あと一日を残して夏休みが終わる。達二は宿題を済ませたし、蟹(かに)も捕ったし、木炭(すみ)を焼く遊びもやった。もう飽きたと思い手持ちぶたさのようだ。そこで「家の前の檜(ひのき)」に寄りかかってぼうっと何か考えていた。すると、ついうとうとし始めた。達二の見る白日夢という形式で作品は進行する。
「(ああ、此の夏休み中で、一番面白(おもしろ)かったのはおじいいさんと一緒(いっしょ)に上の原へ仔馬(こうま)を連れに行ったのと、もう一つはどうしても剣舞(けんばい)だ。鶏(とり)の黒い尾を飾(かざ)った頭巾(ずきん)をかぶり、あの昔(むかし)からの赤い陣羽織(じんばおり)を着た。それから硬い板を入れた袴(はかま)をはき、脚絆(きゃはん)や草鞋をきりっとむすんで、種山剣舞練と大きく書いた沢山の提灯(ちょうちん)に囲まれて、みんなと町へ踊(おど)りに行ったのだ。ダー、ダー、ダースコ、ダー、ダー。踊ったぞ、踊ったぞ。町のまっ赤な門火の中で、刀をぎらぎらやらかしたんあ。楢夫(ならお)さんと一緒になった時などは、刀がほんとうにカチカチぶっつかった位だ。ホウ、そら、やれ、
むかし 達谷(たっこく)の 悪路王(あくろおう)、まっくらぁくらの二里の洞(ほら)、渡るは 夢(ゆめ)と 黒夜神(こくやじん)、首は刻まれ、朱桶(しゅおけ)に埋(う)もれ。
やったぞ。やったぞ。ダー、ダー、ダースコ、ダーダ、
青い 仮面(めん)この こけおどし、太刀(たち)を浴びては いっぷかぷ、夜風の 底の 蜘蛛(くも)おどり、胃袋(いぶくろ)ぅ はいて ぎったりぎたり。
ほう。まるでーー)」(宮沢賢治「種山ヵ原」『ポラーノの広場・P.224~225』新潮文庫 一九九五年)
ここで紹介されている「種山剣舞練(たねやまけんばいれん)」の歌詞は詩集「春と修羅」所収「原体剣舞連(はらたいけんばひれん)」とほとんど同じ。「剣舞(けんばい)」は岩手県に残る民俗芸能で、冒頭に「原体」や「種山」といった地名を冠して呼ぶためそれぞれ呼び名が少しずつ異なる。「原体村」なら「原体剣舞連」。「種山ヵ原」なら「種山剣舞練」というふうに。
檜に木にもたれかかって夢の中に入っていた達二はいきなりお母(っか)さんに呼ばれて我に帰る。すでに祖父と兄との二人は種山ヵ原の入口まで草刈りに出ている。達二は弁当を持って行き、牛を連れて草を食わせてきなさいとのこと。しかしそもそも「種山ヵ原」とはどんなところか。作品冒頭でこう紹介されている。
「種山(たねやま)ヵ原(はら)というのは北上(きたかみ)山地のまん中の高原で、青黒いつるつるの蛇紋岩(じゃもんがん)や、硬(かた)い橄欖岩(かんらんがん)からできています。高原のへりから、四方に出たいくつかの谷の底には、ほんの五、六軒ずつの部落があります。春になると、北上の河谷(かこく)のあちこちから、沢山(たくさん)の馬が連れて来られて、此(こ)の部落の人たちに預けられます。そして、上の野原に放されます。それも八月の末には、みんなめいめいの持主に戻(もど)ってしまうのです。なぜなら、九月には、もう原の草が枯(か)れはじめ水霜(みずしも)が下りるのです」(宮沢賢治「種山ヵ原」『ポラーノの広場・P.223』新潮文庫 一九九五年)
達二が種山ヵ原に着くと兄がやって来て、しばらくここで弁当でも食べていればいいという。どうも午後から曇り空になりそうなので兄たちはそれまでにさっさと草刈りを終えるつもりらしい。達二は言われるままに空を見ていると薄い雲がかかり始め風も出てきた。刈り残されている草は風の波を立てて天候の変化を伝える。その時どういうわけか「牛が俄(にわ)かに北の方へ馳せ出し」た。牛はどんどん北へ向かう。賢治作品では風であろうが人間であろうが「北方へ向かう」シーンがたいへん多い。なぜ北方なのか。というよりむしろ岩手県は東京から見れば始めから遠い「北方」として見られていたことを賢治自身がよく知っておりまた意識してもいたからに違いない。ともかく達二は走り出した牛を追いかけなければならない。そして草原の中へ入ってみると「かすかな路のようなもの」があるのを見つける。それを追って行くことにする。ところが思うようにはいかない。
「草の中には、牛が通った痕(あと)らしく、かすかな路のようなものがありました。達二は笑いました。そして、(ふん。なあに、何処(どこ)かで、のっこり立ってるさ)と思いました。そこで達二は、一生懸命それを跡(つ)けて行きました。ところがその路のようなものは、まだ百歩も行かないうちに、おとこえしや、すてきに背高の薊(あざみ)の中で二つにも三つにも別れてしまって、どれがどれやら一向わからなくなってしまいました。達二は思い切って、そのまん中を進みました。けれどもそれも、時々断(き)れたり、牛の歩かないような急な所を横様(よこざま)に過ぎたりするのでした。それでも達二は、(なあに、向うの方の草の中で、牛はこっちを向いて、だまって立ってるさ)と思いながら、ずんずん進んで行きました。空はたいへん暗く重くなり、まわりがぼうっと霞(かす)んで来ました。冷たい風が、草を渡りはじめ、もう雲や霧が、切れ切れになって眼(め)の前をぐんぐん通り過ぎて行きました。(ああ、こいつは悪くなって来た。みんな悪いことはこれから集(たか)ってやって来るのだ)と達二は思いました。全くその通り、俄に牛の通った痕は、草の中で無くなってしまいました」(宮沢賢治「種山ヵ原」『ポラーノの広場・P.229~230』新潮文庫 一九九五年)
ここで達二は<良いアイデア>を思いついたとしてそれを実行に移す。だが結果はまったく転倒した事態となって転がり出てきた。今度は間違うまいと逆方向を取るとしよう。すると次もまた意図したこととは逆の結果が出現する。このような事態はなぜ起こってくるのか。達二には奇妙な自負心がある。周辺環境については他人よりもよく心得ているはずだという自負心が。ヘーゲルはそれを「こころの法則と自負の狂気」と呼んでこう述べている。
「必然性が、自己意識において、真に何物であるかということは、自己意識のこの新しい形態が意識している。この形態においては、自己意識は自己自身にとって必然的なものである。自己意識は、一般者ないし法則を、《直接》〔無媒介に〕自己のうちにもっていると心得ており、この法則は、意識の自覚存在〔自独存在、対自存在〕のうちに、《直接》〔無媒介に〕存在しているという規定をもっているゆえ、《こころの法則》と呼ばれる。この形態は、前節に述べた形態のように、《自分だけで》の〔対自的、自覚的〕《個別性》という形で実在であるけれども、この《自独存在》〔自覚存在、対自存在〕が、必然的であり、一般的であると見られている規定のため、それだけで前の場合より豊かになっている。
こうして、直接自己意識自身のものであるような法則が、言いかえれば、こころでありながらも、法則を自分にもっているものが、自己意識の実現しようとしている《目的》である。そこで考えるべきことは、自己意識の実現が、その概念に一致するかどうか、またこの実現において、自己意識が、この自らの法則を本質として経験するかどうか、ということである。
このこころには、一つの現実が対立している。というのは、こころのうちでは、法則は、やっと《自分だけ》〔対自的、自覚的、自独的〕のものとなっただけであって、まだ実現されてはいないし、したがって、同時に、概念とは《別の》ものであるからである。このため、この他者は、実現さるべきものに対立するものであり、したがって、《法則と個別性の矛盾》であるところの現実として、規定される。だから、この現実は、一方では、個別の個〔人〕性が抑圧される法則であり、こころの法則に矛盾する世間という、暴力的な秩序である。が他方では、この秩序のもとに悩んでいる人間である。そのとき人間は、こころの法則に従っているのではなく、見知らぬ必然性に従属しているのである。ーーーすでに明らかなように、意識の現在の形態に、《対立して》いるように見えるこの現実は、個〔人〕性とその真実態が、分裂しているという前節の関係に、すなわち個〔人〕性を抑圧している残酷な必然性の関係に、ほかならない。だから、《われわれから見れば》、前の運動は、この新しい形態とよき対照をなしていることになる。というのも、この新しい形態は、自体的には前の運動から発したものであり、新しい形態を由来させる契機は、この形態から見れば、当然のことだからである。けれどもこの契機は、この形態にとっては、《見つけられたもの》という形で現われる。というのは、この形態は、自分の由来した《根源》については、何も意識をもっていないし、この形態が本質だと思っているのは、むしろ《自分自身だけで》〔対自的、自覚的、自独的〕あること、言いかえれば、肯定的自体に対する否定であるからである。
だから、こころの法則に矛盾するこの必然性を、また、この必然性のために現に起っている悩みを、廃棄すること、これがこの場合の個〔人〕性の目指していることである。したがって、この個〔人〕性は、個別的な快を求めている前の形態のように、軽率な態度をもはやとるものではなく、まじめな態度で、高い目的を求めるのである。そのまじめな態度は、個〔人〕性自身の《すぐれた》本質をのべることに、また《人類の幸福》〔シラー『群盗』の主人公カール・モールの言参照〕をつくり出すことに、自らの快を求めている。個〔人〕性が実現するものは、法則ですらあり、したがってその快は、同時に、すべてのこころがあまねく感ずる快である。快と法則は、この個〔人〕性にとっては、《分離》したものでは《ない》。その快は法則にかなっている。あまねく人類の法則を実現することは、個〔人〕性の個別的な快を準備することである。なぜならば、個〔人〕性の内部では、個〔人〕性と必然は《そのまま》一つであり、法則とは、こころの法則のことであるからである。個〔人〕性はまだ自分の立場を脱していないし、個〔人〕性と必然性を媒介する運動によって、さらにまた訓練によって、両者の統一が成しとげられるのでもない。直接的で《不作法な》〔訓練を受けていない〕本質を実現することが、あるすぐれたことをのべることだ、と考えられ、人類の幸福をもたらすことだ、と考えられているのである。
