白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・地獄行きのマラソン競争「蜘蛛となめくじと狸」

2021年12月19日 | 日記・エッセイ・コラム
<私>が「山猫(やまねこ)」から聞いた「伝記」形式で作品「蜘蛛となめくじと狸」は始まる。「蜘蛛と、銀色のなめくじとそれから顔を洗ったことのない狸」の三者は「みんな立派な選手」だった。そして彼らは「実に本気の競争をしていた」そうだ。しかし。

「一体何の競争をしていたのか、私は三人がならんでかける所も見ませんし学校の試験で一番二番三番ときめられたことも聞きません。一体何の競争をしていたのでしょう」(宮沢賢治「蜘蛛となめくじと狸」『風の又三郎・P.49』新潮文庫 一九八九年)

度重なる飢饉など生息環境の異変が生態系にもたらす変化は、一定程度を越えると食物連鎖の修復に時間がかかる。修復不可能なケースも出てくる。そんな環境の中で動物たちはどのような仕方で生き延びたり逆に死んでしまったりするのか。作者=宮沢賢治はまず「ひもじいのを我慢(がまん)して」いる「蜘蛛」を取り上げ、その最後の一年間の記録から書き始めている。

「あんまりひもじくておなかの中にはもう糸がない位でした。けれども蜘蛛は『うんとこせうんとこせ』と云(い)いながら、一生けん命糸をたぐり出して、それはそれは小さな二銭銅貨位の網をかけました」(宮沢賢治「蜘蛛となめくじと狸」『風の又三郎・P.50』新潮文庫 一九八九年)

そこへ「蚊(か)」が飛んできて蜘蛛の網にかかった。蜘蛛はその蚊の「頭から羽からあしまで」すっかり食う。しばらくして口から糸を吐き始めた蜘蛛。すると最初は極めて頼りなかった蜘蛛の巣は「一まわり大きくな」る。次に網に引っかかったのは「めくらのかげろう」。杖をついている。「めくら」は盲目を意味しているが、蜘蛛に「遺言(ゆいごん)」を残したいと頼み込んで巡礼(じゅんれい)の詩句を辞世の詞(うた)として残す。

「『あわれやむすめちちおやが、旅ではてたと聞いたなら、ちさいあの手に白手甲(しろてこう)、いとし巡礼(じゅんれ)の雨とかぜ。もうしご冥加(みょうが)と報謝と、かどなみなみに立つとても、非道の蜘蛛の網ざしき、さわるまいぞや。よるまいぞ』」(宮沢賢治「蜘蛛となめくじと狸」『風の又三郎・P.52』新潮文庫 一九八九年)

辞世の間じっと待っていた蜘蛛は「かげろう」が謳い終わるや食い殺した。「かげろう」は余りといえば余りにも、いともあっさり蜘蛛に身を捧げ食われてしまっているように見える。その点については後で、人間とは異なる<食物連鎖>とはどういうことかについて述べる。さて、「かげろう」を消化した蜘蛛はさらに新しく糸を吐き出し、たちまち網は「三まわり大きくなって、もう立派な蜘蛛の巣」になった。そんな時、蜘蛛の巣の下から女の蜘蛛が歌を歌う声がする。蜘蛛は一本の糸を下へ降ろしてやった。

「女の蜘蛛がすぐそれにつかまってのぼって来ました。そして二人は夫婦になりました。網には毎日沢山(たくさん)食べるものがかかりましたのでおかみさんの蜘蛛は、それを沢山たべてみんな子供にしてしまいました。そこで子供が沢山生まれました」(宮沢賢治「蜘蛛となめくじと狸」『風の又三郎・P.53』新潮文庫 一九八九年)

子沢山に見えはする。だが少し後にこうある。

「網は時々風にやぶれたりごろつきのかぶとむしにこわされたりしましたけれどもくもはすぐすうすう糸をはいて修繕(しゅうぜん)しました。二百疋の子供は百九十八疋まで蟻(あり)に連れて行(ゆ)かれたり、行衛不明(ゆくえふめい)になったり、赤痢(せきり)にかかったりして死んでしまいました」(宮沢賢治「蜘蛛となめくじと狸」『風の又三郎・P.55』新潮文庫 一九八九年)

擬人化ゆえにまだまだ貧しかった東北地方の村落共同体の暮らしぶりがあからさまに描かれている。作者=賢治が「蜘蛛」から始めた理由の一つは間違いなく極めて似通った両者のアナロジー(類似)にあるのだろう。

