以前取り上げた「フランドン農学校の豚」で、<教師・生徒>の側の思考と<豚の感情>の側との弁証法を通して小説が進行していくのを見た。両者の弁証法なしに作品「フランドン農学校の豚」は進行することができなかった。とすると作品「フランドン農学校の豚」は弁証法によって始めて小説へ編成することができたと十分言える。要するに「フランドン農学校の豚」は、<小説として見る限り>「弁証法である」。もっとも、豚が感情を持つということを前提に書かれているわけだが。しかしそうでなければ「フランドン農学校の豚」だけでなく「よだかの星」も「カイロ団長」も「猫の事務所」も「蜘蛛となめくじと狸」も「ツェねずみ」も「どんぐりと山猫」も「かしわばやしの夜」も「烏の北斗七星」も「雪渡り」も「土神ときつね」も「なめとこ山の熊」も「鳥箱先生とフウねずみ」も、いずれにしても成立することはできなかった。なかでもとりわけまとまりのある「フランドン農学校の豚」を一度振り返ってみよう。
「『すいぶん豚というものは、奇体(きたい)なことになっている。水やスリッパや藁(わら)をたべて、それをいちばん上等な、脂肪や肉にこしらえる。豚のからだはまあたとえば生きた一つの触媒(しょくばい)だ。白金と同じことなのだ。無機体では白金だし有機体では豚なのだ』」(宮沢賢治「フランドン農学校の豚」『風の又三郎・P.179~180』新潮文庫 一九八九年)
もっとも、「触媒(しょくばい)」という場合正しくは、それそのものは変化せず、或るものと他のものとの<あいだ>に立って両者に化学的変化を起こさせる物質を指す。ところが豚は豚の身体も同時に化学変化するため<媒介するもの>として考える方が正しい。その意味で豚は<生きたヘーゲル弁証法>と極めて似るのである。ヘーゲルから八箇所拾っておこう。
(1)「弁証法の正しい理解と認識はきわめて重要である。それは現実の世界のあらゆる運動、あらゆる生命、あらゆる活動の原理である。また弁証法はあらゆる真の学的認識の魂である。普通の意味においては、抽象的な悟性的規定に立ちどまらないということは、単なる公平にすぎないと考えられている。諺にも<自他ともに生かせ>と言われているが、これは或るものを認めるとともに、他のものをを認めることを意味する。しかしもっと立入って考えてみれば、有限なものは単に外部から制限されているのではなく、自分自身の本性によって自己を揚棄し、自分自身によって反対のものへ移っていくのである。例えばわれわれは、人間は死すべきものであると言い、そして死を外部の事情にもとづくものと考えているが、こうした見方によると、人間には生きるという性質ともう一つ可死的であるという性質と、二つの特殊な性質があることになる。しかし本当の見方はそうではなく、生命そのものがそのうちに死の萌芽を担っているのであって、一般に有限なものは自分自身のうちで自己と矛盾し、それによって自己を揚棄するのである」(ヘーゲル「小論理学・上・八一・P.246~247」岩波文庫 一九五一年)
(2)「ここで問題となっているような事柄は、哲学以外のあらゆる意識およびあらゆる経験のうちにすでに見出されるものである。われわれの周囲にあるすべてのものは弁証法の実例とみることができる。われわれは、あらゆる有限なものは確固としたもの、究極のものではなくて、変化し消滅するものであることを知っている。これがすなわち有限なものの弁証法であって、潜在的に自分自身の他者である有限なものは、この弁証法によって実際またその直接の存在を超出させられ、そしてその反対のものへ転化する」(ヘーゲル「小論理学・上・八一・P.248~249」岩波文庫 一九五一年)
(3)「弁証法がその成果として否定的なものを持つ場合、この否定的なものはまさに成果であるから、それは同時に肯定的なものでもある。というのは、この否定的なものは、それを成果として生み出したものを揚棄されたものとしてそのうちに含んでおり、それなしには存在しないからである」(ヘーゲル「小論理学・上・八一・P.251」岩波文庫 一九五一年)
(3)「生あるものは死ぬ。しかもそれは、生あるものが生あるものとして自分自身のうちに死の萌芽を担っているからにほかならない」(ヘーゲル「小論理学・上・P.286」岩波文庫)
(4)「或るものは他のものになる。しかし他のものは、それ自身一つの或るものである。したがってこれも同じく一つの他のものになる。かくして《限りなく》続いていく」(ヘーゲル「小論理学・上・九三・P.286」岩波文庫 一九五一年)
(5)「エレア派において思想は自分みずからを自由に相手とし、エレア派が絶対実在だと言明するもののうちで、思想は自己を純粋に把握し、思想が概念のうちを運動する。ここに、弁証法のはじまりが、すなわち、概念における思考の純粋運動のはじまりが見られます。と同時に、思考が現象ないし感覚的存在と対立し、さらには、内部から見た自己と他者との関係のなかでの自己が対立し、自己のもとにある矛盾が対象のもとにもあらわれてくる(それが弁証法の本来のすがたです)」(ヘーゲル「哲学史講義1・P.322」河出文庫 二〇一六年)
