或る日の夕暮れ、清作は畑で「稗(ひえ)の根もとにせっせと土をかけて」いた。太陽が山裾(やますそ)に落ちた頃で周囲の野原は奇妙な淋しさをたたえてしんとしている。とはいえ清作には常から見慣れた光景に過ぎない。この作品の不意打ちは夕暮れから月が上るまでの<あいだ>で発生する。清作がいる畑の向うの柏の林から「調子はずれの変な声」が聞こえてきた。「鬱金(うこん)しゃっぽのカンカラカンのカアン」。誰もいないはずの森の入口付近からのようだ。驚いた清作は柏林の方角へ走って中の様子を確かめようと近づいた。するとその入口あたりで何ものかに「えり口」をつまみ上げられた。見ると「画(え)かき」が立っている。「画(え)かき」の風貌。
「赤いトルコ帽(ぼう)をかぶり、鼠(ねずみ)いろのへんなだぶだぶの着ものを着て、靴(くつ)をはいた無暗(むやみ)にせいの高い眼(め)のするどい画(え)かき」(宮沢賢治「かしわばやしの夜」『注文の多い料理店・P.95』新潮文庫 一九九〇年)
たいそう軽蔑した口振りで清作のことをまるで「鼠のようだ」とからかう。何か言い返してやろうと清作は「赤いしゃっぽのカンカラカンのカアン」と怒鳴った。それが画かきの感受性をかすめた。先に画かきが発したフレーズの頭は「鬱金(うこん)しゃっぽ」。その花について夕暮れ間際の鮮やかな黄金色とのアナロジー(類比)から「鬱金(うこん)」と呼ばれてきたインド原産植物。根茎を細かな粉末状にしたスパイスの一つで英語表記の“turmeric”(ターメリック)が有名。カレーなどを調理する時の食材や染料に使われる。だがしかしアルコール摂取前後の「元気が出る」<ドリンク剤>というキャッチ・コピーは極めて疑わしい。
人間の肝臓はまず先にアルコール代謝を優先する作業に追われる。それだけで肝臓にはかなりの負担がかかってくる。その後さらに、例えば「二日酔い」時に鬱金を摂取した場合、続けざまにまったく別のスパイスの代謝作業に入るため、逆に疲労を溜め込んでしまい内臓疾患を亢進させていくケースが多い。日本だけでなく諸外国の肝臓学会も鬱金の薬用使用には否定的であり、ましてや「二日酔い」に効果的とする宣伝は根拠不十分としている。それでも「元気が出る」かのように「感じる」理由は、それまでゆっくり休めていた肝臓が再び急激かつ活発な代謝活動を始めるがゆえに「そう感じる」ということから来る錯覚に等しい。また「元気が出る」<ドリンク剤>の元気の主成分はカフェインの効果だけでなく、商品ラベルに表記義務のない少量のアルコールからもたらされる。ますます内臓はキャパシティを越える代謝活動へ叩き込まれる。しかし少量のアルコールとカフェインとの相乗効果で一瞬「元気が出る」かのように感じて自分で自分自身の心身の破壊へ猛然と突き進む人々は後を絶たない。またそれがわかってはいても、そうでもしないことにはこなしていけない膨大な仕事量を一人で抱え込んでいることが悪循環を発生させる条件の一つに数え上げられている。さらに肝臓学会の報告としては掲載されていても、医学界全体では内科に圧倒的権力が集中しているため、内臓を壊した患者が増えれば増えるほど金になるという事情がある。並行して「元気の出る」<ドリンク剤>の製造・販売元は世界的大企業が多く「たかが肝臓学会」というふうに侮られているのが現状。世界的に知れ渡っている巨大な製造・販売元にさからうと陰に陽にどんな圧力がかかるかわかったものではないからである。そしてこれ以上はもう死を待つばかりという地点まで内蔵を壊してしまった患者は、すでに仕事を失っているケースが多く、事後的かつ最終的にアルコール専門医療へ回されてくるといった経過をたどる。長い時間をかけて念入りに壊れてしまっていることや、その時点ではもう家族・友人・居場所などほとんど何もかも失っているため、せっかく治療・退院するに至ってもたちまち死んでしまった患者はこれまで無数にいるし実際見てきただけでなくもはや見慣れてしまった。
ところで。「しゃっぽ」はフランス語の“chapeau”で帽子のこと。画かきは柏林を一緒に歩かないかと誘う。そして挨拶する。だが画かきのいう挨拶は、例えばこんな挨拶。
「『いいか、いや今晩は。野はらには小さく切った影法師(かげぼうし)がばら播(ま)きですね、と。ぼくのあいさつはこうだ。わかるかい。こんどは君だよ』」(宮沢賢治「かしわばやしの夜」『注文の多い料理店・P.96』新潮文庫 一九九〇年)
いきなり応答を迫られた清作。とっさにこう答える。
「『えっ、今晩は。よいお晩でございます。えっ。お空はこれから銀のきな粉でまぶされます』」(宮沢賢治「かしわばやしの夜」『注文の多い料理店・P.97』新潮文庫 一九九〇年)
作者=賢治流の「詩」が突然出てくる。もっとも作中では、夕方で腹がぺこぺこだった清作の眼に「雲が団子のように見え」たに過ぎないのだが、賢治はそのような仕方で登場人物=清作に詩作手法の一つを演じさせてみせる。森の奥へ進もう。「柏の木の大王」がいた。柏の木大王は清作を見ていう。「前科者じゃぞ。前科九十八犯(くじゅうはっぱん)じゃぞ」。すぐさま清作は反論する。この種のやりとりは計三回出てくる。
(1)「『なにを。証拠はちゃんとあるじゃ。また帳面にも載(の)っとるじゃ。貴(き)さまの悪い斧(おの)のあとのついた九十八の足さきがいまでもこの林の中にちゃんと残っているじゃ』。『あっはっは。おかしなはなしだ。九十八の足さきというのは、九十八の切株(きりかぶ)だろう。それがどうしたというんだ。おれはちゃんと、山主の藤助(とうすけ)に酒を二升(しょう)買ってあるんだ』。『そんならおれにはなぜ酒を買わんか』。『買ういわれがない』。『いや、ある、沢山(たくさん)ある。買え』。『買ういわれがない』」(宮沢賢治「かしわばやしの夜」『注文の多い料理店・P.99~100』新潮文庫 一九九〇年)