或る日、蜘蛛のところに「とんぼが来て今度蜘蛛を虫けら会の相談役にするというみんなの決議をつたえ」た。そんな折、蜘蛛の巣の下に「大きな銀色のなめくじ」がやって来て歌を歌う。二百疋の子供といってもどれもこれも取るにたらない小物ばかりだという内容でからかう。母蜘蛛は悔しさをこらえきれず火がついたように泣き出した。しかし父蜘蛛はいう。「あいつはちかごろ、おれをねたんでるんだ。やい、なめくじ。おれは今度は虫けら会の相談役になるんだぞ。へっ。くやしいか。へっ。てめえなんかいっくらからだばかりふとっても、こんなことはできまい。へっへっ」とやり返した。

ところが或る日、「旅の蚊」が飛んできて蜘蛛の巣に近づいたところ網が張られているのに気づいて飛び去っていった。それを見ていたのが一疋の狸。持ち前の太い声で挑発的な歌を歌い、蜘蛛を完全に馬鹿にした。逆上した蜘蛛は悔しさで一杯になり、はがみしながら狸に「きっとおれいおじぎをさせて見せる」と誓った。そして。

「蜘蛛は、もう一生けん命であちこちに十(とお)も網をかけたり、夜も見はりをしたりしました。ところが困ったことに腐敗(ふはい)したのです。食物(しょくもつ)がずんずんたまって、腐敗したのです。そして蜘蛛の夫婦と子供にそれがうつりました。そこで四人(よつたり)は足のさきからだんだん腐(くさ)れてべとべとになり、ある日とうとう雨に流されてしましました」(宮沢賢治「蜘蛛となめくじと狸」『風の又三郎・P.56』新潮文庫 一九八九年)

さて、第二に賢治が持ち出すのは「銀色のなめくじ」の記録。まるで食べものがなくなってしまい難儀している「かたつむり」がなめくじの家にやって来て食べものを分けてほしいと頼み込む。なめくじは貧困している「かたつむり」に「ふきのつゆ」や「あざみの芽」などを与えて太らせる。そこで相撲を取ろうと持ちかけ、嫌がる「かたつむり」を相手に無理矢理相撲を取らせ都合五度に渡って投げつけた。五度目に「かたつむり」はいう。

「『もう死にます。さよなら』。『まあもう一ぺんやりましょうよ。ハッハハ。さあ。お立ちなさい。起こしてあげましょう。よっしょ。そら。ヘッヘッヘ』。かたつむりは死んでしまいました。そこで銀色のなめくじはかたつむりをペロリと喰べてしまいました」(宮沢賢治「蜘蛛となめくじと狸」『風の又三郎・P.59』新潮文庫 一九八九年)

それから一ヶ月経った。今度なめくじのところにやって来たのは蛇に嚙(か)まれて傷ついた「とかげ」。薬を貰えないかと頼み込む。するとなめくじは傷口を「嘗(な)めてあげましょう」といって傷をべろべろ嘗め出した。「とかげ」は違和感を感じたのか「何だか足が溶(と)けたよう」だと驚きながらいう。なめくじは大したことではないと「もがもが」答えつつさらに「とかげ」の体をべろべろ嘗めつづける。「とかげ」は「もうよして下さい」という。

「『なめくじさん。からだが半分とけたようですよ。もうよして下さい』ととかげは泣き声を出しました。『ハッハハ。なあにそれほどじゃありません。ほんのも少しです。も一分五厘(りん)ですよ。ハッハハ』」となめくじが云いました。それを聞いたとき、とかげはやっと安心しました。丁度心臓がとけたのです。そこでなめくじはペロリととかげをたべました。そして途方(とほう)もなく大きくなりました」(宮沢賢治「蜘蛛となめくじと狸」『風の又三郎・P.60~61』新潮文庫 一九八九年)

翌年の或る日、なめくじのところに雨蛙(あまがえる)が水を乞いにやって来た。旱魃らしい。なめくじは愛想よく水を与えた。今度は力を回復した雨蛙の側から相撲を取ろうと言い出した。これ幸いとなめくじは相撲に応じる。五回ほど投げつければ雨蛙を食えるだろうと考えた。そこで二度ほど投げつけてみると、雨蛙は不利と見たのか「土俵へ塩をまかなくちゃだめだ」と言って塩をまいた。なめくじは気にせず次も雨蛙をひどく投げつけた。雨蛙は死んだように仰向けになって「青じろい腹を空に向けて」いる。しめしめとなめくじは近づく。ところが。

「銀色のなめくじは、すぐペロリとやろうと、そっちへ進みましたがどうしたのか足がうごきません。見るともう足が半分とけています。『あ、やられた。塩だ。畜生(ちくしょう)』となめくじが云いました。蛙はそれを聞くと、むっくり起きあがってあぐらをかいて、かばんのような大きな口を一ぱいにあけて笑いました。そしてなめくじにおじぎをして云いました。『いや、さよなら。なめくじさん。とんだことになりましたね』。なめくじが泣きそうになって、『蛙さん。さよーーー』と云ったときもう舌がとけました。雨蛙はひどく笑いながら『さよならと云いたかったのでしょう。本当にさよならさよなら。暗い細路(ほそみち)を通って向うへ行ったら私(わたし)の胃袋にどうかよろしく云ってくださいな』と云いながら銀色のなめくじをペロリとやりました」(宮沢賢治「蜘蛛となめくじと狸」『風の又三郎・P.62~63』新潮文庫 一九八九年)

