或る寒冷地の田んぼが舞台。一面雪化粧している。農耕地に住む烏たちは烏の義勇艦隊(ぎゆうかんたい)を編成し、山に住む山烏の襲来に備えていた。というのもその年はまたしても飢饉に見舞われ烏と山烏との間で戦闘が行われていたからである。もっとも、作者の眼から烏の艦隊を見れば「石ころ」のようであり「胡麻(ごま)つぶ」のようでもあり望遠鏡を通して見ると「大きなのや小さなのがあって馬鈴薯(ばれいしょ)」のように見える。一方、烏目線に戻るとそれぞれが一大戦闘部隊であり、「二十九隻の巡洋艦(じゅんようかん)」や「二十五隻の砲艦(ほうかん)」から編成されている。ところが艦隊が順序正しく一斉に飛び立っていく終わりに二隻ばかり調子っぱずれの艦隊もいる。作品「マリヴロンと少女」にも同じ意味を持った描写がある。
「あたりはくらくなり空だけは銀の光を増せば、あんまり、もずがやかましいので、しまいのひばりも仕方なく、もいちど空へのぼって行って、少うしばかり調子はずれの歌をうたった」(宮沢賢治「マリヴロンと少女」『銀河鉄道の夜・P.110~111』新潮文庫 一九八九年)
烏の場合「ここらがどうも烏の軍隊の不規律なところです」と書かれている。
さて農耕地に住む烏の義勇艦隊の一人「烏の大尉」は、明日の戦闘のことを考えて眠れずふとこう呟(つぶやく)く。
「烏の大尉は、眼が冴(さ)えて眠(ねむ)れませんでした。『おれはあした戦死するのだ』。大尉は呟(つぶ)やきながら、許嫁(いいなずけ)のいる杜の方にあたまを曲げました」(宮沢賢治「烏の北斗七星」『注文の多い料理店・P.60』新潮文庫 一九九〇年)
さらに同僚の「若い声のいい砲艦」が居眠っている横でこう思う。
「じぶんもまたためいきをついて、そのうつくしい七つのマジエルの星を仰(あそ)ぎながら、ああ、あしたの戦(たたかい)でわたくしが勝つことがいいのか、山烏がかつのがいいのかそれはわたくしにわかりません、ただあなたのお考(かんがえ)のとおりです、わたくしはわたくしにきまったように力いっぱいたたかいます、みんなみんなあなたのお考えのとおりですとしずかに祈って居りました」(宮沢賢治「烏の北斗七星」『注文の多い料理店・P.61~62』新潮文庫 一九九〇年)
この場面で出てくる「七つのマジエルの星」は日本で「北斗七星」と呼ばれている星座。「北斗七星」を含む「大熊座(おおぐまざ)」を意味するラテン名“Ursa Major”の「マジョール」から取られたもの。彼ら農耕地に住む烏たちは「北斗七星」を神とする集団として設定されたことがわかる。さらにその先には北極星が位置するわけだが、東北地方・北海道・樺太・中国東北部・シベリアへと続く宮沢賢治の北方志向は実際の北極がどうなのかというより、とても似通った厳しい気象条件のもとで暮らすすべての人々に向けられている。しかしなぜ天空の神なのか。ニーチェはいう。
「ローマ人やエトルリア人は、天空を、固定した数学的な線で以て切断し、このような具合に限界づけられた空間を神殿と見立てて、その中へ神を封じ込めたのだが、それと同じように、すべての民族は、このように数学的に分割された概念の天空を、自分の上にもっているのであって、今や真理の要求ということを、あらゆる概念の神は《その》領域のうちにのみ求められるものだというふうに、理解しているのである」(ニーチェ「哲学者の書・哲学者に関する著作のための準備草案・P.356~357」ちくま学芸文庫 一九九四年)
そんな夜明け前。「白い峠(とうげ)の上」の「一本の栗の木」の梢で空を見上げている一羽の山烏がいた。烏の大尉は「非常召集(ひじょうしょうしゅう)」と怒鳴りながら部下を起してまわり「突貫(とっかん)」と命じた。山烏の足はぐらぐらしている。奇襲をかけた烏の艦隊に包囲され攻撃を受けて「よろよろ」とあっけなく死んだ。そして夜が明けた。雪に覆われた田んぼはきらきら輝いている。烏の艦隊は整列し、大尉はいう。
「『ギイギイ、ご苦労だった。ご苦労だった。よくやった。もうおまえは少佐になってもいいだろう、おまえの部下の叙勲(じょくん)はおまえにまかせる』。烏の新らしい少佐は、お腹(なか)が空(す)いて山から出て来て、十九隻に囲まれて殺された、あの山烏を思い出して、あたらしい泪をこぼしました。『ありがとうございます。就(つい)ては敵の死骸(しがい)を葬(ほうむ)りたいとおもいますが、お許し下さいましょうか』。『よろしい、厚く葬ってやれ』」(宮沢賢治「烏の北斗七星」『注文の多い料理店・P.64』新潮文庫 一九九〇年)
新しく少佐に任命された烏は次のように祈る。
「ああ、マジエル様、どうか憎むことのできない敵を殺さないでいいように早くこの世界がなりますように、そのためならば、わたくしのからだなどは、何べん引き裂かれてもかまいません」(宮沢賢治「烏の北斗七星」『注文の多い料理店・P.64』新潮文庫 一九九〇年)
露骨な信仰告白。従来から指摘されてきた点だがこれと同様の文章は独白という形式であちこちに見られる。
(1)「『それはできるだろう。けれども、その仕事に行ったもののうち、最後の一人はどうしても遁(に)げられないのでね』。『先生、私にそれをやらしてください。どうか先生からペンネン先生へお許しの出るようお詞(ことば)を下さい』。『それはいけない。きみはまだ若いし、いまのきみの仕事に代れるものはそうはない』。『私のようなものは、これから沢山できます。私よりもっともっと何でもできる人が、私よりもっと立派にもっと美しく、仕事をしたり笑ったりして行くのですから』」(宮沢賢治「グスコーブドリの伝記」『風の又三郎・P.294~295』新潮文庫 一九八九年)
(2)「かぶとむしや、たくさんの羽虫が、毎晩僕に殺される。そしてそのただ一つの僕がこんどは鷹に殺される。それがこんなにつらいのだ。ああ、つらい、つらい。僕はもう虫をたべないで餓(う)えて死のう。いやその前にもう鷹が僕を殺すだろう。いや、その前に、僕は遠くの空の向うに行ってしまおう」(宮沢賢治「よだかの星」『銀河鉄道の夜・P.35』新潮文庫 一九八九年)
(3)「ところがある霧(きり)のふかい朝でした。虔十は萱場(かやば)で平二といきなり行き会いました。平二はまわりをよく見まわしてからまるで狼(おおかみ)のようないやな顔をしてどなりました。『虔十、貴(き)さんどごの杉伐(き)れ』。『何(な)してな』。『おらの畑ぁ日かげにならな』。虔十はだまって下を向きました。平二の畑が日かげになると云ったって杉の影がたかで五寸もはいってはいなかったのです。おまけに杉はとにかく南から来る強い風を防いでいるのでした。『伐れ、伐れ。伐らないが』。『伐らなぃ』。虔十が顔をあげて少し怖(こわ)そうに云いました。その唇(くちびる)はいまにも泣き出しそうにひきつっていました。実にこれが虔十の一生の間のたった一つの人に対する逆らいの言(ことば)だったのです。ところが平二は人のいい虔十などにばかにされたと思ったので急に怒(おこ)り出して肩を張ったと思うといきなり虔十の頬(ほお)をなぐりつけました。どしりどしりとなぐりつけました。虔十は手を頬にあてながら黙(だま)ってなぐられていましたがとうとうまわりがみんなまっ青に見えてよろよろしてしまいました。すると平二も少し気味が悪くなったと見えて急いで腕(うで)を組んでのしりのしりと霧の中へ歩いて行ってしまいました。さて虔十はその秋チブスにかかって死にました。平二も丁度その十日ばかり前にやっぱりその病気で死んでいました」(宮沢賢治「虔十公園林」『風の又三郎・P.211~212』新潮文庫 一九八九年)
(4)「『もう二年ばかり待って呉(く)れ、おれも死ぬのはもうかまわないようなもんだけれども少しし残した仕事があるしただ二年だけ待ってくれ。二年目ならおれもおまえの家の前でちゃんと死んでいてやるから。毛皮も胃袋(いぶくろ)もやってしまうから』。小十郎は変な気がしてじっと考えて立ってしまいました。熊はそのひまに足うらを全体地面につけてごくゆっくりと歩き出した。小十郎はやっぱりぼんやり立っていた。熊はもう小十郎がいきなりうしろから鉄砲を射ったり決してしないことがよくわかってるという風でうしろも見ないでゆっくりゆっくり歩いて行った。そしてその広い赤黒いせかなが木の枝(えだ)の間から落ちた日光にちらっと光ったとき小十郎は、う、うとせつなそうにうなって谷をわたって帰りはじめた。それから丁度二年目だったがある朝小十郎があんまり風が烈しくて木もかきねも倒(たお)れたろうと思って外へ出たらひのきのかきねはいつものようにかわりなくその下のところに始終見たことのある赤黒いものが横になっているのでした。丁度二年目だしあの熊がやって来るかと少し心配するようにしていたときでしたから小十郎はどきっとしてしまいました。そばに寄って見ましたらちゃんとあのこの前の熊が口からいっぱいに血を吐いて倒れていた。小十郎は思わず拝むようにした」(宮沢賢治「なめとこ山の熊」『注文の多い料理店・P.351』新潮文庫 一九九〇年)
(4)「ジョバンニはなんだかわけもわからずににわかにとなりの鳥捕りが気の毒でたまらなくなりました。鷺(さぎ)をつかまえてせいせいしたとよろおんだり、白いきれでそれをくるくる包んだり、ひとの切符をびっくりしたように横目で見てあわててほめだしたり、そんなことを一々考えていると、もうその見ず知らずの鳥捕りのために、ジョバンニの持っているものでも食べるものでもなんでもやってしまいたい、もうこの人のほんとうの幸(さいわい)になるなら自分があの光る天の川の河原(かわら)に立って百年つづけて立って鳥をとってやってもいいというような気がして、どうしてももう黙(だま)っていられなくなりました」(宮沢賢治「銀河鉄道の夜」『銀河鉄道の夜・P.192』新潮文庫 一九八九年)
そしてその解決法として賢治は「ブルカニロ博士」を登場させてこう言わせている。「ほんとうの考(かんがえ)とうその考とを分けてしまえばその実験の方法さえきまればもう信仰(しんこう)も化学と同じようになる」。