ところが、こころの法則に対立するような法則は、こころから分離しており、自分だけで自由である。この法則に従う人類は、法則とこころとの幸福な統一のうちに、生きているのではなく、おぞましい分裂と悩みのうちに生きているか、もしくは、法則に《従う》ときには、少なくとも《自己自身》のよろこびを欠き、そして、この法則に《背く》ときには、自己がすぐれたものだという意識をもてずに生きているのである。そういう暴力的な神的秩序や人間的秩序は、こころとは離れたものであるから〔『群盗』〕、こころからみれば一つの《仮象》であり、その法則になおまだくっついているもの、つまり暴力と現実とは、当然消さるべきものである。なるほど秩序がその《内容》の点で、たまたまこころの法則と一致することは、あるかもしれない。その場合には、こころがその秩序を認めるかもしれない。だが、こころにとって本質的なものは、純粋にそのままで、合法的なものなのではなく、こころがそこで、《自己自身》を意識することであり、そこで、《自ら》満足したつもりでいるということである。だが、一般的必然性の内容は、こころと一致しないときには、その内容から言っても、それ自体何物でもなく、こころの法則に、席を譲らねばならないことになる。
そういうわけで、個人はこころの法則を《遂行》する。つまり、こころが《一般的秩序》となり、快が、一つの絶対的に合法的な現実となる。だが、こうして実現されるとき、実際には、こころのこの法則は、個人から逃げ去ってしまっており、それはそのまま、本来ならば、廃棄さるべきであったような、当の関係になっているにすぎない。こころの法則は、実現されるというまさにそのことによって、《こころ》の法則であることを止める。なぜならば、そのとき法則は、《存在》という形式をとり、そこで《一般的な》威力にはなる、が、この威力に対し、《この》こころは無関心であるため、個人は、《自分自身の》秩序を《かかげ》ながらも、もはや、それが自分のものであることに、気づかないからである。それゆえ自己の法則を実現することによって個人は、《自らの》法則をもたらすのではない。秩序は、自体的には、個人自身のものであるけれども、自覚的には、個人に縁なきものであるため、そこに起ってくることは、現実の秩序のなかにまきこまれること、しかも自分にとって縁なきものであるだけでなく、敵対的でもある、圧倒的威力でさえあるような秩序のなかに、まきこまれることにほかならない。──個人は、自ら行なうことによって、存在する現実という一般的な場〔境位〕の《なか》に入る、あるいはむしろ、一般的場〔境位〕《として》自らを立てる、そこで個人の行為の結果は、それ自身、個人の気持からすれば、一般的秩序という価値をもっているはずである。だがこのために、個人は自分を自分自身から《解放》してしまったことになり、自分で一般性として成長し、個別性からは純化される。個人は、一般性を、自分の直接的な自独存在〔対自存在、自覚存在〕という形でしか、認めようとしない。だからこの個人は、一般性が自分の行為であるため、同時に自分が一般性のものであるのに、この個人から放たれた一般性のうちに、自分を認めはしない。それゆえ個人の行為は、一般的秩序に《矛盾する》という、逆の意味をもっている。というのは、個人の行為の結果は、《自らの》個別的なこころの行為の結果であるはずであって、個に関わりのない、一般的な現実であるはずではないからである。しかもそれと同時に、行為は実際には現実を《承認》してしまってもいる。なぜなら、行為は、自らの本質を、《自由な現実》として立てるという意味をもっている、すなわち、現実を自らの本質として承認するという意味を、もっているからである。
個人は、自らを帰属させた現実の一般性が、自分に背くという在り方を、自らの行為という概念によって、一層詳しく規定したことになる。個人の行為の結果は、《現実》としては、一般者のものであるけれども、その内容から言えば、個人自身の個別性であり、この個別性は、一般者に対立したこの《個々の》個別性として、自らを保とうとしている。いま問題となっているのは、ある一定の法則をかかげることではない。そうではなく、個々のこころと一般性とが、そのままで一つになることは、高まって法則となり、妥当すべきことであるという、思想なのである。つまり、法則であるもののうちに、《各々のこころ》が《自己》自身を認めねばならない、という思想なのである。とはいえ、この個人のこころだけが、その現実を自らの行為の結果のうちに、立てたのであるから、その行為の結果は、個人からみれば、《自分の自独存在》〔対自存在、自覚存在、自立存在〕、つまり《自分の快》なのである。この行為は、そのままで一般者として通用すべきだという。すなわち、ほんとうのことを言えば、行為の結果は特殊なものであり、ただ一般性という形式をもっているにすぎない。つまり、その《特殊な》内容が、《そのままで》一般的なものと認めらるべきである、というのである。だから、この内容のうちに、他人たちは、自分たちのこころの法則を見つけはしない。むしろ、自分たちとは《別の人の》こころが、実現されていることに気がつく。法則であるもののなかに、各人は自分のこころを見つけるべきである、という一般的法則に従って、他人たちは、その《個人》のかかげた現実を、自分たちのものとは逆であると言い、また個人は、他人の現実を、自分のとは逆だと言うのである。だから個人は、初めは、固定した法則だけが、自分のすぐれた意図に反対のもので、いとうべきものだと気がついたのだが、いまとなっては、人間どもの諸々のこころそのものがそうなのだと、気がついたのである〔『群盗』〕。
これまでのべた意識は、一般性がまだやっと《直接的》なものであり、必然性が《こころ》の必然性であると、知っているにすぎない。そのためこの意識は、そういうものの実現と効果の本性を知っていない。つまり、一般性や必然性が《存在者》であって、その真の姿はむしろ《自体的一般者》であり、そこでは、一般性や必然性に信頼を置いている個別的意識が、《この》直接的な《個別性》で《ある》ためには、むしろ亡びるものだということを、この意識は知っていない。この意識が直接的個別性という存在のなかで手に入れるのは、この《自らの存在》ではなくて、《自己自身》の疎外なのである。だが、意識に自分を認めさせないのは、もはや死んだ必然性ではなく、一般的個人性によって命を与えられた必然性である。意識は、神の秩序と人間の秩序を、妥当なものではあるが、一つの死んだ現実と考えた。意識は自分だけで〔対自的に〕存在し、一般者には対立するこころとして、自分を固定させるのであるが、いま言った現実にあっては、この意識自身も、この現実のものである人々も、ともに自分自身の意識をもっていなかったのである。だがいま意識は、この秩序がむしろ万人の意識によって命を与えられており、万人のこころの法則であることに気がつく。意識は、現実が命のある秩序であることを、経験すると同時に実際には、意識が自分のこころの法則を実現することによってこそ、そうなるのだと経験する。なぜならば、このことは、個〔人性〕が、一般者として、自分の対象となりながらも、そのとき自分を認識しない、ということにほかならないからである。
こうして、自己意識のこの形態に、その経験の結果、真理として生まれるものは、この形態が、《自覚的》にそうあるものとは、《矛盾》している。だが、この形態が自覚的にそうあるものは、それ自身、この形態からみれば、絶対的普遍性という形式をもっており、それは、《自己意識》と無媒介〔直接的に、そのまま〕に一つであるこころの法則である。それと同時に、存立し生きている秩序は、やはり自己意識《自身の本質》であり、仕事である。自己意識の生み出すものは、この秩序にほかならない。だから、秩序もやはり、自己意識と無媒介に統一されている。こういうわけで自己意識は、二重の対立した実在に帰属するため、自己自身で矛盾しており、最も内面的なところで、混乱に陥っている。《この》こころの法則は、自己意識に自分自身を認識させるものにほかならない。だが、一般的な妥当する秩序は、例の法則を実現した結果、自己意識にとっては自分自身の《本質》となり、自分自身の《現実》となったのである。だから、己れの意識のうちでは矛盾しているものも、ともに、自己意識にとっての〔自覚的な〕本質であり、己れ自身の現実であるという、形式をとった姿であることになる。
自己意識は、自分の意識的な没落というこの契機を語り、そこに、自らの経験の結果があることを語る。そのとき自己意識は、自らが自己自身の内的転倒であり、意識の狂乱であることを表わす。この意識にとっては、その本質はそのまま非本質であり、その現実はそのまま非現実である。ーーー狂気と言ったが、それは次のように考えられてはならない。つまり、一般的に言って、本質のないものが本質的だと考えられ、現実的でないものが現実だと考えられ、その結果、ある人にとっては、本質的または現実的であるものが、他人にとっては、そうではないとか、現実の意識と非現実の意識、本質と非本質の意識が、ばらばらになってしまうとか、いうふうであってはならない。ーーーつまり、あることが実際に意識一般にとっては、現実的であり、本質的であるが、私にとってはそうではないとすれば、私は、自ら意識一般なのであるから、そのことの空しさを意識すると同時に、それが現実であることをも意識している。ーーーしかも両者がともに固定しているとすれば、これは、一般に狂気と言われるような統一である。しかし、この狂気において狂っているのは、意識にとっての一つの《対象》だけであって、それ自身における、またそれ自身としての、意識そのものではない。だが、ここに起ってきた経験の結果から言えば、意識は、自らの法則のうちに、この現実的なものとしての《自己自身》を、意識していることになる。そして同時に、意識にとっては、この同じ本質、この現実こそは、《疎外された》ものなのであるから、意識は、自己意識として、絶対的な現実として、自己の非現実を意識している。言いかえれば、両側面は、その矛盾によって、そのままに《意識の本質》と見られることになり、したがってこの本質は、その最も深いところで狂っていることになる。