そして第三に「顔を洗ったことのない狸」。狸が腹をへらして目をとじているところへ兎(うさぎ)がやって来た。あまりにひもじいのでもう死ぬほかないと申し出る。狸は「山猫大明神(やまねこだいみょうじん)」という怪しげな宗教をかかげており、往生させてやろうと念仏を唱えはじめた。兎も一緒に念仏を唱える。念仏はただひたすら「なまねこ、なまねこ、なまねこ」と続けるだけのもので自称「念猫(ねんねこ)」。作者=賢治の実家の宗旨は浄土真宗で称名念仏(しょうみょう)を重視するが、賢治は浄土真宗に対して痛烈に批判的な立場を取っていた。それがこの揶揄を用いて描かれることになるわけだが、そもそも賢治が浄土真宗に対して批判的になったのは実家が「質屋」を営んでいたことにある。貧困層に金を貸し付けて膨大な利益を叩き出す地元の富豪としての実家の商売のあり方が、賢治に、貧しい農民たちのためなら「死んでも構わない」という過剰な「優等生」への道を選ばせた。ちなみに吉本隆明はこの点について過剰かつ逸脱した「優等生」の「不健康さ」と「いやらしさ」が存していると指摘している。

ところで「顔を洗ったことのない狸」が主催する「山猫大明神(やまねこだいみょうじん)」を信じて疑っていない兎は念猫を唱えているうちに耳をかじられ食べられてしまう。兎は違和感を覚えるが「なまねこ、なまねこ」と念仏を続けているうちに「私(わたし)のような悪いものでも助かりますなら耳の二つやそこらなんでもございませぬ」と、だんだん自己暗示にかかってくる。かまわず狸は兎の手足も食ってしまう。仕舞いにからだ全部すっかり食べた。兎はふと我に帰るがその時すでに狸の胃袋の中。

「兎はすっかりなくなってしまいました。そこで狸のおなかの中で云いました。『すっかりだまされた。お前の腹の中はまっくろだ。ああくやしい』。狸は怒(おこ)って云いました。『やかましい。はやく消化しろ』。そして狸はポンポコポンポンとはらつづみをうちました」(宮沢賢治「蜘蛛となめくじと狸」『風の又三郎・P.65~66』新潮文庫 一九八九年)

さらに二ヶ月経った頃、狼(おおかみ)が米を三升持ってきて「山猫大明神」のお説教を頼んだ。狸はこう答える。

「『みんな山ねこさまのおぼしめしじゃ。お前がお米を三升もって来たのも、わしがお前に説教するのもじゃ。山ねこさまはありがたいお方じゃ。兎はおそばに参って、大臣になられたげな。お前もものの命をとったことは、五百や千では利くまいに、早うざんげさっしゃれ。でないと山ねこさまにえらい責苦(せめく)にあわされますぞい。おお恐(おそ)ろしや。なまねこ。なまねこ』」(宮沢賢治「蜘蛛となめくじと狸」『風の又三郎・P.66』新潮文庫 一九八九年)

カルトにありがちな脅(おど)しである。狼はパニックに陥りどうしたらいいのか狸に尋ねる。狸は自分で自分のことを「山ねこさまのお身代り」だと言って次のように指示する。話は対話形式を取ってこう進行する。

「『それはな。じっとしていさしゃれ。な、わしはお前のきばをぬくじゃ。な。お前の目をつぶすじゃ。な。それから。なまねこ。なまねこ。こらえなされ。お前のあたまをかじるじゃ。むにゃ、むにゃ。なまねこ。堪忍(かんにん)が大事じゃぞえ。なまーーー。むにゃむにゃ。お前のあしをたべるじゃ。うまい。なまねこ。むにゃ。むにゃ。おまえのせなかを食うじゃ。うまい。むにゃむにゃむにゃ』。狼は狸のはらの中で云いました。『ここはまっくらだ。ああ、ここに兎の骨がある。誰(たれ)が殺したろう。殺したやつは狸さまにあとでかじられるだろうに』。狸は無理に『ヘン』と笑っていました」(宮沢賢治「蜘蛛となめくじと狸」『風の又三郎・P.67』新潮文庫 一九八九年)

