白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・近代日本の挫折「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」

2021年12月11日 | 日記・エッセイ・コラム
ペンネンネンネンネン・ネネムは<ばけもの世界>の住人である。ネネムの父は<森の中の青ばけもの>だった。ネネムがまだ幼かった頃、飢饉の年が打ち続いたためふらふらになりながら食物を探しに出かけ、そのまま遂に帰宅することはなかった。ネネムの母も野原へ食べものを探しに出かけたがそれっきりいつまで経ってへ帰ってくることはなかった。ネネムと妹のマミミの幼い兄妹二人きりが残された。寒さと飢えとでガタガタふるえているばかり。そこへ一人の見知らぬ男がやって来た。そしていう。

「『いや、今日は。私はこの地方の飢饉を救(たす)けに来たものですがね、さあ何でも喰(たべ)なさい』と云いながら、一人の目の鋭(するど)いせいの高い男が、大きな籠(かご)の中に、ワップルや葡萄(ぶどう)パンや、そのほかうまいものを沢山(たくさん)入れて入って来たのでした」(宮沢賢治「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」『ポラーノの広場・P.152』新潮文庫 一九九五年)

食べ物をもらったネネムとマミミ。悦んだのも束の間。男はマミミを「お菓子の籠」の中へ放り込み風のようにどこかへ去って行った。飢饉でなければ森には「お<キレ>さま」(太陽)の輝きが真っ直ぐに差し込み<ばけもの栗の木>や<ばけものわらび>など色々な食べものが実る。だが飢饉の年は肝心の<ばけもの麦>ができないばかりか栗も実をつけるには至らずにわかに飢えてしまうしかなかった。一人だけ取り残されたネネム。森の中で目を覚ましたところ<ばけもの紳士>に声をかけられ「昆布(こんぶ)取り」をやらないかと持ちかけられる。栗の木にのぼり目に見えない網を空に向かって投げかけて空中いっぱいに広げてからぐいぐい引き戻す。すると昆布が引っかかってくるというわけで人間世界では海へ向かってやることを逆に空へ向かってやるのが<ばけもの世界>の法則の一つのようだ。夕方になると<ばけものぞら>の色は緑色に変わる。すると木の下にいるはずの<ばけもの紳士>から<ばけものパン>が与えられる。もっともネネムは、慣れるまでしばらく時間はかかったが、ともかく昆布取りの方法を身に付けることができた。<ばけもの紳士>は<ばけものパン>を与える代りに昆布を得られることから次の取引条件を提案する。

「『うん。一ドルやる。しかしパンが一日一ドルだからな。一日十斤以上こんぶを取ったらあとは一斤十セントで買ってやろう。そのよけいの分がおまえのもうけさ。ためて置いていつでも払(はら)ってやるよ。その代り十斤に足りなかったら足りない分がお前の損さ。その分かしにして置くよ』」(宮沢賢治「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」『ポラーノの広場・P.160~161』新潮文庫 一九九五年)

<ばけもの世界>の法律などまったく知らないネネムはその条件が妥当かどうかなど判断できないが生きていくため、次のように十年間昆布取りに励むことに決めた。

「よるもひるも栗の木の湯気とばけものパンと見えない網と紳士と昆布と、これだけを相手にして実に十年というものこの仕事をつづけました。これらの対手(あいて)の中でもパンと昆布とがまず大将でした。はじめの四年は毎日毎日借りばかり次の五年でそれを払いおしまいの三ヶ月でお金がたまりました。そこで下に降りてたまった三百ドルをふところにしてばけもの世界のまちの方へ歩き出しました」(宮沢賢治「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」『ポラーノの広場・P.161』新潮文庫 一九九五年)

<ばけもの世界>の森を出たネネムは<ばけもの世界>の都会で立身出世したいものだと考えた。いつも飢饉に怯えてばかりの貧困生活の繰り返しはネネムの思いを教育過程へ転換させたらしい。森の出口の雑貨店で新しい着物を買う。着物はおそらくスーツ。それを見ながらネネムは自分の進路を決める。

