白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・同時に二人の<私>「おきなぐさ」

2021年12月17日 | 日記・エッセイ・コラム
通称「おきなぐさ」。岩手県の方言で地域別に幾つかの呼び名がある。その一つが「うずのしゅげ」。開花が終わり実がなりその実が開くと「おきなぐさ」は白く細い無数の毛でおおわれ、まるで「お爺(じい)の髭(ひげ)」に見える。そこから「ウジノヒゲ・ウズノヒゲ・ウバシラガ・ウバノアタマ・オジイノヒゲ・オジノシゲ・オズノシゲ」などと呼ばれる。作者=宮沢賢治が「うずのしゅげ」を用いた理由はよりいっそう古くから地元に根付いた方言に近い響きを伝えようとしたためだろう。日本・中国・朝鮮半島の比較的温暖な地域で見られる。春の花とされるが東北地方での開花時期は平均的開花時期より一ヶ月から二ヶ月ほどずれる。下向きに付く暗紫赤色の花が印象的。賢治は「黒繻子(くろじゅす)の花びら」と書いている。しかしその印象的で魅惑的な花びらにもかかわらず「うずのしゅげ」と呼ばれるのは開花後二ヶ月ほどして姿を現わす「お爺(じい)の髭(ひげ)」に似た姿形がより一層印象的かつイメージしやすい特徴だからなのかもしれない。

さて、この短編で注目したいのは開花時期と開いた実が風に飛ばされ去っていくまで、「うずのしゅげ」をめぐる<私>と<蟻(あり)>・<山男>と「うずのしゅげ」・<二本>の「うずのしゅげ」・<ひばり>と「うずのしゅげ」という形式を取って、それぞれの対話が変化していく過程である。

第一に「うずのしゅげ」をめぐる<私>と<蟻(あり)>との対話。人間の眼から見下せば花びらの暗紫赤色は黒に近い。だがその下をうろうろしている蟻から見上げれば陽光が透き通ってくるので「まっ赤に見える」という。葉や茎にも細かな毛が密生しており蟻の立場からは「やわらかな銀の糸」に見える。

「『おまえはうずのしゅげはすきかい、きらいかい』。蟻は活潑(かっぱつ)に答えます。『大すきです。誰(たれ)だってあの人をきらいなものはありません』。『けれどもあの花はまっ黒だよ』。『いいえ、黒く見えるときもそれはあります。けれどももるで燃えあがってまっ赤な時もあります』。『はてな、お前たちの眼にはそんな工合に見えるのかい』。『いいえ、お日さまの降る時なら誰にだってまっ赤に見えるだろうと思います』。『そうそう。もうわかったよ。お前たちはいつでも花をすかして見るのだから』。『そしてあの葉や茎(くき)だって立派でしょう。やわらかな銀の糸が植えてあるようでしょう。私たちの仲間では誰かが病気にかかったときはあの糸をほんのすこうし貰(もら)って来てしずかにからだをさすってやります』」(宮沢賢治「おきなぐさ」『注文の多い料理店・P.254』新潮文庫 一九九〇年)

第二に<山男>と「うずのしゅげ」との対話。山間部に住むといっても一般的な狩猟民や轆轤師でない<山人>は普段から平地人と言語的交流がない。価値観もまた異なっている。この場合は書き手の賢治が説明形式を利用して次のように埋めている。

「山男はお日さまに向いて倒(たお)れた木に腰(こし)掛(か)けて何か鳥を引き裂(さ)いて喰(た)べようとしているらしいのですがなぜあの黝(くろず)んだ黄金(きん)の眼玉を地面にじっと向けているのでしょう。鳥を喰べることを忘れたようです。あれは空地のかれ草の中に一本のうずのしゅげが花をつけ風にかすかにゆれているのを見ているからです」(宮沢賢治「おきなぐさ」『注文の多い料理店・P.255』新潮文庫 一九九〇年)

第三に<二本>の「うずのしゅげ」の対話。周囲の風景の推移が語られ、それとともに雲が湧き出て「兎」ほどの大きさから「白熊」ほどの大きさに積み上がりその端に陽の光がかかるとまるで「虹(にじ)で飾(かざ)ったようだ」と素朴な対話で同意し合う点で<二本>の「うずのしゅげ」の立場の同一性が明確化される。

