シャルリュスが持ち前の毒舌を用いて語ったサン=トゥーヴェルト夫人評から始まり、スワンによるシュルジ夫人の胸の<覗き見>、さらにジャン=マルク・ナティエ「シャトールー公爵夫人(ルイ・ラ・トゥールネル侯爵夫人)」の肖像画への「殺戮(さつりく)の女神」という讃辞。「卑猥な(ヴェルト)」、「若かりし(ヴェルト)」、「みるみる増殖して恐ろしい汲み取りタンクになってしまう<便槽>」、「金婚式(ジュビレ)」、「大喜び(ジュビラシオン)」、「下水道散策」、「糞だらけ」、「胸のふくらみ」、「情欲もあらわな大きく見開かれた通人のまなざし」、「高齢」、「欲望」、「臭気」、「殺戮の女神」、などの語彙を生々しいイメージとともに奔出させることで人間本来の<自然循環>のあり方、永遠回帰する「肉体・性・血・死」の新陳代謝という現実を<冒瀆>という形で<暴露>して見せるプルースト。
もっとも、シャルリュスとシュルジ夫人の会話部分と<私>とスワンとの会話部分とを二つに分けて述べれば、なるほど遥かにまとまりのよい文章になるには違いない。ところがプルーストはそうしない。場面が錯綜していてわかりづらいからといって、錯綜した文章を要領良く書き分け改めるだけの作業ならそれこそ中学高校生になれば誰にでもできることだ。しかしそうしてしまえばプルーストは逆に自分で自分自身の作品のヴィジョンを裏切ってしまうことになる。なぜならプルーストは、事態はまるでまとまりを欠いていて、とりとめのない出来事が時間的には絶え間なく次々と、空間的にはそれぞれ別々に発生していて当り前だと考えているからである。マルクスが資本の動きについて「全体としては同じときに空間的に相並んで別々の段階にある」と述べたように。
「資本は全体としては同じときに空間的に相並んで別々の段階にあるわけである。しかし、各部分は絶えず順々にすべての段階、すべての機能形態で機能して行く。すなわち、これらの形態は流動的な形態であって、それらの同時性はそれらの継起によって媒介されているのである。どの形態も他の形態のあとに続き、また他の形態に先行するのであって、ある一つの資本部分が一つの形態に帰ることは、別の資本部分が別の形態に帰ることを条件としている。どの部分も絶えずそれ自身の循環を描いているのであるが、この形態にあるのはいつでも資本の別々の一部分であって、これらの特殊な循環はただ総過程の同時的で継起的な緒契機をなしているだけである」(マルクス「資本論・第二部・第一篇・第四章・P.177~178」国民文庫 一九七二年)
さて、ゲルマント大公がスワンに語った告白とはどのようなものだったか。ドレフェス事件についてなのだが、むしろドレフェス裁判の「訴訟の進めかたに違法性があるかもしれない」という疑念が大公自身の胸中に湧き起こってきたことが「軍人の家に生まれた」ゲルマント大公にとってそもそも自らの出自と誇りとを転倒させるに等しい恥辱だということ。
「『正直に申しますと、訴訟の進めかたに違法性があるかもしれないと考えることは、ご存じのように軍隊崇拝者である私には、はなはだ辛いことでした。それでもう一度、将軍と話しましたが、残念ながらこの点、疑問の余地はなくなりました。率直に言いますが、それまでのどの段階でも、無実の者がこのうえなく不名誉な刑罰を受ける可能性があるなどということは、私の頭をかすめたことさえありません。ところが違法性という考えにさいなまれた私は、それまでは読もうとも思わなかったものを調べはじめたのです。すると、こんどは違法性ということだけではなく無実ということでも、つぎつぎ疑念にとり憑かれました。私はそのことを大公妃に話すべきだと思いませんでした。もちろん大公妃は、間違いなく私と同様のフランス人になりきっていました。それでも私としては結婚した日から、ずいぶん気取って大公妃には祖国フランスの美点を余すところなく誇示し、また私にとってその軍隊はフランスの精華だと大公妃に語ってきましたから、たしかに何人かの将校のみにかかわることとはいえ、私の疑念を打ち明けるのは辛くてできませんでした。私も軍人の家に生まれた人間なので、将校たちが間違いを犯しうるとは信じたくなかったのです』」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・一・P.249~250」岩波文庫 二〇一五年)