だから人類の福祉を願って脈うつこころは、狂った自負の狂暴へと、自己の破滅に逆らって、身を保とうとする意識の狂熱へと移って行く。そうなるのは、意識が自分自身の姿である転倒を、自分の外に投げ出して、この転倒をどこまでも自分とは別のものと見なし、言い張るためである。だから、一般的秩序は、こころとこころの幸福との法則を、転倒させるものであるが、それは、狂信的な僧侶や飽食した暴君や、この両方から受けた屈辱を、自分より下のものを辱(はずか)しめ抑圧することによって、つぐなっている両者の僕やなどによって、捏造されたものであり、いつわられた人類の、名づけようもない不幸のために、使われたものであると、意識は言明する。ーーー意識は、このような狂乱状態にいながら、《個人》性がこの狂いをひき起し、転倒しているのだと、言明はするものの、その個人性は《他人》のものであり、《偶然》であるとするのである。しかし、こころ、言いかえれば、《そのままで一般的であろうとする、意識の個別状態》は、このように、狂いをひき起し転倒したものそのものであり、その行為が生み出すものは、この矛盾が《自分の》意識になるということにほかならないのである。なぜならば、このこころにとって真実であるものは、こころの法則であり、ーーーこの法則は、ただ《思いこまれた》だけのものであるが、これは存立している秩序のように、日の光に堪えたものではなく、日の光に出会うときには、むしろ亡びるものだからである。こころのこの法則は、《現実》となるはずであった。この点から言えば、こころにとって法則は、《現実》であり、《妥当する秩序》であるため、同時に目的であり本質である。だがこころにとっては、《現実》すなわち、ほかならぬ《妥当する秩序》としての法則は、むしろそのまま空しいものである。ーーーこれと同じように、こころ《自身の》現実は、つまり意識の個別態である《こころ自身》が、こころにとって本質である。けれども、この個別態を《存在する》ものとして立てることが、こころの目的である。だから、こころにとっては、直接的には、むしろ個別的ならぬものであるこころの自己が、本質である、つまり目的であることになる。が、それは法則として、まさにこの点で、こころがその意識自身に対してあるような一般性としてのことである。ーーーこのようなこころの概念は、自らの行為によって一つの対象となる。こころは己れの自己を、むしろ非現実的なものとして経験する、そして、非現実を、自らの現実として経験する。だから、偶然の見知らぬ個人性がではなく、まさにこのこころこそが、あらゆる側面から、自らのうちで転倒したものであり、転倒して行くものである。
しかし直接的に〔無媒介に〕一般的な個人性は、転倒したものであり、転倒して行くものであるから、この一般的秩序も、それ自体には転倒したものである。というのも、一般的秩序は万人の《こころ》の、すなわち転倒したものの法則だからである。以上のことは、荒れ狂う狂乱が言明したことである。一方では、あるこころの法則が別の個人たちに出会い、抵抗を受けることに気がつくとき、一般的秩序は、万人のこころの《法則》であることがわかる。現に存立している法則が、ある個人の法則に対して護られるのは、それらの法則が、意識されず空しい、死んだ必然性であるからではなく、精神的一般性であり、実体であるからである。この実体においては、この一般性を自らの現実としている人々が、個人として生きており、自己自身を意識している。そのためこの人々は、この秩序が、自分たちの内的法則に、背くかのように言って不平をならし、こころの思いこみを、秩序に対抗させることがあっても、実際には、自分たちの本質としての秩序に、こころからよりかかっており、この秩序が、自分たちから取り去られたり、自分たち自身が、秩序の外に出たりする場合には、すべてを失ってしまう。この点にこそ、公の秩序の現実と威力があるのだから、この秩序は、自己同一的であまねく命を与えられた本質として、また個人性は、その秩序の形式として、現われることになる。ーーーしかしながら、この秩序とても、やはり転倒したものである。
なぜならば、この秩序が万人のこころの法則であり、すべての個人が、そのままでこの一般者であるという点で、秩序は一つの現実ではあるが、ただこの現実は、《自分だけで》〔対自的に〕《存在する》個人性の、つまり、こころの現実であるに止まるからである。だから、自分のこころの法則をかかげる意識は、他人から抵抗される。というのも、この法則は、他人たちのこころの、やはり個別的な諸々の法則に、矛盾するからであり、他人たちが抵抗する場合に行うことは、その人たちが自分の法則をかかげ、それを認めさせることに、ほかならないからである。だから、現存する《一般者》は、一般的な抵抗であり、万人相互の戦い〔ホッブス〕であるにすぎない。この場合各人は、自分自身の個別性を主張するが、また同時に、それを主張しおおせるところまでは行かない。というのは、個別性は、同じように抵抗に出会い、他人によって互いに消されてしまうからである。公の《秩序》と見えるものは、だから、あまねき戦いである。このとき各人は、自分のできることを独占し、他人の個別性に正義を無理おしして、自分の正義を固定させるが、それと同時に、この正義は、他人から消されてしまう。この秩序は《世の中〔の習い〕》であり、永続する行程のように見える。ただしそれは《思いこまれた一般》にすぎないし、その内容は、むしろ個別性を固定させるとともに、解消するような、本質なき遊戯であるにすぎない」」(ヘーゲル「精神現象学・上・理性・理性的自己意識の自己自身による実現・P.416~428」平凡社ライブラリー 一九九七年)
そんなふうに、例えばこの種の空転を繰り返してしまう実例は、どれがどの国であっても、とりわけ政治の世界でよく見かけることができる。軍事にせよ経済にせよ、与野党ともに自分たちが「良かれと思って」<人類の福祉を願って脈うつこころ>を発揮すればするほど転がり出てくる結果は転倒に転倒を繰り返すばかりというケース。もう「見飽きた」というべきかもう「沢山だ」と憤怒・落胆すべきか。諦めに満ちた溜め息ばかり落としそうになってしまう。
さて達二は路がなくなったため慌てて祖父や兄のいる場所へ戻ろうと引き返した。だが路を間違える。底の知れない「大きな谷」が眼前に出現すると同時に周囲の草木がざわざわと不気味な音を立てる。
「達二は早く、おじいさんの所へ戻ろうとして急いで引っ返しました。けれどもどうも、それは前に来た所とは違(ちが)っていたようでした。第一、薊があんまり沢山ありましたし、それに草の底にさっき無かった岩かげが、度々ころがっていました。そしいてとうとう聞いたこともない大きな谷が、いきなり眼の前に現われました。すすきが、ざわざわっと鳴り、向うの方は底知れずの谷のように、霧の中に消えているではありませんか」(宮沢賢治「種山ヵ原」『ポラーノの広場・P.231』新潮文庫 一九九五年)
とっとと引き返そうとするが、ついさっきも引き返そうと走ったところにこの「大きな谷」が出現したのではなかったか。ところが次に出た場所はまた違っている。次の文章に「てっぺんの焼けた栗(くり)の木」とあるのは落雷で焼け焦げた痕跡。「種山ヵ原」辺りは地理的諸条件が重なって起きる落雷密集地域として有名だった。
「小さな黒い道が、いきなり草の中に出て来ました。それは沢山の馬の蹄(ひづめ)の痕で出来上っていたのです。達二は、夢中で、短い笑い声をあげて、その道をぐんぐん歩きました。けれども、たよりのないことは、みちのはばが五寸ぐらいになったり、又三尺ぐらいに変ったり、おまけに何だかぐるっと廻っているように思われました。そして、とうとう、大きなてっぺんの焼けた栗(くり)の木の前まで来た時、ぼんやり幾(いく)つにも岐(わか)れてしまいました」(宮沢賢治「種山ヵ原」『ポラーノの広場・P.231~232』新潮文庫 一九九五年)
疲れが見え始めた達二。また路を引き返すことにする。霧の中に何か見えるので家かと思って近づくと黒い巨石だったする。幻想的な夢遊状態のうちに誰が言ったのかまったくわからない声を聞く。
「空が光ってキインキインと鳴っています。それからすぐ眼の前の霧の中に、家の形の大きな黒いものがあらわれました。達二はしばらく自分の眼を疑って立ちどまっていましたが、やはりどうしても家らしかったので、こわごわもっと近寄って見ますと、それは冷たい大きな黒い岩でした。空がくるくるっと白く揺(ゆ)らぎ、草がバラッと一度に雫を払(はら)いました。(間違って原を向う側へ下りれば、もうおらは死ぬばかりだ)と達二は、半分思う様に半分つぶやくようにしました。それから叫びました。『兄(あぃ)な、兄な、居るが。兄な』。又明るくなりました。草がみな一斉(いっせい)に悦(よろこ)びの息をします。『伊佐戸(いさど)の町の、電気工夫の童(わらす)ぁ、山男に手足ぃ縛(しば)らえてたふうだ』といつか誰(たれ)かの話した語(ことば)が、はっきり耳に聞えて来ます。そして、黒い路が、俄に消えてしまいました。あたりがほんのしばらくしいんとなりました。それから非常に強い風が吹(ふ)いて来ました。空が旗のようにぱたぱた光って翻(ひるが)えり、火花がパチパチパチッと燃えました。達二はいつか、草に倒れてしました」(宮沢賢治「種山ヵ原」『ポラーノの広場・P.232~233』新潮文庫 一九九五年)
