宮沢賢治は「春」に限って特別な思い入れをしていた、と考えている読者がいったいどれほどいるだろうか。疑問におもう。「春」だけを取り上げて特別扱いしていたなどと、そんなふうに考えたことはただの一度もない。逆にどんな季節を与えられたとしてもその季節を舞台化することは賢治にとってあまりにも容易かったように思える。賢治の関心をかき立てたのは春夏秋冬という言葉であらかじめ〔アプリオリに〕切り分けられた単純素朴な四つの季節というよりもむしろその<あいだ>ではなかったろうか。例えば作品「若い木霊(こだま)」。
若い木霊はもう春が来たとあちこちに触れてまわりたくて仕方がない。だけでなく実際あちこち飛び回って触れてまわる。澄みわたった青空と大地の情景。越年した枯草(かれくさ)の丘(おか)。その窪(くぼ)みや襞(ひだ)にはところどころ雪が残っている。若い木霊は丘を下って窪地の様子を覗き込む。こうある。
「まっ黒な土があたたかにしめり湯気はふくふく春のよろこびを吐(は)いていました」(宮沢賢治「若い木霊」『ポラーノの広場・P.76』新潮文庫 一九九五年)
<まっ黒・まっ赤・まっ白・まっ青>は賢治がたいへんよく用いる形容詞。後半箇所で「春のよろこびを吐(は)いて」とあるのを見て始めて読者は、窪地の「土」が擬人化されているその場へ作者=賢治とともに入り込む。なるほど擬人化は<よろこび>の感情を指し示すためには実に要領のいい方法だ。窪地では「一疋の蟇(ひきがえる)」が「のそのそ」這っている。蟇(ひきがえる)は何かいう。その言葉を若い木霊は聞き届けたように思う。蟇の発言。
「『鴾(とき)の火だ。鴾の火だ。もう空だって碧(あお)くはないんだ。桃色(ももいろ)のペラペラの寒天でできているんだ。いい天気だ。ぽかぽかするなあ』」(宮沢賢治「若い木霊」『ポラーノの広場・P.77』新潮文庫 一九九五年)
若い木霊はその言葉に<力>を得た。もう胸がどきどきばくばくして仕方がない。再び丘の上にのぼり栗の木に向かって叫んだ。「まだ睡てるのか、おい、起きないか」。だが栗の木は「しん」としている。応答がない。とはいえ栗の木には<やどり木のまり>がついている。やどりぎたちは起きているようだ。その一つが木霊に声をかけてやる。作品中、対話らしい対話が挿入されているのはほんの二箇所ばかりだが、そのうちの最初の一箇所。
「『僕(ぼく)下りて行ってあなたと一緒(いっしょ)に歩きましょうか』。『ふん。お前のようなやつがおれについて歩けると思うのかい。ふん。さよならっ』。やどり木は黄金色のべそをかいて青いそらをまぶしそうに見ながら『さよなら』と答えました。若い木霊は思わず『アハアハハハ』とわらいました。その声はあおぞらの滑(なめ)らかな石までひびいて行きましたが又それが波になって戻(もど)って来たとき木霊はドキッとしていきなり堅(かた)く胸を押(おさ)えました」(宮沢賢治「若い木霊」『ポラーノの広場・P.78』新潮文庫 一九九五年)
やどり木はやさしい。興奮ぎみの若い木霊の気持ちを察していう。「一緒(いっしょ)に歩きましょうか」。だが木霊は気持ちの高ぶりが傲慢さへ転化しているらしい。こう答える。「お前のようなやつがおれについて歩けると思うのかい。ふん。さよならっ」。やどり木は「べそをかいて青いそらをまぶしそうに見ながら『さよなら』と答え」る。若い木霊はやどり木のやさしさに甘えきっている。やどり木の気持ちがいっぺんにへこんだのを見て「アハアハハハ」と嘲笑する。けれどもその途端、自分で発した嘲笑が木霊の「波になって戻(もど)って来た」。若い木霊は自分で自分に向って繰り返し押し寄せる波のような嘲笑がそこらじゅうに響きわたるのを耳にして「ドキッ」とする。そして身も心も固まってしまいじっと「胸を押(おさ)えました」。だからといって賢治は若い木霊の思い上がりを諌めて何か「教訓」のようなものを作品に溶かし込もうとしているわけではまったくない。巧みな擬人化にもかかわらず「教訓・説教」に類するものは何一つ出現しない。
丘の上を離れた若い木霊は第二の窪地へやって来た。かたくりの花が咲いている。かたくりの葉には紫色の斑紋があるわけだが。