「『何か学問をして書記になりたいもんだな』」(宮沢賢治「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」『ポラーノの広場・P.162』新潮文庫 一九九五年)

はじめから「書記になりたい」と思っていたわけではない。新品の衣装を見ているうちに衣装の側から「書記」という職業名が出現したと言える。首都の名は「ハンムンムンムンムン・ムムネ」といった。ネネムは<向うからふらふらやって来た黄色な影法師のばけ物>に尋ね、<ばけものりんごの木>の下でムムネ市の入口までの道を教わった。ところで「ペンネンネンネンネン・ネネム」にしても「ハンムンムンムンムン・ムムネ」にしても覚えにくく見えるかもしれない。なぜそう見えるのか。どちらも名称なので「・」が付けられたからではと思われる。そこで「ペン/ネン/ネン/ネン/ネン/ネネ/ム」、「ハン/ムン/ムン/ムン/ムン/ムム/ネ」としてみてから、いずれも七拍子でカウントしながら読んでみよう。ぐっと読みやすく覚えやすくなるに違いない。その理由はたぶん、作者=賢治に音楽の才能があったとかリズムや韻を踏む直感的才能に長けていたとかいう以前の、「向き不向き/好き嫌い」の問題であって、今でいう「三歳児神話」がまったくの神話でしかないように根拠のないものに過ぎないだろう。

大学へ向かう途中、「路(みち)ばたの水銀の流れで顔を洗」うネネム。賢治は<ばけもの世界>の物語としてはいるものの、実際の東北地方にはまだそのようなきらきら光り輝く水が山の方から道路脇の「路ばた」を当り前のようにふつうに流れていたに違いない。さて、大学の教室にたどりついた。いきなり試験が始まる。先生の名は「フゥフィーボー博士」。化学の分野で名高いばかりか<ばけもの世界>の学問の頂点に立つ<ばけもの>。ネネムはたった一回しか出席していない行き当たりばったりの講義であるにもかかわらず、その成績がフゥフィーボー博士の目に止まった。

「『よろしい。お前は今日の試験では一等だ。何か望みがあるなら云いなさい』。『書記になりたいのです』。『そうか。よろしい。わしの名刺(めいし)に向うの番地を書いてやるから、そこへすぐ今夜行きなさい』。ネネムは名刺を呉(く)れるかと思って待っていますと、博士はいきなり白墨をとり直してネネムの胸に、『セム二十二号』と書きました」(宮沢賢治「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」『ポラーノの広場・P.169~170』新潮文庫 一九九五年)

紹介された番地を尋ねて行ってみるネネム。そこは「世界裁判長官邸(かんてい)」だった。聞くとネネム自身がすでにそこの主人として登録されており家の中から<沢山のばけもの>が出てきて自分たちは各々「判事」や「検事」だという。ネネムにはさっそく仕事が待っており、ともかく裁判方針を尋ねてみた。

「『裁判の方針はこちらの世界の人民が向うの世界になるべく顔を出さぬように致したいのでございます』。『わかりました。それではすぐやります』」(宮沢賢治「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」『ポラーノの広場・P.172』新潮文庫 一九九五年)

案件はまず二件。その一件目。被告は一人の「ザシキワラシ」。

(1)「『ザシキワラシ。二十二歳(さい)。アツレキ三十一年二月七日、表、日本岩手県上閉伊(かみへい)郡青笹(あおざさ)村字(あざ)瀬戸二十一番戸伊藤万太の宅、八畳座敷中に故なくして擅(ほしいまま)に出現して万太の長男千太、八歳を気絶せしめたる件』」(宮沢賢治「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」『ポラーノの広場・P.172~173』新潮文庫 一九九五年)

この場合「故なくして擅(ほしいまま)に出現・万太の長男千太、八歳を気絶せしめた」ことについて。ネネムはこう判断する。

「『よろしい。その点は実に公益である。本官に於(おい)て大いに同情を呈(てい)する。しかしながらすでに妄(みだ)りに人の居ない座敷の中に出現して、箒(ほうき)の音を発した為に、その音に愕(おど)ろして一寸のぞいて見た子供が気絶をしたとなれば、これは明らかな出現罪である。依(よ)って今日より七日間当ムムネ市の街路の掃除を命ずる。今後はばけもの世界長の許可なくして、妄(みだ)りに向う側に出現することはならん』」(宮沢賢治「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」『ポラーノの広場・P.173~174』新潮文庫 一九九五年)

