。その時風がザァッとやって来ました。ひのきが高く叫びました。『こうらにせ医者。まてっ』。すると医者はたいへんあわてて、まるでのろしのように急に立ちあがって、滅法界(めっぽうかい)もなく大きく黒くなって、途方(とほう)もない方へ飛んで行ってしまいました」(宮沢賢治「ひのきとひなげし」『銀河鉄道の夜・P.81』新潮文庫 一九八九年)
ひなげしたちはびっくりしてきょとんとしている。それでもなお事情が理解できないのか理解したくないのかわからないが、ひなげしたちはひのきに向かって余計な「おせっかい」だと非難する。ひのきはこう説明してみせる。
「『そうじゃないて。おまえたちが青いけし坊主(ぼうず)のまんまでがりがり食われてしまったらもう来年はここへは草が生えるだけ、それに第一スターになりたいなんておまえたち、スターて何だけ知りもしない癖に(くせ)に。スターというのはな、本当は天井(てんじょう)のお星さまのことなんだ。そらあすこへもうお出になっている。もすこしたてばそらいちめんにおでましだ。そうそうオールスターキャストというのがつまりそれだ。つまり双子(ふたご)星座様は双子星座様のところにレオーノ様はレオーノ様のところに、ちゃんと定(さだ)まった場所でめいめいのきまった光りようをなさるのがオールスターキャスト、な、ところがありがたいもんでスターになりたいなりたいと云っているおまえたちがそのままそっくりスターでな、おまけにオールスターキャストだということになってある。それはこうだ、聴けよ。<あめなる花をほしと云い この世の星を花という>』」(宮沢賢治「ひのきとひなげし」『銀河鉄道の夜・P.81~82』新潮文庫 一九八九年)
この箇所でひのきが歌ってみせる歌は土井晩翠「星と花」から賢治が持ち込んで応用した一部分。
「み空の花を星といひ わが世の星を花といふ」(土井晩翠「星と花」『日本の詩歌2・P.9』中公文庫 一九七六年)
地上から見れば空の花は「星」と呼ばれ、また逆に空から見れば地上の星は「花」と呼ばれる。なるほどそう言われてみればその通りではある。しかし納得できないひなげしたちは自分たちがまんまと騙されて殺されそうになったところを救われた<負い目>を無理に覆い隠したがっているのか、逆に教えてくれたひのきに向かって罵声を浴びせてうさを晴らしている。しばらくすると陽が傾いて山影に入り周囲はすっかり真っ暗になった。当り前のようにひなげしたちの姿形もみんな真っ黒に見える。今度は空の星が輝き始めた。
そんなわけで<ひのき>がしたことは何か。夜になってしまえばどんなひなげしもただ単なる暗闇に溶け込んでしまうというかのように見えはする。そして陽の高いうちはそれぞれ与えられた場所で精一杯咲けばよいと言っているかのようでもある。きさまたちはきさまさちの分際を守っていればよいのだという傲慢な説教に過ぎないように思えなくもない。ところが実際はどちらでもない。<ひのき>はもっとずっと遥かに賢い。ひのきのいう「オールスターキャスト」は宇宙論的意味合いで述べられている。自然生態系に即したそれぞれの立場を前提条件として、その条件次第でどんな存在もあり方見え方がそれぞれ異なる。絶対的基準などどこにもない、という基準の無効化である。
したがってひのきの説明以前と以後とではひなげしたちの対話は、なるほど用いられている語彙は同じでもその意味はすっかり変わっている。また、見た目の姿形に関する不平不満は続けて描かれるがその意味も同時にただ単なる「たあいのない」おしゃべりに置き換えられてその場の空気はまるで違ったものへ変化した。
そういえば、先にほんの少しばかり登場してすぐ話の外へ消えた「悪魔の弟子」はどうなったか。「さっそく大きな雀(すずめ)の形になってぼろんと飛んで行きました」。荘子はいう。