(6)「一般に弁証法といえば、(a)外的弁証法ーーー事柄の運動の総体とは区別される観察者の運動ーーーと、(b)たんなる外からの洞察の運動ではなく、事柄そのものの本質、つまり、内容の純粋概念に導かれた運動とがあります。前者は、対象を観察した上で、これまで確実なことと見なされていた一切をぐらつかせるような根拠や側面を提示する方法です。その場合、根拠はまったく外的なものでもさしつかえなく、わたしたちは、ソフィストの哲学をあつかうさいに、この弁証法についてくわしく論じることになるはずです。もう一つの弁証法は、対象のなかにはいって観察するもので、対象は、前提や理念や当為ぬきに、外的な関係や法則や根拠からではなく、それだけで取りあげられます。観察者は事柄そのもののまっただなかに飛びこみ、対象を対象に即して観察し、対象のもつ内容に従って対象をとらえる。この観察においては、対象みずからが、対立する内容をもち、したがって廃棄されていくことをあらわにします。この弁証法は古代にとりわけよく見られます。外的な根拠にもとづいて推論する主観的な弁証法は、『正のうちには不正もあり、偽のうちには真もある』といったことを認める上ではそれなりの意味がある。が、真の弁証法は、対象が一面からして欠陥があるといった中途半端にとどまることなく、その本性の全体からして対象を解体します」(ヘーゲル「哲学史講義1・P.355」河出文庫 二〇一六年)
(7)「弁証法が最初に運動にかんして成立したことについては、その理由として、弁証法そのものが運動であること、いいかえれば、運動そのものがあらゆる存在の弁証法であることがあげられます。事物は運動するものとして自分のもとに弁証法をもっており、そして運動とは、べつのものになること、自分を廃棄していくことです」(ヘーゲル「哲学史講義1・P.357」河出文庫 二〇一六年)
(8)「矛盾は運動においてもっとも明瞭に示される。運動では、対立するものが目の前にあらわれるからです」(ヘーゲル「哲学史講義1・P.359~360」河出文庫 二〇一六年)
フランドン農学校の豚(ヨークシャイヤ)は或る日、「ラクダ印の歯磨楊枝(はみがきようじ)」を目にする。豚は思う。すでに擬人化されている。
「豚は実にぎょっとした。一体、その楊枝の毛を見ると、自分のからだ中の毛が、風に吹(ふ)かれた草のよう、ザラッザラッと鳴ったのだ。豚は実に永い間、変な顔をして、眺めていたが、とうとう頭がくらくらして、いやないやな気分になった」(宮沢賢治「フランドン農学校の豚」『風の又三郎・P.181』新潮文庫 一九八九年)
畜産学校の教師は毎日この豚の様子を見に来る。そしていう。
「『も少しきちんと窓をしめて、室中(へやじゅう)暗くしなくては、脂(あぶら)がうまくかからんじゃないか。それにもうそろそろと肥育をやってもよかろうな、毎日阿麻仁(あまに)を少しずつやって置いて呉(く)れないか』」(宮沢賢治「フランドン農学校の豚」『風の又三郎・P.182』新潮文庫 一九八九年)
その言葉をすっかり聞いた豚はへこんでしまい急速に食欲が減退する。そしてこう思う。
「<とにかくあいつら二人は、おれにたべものはよこすが、時々まるで北極の、空のような眼をして、おれのからだをじっと見る、実に何ともたまらない、とりつきばもないようなきびしいこころで、これのことを考えている、そのことは恐(こわ)い、ああ、恐い>」(宮沢賢治「フランドン農学校の豚」『風の又三郎・P.182』新潮文庫 一九八九年)
ところが屠殺の日の前月、その「国の王」が奇妙な布告を出した。内容は次のとおり。
「それは家畜撲殺(ぼくさつ)同意調印法といい、誰(たれ)でも、家畜を殺そうというものは、その家畜から死亡承諾書(しょうだくしょ)を受け取ること、又その承諾証書には家畜の調印を要すると、こう云う布告だった」(宮沢賢治「フランドン農学校の豚」『風の又三郎・P.182』新潮文庫 一九八九年)
近代社会の始まりとともに<人権>という概念も入ってくる。労働力維持とその増殖のため当然、資本主義は<人権>を必要とし、また<人権>がなければ延命していけないからだが。しかしなおさら豚は不安に陥りこう思う。人間社会の雇用形態でいう「契約」のことだ。
「<承諾書というのは、何の承諾書だろう何を一体しろと云うのだ。やる前の日には、なんにも飼料をやっちゃいけない、やる前の日って何だろう。一体何をされるんだろう。どこか遠くへ売られるのか。ああこれはつらいつらい>」(宮沢賢治「フランドン農学校の豚」『風の又三郎・P.185~186』新潮文庫 一九八九年)
数日後、三人の生徒たちが何気なく会話しているのを豚は聞いた。こうある。
「『豚のやつは暖かそうだ』。一人が斯う答えたら三人共どっとふき出しました。『豚のやつは脂肪でできた、厚さ一寸の外套(がいとう)を着てるんだもの、暖かいさ』」(宮沢賢治「フランドン農学校の豚」『風の又三郎・P.186』新潮文庫 一九八九年)
豚はたちまち息苦しさを覚えて思う。
「<厚さ一寸の脂肪の外套、おお恐い、ひとのからだをまるで観透(みとお)してるおお恐い。恐い。けれども一体おれと葱と、何の関係があるのだろう。ああつらいなあ>」(宮沢賢治「フランドン農学校の豚」『風の又三郎・P.187』新潮文庫 一九八九年)
だがしかし遂にフランドンのヨークシャイヤ豚は研究生たちの実習材料として化学に<殉教>した。賢治は法華経主義者として豚に<仏性・贈与性>を認め与え、今後の人間社会の科学的発展に寄与するに違いないと祈りつつ、人間社会に向けて貴重極まりない<贈物>として敢えて豚を<殉教>させた。
さて一方、学者たちが集う実験室ではまた違った<意識の流れ>がある。詩人=宮沢賢治は自分自身が学者だったのでその様子が手に取るようにわかる。実験室に集う学者たちの<意識の流れ>に即してこんな詩を残している。これはこれで面白い。