しばらくして狸は食べ過ぎで重篤な病気にかかる。「からだの中に泥(どろ)や水がたまって、無暗(むやみ)にふくれる病気」らしい。「地球儀のようにまんまるにな」った。

ところでしかし「蜘蛛・なめくじ・狸」との間で繰り広げられる「食うか食われるか」という<弱肉強食>関係は差し当たり「蜘蛛」を起点として語られているに過ぎず、生態系の環の中でそれぞれの動物が占めている一つの位置を示す<印>でしかない。「蜘蛛」ではなく仮に「なめくじ」から始めても「狸」から始めても作品内容にはまったく何一つ変化が起こるわけではない。なぜだろうか。バタイユはいう。

「動物の生においては、主人とその命令下にある奴隷という関係を導入するものはなにもなく、また一方に独立を、そして他方に従属をうち立てるようなものもなにもない。動物たちはお互いに食べ合うのであるから、その力は同等ではないけれども、彼らの間にはこうした量的な差異以外のものはけっしてないのである。ライオンは百獣の王ではない。それは水流の動きの内で、比較的弱小な他の波たちを打ち倒すより高い波に過ぎない。ある動物が他の動物を食べるということは、根本的な情況を変えるものではまずないのである。全て動物は、《世界の内にちょうど水の中に水があるように》存在している」(バタイユ「宗教の理論・第一部・一・動物性・P.23」ちくま学芸文庫 二〇〇二年)

生態系本来の循環はそのようなものだ。しかし世界はもはや動植物だけで成り立っているわけではまったくない。人間が出現し生態系の環の中に入り、生態系の部分として生態系を構成してもいる。そこでバタイユはなぜ人間の共同体が動物を供儀として祭祀を行うようになったのか、その理由を宗教発生の起源として位置付ける。

「供儀の原理は破壊であるが、そしてときには全的に破壊するにまで至ることもあるけれども(たとえば全燔祭においてのように)、供儀が挙行しようと望む破壊は無化してしまうことではないのである。供儀が犠牲の生贄の内で破壊したいと願うのは、事物ーーーただ事物のみーーーなのである。供儀はある一つの物=客体を従属関係へと縛りつける現実的な絆を破壊する。つまり生贄を有用性の世界から引き剥がして、知的な理解を絶するような気まぐれの世界へと戻すのである。献上された動物が祭司によって殺される領界へと入っていくとき、その動物は事物たちの世界からーーーつまり人間にとって閉じられており、《なにものでもなく》、外から知るだけの事物たちの世界からーーー引き戻されて、人間にとって、内在的な、《内奥的な》世界へと、ちょうど消尽を思わせる肉体的交わりの中で女が知られるのと同じように知られる世界へと移行するのである。それが仮定しているのは、そのとき人間の側でも自分自身の内奥性から切り離された状態を止めるということ、すなわち労働という従属関係において人間がそうである状態を止めるということである」(バタイユ「宗教の理論・第一部・三・供犠、祝祭および聖なる世界の諸原則・P.55~56」ちくま学芸文庫 二〇〇二年)

共同体に属する個々人をそれぞれ切り分けている言語とその文法は、犠牲の生贄が捧げられる祭祀の絶頂のうちに解体される。個々人というものは消え失せ共同体すべての<力>の消尽の中でごった煮になる。自己と他者との区別は消失する。またバタイユ「宗教の理論」冒頭にコジェーヴ「ヘーゲル読解入門」から次の文章が引用されている。

「(真の)認識の中でそれ自身によりそれ自身に開示された《存在者》を、対象とは異なり対象に『対立』する主観によって、『主観』に開示された『対象』へと変ずるものは、この《欲望》である。人間が《自我》として、本質的に《非我》と異なり根本的にそれと対立する《自我》としてーーー自己自身及び他者に対しーーー自己を構成し自己を開示するのは、『自己の』《欲望》の中で、『自己の』《欲望》により、より適切には、『自己の』《欲望》としてである。(人間の)《自我》とは、或る《欲望》のーーー或いは《欲望》そのもののーーー《自我》なのである。したがって、人間の存在そのもの、自己意識的な存在は、《欲望》を含み、《欲望》を前提とする。そうである以上、人間的な実在性は、生物的な実在性、動物的な生の枠内でなければ構成され維持されることができない。だが、たとえこの《動物的欲望》が《自己意識》にとって必要な条件であるとしても、それだけでは十分な条件とは言えない。《動物的欲望》のみでは《自己感情》が構成されるにすぎない。認識が人間を受動的な静的状態に保つのとは対照的に、《欲望》は人間をそわそわさせ、人間を行動へ追いやる。《欲望》から生まれた以上、行動はこの欲望を充足させようとするが、『否定』によらなければ、すなわち欲望の対象を破壊するか、少なくともその形態を変じなければ、それを遂行することができない。例えば、空腹を満たすためには、食物を破壊しなければならない、ともかくもその形態を変じなければならない。このように、いかなる行動も『否定的』である」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・第一章・P.11~12」国文社 一九八七年)