「子祀・子輿・子犁・子來、四人相與語曰、孰能以无爲首、以生爲脊、以死爲尻、孰知死生存亡之一體者、吾與之友矣、四人相視而笑、莫逆於心、遂相與爲友、俄而子輿有病、子祀往問之、曰、偉哉、夫造物者、將以予爲此拘拘也、曲僂發背、上有五管、頣隠於齊、肩高於頂、句贅指天、陰陽之気有乱、其心間而无事、偏遷而鑑于井曰、嗟乎、夫造物者、又將以予爲此拘拘也、子祀曰、女惡之乎、亡、予何惡、浸假而化予之左臂以爲雞、予因以求時夜、浸假而化予之右臂以爲彈、予因以求鴞炙、浸假而化予之尻以爲輪、以神爲馬、予因而乗之、豈更駕哉、且夫得者時也、失者順也、安時而處順、哀樂不能入也、此古之所謂縣解也、而不能自解者、物有結之、且夫物不勝天久矣、吾又何惡焉
(書き下し)子祀(しし)・子輿(しよ)・子犁(しり)・子来(しらい)、四人相(あ)い与(とも)に語りて曰わく、孰(たれ)か能く無(む)を以て首(こうべ)と為し、生を以て脊(せ)と為し、死を以て尻(しり)と為すや。孰か死生存亡の一体なるを知る者ぞ。吾れこれと友たらんと。四人相い視(み)て笑い、心に逆らう莫(な)く、遂(つい)に相い与に友と為(な)る。俄(にわ)かにして子輿に病あり、子祀往(ゆ)きてこれを問う。曰わく、偉なるかな、夫(か)の造物者(ぞうぶつしゃ)。将(まさ)に予れを以て此の拘拘(こうこう)を為さんとすと。曲僂(きょくる)背に発し、上に五管あり、頣(あご)は斉(へそ=臍)に隠れ、肩は頂(あたま)より高く、句贅(こうぜい)は天を指(さ)す。陰陽の気に乱(みだ)るることあるも、其の心間(しずか=閑)にして無事(むじ)なり。偏遷(へんせん)して井(せい)に鑑(かがみ)して曰わく、嗟手(ああ)、夫の造物者、又た将に予れを以て此の拘拘を為さんとするなりと。子祀曰わく、女(なんじ)これを悪(にく)むかと。曰わく、亡(いな)、予れ何ぞ悪まん。浸(ようや)くに仮(いた)りて予れの左臂(さひ)を化して雞(けい)と為(な)さば、予れは因(よ)りて時夜(じや)を求めん。浸くに仮りて予れの右臂を化して弾(だん)と為さば、予れは因りて鴞炙(きょうしゃ)を求めん。浸くに仮りて予れの尻を化して輪と為し、神(しん)を以て馬と為さば、予れは因りてこれに乗らん。豈(あ)に更(さら)に駕(が)せんや。且(か)つ夫れ得る者は時なり、失う者は順なり。時に安んじて順に処(お)れば、哀楽も入(い)ること能(あた)わず、此れ古(いにし)えの謂わゆる県解(けんかい)なり。而も自ら解くこと能わざる者は、物これを結ぶあればなり。且つ夫れ物の天に勝たざるや久し。吾れ又た何ぞ悪(にく)まんと。
(現代語訳)子祀(しし)と子輿(しよ)と子犁(しり)と子来(しらい)とが、四人でいっしょに語りあった。『無を頭とし、生を背(せなか)とし、死を尻とすることのできる者が、、だれかいるだろうか。死と生と。存と亡とが一体であることをわきまえた者が、だれかいるだろうか。われわれはそういう者と友だちになりたい』。四人はこういうと、顔を見あわせてにっこり笑い、心からうちとけて、そのまま互いに友だちとなった。〔その後〕、突然、子輿が病気になった。子祀が見舞いに訪ねていくと、子輿はこういった、『偉大だね、あの造物者(ぞうぶつしゃ)は。わしの体をこんな曲がりくねったものにしようとしているのだ』。背中はひどい背むしでもりあがり、内臓は頭の上にきて頣(あご)は臍(へそ)のあたりにかくれ、両肩は頭のてっぺんよりも高く、頭髪のもとどりは天をさしている。体内の陰陽の気が乱れているのだが、その心は平静で格別の事もない。よろめきながら井戸の〔そばに行くと〕、水に姿をうつして、『ああ、あの造物者はまたわしの体をこんな曲がりくねったものにしようとしているのだ』といった子祀はいう、『君はそれがいやかね』。『いや、わしがどうしていやがろう。〔造化のはたらきが〕だんだん進んでわしの左の臂(かいな)を鶏に変えるというなら、ついでにわしはその鶏が時を告げるのを聞こうと思う。