(2)「『さあ来い。へたな方の一等から九等までは、あしたおれがスポンと切って、こわいとこへ連れてってやるぞ』。すると柏の木大王が怒りました。『何を云うか。無礼者』。『何が無礼だ。もう九本(くほん)切るだけは、とうに山主の藤助(とうすけ)に酒を買ってあるんだ』。『そんならおれにはなぜ買わんか』。『買ういわれがない』。『いやある、沢山ある』。『ない』」(宮沢賢治「かしわばやしの夜」『注文の多い料理店・P.101~102』新潮文庫 一九九〇年)
(3)「『なんだ、この歌にせものだぞ。さっきひとのうたったのまねしたんだぞ』。『だまれ、無礼もの、その方などの口を出すところでない』柏の木大王がぶりぶりしてどなりました。『なんだと、にせものだからにせものと云ったんだ。生意気いうと、あした斧(おの)をもってきて、片っぱしから伐(き)ってしまうぞ』。『なにを、こしゃくな。その方などの分際でない』。『ばかを云え、おれはあした、山主の藤助(とうすけ)にちゃんと二升酒を買ってくるんだ』。『そんならなぜおれには買わんか』。『買ういわれがない』。『買え』。『いわれがない』」(宮沢賢治「かしわばやしの夜」『注文の多い料理店・P.107~108』新潮文庫 一九九〇年)
いずれも林や森の生態系に関わるというより第一に「土地=不動産取引」、第二に長引く戦後不況と物価高騰とが招いた「密造酒製造売買」に関わる。清作は食っていくためにそうするほかない。ところが清作を許すと森林はどんどんダメージを受ける一方だ。柏の木大王は大きく出て清作を追い込もうとする。けれども柏の木大王のさらに上に、ただひたすら自然生態系のために、自然生態系の一部として、贈り与えるばかりの存在もある。陽が落ちた後、それは「月」とその光だ。
「見ると東のとっぷりとした青い山脈の上に、大きなやさしい桃(もも)いろの月がのぼったのでした。お月さまのちかくはうすい緑いろになって、柏(かしわ)の若い木はみな、まるで飛びあがるように両手をそっちへ出して叫びました、『おつきさん、おつきさん、おっつきさん、ついお見外(みそ)れして すみません あんまりおなりが ちがうので ついお見外れして すみません』」(宮沢賢治「かしわばやしの夜」『注文の多い料理店・P.100』新潮文庫 一九九〇年)
清作と柏の木たちとの間で起きた論争を鎮めようと画かきは「歌合戦」を提案する。画かきは鉛筆を取り出し削る。その時に靴(くつ)を脱ぎ靴の中に削り後を落した。見ていた柏の木たちは画かきの気配りに感動を覚える。だが画かきの事情はそうではないらしい。賢治はこう書く。
「『いや、客人、ありがとう。林をきたなくせまいとの、そのおこころざしはじつに辱(かたじ)けないない』。ところが画かきは平気で『いいえ、あとでこのけずり屑(くず)で酢(す)をつくりますからな』と返事したものですからさすがの大王も、すこし工合(ぐあい)が悪そうに横を向き、柏の木もみな興をさまし、月のあかりもなんだか白っぽくなりました」(宮沢賢治「かしわばやしの夜」『注文の多い料理店・P.104』新潮文庫 一九九〇年)
この箇所で「けずり屑(くず)で酢(す)をつくります」とある。けれども前後の文脈と当時の世相から推して、おそらく「酢」ではなく「酒」が正しいと思われる。戦後恐慌は欧米だけでなく日本でも当り前のように密造酒造成網を張り巡らせていたからである。さて歌合戦だが「清作のうた」を歌いたいと若い柏の木が出てきた。そして一節歌ってみるとこれが大受けした。第一から第三までつづいた。
(1)「『清作は、一等卒の服を着て 野原に行って、ぶどうをたくさんとってきた』」(宮沢賢治「かしわばやしの夜」『注文の多い料理店・P.109』新潮文庫 一九九〇年)
(2)「『清作は、葡萄(ぶどう)をみんなしぼりあげ 砂糖を入れて 瓶(びん)にたくさんつめこんだ』」(宮沢賢治「かしわばやしの夜」『注文の多い料理店・P.109』新潮文庫 一九九〇年)
(3)「『清作が、納屋(なや)にしまった葡萄酒は 順序ただしく みんなはじけてなくなった』」(宮沢賢治「かしわばやしの夜」『注文の多い料理店・P.110』新潮文庫 一九九〇年)
ひとしきり笑いが起こった。けれどもすぐにまた「しいん」としてしまう。この「しいん」だがこれまで見てきたように賢治作品では珍しくない。そして賢治はこの種の「むなしさ」を可視化させるのが実にうまい。詩や童話・童謡に実際の文字で「しいん」と書き込んで成功に導くのはそれこそ至難の技に属する。二箇所ばかり上げてみよう。(1)「ツェねずみ」の場合。(2)「カイロ団長」の場合。
(1)「『あああ、毎日ここまでやって来るのも、並(なみ)大抵のこっちゃない。それにごちそうといったら、せいぜい魚の頭だ。いやになっちまう。しかしまあ、折角来たんだから仕方ない、食ってやるとしようか。ねずみとりさん。今晩は』。ねずみとりははりがねをぷりぷりさせて怒っていましたので、ただ一こと、『おたべ』と云いました。ツェねずみはすぐプイッと飛びこみましたが、半ぺんのくさっているのを見て、怒って叫びました。『ねずみとりさん。あんまりひどいや。この半ぺんはくさっています。僕のような弱いものをだますなんて、あんまりだ。まどって下さい。まどって下さい』。ねずみとりは、思わず、はり金をりうりうと鳴らす位、怒ってしまいました。そのりうりうが悪かったのです。『ピシャッ。シインン』。餌についていた鍵(かぎ)がはずれて鼠とりの入口が閉じてしまいました」(宮沢賢治「ツェねずみ」『風の又三郎・P.78』新潮文庫 一九八九年)
