白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・プルーストのダンス&ステップ

2022年08月21日 | 日記・エッセイ・コラム
或る日、ヴェルデュラン夫人を訪ねようと出かけた<私>。ところが途中でローカル線が故障を起こしアンカルヴィルで足止めをくうことになった。復旧まで周辺をうろうろと時間潰ししていたところ、アンカルヴィルに往診に来ていた医師のコタールに出くわした。そういえばアルベルチーヌとその友人の娘たちが<私>をアンカルヴィルのカジノへ誘っていたこともあり、コタールの汽車の出発にはまだ時間があったのと故障を起こしたトラム(路面列車)復旧に時間がかかりそうな見込みなので、アンカルヴィルのカジノへ寄っていくことにした。

「私は決心がつかず、故障はかなり長びきそうでコタールの汽車が出るまでにまだすこし時間があったので、相手を小さなカジノへ連れて行った。それは私がはじめてこの地に着いた夕方、ひどく淋しく見えた近在のカジノのひとつであったが、いまや娘たちの喧騒があふれていて、娘たちは男のパートナーがいないので女同士で踊っていた」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・二・P.433~434」岩波文庫 二〇一五年)

バルベックのグランドホテル付属カジノ施設は大型だが、「ひどく淋しく見えた近在のカジノ」というのはローカル線沿線すぐそばにちらほら点在する別荘を利用する貴族や新興ブルジョワのための小規模娯楽施設。また「娘たちの喧騒があふれていて、娘たちは男のパートナーがいないので女同士で踊っていた」だけでなく「みなダンスがうまいですね」とあるように音楽に合わせたダンスと幾つかのステップは重要な「たしなみ」の一つだった。

「私の知らないひとりの娘がピアノの前に座り、アンドレがアルベルチーヌにワルツをいっしょに踊ってほしいと言った。私はこんな娘たちとこの小さなカジノに残れるのだと考えると嬉しくて、コタールに、みなダンスがうまいですねと指摘した」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・二・P.434」岩波文庫 二〇一五年)

RCサクセション「STEP」

ReoNa「シャル・ウィ・ダンス?」

アルベルチーヌとアンドレとがふたりで踊っているのを見たコタールはいう。「乳房がぴったりとくっついてるでしょう」。さらに「あのふたりは間違いなく快楽の絶頂に達していますよ」。

「『そうですね、だが娘にこんな習慣を身につけさせているなんて、親御さんもずいぶん軽率ですなあ。私なら、むろんこんなところへ娘を来させたりしません。でも、みな美人でしょうか?顔立ちがよくわからんが。ほら、ご覧なさい』と、アルベルチーヌとアンドレがくっついてゆっくりワルツを踊っているのを示して言い添える、『鼻メガネを忘れてきたんでよく見えんのですが、あのふたりは間違いなく快楽の絶頂に達していますよ。あまり知られていませんが、女性はなによりも乳房で快楽を感じるものなんです。ほら、ふたりの乳房がぴったりとくっついてるでしょう』。たしかにアンドレとアルベルチーヌの乳房は、それまでずっと密着したままであった」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・二・P.434~435」岩波文庫 二〇一五年)

コタールは「だが娘にこんな習慣を身につけさせているなんて、親御さんもずいぶん軽率」という立場だ。ヴェルデュラン家の晩餐会で、社交界の礼儀作法に慣れていないため笑いものにされたことは以前述べた。上流社交界で同性愛は何ら珍しいことではない。

「というのも一流の社交界では、寛大すぎる支持を得られない悪徳など存在しないからで、姉妹の片方が他方に姉妹としての愛情以上のものをいだいていると知ったとたん、姉妹をいっしょに寝かせるために城館をすべて模様替えした人の例まである」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・一・P.264」岩波文庫 二〇一五年)