「(春が来るとも見えないな)(いや、来るときは一どに来る 春の速さはまたべつだ)(春の速さはをかしいぜ)(文学亜流にわかるまい、ぜんたい春といふものは 気象因子の系列だぜ はじめははんの紐(ひも)を出し しまひには八重の桜をおとす それが地点を通過すれば 速さがそこにできるだらう)(さういうことを云(い)ってたら 論文なんかぐにゃぐにゃだらう)(論文なんかぱりぱりさ)」(宮沢賢治「春と修羅・第三集・一〇〇三・実験室小景」『宮沢賢治詩集・P.231~232』新潮文庫 一九九〇年)
このケースでも対話形式が取られており、さらにユーモアもある。二人の学者による対話だがどの言葉も実際に発語されることは決してない。二人ともあくまでそれぞれが<意識の流れ>に即した対話を演じる。ゆえに弁証法的な過程を経ており、したがって二人の対話は<弁証法でしかあり得ない>。そこで転がり出てきた一つの答えが「(さういうことを云(い)ってたら 論文なんかぐにゃぐにゃだらう)(論文なんかぱりぱりさ)」。
ややふざけながら対話を進行させつつ同時に二人の学者は科学界のもっと上層部に位置する「教授・博士・男爵(だんしゃく)」を目指そうとする<力への意志>でもある。目的通り明晰な論文を仕上げるためには「ぐにゃぐにゃ」だったり「ぱりぱり」だったりするような論文では無事に試験を通っていくことはできない。ところが内心では「(さういうことを云(い)ってたら 論文なんかぐにゃぐにゃだらう)(論文なんかぱりぱりさ)」と思って四角四面な体裁を取らざるを得ない「学術論文」というものを半分馬鹿にしている。一方で馬鹿にしながらもだがしかし他方では馬鹿にしている四角四面な論文というものに特有の形式に従っているし従わざるを得ない。なぜならこのような事情はそもそも「学術論文」というものに備わった形式がそう要請するからである。ニーチェから三箇所引こう。
(1)「個別的なものを《無視する》ということが、われわれが概念をもつことの原因なのであり、これとともにわれわれの認識は始まるのである。すなわち、《標題づけ》において、《諸々の類》の提示において、われわれの認識は始まるのである。だが、こうしたものに、事物の本質は対応してはいない。それは認識過程ではあるが、事物の本質を射当ててはいないのである。多くの個別的特徴が、われわれに一つの事物を規定してくれるが、すべてのものを規定してはくれない。こうした特徴の同等性が機縁となって、われわれは多くの事物を一つの概念の下に統括するようになる」(ニーチェ「哲学者に関する著作のための準備草案」『哲学者の書・P.319』ちくま学芸文庫 一九九四年)
(2)「すべて語というものが、概念になるのはどのようにしてであるかと言えば、それは、次のような過程を経ることによって、ただちにそうなるのである、つまり、語というものが、その発生をそれに負うているあの一回限りの徹頭徹尾個性的な原体験に対して、何か記憶というようなものとして役立つべきだとされるのではなくて、無数の、多少とも類似した、つまり厳密に言えば決して同等ではないような、すなわち全く不同の場合にも同時に当てはまるものでなければならないとされることによって、なのである。すべての概念は、等しからざるものを等置することによって、発生するのである。一枚の木の葉という概念が、木の葉の個性的な差異性を任意に脱落させ、種々の相違点を忘却することによって形成されたものであることは、確実なのであって、このようにして今やその概念は、現実のさまざまな木の葉のほかに自然のうちには『木の葉』そのものとでも言いうるような何かが存在するかのような概念を呼びおこすのである」(ニーチェ「哲学者に関する著作のための準備草案」『哲学者の書・P.352~353』ちくま学芸文庫 一九九四年)
(3)「つまり、あらゆる現実の木の葉がそれによって織りなされ、描かれ、コンパスで測られ、彩られ、ちぢらされ、彩色されたでもあろうような、何か或る原形というものが存在するかのような観念を与えるのである、しかもそのさい不器用な手でもって原形の模写が行われるので、どの見本も不正確で、原形の忠実なる模写とは信用できないような結果になっているかのようなのである」(ニーチェ「哲学者に関する著作のための準備草案」『哲学者の書・P.353』ちくま学芸文庫 一九九四年)
科学はよりいっそう専門化し細分化されていくだろう。その意志の強烈さには次のように他を寄せつけない過酷な何かがある。
「超越論的探求の特性は、好きなときにやめることができないという点にある。根拠を規定するにあたって、さらなる彼岸へと、根拠が出現してくる無底のなかへと、急き立てられずにいることなどどうしてできよう」(ドゥルーズ「ザッヘル=マゾッホ紹介・P.173」河出文庫 二〇一八年)
だがしかし世界中の誰もが科学にばかり打ち込んでいられるわけはない。科学者もまた一人の生活者として食べていかなくては研究さえ途中で停止してしまうほかない。さらにメンタルヘルス大国と化して久しいアメリカではますます<癒し・余暇>の必要性が毎日のように説かれている。今や中国・ロシア・EU諸国がそれに続いている。健康な高度テクノロジー社会を目指して逆に不健康この上ない超高度テクノロジー社会を実現してしまうという逆説。なぜそんな転倒が生じてきたのか。宮本常一は「女の世間」の中でこう書いている。「女たちのはなしをきいていてエロ話がいけないのではなく、エロ話をゆがめている何ものかがいけないのだとしみじみ思う」。唐突なテーマに見えて全然そうでない。少しばかり引いておこう。