(2)「カイロ団長は、はやしにつりこまれて、五へんばかり足をテクテクふんばってつなを引っ張りましたが、石はびくとも動きません。とのさまがえるはチクチク汗を流して、口をあらんかぎりあけて、フウフウといきをしました。全くあたりがみんなくらくらして、茶色に見えてしまったのです。『ヨウイト、ヨウイト、ヨウイト、ヨウイトショ』。とのさまがえるは又四へんばかり足をふんばりましたが、おしまいの時は足がキクッと鳴ってくにゃりと曲がってしまいました。あまがえるは思わずどっと笑い出しました。がどう云うわけかそれから急にしいんとなってしまいました。それはそれはしいんとしてしまいました。みなさん、この時のさびしいことと云ったら私はとても口で云えません。みなさんはおわかりですか。ドッと一緒(いっしょ)に人をあざけり笑ってそれから俄(にわ)かにしいんとなった時のこのさびしいことです」(宮沢賢治「カイロ団長」『銀河鉄道の夜・P.56』新潮文庫 一九八九年)
そこへ今度は「ふくろうの大将」が大勢のふくろうを連れて出てきた。歌合戦に加わって「大乱舞会(だいらんぶかい)」を始めようではないかと申し出る。柏の木大王とふくろうの大将とも同意のもとに歌が再開される。ふくろうの大将はこう歌った。
「『からすかんざえもんは くろいあたまをくうらりくらり、とんびとうざえもんは あぶら一升(しょう)でとうろりとろり、そのくらやみはふくろうの いさみにいさむもののふが みみずをつかむときなるぞ ねとりを襲(おそ)うときなるぞ』」(宮沢賢治「かしわばやしの夜」『注文の多い料理店・P.112~113』新潮文庫 一九九〇年)
肉食動物の勇ましさを讃える歌詞である。それを植物の立場から聴いた柏の木大王はいう。「どうもきみの歌は下等じゃ」。あわてて「ふくろうの副官」が笑みを浮かべつつ両者の<あいだ>に入って歌う。
「『おつきさんおつきさん まんまるまるるるん おほしさんおほしさん ぴかりぴりるるん かしわはかんかの かんからからららん ふくろはのろづき おっほほほほほほん』」(宮沢賢治「かしわばやしの夜」『注文の多い料理店・P.114』新潮文庫 一九九〇年)
この箇所では「月・星・柏の木・梟」のいずれも、それぞれの違いを際立たせる形で各々特徴が取り出され、さらに存在価値へと置き換えられている。それぞれの違いを際立たせる形で各々特徴が取り出され、さらに存在価値へと置き換えるという手法は、次のように(1)作品「気のいい火山弾」の中で岩手山麓から東京帝大へ去っていく「ベゴ石」が歌った歌詞の価値、(2)作品「ひのきとひなげし」で「ひなげし」たちに向かって「ひのき」が投げかけた言葉の価値など、との比較において共通の等価性が与えられている。
(1)「『お空。お空。お空のちちは、つめたい雨の ザァザザザ、かしわのしずくのトンテントン、まっしろきりのポッシャントン。お空。お空。お空のひかり、おてんとさまは、カンカンカン、月のあかりは、ツンツンツン、ほしのひかりの、ピッカリコ』」(宮沢賢治「気のいい火山弾」『注文の多い料理店・P.186』新潮文庫 一九九〇年)
(2)「『そうじゃないて。おまえたちが青いけし坊主(ぼうず)のまんまでがりがり食われてしまったらもう来年はここへは草が生えるだけ、それに第一スターになりたいなんておまえたち、スターて何だか知りもしない癖に(くせ)に。スターというのはな、本当は天井(てんじょう)のお星さまのことなんだ。そらあすこへもうお出になっている。もすこしたてばそらいちめんにおでましだ。そうそうオールスターキャストというのがつまりそれだ。つまり双子(ふたご)星座様は双子星座様のところにレオーノ様はレオーノ様のところに、ちゃんと定(さ)まった場所でめいめいのきまった光りようをなさるのがオールスターキャスト、な、ところがありがたいもんでスターになりたいなりたいと云っているおまえたちがそのままそっくりスターでな、おまけにオールスターキャストだということになってある。それはこうだ、聴けよ。<あめなる花をほしと云い この世の星を花という>』」(宮沢賢治「ひのきとひなげし」『銀河鉄道の夜・P.81~82』新潮文庫 一九八九年)
そんなとき、柏林を照らしていた月に雲がかかり冷えた霧が降りて来た。祭りは一度に急停止するほかない。
「柏の木はみんな度をうしなって、片脚(かたあし)をあげたり両手をそっちへのばしたり、眼をつりあげたりしたまま化石したようにつっ立ってしまいました。冷たい霧がさっと清作の顔にかかりました。画(え)かきはもうどこへ行ったか赤いしゃっぽだけがほうり出してあって、自分はかげもかたちもありませんでした」(宮沢賢治「かしわばやしの夜」『注文の多い料理店・P.115』新潮文庫 一九九〇年)
では一体「画(え)かき」(あるいは<詩人>)とは何か。何だったのか。「芸術家」と言い換えてもいい。村人とその周囲を取り巻く大いなる自然との<あいだ>を取り結ぶ<媒介項>として出現してくる。それは作者自身が目指した理想でもあった。<媒介するもの>としての「反省〔反照〕」について。ヘーゲルから五箇所。
(1)「《本質》は《媒介的に定立された》概念としての概念である。その諸規定は本質においては《相関的》であるにすぎず、まだ端的に自己のうちへ《反省》したものとして存在していない。したがって概念はまだ《向自》として存在していない。本質は、自分自身の否定性を通じて自己を自己へ媒介する有であるから、他のものへ関係することによってのみ、自分自身へ関係するものである。もっとも、この他者そのものが有的なものとしてではなく、《定立され媒介されたもの》として存在している。ーーー有は消失していない。本質はまず、単純な自己関係として有である。しかし他方では、有は、《直接的なもの》であるという一面的な規定からすれば、単に否定的なもの、すなわち、仮象へ《ひきさげられている》。ーーーしたがって本質は、自分自身のうちでの《反照》としての有である。