さらにコジェーヴは「ヘーゲル読解入門」冒頭にマルクス「経済学/哲学草稿」から次の箇所を引いている。

「ヘーゲルは、《労働》を人間の《本質》として、自己を確証しつつある人間の本質としてとらえる」(マルクス「経済学/哲学草稿・第三草稿・五・ヘーゲル弁証法と哲学一般との批判・P.200」岩波文庫 一九六四年)

そこからバタイユは食物連鎖と宗教との<あいだ>で生じてくる切っても切れない重大な関係に踏み込んでいく。とりわけ先に引いたヘーゲルの言葉から「欲望」と「否定的」な<力>の運動=<否定性>とに重点を置いて論旨が進められる。

「実のところを言うと、死の非現実性というのはある表層的な一面にしか過ぎない。事物たちの世界の内にその場を持たないもの、現実世界においては非現実的であるものは、正確に言うと死ではないのである。事実死は現実のまやかしを暴露する。という意味は、ただ単に持続の不在が現実というものの虚偽を想い出させるという点でそうするというだけではなく、なによりも死が生の偉大な肯定者であり、生に驚嘆して発せられた叫びであるという点でそうするのである。現実秩序が投げ棄てるのは、死がそうであるような現実の否定というよりもむしろ内奥的な、内在的な生命の肯定、つまりその際限のない激烈さ=暴力性(ヴァイオレンス)が事物たちの安定にとって危険であり、また死においてのみ初めて十分に啓示されるような内奥の生命の肯定なのである。現実秩序はこの内奥の生を無効にーーーつまり中和化ーーーしなければならない。そしてその代りに、労働という共同性の中にある個人がそうであるような事物を対置しなければならぬのである。だかしかしそういう現実秩序も、いままさに死のうちへと生が消滅する瞬間において、けっして《事物》ではありえない生が、その《不可視の》閃光を開示することがないようにしてしまうわけにはいかない。死の力が意味しているのは、この現実世界が生に関してある中和化されたイメージしか持てないということであり、また内奥性がその世界において眼を眩ますばかりの消尽のさまを開示するのは、ただまさしく内奥性が欠けんとする瞬間においてのみだということである。死がそこにあったときには、誰もそこに《それがある》と知らなかった。死は無視されており、それが現実的な事物たちの利にかなうことであった。死は他のものたちと同じように一つの現実的事物だったのである。しかし突如として死は、現実社会が嘘をついていたことを示す。するとそのとき深く考慮に入れられるのは、事物が喪失されたということではなく、また有用なメンバーが失われたということでもない。現実社会の失ったものは一人のメンバーではなく、その真理なのである。内奥の生命はもうすでに私にまで十分到達する力を失っており、それを私は基本的には一個の事物のようにみなしていたのであるが、その内奥の生を十分なまで私の感受性へと戻してくれるのは、それが不在となることによるのである。死は生をその最も充溢した状態において啓示し、現実秩序を沈み込ませる。それ以降は、この現実秩序が、もはや存在しないものの持続の要請であることは、ほとんど重要性を持たなくなる。諸関係に基づいて立てられている一つの存在体は、一個の基本要素が自らの要請に背いて消え去るときに、欠如する部分が生じて病み苦しむというのではない。そういう存在体は、すなわち現実秩序は、一度に全体として消え失せてしまったのである。もはやその現実秩序が問題となることはなく、そして死が涙のうちに運んでくるものは、内奥次元〔L’ordre intime〕の、なんの有用性も持たぬ消尽なのである」(バタイユ「宗教の理論・第一部・三・供犠、祝祭および聖なる世界の諸原則・P.60~62」ちくま学芸文庫 二〇〇二年)

ここで「諸関係に基づいて立てられている一つの存在体は、一個の基本要素が自らの要請に背いて消え去るときに、欠如する部分が生じて病み苦しむというのではない。そういう存在体は、すなわち現実秩序は、一度に全体として消え失せてしまった」とある。ヘーゲルから次の二箇所を参照。

(1)「弁証法の正しい理解と認識はきわめて重要である。それは現実の世界のあらゆる運動、あらゆる生命、あらゆる活動の原理である。また弁証法はあらゆる真の学的認識の魂である。普通の意味においては、抽象的な悟性的規定に立ちどまらないということは、単なる公平にすぎないと考えられている。諺にも<自他ともに生かせ>と言われているが、これは或るものを認めるとともに、他のものをを認めることを意味する。しかしもっと立入って考えてみれば、有限なものは単に外部から制限されているのではなく、自分自身の本性によって自己を揚棄し、自分自身によって反対のものへ移っていくのである。例えばわれわれは、人間は死すべきものであると言い、そして死を外部の事情にもとづくものと考えているが、こうした見方によると、人間には生きるという性質ともう一つ可死的であるという性質と、二つの特殊な性質があることになる。しかし本当の見方はそうではなく、生命そのものがそのうちに死の萌芽を担っているのであって、一般に有限なものは自分自身のうちで自己と矛盾し、それによって自己を揚棄するのである」(ヘーゲル「小論理学・上・八一・P.246~247」岩波文庫 一九五一年)

