白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・プルーストのいう「無意志的」なものと「失神」ではなく「しいしん」でなくてはならないことについて

2022年08月17日 | 日記・エッセイ・コラム
プルーストはいう。「愛する人を失ったとたん、文字どおりこちらの生命までも長いあいだ、ときには永久に奪ってしまう悲嘆」。次に「悲嘆」という言葉は同じでも「私の悲嘆のように、なんといっても一時的で、到来するのも遅ければ立ち去るのも早い悲嘆、そのできごとからずいぶん時を経てそれを真に『理解する』のでなければ感じることもできない悲嘆」。さらに<私>の悲嘆の場合は後者の悲嘆に属するのだが、ただし後者の悲嘆に属するとはいえ、それらともまた異なる点がある。現在の<私>をさいなむ悲嘆の特異性は「この悲嘆が無意志的回想によってもたらされた点」においてであると。

最初のバルベック滞在時、<私>の疲労を気遣った「祖母が私のほうにかがみこんだ」身振りと、第二のバルベック滞在時、<私>が「疲労のせいでーーー身をかがめて靴をぬごうとした」身振りとの一致が、「無意志的」に現在と過去とを同時に出現させた点。しかしなぜ「無意志的」ということにこだわるのか。プルーストは不意に意識の中に出現して反復される「無意志的」な回想にこそ本来的=真実があると考えている。

「ところが実際には、お母さんの悲嘆のような正真正銘の悲嘆ーーー愛する人を失ったとたん、文字どおりこちらの生命までも長いあいだ、ときには永久に奪ってしまう悲嘆ーーーと、私の悲嘆のように、なんといっても一時的で、到来するのも遅ければ立ち去るのも早い悲嘆、そのできごとからずいぶん時を経てそれを真に『理解する』のでなければ感じることもできない悲嘆とのあいだには、大きな隔たりがあるのだ。私と同じようにおおっくの人が感じる悲嘆とはそのようなもので、現在の私をさいなむ悲嘆がそれと異なるのは、この悲嘆が無意志的回想によってもたらされた点だけである」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・心の間歇・P.376」岩波文庫 二〇一五年)

このような「無意志的」=不意打ち的な反復の場合、因果系列の無視という契機が働いている。フロイトはいう。

「無意識のうちには、欲動活動から発する《反復強迫》の支配が認められる。これはおそらく諸欲動それ自身のもっとも奥深い性質に依存するものであって、快不快原則を超越してしまうほどに強いもので心的生活の若干の面に魔力的な性格を与えるものであるし、また、幼児の諸行為のうちにはまだきわめて明瞭に現われており、神経症患者の精神分析過程の一段階を支配している。そこで、われわれとしては、以上一切の推論からして、まさにこの内的反復強迫を思い出させうるものこそ無気味なものとして感ぜられると見ていいように思う」(フロイト「無気味なもの」『フロイト著作集3・P.344』人文書院 一九六九年)

だからといってプルーストはフロイトを模倣したわけではまるでない。同時代人である以上、それまでフロイト以外の精神科医が当たり前のように使ってきた「無意識」という言葉の解釈とは異なる意味を帯びた、極めて重要な現象に気づく人々は多少なりともいるのである。

繰り返しになるが、祖母の思い出が浮上するたびにそれと接続された「苦痛」(罪悪感)も浮上せざるを得ない。さてところが、実は、<私>の母もまた、この「死後の生存と虚無とが交錯するかくも不思議な矛盾」を悲嘆として味わっていたことに気づく。

「しかし私は、母の苦痛と比べればものの数ではなかったものの私もまた苦痛を味わって蒙を啓かれたがゆえに、そのときはじめて母がどんなに苦しんでいるかに気づいてたじろいだ。祖母が死んでから母の見せる、なにかを見すえたような涙のないまなざしは(そのせいでフランソワーズは母にいささかも同情を寄せなかった)、あの回想と虚無との不可解な矛盾に向けられていることを、私ははじめて悟ったのだ」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・心の間歇・P.377」岩波文庫 二〇一五年)

祖母の死によって母が祖母を相続する形になるのだが、称号とその相続について、「王家や公爵家」と<私>の「母」との決定的違いをプルーストはこう比較する。

「王家や公爵家では、当主が没するとその称号を息子が継ぎ、オルレアン公爵がフランス王に、タラント大公がラ・トレムイユ公爵に、レ・ローム大公がゲルマント公爵になるのにも似て、それとは次元の異なるはるかに根の深い即位ではあるが、生者はしばしば死者にとり憑かれ、死者とそっくりの後継者となって死者の途切れた生を継承するのだ。お母さんの場合にように、母親の死後に娘の感じる悲嘆というのは、もしかするとサナギの殻を早めに破って変態の進行を速め、わが身に潜むもうひとりの存在の羽化をうながしているのかもしれない。母親の死という危機がなければ、途中の行程を省いて一挙に多くの段階をすっ飛ばすことはなく、その存在はもっと穏やかにしかあらわれなかったであろう」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・心の間歇・P.378」岩波文庫 二〇一五年)

