ところでなぜ「私が祖母を本当に想い出すことができるのは、ひとえに苦痛を通じてである」のか。それは最初のバルベック滞在時、サン=ルーが先にバルベックを発つ前、祖母に向かって「写真を撮ってあげましょうか」と提案した時、祖母が見せた身振りから生じている。<私>がそれまで愛してやまなかった祖母とはまるで異なる身振り・振る舞いを見せた祖母に対する底知れぬ疑念。例えば、貴族たちの上流社交界や新興ブルジョワ階級に属する人々が毎日のように各々のサロンで下劣この上ない「媚(こび)」を濫用して見せるのはありふれた光景でもはや見慣れた「媚(こび)」に過ぎない。だが一方、<私>の祖母が「写真を撮ってあげましょうか」と声をかけられただけで、祖母に限ってだけはよもや「無縁と信じていた媚(こび)まで持ちあわせているのではないか」という問いが<私>を見舞った時、祖母に対してずっと持ち続けてきた<神話>はもろくも崩壊した。と同時に<私>の全身に「いらいら」が漲り出した。
「その写真のために祖母がいちばん立派な装いをして、どの帽子がいいかとあれこれ迷っているのをみた私は、およそ祖母らしくない子供っぽい振る舞いにいささかいらいらとした。私は、祖母について思い違いをしていたのではないか、あまりにも買いかぶりすぎていたのではないか、その人柄は果たして私が考えていたほど恬淡(てんたん)としているのだろうか、むしろ無縁と信じていた媚(こび)まで持ちあわせているのではないか、と自問さえした」(プルースト「失われた時を求めて4・第二篇・二・二・P.321」岩波文庫 二〇一二年)
<私>としては隠しようのない「浮かぬ顔に気づく」祖母。それならと祖母は「写真を撮ってもらうのが気に入らないのならやめてもいいと言った」。しかし「やめてもらうことが本意ではなかったから、なんら不都合はないと言って祖母をなだめ、そのままおめかしをさせることはさせた」。そして写真撮影は続行される。だが撮影間際、「私にも心を見抜く力と実権はあると誇示したくなって、写真を撮ってもらう祖母の喜びを殺(そ)ぎかねない棘(とげ)のある皮肉まじりのことばを口にした」。結果、<私>は「すくなくとも祖母の顔から嬉しげな表情を消滅せしめることに成功した」。
「ところが祖母は、私の浮かぬ顔に気づくと、写真を撮ってもらうのが気に入らないのならやめてもいいと言った。やめてもらうことが本意ではなかったから、なんら不都合はないと言って祖母をなだめ、そのままおめかしをさせることはさせたが、私にも心を見抜く力と実権はあると誇示したくなって、写真を撮ってもらう祖母の喜びを殺(そ)ぎかねない棘(とげ)のある皮肉まじりのことばを口にした。こうして私は、祖母のみごとな帽子を拝見する羽目にはなったものの、すくなくとも祖母の顔から嬉しげな表情を消滅せしめることに成功したのである」(プルースト「失われた時を求めて4・第二篇・二・二・P.322」岩波文庫 二〇一二年)
順序に従えば、(1)いつもと異なる祖母の身振り、(2)<私>が見抜いた祖母の身振りの下劣な意味、(3)<私>が発した言葉の暴力により祖母が負った精神的致命傷、ということになる。一見アナログ的な感情の流れを描写しているかのようであるにせよ、実際の事態は極めて形式的な記号論的進行を取っている。
そんな経緯があって、ずっと祖母に向けられてきた無限の愛と愛ゆえに裏切られたと感じた<私>が発した致命的言葉の暴力により生じた祖母に対する「苦痛」(罪悪感)とは、それ以前はまるでなかったにもかかわらず、その瞬間を期に、やおら因果連関として繋がってしまった。スピノザはいう。
「もし人間身体がかつて二つあるいは多数の物体から同時に刺激されたとしたら、精神はあとでその中の一つを表象する場合ただちに他のものをも想起するであろう」(スピノザ「エチカ・上・第二部・定理一八・P.122」岩波文庫 一九五一年)
祖母の思い出が浮上するたびにそれと接続された「苦痛」(罪悪感)も浮上せざるを得ない。この「死後の生存と虚無とが交錯するかくも不思議な矛盾」について、もし多少なりとも何らかの真実を取り出せるとすれば、「の真実をとり出すことができるかどうかは判然としなかったが、かりに私が多少の真実をとり出せるとすれば、それは突如として出現したこの特殊な印象からでしかないと」<私>は「心得ていた」。