<訳者注>。Reflexion、reflektierenという言葉は、ヘーゲルでは独自な意味に使われている。もともと、ラテン語のReflexioは、まがりもどることを意味する。ここから、光は、反射の意味となる。自己をかえりみるという場合の反省も、原意と無関係ではない。しかし、ヘーゲルは相関関係のうちにある二つのものを、その一方から出発して考察するとき、Reflexionという言葉を使う。例えば、支配者というものは、支配される者なしには存在せず、考えられず、自分自身のみからは理解できないものである。このような相関は、そこに存在しているのであるが、われわれが今支配者というものを理解しようとすれば、支配されるものへいき、そして再び支配者へ帰ってこなければならない。相関においては、かくして相関する互の側から、このようなReflexionが行われるわけである。これがReflexionの全体的な意味である。しかし、他者へのReflexionというように、この言葉が使われるとき、それは、とりあえず関係という意味しか表面に持っていない。ヘーゲルにおいては、概念が自覚する形をも持つから、反省と訳すが、十分ではない。エンチクロペディーの初版では、ヘーゲルは、『本質の領域では、相関性が支配的な規定をなしている』と言っている。マルクスは、資本論で、相対的価値形態を述べたところの、註のうちでReflexionsbestimmungに言及し、次のように言っている。『Reflexionsbestimmungenというものは、一般に、独特なものである。例えば、特定の人間が王であるのは、ただ他の人々が臣下としてかれにたいするからである。ところが、この人々は、かれが王であるからこそ、自分たちは臣下なのだと思っている』。なお、主観的思惟にReflexionという言葉をヘーゲルが使うとき、それは、すでにこれまでの訳者註に述べたように、関係的、相関的思惟である」(ヘーゲル「小論理学・下・第二部・本質論・一一二・P.15~16」岩波文庫 一九五二年)
(2)「《自己に即した》区別は《本質的な》区別、《肯定的なもの》と《否定的なもの》である。肯定的なものは、否定的なもので《ない》という仕方で自己との同一関係であり、否定的なものは、肯定的なもので《ない》という仕方でそれ自身区別されたものである。両者の各々は、それが《他者でない》程度に応じて独立的なものであるから、各々は他者のうちに反照し、他者があるかぎりにおいてのみ存在する。したがって本質の区別は《対立》であり、区別されたものは自己にたいして《他者一般》をではなく、《自己に固有の》他者を持っている。言いかえれば、一方は他方との関係のうちにのみ自己の規定を持ち、他方へ反省しているかぎりにおいてのみ自己へ反省しているのであって、他方もまたそうである。つまり、各々は他者に《固有》の他者である」(ヘーゲル「小論理学・下・第二部・本質論・一一九・P.28」岩波文庫 一九五二年)
(3)「本質はまず《自己のうち》で反照し媒介されているものである。しかし媒介が完成されたからには、本質の自己統一は今や区別の揚棄、したがって媒介の揚棄として《定立》されている。したがってこれは《直接態》あるいは《有》の復活である。が、この有は《媒介の揚棄によって媒介されている有》、すなわち《現存在》である」(ヘーゲル「小論理学・下・第二部・本質論・一二二・P.42」岩波文庫 一九五二年)
(4)「生きた実体は、実際には《主観》〔体〕であるような存在である。同じことになるが、実体は、自己自身を措定する運動、自己が他者となることを自己自身と媒介するはたらきである限りでのみ、実際に現実的であるような存在である。実体は主観〔体〕としては純粋で《単一な否定性》である。であるからこそ、単一なものを二つに引きはなす、つまり対立させて二重なものとする。この二重作用が二つのものの無関心なちがいと対立をさらに否定する。真理とは、このように自己を《回復する》相等性もしくは他在において自己自身へと復帰〔反照〕することにほかならない」(ヘーゲル「精神現象学・上・序論・P.33」平凡社ライブラリー 一九九七年)
(5)「なぜなら、媒介とは自ら動いて自己自身と等しくなることにほかならないからである、言いかえれば、媒介とは自己自身に帰〔反照す〕ること、自己自身に対している自我の契機、純粋否定性であるからである。あるいは〔全くの抽象のレベルまでおとしてしまえば〕、《単一な生成》である。自我もしくは生成一般というこのような媒介のはたらきは、単一なものであるから、生成しつつある直接態であり、無媒介なものそれ自身にほかならない。それゆえ、反照するはたらきを真理から除外してしまい、それを絶対者の肯定的な契機と考えないならば、理性を見あやまることになる。反照は真理を結果とするが、また真理の生成に対するこの結果という対立を、止揚するようなものでもある」(ヘーゲル「精神現象学・上・序論・P.35~36」平凡社ライブラリー 一九九七年)
宮沢賢治はまた歴然たる教育者・学者(農学・鉱物学・化学)でもあった。関東大震災発生の一九二三年(大正十二年)と翌一九二四年(大正十三年)の二度に渡り北海道を訪れている。一度目は生徒たちの就職以来のため樺太(からふと=サハリン)への往復途中、二度目は修学旅行のため。札幌市経由。その時の詩が残っている。
「遠くなだれる灰光と 貨物列車のふるひのなかで わたくしは湧(わ)きあがるかなしさを きれぎれ青い神話に変へて 開拓(かいたく)記念の楡(にれ)の広場に 力いっぱい撒(ま)いたけれども 小鳥はそれを啄(ついば)まなかった」(宮沢賢治「春と修羅・第三集・一〇一九・札幌市」『宮沢賢治詩集・P.234~235』新潮文庫 一九九〇年)
なるほど北海道開拓事業は国家的大事業として果たされはした。多くの学者たちが夢と野望とを込めて深く関わった。しかし北海道を切り開いた人々の活動のすべてがすべて、おそろしく古くから現地で自然生態系を営んできたたった一羽の小鳥にさえ受け入れられたと言えるだろうか。法華経は宇宙的融合を説く。だがそれは<ほんとうの意味で>実現したと言えるだろうか。賢治はそんな苦く辛い逆説に満ちた思いを書き留るほか残された時間は加速的に削り取られていく。