二件目。被告はアフリカ・コンゴの「ウウウウエイ」。

(2)「『ウウウウエイ。三十五歳。アツレキ三十一年七月一日夜、表、アフリカ、コンゴオの林中の空地に於て故なくして擅(ほしいまま)に出現、舞踏(ぶとう)中の土地人を恐怖(きょうふ)散乱せしめたる件』」(宮沢賢治「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」『ポラーノの広場・P.174』新潮文庫 一九九五年)

地元民の祭りの中に忽然と飛び込んで人々を「恐怖(きょうふ)散乱せしめた」ことについて。ウウウウエイは「あまり面白(おもしろ)かったもんですから」、つい<人間世界>に出現してしまったらしい。ネネムはこう述べる。

「『うん。お前は、最(もっとも)明らかな出現罪である。依って明日より二十二日間、ムッセン街道の見まわりを命ずる。今後ばけもの世界長の許可なくして、妄(みだ)りに向側に出現いたしてはならんぞ』」(宮沢賢治「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」『ポラーノの広場・P.175』新潮文庫 一九九五年)

翌朝、ネネムは<ばけもの世界長>のもとへ挨拶しにおもむく。世界長は「身のたけ百九十尺もある中生代の瑪瑙木(めのうぼく)」だった。ちなみに「中生代(ちゅうせいだい)」の地球上は恐竜たちの楽園だった頃。挨拶を済ませたネネムは市中の巡視(じゅんし)に出かける。

「ばけもの世界のハンムンムンムンムン・ムムネ市の盛(さか)んなことは、今日とて少しも変りません。億百万のばけものどもは、通り過ぎ通りかかり、行きあい行き過ぎ、発生し消滅(しょうめつ)し、聯合(れんごう)し融合(ゆうごう)し、再現し進行し、それはそれは、実にどうも見事なもんです」(宮沢賢治「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」『ポラーノの広場・P.177~178』新潮文庫 一九九五年)

ただ単にパノラマ的に見えなくもない文章だが、それよりむしろ「法華経」に描かれた宇宙論的世界と顕微鏡で観察できる微細に変容していく世界の動き、そして戦後一九七〇年代になってドゥルーズ=ガタリが描き出した「アンチ・オイディプス」的<コード化・脱コード化・再コード化>の「流れ・切断・別のものとの再接続」を重ね合わせて流動しているかのような世界である。ネネムは「せいの高さ三尺ばかりの、顔がまるでじじいのように皺(しわ)くちゃな殊(こと)に鼻が一尺ばかりもある怖(こわ)い子供のようなもの」が「半ずぼんをはいて立ち」、<黒い硬(かた)いばけもの>から「フクジロ印」という商標のあるマッチを五つばかり受け取っているのを見た。フクジロは「荒物屋」に入っていく。

「フクジロがよちよちはいって行きますと、荒物屋のおかみさんは、怖(こわ)がって逃(に)げようとしました。おかみさんだって顔がまるで獏(ばく)のようで、立派なばけものでしたが、小さくてしわくちゃなフクジロを見ては、もうすっかりおびえあがってしまったのでした。『おかみさん。フクジロ・マッチ買ってお呉れ』。おかみさんはやっと気を落ちつけて云いました。『いくらですか。ひとつ』。『十円』。おかみさんは泣きそうになりました。『さあ買ってお呉れ。買わなかったら踊(おどり)をやるぜ』。『買います、買います。踊の方はいりません。そら、十円』。おかみさんは青くなってブルブルしながら銭函(ぜにばこ)からお金を集めて十円出しました」(宮沢賢治「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」『ポラーノの広場・P.179』新潮文庫 一九九五年)