「つやつやした緑色の葉の上に次々せわしくあらわれては又消えて行く紫色(むらさきいろ)のあやしい文字を読みました。『はるだ、はるだ、はるの日がきた』、字は一つずつ生きて息をついて、消えてはあらわれ、あらわれては又消えました」(宮沢賢治「若い木霊」『ポラーノの広場・P.78』新潮文庫 一九九五年)
遠く古代から連綿と受け継がれる自然の営みをノスタルジーのように思い起こさせるに十分な初春の小さな情景である。葉の斑紋は描写のとおり「消えてはあらわれ、あらわれては又消え」ていくかのようだ。しかしどこかに何か確固たる「春」という季節が存在するわけではない。かたくりの花は初春の頃、まさしく「消えてはあらわれ、あらわれては又消え」ていく点で、例えば「桜」がつぼみを付け、ちらほらと開花し、すでに散った花がある一方でまだ咲ききっていない花も見られるその<あいだ>の時期を指して<満開>と呼ばれ、かと思えばあれよという間もなく散っていく点で変わりはないし、あるいは秋の「紅葉」が徐々に黄色くなってしばらくすると山を駆けあがりまっ赤に染まり、冷え込みの激しい夜風の到来とともにふいに落ちきってしまうのとも違わない。ただ、賢治がどこまで意識してそう書いたのかわからないものの、「次々せわしくあらわれては又消えて行く紫色(むらさきいろ)のあやしい文字を読みました」、とある箇所は極めて重要だろう。少年時代の賢治は花巻の山野を歩いてまわるのが大好きであり、同時に幼い頃から読み聞かされ生涯を通じて読み続けることになる法華経をはじめとする書籍とともに思索の時間を過ごした。フィールドでの戯れと書籍への耽溺とは賢治の中で別々の二つのものではない。一つである。そのような幼少期を持った人間にとって、花巻の山野で文字を読み取ると同時に書籍の一行一行に山野が映って見えたのも当然だっただろう。「消えてはあらわれ、あらわれては又消え」る眼前の情景はまるで時間の経過そのものに一致する。その意味で若い木霊は或る種の速度のように思える。
第二の窪地を離れさらに第三の窪地へやって来た若い木霊。斜めから差し込む陽光を受けた桜草がいう。
「『お日さんは丘の髪毛(かみげ)の向うの方へ沈(しず)んで行ってまたのぼる。そして沈んでまたのぼる。空はもうすっかり鴾の火になった。さあ、鴾の火になってしまった』」(宮沢賢治「若い木霊」『ポラーノの広場・P.79』新潮文庫 一九九五年)
まるでストラヴィンスキー「火の鳥」が狂気に突入しあたり構わず延焼させつつ途方もなく巨大な笑いを笑っているかのようだ。しかしたぶん読者は「若い木霊」という作品タイトルや冒頭の初春の光景に目を通した後の目まいの中にいるため、桜草が「空はもうすっかり鴾の火になった。さあ、鴾の火になってしまった」という事態の荘厳さを捉えることができない。そして賢治は自分の手で描出したこの情景に自分自身で「酔っている」。
そして若い木霊はとうとう<鴾>を見つけ、近づき、話しかける。
「『おおい。鴾。お前、鴾の火というものを持ってるかい。持ってるなら少しおらに分けて呉(く)れないか』。『ああ、やろう。しかし今、ここには持っていないよ。ついてお出(い)で』」(宮沢賢治「若い木霊」『ポラーノの広場・P.80』新潮文庫 一九九五年)
着いて行った先に「ゆらゆら燃えのぼって」見えている「ほのお」がある。若い木霊は興奮の頂点に達したようだ。「ほのお」の中心へ自分の身体を投機する。燃えて焼失してしまうかそうでなければ両者ともに融合するかしかない。若い木霊はもうどちらでも構わないのだ。木霊は確かに「若い」けれども賢治は作者としても人間としてもすでに大人である。幼い頃から慣れ親しんだばかりかそれそのものになろうとさえしていた賢治は、「若い木霊」を創造した上で木霊自身に如来的実践(菩薩的無償性)を生きさせようと「ほのお」の中心へ自分の身体を投機させるのである。ところがしかし、投機したすぐ後、そこにはもうありふれた森の光景が太陽の光に照らされて薄ぼんやりと打ち広がっているばかり。なおその奥には暗い木立になっていて判別不能の様々な声が聞こえてくる。つきさっきまで劫火のごとく煌々と燃え上がって見えていた「ほのお」などどこにも見当たらない。若い木霊の気持ちはいっぺんに冷めてしまった。帰るといいだす。
