嘉(か)ッコと善(ぜん)コの家は隣同士。どちらも農家でずいぶん凍てた晩の翌朝、周囲には霜が降りていた。二人とも季節の変化を目の当たりに感じとり大はしゃぎしている。しばらくすると嘉ッコは自分の祖父が大酒飲みで祖母がぼやいていたのを思い出し、友だちの善コと次の会話に入る。二人の祖父を取り換えないかという内容。
「そのうちに嘉ッコがふと思い出したように歌をやめて、一寸顔をしかめましたが、俄かに云いました。『じゃ、うなぃの爺(じ)んごぁ、酔ったぐれだが』。『うんにゃ、おれぁの爺んごぁ酔ったぐれだなぃ』善コが答えました。『そだら、うなぃの爺んごと俺ぁの爺んごど、爺んご取っ換(か)ぇだらいがべじゃぃ。取っ換ぇなぃどが嘉ッコがこれを云うか云わないにウンと云うくらいひどく耳をひっぱられました。見ると嘉ッコのおじいさんがけらを着て章魚(たこ)のような赤い顔をして嘉ッコを上から見おろしているのでした。『なにしたど。爺んご取っ換ぇるど。それよりもうなのごと山山のへっぴり伯父(おじ)さ呉(け)でやるべが』。『じさん、許せゆるせ、取っ換ぇなぃはんて、ゆるせ』嘉ッコは泣きそうになってあやまりました」(宮沢賢治「十月の末」『風の又三郎・P.174』新潮文庫 一九八九年)
孫にとって祖父は絶対的な血縁でなければならないという掟はない。大正時代でなくてもそれは変わらない。この場面で嘉ッコは平然と両者の祖父の置き換えを俎上に載せている。とともにこのケースが実現するとすればそれは<水平移動>というべきだろう。しかし或る一つの条件が横たわっている。両者は共に<人間>でなければならないという条件である。ニーチェはいう。
「これこそは《責任》の系譜の長い歴史である。約束をなしうる動物を育て上げるというあの課題のうちには、われわれがすでに理解したように、その条件や準備として、人間をまずある程度まで必然的な、一様な、同等者の間で同等な、規則的な、従って算定しうべきものに《する》という一層手近な課題が含まれている。私が『風習の道徳』と呼んだあの巨怪な作業ーーー人間種族の最も長い期間に人間が自己自身に加えてきた本来の作業、すなわち人間の《前史的》作業の全体は、たといどれほど多くの冷酷と暴圧と鈍重と痴愚とを内に含んでいるにもせよ、ここにおいて意義を与えられ、堂々たる名分を獲得する。人間は風習の道徳と社会の緊衣との助けによって、実際に算定しうべきものに《された》」(ニーチェ「道徳の系譜・第二論文・P.64」岩波文庫 一九四〇年)
一方、嘉ッコの兄はすでに小学校に通っている。「いろり」のそばで尋常小学校用の読本(とくほん)を読んでいた。嘉ッコはよほど寒いのか「黒猫(くろねこ)」をギッと抱いている。読本の一節にこう出てくる。「松を火にたくいろりのそばで」。質素倹約(けんやく)を心がけるよう説いた箇所で嘉ッコの祖父がいう。「あんまりけづな書物だな」。父もまた倹約を教えるものだから仕方ないと笑った。ところが嘉ッコの兄は霜が降ったからといって弟のように手放しでよろこんではしゃいでいられるばかりの年齢ではない。自分の置かれた社会的位置について、とりわけ寒村の貧困とそこで暮らす人間のひもじさについて敏感になる年頃でもある。
祖父のいう「けづ」という言葉はたちまちそのシニフィエ(意味内容)と合体して一つのシニフィアン(意味するもの)になり、合体した一つのシニフィアン(意味するもの)がそのシニフィエ(意味内容)を生み出してまた一つのシニフィアン(意味するもの)になるというコノテーションの無限の連鎖を発生させた。次々と湧き起こるコノテーションの無限の連鎖はとうとう嘉ッコの兄に、貧困家庭の現実を生涯にわたって甘受していかなければならないという動かせない現実を突きつけずにはおかない。嘉ッコの兄は加速的に増大するルサンチマン(劣等感・復讐感情)の渦の中で怒りを爆発させる。弟嘉ッコがひしっと抱いている黒猫を寄越(よこ)せと強引に迫る。嘉ッコが嫌がると嘉ッコの兄は撲(なぐ)ってやるという。
