白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・パロディは非=パロディへ転化する「飢餓陣営」

2021年12月29日 | 日記・エッセイ・コラム
軍事行動の最前線で大ダメージを受けたバナナン軍団。「辛(から)くも全滅(ぜんめつ)を免(まぬ)かれ」、マルトン原に残る古い穀倉の中に臨時幕営(ばくえい)を設置。しかしその穀倉も安全とはいえず、すでに砲弾で破損している箇所が見受けられる。ところが肝心のバナナン大将が帰ってこない。それでも大将の帰還を辛抱強く待って整列しているバナナン軍団。特務曹長と総長の二人は声を揃えてこう歌う。

「曹長特務曹長(互(たがい)に進み寄り足踏みつつ唄(う)う)『糧食(りょうしょく)はなし 四月の寒さ ストマクウオッチ(胃時計)ももうめちゃめちゃだ』」(宮沢賢治「飢餓陣営」『銀河鉄道の夜・P.246』新潮文庫 一九八九年)

激しい飢餓に襲われた軍団は戦争で死ぬというより飢えで全滅しそうな模様。さらに軍団が置かれた現状についてもう少し立ち入って特務曹長と曹長の二人はこう歌う。

「曹長特務曹長『大将ひとりでどこかの並木(なみき)の 苹果(りんご)を叩(たた)いているかもしれない 大将いまごろどこかのはたけで 人蔘(にんじん)ガリガリ 嚙(か)んでるぞ』」(宮沢賢治「飢餓陣営」『銀河鉄道の夜・P.247』新潮文庫 一九八九年)

大将の帰還がやけに遅いのはもしかしたら大将一人だけ隠れて「どこかの並木(なみき)の苹果(りんご)を叩(たた)いているかもしれない」し、また「どこかのはたけで人蔘(にんじん)ガリガリ嚙(か)んでる」に違いないというのである。そこへ突然登場したバナナン大将。「バナナのエボレットを飾(かざ)り菓子(かし)の勲章(くんしょう)を胸に満(みた)」している。エボレットは「肩章」のこと。時として拷問以上に過酷な飢餓に晒されたバナナン軍団の兵士たちは食べられない勲章にはまるで関心がなくそもそも勲章など無に等しい。ところがしかし、バナナン大将の胸をじゃらじゃら満たしているのは食べられない勲章ではなく「飾(かざ)り菓子(かし)の勲章(くんしょう)」である。そこで特務曹長と曹長の二人は飢餓のためにむざむざ兵士たちを死なせてしまうよりバナナン大将がじゃらじゃらと身につけている「飾(かざ)り菓子(かし)の勲章(くんしょう)」を騙し取り兵士たちに食べさせて飢えをしのがせ、その責任を取って二人で死のうと決意する。

話が決まった特務曹長はバナナン大将の前に進み出て勲章の一つ一つについて質問する。大将は一つ一つの勲章を特務曹長に手渡し、どうやって手に入れたかいちいち説明する。

(1)「ロンテンプナルール勲章」。「印度(インド)戦争」の戦功として受領したらしい。勲章のまん中に青い色の<ザラメ>がある。特務曹長はその勲章をすばやく曹長に渡し、曹長は兵卒一に渡し、兵卒一はただちにそれを嚥下(えんか)する。