だんだん進んでわしの右の臂(かいな)をはじき弓に変えるというなら、ついでにわしは射(い)落した鳥の焼き肉をほしいと思う。だんだん進んでわしの尻(しり)を車の輪に変え、わしの心を馬にするというなら、ついでにわしはそれに乗るだろう。別の馬車を用意しなくてすむよ。それに、いったいこの世に生を受けたのは生まれるべき時にめぐりあっただけのことだし、生を失って死んでゆくのも死すべき道理に従うまでのことだ。めぐりあわせた時のままに身をまかせて、自然の道理に従っていくということなら、〔生死のために感情を動かすこともなく〕、喜びや悲しみの感情が入りこむ余地はない。こういう境地が、むかしの人のいう県解(けんかい)ーーーすなわち束縛からの解放ということだ。しかもなお自分で解放することができない〔で生死のためにくよくよする〕というのは、外界の事物がその心の中で固まっているからだ。それに、そもそも外界の事物が自然の道理に勝てないのは、むかしからのことだ。わしは〔ただ自然の道理に従うばかり〕、またどうしてこの病をいやがったりしようか』」(「荘子(第一冊)・内篇・大宗師篇・第六・五・P.194~197」岩波文庫 一九七一年)
こうある。「わしの左の臂(かいな)を鶏に変えるというなら、ついでにわしはその鶏が時を告げるのを聞こうと思う」。荘子が考える意味での「縣解(けんかい)」=「束縛からの解放」である。
さらにヘーゲルはいう。
「理性的なものは現実的であり、そして現実的なものは理性的である」(ヘーゲル「法の哲学・上・序言・P.34」岩波文庫 二〇二一年)
ここでヘーゲルのいう「現実的」という言葉の意味について、それが「反省〔反照〕」を含む点について補足しておこう。
「現実性とは、本質と現存在との統一、あるいは内的なものと外的なものとの統一が、直接的な統一となったものである。現実的なものの発現は、現実そのものである。したがって現実的なものは、発現のうちにあっても、依然として本質的なものであるのみならず、直接的な外的現存在のうちにあるかぎりにおいてのみ本質的なものである。ーーー<補遺>人々は、普通、よく考えもしないで、現実と思想(正確に言えば、理念)とを対立させており、かくしてわれわれは人々がよく次のように言うのを聞く。すなわち、或る思想が正しく真理であることに異論はないが、しかしそうしたものは現実のうちには存在しない、あるいは、現実のうちにそれを実現することはできない、と。しかしこういう言い方をする人は、それによって、かれらが思想の本性をも現実の本性をも正しく把握していないことを証明しているのである。このような言い方においては、思想は主観的表象、計画、意図などと同じ意味に理解され、現実は外的な、感覚的な現存在と同じ意味に理解されている。カテゴリーおよびその表示を人々がそうまで厳密に考えていない日常生活においては、そうしたことも許されるであろう。例えば、或る税制計画(日常的には、このようなものもイデーとよばれている)が、それ自身としては全くすぐれていて目的にかなっているが、いわゆる現実のうちには見出されず、また与えられた諸事情のもとでは実行できないというようなことも、もちろんおこりうるであろう。しかし抽象的な悟性が理念と現実という二つの規定をとらえて、その区別を動かすことのできない対立にまで高め、われわれはこの世界においては理念を頭から作り出さねばならないなどと言う場合には、われわれはこのような考え方を学問および健全な理性の名において決定的にしりぞけなければならない。なぜなら、一方において、理念はけっしてわれわれの頭脳のうちにのみあるものでもなく、またわれわれが勝手に実現したり、しなかったりできるような無力なものでもなく、絶対的に活動的なものであり、現実的なものであるからであり、他方、現実は、無思想な、あるいは、思惟をきらい、思惟の点では全く駄目になった実際家たちが考えるほど、悪くもなければ不合理でもないからである」(ヘーゲル「小論理学・下・第二部・本質論・一四二・P.81~83」岩波文庫)