「『おまえはおまえの切符をしっかりもっておいで。そして一しんに勉強しなけぁいけない。おまえは化学をならったろう。水は酸素と水素からできているということを知っている。いまはだれだってそれを疑やしない。実験して見るとほんとうにそうなんだから。けれども昔(むかし)はそれを水銀と塩でできていると云ったり、水銀と硫黄(いおう)でできていると云ったりいろいろ議論したのだ。みんながめいめいじぶんの神さまがほんとうの神さまだというだろう、けれどもお互(たがい)ほかの神さまを信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれるだろう。それからぼくたちの心がいいとかわるいとか議論するだろう。そして勝負がつかないだろう。けれどももしおまえがほんとうに勉強して実験でちゃんとほんとうの考(かんがえ)とうその考とを分けてしまえばその実験の方法さえきまればもう信仰(しんこう)も化学と同じようになる』」(宮沢賢治「銀河鉄道の夜〔初期形第三次稿〕」『ポラーノの広場・P.375』新潮文庫 一九九五年)
しかしこうも露骨な信仰の発露について賢治は一方で<童話・童謡>としてはどうなのかという疑問をいつも抱いていた。そこで「銀河鉄道の夜〔初期形第三次稿〕」に記述した「ブルカニロ博士」の発言はすべて抹消され、「ブルカニロ博士」の存在さえもまったく消してしまう。しかし一体何が賢治を極めて自己犠牲的な、全人類の救済のためには死んでも構わないというような深い宗教性に酔いしれさせたのか。
何度も言われてきたことだが賢治の生家は花巻の地域社会では知らぬもののない富商であった。代々質屋を営んでおり、貧困層に金を貸し付けて環流させ、舞い戻ってくる利子だけで暮らしていくことができた。その種の生き方が近代知識人としての賢治にとって耐えがたい<負の意識>を打ち込んだ。生まれてきた時すでに生家は富裕層に属していた。近代資本主義の黎明期のただなかで、周囲の農民たちは生きるか死ぬかの日々を送っている。なのに自分は何不自由なく彼らの貧困をのんきに眺めているばかりか利息だけで生きていくことができる。経済的貧困層に対しては間違いなく《債権者》であるが同時に社会的倫理に照らし合わせてみるといついかなる時でも《債務者》へ転化するほかない。高利貸しとしては訴えられる側の<被告>であるともいえる。そしてそのように二重化された自分を見ているもう一人の自分がいる。しかしこの二重化された立場は自分から望んで手に入れた立場ではいささかもない。生まれてきた時すでにそのような<被告的>立場に置かれていた。とりかえしのつかない事情である。生まれてすぐ、あらかじめ与えられていた社会的立場であって、目の前にありありと横たわり毎年のように繰り返される悲惨な事実を否定することはもはやできない。生まれた時すでに《債権者》であるとともに《債務者》でもあるというア・プリオリな事情を「持ってしまっている」。ドゥルーズはそのような<とりかえしのつかない>事態をいつもすでに<持っている>立場についてこう述べている。例に上げられているのは一九三〇年代に入ってからたちまち零落していった後期のフィッツジェラルドだ。
(1)「アルコール飲みは、この硬直が隠匿する柔らかさを愛するのと同様に、自分を捕える硬直も愛するのである。一方の時期が他方の時期の中にあり、現在がこれほど固くなり硬直するのは、破裂しそうな柔らかな点を占拠するためにほかならない。同時的な二つの時期は、奇妙な仕方で複合される。すなわち、アルコール飲みは、半過去や未来を生きるのではなく、《複合過去》しか持たないのである。ただし極めて特殊な複合過去である。アルコール飲みは、酔いを材料にして、想像的な過去を複合する。まるで、柔らかな過去分詞が、固い助動詞現在形に結合しに来たかのように。私は愛してしまったを-持っている、私は行なってしまったを-持っている、私は見てしまったを-持っている(j’ai-aimé, j’ai-fait, j’ai-vu)。これが、二つの時期の交接を表現し、アルコール飲みが躁的な全-能性を享受しながら一方の時期を他方の時期の《中で》経験するやり方を表現する。ここにおいて、複合過去は隔たりや完遂をまったく表現していない。現在の時期は、動詞・持つの時期であるが、すべての存在者は、『過去』として、《同時的な》別の時期の中に、分有の時期、分詞の固定の時期の中にある。それにしても、この締め付け、現在が別の時期を包囲し占拠し締め付けるこの方式は、ほとんど堪え難い何とも奇妙な緊張である。現在は、柔らかな中心・溶岩・液状ガラス・粘性ガラスの周囲で、円形の水晶や花崗岩になる」(ドゥルーズ「意味の論理学・上・第22セリー・P.275~276」河出文庫 二〇〇七年)
(2)「さらに別のものになるために、緊張は解けてしまう。というのは、当然にも、複合過去は『私は飲んでしまったを-持っている』に到るからである。現在の時期は、もはやアルコールの効果の時期ではなくなり、アルコールの効果の効果の時期になる。そして、今や、この別の時期が、近い過去(私が飲んでいた時期)を無差別に含んでしまう。また、この近い過去が隠匿する想像的同一化のシステムと、多かれ少なかれ遠ざかった素面の過去のリアルな要素も含んでしまう。それによって、現在の硬化はまったく意味を変える。すなわち、現在は、固い現在としては、影響力を失って色褪せ、何ものも締め付けず、別の時期のすべての相を等しく遠ざける。まるで、近くの過去、しかしまた、近くの過去で構成された同一化の過去、そして最期に、〔その構成の〕材料を提供していた素面の過去、これらすべてが、羽ばたいて逃げ去り、等しくなったかのようである。これらすべての過去との距離を維持しているのが、全般的に拡大する色褪せた現在、増大する砂漠の中で改めて硬直する新たな現在である。複合過去の一次効果は、唯一の複合過去『私は飲んでしまったを-持っている』の二次効果で置き換えられる。この助動詞現在形は、一切の分詞と一切の分有からの無限の距離を表現するだけである。現在の硬化(私は持っている)と、過去(私は飲んでしまった)の逃走の効果には、今や関連性があることになる。であったことを持っている(has been)においてすべては頂点に達する。過去の逃走の効果、あらゆる意味での対象喪失が、アルコリスムの抑鬱的な面を構成する。そして、この逃走の効果が、たぶん、フィッツジェラルドの作品の最大の力になっているものであり、フィッツジェラルドが最も深く表現したものである」(ドゥルーズ「意味の論理学・上・第22セリー・P.276~277」河出文庫 二〇〇七年)
(3)「興味深いのは、フィッツジェラルドは、作中人物が飲んでいるところや飲もうとしているところを提示しないということ、欠如や欲求の形態としてアルコリスムを見てはいないのである。慎み深かったのだろう。あるいは、いつでも飲めたのかもしれない。あるいは、アルコリスムには多くの形態があるのかもしれない。ともかく、アルコリスムの一形態は数分前の過去をも自分の過去として振り返る。(ラウリーは反対にーーー。しかし、欲求の激しい形態としてアルコリスムが生きられるときにも、時間の深い変形が現出する。今度は、将来のすべてが《前-未》来として生きられてしまう。そして、この複合未来は恐ろしいほどに加速し、死に到る効果の効果を生み出す)。フィッツジェラルドの主人公にとって、アルコリスムとは、崩壊の過程そのものであり、この過程が過去の逃走の効果を決定するのである。こうして、素面だった過去が、主人公から切り離されるだけではなく(『わが神よ、十年間も酩酊』)、先ほど飲んでいた近い過去や、一次効果の幻想的な過去も、主人公から切り離されるのである。すべては等しく遠ざかってしまうので、また飲むのが必要だと、あるいはむしろ、飲み直してしまったことを持っているのが必要だと決定される。硬化して色褪せた現在、唯一存続し死を意義する現在に勝利するためには必要だと決定されるのである。この点で、アルコリスムが範例的になる。というのは、金銭の喪失、愛の喪失、祖国の喪失、成功の喪失といった他の出来事は、それぞれの仕方でアルコール-効果を与えるからである。それらは、アルコールから独立に外在的な仕方でアルコール-効果を与えるが、アルコールの結末に似ているのである」(ドゥルーズ「意味の論理学・上・P.277~278」河出文庫 二〇〇七年)
しかしフィッツジェラルド作品の中で最も魅力的なものの多くは社会的に零落してしまってから後の短編小説群であることに間違いはないのである。一方、物価高騰を上手く処理できずますます経済的苦境に陥った日本政府は治安維持法で反対運動を封じ込めてしまう。そんななか、晩年の賢治は農村各地を奔走し社会活動に打ち込み続けた。もちろんそれまで書いてきた短編群に多くの訂正を施し推敲を重ねた。最も盛大に活動した時期と病状悪化の時期が重なったのは偶然かもしれないが、最晩年に推敲に推敲を重ねたことは偶然ではないだろう。
なお年末に当たり次の言葉を引用しておくのは無駄ではないだろう。荘子から二箇所。(1)は今の市民生活にとって延期できないものの中で最も必要なものは何かについて。(2)は一方の大木は使い道がない点で長生きした反面、もう一方の駝鳥はけたたましく鳴くことができるため長生きした。一方は無用ゆえの長寿、もう一方は芸能ゆえの長寿。要するに動植物が長生きするかどうかの条件はさしあたり用不用にはまるで関係がないこと。
(1)「荘周家貧、故往貸粟於監河候、監河候曰、諾、我將得邑金、將貸子三百金、可乎、荘周忿然作色曰、周昨来、有中道而呼者、周顧視、車轍中有鮒魚焉、周問之曰、鮒魚来、子何爲者邪、対曰、我東海之波臣也、君豈有斗升之水而活我哉、周曰、諾、我且南遊呉越之王、激西江之水而迎子、可乎、鮒魚忿然作色曰、吾失我常與、我无所處、吾得斗升之水、然活耳、君乃言此、曾不如早索我於枯魚之肆
(書き下し)荘周(そうしゅう)、家貧(まず)し。故に往(ゆ)きて粟(ぞく)を監河候(かんかこう)に貸(か=借)る。監河候曰わく、諾(だく)。我れ将(まさ)に邑金(ゆうきん)を得んとす。将(まさ)に子(し)に三百金を貸さんとす。可(か)なるかなと。荘周、忿然(ふんぜん)として色を作(な)して曰わく、周、昨(きのう)来たりしとき、中道にして呼ぶ者あり。周、顧視(こし)するに、車轍(しゃてつ)中に鮒魚(ふぎょ)あり。周これに問うて曰わく、鮒魚よ、子は何為(なんす)る者ぞやと。対(こた)えて曰わく、我れは東海の波臣(はしん)なり。君豈(あ)に斗升(としょう)の水ありて而(よ=能)く我れを活(い)かさんかと。周曰わく、諾(だく)。我れ且(まさ)に南のかた呉(ご)・越(えつ)の王に遊ばんとす。西絵の水を激して子を迎えん。可(か)なるかと。鮒魚、忿然として色を作(な)して曰わく、吾れは我が常与(じょうよ)を失なえり。我れ処(お)る所なし。吾れは斗升(としょう)の水を得れば、然(すなわ=則)ち活(い)きんのみ。君乃(すなわ)ち此れを言う。曾(すなわ)ち早く我れを枯魚(こぎょ)の肆(し)に索(もと)めんに如(し)かずと。