(2)「ファンテプラーク章」。「支那(しな)戦のニコチン戦役」でもらったらしい。(1)と同じく曹長の手を経由させて今度は兵卒二がそれを嚥下する。

(3)「チベット戦争」での戦功品。今度は兵卒三が嚥下する。

(4)「普仏(ふふつ)戦争」にて。余りにも古い話で時代が合わないと思った特務曹長は大将に尋ねる。すると「六十銭で買った」との返事。兵卒四が嚥下する。

(5)次の勲章について大将はいう。「それはアメリカだ。ニュウヨウクのメリケン粉株式会社から贈られたのだ」。兵卒五が嚥下する。

(6)次の勲章。「支那の大将と豚(ぶた)を五匹(ひき)でとりかえた」もの。兵卒六が嚥下する。

(7)さらに次の勲章。「むすこからとりかえした」もの。兵卒七が嚥下する。

(8)「モナコ王国に於(おい)てばくちの番をしたとき貰(もら)った」もの。兵卒八が嚥下する。

(9)「手製」のもの。大将はいう。「わしがこさえたのじゃ」。兵卒九が嚥下する。

(10)「アフガニスタンでマラソン競争をやってとったのじゃ」。兵卒十が嚥下する。

(11)「イタリアごろつき組合」から「贈られた」もの。曹長が嚥下する。

(12)「ベルギ戦役マイナス十五里進軍の際スレンジングトンの街道で拾った」もの。特務曹長が嚥下する。

(13)「バナナのエボレット」。残る六人を含めみんなで千切(ちぎ)り皮を剥(む)いて一同で嚥下する。

これで全員、いったん飢餓から回復する。とともに<良心の呵責(かしゃく)>が舞い戻ってくる。その発生機序についてニーチェはいう。

「外へ向けて放出されないすべての本能は《内へ向けられる》ーーー私が人間の《内面化》と呼ぶところのものはこれである。後に人間の『魂』と呼ばれるようになったものは、このようにして初めて人間に生じてくる。当初は二枚の皮の間に張られたみたいに薄いものだったあの内的世界の全体は、人間の外への放(は)け口が《堰き止められて》しまうと、それだけいよいよ分化し拡大して、深さと広さとを得てきた。国家的体制が古い自由の諸本能から自己を防衛するために築いたあの恐るべき防堡ーーーわけても刑罰がこの防堡の一つだーーーは、粗野で自由で漂泊的な人間のあの諸本能に悉く廻れ右をさせ、それらを《人間自身の方へ》向かわせた。敵意・残忍、迫害や襲撃や変革や破壊の悦び、ーーーこれらの本能がすべてその所有者の方へ向きを変えること、《これこそ》『良心の疚しさ』の起源である」(ニーチェ「道徳の系譜・第二論文・十六・P.99」岩波文庫 一九四〇年)

では作品「飢餓陣営」の場合、なぜ飢餓から救われると同時に<良心の呵責(かしゃく)>が再発生したのか。(1)コジェーヴ、(2)バタイユ参照。

(1)「(真の)認識の中でそれ自身によりそれ自身に開示された《存在者》を、対象とは異なり対象に『対立』する主観によって、『主観』に開示された『対象』へと変ずるものは、この《欲望》である。人間が《自我》として、本質的に《非我》と異なり根本的にそれと対立する《自我》としてーーー自己自身及び他者に対しーーー自己を構成し自己を開示するのは、『自己の』《欲望》の中で、『自己の』《欲望》により、より適切には、『自己の』《欲望》としてである。(人間の)《自我》とは、或る《欲望》のーーー或いは《欲望》そのもののーーー《自我》なのである。したがって、人間の存在そのもの、自己意識的な存在は、《欲望》を含み、《欲望》を前提とする。そうである以上、人間的な実在性は、生物的な実在性、動物的な生の枠内でなければ構成され維持されることができない。だが、たとえこの《動物的欲望》が《自己意識》にとって必要な条件であるとしても、それだけでは十分な条件とは言えない。《動物的欲望》のみでは《自己感情》が構成されるにすぎない。認識が人間を受動的な静的状態に保つのとは対照的に、《欲望》は人間をそわそわさせ、人間を行動へ追いやる。《欲望》から生まれた以上、行動はこの欲望を充足させようとするが、『否定』によらなければ、すなわち欲望の対象を破壊するか、少なくともその形態を変じなければ、それを遂行することができない。例えば、空腹を満たすためには、食物を破壊しなければならない、ともかくもその形態を変じなければならない。このように、いかなる行動も『否定的』である」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・第一章・P.11~12」国文社 一九八七年)