「こんなにも苦しく目下のところ不可解な印象から、いつの日か多少の真実をとり出すことができるかどうかは判然としなかったが、かりに私が多少の真実をとり出せるとすれば、それは突如として出現したこの特殊な印象からでしかないと心得ていた。この印象は、私の知性によって描き出されたわけでもなく、私の臆病な心によってねじ曲げられ和らげられたわけでもなく、死それ自体によって、死の突然の啓示によって、まるで雷(いかずち)のように、人間業(わざ)でない超自然の図柄で、ふたつに裂けた不思議なみぞのように私のなかに穿(うが)たれたからである」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・心の間歇・P.358~359」岩波文庫 二〇一五年)
意図せず出現した「特殊な印象」はステレオタイプ(紋切型)な<習慣・因習>に従って現れたわけではまるでない限りで、<私>に「読解・翻訳」を強いるのである。そしてそれはいつも「あとから始まる」。(1)プルーストから。(2)マルクスから。
(1)「作家にとって印象は、科学者にとっての実験に相当するが、ただし科学者にあっては知性の仕事が先に立つのにたいして、作家にあってはそれが後まわしになるという違いがある」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.458~459」岩波文庫 二〇一八年)
(2)「人間生活の諸形態の考察、したがってまたその科学的分析は、一般に、現実の発展とは反対の道をたどるものである。それは、あとから始まるのであり、したがって発展過程の既成の諸結果から始まるのである。労働生産物に商品という極印を押す、したがって商品流通に前提されている諸形態は、人間たちが、自分たちにはむしろすでに不変なものと考えられるこの諸形態の歴史的な性格についてではなくこの諸形態の内実について解明を与えようとする前に、すでに社会的生活の自然形態の固定性をもっているのである。このようにして、価値量の規定に導いたものは商品価値の分析にほかならなかったのであり、商品の価値性格の確定に導いたものは諸商品の共通な貨幣表現にほかならなかったのである。ところが、まさに商品世界のこの完成形態ーーー貨幣形態ーーーこそは、私的諸労働の社会的性格、したがってまた私的諸労働者の社会的諸関係をあらわに示さないで、かえってそれを物的におおい隠すのである」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第一章・P.140~141」国民文庫 一九七二年)
また逆説的なことに「読解・翻訳」の「後になって」、発端となった「特殊な印象」がなぜか実行へ移されるケースもある。(1)フロイトから。(2)ニーチェから。
(1)「ひどく逆説的に聞こえるかもしれないが、私はこう主張せざるをえない、つまり、罪の意識のほうが犯行よりも前に存在していたのである。罪の意識が犯行から生じたのではなく、逆に、犯行が罪の意識から生じたのだ、と。だから、これらの犯罪者たちを、罪の意識からの犯罪者と名づけることは、きわめて正しいことだと思う」(フロイト「精神分析的研究からみた二、三の性格類型」『フロイト著作集6・P.134』人文書院 一九七〇年)
(2)「そのほかにも狂気がある。それは行為の《まえ》の狂気である。ああ、君たちはそのような狂気をもった魂の奥に十分深く穿(うが)ち入ることがなかったのだ」(ニーチェ「ツァラトゥストラ・第一部・青白い犯罪者・P.57」中公文庫 一九七三年)
逆説的に思えはするものの特別なケースではまったくない。とりわけ道徳規範を強力に説く宗教が深く根付いている風土で「罪の意識=良心の疾(やま)しさ」と正面から向き合う人々の中には、現実生活と折り合いをつけることができず、熱烈な懺悔にもかかわらず、意識の次元に留まらせて誤魔化すことなく「罪を引き受けようと」犯罪を現実化したり、繰り返される「疾(やま)しさ」ゆえに自殺したりということが絶えない。