フクジロは次に「となりのばけもの酒屋」へ入って同じことを繰り返す。さらにその隣の「タン屋」でも同じことをして出てきた。ネネムはそのような勝手な行為を見て「おれの恥辱(ちじょく)だ」と感じる。問いただしてみるとフクジロは取り立てに廻らされているだけで自分は「一銭も取りはしない」と主張。親方にいってお呉(く)れと頼み込む。親方を捕まえて問いただすと自分は「一日一杯(いっぱい)あるいてますがやっと喰(く)うだけしか貰わないんです。あとは親方がとってしまう」と訴える。証言にしたがって順番に捕まえ問いただしてみると「緑色の大へんハイカラなばけもの」にたどりついた。また証言は<緑色のハイカラなばけもの>から<赤色のハイカラなばけもの>へ、さらに<青いハイカラなばけもの>へ、そして<黄色なハイカラ>への系列を浮かび上がらせた。順を追ってみよう。

(1)「『これはけしからん。私はそんなことをした覚えはない。私は百二十年前にこの方に九円だけ貸しがあるので今はもう五千何円になっている。わしはこの方のあとをつけて歩いて毎日、日(にっ)プで三十円ずつとる商売なんだ』と云いながら自分の前のまっ赤なハイカラなばけものを指さしました」(宮沢賢治「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」『ポラーノの広場・P.183』新潮文庫 一九九五年)

(2)「『その通りだ。私はこの人に毎日三十円ずつ払(はら)う。払っても払っても元金は殖(ふ)えるばかりだ。それはとにかく私は又この前のお方に百四十年前に非常な貸しがあるのでそれをもとでに毎日この人について歩いて実は五十円ずつとっているのだ。マッチの罪とかなんとか一向私はしらない』と云いながら自分の前の青い色のハイカラなばけものを指さしました」(宮沢賢治「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」『ポラーノの広場・P.183~184』新潮文庫 一九九五年)

(3)「『その通りだ。わしは毎日五十円ずつ払う。そしてわしはこの前のお方に二百年前かなりの貸しがあるのでそれをもとでに毎日ついて歩いて百円ずつとるだけなのだ』」(宮沢賢治「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」『ポラーノの広場・P.184』新潮文庫 一九九五年)

(4)「『そうだ。その通りだ。そしてわしはこの前のお方に昔すてきなかしがあるので、毎日ついて歩いて三百円ずつとるのだ』」(宮沢賢治「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」『ポラーノの広場・P.184』新潮文庫 一九九五年)

浮上したのは「貸借、売買、交易、取引」といった《交換》関係と大正時代の日本ではすでに定着していた近代的「《債権者》と《債務者》との間の契約関係」である。ニーチェはいう。

「人間歴史の極めて長い期間を通じて、悪事の主謀者にその行為の責任を負わせるという《理由》から刑罰が加えられたことは《なかった》し、従って責任者のみが罰せられるべきだという前提のもとに刑罰が行われたことも《なかった》。ーーーむしろ、今日なお両親が子供を罰する場合に見られるように、加害者に対して発せられる被害についての怒りから刑罰は行なわれたのだ。ーーーしかしこの怒りは、すべての損害にはどこかにそれぞれその《等価物》があり、従って実際にーーー加害者に《苦痛》を与えるという手段によってであれーーーその報復が可能である、という思想によって制限せられ変様せられた。ーーーこの極めて古い、深く根を張った、恐らく今日では根絶できない思想、すなわち損害と苦痛との等価という思想は、どこからその力を得てきたのであるか。私はその起源が《債権者》と《債務者》との間の契約関係のうちにあることをすでに洩らした。そしてこの契約関係は、およそ『権利主体』なるものの存在と同じ古さをもつものであり、しかもこの『権利主体』の概念はまた、売買や交換や取引や交易というような種々の根本形式に還元せられるのだ」(ニーチェ「道徳の系譜・第二論文・P.70」岩波文庫 一九四〇年)