(現代語訳)荘周は家が貧乏であったので、監河候(かんかこう)のところに出かけていって食べる米を借りることにした。監河候は答えた、『承知した。わたしにはまもなく領地の税金が入るから、それであなたに三百金を貸すことにしよう。それでよいですか』。荘周は怒って顔つきを変えるとこういった。『わたくし、昨日こちらに来るとき、途中で呼びかけるものがありました。わたくし、ふりむいて見ると、車の轍(わだち)の水たまりに鮒(ふな)がいるのです。わたくしがたずねかけて<鮒よ、君はいったいどうしたんだね>というと、答えました。<わたしは東海でお仕えしている波まの家臣です。あなた、いくらかの水を持ってきて、わたしを元気づけてくれませんか>。わたくしは答えました、<承知した。わしはまもなく南方の呉(ご)と越(えつ)の王さまに遊説するから、そのとき西の方の長江の水をかきたてて君を迎えに来るようにさせよう。それでよいかね>。鮒は怒って顔つきを変えると、こういいました、<わたしはいつもの相棒(あいぼう)の水からはぐれて、身のおきどころもないんだ。一斗(と)か数升(しょう)そこそこのわずかな水さえあればわたしは元気になれるというのに、あなたはそんなのんきなことを言われる。それじゃ、早く乾物屋の店先きに行って、〔干乾(ひぼし)になった〕このわたしをさがした方がましというもんだ>』」(「荘子(第四冊)・雑篇・外物篇・第二十六・二・P.11~13」岩波文庫 一九八三年)
(2)「荘子行於山中、見大木枝葉盛茂、伐木物、止其旁而不取也、問其故、曰、无所可用、荘子曰、此木以不材得終其天年矣、出於山、舎於故人之家、故人喜、命豎子殺鴈而亨之、豎子請曰、其一能鳴、其一不能鳴、請奚殺、主人曰、殺不能鳴者
(書き下し)荘子(そうじ)山中を行き、大木の枝葉盛茂(せいも)せるを見る。木を伐(き)る者、其の旁(かたわ)らに止(とど)まるも、而(しか)も取らざるなり。其の故を問う。曰わく、用うべき所なしと。荘子曰わく、此の木、不材を以て其の天年を終うるを得たりと。山を出で、故人(こじん)の家に舎(やど)る。故人喜び、豎子(じゅし)に命じて鴈(がん)を殺してこれを亨(すす=饗)めしむ。豎子請うて曰わく、其の一は能(よ)く鳴き、其の一は鳴く能(あた)わず。請う奚(いず)れをか殺さんと。主人曰わく、鳴く能わざる者を殺せと。
(現代語訳)荘子が山中で旅したとき、枝も葉もぞんぶんに生い茂った大木を見た。ところが、樹木を伐採する樵夫(きこり)がその傍で足をとめても、それを伐採しようとはしない。そこでその理由をたずねると、『どうにも使いようがないんだ』と答えた。荘子はそこで、『この木は、能(のう)なしの役たたずのために、その天寿をまっとうすることができるのだ』とつぶやいた。山を出てから旧友の家に泊まったが、旧友は喜んでその召使いに鵞鳥(がちょう)を殺してもたなすようにと命じた。召使いがたずねていうには、『一羽の方はよく鳴きますが、もう一羽の方は鳴くことができません。どちらを殺したものでしょう』。主人は『鳴けない方を殺せ』と答えた」(「荘子(第三冊)・外篇・山木篇・第二十・一・P.69~70」岩波文庫 一九八二年)
さらにもう一つ韓非子から。
「上古之世、人民少而禽獣衆、人民不勝禽獣虫蛇、有聖人作、搆木為巣、以避群害、而民悦之、使王天下、号之曰有巣氏、民食果蓏蚌蛤、腥臊悪臭而傷害腹胃、民多疾病、有聖人作、鑚燧取火、以化腥臊、而民説之、使王天下、号之曰燧人氏、中古之世、天下大水、而鯀禹決瀆、近古之世、桀紂暴乱、而湯武征伐、今有搆木鑚燧於夏后氏之世者、必為鯀禹笑矣、有決瀆於殷周之世者、必為湯武笑矣、然則今有美尭舜禹湯武之道於当今之世者、必為新聖笑矣、是以聖人不期脩古、不法常可、論世之事、因為之備、宋人有耕田者、田中有株、兎走触株、折頸而死、因釈其耒而守株、冀復得兎、兎不可復得、而身為宋国笑、今欲以王之政、治当世之民、皆守株之類也
(書き下し)上古の世、人民少なくして禽獣衆(おお)し。人民、禽獣虫蛇(ちゅうだ)に勝たず。聖人の作(おこ)る有り、木を搆(かま)えて巣を為(つく)り、以て群害を避く。而して民これを悦び、天下に王たらしむ。これを号して有巣氏(ゆうそうし)と曰う。民は果蓏蚌蛤(からほうこう)を食らい、腥臊(せいそう)悪臭にして腹胃(ふくい)を傷害し、民に疾病(しっぺい)多し。聖人の作(おこ)る有り、燧(すい)を鑚(き)りて火を取り、以て腥臊を化す。而して民これを悦(よろこ)び、天下に王たらしむ。これを号して燧人氏(すいじんし)と曰う。中古の世、天下大いに水あり、而して鯀(こん)・禹(う)、瀆(とく)を決す。近古の世、桀(けつ)・紂(ちゅう)暴乱す、而して湯(とう)・武(ぶ)征伐す。今、夏后氏(かこうし)の世に搆木(こうぼく)鑚燧(さんすい)する者有らば、必ず鯀・禹の笑いと為(な)らん。殷・周の世に決瀆する者有らば、必ず湯・武の笑いと為らん。然らば則ち今、尭・舜・禹・湯・武の道を当今の世に美(ほ)むる者有らば、必ず新聖の笑いと為らん。是(ここ)を以て聖人は脩古(しゅうこ)を期せず、常可(じょうか)に法(のっと)らず、、世の事を論じて、因(よ)りてこれが備えを為す。宋人(そうひと)に田(でん)を耕す者有り。田中に株有り、兎(うさぎ)走りて株に触(ふ)れ、頸(くび)を折りて死す。因りて其の耒(すき)を釈(す)てて株を守り、復(ま)た兎を得んことを冀(ねが)う。兎復たは得(う)べからずして、身は宋国の笑いと為る。今、先王の政を以て当世の民を治めんと欲するは、皆な株を守るの類なり。
(現代語訳)上古の時代では、人間は少なくて鳥獣が多かった。そのため人間は、鳥獣や虫や蛇などに勝てなかった。そこに一人の聖人があらわれて、木を組みあわせて住居を作り、さまざまな危害を避けられるようにした。そこで人々はそれを喜んで世界の王者として頂き、彼のことを有巣氏(ゆうそうし)とよんだ。また人々は、草木の実や貝類を常食としたが、生臭くて悪臭もあり、胃腸をこわして病気になるものが多かった。そこに一人の聖人があらわれて、木をこすって火をおこし、その火で生(なま)ものを調理した。そこで人々はそれを喜んで世界の王者として頂き、彼のことを燧人氏(すいじんし)とよんだ。中古の時代になると、世界じゅうにしきりと洪水が起こったので、鯀(こん)と禹(う)とは河川をきりひりて水を流した。近古の時代では、夏(か)の桀(けつ)や殷(いん)の紂(ちゅう)が暴虐な政治を行なったので、殷の湯王と周の武王とは彼らを征伐した。今もし中古の夏王朝の時代に、木を組みあわせて住居を作ったり木をこすって火をおこしたりする者がいたなら、きっと鯀や禹に笑いものにされたであろう。また近古の殷や周の時代に、河川をきりひらいて水を流す者がいたなら、きっと湯王や武王に笑いものにされたであろう。してみると、いま尭・舜・禹や湯王・武王たちの道を、今の時代にも通用するとして賛美する者がいるとしたら、きっと新しい聖人に笑いものにされるであろう。それゆえ、聖人は古いことなら何でもよいなどとは考えず、一定不変の規準などというものには従わない。その時代の事情をよく考えて、それに応じた対策を立てるのである。宋の国の人で畑を耕している者がいた。畑の中に木の切り株があったが、たまたま兎(うさぎ)が走ってきてその切り株にぶつかり、首を折って死んだ。兎をもうけた彼は、それからすきを捨てて耕作をやめ、切り株のそばを離れないで、また兎を得たいと願った。もちろん彼は二度とは得られず、その身は宋の国じゅうの笑いものにされた。いま古代の聖王の政治によって現代の民を治めようとするのは、すべてこの切り株のそばを離れずにいるのと同じたぐいである」(「韓非子4・五蠹・第四十九・一・P.165~168」岩波文庫 一九九四年)
韓非子は人々の生活環境を織り成している諸条件が変化すれば変化に応じて速やかに<現実>を修正していく必要性を厳しく説く。それはまたヘーゲルのいう「<理想>と<現実>」・「<主観>と<客観>」との関係にも通じる。
「理性的なものは現実的であり、そして現実的なものは理性的である」(ヘーゲル「法の哲学・上・序言・P.34」岩波文庫 二〇二一年)
ここで問題となっている「理性的なもの」と「現実的なもの」とについて。
「現実性とは、本質と現存在との統一、あるいは内的なものと外的なものとの統一が、直接的な統一となったものである。現実的なものの発現は、現実そのものである。したがって現実的なものは、発現のうちにあっても、依然として本質的なものであるのみならず、直接的な外的現存在のうちにあるかぎりにおいてのみ本質的なものである。ーーー<補遺>人々は、普通、よく考えもしないで、現実と思想(正確に言えば、理念)とを対立させており、かくしてわれわれは人々がよく次のように言うのを聞く。すなわち、或る思想が正しく真理であることに異論はないが、しかしそうしたものは現実のうちには存在しない、あるいは、現実のうちにそれを実現することはできない、と。しかしこういう言い方をする人は、それによって、かれらが思想の本性をも現実の本性をも正しく把握していないことを証明しているのである。このような言い方においては、思想は主観的表象、計画、意図などと同じ意味に理解され、現実は外的な、感覚的な現存在と同じ意味に理解されている。カテゴリーおよびその表示を人々がそうまで厳密に考えていない日常生活においては、そうしたことも許されるであろう。例えば、或る税制計画(日常的には、此のようなものもイデーとよばれている)が、それ自身としては全くすぐれていて目的にかなっているが、いわゆる現実のうちには見出されず、また与えられた諸事情のもとでは実行できないというようなことも、もちろんおこりうるであろう。しかし抽象的な悟性が理念と現実という二つの規定をとらえて、その区別を動かすことのできない対立にまで高め、われわれはこの世界においては理念を頭から作り出さねばならないなどと言う場合には、われわれはこのような考え方を学問および健全な理性の名において決定的にしりぞけなければならない。なぜなら、一方において、理念はけっしてわれわれの頭脳のうちにのみあるものでもなく、またわれわれが勝手に実現したり、しなかったりできるような無力なものでもなく、絶対的に活動的なものであり、現実的なものであるからであり、他方、現実は、無思想な、あるいは、思惟をきらい、思惟の点では全く駄目になった実際家たちが考えるほど、悪くもなければ不合理でもないからである」(ヘーゲル「小論理学・下・第二部・本質論・一四二・P.81~83」岩波文庫 一九五二年)