それでもなお<私>は相反する矛盾を感じながらも「われわれを苦痛から守ってくれる叡知による創意工夫」に賭けようとしていた。それはそれで構わないのだが、基本的に人間は睡眠を欠かすことができない。そのたびに、要するに毎日、「眠りに落ちたとたん、つまり外界の事物にたいして私の目が閉ざされるいっそう真正な時間へと没入したとたん、睡眠の世界が(その入口に立つと知性と意志はいっときその機能を喪失し、残酷な正真正銘の印象からもはや私を救ってくれない)、不思議にも明るく照らし出されて半透明になった五臓六腑の奥深くに、死後の生存と虚無との苦痛にみちた総合のすがたを屈折させて映しだ」すのだ。目覚めている時は<習慣・因習>と化した文法に守られているが、睡眠の世界はあらゆる文法が崩壊している世界であり、なおかつそこでは夢という目に見える<表層>を通して「残酷な正真正銘の印象」が映し出される。
「とはいえ自己保存の本能、われわれを苦痛から守ってくれる叡知による創意工夫が、いまだくすぶる瓦礫のうえに早くも再建を始めるべく、有益でありながら忌まわしいおのが仕事の最初の基礎を据えようとしていたようで、私としても愛する人が口にした見解をいまだに祖母が持つことができるかのように、祖母がなお生きていて私もいまだ祖母のために生きつづけているかのように、そんな見解を想い出す安らぎを味わっていたのかもしれない。ところが私が眠りに落ちたとたん、つまり外界の事物にたいして私の目が閉ざされるいっそう真正な時間へと没入したとたん、睡眠の世界が(その入口に立つと知性と意志はいっときその機能を喪失し、残酷な正真正銘の印象からもはや私を救ってくれない)、不思議にも明るく照らし出されて半透明になった五臓六腑の奥深くに、死後の生存と虚無との苦痛にみちた総合のすがたを屈折させて映しだした」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・心の間歇・P.359~360」岩波文庫 二〇一五年)
さらに夢には夢特有の効果がある。プルースト自身、大きく二箇所に分けて述べている。(1)は誰しも覚えがあるようなありふれた現象だろう。問題は(2)に書かれた思考である。
(1)「人は眠っていても、自分をとり巻くさまざまな時間の糸、さまざまな歳月と世界の序列を手放さずにいる。目覚めると本能的にそれを調べ、一瞬のうちに自分のいる地点と目覚めまでに経過した時間をそこに読みとるのだが、序列がこんがらがったり、途切れてしまったりすることがある。かりに眠れないまま明けがた近くになり、本を読んでいる最中、ふだん寝ているのとずいぶん違う格好で眠りに落ちたりすると、片腕を持ちあげているだけで太陽の歩みを止め、後退させることさえできるので、目覚めた最初の瞬間には、もはや時刻がわからず、寝ようと横になったところだと考えるかもしれない。眠るにはさらに場違いな、ふだんとかけ離れた姿勢、たとえば夕食後に肘掛け椅子に座ったままでうとうとしたりすると、その場合、大混乱は必至で、すべての世界が軌道を外れ、肘掛け椅子は魔法の椅子となって眠る人を猛スピードで時間と空間のなかを駆けめぐらせるから、まぶたを開けるときには、数ヶ月前の、べつの土地で横になっていると思うかもしれない」(プルースト「失われた時を求めて1・第一篇・一・一・一・P.28~29」岩波文庫 二〇一〇年)
(2)「そんな熟眠から醒めてしばらくは、自分自身がただの鉛の人形になってしまった気がする。もはやだれでもないのだ。そんなありさまなのに、なくしたものを探すみたいに自分の思考や人格を探したとき、どうしてべつの自我ではなく、ほかでもない自分自身の自我を見つけ出すことができるのか?目覚めてふたたび考えはじめたとき、われわれの内部に体現されるのが、なぜ前の人格とはべつの人格にならないのか?何百万もの人間のだれにでもなりうるのに、いかなる選択肢があって、なにゆえ前日の人間を見つけ出せるのか不思議である」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.187~188」岩波文庫 二〇一三年)
睡眠中は解体されてばらばらの<諸断片>と化している自分というもの。にもかかわらず起きた時に睡眠前の自分と同一だとなぜわかるのか。同一だとしても、ではその根拠をどこに求めればよいのか。というふうにプルーストは容赦なく記号からさらなる記号を生産していくのである。なお(2)について、この点に気づいていたのは何もプルースト一人ではなく、日本では夏目漱石がいち早く問いかけている。
「人間のうちで纏(まとま)ったものは身体だけである。身体が纏ってるもんだから、心も同様に片付いたものだと思って、昨日と今日とまるで反対の事をしながらも、やはり故(もと)の通りの自分だと平気で済ましているものが大分ある。のみならず一旦責任問題が持ち上がって、自分の反覆を詰(なじ)られた時ですら、いや私の心は記憶があるばかりで、実はばらばらなんですからと答えるものがないのは何故(なぜ)だろう」(夏目漱石「坑夫・P.23~24」新潮文庫 一九七六年)