ネネムは頭の中でささっと判断を下して申し渡した。

「『よろしい。もうわかった。お前がたに云い渡(わた)す。これは順ぐりに悪いことがたまって来ているのだ。百年も二百年もの前に貸した金の利息を、そんなハイカラななりをして、毎日ついてあるいてとるということは、けしからん。殊(こと)にそれが三十人も続いているというのは実にいけないことだ。おまえたちはあくびをしたりいねむりをしたりしながら毎日を暮(くら)して食事の時間だけすぐ近くの料理屋にはいる、それから急いで出て来て前の者がまだあまり遠くへ行っていないのを見てやっと安心するなんという実にどうも不届きだ。それからおれがもうけるんじゃないと云うので、悪いことをぐんぐんやるのもあまりよくない。だからみんな悪い。みんなを罪にしなければならない。けれどもそれではあんまりかあいそうだから、どうだ、みんな一ぺんに今の仕事をやめてしまえ。そこでフクジロはおれがどこかの玩具(おもちゃ)の工場の小さな室(へや)で、ただ一人仕事をして、時々お菓子(かし)でもたべられるようにしてやろう。あとのものはみんな頑丈(がんじょう)そうだから自分で勝手に仕事をさがせ。もしどうしても自分でさがせなかったらおれの所に相談に来い』」(宮沢賢治「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」『ポラーノの広場・P.186~187』新潮文庫 一九九五年)

<ばけもの見物人>は黒山ならぬ赤山の人だかりで、現場をすっかり見ていた<ばけもの見物人>どもはみんなネネムの手腕に感心し稀にみる世界裁判長だと尊敬するようになった。その後、世界警察長官の邸宅に寄って帰宅した。お昼ご飯は「藁(わら)のオムレツ」。といっても「藁(わら)のオムレツ」を食べることが許されているのは<ばけもの世界>にただ二人。ネネムと<ばけもの大学校>の「フゥフィーボー博士」だけ。途方もない「ごちそう」なのだ。そのうちネネムの評判はますます高まり、「この世界が、はじめ一疋(ひき)のみじんこから、だんだん枝(えだ)がついたり、足が出来たりして発達しはじめて以来」の名裁判官との名声を得るまでになった。この箇所の形容は賢治が専攻した化学的知識とヘーゲル哲学、またベルグソン哲学などを織り込んだものだろう。ところで<ばけもの世界裁判長>として有名になったネネムだが、いつも気がかりなことが一つあった。妹マミミは一体どこに行ったのか。ある時、検事を一人呼んで聞いてみた。

「『膝(ひざ)やかかとの骨の、まだ堅(かた)まらない小さな女の子をつかう商売は、一体どんな商売だろう』」(宮沢賢治「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」『ポラーノの広場・P.191』新潮文庫 一九九五年)

検事はそれについて「ばけもの奇術(きじゅつ)」ではと答える。からだがまだ柔らかくて定まらない幼児を連れてきて「しんこ細工のように延ばしたり円めたり」するという。そう聞かされたネネムは考えながらいう。

「『そうか。どうもそんなしんこ細工のようなことをするというのは、この世界がまだなめくじでできていたころの遺風だ。一寸視察に出よう。事によると禁止をしなければなるまい』」(宮沢賢治「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」『ポラーノの広場・P.191』新潮文庫 一九九五年)

そして「奇術大一座」のところへ視察に出かけた。一連の奇術を見物するネネムと側近の検事。後半で三つの合唱を聴くことになる。歌の内容は農業に関する。第一に「春の種まき」。第二に「秋の実り」。第三に「収穫」。そう区別できるだろう。

(1)「『おキレの角(つの)はカンカンカン ばけもの麦はベランベランベラン ひばり、チッチクチッチクチー フォークのひかりはサンサンサン』」(宮沢賢治「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」『ポラーノの広場・P.196』新潮文庫 一九九五年)

(2)「『おキレの角はケンケンケン ばけもの麦はザランザララ とんびトーロロトーロロトー、鎌(かま)のひかりは シンシンシン』」(宮沢賢治「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」『ポラーノの広場・P.196~197』新潮文庫 一九九五年)