(2)「実のところを言うと、死の非現実性というのはある表層的な一面にしか過ぎない。事物たちの世界の内にその場を持たないもの、現実世界においては非現実的であるものは、正確に言うと死ではないのである。事実死は現実のまやかしを暴露する。という意味は、ただ単に持続の不在が現実というものの虚偽を想い出させるという点でそうするというだけではなく、なによりも死が生の偉大な肯定者であり、生に驚嘆して発せられた叫びであるという点でそうするのである。現実秩序が投げ棄てるのは、死がそうであるような現実の否定というよりもむしろ内奥的な、内在的な生命の肯定、つまりその際限のない激烈さ=暴力性(ヴァイオレンス)が事物たちの安定にとって危険であり、また死においてのみ初めて十分に啓示されるような内奥の生命の肯定なのである。現実秩序はこの内奥の生を無効にーーーつまり中和化ーーーしなければならない。そしてその代りに、労働という共同性の中にある個人がそうであるような事物を対置しなければならぬのである。だかしかしそういう現実秩序も、いままさに死のうちへと生が消滅する瞬間において、けっして《事物》ではありえない生が、その《不可視の》閃光を開示することがないようにしてしまうわけにはいかない。死の力が意味しているのは、この現実世界が生に関してある中和化されたイメージしか持てないということであり、また内奥性がその世界において眼を眩ますばかりの消尽のさまを開示するのは、ただまさしく内奥性が欠けんとする瞬間においてのみだということである。死がそこにあったときには、誰もそこに《それがある》と知らなかった。死は無視されており、それが現実的な事物たちの利にかなうことであった。死は他のものたちと同じように一つの現実的事物だったのである。しかし突如として死は、現実社会が嘘をついていたことを示す。するとそのとき深く考慮に入れられるのは、事物が喪失されたということではなく、また有用なメンバーが失われたということでもない。現実社会の失ったものは一人のメンバーではなく、その真理なのである。内奥の生命はもうすでに私にまで十分到達する力を失っており、それを私は基本的には一個の事物のようにみなしていたのであるが、その内奥の生を十分なまで私の感受性へと戻してくれるのは、それが不在となることによるのである。死は生をその最も充溢した状態において啓示し、現実秩序を沈み込ませる。それ以降は、この現実秩序が、もはや存在しないものの持続の要請であることは、ほとんど重要性を持たなくなる。諸関係に基づいて立てられている一つの存在体は、一個の基本要素が自らの要請に背いて消え去るときに、欠如する部分が生じて病み苦しむというのではない。そういう存在体は、すなわち現実秩序は、一度に全体として消え失せてしまったのである。もはやその現実秩序が問題となることはなく、そして死が涙のうちに運んでくるものは、内奥次元〔L’ordre intime〕の、なんの有用性も持たぬ消尽なのである」(バタイユ「宗教の理論・第一部・三・供犠、祝祭および聖なる世界の諸原則・P.60~62」ちくま学芸文庫 二〇〇二年)

作品「飢餓陣営」ではとりあえず「飢餓」という状況が取り扱われてはいるものの、戦乱に伴う「飢餓」であれ「殺人」であれ「飽食」であれ、バタイユのいう「際限のない激烈さ=暴力性(ヴァイオレンス)」が実現されるやそこに<良心の呵責・良心の疾(やま)しさ>が宗教的感情として出現する。従ってバナナン大将の胸をじゃらじゃら満たしている「飾(かざ)り菓子(かし)の勲章(くんしょう)」は消費・蕩尽された瞬間、配下全員に<良心の呵責・良心の疾(やま)しさ>が《宗教的感情として》出現していなければならない。バタイユはいう。「現実社会の失ったものは一人のメンバーではなく、その真理なのである」。なぜそうなるのか。この点についてヘーゲルは「反省〔反照〕」の重要性について述べている。ヘーゲル用語でいう「反省〔反照〕」は通俗的な意味での「謝罪」とはまるで異なる点に注意しよう。