ちなみに漱石の言葉は今まさしく日本の政界を震撼させている諸問題とダイレクトに繋がっているように見えて仕方がない。
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「その写真のために祖母がいちばん立派な装いをして、どの帽子がいいかとあれこれ迷っているのをみた私は、およそ祖母らしくない子供っぽい振る舞いにいささかいらいらとした。私は、祖母について思い違いをしていたのではないか、あまりにも買いかぶりすぎていたのではないか、その人柄は果たして私が考えていたほど恬淡(てんたん)としているのだろうか、むしろ無縁と信じていた媚(こび)まで持ちあわせているのではないか、と自問さえした」(プルースト「失われた時を求めて4・第二篇・二・二・P.321」岩波文庫 二〇一二年)
<私>としては隠しようのない「浮かぬ顔に気づく」祖母。それならと祖母は「写真を撮ってもらうのが気に入らないのならやめてもいいと言った」。しかし「やめてもらうことが本意ではなかったから、なんら不都合はないと言って祖母をなだめ、そのままおめかしをさせることはさせた」。そして写真撮影は続行される。だが撮影間際、「私にも心を見抜く力と実権はあると誇示したくなって、写真を撮ってもらう祖母の喜びを殺(そ)ぎかねない棘(とげ)のある皮肉まじりのことばを口にした」。結果、<私>は「すくなくとも祖母の顔から嬉しげな表情を消滅せしめることに成功した」。
「ところが祖母は、私の浮かぬ顔に気づくと、写真を撮ってもらうのが気に入らないのならやめてもいいと言った。やめてもらうことが本意ではなかったから、なんら不都合はないと言って祖母をなだめ、そのままおめかしをさせることはさせたが、私にも心を見抜く力と実権はあると誇示したくなって、写真を撮ってもらう祖母の喜びを殺(そ)ぎかねない棘(とげ)のある皮肉まじりのことばを口にした。こうして私は、祖母のみごとな帽子を拝見する羽目にはなったものの、すくなくとも祖母の顔から嬉しげな表情を消滅せしめることに成功したのである」(プルースト「失われた時を求めて4・第二篇・二・二・P.322」岩波文庫 二〇一二年)
順序に従えば、(1)いつもと異なる祖母の身振り、(2)<私>が見抜いた祖母の身振りの下劣な意味、(3)<私>が発した言葉の暴力により祖母が負った精神的致命傷、ということになる。一見アナログ的な感情の流れを描写しているかのようであるにせよ、実際の事態は極めて形式的な記号論的進行を取っている。
そんな経緯があって、ずっと祖母に向けられてきた無限の愛と愛ゆえに裏切られたと感じた<私>が発した致命的言葉の暴力により生じた祖母に対する「苦痛」(罪悪感)とは、それ以前はまるでなかったにもかかわらず、その瞬間を期に、やおら因果連関として繋がってしまった。スピノザはいう。
「もし人間身体がかつて二つあるいは多数の物体から同時に刺激されたとしたら、精神はあとでその中の一つを表象する場合ただちに他のものをも想起するであろう」(スピノザ「エチカ・上・第二部・定理一八・P.122」岩波文庫 一九五一年)
祖母の思い出が浮上するたびにそれと接続された「苦痛」(罪悪感)も浮上せざるを得ない。この「死後の生存と虚無とが交錯するかくも不思議な矛盾」について、もし多少なりとも何らかの真実を取り出せるとすれば、「の真実をとり出すことができるかどうかは判然としなかったが、かりに私が多少の真実をとり出せるとすれば、それは突如として出現したこの特殊な印象からでしかないと」<私>は「心得ていた」。
「こんなにも苦しく目下のところ不可解な印象から、いつの日か多少の真実をとり出すことができるかどうかは判然としなかったが、かりに私が多少の真実をとり出せるとすれば、それは突如として出現したこの特殊な印象からでしかないと心得ていた。この印象は、私の知性によって描き出されたわけでもなく、私の臆病な心によってねじ曲げられ和らげられたわけでもなく、死それ自体によって、死の突然の啓示によって、まるで雷(いかずち)のように、人間業(わざ)でない超自然の図柄で、ふたつに裂けた不思議なみぞのように私のなかに穿(うが)たれたからである」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・心の間歇・P.358~359」岩波文庫 二〇一五年)