<主観>と<客観>とに関して。
(1)「みずからが《自由であると主観的に規定する》ための《個々人の法》〔権利〕は、彼らが人倫的現実性に帰属することにおいて実現される。というのは、個々人のもつ、自分が自由だという《確信》は、このような客観性のなかで《その真理》をえ、そして個々人は、人倫的なものにおいて、《自分自身の》本質、自分の《内的な》普遍性を《現実的に》所有するからである」(ヘーゲル「法の哲学・下・第三部・一五三・P.27~28」岩波文庫 二〇二一年)
(2)「自らの欲〔要〕求のためにする個人の《労働》は、自己自身の欲〔要〕求の満足であるように、また他人の欲〔要〕求の満足でもある。個人が自己の欲〔要〕求を満足させるのは、ただ他人の労働によるのである。ーーー個別者は、自ら《個別的に》労働するとき、すでに《意識せずに》、《一般的な》労働を果たしているように、一般的な労働をも、自らの《意識》的な対象として、果たしてもいる。全体は、《全体として》個別者の仕事となり、この仕事のために、個別者は自分を犠牲とし、まさにこの犠牲によって、全体の方から、自分自身を逆に支えられるのである。ーーーここには相互的でないようなものは何もない」(ヘーゲル「精神現象学・上・理性・理性的自己意識の自己自身による実現・P.400」平凡社ライブラリー 一九九七年)
ところがこれらは政治家自ら率先して動こうとしなければ実現されるにはほど遠い。賢治はいう。
「あっちもこっちも ひとさわぎおこして いっぱい呑(の)みたいやつらばかりだ 羊歯(しだ)の葉と雲 世界はそんなにつめたく暗い けれどもまもなく さういうやつらは ひとりで腐(くさ)って ひとりで雨に流される」(宮沢賢治「詩ノート・政治家」『宮沢賢治詩集・P.258』新潮文庫 一九九〇年)
しかし当然のことだが、「真面目な政治家もいるがゆえすべての政治家が悪人だと考えてはいけない」、とわざわざ政治家を擁護する論者も少なくない。その論者の言葉に間違いはない。けれども少数の真面目な政治家がいるという言葉はその言葉自身の作用によって実にしばしば他の大多数の政治家が多少なりとも持っている悪質な過去や今後実現されるだろう悪意に満ちた構想をすっかり覆い隠してしまう。それでは本末転倒していくばかりだと言わなければならない。一方、歴史的弁証法はそんな甘いものではまるでない。
「一般に弁証法といえば、(a)外的弁証法ーーー事柄の運動の総体とは区別される観察者の運動ーーーと、(b)たんなる外からの洞察の運動ではなく、事柄そのものの本質、つまり、内容の純粋概念に導かれた運動とがあります。前者は、対象を観察した上で、これまで確実なことと見なされていた一切をぐらつかせるような根拠や側面を提示する方法です。その場合、根拠はまったく外的なものでもさしつかえなく、わたしたちは、ソフィストの哲学をあつかうさいに、この弁証法についてくわしく論じることになるはずです。もう一つの弁証法は、対象のなかにはいって観察するもので、対象は、前提や理念や当為ぬきに、外的な関係や法則や根拠からではなく、それだけで取りあげられます。観察者は事柄そのもののまっただなかに飛びこみ、対象を対象に即して観察し、対象のもつ内容に従って対象をとらえる。この観察においては、対象みずからが、対立する内容をもち、したがって廃棄されていくことをあらわにします。この弁証法は古代にとりわけよく見られます。外的な根拠にもとづいて推論する主観的な弁証法は、『正のうちには不正もあり、偽のうちには真もある』といったことを認める上ではそれなりの意味がある。が、真の弁証法は、対象が一面からして欠陥があるといった中途半端にとどまることなく、その本性の全体からして対象を解体します」(ヘーゲル「哲学史講義1・P.355」河出文庫 二〇一六年)
或る対象の一面、この場合では「政治《制度》」の一面だけでも、何からの増減・置き換えが生じてしまえばそれはもうまったく別の対象として取り扱われなくてはならない。「政治《制度》」に寄せる人々の宗教的なまでの信頼感はただちに変化している。バタイユはいう。
「実のところを言うと、死の非現実性というのはある表層的な一面にしか過ぎない。事物たちの世界の内にその場を持たないもの、現実世界においては非現実的であるものは、正確に言うと死ではないのである。事実死は現実のまやかしを暴露する。という意味は、ただ単に持続の不在が現実というものの虚偽を想い出させるという点でそうするというだけではなく、なによりも死が生の偉大な肯定者であり、生に驚嘆して発せられた叫びであるという点でそうするのである。現実秩序が投げ棄てるのは、死がそうであるような現実の否定というよりもむしろ内奥的な、内在的な生命の肯定、つまりその際限のない激烈さ=暴力性(ヴァイオレンス)が事物たちの安定にとって危険であり、また死においてのみ初めて十分に啓示されるような内奥の生命の肯定なのである。現実秩序はこの内奥の生を無効にーーーつまり中和化ーーーしなければならない。そしてその代りに、労働という共同性の中にある個人がそうであるような事物を対置しなければならぬのである。だかしかしそういう現実秩序も、いままさに死のうちへと生が消滅する瞬間において、けっして《事物》ではありえない生が、その《不可視の》閃光を開示することがないようにしてしまうわけにはいかない。死の力が意味しているのは、この現実世界が生に関してある中和化されたイメージしか持てないということであり、また内奥性がその世界において眼を眩ますばかりの消尽のさまを開示するのは、ただまさしく内奥性が欠けんとする瞬間においてのみだということである。死がそこにあったときには、誰もそこに《それがある》と知らなかった。死は無視されており、それが現実的な事物たちの利にかなうことであった。死は他のものたちと同じように一つの現実的事物だったのである。しかし突如として死は、現実社会が嘘をついていたことを示す。するとそのとき深く考慮に入れられるのは、事物が喪失されたということではなく、また有用なメンバーが失われたということでもない。現実社会の失ったものは一人のメンバーではなく、その真理なのである。内奥の生命はもうすでに私にまで十分到達する力を失っており、それを私は基本的には一個の事物のようにみなしていたのであるが、その内奥の生を十分なまで私の感受性へと戻してくれるのは、それが不在となることによるのである。死は生をその最も充溢した状態において啓示し、現実秩序を沈み込ませる。それ以降は、この現実秩序が、もはや存在しないものの持続の要請であることは、ほとんど重要性を持たなくなる。諸関係に基づいて立てられている一つの存在体は、一個の基本要素が自らの要請に背いて消え去るときに、欠如する部分が生じて病み苦しむというのではない。そういう存在体は、すなわち現実秩序は、一度に全体として消え失せてしまったのである。もはやその現実秩序が問題となることはなく、そして死が涙のうちに運んでくるものは、内奥次元〔L’ordre intime〕の、なんの有用性も持たぬ消尽なのである」(バタイユ「宗教の理論・第一部・三・供犠、祝祭および聖なる世界の諸原則・P.60~62」ちくま学芸文庫 二〇〇二年)
この箇所で「現実社会の失ったものは一人のメンバーではなく、その真理なのである。内奥の生命はもうすでに私にまで十分到達する力を失っており、それを私は基本的には一個の事物のようにみなしていたのであるが、その内奥の生を十分なまで私の感受性へと戻してくれるのは、それが不在となることによるのである。死は生をその最も充溢した状態において啓示し、現実秩序を沈み込ませる。それ以降は、この現実秩序が、もはや存在しないものの持続の要請であることは、ほとんど重要性を持たなくなる。諸関係に基づいて立てられている一つの存在体は、一個の基本要素が自らの要請に背いて消え去るときに、欠如する部分が生じて病み苦しむというのではない。そういう存在体は、すなわち現実秩序は、一度に全体として消え失せてしまった」とあるのは、その瞬間に或る秩序はもはや別の秩序に変化したということであり、いつもすでに<現実社会>は隅から隅まで「否定的」な運動によって押し貫かれているということでなくてはならない。コジェーヴはいっている。
「(真の)認識の中でそれ自身によりそれ自身に開示された《存在者》を、対象とは異なり対象に『対立』する主観によって、『主観』に開示された『対象』へと変ずるものは、この《欲望》である。人間が《自我》として、本質的に《非我》と異なり根本的にそれと対立する《自我》としてーーー自己自身及び他者に対しーーー自己を構成し自己を開示するのは、『自己の』《欲望》の中で、『自己の』《欲望》により、より適切には、『自己の』《欲望》としてである。(人間の)《自我》とは、或る《欲望》のーーー或いは《欲望》そのもののーーー《自我》なのである。したがって、人間の存在そのもの、自己意識的な存在は、《欲望》を含み、《欲望》を前提とする。そうである以上、人間的な実在性は、生物的な実在性、動物的な生の枠内でなければ構成され維持されることができない。だが、たとえこの《動物的欲望》が《自己意識》にとって必要な条件であるとしても、それだけでは十分な条件とは言えない。《動物的欲望》のみでは《自己感情》が構成されるにすぎない。認識が人間を受動的な静的状態に保つのとは対照的に、《欲望》は人間をそわそわさせ、人間を行動へ追いやる。《欲望》から生まれた以上、行動はこの欲望を充足させようとするが、『否定』によらなければ、すなわち欲望の対象を破壊するか、少なくともその形態を変じなければ、それを遂行することができない。例えば、空腹を満たすためには、食物を破壊しなければならない、ともかくもその形態を変じなければならない。このように、いかなる行動も『否定的』である」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・第一章・P.11~12」国文社 一九八七年)