「嘉ッコの兄さんは、すっかり怒ってしまいました。そしてまるで泣き出しそうになって、読本を鞄にしまって、『嘉ッコ、猫ぉおれさ寄越(よこ)せじゃ』と云いました。『わがなぃんちゃ。厭(や)んたんちゃ』と嘉ッコが云いました。『寄越せったら、寄越せ。嘉ッコぉ。わあい。寄越せじゃぁ』。『厭(や)んたぁ、厭(や)んたぁ、厭んたったら』。『そだら撲(は)だぐじゃぃ。いいが』嘉ッコの兄さんが向うで立ちあがりました。おじいさんがそれをとめ、嘉ッコがすばやく逃げかかったとき、俄(にわか)に途方(とほう)もない、空の青セメントが一ぺんに落ちたというようなガタアッという音がして家はぐらぐらっとゆれ、みんなはぼかっとして呆れてしまいました。猫は嘉ッコの手から滑(すべ)り落ちて、ぶるるっとからだをふるわせて、それから一目散にどこかへ走って行ってしまいました」(宮沢賢治「十月の末」『風の又三郎・P.175~176』新潮文庫 一九八九年)
嘉ッコの兄が襲われたのは自分の生涯がまだ小学校のうちから死ぬまでほぼ間違いなく決定されてしまっているという<取りかえしのつかなさ>だ。まだ手をつけていないにもかかわらず、おそらく自分の生涯はほぼ完全に貧困との闘いに費やされていくに違いないという将来をすでに<持ってしまっている>という絶望的事実である。この事情は嘉ッコの兄に途方もない<被害者意識>を与えるとともに、弟嘉ッコに対する<債権者>へと立場を移動させる。前者の交換関係が<水平移動>だったのとは異なり、後者の交換関係は<上下移動>の構造を生じさせる。ニーチェはいう。
「人間歴史の極めて長い期間を通じて、悪事の主謀者にその行為の責任を負わせるという《理由》から刑罰が加えられたことは《なかった》し、従って責任者のみが罰せられるべきだという前提のもとに刑罰が行われたことも《なかった》。ーーーむしろ、今日なお両親が子供を罰する場合に見られるように、加害者に対して発せられる被害についての怒りから刑罰は行なわれたのだ。ーーーしかしこの怒りは、すべての損害にはどこかにそれぞれその《等価物》があり、従って実際にーーー加害者に《苦痛》を与えるという手段によってであれーーーその報復が可能である、という思想によって制限せられ変様せられた。ーーーこの極めて古い、深く根を張った、恐らく今日では根絶できない思想、すなわち損害と苦痛との等価という思想は、どこからその力を得てきたのであるか。私はその起源が《債権者》と《債務者》との間の契約関係のうちにあることをすでに洩らした。そしてこの契約関係は、およそ『権利主体』なるものの存在と同じ古さをもつものであり、しかもこの『権利主体』の概念はまた、売買や交換や取引や交易というような種々の根本形式に還元せられるのだ」(ニーチェ「道徳の系譜・第二論文・P.70」岩波文庫 一九四〇年)
また、嘉ッコたちの豆畑の向う側から一人の「鼠色の服を着て、鳥打をかぶったせいのむやみに高い男」が歩いてきた。「赤ひげの西洋人」のようだ。嘉ッコと善コとの二人を見てこういう。
「『グルルル、グルウ、ユー、リトル、ラズカルズ、ユー、プレイ、トラウント、ビ、オッフ、ナウ、スカッド、アウエイ、テゥ、スクール』」(宮沢賢治「十月の末」『風の又三郎・P.173』新潮文庫 一九八九年)
日本語訳すればだいたいこうなる。
“Grrr,Growl,You little rascals!you play truant.Be off now scud away to school”(こら、いたずら小僧ども!さぼって遊んでいるな。怠けてないで急いで学校へ行きなさい)。
しかし作者=賢治はあえてカタカナ表記を取っている。子どもたちだけでなく周囲の大人たちにもそんなふうにしか聞こえないからだろう。寒い冬の訪れを告げる霜の降りた朝、電信ばしらは風に叩きつけられてこんなふうにきしんだ唸りを聞かせる。
「電信ばしらが、『ゴーゴー、ガーガー、キイミイガアアヨオワア、ゴゴー、ゴゴー、ゴゴー』とうなっています」(宮沢賢治「十月の末」『風の又三郎・P.169』新潮文庫 一九八九年)
「ゴーゴー、ガーガー」とうなり上げる中で「キイミイガアアヨオワア」とある。それは「君が代は」と訳すべきなのだろうか。それともたまたま「そう聞こえた」に過ぎないのだろうか。どちらでも<ない>とすれば逆にどちらでも<あり得る>という逆説がすでに発生している。