BGM1
BGM2
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「赤いトルコ帽(ぼう)をかぶり、鼠(ねずみ)いろのへんなだぶだぶの着ものを着て、靴(くつ)をはいた無暗(むやみ)にせいの高い眼(め)のするどい画(え)かき」(宮沢賢治「かしわばやしの夜」『注文の多い料理店・P.95』新潮文庫 一九九〇年)
たいそう軽蔑した口振りで清作のことをまるで「鼠のようだ」とからかう。何か言い返してやろうと清作は「赤いしゃっぽのカンカラカンのカアン」と怒鳴った。それが画かきの感受性をかすめた。先に画かきが発したフレーズの頭は「鬱金(うこん)しゃっぽ」。その花について夕暮れ間際の鮮やかな黄金色とのアナロジー(類比)から「鬱金(うこん)」と呼ばれてきたインド原産植物。根茎を細かな粉末状にしたスパイスの一つで英語表記の“turmeric”(ターメリック)が有名。カレーなどを調理する時の食材や染料に使われる。だがしかしアルコール摂取前後の「元気が出る」<ドリンク剤>というキャッチ・コピーは極めて疑わしい。
人間の肝臓はまず先にアルコール代謝を優先する作業に追われる。それだけで肝臓にはかなりの負担がかかってくる。その後さらに、例えば「二日酔い」時に鬱金を摂取した場合、続けざまにまったく別のスパイスの代謝作業に入るため、逆に疲労を溜め込んでしまい内臓疾患を亢進させていくケースが多い。日本だけでなく諸外国の肝臓学会も鬱金の薬用使用には否定的であり、ましてや「二日酔い」に効果的とする宣伝は根拠不十分としている。それでも「元気が出る」かのように「感じる」理由は、それまでゆっくり休めていた肝臓が再び急激かつ活発な代謝活動を始めるがゆえに「そう感じる」ということから来る錯覚に等しい。また「元気が出る」<ドリンク剤>の元気の主成分はカフェインの効果だけでなく、商品ラベルに表記義務のない少量のアルコールからもたらされる。ますます内臓はキャパシティを越える代謝活動へ叩き込まれる。しかし少量のアルコールとカフェインとの相乗効果で一瞬「元気が出る」かのように感じて自分で自分自身の心身の破壊へ猛然と突き進む人々は後を絶たない。またそれがわかってはいても、そうでもしないことにはこなしていけない膨大な仕事量を一人で抱え込んでいることが悪循環を発生させる条件の一つに数え上げられている。さらに肝臓学会の報告としては掲載されていても、医学界全体では内科に圧倒的権力が集中しているため、内臓を壊した患者が増えれば増えるほど金になるという事情がある。並行して「元気の出る」<ドリンク剤>の製造・販売元は世界的大企業が多く「たかが肝臓学会」というふうに侮られているのが現状。世界的に知れ渡っている巨大な製造・販売元にさからうと陰に陽にどんな圧力がかかるかわかったものではないからである。そしてこれ以上はもう死を待つばかりという地点まで内蔵を壊してしまった患者は、すでに仕事を失っているケースが多く、事後的かつ最終的にアルコール専門医療へ回されてくるといった経過をたどる。長い時間をかけて念入りに壊れてしまっていることや、その時点ではもう家族・友人・居場所などほとんど何もかも失っているため、せっかく治療・退院するに至ってもたちまち死んでしまった患者はこれまで無数にいるし実際見てきただけでなくもはや見慣れてしまった。
ところで。「しゃっぽ」はフランス語の“chapeau”で帽子のこと。画かきは柏林を一緒に歩かないかと誘う。そして挨拶する。だが画かきのいう挨拶は、例えばこんな挨拶。
「『いいか、いや今晩は。野はらには小さく切った影法師(かげぼうし)がばら播(ま)きですね、と。ぼくのあいさつはこうだ。わかるかい。こんどは君だよ』」(宮沢賢治「かしわばやしの夜」『注文の多い料理店・P.96』新潮文庫 一九九〇年)
いきなり応答を迫られた清作。とっさにこう答える。
「『えっ、今晩は。よいお晩でございます。えっ。お空はこれから銀のきな粉でまぶされます』」(宮沢賢治「かしわばやしの夜」『注文の多い料理店・P.97』新潮文庫 一九九〇年)
作者=賢治流の「詩」が突然出てくる。もっとも作中では、夕方で腹がぺこぺこだった清作の眼に「雲が団子のように見え」たに過ぎないのだが、賢治はそのような仕方で登場人物=清作に詩作手法の一つを演じさせてみせる。森の奥へ進もう。「柏の木の大王」がいた。柏の木大王は清作を見ていう。「前科者じゃぞ。前科九十八犯(くじゅうはっぱん)じゃぞ」。すぐさま清作は反論する。この種のやりとりは計三回出てくる。
(1)「『なにを。証拠はちゃんとあるじゃ。また帳面にも載(の)っとるじゃ。貴(き)さまの悪い斧(おの)のあとのついた九十八の足さきがいまでもこの林の中にちゃんと残っているじゃ』。『あっはっは。おかしなはなしだ。九十八の足さきというのは、九十八の切株(きりかぶ)だろう。それがどうしたというんだ。おれはちゃんと、山主の藤助(とうすけ)に酒を二升(しょう)買ってあるんだ』。『そんならおれにはなぜ酒を買わんか』。『買ういわれがない』。『いや、ある、沢山(たくさん)ある。買え』。『買ういわれがない』」(宮沢賢治「かしわばやしの夜」『注文の多い料理店・P.99~100』新潮文庫 一九九〇年)
(2)「『さあ来い。へたな方の一等から九等までは、あしたおれがスポンと切って、こわいとこへ連れてってやるぞ』。すると柏の木大王が怒りました。『何を云うか。無礼者』。『何が無礼だ。もう九本(くほん)切るだけは、とうに山主の藤助(とうすけ)に酒を買ってあるんだ』。『そんならおれにはなぜ買わんか』。『買ういわれがない』。『いやある、沢山ある』。『ない』」(宮沢賢治「かしわばやしの夜」『注文の多い料理店・P.101~102』新潮文庫 一九九〇年)