例えば「王家や公爵家」の場合、何度か引用しているように、むしろこう述べるのがふさわしい。

「かくして称号と名前とは同一であるから、なおもゲルマント大公妃なる人は現存するが、その人は私をあれほど魅了した人とはなんの関係もなく、いまや亡き人は、称号と名前を盗まれてもどうするすべもない死者であることは、私にとって、その城館をはじめエドヴィージュ大公女が所有していたものをことごとくほかの女が享受しているのを見ることと同じくらい辛いことだった。名前の継承は、すべての継承と同じで、またすべての所有権の簒奪と同じで、悲しいものである。かくしてつねに、つぎからつぎへと途絶えることなく新たなゲルマント大公妃が、いや、より正確に言えば、千年以上にわたり、その時代ごとに、つぎからつぎへと相異なる女性によって演じられるただひとりのゲルマント大公妃があらわれ、この大公妃は死を知らず、移り変わるもの、われわれの心を傷つけるものなどには関心を示さないだろう。同じひとつの名前が、つぎつぎと崩壊してゆく女たちを、大昔からつねに変わらぬ平静さで覆い尽くすからである」(プルースト「失われた時を求めて14・第七篇・二・P.98~99」岩波文庫 二〇一九年)

だが<私>の母の場合、<私>の祖母(母にとっての母親)の「死という危機がなければ、途中の行程を省いて一挙に多くの段階をすっ飛ばすことはなく、その存在はもっと穏やかにしかあらわれなかったであろう」にもかかわらず、逆に「死者にとり憑かれ、死者とそっくりの後継者となって死者の途切れた生を継承する」ことを余儀なくされた。ゲルマントという仮面を多数の女性が奪い合うのではなく、<私>の祖母という唯一の仮面を唯一の女性が相続するのである。しかし仮面とは何か。

「いついかなる場合でも、裸のものの真理は、仮面、仮装、着衣のものである。反復の真の基体〔真に反復されるもの〕は、仮面である。反復は、本性上、表象=再現前化とは異なるからこそ、反復されるものは、表象=再現前化されえないのであって、反復されるものはつねに、おのれを意味するものによって意味され、おのれを意味するものをおのれの仮面とし、同時におのれ自身、おのれが意味するものの仮面となる、ということでなければならない」(ドゥルーズ「差異と反復・上・序論・P.62~63」河出文庫 二〇〇七年)

次の箇所でプルーストは「われわれが真に知ったといえるのは思考によって再創造せざるをえなかったものだけで、それは日々の生活がわれわれに覆い隠している」という。

「死者は、生者以上にも働きかけている。なぜなら、真の現実なるものは精神によってのみ取り出される精神活動の対象にほかならない以上、われわれが真に知ったといえるのは思考によって再創造せざるをえなかったものだけで、それは日々の生活がわれわれに覆い隠しているものだからである」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・心の間歇・P.379~380」岩波文庫 二〇一五年)

それを読者に向けて理解できるものにするために必要なのは、(1)<習慣・因習>から解放された場での「翻訳」であり、(2)「一種の光学機械」の「提供」である。エルスチールが絵画を通して、ヴァントゥイユが音楽を通してやって見せたように。

(1)「あることがらがなんらかの印象を与えるとき、そのとき実際に生じていることを私が把握しようと努めていたならば、本質的な書物、唯一の真正な書物はすでにわれわれひとりひとりのうちに存在しているのだから、それを大作家はふつうの意味でなんら発明する必要がなく、ただそれを翻訳すればいいのだということに、私は気づいたはずである。作家の義務と責務は、翻訳者のそれなのである」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.480」岩波文庫 二〇一八年)

(2)「作家の書いた本は、それなくしては読者が自分自身のうちに見ることができないものを認識できるよう、提供する一種の光学機械にほかならない」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.521~522」岩波文庫 二〇一八年)

二度目のバルベック滞在時、最初に滞在した時と同じグランドホテルを選んだわけだが、<私>が部屋を取った階のボーイ長がいうには、最初の滞在時からすでに祖母は何度も「失神」を起こしていたらしい。祖母は<私>をいらいらさせないよう、その事実を隠して元気だと装っていたに過ぎなかった。<私>は「祖母の写真を前にして苦しんだ。その写真が私を責めさいなんだのである」。さらにボーイ長から祖母の失神が何度かに渡っていたことを知らされて、写真はますます「私を責めさいなむことになった」。

だが問題は祖母の「失神」と<私>の苦痛とが接続されたわけではないことである。ホテルの支配人もボーイ長も「失神」を上手く発音できずいつも「しいしん」と発語していた。もちろん「しいしん」では意味をなさない。にもかかわらず「長いあいだ私の心にもっとも苦痛にみちた感覚を呼び醒ます語として生き残った」のは「失神」ではなく「新しい独創的な不協和音にも似た斬新で奇妙な響きを放つこの語」=「しいしん」である。

「『しいしん』なる語は、その発音を聞いただけでは私にはなんのことか想像もつかなかっただろうし、他の人たちのことで引き合いに出されたのなら私には滑稽に思われただろうが、新しい独創的な不協和音にも似た斬新で奇妙な響きを放つこの語は、長いあいだ私の心にもっとも苦痛にみちた感覚を呼び醒ます語として生き残った」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・心の間歇・P.399」岩波文庫 二〇一五年)

<私>にとって「失神」というシニフィアン(意味するもの)は世間で用いられる一般的で凡庸な意味しか持たない。逆に本当に「長いあいだ私の心にもっとも苦痛にみちた感覚を呼び醒ます語として生き残った」シニフィアン(意味するもの)は「しいしん」という他人には理解不能の記号なのだ。

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