そうであれば二十一世紀においてふたたび始めることが可能でありなおかつ実際に始めなければならない<近代>という事態が迫っているのでは、と思うのである。
BGM1
BGM2
BGM3
「向うの葵(あおい)の花壇(かだん)から悪魔(あくま)が小さな蛙(かえる)にばけて、ベートーベンの着たような青いフロックコートを羽織りそれに新月よりもけだかいばら娘(むすめ)に仕立てた自分の弟子(でし)の手を引いて、大変あわてた風をしてやって来たのです」(宮沢賢治「ひのきとひなげし」『銀河鉄道の夜・P.76』新潮文庫 一九八九年)
弟子とともに怪しげな美容術の話をこれみよがしに演じて見せる。ひなげしたちは耳を皿にして聞き入る。そこで感心が向いたなと実感したところで蛙に化けた悪魔は弟子を連れて帰っていく。土手の影まで戻った悪魔は弟子にいう。
「『ではおれは今度は医者だから』といいながらすっかり小さな白い鬚(ひげ)の医者にばけました。悪魔の弟子はさっそく大きな雀(すずめ)の形になってぼろんと飛んで行きました」(宮沢賢治「ひのきとひなげし」『銀河鉄道の夜・P.78』新潮文庫 一九八九年)
とって返してきた悪魔は今度は白鬚の医者姿で平然と「伯爵(はくしゃく)からの言伝(ことづて)」でやって来たと言いつつ怪しげや美容術の医者を演じる。ひなげしたちは内心どよめき高ぶった気持ちを抑えながら医者に化けた悪魔を歓迎する。悪魔はいう。少なくともさっきの薔薇の娘くらいになることはできる、しかし費用がかかると料金を提示する悪魔。その金額をきいたひなげしたちはあまりの高額のため、みんな一斉に「しいん」としてしまう。そこで一番小さなひなげしが思いきっていう。
「『お医者さん。わたくしおあしなんか一文もないのよ。けども少したてばあたしの頭に亜片(あへん)ができるのよ。それをみんなあげることにしてはいけなくって』」(宮沢賢治「ひのきとひなげし」『銀河鉄道の夜・P.79』新潮文庫 一九八九年)
もっとも、ひなげしは薬品になる<けしの実>をつけない品種だが、小説の展開上、どうということもなく話は先へ進む。医者に化けた悪魔は契約書にサインさせようとするが、ひなげしたちは書類の書き方をしらない。それにつけこんで悪魔は準備しておいた用紙の山を取り出していう。
「『ではわしがこの紙をひとつぱらぱらめくるからみんないっしょにこう云いなさい。亜片はみんな差しあげ候(そうろう)と』」(宮沢賢治「ひのきとひなげし」『銀河鉄道の夜・P.80』新潮文庫 一九八九年)
言われるがままひなげしたちはその通りにした。すると悪魔はさっそく秘密の薬を三服やるといってひなげしたちに妙な呪文を三回唱えるよううながした。一度目に少し、二度目にはもう少し、ひなげしの意識がなんだか変容してきた。そして三回目になった時、そばに立っているひのきが大声を上げて制止した。こういう。
「『おおい、お医者や、あんまり変な声を出してくれるなよ。ここは、セントジョバンニ様のお庭だからな』。ひのきが高く叫びました。その時風がザァッとやって来ました。ひのきが高く叫びました。『こうらにせ医者。まてっ』。すると医者はたいへんあわてて、まるでのろしのように急に立ちあがって、滅法界(めっぽうかい)もなく大きく黒くなって、途方(とほう)もない方へ飛んで行ってしまいました」(宮沢賢治「ひのきとひなげし」『銀河鉄道の夜・P.81』新潮文庫 一九八九年)
ひなげしたちはびっくりしてきょとんとしている。それでもなお事情が理解できないのか理解したくないのかわからないが、ひなげしたちはひのきに向かって余計な「おせっかい」だと非難する。ひのきはこう説明してみせる。