(3)「『なんだ、この歌にせものだぞ。さっきひとのうたったのまねしたんだぞ』。『だまれ、無礼もの、その方などの口を出すところでない』柏の木大王がぶりぶりしてどなりました。『なんだと、にせものだからにせものと云ったんだ。生意気いうと、あした斧(おの)をもってきて、片っぱしから伐(き)ってしまうぞ』。『なにを、こしゃくな。その方などの分際でない』。『ばかを云え、おれはあした、山主の藤助(とうすけ)にちゃんと二升酒を買ってくるんだ』。『そんならなぜおれには買わんか』。『買ういわれがない』。『買え』。『いわれがない』」(宮沢賢治「かしわばやしの夜」『注文の多い料理店・P.107~108』新潮文庫 一九九〇年)
いずれも林や森の生態系に関わるというより第一に「土地=不動産取引」、第二に長引く戦後不況と物価高騰とが招いた「密造酒製造売買」に関わる。清作は食っていくためにそうするほかない。ところが清作を許すと森林はどんどんダメージを受ける一方だ。柏の木大王は大きく出て清作を追い込もうとする。けれども柏の木大王のさらに上に、ただひたすら自然生態系のために、自然生態系の一部として、贈り与えるばかりの存在もある。陽が落ちた後、それは「月」とその光だ。
「見ると東のとっぷりとした青い山脈の上に、大きなやさしい桃(もも)いろの月がのぼったのでした。お月さまのちかくはうすい緑いろになって、柏(かしわ)の若い木はみな、まるで飛びあがるように両手をそっちへ出して叫びました、『おつきさん、おつきさん、おっつきさん、ついお見外(みそ)れして すみません あんまりおなりが ちがうので ついお見外れして すみません』」(宮沢賢治「かしわばやしの夜」『注文の多い料理店・P.100』新潮文庫 一九九〇年)
清作と柏の木たちとの間で起きた論争を鎮めようと画かきは「歌合戦」を提案する。画かきは鉛筆を取り出し削る。その時に靴(くつ)を脱ぎ靴の中に削り後を落した。見ていた柏の木たちは画かきの気配りに感動を覚える。だが画かきの事情はそうではないらしい。賢治はこう書く。
「『いや、客人、ありがとう。林をきたなくせまいとの、そのおこころざしはじつに辱(かたじ)けないない』。ところが画かきは平気で『いいえ、あとでこのけずり屑(くず)で酢(す)をつくりますからな』と返事したものですからさすがの大王も、すこし工合(ぐあい)が悪そうに横を向き、柏の木もみな興をさまし、月のあかりもなんだか白っぽくなりました」(宮沢賢治「かしわばやしの夜」『注文の多い料理店・P.104』新潮文庫 一九九〇年)
この箇所で「けずり屑(くず)で酢(す)をつくります」とある。けれども前後の文脈と当時の世相から推して、おそらく「酢」ではなく「酒」が正しいと思われる。戦後恐慌は欧米だけでなく日本でも当り前のように密造酒造成網を張り巡らせていたからである。さて歌合戦だが「清作のうた」を歌いたいと若い柏の木が出てきた。そして一節歌ってみるとこれが大受けした。第一から第三までつづいた。
(1)「『清作は、一等卒の服を着て 野原に行って、ぶどうをたくさんとってきた』」(宮沢賢治「かしわばやしの夜」『注文の多い料理店・P.109』新潮文庫 一九九〇年)
(2)「『清作は、葡萄(ぶどう)をみんなしぼりあげ 砂糖を入れて 瓶(びん)にたくさんつめこんだ』」(宮沢賢治「かしわばやしの夜」『注文の多い料理店・P.109』新潮文庫 一九九〇年)
(3)「『清作が、納屋(なや)にしまった葡萄酒は 順序ただしく みんなはじけてなくなった』」(宮沢賢治「かしわばやしの夜」『注文の多い料理店・P.110』新潮文庫 一九九〇年)
ひとしきり笑いが起こった。けれどもすぐにまた「しいん」としてしまう。この「しいん」だがこれまで見てきたように賢治作品では珍しくない。そして賢治はこの種の「むなしさ」を可視化させるのが実にうまい。詩や童話・童謡に実際の文字で「しいん」と書き込んで成功に導くのはそれこそ至難の技に属する。二箇所ばかり上げてみよう。(1)「ツェねずみ」の場合。(2)「カイロ団長」の場合。
(1)「『あああ、毎日ここまでやって来るのも、並(なみ)大抵のこっちゃない。それにごちそうといったら、せいぜい魚の頭だ。いやになっちまう。しかしまあ、折角来たんだから仕方ない、食ってやるとしようか。ねずみとりさん。今晩は』。ねずみとりははりがねをぷりぷりさせて怒っていましたので、ただ一こと、『おたべ』と云いました。ツェねずみはすぐプイッと飛びこみましたが、半ぺんのくさっているのを見て、怒って叫びました。『ねずみとりさん。あんまりひどいや。この半ぺんはくさっています。僕のような弱いものをだますなんて、あんまりだ。まどって下さい。まどって下さい』。ねずみとりは、思わず、はり金をりうりうと鳴らす位、怒ってしまいました。そのりうりうが悪かったのです。『ピシャッ。シインン』。餌についていた鍵(かぎ)がはずれて鼠とりの入口が閉じてしまいました」(宮沢賢治「ツェねずみ」『風の又三郎・P.78』新潮文庫 一九八九年)
(2)「カイロ団長は、はやしにつりこまれて、五へんばかり足をテクテクふんばってつなを引っ張りましたが、石はびくとも動きません。とのさまがえるはチクチク汗を流して、口をあらんかぎりあけて、フウフウといきをしました。全くあたりがみんなくらくらして、茶色に見えてしまったのです。『ヨウイト、ヨウイト、ヨウイト、ヨウイトショ』。とのさまがえるは又四へんばかり足をふんばりましたが、おしまいの時は足がキクッと鳴ってくにゃりと曲がってしまいました。あまがえるは思わずどっと笑い出しました。がどう云うわけかそれから急にしいんとなってしまいました。それはそれはしいんとしてしまいました。みなさん、この時のさびしいことと云ったら私はとても口で云えません。みなさんはおわかりですか。ドッと一緒(いっしょ)に人をあざけり笑ってそれから俄(にわ)かにしいんとなった時のこのさびしいことです」(宮沢賢治「カイロ団長」『銀河鉄道の夜・P.56』新潮文庫 一九八九年)