「《本質》は《媒介的に定立された》概念としての概念である。その諸規定は本質においては《相関的》であるにすぎず、まだ端的に自己のうちへ《反省》したものとして存在していない。したがって概念はまだ《向自》として存在していない。本質は、自分自身の否定性を通じて自己を自己へ媒介する有であるから、他のものへ関係することによってのみ、自分自身へ関係するものである。もっとも、この他者そのものが有的なものとしてではなく、《定立され媒介されたもの》として存在している。ーーー有は消失していない。本質はまず、単純な自己関係として有である。しかし他方では、有は、《直接的なもの》であるという一面的な規定からすれば、単に否定的なもの、すなわち、仮象へ《ひきさげられている》。ーーーしたがって本質は、自分自身のうちでの《反照》としての有である。

<訳者注>。Reflexion、reflektierenという言葉は、ヘーゲルでは独自な意味に使われている。もともと、ラテン語のReflexioは、まがりもどることを意味する。ここから、光は、反射の意味となる。自己をかえりみるという場合の反省も、原意と無関係ではない。しかし、ヘーゲルは相関関係のうちにある二つのものを、その一方から出発して考察するとき、Reflexionという言葉を使う。例えば、支配者というものは、支配される者なしには存在せず、考えられず、自分自身のみからは理解できないものである。このような相関は、そこに存在しているのであるが、われわれが今支配者というものを理解しようとすれば、支配されるものへいき、そして再び支配者へ帰ってこなければならない。相関においては、かくして相関する互の側から、このようなReflexionが行われるわけである。これがReflexionの全体的な意味である。しかし、他者へのReflexionというように、この言葉が使われるとき、それは、とりあえず関係という意味しか表面に持っていない。ヘーゲルにおいては、概念が自覚する形をも持つから、反省と訳すが、十分ではない。エンチクロペディーの初版では、ヘーゲルは、『本質の領域では、相関性が支配的な規定をなしている』と言っている。マルクスは、資本論で、相対的価値形態を述べたところの、註のうちでReflexionsbestimmungに言及し、次のように言っている。『Reflexionsbestimmungenというものは、一般に、独特なものである。例えば、特定の人間が王であるのは、ただ他の人々が臣下としてかれにたいするからである。ところが、この人々は、かれが王であるからこそ、自分たちは臣下なのだと思っている』。なお、主観的思惟にReflexionという言葉をヘーゲルが使うとき、それは、すでにこれまでの訳者註に述べたように、関係的、相関的思惟である」(ヘーゲル「小論理学・下・第二部・本質論・一一二・P.15~16」岩波文庫 一九五二年)

さて次に特務曹長と曹長との対話がつづく。

「曹長『上官、私共二人はじめの約束(やくそく)の通りに死にましょう』。特務曹長『そうだ。おいみんな。おまえたちはこの事件については何も知らなかった。悪いのはおれ達二人だ。おれ達はこの責任を負って死ぬからな、お前たちは決して短気なことをして呉(く)れるな。これからあともよく軍律を守って国家のためにつくしてくれ』」(宮沢賢治「飢餓陣営」『銀河鉄道の夜・P.256』新潮文庫 一九八九年)

国家のために死ぬことに対して酔いしれる二人の上官。この点についてもニーチェは十九世紀のうちに早くも指摘している。

「今では何か戦争が勃発するやいなや、きまっていつも同時に民族の最も高貴な人士の胸中にすら、秘密にされてはいるものの一つの喜びが突然に生ずる。彼らは有頂天になって新しい《死》の危険へと身を投ずる、というのも彼らは祖国への献身のうちに、やっとのことであの永いあいだ求めていた許可をーーー《自分たちの目的を回避する》許可を手に入れたと、信ずるからだ。ーーー戦争は、彼らにとって、自殺への迂路(うろ)である、しかも良心の呵責をともなわぬ迂路である」(ニーチェ「悦ばしき知識・三三八・P.358~359」ちくま学芸文庫 一九九三年)