意図せず出現した「特殊な印象」はステレオタイプ(紋切型)な<習慣・因習>に従って現れたわけではまるでない限りで、<私>に「読解・翻訳」を強いるのである。そしてそれはいつも「あとから始まる」。(1)プルーストから。(2)マルクスから。
(1)「作家にとって印象は、科学者にとっての実験に相当するが、ただし科学者にあっては知性の仕事が先に立つのにたいして、作家にあってはそれが後まわしになるという違いがある」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.458~459」岩波文庫 二〇一八年)
(2)「人間生活の諸形態の考察、したがってまたその科学的分析は、一般に、現実の発展とは反対の道をたどるものである。それは、あとから始まるのであり、したがって発展過程の既成の諸結果から始まるのである。労働生産物に商品という極印を押す、したがって商品流通に前提されている諸形態は、人間たちが、自分たちにはむしろすでに不変なものと考えられるこの諸形態の歴史的な性格についてではなくこの諸形態の内実について解明を与えようとする前に、すでに社会的生活の自然形態の固定性をもっているのである。このようにして、価値量の規定に導いたものは商品価値の分析にほかならなかったのであり、商品の価値性格の確定に導いたものは諸商品の共通な貨幣表現にほかならなかったのである。ところが、まさに商品世界のこの完成形態ーーー貨幣形態ーーーこそは、私的諸労働の社会的性格、したがってまた私的諸労働者の社会的諸関係をあらわに示さないで、かえってそれを物的におおい隠すのである」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第一章・P.140~141」国民文庫 一九七二年)
また逆説的なことに「読解・翻訳」の「後になって」、発端となった「特殊な印象」がなぜか実行へ移されるケースもある。(1)フロイトから。(2)ニーチェから。
(1)「ひどく逆説的に聞こえるかもしれないが、私はこう主張せざるをえない、つまり、罪の意識のほうが犯行よりも前に存在していたのである。罪の意識が犯行から生じたのではなく、逆に、犯行が罪の意識から生じたのだ、と。だから、これらの犯罪者たちを、罪の意識からの犯罪者と名づけることは、きわめて正しいことだと思う」(フロイト「精神分析的研究からみた二、三の性格類型」『フロイト著作集6・P.134』人文書院 一九七〇年)
(2)「そのほかにも狂気がある。それは行為の《まえ》の狂気である。ああ、君たちはそのような狂気をもった魂の奥に十分深く穿(うが)ち入ることがなかったのだ」(ニーチェ「ツァラトゥストラ・第一部・青白い犯罪者・P.57」中公文庫 一九七三年)
逆説的に思えはするものの特別なケースではまったくない。とりわけ道徳規範を強力に説く宗教が深く根付いている風土で「罪の意識=良心の疾(やま)しさ」と正面から向き合う人々の中には、現実生活と折り合いをつけることができず、熱烈な懺悔にもかかわらず、意識の次元に留まらせて誤魔化すことなく「罪を引き受けようと」犯罪を現実化したり、繰り返される「疾(やま)しさ」ゆえに自殺したりということが絶えない。
それでもなお<私>は相反する矛盾を感じながらも「われわれを苦痛から守ってくれる叡知による創意工夫」に賭けようとしていた。それはそれで構わないのだが、基本的に人間は睡眠を欠かすことができない。そのたびに、要するに毎日、「眠りに落ちたとたん、つまり外界の事物にたいして私の目が閉ざされるいっそう真正な時間へと没入したとたん、睡眠の世界が(その入口に立つと知性と意志はいっときその機能を喪失し、残酷な正真正銘の印象からもはや私を救ってくれない)、不思議にも明るく照らし出されて半透明になった五臓六腑の奥深くに、死後の生存と虚無との苦痛にみちた総合のすがたを屈折させて映しだ」すのだ。目覚めている時は<習慣・因習>と化した文法に守られているが、睡眠の世界はあらゆる文法が崩壊している世界であり、なおかつそこでは夢という目に見える<表層>を通して「残酷な正真正銘の印象」が映し出される。