「『ねえ、雲が又お日さんにかかるよ。そら向うの畑がもう陰(かげ)になった』。『走って来る、早いねえ、もうから松(まつ)も暗くなった。もう越(こ)えた』。『来た、来た。おおくらい。急にあたりが青くしんとなった』。『うん、だけどもう雲が半分お日さんの下をくぐってしまったよ。すぐ明るくなるんだよ』。『もう出る。そら、ああ明るくなった』。『だめだい。又来るよ、そら、ね、もう向うのポプラの木が黒くなったろう』。『うん。まるでまわり燈籠(どうろう)のようだねえ』。『おい、ごらん。山の雪の上でも雲のかげが滑(すべ)ってるよ。あすこ。そら。ここよりも動きようが遅(おそ)いねえ』。『もう下りて来る。ああこんどは早い早い、まるで落ちて来るようだ。もうふもとまで来ちゃった。おや、どこへ行ったんだろう、見えなくなってしまった』。『不思議だねえ、雲なんてどこから出て来るんだろう。ねえ。西のそらは青じろくて光ってよく晴れてるだろう。そして風がどんどん空を吹(ふ)いてるだろう。それだのにいつまでたっても雲がなくならないじゃないか』。『いいや、あすこから雲が湧(わ)いて来るんだよ。そら、あすこに小さな小さな雲きれが出たろう。きっと大きくなるよ』。『ああ、ほんとうにそうだね、大きくなったねえ。もう兎(うさぎ)ぐらいある』。『どんどんかけて来る。早い早い、大きくなった、白熊(しろくま)のようだ』。『又お日さんへかかる。暗くなるぜ、奇麗(きれい)だねえ。ああ奇麗。雲のへりがまるで虹(にじ)で飾(かざ)ったようだ』」(宮沢賢治「おきなぐさ」『注文の多い料理店・P.256~257』新潮文庫 一九九〇年)

第四に<ひばり>と「うずのしゅげ」との対話(その一)。ひばりは「雲雀」と書くことが多いが春に空へ舞い上がるととてもよく囀(さえず)りながら飛び回るので「叫天子(きょうてんし)」とも呼ばれる。ひばりは風が強いのでいつものように上手く歌えないと嘆くが「うずのしゅげ」のように地面に固定された立場から見れば楽しそうでうらやましく思える。ひばりが風とともに飛んでいるのを見て「僕たちも一ぺん飛んで見たい」という。ひばりは「もう二ヶ月」待てば嫌でも飛ぶことになるだろうと告げる。

「『今日は、風があっていけませんね』。『おや、ひばりさん、いらっしゃい。今日なんか高いとこは風が強いでしょうね』。『ええ、ひどい風ですよ。大きく口をあくと風が僕(ぼく)のからだをまるで麦酒瓶(ビールびん)のようにボウと鳴らして行く位ですからね。わめくも歌うも容易なこっちゃありませんよ』。『そうでしょうね。だけどここから見ているとほんとうに風はおもしろそうですよ。僕たちも一ぺん飛んで見たいなあ』。『飛べるどころじゃない。もう二ヶ月お待ちなさい。いやでも飛ばなくちゃなりません』」(宮沢賢治「おきなぐさ」『注文の多い料理店・P.257~258』新潮文庫 一九九〇年)

第五に<ひばり>と「うずのしゅげ」との対話(その二)。対話(その一)から二ヶ月後。うずのしゅげの花は「すっかりふさふさした銀毛の房(ふさ)にかわってい」る。そろそろ南風に飛ばされて行かなければならない季節だ。<ひばり>と「うずのしゅげ」は互いに別れの言葉を交わし合う。ひばりは「もし来年も居るようだったら来年は僕はここへ巣(す)をつくります」という。よく知られているようにひばりは麦畑に巣を作ることが多い。しかし畑のある野原に「うずのしゅげ」が生えているのはどうしてか。というより、そもそも農地改良以前の農地こそが「うずのしゅげ」の生育域だった。農地の爆発的改良によりかつての農地はずいぶん様変わりした。そして今や「うずのしゅげ」の側が絶滅危惧種入りしている。