気づくと今度はみんなと「たそがれの県道」を歩いている。
「橙(だいだい)色の月が、来た方の山からしずかに登りました。伊佐戸の町で燃す火が、赤くゆらいでいます。『さあ、みんな支度はいいが』誰かが叫びました」(宮沢賢治「種山ヵ原」『ポラーノの広場・P.233』新潮文庫 一九九五年)
なんの「支度」だろうか。剣舞(けんばい)である。ひとしきり剣舞に熱中している達二の姿が描かれる。それも束の間、光景はがらりと変わる。
「月が俄(にわ)かに意地悪い片眼になりました。それから銀の盃(さかずき)のように白くなって、消えてしまいました。(先生の声がする。そうだ。もう学校が始まっているのだ)と達二は思いました。そこは教室でした。先生が何だか少し痩(や)せたようです」(宮沢賢治「種山ヵ原」『ポラーノの広場・P.235』新潮文庫 一九九五年)
ここで二点ばかり或る種のおかしな転倒が見られる。(1)は教師と生徒との対話で金銭に関する。達二は決して金を受け取ってなどいないと証言する。しかしなぜわざわざ証言しなくてはならないのか。
(1)「『楢夫さん。あなたはお休みの間に、何が一番楽しかったのですか』。『剣舞(けんばい)です』。『剣舞をあなたは踊ったのですか』。『そうです』。『どこでですか』。『伊佐戸やあちこちです』。『そうですか。まあよろしい。お座(すわ)りなさい。みなさん。外にも剣舞に出た人はありますか』。『先生、私も出ました』。『先生、私も出ました』。『達二さんもそうですか。よろしい。みなさん。剣舞は決して悪いことではありません。けれども、勿論(もちろん)みなさんの中にそんな方はないでしょうが、それでお銭(あし)を貰(もら)ったりしてはなりません。みなさんは、立派な生徒ですから』。『先生。私はお銭を貰いません』。『よろしい。そうです。それからーーー』。達二は、眼を開きました。みんな夢でした」(宮沢賢治「種山ヵ原」『ポラーノの広場・P.236~237』新潮文庫 一九九五年)
次に二点目。「可愛(かあい)らしい女の子」に声をかけられた達二。辺り一面霧に包み込まれている状況でのエピソード。そしてその甘い夢をいきなりぶち壊しにするのは唐突に夢に出てくる母の声だ。
(2)「『おいでなさい。いいものをあげましょう。そら。干した苹果(りんご)ですよ』。『ありがど、あなたはどなた』。『わたし誰でもないわ。一緒(いっしょ)に向うへ行って遊びましょう。あなた驢馬(ろば)を有(も)っていて』。『驢馬は持ってません。只(ただ)の仔馬ならあります』。『只の仔馬は大きくて駄目(だめ)だわ』。『そんなら、あなたは小鳥は嫌(きら)いですか』。『小鳥。わたし大好きよ』。『あげましょう。私はひわを有っています。ひわを一疋(ぴき)あげましょうか』。『ええ。欲しいわ』。『あげましょう。私今持って来ます』。『ええ、早くよ』。達二は、一生懸命、うちへ走りました。美しい緑色の野原や、小さな流れを、一心に走りました。野原は何だかもくもくして、ゴムのようでした。達二のうちは、いつか野原のまん中に建っています。急いで籠(かご)を開けて、小鳥を、そっとつかみました。そして引っ返そうとしましたら、『達二、どこさ行く』と達二のおっかさんが云いました」(宮沢賢治「種山ヵ原」『ポラーノの広場・P.237~238』新潮文庫 一九九五年)
この二種類の罪の意識には夢という形式を取って出現した「原因と結果との取り違え」が見られる。ニーチェはいう。
「そのほかにも狂気がある。それは行為の《まえ》の狂気である。ああ、君たちはそのような狂気をもった魂の奥に十分深く穿(うが)ち入ることがなかったのだ」(ニーチェ「ツァラトゥストラ・第一部・青白い犯罪者・P.57」中公文庫 一九七三年)
それについてフロイトはこう述べている。
「ひどく逆説的に聞こえるかもしれないが、私はこう主張せざるをえない、つまり、罪の意識のほうが犯行よりも前に存在していたのである。罪の意識が犯行から生じたのではなく、逆に、犯行が罪の意識から生じたのだ、と。だから、これらの犯罪者たちを、罪の意識からの犯罪者と名づけることは、きわめて正しいことだと思う」(フロイト「精神分析的研究からみた二、三の性格類型」『フロイト著作集6・P.134』人文書院 一九七〇年)
また(1)の場合、剣舞でも一緒だった「楢夫(ならお)」という名前が出てきているが、その名は作品「ひかりの素足」に登場する兄弟のうち、季節外れの暴風雪の中で死ぬことになる「楢夫(ならお)」と同名である。賢治作品の中に限り、それは<非業の死の象徴>として選ばれた名なのだ。そしてさらに風が吹き空はすでに暗く銀色に変わっている。達二はまたしても「うとうと」してしまう。次のシーンはこうだ。
「山男が楢(なら)の木のうしろからまっ赤な顔を一寸(ちょっと)出しました。(なに怖い(こわ)いことがあるもんか)。『こりゃ、山男、出はって来(こ)。切ってしまうぞ』。達二は脇差(わきざ)しを抜いて身構えました。山男がすっかり怖がって、草の上を四つん這(ば)いになってやって来ます。髪(かみ)が風にさらさら鳴ります。『どうか御免御免(ごめごめ)。何(な)じょなことでも為(さ)んす』。『うん。そんだら許してやる。蟹(かに)を百疋捕(と)って来(こ)』。『ふう。蟹を百疋。それ丈(だ)けでようがすかな』。『それがら兎(うさぎ)を百疋捕って来(こ)』。『ふう。殺して来てもようがすか』。『うんにゃ。わがんなぃ。生ぎだのだ』。『ふうふう。かしこまた』。油断をしているうちに、達二はいきなり山男に足を捉(つか)まれて倒されました。山男は達二を組み敷いて、刀を取り上げてしまいました。『小僧。さあ、来(こ)。これから俺(お)れの家来だ。来う。この刀はいい刀だな。実に焼きをよぐかげである』。『ばか。奴(うな)の家来になど、ならなぃ。殺さば殺せ』。『仲々ず太いやづだ。来(こ)ったら来(こ)う』。『行がない』。『ようし、そんだらさらって行ぐ』。山男は達二を小脇(こわき)にかかえました。達二は、素早く刀を取り返して、山男の横腹をズブリと刺(さ)しました。山男はばたばた跳ね廻って、白い泡(あわ)を沢山吐(は)いて、死んでしまいました」(宮沢賢治「種山ヵ原」『ポラーノの広場・P.239~240』新潮文庫 一九九五年)
小説では「山男」とされているけれどもこの場合は明らかに<山人>を指しているに違いない。賢治は地元に根強く残る山人伝説にも大いに関心があった。柳田國男経由だが<童話・童謡>という限られた枠内であっても二つに区別して描いている。「種山ヵ原」の場合の山人と対極に位置するもう一つの山人は「祭の晩」に代表されている。
「その時、表の方で、どしんがらがらがらっと言う大きな音がして、家が地震の時のようにゆれました。亮二は思わずお爺さんにすがりつきました。お爺さんは少し顔色を変えて、急いでラムプを持って外に出ました。亮二もついて行きました。ラムプは風のためにすぐ消えてしまいました。その代り、東の黒い山から、大きな十八日の月が静かに登って来たのです。見ると家の前の広場には、太い薪が山のように投げ出されてありました。太い根や枝までついた、ぼりぼりに折られた太い薪でした。お爺さんはしばらく呆(あき)れたように、それをながめていましたが、俄かに手を叩(たた)いて笑いました。『はっはっは、山男が薪をお前に持って来て呉れたのだ。俺(おれ)はまたさっきの団子屋にやるという事だろうと思っていた。山男もずいぶん賢いもんだな』。亮二は薪をよく見ようとして、一足そっちへ進みましたが、忽(たちま)ち何かに滑ってころびました。見るとそこらいちめん、きらきらきらきらする栗の実でした。亮二は起きあがって叫びました。『おじいさん、山男は栗も持って来たよ』。お爺さんもびっくりして言いました。『栗まで持って来たのか。こんなに貰(もら)うわけには行かない。今度何か山へ持って行って置いて来よう。一番着物がよかろうな』。亮二はなんだか、山男がかあいそうで、泣きたいようなへんな気持になりました。『おじいさん。山男はあんまり正直でかあいそうだ。僕何かいいものをやりたいな』。『うん、今度夜具(やぐ)を一枚持って行ってやろう。山男は夜具を綿入の代りに着るかもしれない。それから団子(だんご)も持って行こう』。亮二は叫びました。『着物と団子だけじゃつまらない。もっともっといいものをやりたいな。山男が嬉(うれ)しがって泣いてぐるぐるまわって、それから、からだが天に飛んでしまう位いいものをやりたいなあ』」(宮沢賢治「祭の晩」『風の又三郎・P.243~244』新潮文庫 一九八九年)
助けてもらったお返しの質も量も著しく均衡を欠いている。このことは山人が平地人とはまた異なった生活条件のもとで暮らしていることを物語る貴重な資料でもある。さて、達二だが、次々と場面転換していく<幻覚>と呼んでもよいような<白日夢>を見たということができるだろう。ニーチェは夢についてこういっている。
「われわれはみな夢の中ではこの未開人に等しい、粗雑な再認や誤った同一視が夢の中でわれわれの犯す粗雑な推理のもとである。それでわれわれは夢をありありと眼前に浮べてみると、こんなにも多くの愚かさを自分の中にかくしているのかというわけで、われながらおどろく。ーーー夢の表象の実在性を無条件に信じるということを前提にすると、あらゆる夢の表象の完全な明瞭さは、幻覚が異常にしばしばあって時には共同体全体・民族全体を同時に襲った昔の人類の諸状態を、われわれにふたたび思い出させる。したがって、眠りや夢の中でわれわれは昔の人間の課業をもう一度経験する」(ニーチェ「人間的、あまりに人間的1・一二・P.36」ちくま学芸文庫 一九九四年)
達二はそれを日中、「家の前の檜(ひのき)」にもたれかかってから「種山ヵ原」の一角で発見されるまでの間に見ている。子どもの場合は今なおしばしば観察される現象なのだが、宮沢賢治が活躍した大正から昭和初期にかけて、この種の夢を見る子どもたちはもっと多かったのかもしれない。自然が今より遥かに身近にあった頃の話である。