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「そのうちに嘉ッコがふと思い出したように歌をやめて、一寸顔をしかめましたが、俄かに云いました。『じゃ、うなぃの爺(じ)んごぁ、酔ったぐれだが』。『うんにゃ、おれぁの爺んごぁ酔ったぐれだなぃ』善コが答えました。『そだら、うなぃの爺んごと俺ぁの爺んごど、爺んご取っ換(か)ぇだらいがべじゃぃ。取っ換ぇなぃどが嘉ッコがこれを云うか云わないにウンと云うくらいひどく耳をひっぱられました。見ると嘉ッコのおじいさんがけらを着て章魚(たこ)のような赤い顔をして嘉ッコを上から見おろしているのでした。『なにしたど。爺んご取っ換ぇるど。それよりもうなのごと山山のへっぴり伯父(おじ)さ呉(け)でやるべが』。『じさん、許せゆるせ、取っ換ぇなぃはんて、ゆるせ』嘉ッコは泣きそうになってあやまりました」(宮沢賢治「十月の末」『風の又三郎・P.174』新潮文庫 一九八九年)
孫にとって祖父は絶対的な血縁でなければならないという掟はない。大正時代でなくてもそれは変わらない。この場面で嘉ッコは平然と両者の祖父の置き換えを俎上に載せている。とともにこのケースが実現するとすればそれは<水平移動>というべきだろう。しかし或る一つの条件が横たわっている。両者は共に<人間>でなければならないという条件である。ニーチェはいう。
「これこそは《責任》の系譜の長い歴史である。約束をなしうる動物を育て上げるというあの課題のうちには、われわれがすでに理解したように、その条件や準備として、人間をまずある程度まで必然的な、一様な、同等者の間で同等な、規則的な、従って算定しうべきものに《する》という一層手近な課題が含まれている。私が『風習の道徳』と呼んだあの巨怪な作業ーーー人間種族の最も長い期間に人間が自己自身に加えてきた本来の作業、すなわち人間の《前史的》作業の全体は、たといどれほど多くの冷酷と暴圧と鈍重と痴愚とを内に含んでいるにもせよ、ここにおいて意義を与えられ、堂々たる名分を獲得する。人間は風習の道徳と社会の緊衣との助けによって、実際に算定しうべきものに《された》」(ニーチェ「道徳の系譜・第二論文・P.64」岩波文庫 一九四〇年)
一方、嘉ッコの兄はすでに小学校に通っている。「いろり」のそばで尋常小学校用の読本(とくほん)を読んでいた。嘉ッコはよほど寒いのか「黒猫(くろねこ)」をギッと抱いている。読本の一節にこう出てくる。「松を火にたくいろりのそばで」。質素倹約(けんやく)を心がけるよう説いた箇所で嘉ッコの祖父がいう。「あんまりけづな書物だな」。父もまた倹約を教えるものだから仕方ないと笑った。ところが嘉ッコの兄は霜が降ったからといって弟のように手放しでよろこんではしゃいでいられるばかりの年齢ではない。自分の置かれた社会的位置について、とりわけ寒村の貧困とそこで暮らす人間のひもじさについて敏感になる年頃でもある。
祖父のいう「けづ」という言葉はたちまちそのシニフィエ(意味内容)と合体して一つのシニフィアン(意味するもの)になり、合体した一つのシニフィアン(意味するもの)がそのシニフィエ(意味内容)を生み出してまた一つのシニフィアン(意味するもの)になるというコノテーションの無限の連鎖を発生させた。次々と湧き起こるコノテーションの無限の連鎖はとうとう嘉ッコの兄に、貧困家庭の現実を生涯にわたって甘受していかなければならないという動かせない現実を突きつけずにはおかない。嘉ッコの兄は加速的に増大するルサンチマン(劣等感・復讐感情)の渦の中で怒りを爆発させる。弟嘉ッコがひしっと抱いている黒猫を寄越(よこ)せと強引に迫る。嘉ッコが嫌がると嘉ッコの兄は撲(なぐ)ってやるという。