(3)「『おキレの角はクンクンクン ばけもの麦はザック、ザック、ザ、からすカーララ、カーララ、カー 唐箕(とうみ)のうなりはフウララフウ』」(宮沢賢治「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」『ポラーノの広場・P.197』新潮文庫 一九九五年)

ところでネネムは奇術大一座の代表者らしき<ばけものテジマア>と会って話したわけだがテジマアは<ばけもの格>が高いらしい。上下関係が厳しい世界のようだ。どこかの世界と似ている。というよりまるで違わないかのように見える。

そんな<ばけもの世界>に青く光る三角な「サンムトリ」という山があった。活火山。ネネムは部下たちにいう。

「『僕(ぼく)の計算によると、どうしても近いうちに噴(ふ)き出さないといかんのだがな。何せ、サンムトリの底の瓦斯(ガス)の圧力が九十億気圧以上になってるんだ。それにサンムトリの一番弱い所は、八十億気圧にしか耐(た)えない筈(はず)なんだ。それに噴火をやらんというのはおかしいじゃないか』」(宮沢賢治「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」『ポラーノの広場・P.202』新潮文庫 一九九五年)

その時。

「向うのサンムトリの青い光がぐらぐらっとゆれました。それからよこの方へ少しまがったように見えましたが、忽(たちま)ち山が水瓜(すいか)を割ったようにまっ二つに開き、黄色や褐色(かっしょく)の煙(けむり)がぷうっと高く高く噴きあげました。それから黄金(きん)色の熔岩(ようがん)がきらきらきらと流れ出して見る間にずっと扇形(おうぎがた)にひろがりました」(宮沢賢治「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」『ポラーノの広場・P.202~203』新潮文庫 一九九五年)

第一の噴火。賢治独特の音声言語で書き表されるのはその音の響きだ。「ガーン、ドロドロドロドロドロ、ノンノンノンノン」。その直後に「風がどうっと」吹いていく。噴火にともなう自然界の循環もまた、そんなふうにいつも擬音語の組み合わせに変化を持たせて巧みに描きこまれる。第二、第三、第四の噴火を経てネネムたちは楽しくて仕方がない。歌い踊り出す。その歌詞にこうある。「青びかりの三角のサンムトリがたちまち火柱を空にささげる」。言い換えれば「火への信仰」というべきだろう。おそろしく遠く古代信仰を再現・回帰させる作者=賢治。彼は何を言いたがっているのか。しかしその時、ネムムはほんのわずかばかり足を踏み外してしまう。

「その時そうしたはずみか、足が少し悪い方へそれました。悪い方というのはクラレの花の咲いたばけもの世界の野原の一寸(ちょっと)うしろのあたり、うしろと云うよりは少し前の方でそれは人間の世界なのでした。『あっ。裁判長がしくじった』と誰(たれ)かがけたたましく叫んでいるようでしたが、ネネムはもう顔がカアンと鳴ったまままっ黒なガツガツした岩の上に立っていました」(宮沢賢治「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」『ポラーノの広場・P.208~209』新潮文庫 一九九五年)

目が覚めると<人間世界>にいるネネム。「峠(とうげ)」は今でいう「ヒマラヤ山脈」。仏教伝来ルートの一つ。

「実にそれはネパールの国からチベットへ入る峠(とうげ)の頂だったのです」(宮沢賢治「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」『ポラーノの広場・P.209』新潮文庫 一九九五年)

真っ白な雪で前方も後方も見えない。そこへ巡礼者が歩いてきた。ネネムは早く逃げないとと焦る。巡礼者たちはネネムを見つけるとわけのわからない呪文を唱え始めた。ネネムは気絶してしまう。ところが気づくと<ばけもの世界>に戻っている。<ばけもの部下>はいう。裁判長はたった今「空から落ちてきた」と。

「『ああ、ありがとう。もうどうもない。しかしとうとう僕は出現してしまった。僕は今日は自分を裁判しなければならない。ああ僕は辞職しよう。それからあしたから百日、ばけものの大学校の掃除(そうじ)をしよう。ああ、何もかもおしまいだ』」(宮沢賢治「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」『ポラーノの広場・P.210』新潮文庫 一九九五年)