BGM1
BGM2
BGM3
「(ああ、此の夏休み中で、一番面白(おもしろ)かったのはおじいいさんと一緒(いっしょ)に上の原へ仔馬(こうま)を連れに行ったのと、もう一つはどうしても剣舞(けんばい)だ。鶏(とり)の黒い尾を飾(かざ)った頭巾(ずきん)をかぶり、あの昔(むかし)からの赤い陣羽織(じんばおり)を着た。それから硬い板を入れた袴(はかま)をはき、脚絆(きゃはん)や草鞋をきりっとむすんで、種山剣舞練と大きく書いた沢山の提灯(ちょうちん)に囲まれて、みんなと町へ踊(おど)りに行ったのだ。ダー、ダー、ダースコ、ダー、ダー。踊ったぞ、踊ったぞ。町のまっ赤な門火の中で、刀をぎらぎらやらかしたんあ。楢夫(ならお)さんと一緒になった時などは、刀がほんとうにカチカチぶっつかった位だ。ホウ、そら、やれ、
むかし 達谷(たっこく)の 悪路王(あくろおう)、まっくらぁくらの二里の洞(ほら)、渡るは 夢(ゆめ)と 黒夜神(こくやじん)、首は刻まれ、朱桶(しゅおけ)に埋(う)もれ。
やったぞ。やったぞ。ダー、ダー、ダースコ、ダーダ、
青い 仮面(めん)この こけおどし、太刀(たち)を浴びては いっぷかぷ、夜風の 底の 蜘蛛(くも)おどり、胃袋(いぶくろ)ぅ はいて ぎったりぎたり。
ほう。まるでーー)」(宮沢賢治「種山ヵ原」『ポラーノの広場・P.224~225』新潮文庫 一九九五年)
ここで紹介されている「種山剣舞練(たねやまけんばいれん)」の歌詞は詩集「春と修羅」所収「原体剣舞連(はらたいけんばひれん)」とほとんど同じ。「剣舞(けんばい)」は岩手県に残る民俗芸能で、冒頭に「原体」や「種山」といった地名を冠して呼ぶためそれぞれ呼び名が少しずつ異なる。「原体村」なら「原体剣舞連」。「種山ヵ原」なら「種山剣舞練」というふうに。
檜に木にもたれかかって夢の中に入っていた達二はいきなりお母(っか)さんに呼ばれて我に帰る。すでに祖父と兄との二人は種山ヵ原の入口まで草刈りに出ている。達二は弁当を持って行き、牛を連れて草を食わせてきなさいとのこと。しかしそもそも「種山ヵ原」とはどんなところか。作品冒頭でこう紹介されている。
「種山(たねやま)ヵ原(はら)というのは北上(きたかみ)山地のまん中の高原で、青黒いつるつるの蛇紋岩(じゃもんがん)や、硬(かた)い橄欖岩(かんらんがん)からできています。高原のへりから、四方に出たいくつかの谷の底には、ほんの五、六軒ずつの部落があります。春になると、北上の河谷(かこく)のあちこちから、沢山(たくさん)の馬が連れて来られて、此(こ)の部落の人たちに預けられます。そして、上の野原に放されます。それも八月の末には、みんなめいめいの持主に戻(もど)ってしまうのです。なぜなら、九月には、もう原の草が枯(か)れはじめ水霜(みずしも)が下りるのです」(宮沢賢治「種山ヵ原」『ポラーノの広場・P.223』新潮文庫 一九九五年)
達二が種山ヵ原に着くと兄がやって来て、しばらくここで弁当でも食べていればいいという。どうも午後から曇り空になりそうなので兄たちはそれまでにさっさと草刈りを終えるつもりらしい。達二は言われるままに空を見ていると薄い雲がかかり始め風も出てきた。刈り残されている草は風の波を立てて天候の変化を伝える。その時どういうわけか「牛が俄(にわ)かに北の方へ馳せ出し」た。牛はどんどん北へ向かう。賢治作品では風であろうが人間であろうが「北方へ向かう」シーンがたいへん多い。なぜ北方なのか。というよりむしろ岩手県は東京から見れば始めから遠い「北方」として見られていたことを賢治自身がよく知っておりまた意識してもいたからに違いない。ともかく達二は走り出した牛を追いかけなければならない。そして草原の中へ入ってみると「かすかな路のようなもの」があるのを見つける。それを追って行くことにする。ところが思うようにはいかない。
「草の中には、牛が通った痕(あと)らしく、かすかな路のようなものがありました。達二は笑いました。そして、(ふん。なあに、何処(どこ)かで、のっこり立ってるさ)と思いました。そこで達二は、一生懸命それを跡(つ)けて行きました。ところがその路のようなものは、まだ百歩も行かないうちに、おとこえしや、すてきに背高の薊(あざみ)の中で二つにも三つにも別れてしまって、どれがどれやら一向わからなくなってしまいました。達二は思い切って、そのまん中を進みました。けれどもそれも、時々断(き)れたり、牛の歩かないような急な所を横様(よこざま)に過ぎたりするのでした。それでも達二は、(なあに、向うの方の草の中で、牛はこっちを向いて、だまって立ってるさ)と思いながら、ずんずん進んで行きました。空はたいへん暗く重くなり、まわりがぼうっと霞(かす)んで来ました。冷たい風が、草を渡りはじめ、もう雲や霧が、切れ切れになって眼(め)の前をぐんぐん通り過ぎて行きました。(ああ、こいつは悪くなって来た。みんな悪いことはこれから集(たか)ってやって来るのだ)と達二は思いました。全くその通り、俄に牛の通った痕は、草の中で無くなってしまいました」(宮沢賢治「種山ヵ原」『ポラーノの広場・P.229~230』新潮文庫 一九九五年)
ここで達二は<良いアイデア>を思いついたとしてそれを実行に移す。だが結果はまったく転倒した事態となって転がり出てきた。今度は間違うまいと逆方向を取るとしよう。すると次もまた意図したこととは逆の結果が出現する。このような事態はなぜ起こってくるのか。達二には奇妙な自負心がある。周辺環境については他人よりもよく心得ているはずだという自負心が。ヘーゲルはそれを「こころの法則と自負の狂気」と呼んでこう述べている。
「必然性が、自己意識において、真に何物であるかということは、自己意識のこの新しい形態が意識している。この形態においては、自己意識は自己自身にとって必然的なものである。自己意識は、一般者ないし法則を、《直接》〔無媒介に〕自己のうちにもっていると心得ており、この法則は、意識の自覚存在〔自独存在、対自存在〕のうちに、《直接》〔無媒介に〕存在しているという規定をもっているゆえ、《こころの法則》と呼ばれる。この形態は、前節に述べた形態のように、《自分だけで》の〔対自的、自覚的〕《個別性》という形で実在であるけれども、この《自独存在》〔自覚存在、対自存在〕が、必然的であり、一般的であると見られている規定のため、それだけで前の場合より豊かになっている。
こうして、直接自己意識自身のものであるような法則が、言いかえれば、こころでありながらも、法則を自分にもっているものが、自己意識の実現しようとしている《目的》である。そこで考えるべきことは、自己意識の実現が、その概念に一致するかどうか、またこの実現において、自己意識が、この自らの法則を本質として経験するかどうか、ということである。
このこころには、一つの現実が対立している。というのは、こころのうちでは、法則は、やっと《自分だけ》〔対自的、自覚的、自独的〕のものとなっただけであって、まだ実現されてはいないし、したがって、同時に、概念とは《別の》ものであるからである。このため、この他者は、実現さるべきものに対立するものであり、したがって、《法則と個別性の矛盾》であるところの現実として、規定される。だから、この現実は、一方では、個別の個〔人〕性が抑圧される法則であり、こころの法則に矛盾する世間という、暴力的な秩序である。が他方では、この秩序のもとに悩んでいる人間である。そのとき人間は、こころの法則に従っているのではなく、見知らぬ必然性に従属しているのである。ーーーすでに明らかなように、意識の現在の形態に、《対立して》いるように見えるこの現実は、個〔人〕性とその真実態が、分裂しているという前節の関係に、すなわち個〔人〕性を抑圧している残酷な必然性の関係に、ほかならない。だから、《われわれから見れば》、前の運動は、この新しい形態とよき対照をなしていることになる。というのも、この新しい形態は、自体的には前の運動から発したものであり、新しい形態を由来させる契機は、この形態から見れば、当然のことだからである。けれどもこの契機は、この形態にとっては、《見つけられたもの》という形で現われる。というのは、この形態は、自分の由来した《根源》については、何も意識をもっていないし、この形態が本質だと思っているのは、むしろ《自分自身だけで》〔対自的、自覚的、自独的〕あること、言いかえれば、肯定的自体に対する否定であるからである。
だから、こころの法則に矛盾するこの必然性を、また、この必然性のために現に起っている悩みを、廃棄すること、これがこの場合の個〔人〕性の目指していることである。したがって、この個〔人〕性は、個別的な快を求めている前の形態のように、軽率な態度をもはやとるものではなく、まじめな態度で、高い目的を求めるのである。そのまじめな態度は、個〔人〕性自身の《すぐれた》本質をのべることに、また《人類の幸福》〔シラー『群盗』の主人公カール・モールの言参照〕をつくり出すことに、自らの快を求めている。個〔人〕性が実現するものは、法則ですらあり、したがってその快は、同時に、すべてのこころがあまねく感ずる快である。快と法則は、この個〔人〕性にとっては、《分離》したものでは《ない》。その快は法則にかなっている。あまねく人類の法則を実現することは、個〔人〕性の個別的な快を準備することである。なぜならば、個〔人〕性の内部では、個〔人〕性と必然は《そのまま》一つであり、法則とは、こころの法則のことであるからである。個〔人〕性はまだ自分の立場を脱していないし、個〔人〕性と必然性を媒介する運動によって、さらにまた訓練によって、両者の統一が成しとげられるのでもない。直接的で《不作法な》〔訓練を受けていない〕本質を実現することが、あるすぐれたことをのべることだ、と考えられ、人類の幸福をもたらすことだ、と考えられているのである。