「『今日は。いいお天気です。どうです。もう飛ぶばかりでしょう』。『ええ、もう僕たち遠いところへ行きますよ。どの風が僕たちを連れて行くかさっきから見ているんです』。『どうです。飛んで行くのはいやですか』。『なんともありません。僕たちの仕事はもう済んだんです』。『恐(こわ)かありませんか』。『いいえ、飛んだってどこへ行ったって野はらはお日さんのひかりで一杯(いっぱい)ですよ。僕たちばらばらになろうたってどこかのたまり水の上に落ちようたってお日さんちゃんと見ていらっしゃるんですよ』。『そうです、そうです。なんにもこわいことはありません。僕だってもういつまでこの野原に居るかわかりません。もし来年も居るようだったら来年は僕はここへ巣(す)をつくりますよ』。『ええ、ありがとう。ああ、僕まるで息がせいせいする。きっと今度の風だ。ひばりさん、さよなら』。『僕も、ひばりさん、さよなら』。『じゃ、さよなら、お大事においでなさい』」(宮沢賢治「おきなぐさ」『注文の多い料理店・P.258~259』新潮文庫 一九九〇年)

ここで「うずのしゅげ」はいう。「僕たちの仕事はもう済んだんです」。そこで発芽し開花し実になり実を開き風に乗り今度は別の場所に落ちて再び同じ転生を繰り返す「うずのしゅげ」。延々と繰り返されるばかりの「うずのしゅげ」の生涯。「うずのしゅげ」自身、いつ終わるともしれないその反復過程を自分自身の「仕事」として認識している。作品「気のいい火山弾」で東京帝大地質学教室へ運び去られる「ベゴ石」は山麓で周囲のみんなと別れる際、こう語った。意味は同じだ。

「『私の行くところは、ここのように明るい楽しいところではありません。けれども、私共は、みんな、自分でできることをしなければなりません』」(宮沢賢治「気のいい火山弾」『注文の多い料理店・P.188』新潮文庫 一九九〇年)

賢治は人間だけでなくありとあらゆるものに「仏性」を見ている。それはただそこにあるというだけで価値を持ち、他者との繋がりを持ち、自分も他者も互いに活かし合う。

そして風に飛ばされ舞い上がった「うずのしゅげ」はどうなったか。作者は「天上へ行った二つの小さなたましい」といい「それは二つの小さな変光星になったと思」う。その理由をこう語る。

「なぜなら変光星はあるときは黒くて天文台からも見えずあるときは蟻(あり)が云ったように赤く光って見えるからです」(宮沢賢治「おきなぐさ」『注文の多い料理店・P.260』新潮文庫 一九九〇年)

或る立場からは「黒くて天文台からも見え」ないがまた或る立場からは「蟻(あり)が云ったように赤く光って見える」。作者=宮沢賢治はなるほど一人だが、一方に日々望遠鏡を覗いて研究する科学者としての賢治がいて、もう一方に蟻と対話する地元民としての賢治がいる。そしてそれは同時に一つの身体に合体した一人の人間である。科学者と地元民との両者に分裂しながら同時に統一されている。ばらばらであると同時に一つでもある。要するに賢治は少なくとも科学者としての立場と地元民としての立場との両方を一身に兼ね備えている。両方の立場を兼ね備えて始めて<媒介するもの>(反省〔反照〕)としての作者の顔が見えてくる。ヘーゲルによればそれは次のような立場だ。

(1)「《本質》は《媒介的に定立された》概念としての概念である。その諸規定は本質においては《相関的》であるにすぎず、まだ端的に自己のうちへ《反省》したものとして存在していない。したがって概念はまだ《向自》として存在していない。本質は、自分自身の否定性を通じて自己を自己へ媒介する有であるから、他のものへ関係することによってのみ、自分自身へ関係するものである。もっとも、この他者そのものが有的なものとしてではなく、《定立され媒介されたもの》として存在している。ーーー有は消失していない。本質はまず、単純な自己関係として有である。しかし他方では、有は、《直接的なもの》であるという一面的な規定からすれば、単に否定的なもの、すなわち、仮象へ《ひきさげられている》。ーーーしたがって本質は、自分自身のうちでの《反照》としての有である。