「とはいえ自己保存の本能、われわれを苦痛から守ってくれる叡知による創意工夫が、いまだくすぶる瓦礫のうえに早くも再建を始めるべく、有益でありながら忌まわしいおのが仕事の最初の基礎を据えようとしていたようで、私としても愛する人が口にした見解をいまだに祖母が持つことができるかのように、祖母がなお生きていて私もいまだ祖母のために生きつづけているかのように、そんな見解を想い出す安らぎを味わっていたのかもしれない。ところが私が眠りに落ちたとたん、つまり外界の事物にたいして私の目が閉ざされるいっそう真正な時間へと没入したとたん、睡眠の世界が(その入口に立つと知性と意志はいっときその機能を喪失し、残酷な正真正銘の印象からもはや私を救ってくれない)、不思議にも明るく照らし出されて半透明になった五臓六腑の奥深くに、死後の生存と虚無との苦痛にみちた総合のすがたを屈折させて映しだした」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・心の間歇・P.359~360」岩波文庫 二〇一五年)
さらに夢には夢特有の効果がある。プルースト自身、大きく二箇所に分けて述べている。(1)は誰しも覚えがあるようなありふれた現象だろう。問題は(2)に書かれた思考である。
(1)「人は眠っていても、自分をとり巻くさまざまな時間の糸、さまざまな歳月と世界の序列を手放さずにいる。目覚めると本能的にそれを調べ、一瞬のうちに自分のいる地点と目覚めまでに経過した時間をそこに読みとるのだが、序列がこんがらがったり、途切れてしまったりすることがある。かりに眠れないまま明けがた近くになり、本を読んでいる最中、ふだん寝ているのとずいぶん違う格好で眠りに落ちたりすると、片腕を持ちあげているだけで太陽の歩みを止め、後退させることさえできるので、目覚めた最初の瞬間には、もはや時刻がわからず、寝ようと横になったところだと考えるかもしれない。眠るにはさらに場違いな、ふだんとかけ離れた姿勢、たとえば夕食後に肘掛け椅子に座ったままでうとうとしたりすると、その場合、大混乱は必至で、すべての世界が軌道を外れ、肘掛け椅子は魔法の椅子となって眠る人を猛スピードで時間と空間のなかを駆けめぐらせるから、まぶたを開けるときには、数ヶ月前の、べつの土地で横になっていると思うかもしれない」(プルースト「失われた時を求めて1・第一篇・一・一・一・P.28~29」岩波文庫 二〇一〇年)
(2)「そんな熟眠から醒めてしばらくは、自分自身がただの鉛の人形になってしまった気がする。もはやだれでもないのだ。そんなありさまなのに、なくしたものを探すみたいに自分の思考や人格を探したとき、どうしてべつの自我ではなく、ほかでもない自分自身の自我を見つけ出すことができるのか?目覚めてふたたび考えはじめたとき、われわれの内部に体現されるのが、なぜ前の人格とはべつの人格にならないのか?何百万もの人間のだれにでもなりうるのに、いかなる選択肢があって、なにゆえ前日の人間を見つけ出せるのか不思議である」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.187~188」岩波文庫 二〇一三年)
睡眠中は解体されてばらばらの<諸断片>と化している自分というもの。にもかかわらず起きた時に睡眠前の自分と同一だとなぜわかるのか。同一だとしても、ではその根拠をどこに求めればよいのか。というふうにプルーストは容赦なく記号からさらなる記号を生産していくのである。なお(2)について、この点に気づいていたのは何もプルースト一人ではなく、日本では夏目漱石がいち早く問いかけている。
「人間のうちで纏(まとま)ったものは身体だけである。身体が纏ってるもんだから、心も同様に片付いたものだと思って、昨日と今日とまるで反対の事をしながらも、やはり故(もと)の通りの自分だと平気で済ましているものが大分ある。のみならず一旦責任問題が持ち上がって、自分の反覆を詰(なじ)られた時ですら、いや私の心は記憶があるばかりで、実はばらばらなんですからと答えるものがないのは何故(なぜ)だろう」(夏目漱石「坑夫・P.23~24」新潮文庫 一九七六年)
ちなみに漱石の言葉は今まさしく日本の政界を震撼させている諸問題とダイレクトに繋がっているように見えて仕方がない。
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