白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・ゲルマント公爵と弟シャルリュスとの大いなる会話/シャルリュスの<暴露>と<冒瀆>

2022年08月05日 | 日記・エッセイ・コラム
ゲルマント公爵夫人は夫のゲルマント公爵がその弟シャルリュスと話す時、いつも嬉々として昔話に興じているのを見る。夫人は疎外感を覚え、つねづね嫉妬を抱いている。さらにこの日の夜会では、夫の愛人シュルジ夫人と夫の弟シャルリュスが大変仲良さそうに会場をぐるぐる回っている。ゲルマント公爵夫人はひどい苦痛に耐えていた。知ってか知らずかゲルマント公爵は弟シャルリュスと次のような会話を始める。

「『夏にときどきゲルマントに来てくれたら、またふたりで懐かしい生活ができるんだよ。あのクールヴォー爺さんのこと、憶えてるかい。<パスカルはなにゆえ人の心をみだすのか?なぜなら本人の心がみだーーーみだーーー>』。『ーーーれているからです』とシャルリュス氏は、先生に答えを言う生徒のような発音で言った。『<では、パスカルはなにゆえ心がみだれているのか?なぜなら本人が人の心をみだーーーみだーーー>』。『ーーーすからです』。『よくできた、合格だ』」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・一・P.268」岩波文庫 二〇一五年)

プルーストが言葉遊びを用いる時はいつも注意しないといけない。あってもなくても構わないような箇所であるにもかかわらず、なぜわざわざ無理やり割り込ませるかのような言葉遊びなのか。

(1)「みだーーーみだーーー」=“trou―- trou―”。「ーーーれている」=“ble”。「人の心をみだす」=“troublant”。「みだれている」=“trouble”。“trouble”=“trou”「穴」と“ble”「小麦」。

(2)「みだーーーみだーーー」=“trou―- trou―”。「ーーーす」=“blanc”。「人の心をみだす」=“troublant”。“trou”「穴」と“blanc”「白い」。

だから(1)「心を乱される」と「穴」と「小麦」、(2)「心を乱す」と「穴」と「白い」。親しい友人同士の間柄だとただ単なる駄洒落に過ぎず合言葉の楽しみになるのだが、そうでない場合はほとんどセクハラに近い。男性同士の友情の確認に用いられる「心を乱す/乱される」と「穴」との関連。プルーストはそれにシャルリュスを絡ませる。シャルリュスはシュルジ夫人の前でサン=トゥーヴェルト夫人をさんざん揶揄する場合も下品この上ない性的語彙を連発させたが、そこであらわにされたのは<自然循環>の偉大さだった。プルーストにとって同性愛や横断的性愛の多様性は「自然が無意識のうちにおこなう感嘆すべき努力のあらわれにほかならない」。

ゲルマント侯爵は鷹揚に弟シャルリュスの思い出話を始める。ところが「一風変わった人間だったなあ、みなと同じ好みを一度も持ったことがないんだからーーー」と口にしたところで、はたとシャルリュスは同性愛者ではないかと社交界でささやかれている評判に突き当たって自分で困惑してしまう。

「『お前は生涯をシナで暮らすと言って家族を脅していたなあ、それほどあの国に夢中になっていたんだね、もうあのころからお前はあっちこっちほっつき歩くのが好きだった。いやあ、一風変わった人間だったなあ、みなと同じ好みを一度も持ったことがないんだからーーー』。だがそう言ったとたん、公爵は満面をポッと紅潮させた。弟の品行の実態はいざ知らず、すくなくともその評判は聞いていたからである」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・一・P.268」岩波文庫 二〇一五年)

しまった、と気づいたゲルマント公爵は話題を変えようと慌てて出してきたのが自分の愛人シュルジ夫人がシャルリュスと大変仲良くおしゃべりに興じていた話題。夫とその弟との親密ぶり、さらに夫の愛人と夫の弟とが演じた派手な仲の良さ、いずれにしてもゲルマント侯爵夫人にとっては耐え難い。

「『もしかするとお前は』と言って前言をうち消そうとした、『だれかシナの女にでも首っ丈だったのかもしれん。その後は多くの白人女性に惚れたり惚れられたりしたようだが、今晩お前がおしゃべりをした相手の婦人だってずいぶん喜んでいたそうだよ、お前のことがすっかり気に入ったらしい』」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・一・P.269」岩波文庫 二〇一五年)

その時シャルリュスは否定すればするほど逆に肯定を仄めかすことになったさっきまでの身振りを少しばかり移動させ、自ら危険へ急接近する。「兄貴は、ぼくがみなと同じ考えを一度も持ったことがない、と言っただろ。いや、考えと言ったんじゃなくて、好み、って言ったんだ。まったくその通りだな!ぼくはみなと同じ好みなど一度だって持ったことがない、まったくその通りだよ!」と。

「そこで男爵は、あたかも真犯人が、自分の所業だとはつゆ知らず人びとが目の前で犯罪のことを話題にしているとき、困った顔を見せないよう、むしろ危険なその話をつづけさせるべきだと思うのと同じなのか、『それは嬉しいね』と答えてこう言った、『だがそれよりも、兄貴がその前に言ったことばに戻りたいんだ、まさに正鵠を射ていると思われるんでね。兄貴は、ぼくがみなと同じ考えを一度も持ったことがない、と言っただろ。いや、考えと言ったんじゃなくて、好み、って言ったんだ。まったくその通りだな!ぼくはみなと同じ好みなど一度だって持ったことがない、まったくその通りだよ!兄貴は、ぼくが特殊な好みを持っていた、と言ったんだ』」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・一・P.269~270」岩波文庫 二〇一五年)

何かに憑かれたかのように<暴露>と<冒瀆>とへ走るシャルリュス。しかしなぜ自ら率先してなのか。フロイトはいう。

「ひどく逆説的に聞こえるかもしれないが、私はこう主張せざるをえない、つまり、罪の意識のほうが犯行よりも前に存在していたのである。罪の意識が犯行から生じたのではなく、逆に、犯行が罪の意識から生じたのだ、と。だから、これらの犯罪者たちを、罪の意識からの犯罪者と名づけることは、きわめて正しいことだと思う」(フロイト「精神分析的研究からみた二、三の性格類型」『フロイト著作集6・P.134』人文書院 一九七〇年)

さらにニーチェはいう。

「そのほかにも狂気がある。それは行為の《まえ》の狂気である。ああ、君たちはそのような狂気をもった魂の奥に十分深く穿(うが)ち入ることがなかったのだ」(ニーチェ「ツァラトゥストラ・第一部・青白い犯罪者・P.57」中公文庫 一九七三年)

同性愛、横断的なトランス性愛など、長く大貴族たちの特権だった多様な性。第一次世界大戦前夜、それらはもはや大貴族にのみ許された特権的なものではなくなっていく黄昏を告げているように見える。第二次世界大戦前夜になるとそれら同性愛、横断的なトランス性愛なども、帝国主義的資本主義のもとで貨幣を介した売買春へすっかり姿を置き換えるのである。

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