だがコタールは医師としては優秀であって専門分野では権威でもある。コタールにはコタールの系列があるのだ。ヴェルデュラン家の晩餐会の場面で古文書学者のフォルシュヴィルもまた余りにも珍妙過ぎる言動でヴェルデュラン夫人をのけぞらせた。しかしフォルシュヴィルには古文書学専門家としてフォルシュヴィルの系列がある。ということはヴェルデュラン家だけを取ってみても、一つの社交界の中に複数の系列が共存していることになる。プルーストが描いているのは文字通り、ヨーロッパには多数の社交界があるということだけではなく、たった一つの社交界の中でさえ、さらに無数の系列がひしめいているという事実である。ソドム(男性同性愛)の系列、ゴモラ(女性同性愛)の系列、そしてアルベルチーヌに代表されるトランス記号論的な横断的性愛(異性愛者かつ同性愛者)の系列、などなど多種多様な性愛のあり方。

なおこの場でも<私>を大きく動揺させるのは、「ささやき」、「笑い」など、身振りである。

「そのときアンドレがなにかひと言アルベルチーヌにささやき、アルベルチーヌは、さきほど私が聞いたのと同様の、身体の奥から出てきたような、なんとも刺激的な笑い声をあげた。しかし今やその声が私にかき立てた昂奮は、ことさら耐えがたいものになった。アルベルチーヌがどうやらその声で、密かにおぼえた官能の震えをアンドレに教え、それを確認させたように感じられたからだ。その笑い声は、得体の知れぬ祝宴の開始ないし終焉を告げる和音のように響いたのである」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・二・P.435」岩波文庫 二〇一五年)

またこのセンテンスで<私>の位置はどこにあるだろうか。コタールの指摘によって開かれた<覗き>ではないだろうか。かつて相手からは見えない位置からヴァントゥイユ嬢とその女友だちとの同性愛シーンを<覗き見>したように。

「『そうね、きっと見られるわ。なんたってこんな時間で、人通りの多い田舎なんだから』と友だちは皮肉を言い、『でもそれがどうしたの?』と、さらに言葉をついだ(友だちはからかいまじりの愛情あふれる目配せをすべきだと考え、ヴァントゥイユ嬢を喜ばせるせりふだとわかったうえで、好意から、だが努めて恥知らずな口調でこう言ったのだ)、『見られたとしたら、かえって好都合じゃないの』。ヴァントゥイユ嬢は、身震いして起きあがった。そのきまじめで感じやすい心には、おのが官能を求める場面にどんな言葉がとっさに出るのがふさわしいのかがわからなかった。本来の道徳的性格からできるだけかけ離れた、背徳の娘になりたちという願いにふさわしい言葉づかいを探し求めたものの、背徳の娘なら心底から口にするにちがいない言葉は自分が口にしたのでは嘘になると思えたのだ。かろうじてそんな言葉をなんとか声に出しても、習い性となった内気さゆえに大胆な気持は萎縮してしゃちこばった口調になり、結局『あなた、寒くない?暑すぎない?ひとりで本を読みたくないの?』と言うのが関の山だった。そしてついにこう言った。『お嬢さま、今夜は、ずいぶんいやらしいことをお考えのようね』。おそらく以前に友だちが口にしたせりふを覚えていて、それをくり返したのである。クレープ地のブラウスの襟ぐりに友だちがいきなり接吻するのを感じて、ヴァントゥイユ嬢は小さな叫び声をあげて逃げ出した。ふたりが飛び跳ねて追いかけあい、ゆったりした袖をまるで翼のように羽ばたかせて、くっくっと笑ったり、ぴいぴいと鳴き交わすのは、愛しあう小鳥同士を想わせる。やがてヴァントゥイユ嬢がソファーに倒れこむとそのうえに友だちの身体が覆いかぶさった」(プルースト「失われた時を求めて1・第一篇・一・一・二・P.348~349」岩波文庫 二〇一〇年)

プルーストの三大テーマ、<暴露><覗き見><冒瀆>が、ここではわずか二頁ほどの間にきっちり詰め込まれているのだ。

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