「『そうじゃないて。おまえたちが青いけし坊主(ぼうず)のまんまでがりがり食われてしまったらもう来年はここへは草が生えるだけ、それに第一スターになりたいなんておまえたち、スターて何だけ知りもしない癖に(くせ)に。スターというのはな、本当は天井(てんじょう)のお星さまのことなんだ。そらあすこへもうお出になっている。もすこしたてばそらいちめんにおでましだ。そうそうオールスターキャストというのがつまりそれだ。つまり双子(ふたご)星座様は双子星座様のところにレオーノ様はレオーノ様のところに、ちゃんと定(さだ)まった場所でめいめいのきまった光りようをなさるのがオールスターキャスト、な、ところがありがたいもんでスターになりたいなりたいと云っているおまえたちがそのままそっくりスターでな、おまけにオールスターキャストだということになってある。それはこうだ、聴けよ。<あめなる花をほしと云い この世の星を花という>』」(宮沢賢治「ひのきとひなげし」『銀河鉄道の夜・P.81~82』新潮文庫 一九八九年)
この箇所でひのきが歌ってみせる歌は土井晩翠「星と花」から賢治が持ち込んで応用した一部分。
「み空の花を星といひ わが世の星を花といふ」(土井晩翠「星と花」『日本の詩歌2・P.9』中公文庫 一九七六年)
地上から見れば空の花は「星」と呼ばれ、また逆に空から見れば地上の星は「花」と呼ばれる。なるほどそう言われてみればその通りではある。しかし納得できないひなげしたちは自分たちがまんまと騙されて殺されそうになったところを救われた<負い目>を無理に覆い隠したがっているのか、逆に教えてくれたひのきに向かって罵声を浴びせてうさを晴らしている。しばらくすると陽が傾いて山影に入り周囲はすっかり真っ暗になった。当り前のようにひなげしたちの姿形もみんな真っ黒に見える。今度は空の星が輝き始めた。
そんなわけで<ひのき>がしたことは何か。夜になってしまえばどんなひなげしもただ単なる暗闇に溶け込んでしまうというかのように見えはする。そして陽の高いうちはそれぞれ与えられた場所で精一杯咲けばよいと言っているかのようでもある。きさまたちはきさまさちの分際を守っていればよいのだという傲慢な説教に過ぎないように思えなくもない。ところが実際はどちらでもない。<ひのき>はもっとずっと遥かに賢い。ひのきのいう「オールスターキャスト」は宇宙論的意味合いで述べられている。自然生態系に即したそれぞれの立場を前提条件として、その条件次第でどんな存在もあり方見え方がそれぞれ異なる。絶対的基準などどこにもない、という基準の無効化である。
したがってひのきの説明以前と以後とではひなげしたちの対話は、なるほど用いられている語彙は同じでもその意味はすっかり変わっている。また、見た目の姿形に関する不平不満は続けて描かれるがその意味も同時にただ単なる「たあいのない」おしゃべりに置き換えられてその場の空気はまるで違ったものへ変化した。
そういえば、先にほんの少しばかり登場してすぐ話の外へ消えた「悪魔の弟子」はどうなったか。「さっそく大きな雀(すずめ)の形になってぼろんと飛んで行きました」。荘子はいう。
「子祀・子輿・子犁・子來、四人相與語曰、孰能以无爲首、以生爲脊、以死爲尻、孰知死生存亡之一體者、吾與之友矣、四人相視而笑、莫逆於心、遂相與爲友、俄而子輿有病、子祀往問之、曰、偉哉、夫造物者、將以予爲此拘拘也、曲僂發背、上有五管、頣隠於齊、肩高於頂、句贅指天、陰陽之気有乱、其心間而无事、偏遷而鑑于井曰、嗟乎、夫造物者、又將以予爲此拘拘也、子祀曰、女惡之乎、亡、予何惡、浸假而化予之左臂以爲雞、予因以求時夜、浸假而化予之右臂以爲彈、予因以求鴞炙、浸假而化予之尻以爲輪、以神爲馬、予因而乗之、豈更駕哉、且夫得者時也、失者順也、安時而處順、哀樂不能入也、此古之所謂縣解也、而不能自解者、物有結之、且夫物不勝天久矣、吾又何惡焉