「『わしゃ足が大けえてのう、十文三分をはくんじゃがーーー』。『足の大けえもんは穴も大けえちうがーーー』。『ありゃ、あがいなことを、わしらあんまり大けえないで』。『なあに、足あとの穴が大けえって言うとるのよ』。『穴が大けえと、埋めるのに骨がおれるけに』。『よっぽど元気のええ男でないとよう埋めまいてーーー』。『またあがいなことをーーー』。これも田を植えながらの早乙女たちの話である。植縄をひいて正条植をするようになって田植歌が止んだ。田植歌が止んだからと言ってだまって植えるわけではない。たえずしゃべっている。その話のほとんどがこんな話である。『この頃は田の神様も面白うなかろうのう』。『なしてやーーー』。『みんなモンペをはいて田植えするようになったで』。『へえ?』。『田植ちうもんはシンキなもんで、なかなかハカが行きはせんので、田の神様を喜ばして、田植を手伝うてもろうたもんじゃちうに』。『そうじゃろうか?』。『そうといの、モンペをはかずにへこ(腰巻)だけじゃと下から丸見えじゃろうが田の神さまがニンマリニンマリしてーーー』。『手がつくまいにのう(仕事にならないだろう)』。『誰のがええかれのがええって見ていなさるちうに』。『ほんとじゃろうか』。『ほんとといの。やっぱり、きりょうのよしあしがあって、顔のきりょうのよしあしとはちがうげな』。『そりゃそうじゃろうのう、ぶきりょうでも男にかわいがられるもんがあるけえーーー』。『顔のよしあしはすぐわかるが、観音様のよしあしはちょいとわからんでーーー』。『それじゃからいうじゃないの、馬にはのって見いって』。こうした話が際限もなくつづく。『見んされ、つい一まち〔一枚〕植えてしもうたろうが』。『はやかったの』。『そりゃあんた神さまがお喜びじゃでーーー』。『わしもいんで(帰って)亭主を喜ばそうっと』。女たちのこうした話は田植の時にとくに多い。田植歌の中にもセックスをうたったものがまた多かった。作物の生産と、人間の生殖を連想する風は昔からあった。正月の初田植の行事に性的な仕草をともなうものがきわめて多いが、田植の時のエロばなしはそうした行事の残存とも見られるのである。そして田植の時などに、その話の中心になるのは大てい元気のよい四十前後の女である。若い女たちにはいささかつよすぎるようだが話そのものは健康である。早乙女の中に若い娘のいるときは話が初夜の事になることが多い。『昔、嫁にいった娘がなくなく戻ったんといの』。『へえ?』。『親がわりゃァなして戻って来たんかって、きいたら、婿が夜になると大きな錐(きり)を下腹へむみ込うでいとうてたまらんけえ戻ったって言ったげな』。『へえ』。『お前は馬鹿じゃのう、痛かったらなして唾(つば)つけんか、怪我したら<親の唾、親の唾>って疵口(きずぐち)へつばをつけるとつい痛みがとまるじゃないか。それぐらいの事ァ知っちょろうがって言うたんといの』。『あんたはどうじゃったの』。『わしらよほどよばいど(夜這い奴)に鉢を割られてしもうてーーー』。『今どうじゃろうか。昔は何ちうじゃないの、はじめての晩には柿の木の話をしたちう事じゃがーーー』。『どがいな話じゃろうか』。『婿がのう、うちの背戸に大きな柿の木があって、ええ実がなっちょるが、のぼってもよかろうかって嫁に言うげな、嫁がのぼりんされちうと、婿がのって実をもいでもえかろうかちうと、嫁がもぎんされって、それでしたもんじゃそうなーーー』。私は毎年の田植をたのしみにしているのである。そこで話される話は去年の話のくりかえされる事もあるが、そうでない話の方が多い。声をひそめてはなさねばならぬような事もあるが、隣合った二人でひそひそはなしていると『ひそひそ話は罪つくり』と誰かが言う。エロ話も公然と話されるものでないとこうしたところでは話されない。それだけに話そのものは健康である。そのなかには自分の体験もまじっている。このような話は戦前も戦後もかわりなくはなされている。性の話が禁断であった時代にも農民のとくに女たちの世界ではこのような話もごく自然にはなされていた。そしてそれは田植ばかりでなく、その外の女たちだけの作業の間にもしきりにはなされる。全く機智があふれており、それがまた仕事をはかどらせるようである。無論、性の話がここまで来るに長い歴史があった。そしてこうした話を通して男への批判力を獲得したのである。エロ話の上手な女の多くが愛夫家であるのもおもしろい。女たちのエロばなしの明るい世界は女たちが幸福である事を意味している。したがって女たちのすべてのエロ話がこのようにあるというのではない。女たちのはなしをきいていてエロ話がいけないのではなく、エロ話をゆがめている何ものかがいけないのだとしみじみ思うのである」(宮本常一「女の世間」『忘れられた日本人・P.126~130』岩波文庫 一九八四年)
この論文冒頭に次の一節が掲げられている。
「女はまた、共同体の中で大きな紐帯(じゅうたい)をなしていたが、それは共同体の一員であるまえに女としての世間を持ち、そこではなしあい助けあっていた」(宮本常一「女の世間」『忘れられた日本人・P.105』岩波文庫 一九八四年)