バタイユ「宗教の理論」の巻頭にコジェーヴのこの言葉が置かれていることには極めて重要な意味があるのだ。
BGM1
BGM2
BGM3
「あたりはくらくなり空だけは銀の光を増せば、あんまり、もずがやかましいので、しまいのひばりも仕方なく、もいちど空へのぼって行って、少うしばかり調子はずれの歌をうたった」(宮沢賢治「マリヴロンと少女」『銀河鉄道の夜・P.110~111』新潮文庫 一九八九年)
烏の場合「ここらがどうも烏の軍隊の不規律なところです」と書かれている。
さて農耕地に住む烏の義勇艦隊の一人「烏の大尉」は、明日の戦闘のことを考えて眠れずふとこう呟(つぶやく)く。
「烏の大尉は、眼が冴(さ)えて眠(ねむ)れませんでした。『おれはあした戦死するのだ』。大尉は呟(つぶ)やきながら、許嫁(いいなずけ)のいる杜の方にあたまを曲げました」(宮沢賢治「烏の北斗七星」『注文の多い料理店・P.60』新潮文庫 一九九〇年)
さらに同僚の「若い声のいい砲艦」が居眠っている横でこう思う。
「じぶんもまたためいきをついて、そのうつくしい七つのマジエルの星を仰(あそ)ぎながら、ああ、あしたの戦(たたかい)でわたくしが勝つことがいいのか、山烏がかつのがいいのかそれはわたくしにわかりません、ただあなたのお考(かんがえ)のとおりです、わたくしはわたくしにきまったように力いっぱいたたかいます、みんなみんなあなたのお考えのとおりですとしずかに祈って居りました」(宮沢賢治「烏の北斗七星」『注文の多い料理店・P.61~62』新潮文庫 一九九〇年)
この場面で出てくる「七つのマジエルの星」は日本で「北斗七星」と呼ばれている星座。「北斗七星」を含む「大熊座(おおぐまざ)」を意味するラテン名“Ursa Major”の「マジョール」から取られたもの。彼ら農耕地に住む烏たちは「北斗七星」を神とする集団として設定されたことがわかる。さらにその先には北極星が位置するわけだが、東北地方・北海道・樺太・中国東北部・シベリアへと続く宮沢賢治の北方志向は実際の北極がどうなのかというより、とても似通った厳しい気象条件のもとで暮らすすべての人々に向けられている。しかしなぜ天空の神なのか。ニーチェはいう。
「ローマ人やエトルリア人は、天空を、固定した数学的な線で以て切断し、このような具合に限界づけられた空間を神殿と見立てて、その中へ神を封じ込めたのだが、それと同じように、すべての民族は、このように数学的に分割された概念の天空を、自分の上にもっているのであって、今や真理の要求ということを、あらゆる概念の神は《その》領域のうちにのみ求められるものだというふうに、理解しているのである」(ニーチェ「哲学者の書・哲学者に関する著作のための準備草案・P.356~357」ちくま学芸文庫 一九九四年)
そんな夜明け前。「白い峠(とうげ)の上」の「一本の栗の木」の梢で空を見上げている一羽の山烏がいた。烏の大尉は「非常召集(ひじょうしょうしゅう)」と怒鳴りながら部下を起してまわり「突貫(とっかん)」と命じた。山烏の足はぐらぐらしている。奇襲をかけた烏の艦隊に包囲され攻撃を受けて「よろよろ」とあっけなく死んだ。そして夜が明けた。雪に覆われた田んぼはきらきら輝いている。烏の艦隊は整列し、大尉はいう。
「『ギイギイ、ご苦労だった。ご苦労だった。よくやった。もうおまえは少佐になってもいいだろう、おまえの部下の叙勲(じょくん)はおまえにまかせる』。烏の新らしい少佐は、お腹(なか)が空(す)いて山から出て来て、十九隻に囲まれて殺された、あの山烏を思い出して、あたらしい泪をこぼしました。『ありがとうございます。就(つい)ては敵の死骸(しがい)を葬(ほうむ)りたいとおもいますが、お許し下さいましょうか』。『よろしい、厚く葬ってやれ』」(宮沢賢治「烏の北斗七星」『注文の多い料理店・P.64』新潮文庫 一九九〇年)
新しく少佐に任命された烏は次のように祈る。
「ああ、マジエル様、どうか憎むことのできない敵を殺さないでいいように早くこの世界がなりますように、そのためならば、わたくしのからだなどは、何べん引き裂かれてもかまいません」(宮沢賢治「烏の北斗七星」『注文の多い料理店・P.64』新潮文庫 一九九〇年)
露骨な信仰告白。従来から指摘されてきた点だがこれと同様の文章は独白という形式であちこちに見られる。
(1)「『それはできるだろう。けれども、その仕事に行ったもののうち、最後の一人はどうしても遁(に)げられないのでね』。『先生、私にそれをやらしてください。どうか先生からペンネン先生へお許しの出るようお詞(ことば)を下さい』。『それはいけない。きみはまだ若いし、いまのきみの仕事に代れるものはそうはない』。『私のようなものは、これから沢山できます。私よりもっともっと何でもできる人が、私よりもっと立派にもっと美しく、仕事をしたり笑ったりして行くのですから』」(宮沢賢治「グスコーブドリの伝記」『風の又三郎・P.294~295』新潮文庫 一九八九年)
(2)「かぶとむしや、たくさんの羽虫が、毎晩僕に殺される。そしてそのただ一つの僕がこんどは鷹に殺される。それがこんなにつらいのだ。ああ、つらい、つらい。僕はもう虫をたべないで餓(う)えて死のう。いやその前にもう鷹が僕を殺すだろう。いや、その前に、僕は遠くの空の向うに行ってしまおう」(宮沢賢治「よだかの星」『銀河鉄道の夜・P.35』新潮文庫 一九八九年)
(3)「ところがある霧(きり)のふかい朝でした。虔十は萱場(かやば)で平二といきなり行き会いました。平二はまわりをよく見まわしてからまるで狼(おおかみ)のようないやな顔をしてどなりました。『虔十、貴(き)さんどごの杉伐(き)れ』。『何(な)してな』。『おらの畑ぁ日かげにならな』。虔十はだまって下を向きました。平二の畑が日かげになると云ったって杉の影がたかで五寸もはいってはいなかったのです。おまけに杉はとにかく南から来る強い風を防いでいるのでした。『伐れ、伐れ。伐らないが』。『伐らなぃ』。虔十が顔をあげて少し怖(こわ)そうに云いました。その唇(くちびる)はいまにも泣き出しそうにひきつっていました。実にこれが虔十の一生の間のたった一つの人に対する逆らいの言(ことば)だったのです。ところが平二は人のいい虔十などにばかにされたと思ったので急に怒(おこ)り出して肩を張ったと思うといきなり虔十の頬(ほお)をなぐりつけました。どしりどしりとなぐりつけました。虔十は手を頬にあてながら黙(だま)ってなぐられていましたがとうとうまわりがみんなまっ青に見えてよろよろしてしまいました。すると平二も少し気味が悪くなったと見えて急いで腕(うで)を組んでのしりのしりと霧の中へ歩いて行ってしまいました。さて虔十はその秋チブスにかかって死にました。平二も丁度その十日ばかり前にやっぱりその病気で死んでいました」(宮沢賢治「虔十公園林」『風の又三郎・P.211~212』新潮文庫 一九八九年)
(4)「『もう二年ばかり待って呉(く)れ、おれも死ぬのはもうかまわないようなもんだけれども少しし残した仕事があるしただ二年だけ待ってくれ。二年目ならおれもおまえの家の前でちゃんと死んでいてやるから。毛皮も胃袋(いぶくろ)もやってしまうから』。小十郎は変な気がしてじっと考えて立ってしまいました。熊はそのひまに足うらを全体地面につけてごくゆっくりと歩き出した。小十郎はやっぱりぼんやり立っていた。熊はもう小十郎がいきなりうしろから鉄砲を射ったり決してしないことがよくわかってるという風でうしろも見ないでゆっくりゆっくり歩いて行った。そしてその広い赤黒いせかなが木の枝(えだ)の間から落ちた日光にちらっと光ったとき小十郎は、う、うとせつなそうにうなって谷をわたって帰りはじめた。それから丁度二年目だったがある朝小十郎があんまり風が烈しくて木もかきねも倒(たお)れたろうと思って外へ出たらひのきのかきねはいつものようにかわりなくその下のところに始終見たことのある赤黒いものが横になっているのでした。丁度二年目だしあの熊がやって来るかと少し心配するようにしていたときでしたから小十郎はどきっとしてしまいました。そばに寄って見ましたらちゃんとあのこの前の熊が口からいっぱいに血を吐いて倒れていた。小十郎は思わず拝むようにした」(宮沢賢治「なめとこ山の熊」『注文の多い料理店・P.351』新潮文庫 一九九〇年)
(4)「ジョバンニはなんだかわけもわからずににわかにとなりの鳥捕りが気の毒でたまらなくなりました。鷺(さぎ)をつかまえてせいせいしたとよろおんだり、白いきれでそれをくるくる包んだり、ひとの切符をびっくりしたように横目で見てあわててほめだしたり、そんなことを一々考えていると、もうその見ず知らずの鳥捕りのために、ジョバンニの持っているものでも食べるものでもなんでもやってしまいたい、もうこの人のほんとうの幸(さいわい)になるなら自分があの光る天の川の河原(かわら)に立って百年つづけて立って鳥をとってやってもいいというような気がして、どうしてももう黙(だま)っていられなくなりました」(宮沢賢治「銀河鉄道の夜」『銀河鉄道の夜・P.192』新潮文庫 一九八九年)
そしてその解決法として賢治は「ブルカニロ博士」を登場させてこう言わせている。「ほんとうの考(かんがえ)とうその考とを分けてしまえばその実験の方法さえきまればもう信仰(しんこう)も化学と同じようになる」。
「『おまえはおまえの切符をしっかりもっておいで。そして一しんに勉強しなけぁいけない。おまえは化学をならったろう。水は酸素と水素からできているということを知っている。いまはだれだってそれを疑やしない。実験して見るとほんとうにそうなんだから。けれども昔(むかし)はそれを水銀と塩でできていると云ったり、水銀と硫黄(いおう)でできていると云ったりいろいろ議論したのだ。みんながめいめいじぶんの神さまがほんとうの神さまだというだろう、けれどもお互(たがい)ほかの神さまを信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれるだろう。それからぼくたちの心がいいとかわるいとか議論するだろう。そして勝負がつかないだろう。けれどももしおまえがほんとうに勉強して実験でちゃんとほんとうの考(かんがえ)とうその考とを分けてしまえばその実験の方法さえきまればもう信仰(しんこう)も化学と同じようになる』」(宮沢賢治「銀河鉄道の夜〔初期形第三次稿〕」『ポラーノの広場・P.375』新潮文庫 一九九五年)
