物価高騰と打ち続く飢饉、さらにあちこちでまかり通る低賃金重労働のため、どの地方へ行っても多くの人々が一家ともども疲弊・餓死に直面していた時期。アメリカ発の株価大暴落が引き金となって世界中に広がった不景気の嵐。日本では大正から昭和に至ってなお一層事態は悪化の一途をたどっていた。そのため義務として定められたとしてもなお納税できなくなる世帯は急速に増大する。当り前のことだ。しかも当時の日本には社会保障制度などあってないに等しい。娯楽も江戸時代には普通にあったものがどんどん禁止され犯罪に問われるようになってきていた。すると<癒(いや)し><愉(たの)しみ>を奪われた全国至るところで密造酒の闇製造・闇販売が多発してくる。他の地方都市ばかりでなくイーハトヴでも「濁(にご)り酒」(密造酒)の大量生産が秘密裡に行われているという情報が当局に入ってきた。そんな時、あくまでも勤務に忠実であろうとしてイーハトヴに派遣されている或る一人の税務署長がいた。数少ないもののほんの僅かの情報を手がかりに摘発に乗り出す。小学校を借りて村の名誉村長・村長・村会議員・小学校長など、村の主だった人々たちの前で講演も行う。税務署長は講演の中でこう論じる。
「『濁密をやるにしてもさ、あんまり下手なことはやってもらいたくないな。なぁんだ味噌桶(みそおけ)の中に、醪(にごりざけ)を仕込(しこ)んで上に板をのせて味噌を塗(ぬ)って置く、ステッキでつっついて見るとすぐ板がでるじゃないか。厩(うまや)の枯草(かれくさ)の中にかくして置く、いい馬だなあ、乳もしぼれるかいと云うと顔いろを変えている。新らしい肥樽(こえだる)の中に仕込んで林の萱(かや)の中に置く。誰(たれ)かにこっそり持って行かれても大声で怒られない。煤(すす)だらけの天井裏(てんじょううら)にこさえて置いて取って帰って来るときは眼(め)をまっ赤にしている。できあがった酒(もの)だって見られたざまじゃない。どうせにごり酒だから濁(にご)っているのはいいとしても酸(す)っぱいのもある、甘(あま)いのもある。アイヌや生蕃(せいばん)にやってもまあご免蒙(こうむ)りましょうというようなものだ。そんなものはこの電燈(でんとう)時代の進歩した人類が呑むべきもんじゃない。どうせやるならまぜもう少し大仕掛けに設備を整えて共同ででもやらないか。すべからく米も電気で研(と)ぐべし、しぼるときには水圧機を使うべし、乳酸菌(きん)を利用し、ピペット、ビーカー、ビュウレット立派な化学の試験器械を使って清潔に上等の酒をつくらないか。もっともその時は税金は出して貰(もら)いたい。そう云うふうにやるならばわれわれは実に歓迎(かんげい)する。技師やなんかの世話までして上げてもいい。こそこそ半分こうじのままの酒を三升つくって罰金(ばっきん)を百円とられるよりは大びらでいい酒を七斗(と)呑めよ』」(宮沢賢治「税務署長の冒険」『ポラーノの広場・P.272~273』新潮文庫 一九九五年)
もし「濁(にご)り酒(ざけ)の密造」=「濁密(だくみつ)」に関わっている人間がその場にいればたちまち引っかかりの一つも見せるだろうというような内容である。だがその場に集まった人々はみんな愉快そうな面持ちをたたえている。税務署長は次にこう話す。
「『正直を云うとみんながどんなにこっそり濁密をやった所でおれの方ではちゃんとわかっている。この会衆の中にも七人のおれの方への密告者がまじっているのだ』」(宮沢賢治「税務署長の冒険」『ポラーノの広場・P.274』新潮文庫 一九九五年)
一瞬みんなは「しいん」となった。しかしそれは密造に関わっている人間の心境を追いつめたからではまるでない。この時の「しいん」は<そんな馬鹿な話があるか?>と<この税務署長の頭は確かか?>という意味の込もった「しいん」であって、言葉を置き換えると<しらけ>に等しい。すでに「しいん」の意味は詩人=賢治の手腕によって二重化されている。ところがさらに税務署長は打ち重ねて言葉をぶつけてみる。