「若い木霊は帰ろうとしました。その時森の中からまっ青な顔の大きい木霊が赤い瑪瑙(めのう)のようあ眼玉をきょろきょろさせてだんだんこっちへやって参りました。若い木霊(こだま)は逃(に)げて逃げて逃げました。風のように光のように逃げました」(宮沢賢治「若い木霊」『ポラーノの広場・P.82』新潮文庫 一九九五年)
若い木霊は全速力で逃げた。「風のように光のように」逃げた。この時はじめて若い木霊はまぎれもなく速度そのものへ変容している。言い換えれば、<宇宙と融合>した。しかし若い木霊は自分でそのことに気づいていない。ただ単に逃走していると思い込んで疑うということをすっかり忘れ去っている。このような逆説でしか感じ取ることのできない季節の<あいだ>というものがある。おそらく賢治はその不可能性をからだで知っていたに違いない。一方的に贈り与える至高の存在についてニーチェはいう。
「おまえは語らない、《語らずに》おまえはおまえの知恵をわたしに告げる」(ニーチェ「ツァラトゥストラ・第三部・日の出前・P.260」中公文庫 一九七三年)
ちなみにこの言葉は太陽がのぼる前、まだ夜が明ける前に挿入された言葉である。というのも自然からの贈物には季節次第で違いはないし、ましてや太陽がのぼる前であろうがのぼってからであろうがいつでも贈物は贈られているからにほかならない。そもそも太陽は季節を知らない。その太陽にしてからが宇宙の中のほんの一部、一個の恒星でしかない。したがってどの季節においてであれいつも微笑のうちに贈物は贈られ続けている。「春」ばかりが特権的に扱われるなどということは決してなく、地球の一部に季節があるということもまったく知らないうちにただひたすら贈り与えるのである。春も夏も秋も冬も、贈与という点では何らの区別もなしに贈り与えるばかりなのだ。
「おまえとわたしは最初からの友だちだ。わたしたちは憂悶(ゆうもん)と戦慄(せんりつ)と深淵(しんえん)とを共有している。そのうえ太陽をも共有している。われわれは語りあわない、互いにあまりに多くを知っているからだ。ーーーわれわれは互いに無言でいる。われわれはわれわれの了解を微笑につつんで、それを互いに投げかける」(ニーチェ「ツァラトゥストラ・第三部・日の出前・P.260」中公文庫 一九七三年)
ニーチェはつづける。もし人間が贈与しようと意志するなら、それこそ困難を極める「究極の離れ業(わざ)、狡知(こうち)をきわめる巨匠の芸である」と。
「そこでおまえは学んだのだ。ーーー正しく与えることは、正しく受けるよりも、むずかしいということを。また、よく贈るということは、一つの《技術》であり、善意の究極の離れ業(わざ)、狡知(こうち)をきわめる巨匠の芸であることを」(ニーチェ「ツァラトゥストラ・第四部・進んでなった乞食(こじき)・P.433」中公文庫 一九七三年)
詩人であり童話童謡作家であり労農党にも資金援助をはばからない宮沢賢治。しかし何より近代知識人としての苦悩は肺結核を患った賢治の身体を過酷な速度で死へと追いやる。贈り与えるということ。その困難さ。デリダに言わせればこうなる。
「贈与があるためには、贈与を忘却せねばなりませんが、しかしそれと同時にそういった忘却それ自体は保持されねばならないのです。贈与が生起するためには、それはどんな忘却であってもかまわないというわけではありません。消去されねばならぬと同時に、消去の痕跡を保持せねばならないのです。そして、こういった二重の命令は、明らかに狂気を引き起こすダブル・バインドであります。私は与えようと欲し、他者が受け取ってくれることを欲します。したがって、この贈与が生起するためには、他者は私が彼に与えるということを知っていなければなりません。そうでなければこういったことは意味をもちませんし、贈与は、生起しません。しかしながら、私が与えるということを他者が知っていたり、私のほうもまた知っているならば、贈与はこの象徴的な認知(感謝)によって廃棄されてしまいます。では、どうすればよいのでしょうか。とはいえ、贈与はあらねばなりませんし、贈与はよいのです。ですから、贈与の想定それ自体、つまり贈与のこの狂気、これはダブルバインドの状況なのです。