女性たちはなぜ何のためにこれまで苦しんできたか。そしてさらに今は何によって苦しめられつつあるか。打ち続く<戦乱と貧困>が特に女性たちに対して押しつけてくる諸問題の共有とその解決へ向けた過程の模索。それは高度テクノロジーの爆発的発展によってようやく告発され世界中のありとあらゆるところで歴然たる社会問題として取り扱われるまでに至った。この問いはなるほど相反する傾向を持ち合わせてはいる。にもかかわらず女性たちの問題意識は遂に国境を打ち破り大規模な広がりと基本的人権に則した権利とを獲得しつつある。障壁になっているのは一体なんなのだろうか。知っているのに知らないふりをしている人間はまだまだ多いと言わなければならない。
BGM1
BGM2
BGM3
「『すいぶん豚というものは、奇体(きたい)なことになっている。水やスリッパや藁(わら)をたべて、それをいちばん上等な、脂肪や肉にこしらえる。豚のからだはまあたとえば生きた一つの触媒(しょくばい)だ。白金と同じことなのだ。無機体では白金だし有機体では豚なのだ』」(宮沢賢治「フランドン農学校の豚」『風の又三郎・P.179~180』新潮文庫 一九八九年)
もっとも、「触媒(しょくばい)」という場合正しくは、それそのものは変化せず、或るものと他のものとの<あいだ>に立って両者に化学的変化を起こさせる物質を指す。ところが豚は豚の身体も同時に化学変化するため<媒介するもの>として考える方が正しい。その意味で豚は<生きたヘーゲル弁証法>と極めて似るのである。ヘーゲルから八箇所拾っておこう。
(1)「弁証法の正しい理解と認識はきわめて重要である。それは現実の世界のあらゆる運動、あらゆる生命、あらゆる活動の原理である。また弁証法はあらゆる真の学的認識の魂である。普通の意味においては、抽象的な悟性的規定に立ちどまらないということは、単なる公平にすぎないと考えられている。諺にも<自他ともに生かせ>と言われているが、これは或るものを認めるとともに、他のものをを認めることを意味する。しかしもっと立入って考えてみれば、有限なものは単に外部から制限されているのではなく、自分自身の本性によって自己を揚棄し、自分自身によって反対のものへ移っていくのである。例えばわれわれは、人間は死すべきものであると言い、そして死を外部の事情にもとづくものと考えているが、こうした見方によると、人間には生きるという性質ともう一つ可死的であるという性質と、二つの特殊な性質があることになる。しかし本当の見方はそうではなく、生命そのものがそのうちに死の萌芽を担っているのであって、一般に有限なものは自分自身のうちで自己と矛盾し、それによって自己を揚棄するのである」(ヘーゲル「小論理学・上・八一・P.246~247」岩波文庫 一九五一年)
(2)「ここで問題となっているような事柄は、哲学以外のあらゆる意識およびあらゆる経験のうちにすでに見出されるものである。われわれの周囲にあるすべてのものは弁証法の実例とみることができる。われわれは、あらゆる有限なものは確固としたもの、究極のものではなくて、変化し消滅するものであることを知っている。これがすなわち有限なものの弁証法であって、潜在的に自分自身の他者である有限なものは、この弁証法によって実際またその直接の存在を超出させられ、そしてその反対のものへ転化する」(ヘーゲル「小論理学・上・八一・P.248~249」岩波文庫 一九五一年)
(3)「弁証法がその成果として否定的なものを持つ場合、この否定的なものはまさに成果であるから、それは同時に肯定的なものでもある。というのは、この否定的なものは、それを成果として生み出したものを揚棄されたものとしてそのうちに含んでおり、それなしには存在しないからである」(ヘーゲル「小論理学・上・八一・P.251」岩波文庫 一九五一年)
(3)「生あるものは死ぬ。しかもそれは、生あるものが生あるものとして自分自身のうちに死の萌芽を担っているからにほかならない」(ヘーゲル「小論理学・上・P.286」岩波文庫)
(4)「或るものは他のものになる。しかし他のものは、それ自身一つの或るものである。したがってこれも同じく一つの他のものになる。かくして《限りなく》続いていく」(ヘーゲル「小論理学・上・九三・P.286」岩波文庫 一九五一年)
(5)「エレア派において思想は自分みずからを自由に相手とし、エレア派が絶対実在だと言明するもののうちで、思想は自己を純粋に把握し、思想が概念のうちを運動する。ここに、弁証法のはじまりが、すなわち、概念における思考の純粋運動のはじまりが見られます。と同時に、思考が現象ないし感覚的存在と対立し、さらには、内部から見た自己と他者との関係のなかでの自己が対立し、自己のもとにある矛盾が対象のもとにもあらわれてくる(それが弁証法の本来のすがたです)」(ヘーゲル「哲学史講義1・P.322」河出文庫 二〇一六年)
(6)「一般に弁証法といえば、(a)外的弁証法ーーー事柄の運動の総体とは区別される観察者の運動ーーーと、(b)たんなる外からの洞察の運動ではなく、事柄そのものの本質、つまり、内容の純粋概念に導かれた運動とがあります。前者は、対象を観察した上で、これまで確実なことと見なされていた一切をぐらつかせるような根拠や側面を提示する方法です。その場合、根拠はまったく外的なものでもさしつかえなく、わたしたちは、ソフィストの哲学をあつかうさいに、この弁証法についてくわしく論じることになるはずです。もう一つの弁証法は、対象のなかにはいって観察するもので、対象は、前提や理念や当為ぬきに、外的な関係や法則や根拠からではなく、それだけで取りあげられます。観察者は事柄そのもののまっただなかに飛びこみ、対象を対象に即して観察し、対象のもつ内容に従って対象をとらえる。この観察においては、対象みずからが、対立する内容をもち、したがって廃棄されていくことをあらわにします。この弁証法は古代にとりわけよく見られます。外的な根拠にもとづいて推論する主観的な弁証法は、『正のうちには不正もあり、偽のうちには真もある』といったことを認める上ではそれなりの意味がある。が、真の弁証法は、対象が一面からして欠陥があるといった中途半端にとどまることなく、その本性の全体からして対象を解体します」(ヘーゲル「哲学史講義1・P.355」河出文庫 二〇一六年)