ところが、こころの法則に対立するような法則は、こころから分離しており、自分だけで自由である。この法則に従う人類は、法則とこころとの幸福な統一のうちに、生きているのではなく、おぞましい分裂と悩みのうちに生きているか、もしくは、法則に《従う》ときには、少なくとも《自己自身》のよろこびを欠き、そして、この法則に《背く》ときには、自己がすぐれたものだという意識をもてずに生きているのである。そういう暴力的な神的秩序や人間的秩序は、こころとは離れたものであるから〔『群盗』〕、こころからみれば一つの《仮象》であり、その法則になおまだくっついているもの、つまり暴力と現実とは、当然消さるべきものである。なるほど秩序がその《内容》の点で、たまたまこころの法則と一致することは、あるかもしれない。その場合には、こころがその秩序を認めるかもしれない。だが、こころにとって本質的なものは、純粋にそのままで、合法的なものなのではなく、こころがそこで、《自己自身》を意識することであり、そこで、《自ら》満足したつもりでいるということである。だが、一般的必然性の内容は、こころと一致しないときには、その内容から言っても、それ自体何物でもなく、こころの法則に、席を譲らねばならないことになる。
そういうわけで、個人はこころの法則を《遂行》する。つまり、こころが《一般的秩序》となり、快が、一つの絶対的に合法的な現実となる。だが、こうして実現されるとき、実際には、こころのこの法則は、個人から逃げ去ってしまっており、それはそのまま、本来ならば、廃棄さるべきであったような、当の関係になっているにすぎない。こころの法則は、実現されるというまさにそのことによって、《こころ》の法則であることを止める。なぜならば、そのとき法則は、《存在》という形式をとり、そこで《一般的な》威力にはなる、が、この威力に対し、《この》こころは無関心であるため、個人は、《自分自身の》秩序を《かかげ》ながらも、もはや、それが自分のものであることに、気づかないからである。それゆえ自己の法則を実現することによって個人は、《自らの》法則をもたらすのではない。秩序は、自体的には、個人自身のものであるけれども、自覚的には、個人に縁なきものであるため、そこに起ってくることは、現実の秩序のなかにまきこまれること、しかも自分にとって縁なきものであるだけでなく、敵対的でもある、圧倒的威力でさえあるような秩序のなかに、まきこまれることにほかならない。──個人は、自ら行なうことによって、存在する現実という一般的な場〔境位〕の《なか》に入る、あるいはむしろ、一般的場〔境位〕《として》自らを立てる、そこで個人の行為の結果は、それ自身、個人の気持からすれば、一般的秩序という価値をもっているはずである。だがこのために、個人は自分を自分自身から《解放》してしまったことになり、自分で一般性として成長し、個別性からは純化される。個人は、一般性を、自分の直接的な自独存在〔対自存在、自覚存在〕という形でしか、認めようとしない。だからこの個人は、一般性が自分の行為であるため、同時に自分が一般性のものであるのに、この個人から放たれた一般性のうちに、自分を認めはしない。それゆえ個人の行為は、一般的秩序に《矛盾する》という、逆の意味をもっている。というのは、個人の行為の結果は、《自らの》個別的なこころの行為の結果であるはずであって、個に関わりのない、一般的な現実であるはずではないからである。しかもそれと同時に、行為は実際には現実を《承認》してしまってもいる。なぜなら、行為は、自らの本質を、《自由な現実》として立てるという意味をもっている、すなわち、現実を自らの本質として承認するという意味を、もっているからである。
個人は、自らを帰属させた現実の一般性が、自分に背くという在り方を、自らの行為という概念によって、一層詳しく規定したことになる。個人の行為の結果は、《現実》としては、一般者のものであるけれども、その内容から言えば、個人自身の個別性であり、この個別性は、一般者に対立したこの《個々の》個別性として、自らを保とうとしている。いま問題となっているのは、ある一定の法則をかかげることではない。そうではなく、個々のこころと一般性とが、そのままで一つになることは、高まって法則となり、妥当すべきことであるという、思想なのである。つまり、法則であるもののうちに、《各々のこころ》が《自己》自身を認めねばならない、という思想なのである。とはいえ、この個人のこころだけが、その現実を自らの行為の結果のうちに、立てたのであるから、その行為の結果は、個人からみれば、《自分の自独存在》〔対自存在、自覚存在、自立存在〕、つまり《自分の快》なのである。この行為は、そのままで一般者として通用すべきだという。すなわち、ほんとうのことを言えば、行為の結果は特殊なものであり、ただ一般性という形式をもっているにすぎない。つまり、その《特殊な》内容が、《そのままで》一般的なものと認めらるべきである、というのである。だから、この内容のうちに、他人たちは、自分たちのこころの法則を見つけはしない。むしろ、自分たちとは《別の人の》こころが、実現されていることに気がつく。法則であるもののなかに、各人は自分のこころを見つけるべきである、という一般的法則に従って、他人たちは、その《個人》のかかげた現実を、自分たちのものとは逆であると言い、また個人は、他人の現実を、自分のとは逆だと言うのである。だから個人は、初めは、固定した法則だけが、自分のすぐれた意図に反対のもので、いとうべきものだと気がついたのだが、いまとなっては、人間どもの諸々のこころそのものがそうなのだと、気がついたのである〔『群盗』〕。
これまでのべた意識は、一般性がまだやっと《直接的》なものであり、必然性が《こころ》の必然性であると、知っているにすぎない。そのためこの意識は、そういうものの実現と効果の本性を知っていない。つまり、一般性や必然性が《存在者》であって、その真の姿はむしろ《自体的一般者》であり、そこでは、一般性や必然性に信頼を置いている個別的意識が、《この》直接的な《個別性》で《ある》ためには、むしろ亡びるものだということを、この意識は知っていない。この意識が直接的個別性という存在のなかで手に入れるのは、この《自らの存在》ではなくて、《自己自身》の疎外なのである。だが、意識に自分を認めさせないのは、もはや死んだ必然性ではなく、一般的個人性によって命を与えられた必然性である。意識は、神の秩序と人間の秩序を、妥当なものではあるが、一つの死んだ現実と考えた。意識は自分だけで〔対自的に〕存在し、一般者には対立するこころとして、自分を固定させるのであるが、いま言った現実にあっては、この意識自身も、この現実のものである人々も、ともに自分自身の意識をもっていなかったのである。だがいま意識は、この秩序がむしろ万人の意識によって命を与えられており、万人のこころの法則であることに気がつく。意識は、現実が命のある秩序であることを、経験すると同時に実際には、意識が自分のこころの法則を実現することによってこそ、そうなるのだと経験する。なぜならば、このことは、個〔人性〕が、一般者として、自分の対象となりながらも、そのとき自分を認識しない、ということにほかならないからである。
こうして、自己意識のこの形態に、その経験の結果、真理として生まれるものは、この形態が、《自覚的》にそうあるものとは、《矛盾》している。だが、この形態が自覚的にそうあるものは、それ自身、この形態からみれば、絶対的普遍性という形式をもっており、それは、《自己意識》と無媒介〔直接的に、そのまま〕に一つであるこころの法則である。それと同時に、存立し生きている秩序は、やはり自己意識《自身の本質》であり、仕事である。自己意識の生み出すものは、この秩序にほかならない。だから、秩序もやはり、自己意識と無媒介に統一されている。こういうわけで自己意識は、二重の対立した実在に帰属するため、自己自身で矛盾しており、最も内面的なところで、混乱に陥っている。《この》こころの法則は、自己意識に自分自身を認識させるものにほかならない。だが、一般的な妥当する秩序は、例の法則を実現した結果、自己意識にとっては自分自身の《本質》となり、自分自身の《現実》となったのである。だから、己れの意識のうちでは矛盾しているものも、ともに、自己意識にとっての〔自覚的な〕本質であり、己れ自身の現実であるという、形式をとった姿であることになる。
自己意識は、自分の意識的な没落というこの契機を語り、そこに、自らの経験の結果があることを語る。そのとき自己意識は、自らが自己自身の内的転倒であり、意識の狂乱であることを表わす。この意識にとっては、その本質はそのまま非本質であり、その現実はそのまま非現実である。ーーー狂気と言ったが、それは次のように考えられてはならない。つまり、一般的に言って、本質のないものが本質的だと考えられ、現実的でないものが現実だと考えられ、その結果、ある人にとっては、本質的または現実的であるものが、他人にとっては、そうではないとか、現実の意識と非現実の意識、本質と非本質の意識が、ばらばらになってしまうとか、いうふうであってはならない。ーーーつまり、あることが実際に意識一般にとっては、現実的であり、本質的であるが、私にとってはそうではないとすれば、私は、自ら意識一般なのであるから、そのことの空しさを意識すると同時に、それが現実であることをも意識している。ーーーしかも両者がともに固定しているとすれば、これは、一般に狂気と言われるような統一である。しかし、この狂気において狂っているのは、意識にとっての一つの《対象》だけであって、それ自身における、またそれ自身としての、意識そのものではない。だが、ここに起ってきた経験の結果から言えば、意識は、自らの法則のうちに、この現実的なものとしての《自己自身》を、意識していることになる。そして同時に、意識にとっては、この同じ本質、この現実こそは、《疎外された》ものなのであるから、意識は、自己意識として、絶対的な現実として、自己の非現実を意識している。言いかえれば、両側面は、その矛盾によって、そのままに《意識の本質》と見られることになり、したがってこの本質は、その最も深いところで狂っていることになる。