「『おれの方では誰の家の納屋(なや)の中に何斗あるか誰の家の床下に何升あるかちゃんと表になってあるのだ』」(宮沢賢治「税務署長の冒険」『ポラーノの広場・P.274』新潮文庫 一九九五年)
すると税務署長の配下を除いて、学校に集まっていた「みんなが一斉に面白そうにどっと吹(ふ)き出し」てしまった。税務署長の講演はものの見事に失敗した。
大恥をかかされ苦湯(にがゆ)を飲まされた税務署長。「ハーナムキヤ」(「花巻」の言い換え)に戻って何かいい方法はないかと考える一方、官吏として公然と動ける配下の「シラトリ属」に命じて地域社会の内偵に奔走させる。税務署長自身は「トケイ(東京)の乾物商」に変装して村一帯を「探偵(たんてい)」することにした。地域社会をうろうろするだけでなく、事情次第では山間部の奥深くに入ることも十分考えられるため、名目は「椎蕈(しいたけ)取り」。小学校の向いにある「産業組合事務所」で「椎蕈(しいたけ)山」の場所を尋ねる。組合といっても小さな小屋。そこで道を聞いて少しばかり歩いたら道が二つに分かれている。迷っていると「十五ばかりになる子供が草をしょって来る」のが見えた。乾物商に変装した税務署長はその子供に道を尋ねる。ここで作品は大きく転回する。
「『おい、椎蕈山へはどう行くね』。すると子供はよく聞えないらしく顔をかしげて眼を片っ方つぶって云った。『どこね、会社へかね』。会社、さあ大変だと署長は思った。『ああ会社だよ。会社は椎蕈山とは近いんだろう』。『ちがうよ。椎蕈山はこっちだし会社ならこっちだ』。『会社まで何里あるね』。『一里だよ』。『どうだろう。会社から毎日荷馬車の便りがあるだろうか』。『三日に一度ぐらいだよ』」(宮沢賢治「税務署長の冒険」『ポラーノの広場・P.291~292』新潮文庫 一九九五年)
小説そのものが迷走を始めようとした瞬間、小説が進むべき過程を修正しに登場してきたのはまたしても「子供」。他の賢治作品と同じく子どもに重要な役割が与えられているわけだが、その理由は子ども向けの<童話・童謡>だからではない。或る種の「子ども」=「童子」に特権的役割が与えられるのは奈良時代や平安時代のようなずっと古い時代に属する古典でも同様である。むしろそうでなければならない歴然たる理由があった。それは軍記物の「平家物語」や舞いの「築島」に出てくる「人柱」信仰を見ても明らかである。またそのようなケースの「童子」の特徴として<性別未分化>という重要な条件を上げておかねばならない。
それはそれとして。税務署長は大掛かりな密造所を発見するのだが密造所の小屋の中の暗闇で自ら手に持っていた「アセチレンの火」を発見されてしまう。逃げようとしたが取っ捕まってしまった。変装しているので相手にはわからないが、そこにいたのは村の「名誉村長・村長・村会議員・小学校長」。あとはそこで働いているただの作業員。名誉村長に首ねっこをつまみあげられ外へ連れ出された税務署長の顔も陽光に照らされてばれてしまう。誰の言葉かわからないがこう言う声が響いた。
「『木へ吊(つ)るせ吊るせ。なあに証拠だなんてまあ挙がってる筈(はず)はない。こいつ一人片付ければもう大丈夫だ。樺花(かばはな)の炭釜(すみがま)に入れちまえ』」(宮沢賢治「税務署長の冒険」『ポラーノの広場・P.302』新潮文庫 一九九五年)
税務署長は気を失って倒れた。小屋の中で二、三日気絶していた模様である。そこへ名誉村長が直談判にやって来た。
「名誉村長は座って恭(うやうや)しく礼をして云った。『署長さん。先日はどうも飛んだ乱暴をいたしました。実は前後の見境いもなくあんなことをいたしましてお申し訳けございません。実は私どもの方でもあなたの方のお手入があんまり厳しいためつい会社組織にしてこんなことまでいたしましたような訳で誠(まこと)に面目次第もございません。就(つ)きましてはいかがでございましょう。私どもの会社ももうかっきり今日ぎり解散いたしまして酒は全部私の名義でつくったとして税金も納めます。あなたはお宅まで自働車でお送りいたしますがこの度限り特にご内密にねがいませんでしょうか』。署長はもう勝ったと思った。『いやお語(ことば)で痛み入ります。私も職務上いろいろいたしましたがお立場はよくわかって居ります。しかしどうも事ここに至れば到底(とうてい)内密ということはでき兼ねる次第です。もう談(はなし)がすっかりひろがって居りますからどうしても二、三人の犠牲者(ぎせいしゃ)はいたし方ありますまい。尤(もっと)も私に関するさまざまのことはこれは決して公(おおやけ)にいたしません。まあ罰金(ばっきん)だけ納めて下さってそれでいいような訳です』」(宮沢賢治「税務署長の冒険」『ポラーノの広場・P.304』新潮文庫 一九九五年)