(7)「弁証法が最初に運動にかんして成立したことについては、その理由として、弁証法そのものが運動であること、いいかえれば、運動そのものがあらゆる存在の弁証法であることがあげられます。事物は運動するものとして自分のもとに弁証法をもっており、そして運動とは、べつのものになること、自分を廃棄していくことです」(ヘーゲル「哲学史講義1・P.357」河出文庫 二〇一六年)
(8)「矛盾は運動においてもっとも明瞭に示される。運動では、対立するものが目の前にあらわれるからです」(ヘーゲル「哲学史講義1・P.359~360」河出文庫 二〇一六年)
フランドン農学校の豚(ヨークシャイヤ)は或る日、「ラクダ印の歯磨楊枝(はみがきようじ)」を目にする。豚は思う。すでに擬人化されている。
「豚は実にぎょっとした。一体、その楊枝の毛を見ると、自分のからだ中の毛が、風に吹(ふ)かれた草のよう、ザラッザラッと鳴ったのだ。豚は実に永い間、変な顔をして、眺めていたが、とうとう頭がくらくらして、いやないやな気分になった」(宮沢賢治「フランドン農学校の豚」『風の又三郎・P.181』新潮文庫 一九八九年)
畜産学校の教師は毎日この豚の様子を見に来る。そしていう。
「『も少しきちんと窓をしめて、室中(へやじゅう)暗くしなくては、脂(あぶら)がうまくかからんじゃないか。それにもうそろそろと肥育をやってもよかろうな、毎日阿麻仁(あまに)を少しずつやって置いて呉(く)れないか』」(宮沢賢治「フランドン農学校の豚」『風の又三郎・P.182』新潮文庫 一九八九年)
その言葉をすっかり聞いた豚はへこんでしまい急速に食欲が減退する。そしてこう思う。
「<とにかくあいつら二人は、おれにたべものはよこすが、時々まるで北極の、空のような眼をして、おれのからだをじっと見る、実に何ともたまらない、とりつきばもないようなきびしいこころで、これのことを考えている、そのことは恐(こわ)い、ああ、恐い>」(宮沢賢治「フランドン農学校の豚」『風の又三郎・P.182』新潮文庫 一九八九年)
ところが屠殺の日の前月、その「国の王」が奇妙な布告を出した。内容は次のとおり。
「それは家畜撲殺(ぼくさつ)同意調印法といい、誰(たれ)でも、家畜を殺そうというものは、その家畜から死亡承諾書(しょうだくしょ)を受け取ること、又その承諾証書には家畜の調印を要すると、こう云う布告だった」(宮沢賢治「フランドン農学校の豚」『風の又三郎・P.182』新潮文庫 一九八九年)
近代社会の始まりとともに<人権>という概念も入ってくる。労働力維持とその増殖のため当然、資本主義は<人権>を必要とし、また<人権>がなければ延命していけないからだが。しかしなおさら豚は不安に陥りこう思う。人間社会の雇用形態でいう「契約」のことだ。
「<承諾書というのは、何の承諾書だろう何を一体しろと云うのだ。やる前の日には、なんにも飼料をやっちゃいけない、やる前の日って何だろう。一体何をされるんだろう。どこか遠くへ売られるのか。ああこれはつらいつらい>」(宮沢賢治「フランドン農学校の豚」『風の又三郎・P.185~186』新潮文庫 一九八九年)
数日後、三人の生徒たちが何気なく会話しているのを豚は聞いた。こうある。
「『豚のやつは暖かそうだ』。一人が斯う答えたら三人共どっとふき出しました。『豚のやつは脂肪でできた、厚さ一寸の外套(がいとう)を着てるんだもの、暖かいさ』」(宮沢賢治「フランドン農学校の豚」『風の又三郎・P.186』新潮文庫 一九八九年)
豚はたちまち息苦しさを覚えて思う。
「<厚さ一寸の脂肪の外套、おお恐い、ひとのからだをまるで観透(みとお)してるおお恐い。恐い。けれども一体おれと葱と、何の関係があるのだろう。ああつらいなあ>」(宮沢賢治「フランドン農学校の豚」『風の又三郎・P.187』新潮文庫 一九八九年)
だがしかし遂にフランドンのヨークシャイヤ豚は研究生たちの実習材料として化学に<殉教>した。賢治は法華経主義者として豚に<仏性・贈与性>を認め与え、今後の人間社会の科学的発展に寄与するに違いないと祈りつつ、人間社会に向けて貴重極まりない<贈物>として敢えて豚を<殉教>させた。
さて一方、学者たちが集う実験室ではまた違った<意識の流れ>がある。詩人=宮沢賢治は自分自身が学者だったのでその様子が手に取るようにわかる。実験室に集う学者たちの<意識の流れ>に即してこんな詩を残している。これはこれで面白い。
「(春が来るとも見えないな)(いや、来るときは一どに来る 春の速さはまたべつだ)(春の速さはをかしいぜ)(文学亜流にわかるまい、ぜんたい春といふものは 気象因子の系列だぜ はじめははんの紐(ひも)を出し しまひには八重の桜をおとす それが地点を通過すれば 速さがそこにできるだらう)(さういうことを云(い)ってたら 論文なんかぐにゃぐにゃだらう)(論文なんかぱりぱりさ)」(宮沢賢治「春と修羅・第三集・一〇〇三・実験室小景」『宮沢賢治詩集・P.231~232』新潮文庫 一九九〇年)