しかしこうも露骨な信仰の発露について賢治は一方で<童話・童謡>としてはどうなのかという疑問をいつも抱いていた。そこで「銀河鉄道の夜〔初期形第三次稿〕」に記述した「ブルカニロ博士」の発言はすべて抹消され、「ブルカニロ博士」の存在さえもまったく消してしまう。しかし一体何が賢治を極めて自己犠牲的な、全人類の救済のためには死んでも構わないというような深い宗教性に酔いしれさせたのか。
何度も言われてきたことだが賢治の生家は花巻の地域社会では知らぬもののない富商であった。代々質屋を営んでおり、貧困層に金を貸し付けて環流させ、舞い戻ってくる利子だけで暮らしていくことができた。その種の生き方が近代知識人としての賢治にとって耐えがたい<負の意識>を打ち込んだ。生まれてきた時すでに生家は富裕層に属していた。近代資本主義の黎明期のただなかで、周囲の農民たちは生きるか死ぬかの日々を送っている。なのに自分は何不自由なく彼らの貧困をのんきに眺めているばかりか利息だけで生きていくことができる。経済的貧困層に対しては間違いなく《債権者》であるが同時に社会的倫理に照らし合わせてみるといついかなる時でも《債務者》へ転化するほかない。高利貸しとしては訴えられる側の<被告>であるともいえる。そしてそのように二重化された自分を見ているもう一人の自分がいる。しかしこの二重化された立場は自分から望んで手に入れた立場ではいささかもない。生まれてきた時すでにそのような<被告的>立場に置かれていた。とりかえしのつかない事情である。生まれてすぐ、あらかじめ与えられていた社会的立場であって、目の前にありありと横たわり毎年のように繰り返される悲惨な事実を否定することはもはやできない。生まれた時すでに《債権者》であるとともに《債務者》でもあるというア・プリオリな事情を「持ってしまっている」。ドゥルーズはそのような<とりかえしのつかない>事態をいつもすでに<持っている>立場についてこう述べている。例に上げられているのは一九三〇年代に入ってからたちまち零落していった後期のフィッツジェラルドだ。
(1)「アルコール飲みは、この硬直が隠匿する柔らかさを愛するのと同様に、自分を捕える硬直も愛するのである。一方の時期が他方の時期の中にあり、現在がこれほど固くなり硬直するのは、破裂しそうな柔らかな点を占拠するためにほかならない。同時的な二つの時期は、奇妙な仕方で複合される。すなわち、アルコール飲みは、半過去や未来を生きるのではなく、《複合過去》しか持たないのである。ただし極めて特殊な複合過去である。アルコール飲みは、酔いを材料にして、想像的な過去を複合する。まるで、柔らかな過去分詞が、固い助動詞現在形に結合しに来たかのように。私は愛してしまったを-持っている、私は行なってしまったを-持っている、私は見てしまったを-持っている(j’ai-aimé, j’ai-fait, j’ai-vu)。これが、二つの時期の交接を表現し、アルコール飲みが躁的な全-能性を享受しながら一方の時期を他方の時期の《中で》経験するやり方を表現する。ここにおいて、複合過去は隔たりや完遂をまったく表現していない。現在の時期は、動詞・持つの時期であるが、すべての存在者は、『過去』として、《同時的な》別の時期の中に、分有の時期、分詞の固定の時期の中にある。それにしても、この締め付け、現在が別の時期を包囲し占拠し締め付けるこの方式は、ほとんど堪え難い何とも奇妙な緊張である。現在は、柔らかな中心・溶岩・液状ガラス・粘性ガラスの周囲で、円形の水晶や花崗岩になる」(ドゥルーズ「意味の論理学・上・第22セリー・P.275~276」河出文庫 二〇〇七年)
(2)「さらに別のものになるために、緊張は解けてしまう。というのは、当然にも、複合過去は『私は飲んでしまったを-持っている』に到るからである。現在の時期は、もはやアルコールの効果の時期ではなくなり、アルコールの効果の効果の時期になる。そして、今や、この別の時期が、近い過去(私が飲んでいた時期)を無差別に含んでしまう。また、この近い過去が隠匿する想像的同一化のシステムと、多かれ少なかれ遠ざかった素面の過去のリアルな要素も含んでしまう。それによって、現在の硬化はまったく意味を変える。すなわち、現在は、固い現在としては、影響力を失って色褪せ、何ものも締め付けず、別の時期のすべての相を等しく遠ざける。まるで、近くの過去、しかしまた、近くの過去で構成された同一化の過去、そして最期に、〔その構成の〕材料を提供していた素面の過去、これらすべてが、羽ばたいて逃げ去り、等しくなったかのようである。これらすべての過去との距離を維持しているのが、全般的に拡大する色褪せた現在、増大する砂漠の中で改めて硬直する新たな現在である。複合過去の一次効果は、唯一の複合過去『私は飲んでしまったを-持っている』の二次効果で置き換えられる。この助動詞現在形は、一切の分詞と一切の分有からの無限の距離を表現するだけである。現在の硬化(私は持っている)と、過去(私は飲んでしまった)の逃走の効果には、今や関連性があることになる。であったことを持っている(has been)においてすべては頂点に達する。過去の逃走の効果、あらゆる意味での対象喪失が、アルコリスムの抑鬱的な面を構成する。そして、この逃走の効果が、たぶん、フィッツジェラルドの作品の最大の力になっているものであり、フィッツジェラルドが最も深く表現したものである」(ドゥルーズ「意味の論理学・上・第22セリー・P.276~277」河出文庫 二〇〇七年)
(3)「興味深いのは、フィッツジェラルドは、作中人物が飲んでいるところや飲もうとしているところを提示しないということ、欠如や欲求の形態としてアルコリスムを見てはいないのである。慎み深かったのだろう。あるいは、いつでも飲めたのかもしれない。あるいは、アルコリスムには多くの形態があるのかもしれない。ともかく、アルコリスムの一形態は数分前の過去をも自分の過去として振り返る。(ラウリーは反対にーーー。しかし、欲求の激しい形態としてアルコリスムが生きられるときにも、時間の深い変形が現出する。今度は、将来のすべてが《前-未》来として生きられてしまう。そして、この複合未来は恐ろしいほどに加速し、死に到る効果の効果を生み出す)。フィッツジェラルドの主人公にとって、アルコリスムとは、崩壊の過程そのものであり、この過程が過去の逃走の効果を決定するのである。こうして、素面だった過去が、主人公から切り離されるだけではなく(『わが神よ、十年間も酩酊』)、先ほど飲んでいた近い過去や、一次効果の幻想的な過去も、主人公から切り離されるのである。すべては等しく遠ざかってしまうので、また飲むのが必要だと、あるいはむしろ、飲み直してしまったことを持っているのが必要だと決定される。硬化して色褪せた現在、唯一存続し死を意義する現在に勝利するためには必要だと決定されるのである。この点で、アルコリスムが範例的になる。というのは、金銭の喪失、愛の喪失、祖国の喪失、成功の喪失といった他の出来事は、それぞれの仕方でアルコール-効果を与えるからである。それらは、アルコールから独立に外在的な仕方でアルコール-効果を与えるが、アルコールの結末に似ているのである」(ドゥルーズ「意味の論理学・上・P.277~278」河出文庫 二〇〇七年)
しかしフィッツジェラルド作品の中で最も魅力的なものの多くは社会的に零落してしまってから後の短編小説群であることに間違いはないのである。一方、物価高騰を上手く処理できずますます経済的苦境に陥った日本政府は治安維持法で反対運動を封じ込めてしまう。そんななか、晩年の賢治は農村各地を奔走し社会活動に打ち込み続けた。もちろんそれまで書いてきた短編群に多くの訂正を施し推敲を重ねた。最も盛大に活動した時期と病状悪化の時期が重なったのは偶然かもしれないが、最晩年に推敲に推敲を重ねたことは偶然ではないだろう。
なお年末に当たり次の言葉を引用しておくのは無駄ではないだろう。荘子から二箇所。(1)は今の市民生活にとって延期できないものの中で最も必要なものは何かについて。(2)は一方の大木は使い道がない点で長生きした反面、もう一方の駝鳥はけたたましく鳴くことができるため長生きした。一方は無用ゆえの長寿、もう一方は芸能ゆえの長寿。要するに動植物が長生きするかどうかの条件はさしあたり用不用にはまるで関係がないこと。
(1)「荘周家貧、故往貸粟於監河候、監河候曰、諾、我將得邑金、將貸子三百金、可乎、荘周忿然作色曰、周昨来、有中道而呼者、周顧視、車轍中有鮒魚焉、周問之曰、鮒魚来、子何爲者邪、対曰、我東海之波臣也、君豈有斗升之水而活我哉、周曰、諾、我且南遊呉越之王、激西江之水而迎子、可乎、鮒魚忿然作色曰、吾失我常與、我无所處、吾得斗升之水、然活耳、君乃言此、曾不如早索我於枯魚之肆
(書き下し)荘周(そうしゅう)、家貧(まず)し。故に往(ゆ)きて粟(ぞく)を監河候(かんかこう)に貸(か=借)る。監河候曰わく、諾(だく)。我れ将(まさ)に邑金(ゆうきん)を得んとす。将(まさ)に子(し)に三百金を貸さんとす。可(か)なるかなと。荘周、忿然(ふんぜん)として色を作(な)して曰わく、周、昨(きのう)来たりしとき、中道にして呼ぶ者あり。周、顧視(こし)するに、車轍(しゃてつ)中に鮒魚(ふぎょ)あり。周これに問うて曰わく、鮒魚よ、子は何為(なんす)る者ぞやと。対(こた)えて曰わく、我れは東海の波臣(はしん)なり。君豈(あ)に斗升(としょう)の水ありて而(よ=能)く我れを活(い)かさんかと。周曰わく、諾(だく)。我れ且(まさ)に南のかた呉(ご)・越(えつ)の王に遊ばんとす。西絵の水を激して子を迎えん。可(か)なるかと。鮒魚、忿然として色を作(な)して曰わく、吾れは我が常与(じょうよ)を失なえり。我れ処(お)る所なし。吾れは斗升(としょう)の水を得れば、然(すなわ=則)ち活(い)きんのみ。君乃(すなわ)ち此れを言う。曾(すなわ)ち早く我れを枯魚(こぎょ)の肆(し)に索(もと)めんに如(し)かずと。