(2)「一般に弁証法といえば、(a)外的弁証法ーーー事柄の運動の総体とは区別される観察者の運動ーーーと、(b)たんなる外からの洞察の運動ではなく、事柄そのものの本質、つまり、内容の純粋概念に導かれた運動とがあります。前者は、対象を観察した上で、これまで確実なことと見なされていた一切をぐらつかせるような根拠や側面を提示する方法です。その場合、根拠はまったく外的なものでもさしつかえなく、わたしたちは、ソフィストの哲学をあつかうさいに、この弁証法についてくわしく論じることになるはずです。もう一つの弁証法は、対象のなかにはいって観察するもので、対象は、前提や理念や当為ぬきに、外的な関係や法則や根拠からではなく、それだけで取りあげられます。観察者は事柄そのもののまっただなかに飛びこみ、対象を対象に即して観察し、対象のもつ内容に従って対象をとらえる。この観察においては、対象みずからが、対立する内容をもち、したがって廃棄されていくことをあらわにします。この弁証法は古代にとりわけよく見られます。外的な根拠にもとづいて推論する主観的な弁証法は、『正のうちには不正もあり、偽のうちには真もある』といったことを認める上ではそれなりの意味がある。が、真の弁証法は、対象が一面からして欠陥があるといった中途半端にとどまることなく、その本性の全体からして対象を解体します」(ヘーゲル「哲学史講義1・P.355」河出文庫 二〇一六年)

また人間社会の出現と「供儀」=「サクリファイス」を伴う祭祀の出現とは同時である。次の箇所で「供儀は贈与(ドン)であり、放棄(アバンドン)なのであるけれども、そのように贈与されたものは、それを受け取った人にとって保存の対象であることはありえない。捧物が贈与されるとすると、その捧物はまさしく迅速に消尽の世界へと通過するのである。『神に犠牲を供える』という行為の意味することはそれであり、その聖なる本質はだから火に喩えられる」とある。

「一般的に言って死の持つ力が、供儀〔le sacrifice〕の意味を明らかにしてくれる。供儀はある失われた価値をその価値の放棄という手段によって復原するという点で、死と同じように作用するのである。ただし供儀にはいつも必ず死が結びついているというわけではなく、最も荘厳な供儀が流血の行為を伴わないこともありうる。犠牲として捧げるということは殺すことではなく、放棄する(アバンドネ)ことであり、贈与する(ドネ)ことである。殺害するという行為は、ただある深い意味を提示する行為以外のなにものでもないのである。重要なのは持続性のある秩序から離れて、つまりそこでは諸々の消尽が全て持続する必要性に服従しているような秩序から離脱して、無条件な消尽の激烈さ=暴力性へと移行することである。言いかえれば現実的な事物たちの世界の外へ、その現実性が長期間にわたる操作=作業に由来するのであって、けっして瞬間にあるのではないような世界の外へ出ることーーー創り出し、保存する世界(持続性のある現実の利益となるように創り出す世界)から外へ出ることが重要なのである。供儀とは将来を目ざして行われる生産のアンチ・テーゼであって、瞬間そのものにしか関心を持たぬ消尽である。この意味で供儀は贈与(ドン)であり、放棄(アバンドン)なのであるけれども、そのように贈与されたものは、それを受け取った人にとって保存の対象であることはありえない。捧物が贈与されるとすると、その捧物はまさしく迅速に消尽の世界へと通過するのである。『神に犠牲を供える』という行為の意味することはそれであり、その聖なる本質はだから火に喩えられる」(バタイユ「宗教の理論・第一部・三・供犠、祝祭および聖なる世界の諸原則・P.63~64」ちくま学芸文庫 二〇〇二年)

要するに「供儀」=「サクリファイス」で最も重要な意味は「贈与」なのであって、日常生活を送る上で認められる「有用性」や「効用」や「保存」や「目的」とは何一つ関係がない。ニーチェのいうように人間は「これまたいつもやっているように」、原因と結果とを取り違えている。