このケースでも対話形式が取られており、さらにユーモアもある。二人の学者による対話だがどの言葉も実際に発語されることは決してない。二人ともあくまでそれぞれが<意識の流れ>に即した対話を演じる。ゆえに弁証法的な過程を経ており、したがって二人の対話は<弁証法でしかあり得ない>。そこで転がり出てきた一つの答えが「(さういうことを云(い)ってたら 論文なんかぐにゃぐにゃだらう)(論文なんかぱりぱりさ)」。
ややふざけながら対話を進行させつつ同時に二人の学者は科学界のもっと上層部に位置する「教授・博士・男爵(だんしゃく)」を目指そうとする<力への意志>でもある。目的通り明晰な論文を仕上げるためには「ぐにゃぐにゃ」だったり「ぱりぱり」だったりするような論文では無事に試験を通っていくことはできない。ところが内心では「(さういうことを云(い)ってたら 論文なんかぐにゃぐにゃだらう)(論文なんかぱりぱりさ)」と思って四角四面な体裁を取らざるを得ない「学術論文」というものを半分馬鹿にしている。一方で馬鹿にしながらもだがしかし他方では馬鹿にしている四角四面な論文というものに特有の形式に従っているし従わざるを得ない。なぜならこのような事情はそもそも「学術論文」というものに備わった形式がそう要請するからである。ニーチェから三箇所引こう。
(1)「個別的なものを《無視する》ということが、われわれが概念をもつことの原因なのであり、これとともにわれわれの認識は始まるのである。すなわち、《標題づけ》において、《諸々の類》の提示において、われわれの認識は始まるのである。だが、こうしたものに、事物の本質は対応してはいない。それは認識過程ではあるが、事物の本質を射当ててはいないのである。多くの個別的特徴が、われわれに一つの事物を規定してくれるが、すべてのものを規定してはくれない。こうした特徴の同等性が機縁となって、われわれは多くの事物を一つの概念の下に統括するようになる」(ニーチェ「哲学者に関する著作のための準備草案」『哲学者の書・P.319』ちくま学芸文庫 一九九四年)
(2)「すべて語というものが、概念になるのはどのようにしてであるかと言えば、それは、次のような過程を経ることによって、ただちにそうなるのである、つまり、語というものが、その発生をそれに負うているあの一回限りの徹頭徹尾個性的な原体験に対して、何か記憶というようなものとして役立つべきだとされるのではなくて、無数の、多少とも類似した、つまり厳密に言えば決して同等ではないような、すなわち全く不同の場合にも同時に当てはまるものでなければならないとされることによって、なのである。すべての概念は、等しからざるものを等置することによって、発生するのである。一枚の木の葉という概念が、木の葉の個性的な差異性を任意に脱落させ、種々の相違点を忘却することによって形成されたものであることは、確実なのであって、このようにして今やその概念は、現実のさまざまな木の葉のほかに自然のうちには『木の葉』そのものとでも言いうるような何かが存在するかのような概念を呼びおこすのである」(ニーチェ「哲学者に関する著作のための準備草案」『哲学者の書・P.352~353』ちくま学芸文庫 一九九四年)
(3)「つまり、あらゆる現実の木の葉がそれによって織りなされ、描かれ、コンパスで測られ、彩られ、ちぢらされ、彩色されたでもあろうような、何か或る原形というものが存在するかのような観念を与えるのである、しかもそのさい不器用な手でもって原形の模写が行われるので、どの見本も不正確で、原形の忠実なる模写とは信用できないような結果になっているかのようなのである」(ニーチェ「哲学者に関する著作のための準備草案」『哲学者の書・P.353』ちくま学芸文庫 一九九四年)
科学はよりいっそう専門化し細分化されていくだろう。その意志の強烈さには次のように他を寄せつけない過酷な何かがある。
「超越論的探求の特性は、好きなときにやめることができないという点にある。根拠を規定するにあたって、さらなる彼岸へと、根拠が出現してくる無底のなかへと、急き立てられずにいることなどどうしてできよう」(ドゥルーズ「ザッヘル=マゾッホ紹介・P.173」河出文庫 二〇一八年)
だがしかし世界中の誰もが科学にばかり打ち込んでいられるわけはない。科学者もまた一人の生活者として食べていかなくては研究さえ途中で停止してしまうほかない。さらにメンタルヘルス大国と化して久しいアメリカではますます<癒し・余暇>の必要性が毎日のように説かれている。今や中国・ロシア・EU諸国がそれに続いている。健康な高度テクノロジー社会を目指して逆に不健康この上ない超高度テクノロジー社会を実現してしまうという逆説。なぜそんな転倒が生じてきたのか。宮本常一は「女の世間」の中でこう書いている。「女たちのはなしをきいていてエロ話がいけないのではなく、エロ話をゆがめている何ものかがいけないのだとしみじみ思う」。唐突なテーマに見えて全然そうでない。少しばかり引いておこう。