そこへ今度は「ふくろうの大将」が大勢のふくろうを連れて出てきた。歌合戦に加わって「大乱舞会(だいらんぶかい)」を始めようではないかと申し出る。柏の木大王とふくろうの大将とも同意のもとに歌が再開される。ふくろうの大将はこう歌った。
「『からすかんざえもんは くろいあたまをくうらりくらり、とんびとうざえもんは あぶら一升(しょう)でとうろりとろり、そのくらやみはふくろうの いさみにいさむもののふが みみずをつかむときなるぞ ねとりを襲(おそ)うときなるぞ』」(宮沢賢治「かしわばやしの夜」『注文の多い料理店・P.112~113』新潮文庫 一九九〇年)
肉食動物の勇ましさを讃える歌詞である。それを植物の立場から聴いた柏の木大王はいう。「どうもきみの歌は下等じゃ」。あわてて「ふくろうの副官」が笑みを浮かべつつ両者の<あいだ>に入って歌う。
「『おつきさんおつきさん まんまるまるるるん おほしさんおほしさん ぴかりぴりるるん かしわはかんかの かんからからららん ふくろはのろづき おっほほほほほほん』」(宮沢賢治「かしわばやしの夜」『注文の多い料理店・P.114』新潮文庫 一九九〇年)
この箇所では「月・星・柏の木・梟」のいずれも、それぞれの違いを際立たせる形で各々特徴が取り出され、さらに存在価値へと置き換えられている。それぞれの違いを際立たせる形で各々特徴が取り出され、さらに存在価値へと置き換えるという手法は、次のように(1)作品「気のいい火山弾」の中で岩手山麓から東京帝大へ去っていく「ベゴ石」が歌った歌詞の価値、(2)作品「ひのきとひなげし」で「ひなげし」たちに向かって「ひのき」が投げかけた言葉の価値など、との比較において共通の等価性が与えられている。
(1)「『お空。お空。お空のちちは、つめたい雨の ザァザザザ、かしわのしずくのトンテントン、まっしろきりのポッシャントン。お空。お空。お空のひかり、おてんとさまは、カンカンカン、月のあかりは、ツンツンツン、ほしのひかりの、ピッカリコ』」(宮沢賢治「気のいい火山弾」『注文の多い料理店・P.186』新潮文庫 一九九〇年)
(2)「『そうじゃないて。おまえたちが青いけし坊主(ぼうず)のまんまでがりがり食われてしまったらもう来年はここへは草が生えるだけ、それに第一スターになりたいなんておまえたち、スターて何だか知りもしない癖に(くせ)に。スターというのはな、本当は天井(てんじょう)のお星さまのことなんだ。そらあすこへもうお出になっている。もすこしたてばそらいちめんにおでましだ。そうそうオールスターキャストというのがつまりそれだ。つまり双子(ふたご)星座様は双子星座様のところにレオーノ様はレオーノ様のところに、ちゃんと定(さ)まった場所でめいめいのきまった光りようをなさるのがオールスターキャスト、な、ところがありがたいもんでスターになりたいなりたいと云っているおまえたちがそのままそっくりスターでな、おまけにオールスターキャストだということになってある。それはこうだ、聴けよ。<あめなる花をほしと云い この世の星を花という>』」(宮沢賢治「ひのきとひなげし」『銀河鉄道の夜・P.81~82』新潮文庫 一九八九年)
そんなとき、柏林を照らしていた月に雲がかかり冷えた霧が降りて来た。祭りは一度に急停止するほかない。
「柏の木はみんな度をうしなって、片脚(かたあし)をあげたり両手をそっちへのばしたり、眼をつりあげたりしたまま化石したようにつっ立ってしまいました。冷たい霧がさっと清作の顔にかかりました。画(え)かきはもうどこへ行ったか赤いしゃっぽだけがほうり出してあって、自分はかげもかたちもありませんでした」(宮沢賢治「かしわばやしの夜」『注文の多い料理店・P.115』新潮文庫 一九九〇年)
では一体「画(え)かき」(あるいは<詩人>)とは何か。何だったのか。「芸術家」と言い換えてもいい。村人とその周囲を取り巻く大いなる自然との<あいだ>を取り結ぶ<媒介項>として出現してくる。それは作者自身が目指した理想でもあった。<媒介するもの>としての「反省〔反照〕」について。ヘーゲルから五箇所。
(1)「《本質》は《媒介的に定立された》概念としての概念である。その諸規定は本質においては《相関的》であるにすぎず、まだ端的に自己のうちへ《反省》したものとして存在していない。したがって概念はまだ《向自》として存在していない。本質は、自分自身の否定性を通じて自己を自己へ媒介する有であるから、他のものへ関係することによってのみ、自分自身へ関係するものである。もっとも、この他者そのものが有的なものとしてではなく、《定立され媒介されたもの》として存在している。ーーー有は消失していない。本質はまず、単純な自己関係として有である。しかし他方では、有は、《直接的なもの》であるという一面的な規定からすれば、単に否定的なもの、すなわち、仮象へ《ひきさげられている》。ーーーしたがって本質は、自分自身のうちでの《反照》としての有である。