(現代語訳)荘周は家が貧乏であったので、監河候(かんかこう)のところに出かけていって食べる米を借りることにした。監河候は答えた、『承知した。わたしにはまもなく領地の税金が入るから、それであなたに三百金を貸すことにしよう。それでよいですか』。荘周は怒って顔つきを変えるとこういった。『わたくし、昨日こちらに来るとき、途中で呼びかけるものがありました。わたくし、ふりむいて見ると、車の轍(わだち)の水たまりに鮒(ふな)がいるのです。わたくしがたずねかけて<鮒よ、君はいったいどうしたんだね>というと、答えました。<わたしは東海でお仕えしている波まの家臣です。あなた、いくらかの水を持ってきて、わたしを元気づけてくれませんか>。わたくしは答えました、<承知した。わしはまもなく南方の呉(ご)と越(えつ)の王さまに遊説するから、そのとき西の方の長江の水をかきたてて君を迎えに来るようにさせよう。それでよいかね>。鮒は怒って顔つきを変えると、こういいました、<わたしはいつもの相棒(あいぼう)の水からはぐれて、身のおきどころもないんだ。一斗(と)か数升(しょう)そこそこのわずかな水さえあればわたしは元気になれるというのに、あなたはそんなのんきなことを言われる。それじゃ、早く乾物屋の店先きに行って、〔干乾(ひぼし)になった〕このわたしをさがした方がましというもんだ>』」(「荘子(第四冊)・雑篇・外物篇・第二十六・二・P.11~13」岩波文庫 一九八三年)
(2)「荘子行於山中、見大木枝葉盛茂、伐木物、止其旁而不取也、問其故、曰、无所可用、荘子曰、此木以不材得終其天年矣、出於山、舎於故人之家、故人喜、命豎子殺鴈而亨之、豎子請曰、其一能鳴、其一不能鳴、請奚殺、主人曰、殺不能鳴者
(書き下し)荘子(そうじ)山中を行き、大木の枝葉盛茂(せいも)せるを見る。木を伐(き)る者、其の旁(かたわ)らに止(とど)まるも、而(しか)も取らざるなり。其の故を問う。曰わく、用うべき所なしと。荘子曰わく、此の木、不材を以て其の天年を終うるを得たりと。山を出で、故人(こじん)の家に舎(やど)る。故人喜び、豎子(じゅし)に命じて鴈(がん)を殺してこれを亨(すす=饗)めしむ。豎子請うて曰わく、其の一は能(よ)く鳴き、其の一は鳴く能(あた)わず。請う奚(いず)れをか殺さんと。主人曰わく、鳴く能わざる者を殺せと。
(現代語訳)荘子が山中で旅したとき、枝も葉もぞんぶんに生い茂った大木を見た。ところが、樹木を伐採する樵夫(きこり)がその傍で足をとめても、それを伐採しようとはしない。そこでその理由をたずねると、『どうにも使いようがないんだ』と答えた。荘子はそこで、『この木は、能(のう)なしの役たたずのために、その天寿をまっとうすることができるのだ』とつぶやいた。山を出てから旧友の家に泊まったが、旧友は喜んでその召使いに鵞鳥(がちょう)を殺してもたなすようにと命じた。召使いがたずねていうには、『一羽の方はよく鳴きますが、もう一羽の方は鳴くことができません。どちらを殺したものでしょう』。主人は『鳴けない方を殺せ』と答えた」(「荘子(第三冊)・外篇・山木篇・第二十・一・P.69~70」岩波文庫 一九八二年)
さらにもう一つ韓非子から。
「上古之世、人民少而禽獣衆、人民不勝禽獣虫蛇、有聖人作、搆木為巣、以避群害、而民悦之、使王天下、号之曰有巣氏、民食果蓏蚌蛤、腥臊悪臭而傷害腹胃、民多疾病、有聖人作、鑚燧取火、以化腥臊、而民説之、使王天下、号之曰燧人氏、中古之世、天下大水、而鯀禹決瀆、近古之世、桀紂暴乱、而湯武征伐、今有搆木鑚燧於夏后氏之世者、必為鯀禹笑矣、有決瀆於殷周之世者、必為湯武笑矣、然則今有美尭舜禹湯武之道於当今之世者、必為新聖笑矣、是以聖人不期脩古、不法常可、論世之事、因為之備、宋人有耕田者、田中有株、兎走触株、折頸而死、因釈其耒而守株、冀復得兎、兎不可復得、而身為宋国笑、今欲以王之政、治当世之民、皆守株之類也
(書き下し)上古の世、人民少なくして禽獣衆(おお)し。人民、禽獣虫蛇(ちゅうだ)に勝たず。聖人の作(おこ)る有り、木を搆(かま)えて巣を為(つく)り、以て群害を避く。而して民これを悦び、天下に王たらしむ。これを号して有巣氏(ゆうそうし)と曰う。民は果蓏蚌蛤(からほうこう)を食らい、腥臊(せいそう)悪臭にして腹胃(ふくい)を傷害し、民に疾病(しっぺい)多し。聖人の作(おこ)る有り、燧(すい)を鑚(き)りて火を取り、以て腥臊を化す。而して民これを悦(よろこ)び、天下に王たらしむ。これを号して燧人氏(すいじんし)と曰う。中古の世、天下大いに水あり、而して鯀(こん)・禹(う)、瀆(とく)を決す。近古の世、桀(けつ)・紂(ちゅう)暴乱す、而して湯(とう)・武(ぶ)征伐す。今、夏后氏(かこうし)の世に搆木(こうぼく)鑚燧(さんすい)する者有らば、必ず鯀・禹の笑いと為(な)らん。殷・周の世に決瀆する者有らば、必ず湯・武の笑いと為らん。然らば則ち今、尭・舜・禹・湯・武の道を当今の世に美(ほ)むる者有らば、必ず新聖の笑いと為らん。是(ここ)を以て聖人は脩古(しゅうこ)を期せず、常可(じょうか)に法(のっと)らず、、世の事を論じて、因(よ)りてこれが備えを為す。宋人(そうひと)に田(でん)を耕す者有り。田中に株有り、兎(うさぎ)走りて株に触(ふ)れ、頸(くび)を折りて死す。因りて其の耒(すき)を釈(す)てて株を守り、復(ま)た兎を得んことを冀(ねが)う。兎復たは得(う)べからずして、身は宋国の笑いと為る。今、先王の政を以て当世の民を治めんと欲するは、皆な株を守るの類なり。
(現代語訳)上古の時代では、人間は少なくて鳥獣が多かった。そのため人間は、鳥獣や虫や蛇などに勝てなかった。そこに一人の聖人があらわれて、木を組みあわせて住居を作り、さまざまな危害を避けられるようにした。そこで人々はそれを喜んで世界の王者として頂き、彼のことを有巣氏(ゆうそうし)とよんだ。また人々は、草木の実や貝類を常食としたが、生臭くて悪臭もあり、胃腸をこわして病気になるものが多かった。そこに一人の聖人があらわれて、木をこすって火をおこし、その火で生(なま)ものを調理した。そこで人々はそれを喜んで世界の王者として頂き、彼のことを燧人氏(すいじんし)とよんだ。中古の時代になると、世界じゅうにしきりと洪水が起こったので、鯀(こん)と禹(う)とは河川をきりひりて水を流した。近古の時代では、夏(か)の桀(けつ)や殷(いん)の紂(ちゅう)が暴虐な政治を行なったので、殷の湯王と周の武王とは彼らを征伐した。今もし中古の夏王朝の時代に、木を組みあわせて住居を作ったり木をこすって火をおこしたりする者がいたなら、きっと鯀や禹に笑いものにされたであろう。また近古の殷や周の時代に、河川をきりひらいて水を流す者がいたなら、きっと湯王や武王に笑いものにされたであろう。してみると、いま尭・舜・禹や湯王・武王たちの道を、今の時代にも通用するとして賛美する者がいるとしたら、きっと新しい聖人に笑いものにされるであろう。それゆえ、聖人は古いことなら何でもよいなどとは考えず、一定不変の規準などというものには従わない。その時代の事情をよく考えて、それに応じた対策を立てるのである。宋の国の人で畑を耕している者がいた。畑の中に木の切り株があったが、たまたま兎(うさぎ)が走ってきてその切り株にぶつかり、首を折って死んだ。兎をもうけた彼は、それからすきを捨てて耕作をやめ、切り株のそばを離れないで、また兎を得たいと願った。もちろん彼は二度とは得られず、その身は宋の国じゅうの笑いものにされた。いま古代の聖王の政治によって現代の民を治めようとするのは、すべてこの切り株のそばを離れずにいるのと同じたぐいである」(「韓非子4・五蠹・第四十九・一・P.165~168」岩波文庫 一九九四年)
韓非子は人々の生活環境を織り成している諸条件が変化すれば変化に応じて速やかに<現実>を修正していく必要性を厳しく説く。それはまたヘーゲルのいう「<理想>と<現実>」・「<主観>と<客観>」との関係にも通じる。
「理性的なものは現実的であり、そして現実的なものは理性的である」(ヘーゲル「法の哲学・上・序言・P.34」岩波文庫 二〇二一年)
ここで問題となっている「理性的なもの」と「現実的なもの」とについて。
「現実性とは、本質と現存在との統一、あるいは内的なものと外的なものとの統一が、直接的な統一となったものである。現実的なものの発現は、現実そのものである。したがって現実的なものは、発現のうちにあっても、依然として本質的なものであるのみならず、直接的な外的現存在のうちにあるかぎりにおいてのみ本質的なものである。ーーー<補遺>人々は、普通、よく考えもしないで、現実と思想(正確に言えば、理念)とを対立させており、かくしてわれわれは人々がよく次のように言うのを聞く。すなわち、或る思想が正しく真理であることに異論はないが、しかしそうしたものは現実のうちには存在しない、あるいは、現実のうちにそれを実現することはできない、と。しかしこういう言い方をする人は、それによって、かれらが思想の本性をも現実の本性をも正しく把握していないことを証明しているのである。このような言い方においては、思想は主観的表象、計画、意図などと同じ意味に理解され、現実は外的な、感覚的な現存在と同じ意味に理解されている。カテゴリーおよびその表示を人々がそうまで厳密に考えていない日常生活においては、そうしたことも許されるであろう。例えば、或る税制計画(日常的には、此のようなものもイデーとよばれている)が、それ自身としては全くすぐれていて目的にかなっているが、いわゆる現実のうちには見出されず、また与えられた諸事情のもとでは実行できないというようなことも、もちろんおこりうるであろう。しかし抽象的な悟性が理念と現実という二つの規定をとらえて、その区別を動かすことのできない対立にまで高め、われわれはこの世界においては理念を頭から作り出さねばならないなどと言う場合には、われわれはこのような考え方を学問および健全な理性の名において決定的にしりぞけなければならない。なぜなら、一方において、理念はけっしてわれわれの頭脳のうちにのみあるものでもなく、またわれわれが勝手に実現したり、しなかったりできるような無力なものでもなく、絶対的に活動的なものであり、現実的なものであるからであり、他方、現実は、無思想な、あるいは、思惟をきらい、思惟の点では全く駄目になった実際家たちが考えるほど、悪くもなければ不合理でもないからである」(ヘーゲル「小論理学・下・第二部・本質論・一四二・P.81~83」岩波文庫 一九五二年)