(書き下し)子祀(しし)・子輿(しよ)・子犁(しり)・子来(しらい)、四人相(あ)い与(とも)に語りて曰わく、孰(たれ)か能く無(む)を以て首(こうべ)と為し、生を以て脊(せ)と為し、死を以て尻(しり)と為すや。孰か死生存亡の一体なるを知る者ぞ。吾れこれと友たらんと。四人相い視(み)て笑い、心に逆らう莫(な)く、遂(つい)に相い与に友と為(な)る。俄(にわ)かにして子輿に病あり、子祀往(ゆ)きてこれを問う。曰わく、偉なるかな、夫(か)の造物者(ぞうぶつしゃ)。将(まさ)に予れを以て此の拘拘(こうこう)を為さんとすと。曲僂(きょくる)背に発し、上に五管あり、頣(あご)は斉(へそ=臍)に隠れ、肩は頂(あたま)より高く、句贅(こうぜい)は天を指(さ)す。陰陽の気に乱(みだ)るることあるも、其の心間(しずか=閑)にして無事(むじ)なり。偏遷(へんせん)して井(せい)に鑑(かがみ)して曰わく、嗟手(ああ)、夫の造物者、又た将に予れを以て此の拘拘を為さんとするなりと。子祀曰わく、女(なんじ)これを悪(にく)むかと。曰わく、亡(いな)、予れ何ぞ悪まん。浸(ようや)くに仮(いた)りて予れの左臂(さひ)を化して雞(けい)と為(な)さば、予れは因(よ)りて時夜(じや)を求めん。浸くに仮りて予れの右臂を化して弾(だん)と為さば、予れは因りて鴞炙(きょうしゃ)を求めん。浸くに仮りて予れの尻を化して輪と為し、神(しん)を以て馬と為さば、予れは因りてこれに乗らん。豈(あ)に更(さら)に駕(が)せんや。且(か)つ夫れ得る者は時なり、失う者は順なり。時に安んじて順に処(お)れば、哀楽も入(い)ること能(あた)わず、此れ古(いにし)えの謂わゆる県解(けんかい)なり。而も自ら解くこと能わざる者は、物これを結ぶあればなり。且つ夫れ物の天に勝たざるや久し。吾れ又た何ぞ悪(にく)まんと。
(現代語訳)子祀(しし)と子輿(しよ)と子犁(しり)と子来(しらい)とが、四人でいっしょに語りあった。『無を頭とし、生を背(せなか)とし、死を尻とすることのできる者が、、だれかいるだろうか。死と生と。存と亡とが一体であることをわきまえた者が、だれかいるだろうか。われわれはそういう者と友だちになりたい』。四人はこういうと、顔を見あわせてにっこり笑い、心からうちとけて、そのまま互いに友だちとなった。〔その後〕、突然、子輿が病気になった。子祀が見舞いに訪ねていくと、子輿はこういった、『偉大だね、あの造物者(ぞうぶつしゃ)は。わしの体をこんな曲がりくねったものにしようとしているのだ』。背中はひどい背むしでもりあがり、内臓は頭の上にきて頣(あご)は臍(へそ)のあたりにかくれ、両肩は頭のてっぺんよりも高く、頭髪のもとどりは天をさしている。体内の陰陽の気が乱れているのだが、その心は平静で格別の事もない。よろめきながら井戸の〔そばに行くと〕、水に姿をうつして、『ああ、あの造物者はまたわしの体をこんな曲がりくねったものにしようとしているのだ』といった子祀はいう、『君はそれがいやかね』。『いや、わしがどうしていやがろう。〔造化のはたらきが〕だんだん進んでわしの左の臂(かいな)を鶏に変えるというなら、ついでにわしはその鶏が時を告げるのを聞こうと思う。だんだん進んでわしの右の臂(かいな)をはじき弓に変えるというなら、ついでにわしは射(い)落した鳥の焼き肉をほしいと思う。だんだん進んでわしの尻(しり)を車の輪に変え、わしの心を馬にするというなら、ついでにわしはそれに乗るだろう。別の馬車を用意しなくてすむよ。それに、いったいこの世に生を受けたのは生まれるべき時にめぐりあっただけのことだし、生を失って死んでゆくのも死すべき道理に従うまでのことだ。