「ある事物の発生の原因と、それの終極的功用、それの実際的使用、およびそれの目的体系への編入とは、《天と地ほど》隔絶している。現に存在するもの、何らかの仕方で発生したものは、それよりも優勢な力によって幾たびとなく新しい目標を与えられ、新しい場所を指定され、新しい功用へ作り変えられ、向け変えられる。有機界におけるすべての発生は、一つの《圧服》であり、《支配》である。そしてあらゆる圧服や支配は、さらに一つの新解釈であり、一つの修整であって、そこではこれまでの『意識』や『目的』は必然に曖昧になり、もしくはまったく解消してしまわなければならない。ある生理的器官(乃至はまたある法律制度、ある社会的風習、ある政治的慣習、ある芸術上の形式または宗教的儀礼の形式)のもつ《功用》をいかによく理解していても、それはいまだその発生に関する理解をもっていることにはならない。こう言えば、旧套に馴れた人々の耳には随分と聞きづらく不快に響くかもしれない、ーーーというのは、古来人々は、ある事物、ある形式、ある制度の顕著な目的または功用は、またその発生の根拠をも含んでいる、例えば、眼は見る《ために》作られ、手は摑む《ために》作られた、と信じてきたからだ。そして同様に人々は、刑罰もまた罰する《ために》発明されたものだと思っている。しかしすべての目的、すべての功用は、力への意志があるより小さい力を有する者を支配し、そして自ら一つの機能の意義を後者の上に打刻したということの《標証》にすぎない。従ってある『事物』、ある器官、ある慣習の全歴史も、同様の理由によって、絶えず改新された解釈や修整の継続的な標徴の連鎖でありうるわけであって、それの諸多の原因は相互に連関する必要がなく、むしろ時々単に偶然的に継起し交替するだけである。してみれば、ある事物、ある慣習、ある器官の『発展』とは、決して一つの目標に向かう《進歩》ではなく、まして論理的な、そして最短の、最小の力と負担とで達せられる《進歩》ではなお更ない。ーーーむしろ、事物乃至は器官の上に起こる多少とも深行的な、多少とも相互に独立的な圧服過程の連続であり、同時にこの圧服に対してその度ごとに試みられる反抗であり、弁護と反動を目的とする思考的な形式変化であり、更に旨く行った反対活動の成果でもある。形式も固定したものでないが、『意味』はなお一層固定したものでない」(ニーチェ「道徳の系譜・第二論文・十二・P.88~90」岩波文庫 一九四〇年)

バタイユは「逆説的な様態において内奥性とは激烈な暴力であり、また破壊である」と述べる。だが古代の壮大な祭儀のような<力>〔否定性・暴力性〕の自由で全面的な解放はもはや国家とその法とによって堰き止められている。すると事態は次のように推移する。

「逆説的な様態において内奥性とは激烈な暴力であり、また破壊である。なぜなら内奥性は切り離された個体=個人の定置と両立することは不可能であるからである。いま供儀の実行過程の中にいる個人を記述するとすれば、その個人は不安によって定義される。ところで供儀が不安を喚びおこすものであるのは、その個人が供儀に参入するからである。個人は捧げられる犠牲と同一化するが、その同一化は生贄を内在性へと(内奥性へと)戻す突然の運動の中で行われる。ただしこのように内在性の回帰と結ばれている同一視が起こるのは、供儀執行者が個人であるという事実に基づいており、さらにはその生贄が事物であるという事実にもまた基づいているのである。切り離された個人は、事物と同じ本性からなっている。あるいはもっと適切に言うと、個人の個体性を定置する要因となっている個人として持続することに関する不安は、その実存の様態が事物たちの世界の内に統合されているということに結ばれているのである。言いかえると、労働と死ぬことへの恐怖は密接に連係しているのであって、労働は事物を当然なものとして含んでおり、またその逆もそうなのである。さらに言うと、ある一定程度まで《事物》であるためには、すなわち恐怖を抱く《事物》であるためには、労働する必要もない。つまり人間はその抱く不安、怖れのせいで労働の諸成果に結びつけられているのであるけれども、まさにちょうどそのように縛りつけられている度合に応じて個人的なのである。しかしながら人間は、そう信じられることもありうるように、彼が恐怖を持つから一個の事物であるのではない。もし人間が個体(事物)でなかったとしたら、不安を持つことはないであろう。彼の不安に種を与え続けるのは、本質的に言うと一つの個体であるということなのである。彼が不安を身につけるのは、事物の要請に応えるためである。つまり事物たちの世界が彼の持続を、彼の価値の、またその本性の根本的な条件として措定したのであるけれども、ちょうどまさにそのように位置づけられている程度に応じて彼は不安にかられるのである。人間は《事物たち》の秩序がそうであるような諸々の企図で建立された建造物の内へ入るや否や、死を怖れるようになる。われわれは事物たちの秩序によって支えられているのに、死はその事物たちの秩序を乱すからである。人間は、事物たちの秩序と両立せず、和合しない内奥次元を怖れるのである。そうでなかったとしたら、供儀は存在しなかったであろう。そしてまた人間性もありえなかったであろう。内奥次元が、個体の破壊のうちに、そしてその聖なる不安のうちに啓示されることもないであろう。内奥性は事物と隔たりのない同一平面にあるのではなく、むしろ事物がその本性において(つまりそれを構成する諸々の企図において)脅かされる状態を通じてこそ、戦慄する個体のうちで、神聖な、聖なるものであり、不安という光背を帯びているのである。聖なるものはこのように生命の惜し気もない沸騰であるが、事物たちの秩序は持続するためにそれを拘束し、脈略づけようとする。しかしそうした束縛しようとする行為こそがすぐまたそれを奔騰状態へと、すなわち激烈な暴力性へと変えるのである。間断なくそれは堤防を決壊しようと脅かす。純粋な栄光としてある消尽という運動、急激で、波及しやすい運動を、生産的活動に対立させようと脅かすのである」(バタイユ「宗教の理論・第一部・三・供犠、祝祭および聖なる世界の諸原則・P.66~68」ちくま学芸文庫 二〇〇二年)