それから「シエクル」紙や「オロール」紙といった新聞に目を通して裁判の経過を追うようになり、とうとう仕舞いに反ドレフェス派だった自分の思想信条の側が誤っていたことを認めないわけにはいかなくなった。まるで懺悔だ。しかしなぜ懺悔の相手にスワンが選ばれたのか。スワンがユダヤ人だったからではなく、ユダヤ人であると同時に芸術批評に秀でた社交界人士として上流社交界に出入りするのが許されていた数少ない人間でもあったからだ。ゲルマント大公はスワンが置かれている困難な立場が否応なく引き受けざるを得ない二重性に賭けたわけである。
折りしも<私>はそろそろ芝居から帰ってくるアルベルチーヌのことを思い出していた。そしてこう考える。「人間は、楽しみを何種類も持つことができる」。別々の異なった「楽しみ」を同時に幾つも持つことが可能だと。さらにそれらはその都度の精神状態によりけりでころころ入れ換わる。因果関係の序列は必ずしも固定されてはいないのだと。
「このように人間は、楽しみを何種類も持つことができる。そんな楽しみのなかで正真正銘の楽しみといえるのは、そのためなら他の楽しみも、それが目立つときには、いや、それだけが目立つときには、正真正銘の楽しみと取り違えられ、嫉妬に狂う者を安心させたりその追跡の目をくらましたりして、人の判断を誤らせる。とはいえわれわれがある楽しみをべつの楽しみのために犠牲にするには、わずかな幸福なり苦痛なりがあるだけで充分なのだ」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・一・P.252」岩波文庫 二〇一五年)
しかし第三の隠された楽しみというものがある。それは目には見えていないけれども「われわれに心残りや落胆を感じさせることによってのみその潜在をあらわにしている」ような種類のもので、その一例として、軍人にとっての戦争を上げている。「ひとたび宣戦が布告されると(愛国の義務などという考えを介在させる必要さえなく)、その愛を、愛よりも強力な、戦う情熱のために犠牲にするだろう」と。
「ときには、さらに重大で、はるかに本質的な第三の楽しみが潜んでいるが、それはいまだわれわれの目には存在せず、われわれに心残りや落胆を感じさせることによってのみその潜在をあらわにしているにすぎない。ところがわれわれがやがて身をゆだねるのは、このような第三の楽しみなのだ。その一例を挙げると、ごくつまらない例だが、軍人は平時なら愛のために社交生活を犠牲にするだろうが、ひとたび宣戦が布告されると(愛国の義務などという考えを介在させる必要さえなく)、その愛を、愛よりも強力な、戦う情熱のために犠牲にするだろう」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・一・P.252~253」岩波文庫 二〇一五年)
プルーストは軍人に限った話として例示しているが、ニーチェは「最も高貴な人士の胸中にすら、秘密にされてはいるものの一つの喜び」として戦争を「自殺への迂路(うろ)である、しかも良心の呵責をともなわぬ迂路である」と述べている。「彼らは有頂天になって新しい《死》の危険へと身を投ずる」と。
「今では何か戦争が勃発するやいなや、きまっていつも同時に民族の最も高貴な人士の胸中にすら、秘密にされてはいるものの一つの喜びが突然に生ずる。彼らは有頂天になって新しい《死》の危険へと身を投ずる、というのも彼らは祖国への献身のうちに、やっとのことであの永いあいだ求めていた許可をーーー《自分たちの目的を回避する》許可を手に入れたと、信ずるからだ。ーーー戦争は、彼らにとって、自殺への迂路(うろ)である、しかも良心の呵責をともなわぬ迂路である」(ニーチェ「悦ばしき知識・三三八・P.358~359」ちくま学芸文庫 一九九三年)
ニーチェがいうのは人間の欲望の多様性である。欲望は或る形から別の形へ次々と生成変化を遂げていく。その中でも最も強力な欲望の一つに「自殺」がある。ただ自殺というだけなら直接的過ぎるようだが、自殺的行為というようなケースであればもう無数にある。星の数ほどもある。そこで官能についてニーチェはいう。
「残酷さは、置きかえられていっそう精神的となった一つの官能である」(ニーチェ「生成の無垢・上・八六〇・P.478」ちくま学芸文庫 一九九四年)
人間の最も強力な欲望は官能の絶えざる実現なのだが、その向け換えに失敗した場合、直接行動としての戦争が選択される。また人間は実にしばしば向け換えに失敗する。それを見つけた政治家が彼ら失敗者たちを利用する。