こうして「永劫回帰」が実現される形式を取っている。作品「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」の完成形と言われる「グスコーブドリの伝記」にはこのようなシーンはない。「ブドリ」自身、始めから最後まで人間世界の人間の一人だ。なので一応、両者を切り離して考えることは十分可能である。そこで「銀河鉄道の夜〔初期形第三次稿〕」に登場する「ブルカニロ博士」の言葉についてほんの少し触れておこう。ジョバンニがカムパネルラとさよならした直後。

「さっきまでカムパネルラの座っていた席に黒い大きな帽子(ぼうし)をかぶった青白い顔の痩(や)せた大人がやさしくわらって大きな一冊の本をもっていました」(宮沢賢治「銀河鉄道の夜〔初期形第三次稿〕」『ポラーノの広場・P.375』新潮文庫 一九九五年)

という感じなのだが、一方「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」に登場する「フゥフィーボー博士」は講義の中でこう言っている。

「『げにも、かの天にありて濛々(もうもう)たる星雲、地にありてはあいまいたるばけ物律、これはこれ宇宙を支配す』」(宮沢賢治「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」『ポラーノの広場・P.168』新潮文庫 一九九五年)

あいまいたる「ばけ物律」が「宇宙を支配」している法則だというのである。その法則はどのような意味で用いられているのか。「銀河鉄道の夜〔初期形第三次稿〕」でブルカニロ博士は「ほんとうの考(かんがえ)とうその考とを分けてしまえばその実験の方法さえきまれば」、「信仰も化学と同じようになる」と確信している。

「『おまえはおまえの切符をしっかりもっておいで。そして一しんに勉強しなけぁいけない。おまえは化学をならったろう。水は酸素と水素からできているということを知っている。いまはだれだってそれを疑やしない。実験して見るとほんとうにそうなんだから。けれども昔(むかし)はそれを水銀と塩でできていると云ったり、水銀と硫黄(いおう)でできていると云ったりいろいろ議論したのだ。みんながめいめいじぶんの神さまがほんとうの神さまだというだろう、けれどもお互(たがい)ほかの神さまを信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれるだろう。それからぼくたちの心がいいとかわるいとか議論するだろう。そして勝負がつかないだろう。けれどももしおまえがほんとうに勉強して実験でちゃんとほんとうの考(かんがえ)とうその考とを分けてしまえばその実験の方法さえきまればもう信仰(しんこう)も化学と同じようになる』」(宮沢賢治「銀河鉄道の夜〔初期形第三次稿〕」『ポラーノの広場・P.375』新潮文庫 一九九五年)

それはしかし戦後も百年近く経つと単なる「理想」に過ぎないとして嘲笑されてしまう。だが資本主義の創成期を生きたヘーゲルは言っている。

(1)「理性的なものは現実的であり、そして現実的なものは理性的である」(ヘーゲル「法の哲学・上・序言・P.34」岩波文庫 二〇二一年)