ところがバナナン大将は特務曹長と曹長の自害を制して次善の策を提案する。

「『今わしは神のみ力を受けて新らしい体操を発明したのじゃ。それは名づけて生産体操となすべきじゃ。従来の不生産式体操と自(おのずか)ら撰(せん)を異にするじゃ』」(宮沢賢治「飢餓陣営」『銀河鉄道の夜・P.258』新潮文庫 一九八九年)

兵士たちは新しい体操を行うことになる。バナナン大将のいう新式の「生産体操」。どのような「体操」か。大将は自分の発案によるその「生産体操」を「果樹整枝法」と呼ぶ。兵士たちそれぞれが果樹園の果樹の枝を太い幹から細部まで順番に真似ていく体操。最後に実った果実を確実に収穫するため「棚(たな)」の形に体を真似る。

「大将『次は果樹整枝法、その六、棚(たな)仕立、これは日本に於(おい)て梨(なし)葡萄(ぶどう)等の栽培(さいばい)に際して行われるじゃ。棚をつくる。棚を。わかったか』」(宮沢賢治「飢餓陣営」『銀河鉄道の夜・P.260』新潮文庫 一九八九年)

そして兵士たちが組み合わさってできた果樹の棚の下をバナナン大将がくぐり抜けて収穫に移る。

「(兵士ら腕を組み棚をつくる。バナナン大将手籠(てかご)を持ちてその下を潜(くぐ)りしきりに果実を収む)」(宮沢賢治「飢餓陣営」『銀河鉄道の夜・P.260』新潮文庫 一九八九年)

馬鹿げた発想だろうか。そうかも知れない。だが「法華経・化城喩品」にこうある。人跡未到の密林の中でパニックに陥った僧侶たちを上手く導くため「幻の城」を出現させたという「方便」。

「譬如五百由旬。險難悪道。曠絶無人。怖畏之處。若有多衆。欲過此道。至珍寶處。有一導師。聡慧明達。善知險道。通塞之相。將導衆人。欲過此難。所將人衆。中路懈退。白導師言。我等疲極。而復怖畏。不能復進。前路猶遠。今欲退還。導師多諸方便。而作是念。此等可愍。云何捨大珍寶。而欲退還。作是念已。以方便力。於險道中。過三百由旬。化作一城。告衆人言。汝等勿怖。莫得退還。今此大城。可於中止。随意所作。若入是城。快得安穏。若能前至寶所。亦可得去。是時疲極之衆。心大歓喜。歎未曾有。我等今者。免斯悪道。快得安穏。於是衆人。前入化城。生已度想。生安穏想。爾時導師。知此人衆。既得止息。無復疲惓。即滅化城。語衆人言。汝等去来。寶處在近。向者大城。我所化作。爲止息耳。

(書き下し)譬えば、五百由旬の険難なる悪道の、曠(むな)しく絶えて人なき怖畏(ふい)の処あるが如し。若し多くの衆(ひとびと)ありて、この道を過ぎて、珍宝の処に至らんと欲するに、一(ひとり)の導師の、聡慧(そうえ)・明達(みょうだつ)にして、善く險道(けんどう)の通塞(つうそく)の相を知れるものあり。衆人(もろびと)を将(ひき)い導(みちび)きて、この難を過ぎんと欲するに、将(ひき)いらるる人衆(にんしゆ)は中路に懈退(けたい)して、導師に、白(もう)して言わく「われ等は疲(つか)れ極まりて、また怖畏す。また進むこと能わず。前路はなお遠し。今、退(しりぞ)きかえらんと欲す」と。導師は、諸(もろもろ)の方便多くして、この念をなす「これ等は愍むべし。いかんぞ大いなる珍宝を捨てて、退きかえらんと欲するや」と。この念を作しおわりて、方便力(ほうべんりき)をもって、険道(けんどう)の中において、三百由旬を過ぎて、一城を化作して、衆人(もろびと)に告げていわく、「汝等よ、怖るることなかれ。退きかえることを得ることなかれ。今、この大城は、中において止(とど)まりて、意(こころ)のなす所に随うべし。若しこの城に入らば、快(こころよ)く安穏(あんのん)なることを得ん。若しよく前(すす)みて、宝所(ほうしょ)に至らば、また去ることを得べし」と。このとき、疲れ極まりし衆(ひとびと)は、心大いに歓喜(かんぎ)して、未曽有なりと歎じ「われ等、いまこの悪道をまぬかれて、快く安穏なることを得たり」といえり。ここにおいて、衆人(もろびと)は、前(すす)みて化城(けじょう)に入りて、すでに度(こえ)たりとの想(おもい)を生じ、安穏の想(おもい)を生ぜり。そのとき、導師は、この人衆の、すでに止息(しそく)することを得、また疲惓(ひけん)なきを知りて、すなわち、化城を滅して、衆人(もろびと)に語りて言わく「汝等よ去来(いざ)や、宝所は近きにあり。さきの大城は、われの化作せるところにして、止息のためなるのみ」と。