プルーストは楽しみの「取り違え」についていっていた。「それが目立つときには、いや、それだけが目立つときには、正真正銘の楽しみと取り違えられ、嫉妬に狂う者を安心させたりその追跡の目をくらましたりして、人の判断を誤らせる」と。
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もっとも、シャルリュスとシュルジ夫人の会話部分と<私>とスワンとの会話部分とを二つに分けて述べれば、なるほど遥かにまとまりのよい文章になるには違いない。ところがプルーストはそうしない。場面が錯綜していてわかりづらいからといって、錯綜した文章を要領良く書き分け改めるだけの作業ならそれこそ中学高校生になれば誰にでもできることだ。しかしそうしてしまえばプルーストは逆に自分で自分自身の作品のヴィジョンを裏切ってしまうことになる。なぜならプルーストは、事態はまるでまとまりを欠いていて、とりとめのない出来事が時間的には絶え間なく次々と、空間的にはそれぞれ別々に発生していて当り前だと考えているからである。マルクスが資本の動きについて「全体としては同じときに空間的に相並んで別々の段階にある」と述べたように。
「資本は全体としては同じときに空間的に相並んで別々の段階にあるわけである。しかし、各部分は絶えず順々にすべての段階、すべての機能形態で機能して行く。すなわち、これらの形態は流動的な形態であって、それらの同時性はそれらの継起によって媒介されているのである。どの形態も他の形態のあとに続き、また他の形態に先行するのであって、ある一つの資本部分が一つの形態に帰ることは、別の資本部分が別の形態に帰ることを条件としている。どの部分も絶えずそれ自身の循環を描いているのであるが、この形態にあるのはいつでも資本の別々の一部分であって、これらの特殊な循環はただ総過程の同時的で継起的な緒契機をなしているだけである」(マルクス「資本論・第二部・第一篇・第四章・P.177~178」国民文庫 一九七二年)
さて、ゲルマント大公がスワンに語った告白とはどのようなものだったか。ドレフェス事件についてなのだが、むしろドレフェス裁判の「訴訟の進めかたに違法性があるかもしれない」という疑念が大公自身の胸中に湧き起こってきたことが「軍人の家に生まれた」ゲルマント大公にとってそもそも自らの出自と誇りとを転倒させるに等しい恥辱だということ。
「『正直に申しますと、訴訟の進めかたに違法性があるかもしれないと考えることは、ご存じのように軍隊崇拝者である私には、はなはだ辛いことでした。それでもう一度、将軍と話しましたが、残念ながらこの点、疑問の余地はなくなりました。率直に言いますが、それまでのどの段階でも、無実の者がこのうえなく不名誉な刑罰を受ける可能性があるなどということは、私の頭をかすめたことさえありません。ところが違法性という考えにさいなまれた私は、それまでは読もうとも思わなかったものを調べはじめたのです。すると、こんどは違法性ということだけではなく無実ということでも、つぎつぎ疑念にとり憑かれました。私はそのことを大公妃に話すべきだと思いませんでした。もちろん大公妃は、間違いなく私と同様のフランス人になりきっていました。それでも私としては結婚した日から、ずいぶん気取って大公妃には祖国フランスの美点を余すところなく誇示し、また私にとってその軍隊はフランスの精華だと大公妃に語ってきましたから、たしかに何人かの将校のみにかかわることとはいえ、私の疑念を打ち明けるのは辛くてできませんでした。私も軍人の家に生まれた人間なので、将校たちが間違いを犯しうるとは信じたくなかったのです』」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・一・P.249~250」岩波文庫 二〇一五年)
それから「シエクル」紙や「オロール」紙といった新聞に目を通して裁判の経過を追うようになり、とうとう仕舞いに反ドレフェス派だった自分の思想信条の側が誤っていたことを認めないわけにはいかなくなった。まるで懺悔だ。しかしなぜ懺悔の相手にスワンが選ばれたのか。スワンがユダヤ人だったからではなく、ユダヤ人であると同時に芸術批評に秀でた社交界人士として上流社交界に出入りするのが許されていた数少ない人間でもあったからだ。ゲルマント大公はスワンが置かれている困難な立場が否応なく引き受けざるを得ない二重性に賭けたわけである。