<主観>と<客観>とに関して。
(1)「みずからが《自由であると主観的に規定する》ための《個々人の法》〔権利〕は、彼らが人倫的現実性に帰属することにおいて実現される。というのは、個々人のもつ、自分が自由だという《確信》は、このような客観性のなかで《その真理》をえ、そして個々人は、人倫的なものにおいて、《自分自身の》本質、自分の《内的な》普遍性を《現実的に》所有するからである」(ヘーゲル「法の哲学・下・第三部・一五三・P.27~28」岩波文庫 二〇二一年)
(2)「自らの欲〔要〕求のためにする個人の《労働》は、自己自身の欲〔要〕求の満足であるように、また他人の欲〔要〕求の満足でもある。個人が自己の欲〔要〕求を満足させるのは、ただ他人の労働によるのである。ーーー個別者は、自ら《個別的に》労働するとき、すでに《意識せずに》、《一般的な》労働を果たしているように、一般的な労働をも、自らの《意識》的な対象として、果たしてもいる。全体は、《全体として》個別者の仕事となり、この仕事のために、個別者は自分を犠牲とし、まさにこの犠牲によって、全体の方から、自分自身を逆に支えられるのである。ーーーここには相互的でないようなものは何もない」(ヘーゲル「精神現象学・上・理性・理性的自己意識の自己自身による実現・P.400」平凡社ライブラリー 一九九七年)
ところがこれらは政治家自ら率先して動こうとしなければ実現されるにはほど遠い。賢治はいう。
「あっちもこっちも ひとさわぎおこして いっぱい呑(の)みたいやつらばかりだ 羊歯(しだ)の葉と雲 世界はそんなにつめたく暗い けれどもまもなく さういうやつらは ひとりで腐(くさ)って ひとりで雨に流される」(宮沢賢治「詩ノート・政治家」『宮沢賢治詩集・P.258』新潮文庫 一九九〇年)
しかし当然のことだが、「真面目な政治家もいるがゆえすべての政治家が悪人だと考えてはいけない」、とわざわざ政治家を擁護する論者も少なくない。その論者の言葉に間違いはない。けれども少数の真面目な政治家がいるという言葉はその言葉自身の作用によって実にしばしば他の大多数の政治家が多少なりとも持っている悪質な過去や今後実現されるだろう悪意に満ちた構想をすっかり覆い隠してしまう。それでは本末転倒していくばかりだと言わなければならない。一方、歴史的弁証法はそんな甘いものではまるでない。
「一般に弁証法といえば、(a)外的弁証法ーーー事柄の運動の総体とは区別される観察者の運動ーーーと、(b)たんなる外からの洞察の運動ではなく、事柄そのものの本質、つまり、内容の純粋概念に導かれた運動とがあります。前者は、対象を観察した上で、これまで確実なことと見なされていた一切をぐらつかせるような根拠や側面を提示する方法です。その場合、根拠はまったく外的なものでもさしつかえなく、わたしたちは、ソフィストの哲学をあつかうさいに、この弁証法についてくわしく論じることになるはずです。もう一つの弁証法は、対象のなかにはいって観察するもので、対象は、前提や理念や当為ぬきに、外的な関係や法則や根拠からではなく、それだけで取りあげられます。観察者は事柄そのもののまっただなかに飛びこみ、対象を対象に即して観察し、対象のもつ内容に従って対象をとらえる。この観察においては、対象みずからが、対立する内容をもち、したがって廃棄されていくことをあらわにします。この弁証法は古代にとりわけよく見られます。外的な根拠にもとづいて推論する主観的な弁証法は、『正のうちには不正もあり、偽のうちには真もある』といったことを認める上ではそれなりの意味がある。が、真の弁証法は、対象が一面からして欠陥があるといった中途半端にとどまることなく、その本性の全体からして対象を解体します」(ヘーゲル「哲学史講義1・P.355」河出文庫 二〇一六年)
或る対象の一面、この場合では「政治《制度》」の一面だけでも、何からの増減・置き換えが生じてしまえばそれはもうまったく別の対象として取り扱われなくてはならない。「政治《制度》」に寄せる人々の宗教的なまでの信頼感はただちに変化している。バタイユはいう。
「実のところを言うと、死の非現実性というのはある表層的な一面にしか過ぎない。事物たちの世界の内にその場を持たないもの、現実世界においては非現実的であるものは、正確に言うと死ではないのである。事実死は現実のまやかしを暴露する。という意味は、ただ単に持続の不在が現実というものの虚偽を想い出させるという点でそうするというだけではなく、なによりも死が生の偉大な肯定者であり、生に驚嘆して発せられた叫びであるという点でそうするのである。現実秩序が投げ棄てるのは、死がそうであるような現実の否定というよりもむしろ内奥的な、内在的な生命の肯定、つまりその際限のない激烈さ=暴力性(ヴァイオレンス)が事物たちの安定にとって危険であり、また死においてのみ初めて十分に啓示されるような内奥の生命の肯定なのである。現実秩序はこの内奥の生を無効にーーーつまり中和化ーーーしなければならない。そしてその代りに、労働という共同性の中にある個人がそうであるような事物を対置しなければならぬのである。だかしかしそういう現実秩序も、いままさに死のうちへと生が消滅する瞬間において、けっして《事物》ではありえない生が、その《不可視の》閃光を開示することがないようにしてしまうわけにはいかない。死の力が意味しているのは、この現実世界が生に関してある中和化されたイメージしか持てないということであり、また内奥性がその世界において眼を眩ますばかりの消尽のさまを開示するのは、ただまさしく内奥性が欠けんとする瞬間においてのみだということである。死がそこにあったときには、誰もそこに《それがある》と知らなかった。死は無視されており、それが現実的な事物たちの利にかなうことであった。死は他のものたちと同じように一つの現実的事物だったのである。しかし突如として死は、現実社会が嘘をついていたことを示す。するとそのとき深く考慮に入れられるのは、事物が喪失されたということではなく、また有用なメンバーが失われたということでもない。現実社会の失ったものは一人のメンバーではなく、その真理なのである。内奥の生命はもうすでに私にまで十分到達する力を失っており、それを私は基本的には一個の事物のようにみなしていたのであるが、その内奥の生を十分なまで私の感受性へと戻してくれるのは、それが不在となることによるのである。死は生をその最も充溢した状態において啓示し、現実秩序を沈み込ませる。それ以降は、この現実秩序が、もはや存在しないものの持続の要請であることは、ほとんど重要性を持たなくなる。諸関係に基づいて立てられている一つの存在体は、一個の基本要素が自らの要請に背いて消え去るときに、欠如する部分が生じて病み苦しむというのではない。そういう存在体は、すなわち現実秩序は、一度に全体として消え失せてしまったのである。もはやその現実秩序が問題となることはなく、そして死が涙のうちに運んでくるものは、内奥次元〔L’ordre intime〕の、なんの有用性も持たぬ消尽なのである」(バタイユ「宗教の理論・第一部・三・供犠、祝祭および聖なる世界の諸原則・P.60~62」ちくま学芸文庫 二〇〇二年)
この箇所で「現実社会の失ったものは一人のメンバーではなく、その真理なのである。内奥の生命はもうすでに私にまで十分到達する力を失っており、それを私は基本的には一個の事物のようにみなしていたのであるが、その内奥の生を十分なまで私の感受性へと戻してくれるのは、それが不在となることによるのである。死は生をその最も充溢した状態において啓示し、現実秩序を沈み込ませる。それ以降は、この現実秩序が、もはや存在しないものの持続の要請であることは、ほとんど重要性を持たなくなる。諸関係に基づいて立てられている一つの存在体は、一個の基本要素が自らの要請に背いて消え去るときに、欠如する部分が生じて病み苦しむというのではない。そういう存在体は、すなわち現実秩序は、一度に全体として消え失せてしまった」とあるのは、その瞬間に或る秩序はもはや別の秩序に変化したということであり、いつもすでに<現実社会>は隅から隅まで「否定的」な運動によって押し貫かれているということでなくてはならない。コジェーヴはいっている。
「(真の)認識の中でそれ自身によりそれ自身に開示された《存在者》を、対象とは異なり対象に『対立』する主観によって、『主観』に開示された『対象』へと変ずるものは、この《欲望》である。人間が《自我》として、本質的に《非我》と異なり根本的にそれと対立する《自我》としてーーー自己自身及び他者に対しーーー自己を構成し自己を開示するのは、『自己の』《欲望》の中で、『自己の』《欲望》により、より適切には、『自己の』《欲望》としてである。(人間の)《自我》とは、或る《欲望》のーーー或いは《欲望》そのもののーーー《自我》なのである。したがって、人間の存在そのもの、自己意識的な存在は、《欲望》を含み、《欲望》を前提とする。そうである以上、人間的な実在性は、生物的な実在性、動物的な生の枠内でなければ構成され維持されることができない。だが、たとえこの《動物的欲望》が《自己意識》にとって必要な条件であるとしても、それだけでは十分な条件とは言えない。《動物的欲望》のみでは《自己感情》が構成されるにすぎない。認識が人間を受動的な静的状態に保つのとは対照的に、《欲望》は人間をそわそわさせ、人間を行動へ追いやる。《欲望》から生まれた以上、行動はこの欲望を充足させようとするが、『否定』によらなければ、すなわち欲望の対象を破壊するか、少なくともその形態を変じなければ、それを遂行することができない。例えば、空腹を満たすためには、食物を破壊しなければならない、ともかくもその形態を変じなければならない。このように、いかなる行動も『否定的』である」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・第一章・P.11~12」国文社 一九八七年)
バタイユ「宗教の理論」の巻頭にコジェーヴのこの言葉が置かれていることには極めて重要な意味があるのだ。
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