そして、あらゆる掟、あらゆる掟についての経験がこうしたタイプのものである、と私は言いたい。一つの掟、それは必ずしも悪いものではありません。われわれはもろもろの掟を必要としますし、掟を与えること、それはまた贈り物でもあります。というのも掟は第一に安心させ、不安を避けさせてくれるからです。ところが、掟の贈与は同時に悪いものでもあります。それはパルマコンであり、毒であります。贈与はどれも毒なのです。こういった観点からすると、記憶、時間ならびに歴史との関連において、贈与と掟の贈与とは、実際、何らかの類似したものである、と言うことができます。人が与えるときーーーこれが恐ろしい点であり、贈与をただちに毒に変えてしまい、したがって贈与をエコノミー的円環のうちへ引きずり込んでしまうのですがーーー人が与えるとき、人はなんらかの掟を与えるのであり、掟をつくる〔命じる〕のです。
こういったわけですから、偉大な支配者たち、ないしは偉大な女支配者たち、すなわち最も象徴的に自己固有化をおこなう人々が、最も気前のいい人々である、といった事実を前にしても、それを見て驚くなどということは少しもないのです。贈与と掟の贈与のなかに読み取るのがむずかしいのは、まさにこういったことなのです。
与えるとは、たいへんに暴力的な挙措でありうるのです。想像していただけるでしょうが、真の贈与、すなわち暴力をふるわないような、そして与えられた物やそれが与えられた相手を自己固有化しないような贈与、そういった贈与は、贈与の諸標識までも消去せねばならないでしょう。それは現われない贈与であり、したがって他者にとってのみならず、自分にとってさえも贈与の諸標識を消去するでしょう。真の贈与は、与えているということを知りさえせずに与えることのうちに、その本領をもっているのです」(デリダ「時間をーーー与える」『他者の言語・P.110~112』法政大学出版局 一九八九年)
賢治はこの痛すぎる逆説とも闘わねばならなかった。それにしてもなぜ逃げ出そうにも逃げ出せない場所へ自ら進んで自分を放り込もうとするばかりだったのか。作品「若い木霊」一つ取ってみても、生と死の<あいだ>に出現してやまない独特の<苦悩>という<酔い>に、ともすれば酔いしれてしまう賢治の横顔がふっとよぎるのである。
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若い木霊はもう春が来たとあちこちに触れてまわりたくて仕方がない。だけでなく実際あちこち飛び回って触れてまわる。澄みわたった青空と大地の情景。越年した枯草(かれくさ)の丘(おか)。その窪(くぼ)みや襞(ひだ)にはところどころ雪が残っている。若い木霊は丘を下って窪地の様子を覗き込む。こうある。
「まっ黒な土があたたかにしめり湯気はふくふく春のよろこびを吐(は)いていました」(宮沢賢治「若い木霊」『ポラーノの広場・P.76』新潮文庫 一九九五年)
<まっ黒・まっ赤・まっ白・まっ青>は賢治がたいへんよく用いる形容詞。後半箇所で「春のよろこびを吐(は)いて」とあるのを見て始めて読者は、窪地の「土」が擬人化されているその場へ作者=賢治とともに入り込む。なるほど擬人化は<よろこび>の感情を指し示すためには実に要領のいい方法だ。窪地では「一疋の蟇(ひきがえる)」が「のそのそ」這っている。蟇(ひきがえる)は何かいう。その言葉を若い木霊は聞き届けたように思う。蟇の発言。
「『鴾(とき)の火だ。鴾の火だ。もう空だって碧(あお)くはないんだ。桃色(ももいろ)のペラペラの寒天でできているんだ。いい天気だ。ぽかぽかするなあ』」(宮沢賢治「若い木霊」『ポラーノの広場・P.77』新潮文庫 一九九五年)
若い木霊はその言葉に<力>を得た。もう胸がどきどきばくばくして仕方がない。再び丘の上にのぼり栗の木に向かって叫んだ。「まだ睡てるのか、おい、起きないか」。だが栗の木は「しん」としている。応答がない。とはいえ栗の木には<やどり木のまり>がついている。やどりぎたちは起きているようだ。その一つが木霊に声をかけてやる。作品中、対話らしい対話が挿入されているのはほんの二箇所ばかりだが、そのうちの最初の一箇所。