この点に関して、ではなぜそこに「宗教の起源」が求められるのか。ニーチェはいう。

「内面化され自己自身の内へ逐い戻された動物人間のあの自己呵責への意志、あの内攻した残忍性である。飼い馴らすために『国家』のうちへ閉じ込められた動物人間は、この苦痛を与えようとする意欲の《より自然的な》はけ口がふさがれて後は、自分自らに苦痛を与えるために良心の疚(やま)しさを発案した、ーーー良心の疚しさをもつこの人間は、最も戦慄すべき冷酷さと峻厳さとをもって自分を苛虐するために宗教的前提をわが物とした。《神》に対する負い目、この思想は彼にとって拷問具となる。彼は自分に固有の除き切れない動物本能に対して見出しうるかぎりの究極の反対物を『神』のうちに据える。彼はこの動物本能を神に対する負い目として(「主」・「父」・世界の始祖や太初に対する敵意、反逆、不逞として)解釈する。彼は『神』と『悪魔』との矛盾の間に自分自らを挟む。彼は自分自身に対する、自分の存在の本性・本然・事実に対するあらゆる否定を肯定として、存在するもの・生身のもの・現実のものとして、神として、神の神聖として、神の審判として、神の処刑として、彼岸として、永遠として、果てしなき苛責として、地獄として、量り知ることのできない罰および罪として、自分自らのうちから投げ出す。それは精神的残忍における一種の意志錯乱であって、全く他にその比類を見ることのできないものである。すなわち、それは自分自身を到底救われがたい極悪非道のものと見ようとする人間の《意志》であり、自分の受ける刑罰は常に罪過を償(つぐな)うに足りないと考えようとする人間の《意志》であり、『固定観念』のこの迷路から一挙にして脱出するために事物の最奥に罪と罰の問題の害毒を感染させようとする人間の《意志》であり、一つの理想ーーー『聖なる神』という理想ーーーを樹てて、その面前で自分の絶対的無価値を手に取る如く確かめようとする人間の《意志》である。おお、この錯乱した痛ましい人間獣の上に禍あれ!この人間獣が《行為の野獣》たることを少しでも妨げられるとき、奴は何を思いつくことか!どんな途轍(とてつ)もないことが、どんな乱心の発作が、どんな《観念の野獣性》がただちに勃発することか!ーーーこれらはすべて極度に興味ある事柄ではあるが、しかしまた暗黒な、陰鬱な、神経を鈍らせるような悲哀に包まれている。だから、諸君はこの深淵を余り長く覗き込むことを自ら戒めなければならない。疑いもなく、ここには《病気》がある。これまで人間のうちに荒れ狂ってきた最も恐るべき病気があるーーーそして拷苦と背理とのこの夜のうちに、《愛》の叫びが、最も憧憬的な狂喜の叫びが、《愛》における救いの叫びが響き渡っていたのをなお聞くことのできる者は(だが、今日われわれはもはやそれを聞き取る耳をもたないのだ!ーーー)、打ち克ちがたい戦慄に囚えられて面を背けるーーー人間のうちにはこれほど多くの愕くべきものがあるのだ!ーーー地上はすでに余りに長い間癲狂院であったのだ!」(ニーチェ「道徳の系譜・第二論文・二二・P.109~115」岩波文庫 一九四〇年)

そういうわけで、「蜘蛛となめくじと狸」は「一体何の競争をしていたのか」という問いに戻ってみる。「山猫」から聞いた話とした上で作者=賢治はこう位置づけている。「地獄行きのマラソン競争」。キルケゴールのいう「死に至る病」は絶望を指して言われているわけだが、「地獄行きのマラソン競争」の場合、それは逆に「希望を目指して死に至る病」へ転倒するのである。

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