折りしも<私>はそろそろ芝居から帰ってくるアルベルチーヌのことを思い出していた。そしてこう考える。「人間は、楽しみを何種類も持つことができる」。別々の異なった「楽しみ」を同時に幾つも持つことが可能だと。さらにそれらはその都度の精神状態によりけりでころころ入れ換わる。因果関係の序列は必ずしも固定されてはいないのだと。
「このように人間は、楽しみを何種類も持つことができる。そんな楽しみのなかで正真正銘の楽しみといえるのは、そのためなら他の楽しみも、それが目立つときには、いや、それだけが目立つときには、正真正銘の楽しみと取り違えられ、嫉妬に狂う者を安心させたりその追跡の目をくらましたりして、人の判断を誤らせる。とはいえわれわれがある楽しみをべつの楽しみのために犠牲にするには、わずかな幸福なり苦痛なりがあるだけで充分なのだ」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・一・P.252」岩波文庫 二〇一五年)
しかし第三の隠された楽しみというものがある。それは目には見えていないけれども「われわれに心残りや落胆を感じさせることによってのみその潜在をあらわにしている」ような種類のもので、その一例として、軍人にとっての戦争を上げている。「ひとたび宣戦が布告されると(愛国の義務などという考えを介在させる必要さえなく)、その愛を、愛よりも強力な、戦う情熱のために犠牲にするだろう」と。
「ときには、さらに重大で、はるかに本質的な第三の楽しみが潜んでいるが、それはいまだわれわれの目には存在せず、われわれに心残りや落胆を感じさせることによってのみその潜在をあらわにしているにすぎない。ところがわれわれがやがて身をゆだねるのは、このような第三の楽しみなのだ。その一例を挙げると、ごくつまらない例だが、軍人は平時なら愛のために社交生活を犠牲にするだろうが、ひとたび宣戦が布告されると(愛国の義務などという考えを介在させる必要さえなく)、その愛を、愛よりも強力な、戦う情熱のために犠牲にするだろう」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・一・P.252~253」岩波文庫 二〇一五年)
プルーストは軍人に限った話として例示しているが、ニーチェは「最も高貴な人士の胸中にすら、秘密にされてはいるものの一つの喜び」として戦争を「自殺への迂路(うろ)である、しかも良心の呵責をともなわぬ迂路である」と述べている。「彼らは有頂天になって新しい《死》の危険へと身を投ずる」と。
「今では何か戦争が勃発するやいなや、きまっていつも同時に民族の最も高貴な人士の胸中にすら、秘密にされてはいるものの一つの喜びが突然に生ずる。彼らは有頂天になって新しい《死》の危険へと身を投ずる、というのも彼らは祖国への献身のうちに、やっとのことであの永いあいだ求めていた許可をーーー《自分たちの目的を回避する》許可を手に入れたと、信ずるからだ。ーーー戦争は、彼らにとって、自殺への迂路(うろ)である、しかも良心の呵責をともなわぬ迂路である」(ニーチェ「悦ばしき知識・三三八・P.358~359」ちくま学芸文庫 一九九三年)
ニーチェがいうのは人間の欲望の多様性である。欲望は或る形から別の形へ次々と生成変化を遂げていく。その中でも最も強力な欲望の一つに「自殺」がある。ただ自殺というだけなら直接的過ぎるようだが、自殺的行為というようなケースであればもう無数にある。星の数ほどもある。そこで官能についてニーチェはいう。
「残酷さは、置きかえられていっそう精神的となった一つの官能である」(ニーチェ「生成の無垢・上・八六〇・P.478」ちくま学芸文庫 一九九四年)
人間の最も強力な欲望は官能の絶えざる実現なのだが、その向け換えに失敗した場合、直接行動としての戦争が選択される。また人間は実にしばしば向け換えに失敗する。それを見つけた政治家が彼ら失敗者たちを利用する。
プルーストは楽しみの「取り違え」についていっていた。「それが目立つときには、いや、それだけが目立つときには、正真正銘の楽しみと取り違えられ、嫉妬に狂う者を安心させたりその追跡の目をくらましたりして、人の判断を誤らせる」と。
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