「『僕(ぼく)下りて行ってあなたと一緒(いっしょ)に歩きましょうか』。『ふん。お前のようなやつがおれについて歩けると思うのかい。ふん。さよならっ』。やどり木は黄金色のべそをかいて青いそらをまぶしそうに見ながら『さよなら』と答えました。若い木霊は思わず『アハアハハハ』とわらいました。その声はあおぞらの滑(なめ)らかな石までひびいて行きましたが又それが波になって戻(もど)って来たとき木霊はドキッとしていきなり堅(かた)く胸を押(おさ)えました」(宮沢賢治「若い木霊」『ポラーノの広場・P.78』新潮文庫 一九九五年)
やどり木はやさしい。興奮ぎみの若い木霊の気持ちを察していう。「一緒(いっしょ)に歩きましょうか」。だが木霊は気持ちの高ぶりが傲慢さへ転化しているらしい。こう答える。「お前のようなやつがおれについて歩けると思うのかい。ふん。さよならっ」。やどり木は「べそをかいて青いそらをまぶしそうに見ながら『さよなら』と答え」る。若い木霊はやどり木のやさしさに甘えきっている。やどり木の気持ちがいっぺんにへこんだのを見て「アハアハハハ」と嘲笑する。けれどもその途端、自分で発した嘲笑が木霊の「波になって戻(もど)って来た」。若い木霊は自分で自分に向って繰り返し押し寄せる波のような嘲笑がそこらじゅうに響きわたるのを耳にして「ドキッ」とする。そして身も心も固まってしまいじっと「胸を押(おさ)えました」。だからといって賢治は若い木霊の思い上がりを諌めて何か「教訓」のようなものを作品に溶かし込もうとしているわけではまったくない。巧みな擬人化にもかかわらず「教訓・説教」に類するものは何一つ出現しない。
丘の上を離れた若い木霊は第二の窪地へやって来た。かたくりの花が咲いている。かたくりの葉には紫色の斑紋があるわけだが。
「つやつやした緑色の葉の上に次々せわしくあらわれては又消えて行く紫色(むらさきいろ)のあやしい文字を読みました。『はるだ、はるだ、はるの日がきた』、字は一つずつ生きて息をついて、消えてはあらわれ、あらわれては又消えました」(宮沢賢治「若い木霊」『ポラーノの広場・P.78』新潮文庫 一九九五年)
遠く古代から連綿と受け継がれる自然の営みをノスタルジーのように思い起こさせるに十分な初春の小さな情景である。葉の斑紋は描写のとおり「消えてはあらわれ、あらわれては又消え」ていくかのようだ。しかしどこかに何か確固たる「春」という季節が存在するわけではない。かたくりの花は初春の頃、まさしく「消えてはあらわれ、あらわれては又消え」ていく点で、例えば「桜」がつぼみを付け、ちらほらと開花し、すでに散った花がある一方でまだ咲ききっていない花も見られるその<あいだ>の時期を指して<満開>と呼ばれ、かと思えばあれよという間もなく散っていく点で変わりはないし、あるいは秋の「紅葉」が徐々に黄色くなってしばらくすると山を駆けあがりまっ赤に染まり、冷え込みの激しい夜風の到来とともにふいに落ちきってしまうのとも違わない。ただ、賢治がどこまで意識してそう書いたのかわからないものの、「次々せわしくあらわれては又消えて行く紫色(むらさきいろ)のあやしい文字を読みました」、とある箇所は極めて重要だろう。少年時代の賢治は花巻の山野を歩いてまわるのが大好きであり、同時に幼い頃から読み聞かされ生涯を通じて読み続けることになる法華経をはじめとする書籍とともに思索の時間を過ごした。フィールドでの戯れと書籍への耽溺とは賢治の中で別々の二つのものではない。一つである。そのような幼少期を持った人間にとって、花巻の山野で文字を読み取ると同時に書籍の一行一行に山野が映って見えたのも当然だっただろう。「消えてはあらわれ、あらわれては又消え」る眼前の情景はまるで時間の経過そのものに一致する。その意味で若い木霊は或る種の速度のように思える。
第二の窪地を離れさらに第三の窪地へやって来た若い木霊。斜めから差し込む陽光を受けた桜草がいう。
「『お日さんは丘の髪毛(かみげ)の向うの方へ沈(しず)んで行ってまたのぼる。そして沈んでまたのぼる。空はもうすっかり鴾の火になった。さあ、鴾の火になってしまった』」(宮沢賢治「若い木霊」『ポラーノの広場・P.79』新潮文庫 一九九五年)