めぐりあわせた時のままに身をまかせて、自然の道理に従っていくということなら、〔生死のために感情を動かすこともなく〕、喜びや悲しみの感情が入りこむ余地はない。こういう境地が、むかしの人のいう県解(けんかい)ーーーすなわち束縛からの解放ということだ。しかもなお自分で解放することができない〔で生死のためにくよくよする〕というのは、外界の事物がその心の中で固まっているからだ。それに、そもそも外界の事物が自然の道理に勝てないのは、むかしからのことだ。わしは〔ただ自然の道理に従うばかり〕、またどうしてこの病をいやがったりしようか』」(「荘子(第一冊)・内篇・大宗師篇・第六・五・P.194~197」岩波文庫 一九七一年)
こうある。「わしの左の臂(かいな)を鶏に変えるというなら、ついでにわしはその鶏が時を告げるのを聞こうと思う」。荘子が考える意味での「縣解(けんかい)」=「束縛からの解放」である。
さらにヘーゲルはいう。
「理性的なものは現実的であり、そして現実的なものは理性的である」(ヘーゲル「法の哲学・上・序言・P.34」岩波文庫 二〇二一年)
ここでヘーゲルのいう「現実的」という言葉の意味について、それが「反省〔反照〕」を含む点について補足しておこう。
「現実性とは、本質と現存在との統一、あるいは内的なものと外的なものとの統一が、直接的な統一となったものである。現実的なものの発現は、現実そのものである。したがって現実的なものは、発現のうちにあっても、依然として本質的なものであるのみならず、直接的な外的現存在のうちにあるかぎりにおいてのみ本質的なものである。ーーー<補遺>人々は、普通、よく考えもしないで、現実と思想(正確に言えば、理念)とを対立させており、かくしてわれわれは人々がよく次のように言うのを聞く。すなわち、或る思想が正しく真理であることに異論はないが、しかしそうしたものは現実のうちには存在しない、あるいは、現実のうちにそれを実現することはできない、と。しかしこういう言い方をする人は、それによって、かれらが思想の本性をも現実の本性をも正しく把握していないことを証明しているのである。このような言い方においては、思想は主観的表象、計画、意図などと同じ意味に理解され、現実は外的な、感覚的な現存在と同じ意味に理解されている。カテゴリーおよびその表示を人々がそうまで厳密に考えていない日常生活においては、そうしたことも許されるであろう。例えば、或る税制計画(日常的には、このようなものもイデーとよばれている)が、それ自身としては全くすぐれていて目的にかなっているが、いわゆる現実のうちには見出されず、また与えられた諸事情のもとでは実行できないというようなことも、もちろんおこりうるであろう。しかし抽象的な悟性が理念と現実という二つの規定をとらえて、その区別を動かすことのできない対立にまで高め、われわれはこの世界においては理念を頭から作り出さねばならないなどと言う場合には、われわれはこのような考え方を学問および健全な理性の名において決定的にしりぞけなければならない。なぜなら、一方において、理念はけっしてわれわれの頭脳のうちにのみあるものでもなく、またわれわれが勝手に実現したり、しなかったりできるような無力なものでもなく、絶対的に活動的なものであり、現実的なものであるからであり、他方、現実は、無思想な、あるいは、思惟をきらい、思惟の点では全く駄目になった実際家たちが考えるほど、悪くもなければ不合理でもないからである」(ヘーゲル「小論理学・下・第二部・本質論・一四二・P.81~83」岩波文庫)
そうであれば二十一世紀においてふたたび始めることが可能でありなおかつ実際に始めなければならない<近代>という事態が迫っているのでは、と思うのである。
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