だから人類の福祉を願って脈うつこころは、狂った自負の狂暴へと、自己の破滅に逆らって、身を保とうとする意識の狂熱へと移って行く。そうなるのは、意識が自分自身の姿である転倒を、自分の外に投げ出して、この転倒をどこまでも自分とは別のものと見なし、言い張るためである。だから、一般的秩序は、こころとこころの幸福との法則を、転倒させるものであるが、それは、狂信的な僧侶や飽食した暴君や、この両方から受けた屈辱を、自分より下のものを辱(はずか)しめ抑圧することによって、つぐなっている両者の僕やなどによって、捏造されたものであり、いつわられた人類の、名づけようもない不幸のために、使われたものであると、意識は言明する。ーーー意識は、このような狂乱状態にいながら、《個人》性がこの狂いをひき起し、転倒しているのだと、言明はするものの、その個人性は《他人》のものであり、《偶然》であるとするのである。しかし、こころ、言いかえれば、《そのままで一般的であろうとする、意識の個別状態》は、このように、狂いをひき起し転倒したものそのものであり、その行為が生み出すものは、この矛盾が《自分の》意識になるということにほかならないのである。なぜならば、このこころにとって真実であるものは、こころの法則であり、ーーーこの法則は、ただ《思いこまれた》だけのものであるが、これは存立している秩序のように、日の光に堪えたものではなく、日の光に出会うときには、むしろ亡びるものだからである。こころのこの法則は、《現実》となるはずであった。この点から言えば、こころにとって法則は、《現実》であり、《妥当する秩序》であるため、同時に目的であり本質である。だがこころにとっては、《現実》すなわち、ほかならぬ《妥当する秩序》としての法則は、むしろそのまま空しいものである。ーーーこれと同じように、こころ《自身の》現実は、つまり意識の個別態である《こころ自身》が、こころにとって本質である。けれども、この個別態を《存在する》ものとして立てることが、こころの目的である。だから、こころにとっては、直接的には、むしろ個別的ならぬものであるこころの自己が、本質である、つまり目的であることになる。が、それは法則として、まさにこの点で、こころがその意識自身に対してあるような一般性としてのことである。ーーーこのようなこころの概念は、自らの行為によって一つの対象となる。こころは己れの自己を、むしろ非現実的なものとして経験する、そして、非現実を、自らの現実として経験する。だから、偶然の見知らぬ個人性がではなく、まさにこのこころこそが、あらゆる側面から、自らのうちで転倒したものであり、転倒して行くものである。
しかし直接的に〔無媒介に〕一般的な個人性は、転倒したものであり、転倒して行くものであるから、この一般的秩序も、それ自体には転倒したものである。というのも、一般的秩序は万人の《こころ》の、すなわち転倒したものの法則だからである。以上のことは、荒れ狂う狂乱が言明したことである。一方では、あるこころの法則が別の個人たちに出会い、抵抗を受けることに気がつくとき、一般的秩序は、万人のこころの《法則》であることがわかる。現に存立している法則が、ある個人の法則に対して護られるのは、それらの法則が、意識されず空しい、死んだ必然性であるからではなく、精神的一般性であり、実体であるからである。この実体においては、この一般性を自らの現実としている人々が、個人として生きており、自己自身を意識している。そのためこの人々は、この秩序が、自分たちの内的法則に、背くかのように言って不平をならし、こころの思いこみを、秩序に対抗させることがあっても、実際には、自分たちの本質としての秩序に、こころからよりかかっており、この秩序が、自分たちから取り去られたり、自分たち自身が、秩序の外に出たりする場合には、すべてを失ってしまう。この点にこそ、公の秩序の現実と威力があるのだから、この秩序は、自己同一的であまねく命を与えられた本質として、また個人性は、その秩序の形式として、現われることになる。ーーーしかしながら、この秩序とても、やはり転倒したものである。
なぜならば、この秩序が万人のこころの法則であり、すべての個人が、そのままでこの一般者であるという点で、秩序は一つの現実ではあるが、ただこの現実は、《自分だけで》〔対自的に〕《存在する》個人性の、つまり、こころの現実であるに止まるからである。だから、自分のこころの法則をかかげる意識は、他人から抵抗される。というのも、この法則は、他人たちのこころの、やはり個別的な諸々の法則に、矛盾するからであり、他人たちが抵抗する場合に行うことは、その人たちが自分の法則をかかげ、それを認めさせることに、ほかならないからである。だから、現存する《一般者》は、一般的な抵抗であり、万人相互の戦い〔ホッブス〕であるにすぎない。この場合各人は、自分自身の個別性を主張するが、また同時に、それを主張しおおせるところまでは行かない。というのは、個別性は、同じように抵抗に出会い、他人によって互いに消されてしまうからである。公の《秩序》と見えるものは、だから、あまねき戦いである。このとき各人は、自分のできることを独占し、他人の個別性に正義を無理おしして、自分の正義を固定させるが、それと同時に、この正義は、他人から消されてしまう。この秩序は《世の中〔の習い〕》であり、永続する行程のように見える。ただしそれは《思いこまれた一般》にすぎないし、その内容は、むしろ個別性を固定させるとともに、解消するような、本質なき遊戯であるにすぎない」」(ヘーゲル「精神現象学・上・理性・理性的自己意識の自己自身による実現・P.416~428」平凡社ライブラリー 一九九七年)
そんなふうに、例えばこの種の空転を繰り返してしまう実例は、どれがどの国であっても、とりわけ政治の世界でよく見かけることができる。軍事にせよ経済にせよ、与野党ともに自分たちが「良かれと思って」<人類の福祉を願って脈うつこころ>を発揮すればするほど転がり出てくる結果は転倒に転倒を繰り返すばかりというケース。もう「見飽きた」というべきかもう「沢山だ」と憤怒・落胆すべきか。諦めに満ちた溜め息ばかり落としそうになってしまう。
さて達二は路がなくなったため慌てて祖父や兄のいる場所へ戻ろうと引き返した。だが路を間違える。底の知れない「大きな谷」が眼前に出現すると同時に周囲の草木がざわざわと不気味な音を立てる。
「達二は早く、おじいさんの所へ戻ろうとして急いで引っ返しました。けれどもどうも、それは前に来た所とは違(ちが)っていたようでした。第一、薊があんまり沢山ありましたし、それに草の底にさっき無かった岩かげが、度々ころがっていました。そしいてとうとう聞いたこともない大きな谷が、いきなり眼の前に現われました。すすきが、ざわざわっと鳴り、向うの方は底知れずの谷のように、霧の中に消えているではありませんか」(宮沢賢治「種山ヵ原」『ポラーノの広場・P.231』新潮文庫 一九九五年)
とっとと引き返そうとするが、ついさっきも引き返そうと走ったところにこの「大きな谷」が出現したのではなかったか。ところが次に出た場所はまた違っている。次の文章に「てっぺんの焼けた栗(くり)の木」とあるのは落雷で焼け焦げた痕跡。「種山ヵ原」辺りは地理的諸条件が重なって起きる落雷密集地域として有名だった。
「小さな黒い道が、いきなり草の中に出て来ました。それは沢山の馬の蹄(ひづめ)の痕で出来上っていたのです。達二は、夢中で、短い笑い声をあげて、その道をぐんぐん歩きました。けれども、たよりのないことは、みちのはばが五寸ぐらいになったり、又三尺ぐらいに変ったり、おまけに何だかぐるっと廻っているように思われました。そして、とうとう、大きなてっぺんの焼けた栗(くり)の木の前まで来た時、ぼんやり幾(いく)つにも岐(わか)れてしまいました」(宮沢賢治「種山ヵ原」『ポラーノの広場・P.231~232』新潮文庫 一九九五年)
疲れが見え始めた達二。また路を引き返すことにする。霧の中に何か見えるので家かと思って近づくと黒い巨石だったする。幻想的な夢遊状態のうちに誰が言ったのかまったくわからない声を聞く。
「空が光ってキインキインと鳴っています。それからすぐ眼の前の霧の中に、家の形の大きな黒いものがあらわれました。達二はしばらく自分の眼を疑って立ちどまっていましたが、やはりどうしても家らしかったので、こわごわもっと近寄って見ますと、それは冷たい大きな黒い岩でした。空がくるくるっと白く揺(ゆ)らぎ、草がバラッと一度に雫を払(はら)いました。(間違って原を向う側へ下りれば、もうおらは死ぬばかりだ)と達二は、半分思う様に半分つぶやくようにしました。それから叫びました。『兄(あぃ)な、兄な、居るが。兄な』。又明るくなりました。草がみな一斉(いっせい)に悦(よろこ)びの息をします。『伊佐戸(いさど)の町の、電気工夫の童(わらす)ぁ、山男に手足ぃ縛(しば)らえてたふうだ』といつか誰(たれ)かの話した語(ことば)が、はっきり耳に聞えて来ます。そして、黒い路が、俄に消えてしまいました。あたりがほんのしばらくしいんとなりました。それから非常に強い風が吹(ふ)いて来ました。空が旗のようにぱたぱた光って翻(ひるが)えり、火花がパチパチパチッと燃えました。達二はいつか、草に倒れてしました」(宮沢賢治「種山ヵ原」『ポラーノの広場・P.232~233』新潮文庫 一九九五年)
気づくと今度はみんなと「たそがれの県道」を歩いている。