(サンスクリット原典からの邦訳)例えば、僧たちよ、ここに広さ五百ヨージャナの人跡未到の密林があって、そこに大勢の人々が到着したとしよう。ラトナ=ドゥヴィーパに行くために、賢明で学識があり、敏捷で精神力があり、密林の難路に通じていて隊商を案内して密林を通過さすことのできる、一人の案内人がいるとしよう。ところで、かの大勢の人々は途中で疲れ果てた上に、密林の不気味さに怖れおののいて、このように言うとしよう。「君、案内人よ、われわれは疲れ果てて、不安に怖れおののいているんだ。引き返そうじゃないか。人跡未到の密林は非常な遠くまで広がっている」と。そのとき、僧たちよ、巧妙な手段に通暁しているかの案内人は、人々が引き返そうと思っていることを知り、このように考えるとしよう。「これは駄目だ。あこの憐れな連中は、このままではラトナ=ドゥヴィーパに行けないであろう」と。彼はかれらを憐れんで、巧妙な手段を用いるとしよう。その密林の真中に、百ヨージャナあるいは二百ヨージャナないし三百ヨージャナの向こうに、彼が神通力で都城を造るとしよう。こうして、彼は、人々にこのように言うとしよう。「諸君、怖れてはならぬ。怖れてはいけない。あそこに大きな町がある。あそこで休もう。諸君たちがしなければならないことがあるなら、あそこで用を足しなさい。安心して、あそこに滞在するがよろしい。あそこで休んで、仕事のある人はラトナ=ドゥヴィーパに行くがよい」と。そこで、僧たちよ、密林に入りこんだ人々は不思議に思い、いぶかりながらも、「われわれは人跡未踏の密林を通り抜けたのだ。安心して、ここに逗留しよう」と思うであろう。また、助かったと思うであろう。「われわれは安心した。気分が爽快になった」と思うであろう。そこで、かの案内人は人々の疲れがなくなったことを知ると、神通力で造った都城を消して、人々にこのように言うとしよう。「諸君、こちらへ来てください。ラトナ=ドゥヴィーパは直ぐ近くだ。この都城は、君たちを休憩させるために、わたしが造ったのだ」と」(「法華経・中・巻第三・化城喩品・第七・P.572~75」岩波文庫 一九六四年)

とことん追い詰められた人間は上司の勲章であろうとなかろうと何でも喰らう。いったん飢餓から回復すると今度は<良心の呵責・良心の疾(やま)しさ>が《宗教的感情として》回帰してくる。そこへ次に一見気が利いて見える宗教教義が与えられ<幻の城>造営に打ち込まされることになる。こうして形成された<トラウマ>は生涯癒えることのない疵(きず)となって関係者一同の精神の奥深く喰い込み人間精神をどんどん侵蝕していく。また、この種の<トラウマ>の原動力だが、それはフロイトがニーチェから借りてきた言葉<エス>から供給されているため、生涯に渡って止まるということを知らない。

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