(2)「現実性とは、本質と現存在との統一、あるいは内的なものと外的なものとの統一が、直接的な統一となったものである。現実的なものの発現は、現実そのものである。したがって現実的なものは、発現のうちにあっても、依然として本質的なものであるのみならず、直接的な外的現存在のうちにあるかぎりにおいてのみ本質的なものである。ーーー<補遺>人々は、普通、よく考えもしないで、現実と思想(正確に言えば、理念)とを対立させており、かくしてわれわれは人々がよく次のように言うのを聞く。すなわち、或る思想が正しく真理であることに異論はないが、しかしそうしたものは現実のうちには存在しない、あるいは、現実のうちにそれを実現することはできない、と。しかしこういう言い方をする人は、それによって、かれらが思想の本性をも現実の本性をも正しく把握していないことを証明しているのである。このような言い方においては、思想は主観的表象、計画、意図などと同じ意味に理解され、現実は外的な、感覚的な現存在と同じ意味に理解されている。カテゴリーおよびその表示を人々がそうまで厳密に考えていない日常生活においては、そうしたことも許されるであろう。例えば、或る税制計画(日常的には、此のようなものもイデーとよばれている)が、それ自身としては全くすぐれていて目的にかなっているが、いわゆる現実のうちには見出されず、また与えられた諸事情のもとでは実行できないというようなことも、もちろんおこりうるであろう。しかし抽象的な悟性が理念と現実という二つの規定をとらえて、その区別を動かすことのできない対立にまで高め、われわれはこの世界においては理念を頭から作り出さねばならないなどと言う場合には、われわれはこのような考え方を学問および健全な理性の名において決定的にしりぞけなければならない。なぜなら、一方において、理念はけっしてわれわれの頭脳のうちにのみあるものでもなく、またわれわれが勝手に実現したり、しなかったりできるような無力なものでもなく、絶対的に活動的なものであり、現実的なものであるからであり、他方、現実は、無思想な、あるいは、思惟をきらい、思惟の点では全く駄目になった実際家たちが考えるほど、悪くもなければ不合理でもないからである」(ヘーゲル「小論理学・下・第二部・本質論・一四二・P.81~83」岩波文庫 一九五二年)

さらに言語は、今のたいへん多くの政治家が考えているような甘ったれたものではまったくない。ニーチェはいう。

(1)「意欲とは私には何よりもまず或る《複合的なもの》で、ただ言葉としてのみ単純であるように思われる」(ニーチェ「善悪の彼岸・十九・P.35」岩波文庫 一九七〇年)

(2)「『統一』として意識されるにいたるすべてのものは、すでにおそろしく複合化している。私たちはつねに《統一の見せかけ》をもつにすぎない」(ニーチェ「権力への意志・下巻・四八九・P.33」ちくま学芸文庫 一九九三年)

(3)「意識にのぼってくるすべてのものは、なんらかの連鎖の最終項であり、一つの結末である。或る思想が直接或る別の思想の原因であるなどということは、見かけ上のことにすぎない。本来的な連結された出来事は私たちの意識の《下方で》起こる。諸感情、諸思想等々の、現われ出てくる諸系列や諸継起は、この本来的な出来事の《徴候》なのだ!ーーーあらゆる思想の下にはなんらかの情動がひそんでいる。あらゆる思想、あらゆる感情、あらゆる意志は、或る特定の衝動から生まれたものでは《なく》て、或る《総体的状態》であり、意識全体の或る全表面であって、私たちを構成している諸衝動《一切の》、ーーーそれゆえ、ちょうどそのとき支配している衝動、ならびにこの衝動に服従あるいは抵抗している諸衝動の、瞬時的な権力確定からその結果として生ずる。すぐ次の思想は、いかに総体的な権力状況がその間に転移したかを示す一つの記号である」(ニーチェ「生成の無垢・下巻・二五〇・P.148~149」ちくま学芸文庫 一九九四年)

マスコミで取り沙汰されている「新しい資本主義」とは一体なんなのか。

「現実がその形成過程をおえ、みずからを完成させてしまったあとになって、はじめて、哲学が世界についての《思想》として時間のなかに現れるのである。このことは概念が教えるところであるが、また必ず歴史が示すところでもあって、現実が成熟するなかで、はじめて理念的なものが実在的なものに対峙するかたちで現れ、そして、この理念的なものがこの世界を実体において把握し、これを知性の王国の形態へと形成するのである。哲学がみずからの灰色を灰色で描くとき、生の形態はすっかり古びたものになってしまっているのであり、灰色に灰色を重ねてみてもその形態は若返らず、単に認識されるにすぎない。ミネルヴァの梟は、夕暮れの訪れとともに、ようやく飛びはじめるのである」(ヘーゲル「法の哲学・上・序言・P.40」岩波文庫 二〇二一年)

ミネルヴァの梟(ふくろう)の意味すら知らない人々が議員になれる国。半日もかからない記者会見で用いるのような「言い回し」ですらすら語りきってしまえるような単純素朴なものであり得るわけがあるとでもいうのだろうか。不審感ばかりが深みへ深みへ増していきそうな気配なのだ。

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