どうしても税金だけは支払いたくないらしい。ところが税務署長の単独行動と並行して水面化で動いていた「シラトリ属」が警察も動員して村で二十人ばかり捕縛するのに成功。税務署長奪還のためようやく山奥の密造所へ乗り込んできた。関係者一同一斉検挙。「イーハトブ密造会社の工場」をぞろぞろと出た。しかしなぜ作者=賢治は密造所を指してわざわざ「イーハトブ密造会社の工場」と書いたのか。明治・大正・昭和と、民衆の生活苦は大変なもので低賃金重労働のわりには税金ばかりが一方的に跳ね上がっていく状況は全国的だった。そしてまた濁酒密造は「イーハトブ」とて例外でなく、むしろ<戦乱と飢饉>に見舞われて真っ先に打撃を受ける東北地方以北地域では当り前だったからに過ぎない。しかしそのような地方の苦悩を受け止めない「東京=中央」に対するどうしようもない違和感が賢治にパロディという方法を思いつかせた。それが賢治にできる精一杯の抵抗だったのかも知れない。
実際の宮沢賢治は作品「ポラーノの広場」で明らかなように飲酒に対して否定的である。法華経主義者としてはよりいっそう当然の態度である。しかし民衆からどんどん奪われていくものとそれに対する日本政府からのお返しとの《不均衡》がじわじわと国家を蝕んでいく元凶になるだろうという<読み>は当時の知識人たち共通の危機感にほかならない。一九三一年(昭和六年)満州事変勃発。賢治はもう三十五歳。その二年後、三十七歳で死去。一方、日本政府はわだかまり続ける国民の不満を内部に溜め込ませず逆に外国へ向け換えることに成功する。
なお、市長や議員や学校長を始めとして地域全体が「ぐる」になって利権と汚職にまみれているという状況設定は一九二〇年代のアメリカではもはや当り前であって、例えばダシール・ハメット「血の収穫」などはそのような時期に書かれた先駆的作品として名高い。また「税務署長の冒険」で「濁り酒」と「清酒」との区別がつかなかった点はミステリの謎解きに相当するためここでは省略。
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「『濁密をやるにしてもさ、あんまり下手なことはやってもらいたくないな。なぁんだ味噌桶(みそおけ)の中に、醪(にごりざけ)を仕込(しこ)んで上に板をのせて味噌を塗(ぬ)って置く、ステッキでつっついて見るとすぐ板がでるじゃないか。厩(うまや)の枯草(かれくさ)の中にかくして置く、いい馬だなあ、乳もしぼれるかいと云うと顔いろを変えている。新らしい肥樽(こえだる)の中に仕込んで林の萱(かや)の中に置く。誰(たれ)かにこっそり持って行かれても大声で怒られない。煤(すす)だらけの天井裏(てんじょううら)にこさえて置いて取って帰って来るときは眼(め)をまっ赤にしている。できあがった酒(もの)だって見られたざまじゃない。どうせにごり酒だから濁(にご)っているのはいいとしても酸(す)っぱいのもある、甘(あま)いのもある。アイヌや生蕃(せいばん)にやってもまあご免蒙(こうむ)りましょうというようなものだ。そんなものはこの電燈(でんとう)時代の進歩した人類が呑むべきもんじゃない。どうせやるならまぜもう少し大仕掛けに設備を整えて共同ででもやらないか。すべからく米も電気で研(と)ぐべし、しぼるときには水圧機を使うべし、乳酸菌(きん)を利用し、ピペット、ビーカー、ビュウレット立派な化学の試験器械を使って清潔に上等の酒をつくらないか。もっともその時は税金は出して貰(もら)いたい。そう云うふうにやるならばわれわれは実に歓迎(かんげい)する。技師やなんかの世話までして上げてもいい。こそこそ半分こうじのままの酒を三升つくって罰金(ばっきん)を百円とられるよりは大びらでいい酒を七斗(と)呑めよ』」(宮沢賢治「税務署長の冒険」『ポラーノの広場・P.272~273』新潮文庫 一九九五年)