<訳者注>。Reflexion、reflektierenという言葉は、ヘーゲルでは独自な意味に使われている。もともと、ラテン語のReflexioは、まがりもどることを意味する。ここから、光は、反射の意味となる。自己をかえりみるという場合の反省も、原意と無関係ではない。しかし、ヘーゲルは相関関係のうちにある二つのものを、その一方から出発して考察するとき、Reflexionという言葉を使う。例えば、支配者というものは、支配される者なしには存在せず、考えられず、自分自身のみからは理解できないものである。このような相関は、そこに存在しているのであるが、われわれが今支配者というものを理解しようとすれば、支配されるものへいき、そして再び支配者へ帰ってこなければならない。相関においては、かくして相関する互の側から、このようなReflexionが行われるわけである。これがReflexionの全体的な意味である。しかし、他者へのReflexionというように、この言葉が使われるとき、それは、とりあえず関係という意味しか表面に持っていない。ヘーゲルにおいては、概念が自覚する形をも持つから、反省と訳すが、十分ではない。エンチクロペディーの初版では、ヘーゲルは、『本質の領域では、相関性が支配的な規定をなしている』と言っている。マルクスは、資本論で、相対的価値形態を述べたところの、註のうちでReflexionsbestimmungに言及し、次のように言っている。『Reflexionsbestimmungenというものは、一般に、独特なものである。例えば、特定の人間が王であるのは、ただ他の人々が臣下としてかれにたいするからである。ところが、この人々は、かれが王であるからこそ、自分たちは臣下なのだと思っている』。なお、主観的思惟にReflexionという言葉をヘーゲルが使うとき、それは、すでにこれまでの訳者註に述べたように、関係的、相関的思惟である」(ヘーゲル「小論理学・下・第二部・本質論・一一二・P.15~16」岩波文庫 一九五二年)

(2)「《自己に即した》区別は《本質的な》区別、《肯定的なもの》と《否定的なもの》である。肯定的なものは、否定的なもので《ない》という仕方で自己との同一関係であり、否定的なものは、肯定的なもので《ない》という仕方でそれ自身区別されたものである。両者の各々は、それが《他者でない》程度に応じて独立的なものであるから、各々は他者のうちに反照し、他者があるかぎりにおいてのみ存在する。したがって本質の区別は《対立》であり、区別されたものは自己にたいして《他者一般》をではなく、《自己に固有の》他者を持っている。言いかえれば、一方は他方との関係のうちにのみ自己の規定を持ち、他方へ反省しているかぎりにおいてのみ自己へ反省しているのであって、他方もまたそうである。つまり、各々は他者に《固有》の他者である」(ヘーゲル「小論理学・下・第二部・本質論・一一九・P.28」岩波文庫 一九五二年)

(3)「本質はまず《自己のうち》で反照し媒介されているものである。しかし媒介が完成されたからには、本質の自己統一は今や区別の揚棄、したがって媒介の揚棄として《定立》されている。したがってこれは《直接態》あるいは《有》の復活である。が、この有は《媒介の揚棄によって媒介されている有》、すなわち《現存在》である」(ヘーゲル「小論理学・下・第二部・本質論・一二二・P.42」岩波文庫 一九五二年)

(4)「生きた実体は、実際には《主観》〔体〕であるような存在である。同じことになるが、実体は、自己自身を措定する運動、自己が他者となることを自己自身と媒介するはたらきである限りでのみ、実際に現実的であるような存在である。実体は主観〔体〕としては純粋で《単一な否定性》である。であるからこそ、単一なものを二つに引きはなす、つまり対立させて二重なものとする。この二重作用が二つのものの無関心なちがいと対立をさらに否定する。真理とは、このように自己を《回復する》相等性もしくは他在において自己自身へと復帰〔反照〕することにほかならない」(ヘーゲル「精神現象学・上・序論・P.33」平凡社ライブラリー 一九九七年)

(5)「なぜなら、媒介とは自ら動いて自己自身と等しくなることにほかならないからである、言いかえれば、媒介とは自己自身に帰〔反照す〕ること、自己自身に対している自我の契機、純粋否定性であるからである。あるいは〔全くの抽象のレベルまでおとしてしまえば〕、《単一な生成》である。自我もしくは生成一般というこのような媒介のはたらきは、単一なものであるから、生成しつつある直接態であり、無媒介なものそれ自身にほかならない。それゆえ、反照するはたらきを真理から除外してしまい、それを絶対者の肯定的な契機と考えないならば、理性を見あやまることになる。反照は真理を結果とするが、また真理の生成に対するこの結果という対立を、止揚するようなものでもある」(ヘーゲル「精神現象学・上・序論・P.35~36」平凡社ライブラリー)

宮沢賢治は<媒介するもの>(反省〔反照〕)としての自分をじっくり心底から舐めるように味わいながら生きた。しかしあらかじめ打ち込まれた民衆に対する富裕層あるいは中産階級出身者としての転倒した《債務者》意識は、有島武郎、芥川龍之介、太宰治らと似た内面的自己破壊を伴わずにはいられなかった。

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