「橙(だいだい)色の月が、来た方の山からしずかに登りました。伊佐戸の町で燃す火が、赤くゆらいでいます。『さあ、みんな支度はいいが』誰かが叫びました」(宮沢賢治「種山ヵ原」『ポラーノの広場・P.233』新潮文庫 一九九五年)
なんの「支度」だろうか。剣舞(けんばい)である。ひとしきり剣舞に熱中している達二の姿が描かれる。それも束の間、光景はがらりと変わる。
「月が俄(にわ)かに意地悪い片眼になりました。それから銀の盃(さかずき)のように白くなって、消えてしまいました。(先生の声がする。そうだ。もう学校が始まっているのだ)と達二は思いました。そこは教室でした。先生が何だか少し痩(や)せたようです」(宮沢賢治「種山ヵ原」『ポラーノの広場・P.235』新潮文庫 一九九五年)
ここで二点ばかり或る種のおかしな転倒が見られる。(1)は教師と生徒との対話で金銭に関する。達二は決して金を受け取ってなどいないと証言する。しかしなぜわざわざ証言しなくてはならないのか。
(1)「『楢夫さん。あなたはお休みの間に、何が一番楽しかったのですか』。『剣舞(けんばい)です』。『剣舞をあなたは踊ったのですか』。『そうです』。『どこでですか』。『伊佐戸やあちこちです』。『そうですか。まあよろしい。お座(すわ)りなさい。みなさん。外にも剣舞に出た人はありますか』。『先生、私も出ました』。『先生、私も出ました』。『達二さんもそうですか。よろしい。みなさん。剣舞は決して悪いことではありません。けれども、勿論(もちろん)みなさんの中にそんな方はないでしょうが、それでお銭(あし)を貰(もら)ったりしてはなりません。みなさんは、立派な生徒ですから』。『先生。私はお銭を貰いません』。『よろしい。そうです。それからーーー』。達二は、眼を開きました。みんな夢でした」(宮沢賢治「種山ヵ原」『ポラーノの広場・P.236~237』新潮文庫 一九九五年)
次に二点目。「可愛(かあい)らしい女の子」に声をかけられた達二。辺り一面霧に包み込まれている状況でのエピソード。そしてその甘い夢をいきなりぶち壊しにするのは唐突に夢に出てくる母の声だ。
(2)「『おいでなさい。いいものをあげましょう。そら。干した苹果(りんご)ですよ』。『ありがど、あなたはどなた』。『わたし誰でもないわ。一緒(いっしょ)に向うへ行って遊びましょう。あなた驢馬(ろば)を有(も)っていて』。『驢馬は持ってません。只(ただ)の仔馬ならあります』。『只の仔馬は大きくて駄目(だめ)だわ』。『そんなら、あなたは小鳥は嫌(きら)いですか』。『小鳥。わたし大好きよ』。『あげましょう。私はひわを有っています。ひわを一疋(ぴき)あげましょうか』。『ええ。欲しいわ』。『あげましょう。私今持って来ます』。『ええ、早くよ』。達二は、一生懸命、うちへ走りました。美しい緑色の野原や、小さな流れを、一心に走りました。野原は何だかもくもくして、ゴムのようでした。達二のうちは、いつか野原のまん中に建っています。急いで籠(かご)を開けて、小鳥を、そっとつかみました。そして引っ返そうとしましたら、『達二、どこさ行く』と達二のおっかさんが云いました」(宮沢賢治「種山ヵ原」『ポラーノの広場・P.237~238』新潮文庫 一九九五年)
この二種類の罪の意識には夢という形式を取って出現した「原因と結果との取り違え」が見られる。ニーチェはいう。
「そのほかにも狂気がある。それは行為の《まえ》の狂気である。ああ、君たちはそのような狂気をもった魂の奥に十分深く穿(うが)ち入ることがなかったのだ」(ニーチェ「ツァラトゥストラ・第一部・青白い犯罪者・P.57」中公文庫 一九七三年)
それについてフロイトはこう述べている。
「ひどく逆説的に聞こえるかもしれないが、私はこう主張せざるをえない、つまり、罪の意識のほうが犯行よりも前に存在していたのである。罪の意識が犯行から生じたのではなく、逆に、犯行が罪の意識から生じたのだ、と。だから、これらの犯罪者たちを、罪の意識からの犯罪者と名づけることは、きわめて正しいことだと思う」(フロイト「精神分析的研究からみた二、三の性格類型」『フロイト著作集6・P.134』人文書院 一九七〇年)
また(1)の場合、剣舞でも一緒だった「楢夫(ならお)」という名前が出てきているが、その名は作品「ひかりの素足」に登場する兄弟のうち、季節外れの暴風雪の中で死ぬことになる「楢夫(ならお)」と同名である。賢治作品の中に限り、それは<非業の死の象徴>として選ばれた名なのだ。そしてさらに風が吹き空はすでに暗く銀色に変わっている。達二はまたしても「うとうと」してしまう。次のシーンはこうだ。
「山男が楢(なら)の木のうしろからまっ赤な顔を一寸(ちょっと)出しました。(なに怖い(こわ)いことがあるもんか)。『こりゃ、山男、出はって来(こ)。切ってしまうぞ』。達二は脇差(わきざ)しを抜いて身構えました。山男がすっかり怖がって、草の上を四つん這(ば)いになってやって来ます。髪(かみ)が風にさらさら鳴ります。『どうか御免御免(ごめごめ)。何(な)じょなことでも為(さ)んす』。『うん。そんだら許してやる。蟹(かに)を百疋捕(と)って来(こ)』。『ふう。蟹を百疋。それ丈(だ)けでようがすかな』。『それがら兎(うさぎ)を百疋捕って来(こ)』。『ふう。殺して来てもようがすか』。『うんにゃ。わがんなぃ。生ぎだのだ』。『ふうふう。かしこまた』。油断をしているうちに、達二はいきなり山男に足を捉(つか)まれて倒されました。山男は達二を組み敷いて、刀を取り上げてしまいました。『小僧。さあ、来(こ)。これから俺(お)れの家来だ。来う。この刀はいい刀だな。実に焼きをよぐかげである』。『ばか。奴(うな)の家来になど、ならなぃ。殺さば殺せ』。『仲々ず太いやづだ。来(こ)ったら来(こ)う』。『行がない』。『ようし、そんだらさらって行ぐ』。山男は達二を小脇(こわき)にかかえました。達二は、素早く刀を取り返して、山男の横腹をズブリと刺(さ)しました。山男はばたばた跳ね廻って、白い泡(あわ)を沢山吐(は)いて、死んでしまいました」(宮沢賢治「種山ヵ原」『ポラーノの広場・P.239~240』新潮文庫 一九九五年)
小説では「山男」とされているけれどもこの場合は明らかに<山人>を指しているに違いない。賢治は地元に根強く残る山人伝説にも大いに関心があった。柳田國男経由だが<童話・童謡>という限られた枠内であっても二つに区別して描いている。「種山ヵ原」の場合の山人と対極に位置するもう一つの山人は「祭の晩」に代表されている。
「その時、表の方で、どしんがらがらがらっと言う大きな音がして、家が地震の時のようにゆれました。亮二は思わずお爺さんにすがりつきました。お爺さんは少し顔色を変えて、急いでラムプを持って外に出ました。亮二もついて行きました。ラムプは風のためにすぐ消えてしまいました。その代り、東の黒い山から、大きな十八日の月が静かに登って来たのです。見ると家の前の広場には、太い薪が山のように投げ出されてありました。太い根や枝までついた、ぼりぼりに折られた太い薪でした。お爺さんはしばらく呆(あき)れたように、それをながめていましたが、俄かに手を叩(たた)いて笑いました。『はっはっは、山男が薪をお前に持って来て呉れたのだ。俺(おれ)はまたさっきの団子屋にやるという事だろうと思っていた。山男もずいぶん賢いもんだな』。亮二は薪をよく見ようとして、一足そっちへ進みましたが、忽(たちま)ち何かに滑ってころびました。見るとそこらいちめん、きらきらきらきらする栗の実でした。亮二は起きあがって叫びました。『おじいさん、山男は栗も持って来たよ』。お爺さんもびっくりして言いました。『栗まで持って来たのか。こんなに貰(もら)うわけには行かない。今度何か山へ持って行って置いて来よう。一番着物がよかろうな』。亮二はなんだか、山男がかあいそうで、泣きたいようなへんな気持になりました。『おじいさん。山男はあんまり正直でかあいそうだ。僕何かいいものをやりたいな』。『うん、今度夜具(やぐ)を一枚持って行ってやろう。山男は夜具を綿入の代りに着るかもしれない。それから団子(だんご)も持って行こう』。亮二は叫びました。『着物と団子だけじゃつまらない。もっともっといいものをやりたいな。山男が嬉(うれ)しがって泣いてぐるぐるまわって、それから、からだが天に飛んでしまう位いいものをやりたいなあ』」(宮沢賢治「祭の晩」『風の又三郎・P.243~244』新潮文庫 一九八九年)
助けてもらったお返しの質も量も著しく均衡を欠いている。このことは山人が平地人とはまた異なった生活条件のもとで暮らしていることを物語る貴重な資料でもある。さて、達二だが、次々と場面転換していく<幻覚>と呼んでもよいような<白日夢>を見たということができるだろう。ニーチェは夢についてこういっている。
「われわれはみな夢の中ではこの未開人に等しい、粗雑な再認や誤った同一視が夢の中でわれわれの犯す粗雑な推理のもとである。それでわれわれは夢をありありと眼前に浮べてみると、こんなにも多くの愚かさを自分の中にかくしているのかというわけで、われながらおどろく。ーーー夢の表象の実在性を無条件に信じるということを前提にすると、あらゆる夢の表象の完全な明瞭さは、幻覚が異常にしばしばあって時には共同体全体・民族全体を同時に襲った昔の人類の諸状態を、われわれにふたたび思い出させる。したがって、眠りや夢の中でわれわれは昔の人間の課業をもう一度経験する」(ニーチェ「人間的、あまりに人間的1・一二・P.36」ちくま学芸文庫 一九九四年)
達二はそれを日中、「家の前の檜(ひのき)」にもたれかかってから「種山ヵ原」の一角で発見されるまでの間に見ている。子どもの場合は今なおしばしば観察される現象なのだが、宮沢賢治が活躍した大正から昭和初期にかけて、この種の夢を見る子どもたちはもっと多かったのかもしれない。自然が今より遥かに身近にあった頃の話である。
BGM1
BGM2
BGM3