もし「濁(にご)り酒(ざけ)の密造」=「濁密(だくみつ)」に関わっている人間がその場にいればたちまち引っかかりの一つも見せるだろうというような内容である。だがその場に集まった人々はみんな愉快そうな面持ちをたたえている。税務署長は次にこう話す。
「『正直を云うとみんながどんなにこっそり濁密をやった所でおれの方ではちゃんとわかっている。この会衆の中にも七人のおれの方への密告者がまじっているのだ』」(宮沢賢治「税務署長の冒険」『ポラーノの広場・P.274』新潮文庫 一九九五年)
一瞬みんなは「しいん」となった。しかしそれは密造に関わっている人間の心境を追いつめたからではまるでない。この時の「しいん」は<そんな馬鹿な話があるか?>と<この税務署長の頭は確かか?>という意味の込もった「しいん」であって、言葉を置き換えると<しらけ>に等しい。すでに「しいん」の意味は詩人=賢治の手腕によって二重化されている。ところがさらに税務署長は打ち重ねて言葉をぶつけてみる。
「『おれの方では誰の家の納屋(なや)の中に何斗あるか誰の家の床下に何升あるかちゃんと表になってあるのだ』」(宮沢賢治「税務署長の冒険」『ポラーノの広場・P.274』新潮文庫 一九九五年)
すると税務署長の配下を除いて、学校に集まっていた「みんなが一斉に面白そうにどっと吹(ふ)き出し」てしまった。税務署長の講演はものの見事に失敗した。
大恥をかかされ苦湯(にがゆ)を飲まされた税務署長。「ハーナムキヤ」(「花巻」の言い換え)に戻って何かいい方法はないかと考える一方、官吏として公然と動ける配下の「シラトリ属」に命じて地域社会の内偵に奔走させる。税務署長自身は「トケイ(東京)の乾物商」に変装して村一帯を「探偵(たんてい)」することにした。地域社会をうろうろするだけでなく、事情次第では山間部の奥深くに入ることも十分考えられるため、名目は「椎蕈(しいたけ)取り」。小学校の向いにある「産業組合事務所」で「椎蕈(しいたけ)山」の場所を尋ねる。組合といっても小さな小屋。そこで道を聞いて少しばかり歩いたら道が二つに分かれている。迷っていると「十五ばかりになる子供が草をしょって来る」のが見えた。乾物商に変装した税務署長はその子供に道を尋ねる。ここで作品は大きく転回する。
「『おい、椎蕈山へはどう行くね』。すると子供はよく聞えないらしく顔をかしげて眼を片っ方つぶって云った。『どこね、会社へかね』。会社、さあ大変だと署長は思った。『ああ会社だよ。会社は椎蕈山とは近いんだろう』。『ちがうよ。椎蕈山はこっちだし会社ならこっちだ』。『会社まで何里あるね』。『一里だよ』。『どうだろう。会社から毎日荷馬車の便りがあるだろうか』。『三日に一度ぐらいだよ』」(宮沢賢治「税務署長の冒険」『ポラーノの広場・P.291~292』新潮文庫 一九九五年)
小説そのものが迷走を始めようとした瞬間、小説が進むべき過程を修正しに登場してきたのはまたしても「子供」。他の賢治作品と同じく子どもに重要な役割が与えられているわけだが、その理由は子ども向けの<童話・童謡>だからではない。或る種の「子ども」=「童子」に特権的役割が与えられるのは奈良時代や平安時代のようなずっと古い時代に属する古典でも同様である。むしろそうでなければならない歴然たる理由があった。それは軍記物の「平家物語」や舞いの「築島」に出てくる「人柱」信仰を見ても明らかである。またそのようなケースの「童子」の特徴として<性別未分化>という重要な条件を上げておかねばならない。