まるでストラヴィンスキー「火の鳥」が狂気に突入しあたり構わず延焼させつつ途方もなく巨大な笑いを笑っているかのようだ。しかしたぶん読者は「若い木霊」という作品タイトルや冒頭の初春の光景に目を通した後の目まいの中にいるため、桜草が「空はもうすっかり鴾の火になった。さあ、鴾の火になってしまった」という事態の荘厳さを捉えることができない。そして賢治は自分の手で描出したこの情景に自分自身で「酔っている」。
そして若い木霊はとうとう<鴾>を見つけ、近づき、話しかける。
「『おおい。鴾。お前、鴾の火というものを持ってるかい。持ってるなら少しおらに分けて呉(く)れないか』。『ああ、やろう。しかし今、ここには持っていないよ。ついてお出(い)で』」(宮沢賢治「若い木霊」『ポラーノの広場・P.80』新潮文庫 一九九五年)
着いて行った先に「ゆらゆら燃えのぼって」見えている「ほのお」がある。若い木霊は興奮の頂点に達したようだ。「ほのお」の中心へ自分の身体を投機する。燃えて焼失してしまうかそうでなければ両者ともに融合するかしかない。若い木霊はもうどちらでも構わないのだ。木霊は確かに「若い」けれども賢治は作者としても人間としてもすでに大人である。幼い頃から慣れ親しんだばかりかそれそのものになろうとさえしていた賢治は、「若い木霊」を創造した上で木霊自身に如来的実践(菩薩的無償性)を生きさせようと「ほのお」の中心へ自分の身体を投機させるのである。ところがしかし、投機したすぐ後、そこにはもうありふれた森の光景が太陽の光に照らされて薄ぼんやりと打ち広がっているばかり。なおその奥には暗い木立になっていて判別不能の様々な声が聞こえてくる。つきさっきまで劫火のごとく煌々と燃え上がって見えていた「ほのお」などどこにも見当たらない。若い木霊の気持ちはいっぺんに冷めてしまった。帰るといいだす。
「若い木霊は帰ろうとしました。その時森の中からまっ青な顔の大きい木霊が赤い瑪瑙(めのう)のようあ眼玉をきょろきょろさせてだんだんこっちへやって参りました。若い木霊(こだま)は逃(に)げて逃げて逃げました。風のように光のように逃げました」(宮沢賢治「若い木霊」『ポラーノの広場・P.82』新潮文庫 一九九五年)
若い木霊は全速力で逃げた。「風のように光のように」逃げた。この時はじめて若い木霊はまぎれもなく速度そのものへ変容している。言い換えれば、<宇宙と融合>した。しかし若い木霊は自分でそのことに気づいていない。ただ単に逃走していると思い込んで疑うということをすっかり忘れ去っている。このような逆説でしか感じ取ることのできない季節の<あいだ>というものがある。おそらく賢治はその不可能性をからだで知っていたに違いない。一方的に贈り与える至高の存在についてニーチェはいう。
「おまえは語らない、《語らずに》おまえはおまえの知恵をわたしに告げる」(ニーチェ「ツァラトゥストラ・第三部・日の出前・P.260」中公文庫 一九七三年)
ちなみにこの言葉は太陽がのぼる前、まだ夜が明ける前に挿入された言葉である。というのも自然からの贈物には季節次第で違いはないし、ましてや太陽がのぼる前であろうがのぼってからであろうがいつでも贈物は贈られているからにほかならない。そもそも太陽は季節を知らない。その太陽にしてからが宇宙の中のほんの一部、一個の恒星でしかない。したがってどの季節においてであれいつも微笑のうちに贈物は贈られ続けている。「春」ばかりが特権的に扱われるなどということは決してなく、地球の一部に季節があるということもまったく知らないうちにただひたすら贈り与えるのである。春も夏も秋も冬も、贈与という点では何らの区別もなしに贈り与えるばかりなのだ。
「おまえとわたしは最初からの友だちだ。わたしたちは憂悶(ゆうもん)と戦慄(せんりつ)と深淵(しんえん)とを共有している。そのうえ太陽をも共有している。われわれは語りあわない、互いにあまりに多くを知っているからだ。ーーーわれわれは互いに無言でいる。われわれはわれわれの了解を微笑につつんで、それを互いに投げかける」(ニーチェ「ツァラトゥストラ・第三部・日の出前・P.260」中公文庫 一九七三年)
ニーチェはつづける。もし人間が贈与しようと意志するなら、それこそ困難を極める「究極の離れ業(わざ)、狡知(こうち)をきわめる巨匠の芸である」と。