「嘉ッコの兄さんは、すっかり怒ってしまいました。そしてまるで泣き出しそうになって、読本を鞄にしまって、『嘉ッコ、猫ぉおれさ寄越(よこ)せじゃ』と云いました。『わがなぃんちゃ。厭(や)んたんちゃ』と嘉ッコが云いました。『寄越せったら、寄越せ。嘉ッコぉ。わあい。寄越せじゃぁ』。『厭(や)んたぁ、厭(や)んたぁ、厭んたったら』。『そだら撲(は)だぐじゃぃ。いいが』嘉ッコの兄さんが向うで立ちあがりました。おじいさんがそれをとめ、嘉ッコがすばやく逃げかかったとき、俄(にわか)に途方(とほう)もない、空の青セメントが一ぺんに落ちたというようなガタアッという音がして家はぐらぐらっとゆれ、みんなはぼかっとして呆れてしまいました。猫は嘉ッコの手から滑(すべ)り落ちて、ぶるるっとからだをふるわせて、それから一目散にどこかへ走って行ってしまいました」(宮沢賢治「十月の末」『風の又三郎・P.175~176』新潮文庫 一九八九年)
嘉ッコの兄が襲われたのは自分の生涯がまだ小学校のうちから死ぬまでほぼ間違いなく決定されてしまっているという<取りかえしのつかなさ>だ。まだ手をつけていないにもかかわらず、おそらく自分の生涯はほぼ完全に貧困との闘いに費やされていくに違いないという将来をすでに<持ってしまっている>という絶望的事実である。この事情は嘉ッコの兄に途方もない<被害者意識>を与えるとともに、弟嘉ッコに対する<債権者>へと立場を移動させる。前者の交換関係が<水平移動>だったのとは異なり、後者の交換関係は<上下移動>の構造を生じさせる。ニーチェはいう。
「人間歴史の極めて長い期間を通じて、悪事の主謀者にその行為の責任を負わせるという《理由》から刑罰が加えられたことは《なかった》し、従って責任者のみが罰せられるべきだという前提のもとに刑罰が行われたことも《なかった》。ーーーむしろ、今日なお両親が子供を罰する場合に見られるように、加害者に対して発せられる被害についての怒りから刑罰は行なわれたのだ。ーーーしかしこの怒りは、すべての損害にはどこかにそれぞれその《等価物》があり、従って実際にーーー加害者に《苦痛》を与えるという手段によってであれーーーその報復が可能である、という思想によって制限せられ変様せられた。ーーーこの極めて古い、深く根を張った、恐らく今日では根絶できない思想、すなわち損害と苦痛との等価という思想は、どこからその力を得てきたのであるか。私はその起源が《債権者》と《債務者》との間の契約関係のうちにあることをすでに洩らした。そしてこの契約関係は、およそ『権利主体』なるものの存在と同じ古さをもつものであり、しかもこの『権利主体』の概念はまた、売買や交換や取引や交易というような種々の根本形式に還元せられるのだ」(ニーチェ「道徳の系譜・第二論文・P.70」岩波文庫 一九四〇年)
また、嘉ッコたちの豆畑の向う側から一人の「鼠色の服を着て、鳥打をかぶったせいのむやみに高い男」が歩いてきた。「赤ひげの西洋人」のようだ。嘉ッコと善コとの二人を見てこういう。
「『グルルル、グルウ、ユー、リトル、ラズカルズ、ユー、プレイ、トラウント、ビ、オッフ、ナウ、スカッド、アウエイ、テゥ、スクール』」(宮沢賢治「十月の末」『風の又三郎・P.173』新潮文庫 一九八九年)
日本語訳すればだいたいこうなる。
“Grrr,Growl,You little rascals!you play truant.Be off now scud away to school”(こら、いたずら小僧ども!さぼって遊んでいるな。怠けてないで急いで学校へ行きなさい)。
しかし作者=賢治はあえてカタカナ表記を取っている。子どもたちだけでなく周囲の大人たちにもそんなふうにしか聞こえないからだろう。寒い冬の訪れを告げる霜の降りた朝、電信ばしらは風に叩きつけられてこんなふうにきしんだ唸りを聞かせる。
「電信ばしらが、『ゴーゴー、ガーガー、キイミイガアアヨオワア、ゴゴー、ゴゴー、ゴゴー』とうなっています」(宮沢賢治「十月の末」『風の又三郎・P.169』新潮文庫 一九八九年)
「ゴーゴー、ガーガー」とうなり上げる中で「キイミイガアアヨオワア」とある。それは「君が代は」と訳すべきなのだろうか。それともたまたま「そう聞こえた」に過ぎないのだろうか。どちらでも<ない>とすれば逆にどちらでも<あり得る>という逆説がすでに発生している。
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