それはそれとして。税務署長は大掛かりな密造所を発見するのだが密造所の小屋の中の暗闇で自ら手に持っていた「アセチレンの火」を発見されてしまう。逃げようとしたが取っ捕まってしまった。変装しているので相手にはわからないが、そこにいたのは村の「名誉村長・村長・村会議員・小学校長」。あとはそこで働いているただの作業員。名誉村長に首ねっこをつまみあげられ外へ連れ出された税務署長の顔も陽光に照らされてばれてしまう。誰の言葉かわからないがこう言う声が響いた。
「『木へ吊(つ)るせ吊るせ。なあに証拠だなんてまあ挙がってる筈(はず)はない。こいつ一人片付ければもう大丈夫だ。樺花(かばはな)の炭釜(すみがま)に入れちまえ』」(宮沢賢治「税務署長の冒険」『ポラーノの広場・P.302』新潮文庫 一九九五年)
税務署長は気を失って倒れた。小屋の中で二、三日気絶していた模様である。そこへ名誉村長が直談判にやって来た。
「名誉村長は座って恭(うやうや)しく礼をして云った。『署長さん。先日はどうも飛んだ乱暴をいたしました。実は前後の見境いもなくあんなことをいたしましてお申し訳けございません。実は私どもの方でもあなたの方のお手入があんまり厳しいためつい会社組織にしてこんなことまでいたしましたような訳で誠(まこと)に面目次第もございません。就(つ)きましてはいかがでございましょう。私どもの会社ももうかっきり今日ぎり解散いたしまして酒は全部私の名義でつくったとして税金も納めます。あなたはお宅まで自働車でお送りいたしますがこの度限り特にご内密にねがいませんでしょうか』。署長はもう勝ったと思った。『いやお語(ことば)で痛み入ります。私も職務上いろいろいたしましたがお立場はよくわかって居ります。しかしどうも事ここに至れば到底(とうてい)内密ということはでき兼ねる次第です。もう談(はなし)がすっかりひろがって居りますからどうしても二、三人の犠牲者(ぎせいしゃ)はいたし方ありますまい。尤(もっと)も私に関するさまざまのことはこれは決して公(おおやけ)にいたしません。まあ罰金(ばっきん)だけ納めて下さってそれでいいような訳です』」(宮沢賢治「税務署長の冒険」『ポラーノの広場・P.304』新潮文庫 一九九五年)
どうしても税金だけは支払いたくないらしい。ところが税務署長の単独行動と並行して水面化で動いていた「シラトリ属」が警察も動員して村で二十人ばかり捕縛するのに成功。税務署長奪還のためようやく山奥の密造所へ乗り込んできた。関係者一同一斉検挙。「イーハトブ密造会社の工場」をぞろぞろと出た。しかしなぜ作者=賢治は密造所を指してわざわざ「イーハトブ密造会社の工場」と書いたのか。明治・大正・昭和と、民衆の生活苦は大変なもので低賃金重労働のわりには税金ばかりが一方的に跳ね上がっていく状況は全国的だった。そしてまた濁酒密造は「イーハトブ」とて例外でなく、むしろ<戦乱と飢饉>に見舞われて真っ先に打撃を受ける東北地方以北地域では当り前だったからに過ぎない。しかしそのような地方の苦悩を受け止めない「東京=中央」に対するどうしようもない違和感が賢治にパロディという方法を思いつかせた。それが賢治にできる精一杯の抵抗だったのかも知れない。
実際の宮沢賢治は作品「ポラーノの広場」で明らかなように飲酒に対して否定的である。法華経主義者としてはよりいっそう当然の態度である。しかし民衆からどんどん奪われていくものとそれに対する日本政府からのお返しとの《不均衡》がじわじわと国家を蝕んでいく元凶になるだろうという<読み>は当時の知識人たち共通の危機感にほかならない。一九三一年(昭和六年)満州事変勃発。賢治はもう三十五歳。その二年後、三十七歳で死去。一方、日本政府はわだかまり続ける国民の不満を内部に溜め込ませず逆に外国へ向け換えることに成功する。
なお、市長や議員や学校長を始めとして地域全体が「ぐる」になって利権と汚職にまみれているという状況設定は一九二〇年代のアメリカではもはや当り前であって、例えばダシール・ハメット「血の収穫」などはそのような時期に書かれた先駆的作品として名高い。また「税務署長の冒険」で「濁り酒」と「清酒」との区別がつかなかった点はミステリの謎解きに相当するためここでは省略。
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