「そこでおまえは学んだのだ。ーーー正しく与えることは、正しく受けるよりも、むずかしいということを。また、よく贈るということは、一つの《技術》であり、善意の究極の離れ業(わざ)、狡知(こうち)をきわめる巨匠の芸であることを」(ニーチェ「ツァラトゥストラ・第四部・進んでなった乞食(こじき)・P.433」中公文庫 一九七三年)
詩人であり童話童謡作家であり労農党にも資金援助をはばからない宮沢賢治。しかし何より近代知識人としての苦悩は肺結核を患った賢治の身体を過酷な速度で死へと追いやる。贈り与えるということ。その困難さ。デリダに言わせればこうなる。
「贈与があるためには、贈与を忘却せねばなりませんが、しかしそれと同時にそういった忘却それ自体は保持されねばならないのです。贈与が生起するためには、それはどんな忘却であってもかまわないというわけではありません。消去されねばならぬと同時に、消去の痕跡を保持せねばならないのです。そして、こういった二重の命令は、明らかに狂気を引き起こすダブル・バインドであります。私は与えようと欲し、他者が受け取ってくれることを欲します。したがって、この贈与が生起するためには、他者は私が彼に与えるということを知っていなければなりません。そうでなければこういったことは意味をもちませんし、贈与は、生起しません。しかしながら、私が与えるということを他者が知っていたり、私のほうもまた知っているならば、贈与はこの象徴的な認知(感謝)によって廃棄されてしまいます。では、どうすればよいのでしょうか。とはいえ、贈与はあらねばなりませんし、贈与はよいのです。ですから、贈与の想定それ自体、つまり贈与のこの狂気、これはダブルバインドの状況なのです。そして、あらゆる掟、あらゆる掟についての経験がこうしたタイプのものである、と私は言いたい。一つの掟、それは必ずしも悪いものではありません。われわれはもろもろの掟を必要としますし、掟を与えること、それはまた贈り物でもあります。というのも掟は第一に安心させ、不安を避けさせてくれるからです。ところが、掟の贈与は同時に悪いものでもあります。それはパルマコンであり、毒であります。贈与はどれも毒なのです。こういった観点からすると、記憶、時間ならびに歴史との関連において、贈与と掟の贈与とは、実際、何らかの類似したものである、と言うことができます。人が与えるときーーーこれが恐ろしい点であり、贈与をただちに毒に変えてしまい、したがって贈与をエコノミー的円環のうちへ引きずり込んでしまうのですがーーー人が与えるとき、人はなんらかの掟を与えるのであり、掟をつくる〔命じる〕のです。
こういったわけですから、偉大な支配者たち、ないしは偉大な女支配者たち、すなわち最も象徴的に自己固有化をおこなう人々が、最も気前のいい人々である、といった事実を前にしても、それを見て驚くなどということは少しもないのです。贈与と掟の贈与のなかに読み取るのがむずかしいのは、まさにこういったことなのです。
与えるとは、たいへんに暴力的な挙措でありうるのです。想像していただけるでしょうが、真の贈与、すなわち暴力をふるわないような、そして与えられた物やそれが与えられた相手を自己固有化しないような贈与、そういった贈与は、贈与の諸標識までも消去せねばならないでしょう。それは現われない贈与であり、したがって他者にとってのみならず、自分にとってさえも贈与の諸標識を消去するでしょう。真の贈与は、与えているということを知りさえせずに与えることのうちに、その本領をもっているのです」(デリダ「時間をーーー与える」『他者の言語・P.110~112』法政大学出版局 一九八九年)
賢治はこの痛すぎる逆説とも闘わねばならなかった。それにしてもなぜ逃げ出そうにも逃げ出せない場所へ自ら進んで自分を放り込もうとするばかりだったのか。作品「若い木霊」一つ取ってみても、生と死の<あいだ>に出現してやまない独特の<苦悩>という<酔い>に、ともすれば酔いしれてしまう賢治の横顔がふっとよぎるのである。
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