「『わしゃ足が大けえてのう、十文三分をはくんじゃがーーー』。『足の大けえもんは穴も大けえちうがーーー』。『ありゃ、あがいなことを、わしらあんまり大けえないで』。『なあに、足あとの穴が大けえって言うとるのよ』。『穴が大けえと、埋めるのに骨がおれるけに』。『よっぽど元気のええ男でないとよう埋めまいてーーー』。『またあがいなことをーーー』。これも田を植えながらの早乙女たちの話である。植縄をひいて正条植をするようになって田植歌が止んだ。田植歌が止んだからと言ってだまって植えるわけではない。たえずしゃべっている。その話のほとんどがこんな話である。『この頃は田の神様も面白うなかろうのう』。『なしてやーーー』。『みんなモンペをはいて田植えするようになったで』。『へえ?』。『田植ちうもんはシンキなもんで、なかなかハカが行きはせんので、田の神様を喜ばして、田植を手伝うてもろうたもんじゃちうに』。『そうじゃろうか?』。『そうといの、モンペをはかずにへこ(腰巻)だけじゃと下から丸見えじゃろうが田の神さまがニンマリニンマリしてーーー』。『手がつくまいにのう(仕事にならないだろう)』。『誰のがええかれのがええって見ていなさるちうに』。『ほんとじゃろうか』。『ほんとといの。やっぱり、きりょうのよしあしがあって、顔のきりょうのよしあしとはちがうげな』。『そりゃそうじゃろうのう、ぶきりょうでも男にかわいがられるもんがあるけえーーー』。『顔のよしあしはすぐわかるが、観音様のよしあしはちょいとわからんでーーー』。『それじゃからいうじゃないの、馬にはのって見いって』。こうした話が際限もなくつづく。『見んされ、つい一まち〔一枚〕植えてしもうたろうが』。『はやかったの』。『そりゃあんた神さまがお喜びじゃでーーー』。『わしもいんで(帰って)亭主を喜ばそうっと』。女たちのこうした話は田植の時にとくに多い。田植歌の中にもセックスをうたったものがまた多かった。作物の生産と、人間の生殖を連想する風は昔からあった。正月の初田植の行事に性的な仕草をともなうものがきわめて多いが、田植の時のエロばなしはそうした行事の残存とも見られるのである。そして田植の時などに、その話の中心になるのは大てい元気のよい四十前後の女である。若い女たちにはいささかつよすぎるようだが話そのものは健康である。早乙女の中に若い娘のいるときは話が初夜の事になることが多い。『昔、嫁にいった娘がなくなく戻ったんといの』。『へえ?』。『親がわりゃァなして戻って来たんかって、きいたら、婿が夜になると大きな錐(きり)を下腹へむみ込うでいとうてたまらんけえ戻ったって言ったげな』。『へえ』。『お前は馬鹿じゃのう、痛かったらなして唾(つば)つけんか、怪我したら<親の唾、親の唾>って疵口(きずぐち)へつばをつけるとつい痛みがとまるじゃないか。それぐらいの事ァ知っちょろうがって言うたんといの』。『あんたはどうじゃったの』。『わしらよほどよばいど(夜這い奴)に鉢を割られてしもうてーーー』。『今どうじゃろうか。昔は何ちうじゃないの、はじめての晩には柿の木の話をしたちう事じゃがーーー』。『どがいな話じゃろうか』。『婿がのう、うちの背戸に大きな柿の木があって、ええ実がなっちょるが、のぼってもよかろうかって嫁に言うげな、嫁がのぼりんされちうと、婿がのって実をもいでもえかろうかちうと、嫁がもぎんされって、それでしたもんじゃそうなーーー』。私は毎年の田植をたのしみにしているのである。そこで話される話は去年の話のくりかえされる事もあるが、そうでない話の方が多い。声をひそめてはなさねばならぬような事もあるが、隣合った二人でひそひそはなしていると『ひそひそ話は罪つくり』と誰かが言う。エロ話も公然と話されるものでないとこうしたところでは話されない。それだけに話そのものは健康である。そのなかには自分の体験もまじっている。このような話は戦前も戦後もかわりなくはなされている。性の話が禁断であった時代にも農民のとくに女たちの世界ではこのような話もごく自然にはなされていた。そしてそれは田植ばかりでなく、その外の女たちだけの作業の間にもしきりにはなされる。全く機智があふれており、それがまた仕事をはかどらせるようである。無論、性の話がここまで来るに長い歴史があった。そしてこうした話を通して男への批判力を獲得したのである。エロ話の上手な女の多くが愛夫家であるのもおもしろい。女たちのエロばなしの明るい世界は女たちが幸福である事を意味している。したがって女たちのすべてのエロ話がこのようにあるというのではない。女たちのはなしをきいていてエロ話がいけないのではなく、エロ話をゆがめている何ものかがいけないのだとしみじみ思うのである」(宮本常一「女の世間」『忘れられた日本人・P.126~130』岩波文庫 一九八四年)
この論文冒頭に次の一節が掲げられている。
「女はまた、共同体の中で大きな紐帯(じゅうたい)をなしていたが、それは共同体の一員であるまえに女としての世間を持ち、そこではなしあい助けあっていた」(宮本常一「女の世間」『忘れられた日本人・P.105』岩波文庫 一九八四年)
女性たちはなぜ何のためにこれまで苦しんできたか。そしてさらに今は何によって苦しめられつつあるか。打ち続く<戦乱と貧困>が特に女性たちに対して押しつけてくる諸問題の共有とその解決へ向けた過程の模索。それは高度テクノロジーの爆発的発展によってようやく告発され世界中のありとあらゆるところで歴然たる社会問題として取り扱われるまでに至った。この問いはなるほど相反する傾向を持ち合わせてはいる。にもかかわらず女性たちの問題意識は遂に国境を打ち破り大規模な広がりと基本的人権に則した権利とを獲得しつつある。障壁になっているのは一体なんなのだろうか。知っているのに知らないふりをしている人間はまだまだ多いと言わなければならない。
BGM1
BGM2
BGM3