<訳者注>。Reflexion、reflektierenという言葉は、ヘーゲルでは独自な意味に使われている。もともと、ラテン語のReflexioは、まがりもどることを意味する。ここから、光は、反射の意味となる。自己をかえりみるという場合の反省も、原意と無関係ではない。しかし、ヘーゲルは相関関係のうちにある二つのものを、その一方から出発して考察するとき、Reflexionという言葉を使う。例えば、支配者というものは、支配される者なしには存在せず、考えられず、自分自身のみからは理解できないものである。このような相関は、そこに存在しているのであるが、われわれが今支配者というものを理解しようとすれば、支配されるものへいき、そして再び支配者へ帰ってこなければならない。相関においては、かくして相関する互の側から、このようなReflexionが行われるわけである。これがReflexionの全体的な意味である。しかし、他者へのReflexionというように、この言葉が使われるとき、それは、とりあえず関係という意味しか表面に持っていない。ヘーゲルにおいては、概念が自覚する形をも持つから、反省と訳すが、十分ではない。エンチクロペディーの初版では、ヘーゲルは、『本質の領域では、相関性が支配的な規定をなしている』と言っている。マルクスは、資本論で、相対的価値形態を述べたところの、註のうちでReflexionsbestimmungに言及し、次のように言っている。『Reflexionsbestimmungenというものは、一般に、独特なものである。例えば、特定の人間が王であるのは、ただ他の人々が臣下としてかれにたいするからである。ところが、この人々は、かれが王であるからこそ、自分たちは臣下なのだと思っている』。なお、主観的思惟にReflexionという言葉をヘーゲルが使うとき、それは、すでにこれまでの訳者註に述べたように、関係的、相関的思惟である」(ヘーゲル「小論理学・下・第二部・本質論・一一二・P.15~16」岩波文庫 一九五二年)
(2)「《自己に即した》区別は《本質的な》区別、《肯定的なもの》と《否定的なもの》である。肯定的なものは、否定的なもので《ない》という仕方で自己との同一関係であり、否定的なものは、肯定的なもので《ない》という仕方でそれ自身区別されたものである。両者の各々は、それが《他者でない》程度に応じて独立的なものであるから、各々は他者のうちに反照し、他者があるかぎりにおいてのみ存在する。したがって本質の区別は《対立》であり、区別されたものは自己にたいして《他者一般》をではなく、《自己に固有の》他者を持っている。言いかえれば、一方は他方との関係のうちにのみ自己の規定を持ち、他方へ反省しているかぎりにおいてのみ自己へ反省しているのであって、他方もまたそうである。つまり、各々は他者に《固有》の他者である」(ヘーゲル「小論理学・下・第二部・本質論・一一九・P.28」岩波文庫 一九五二年)
(3)「本質はまず《自己のうち》で反照し媒介されているものである。しかし媒介が完成されたからには、本質の自己統一は今や区別の揚棄、したがって媒介の揚棄として《定立》されている。したがってこれは《直接態》あるいは《有》の復活である。が、この有は《媒介の揚棄によって媒介されている有》、すなわち《現存在》である」(ヘーゲル「小論理学・下・第二部・本質論・一二二・P.42」岩波文庫 一九五二年)
(4)「生きた実体は、実際には《主観》〔体〕であるような存在である。同じことになるが、実体は、自己自身を措定する運動、自己が他者となることを自己自身と媒介するはたらきである限りでのみ、実際に現実的であるような存在である。実体は主観〔体〕としては純粋で《単一な否定性》である。であるからこそ、単一なものを二つに引きはなす、つまり対立させて二重なものとする。この二重作用が二つのものの無関心なちがいと対立をさらに否定する。真理とは、このように自己を《回復する》相等性もしくは他在において自己自身へと復帰〔反照〕することにほかならない」(ヘーゲル「精神現象学・上・序論・P.33」平凡社ライブラリー 一九九七年)
(5)「なぜなら、媒介とは自ら動いて自己自身と等しくなることにほかならないからである、言いかえれば、媒介とは自己自身に帰〔反照す〕ること、自己自身に対している自我の契機、純粋否定性であるからである。あるいは〔全くの抽象のレベルまでおとしてしまえば〕、《単一な生成》である。自我もしくは生成一般というこのような媒介のはたらきは、単一なものであるから、生成しつつある直接態であり、無媒介なものそれ自身にほかならない。それゆえ、反照するはたらきを真理から除外してしまい、それを絶対者の肯定的な契機と考えないならば、理性を見あやまることになる。反照は真理を結果とするが、また真理の生成に対するこの結果という対立を、止揚するようなものでもある」(ヘーゲル「精神現象学・上・序論・P.35~36」平凡社ライブラリー 一九九七年)
宮沢賢治はまた歴然たる教育者・学者(農学・鉱物学・化学)でもあった。関東大震災発生の一九二三年(大正十二年)と翌一九二四年(大正十三年)の二度に渡り北海道を訪れている。一度目は生徒たちの就職以来のため樺太(からふと=サハリン)への往復途中、二度目は修学旅行のため。札幌市経由。その時の詩が残っている。
「遠くなだれる灰光と 貨物列車のふるひのなかで わたくしは湧(わ)きあがるかなしさを きれぎれ青い神話に変へて 開拓(かいたく)記念の楡(にれ)の広場に 力いっぱい撒(ま)いたけれども 小鳥はそれを啄(ついば)まなかった」(宮沢賢治「春と修羅・第三集・一〇一九・札幌市」『宮沢賢治詩集・P.234~235』新潮文庫 一九九〇年)
なるほど北海道開拓事業は国家的大事業として果たされはした。多くの学者たちが夢と野望とを込めて深く関わった。しかし北海道を切り開いた人々の活動のすべてがすべて、おそろしく古くから現地で自然生態系を営んできたたった一羽の小鳥にさえ受け入れられたと言えるだろうか。法華経は宇宙的融合を説く。だがそれは<ほんとうの意味で>実現したと言えるだろうか。賢治はそんな苦く辛い逆説に満ちた思いを書き留るほか残された時間は加速的に削り取られていく。
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